【補完物語@おやぢ/第壱話】

 

シンジ、来訪


 蒼空がどこまでも続いている。

 陽炎が立つほどの熱い陽射しのなかで、少年は、さきほどから同じことばかり繰り返している電話の受話器を、すこしだけ未練を残しながら電話機に戻した。受話器からは、関東、東海、中部地方に緊急警戒警報が発令されたこと、それ故に住民に非難を勧告する内容が、くり返し流れていた。

 街には、すでに警戒警報が出されてからかなり経つためか、人の影ひとつ見ることができない。

 少年は、ため息をその薄く小さな唇をわずかに開いてこぼすと、一言つぶやいた。

「やっぱり、来るんじゃなかった。嫌な予感がしたんだ」

 静かで良く通るその声にあわせるように、彼の細く繊細の眉目がゆがめられる。そうしたときの彼の表情は、まるで少女が憂悶に哀しみを覚えているかのようなせつなさを見る者に感じさせるなにかがあった。

 と、そのとき、無人の街に爆音が響きわたる。少年はその音に、もはやここが彼の知っている日常ではなくなってしまっていることに気づかされた。

 道路のむこうに『第三新東京市まで13キロ』の標識が陽炎に揺らいでいる。

 少年は、手に持っていた写真に視線を落とすと、こんどは困惑の混ざった声でつぶやいた。

「しょうがない、シェルターに行こう」

 その手の写真には、手書きで、

「シンジくん江(はぁと)私が迎えにいくからまっててネ(はぁと)ココに注目!!」

と書かれていた。蛇足ではあるが、ゆうにFカップはありそうな胸元に矢印がしっかりと書かれている。書いた人間の人間性と、趣味がよくわかる写真ではあった。

 彼、碇シンジが視線を上げたその瞬間、遠く延びている道の上に一人の少女が立っているのが、その漆黒の瞳に映った。

 アスファルトを焼く強い陽射しの下で、少女だけがまるで別の世界から現れたように、周囲に凜とした雰囲気をただよわせている。その光の加減によっては蒼く輝くプラチナブロンドと、抜けるように白く美しい肌、そして、シンジに劣らず繊細で整った容貌が、その空間だけまったく別の世界をつくっていた。

 一瞬だけ、少年と少女の、漆黒の、真紅の瞳がかさなりあい、視線が交わされる。

 そして、その一瞬は、鳥達の飛び立つ羽音によって終わりを告げた。

 次にシンジの耳に響いてきたのは、無粋な地上支援戦闘機のタービン音と、山の峰の間から現れた黒い巨人の足音であった。

 

 薄暗い、コンソールと正面の大パネルの表示の光だけがそこで活動している者達を照らしている部屋。何段かにわけられたコンソールの最上段で濃緑色の軍服を着た壮年の軍人が、コンソールを叩きながらわめいている。

 すくなくとも、戦闘指揮を取っている最中に士官が己の感情をあらわにしながら叫ぶなど、言語道断のふるまいではあるのだが、正面の大パネルに映る戦況は、まさにそのどうしようもない状況を冷酷なまでにはっきりと映し出していた。

「……十五年ぶりだな」

 そんな指揮官達を面白くもなさそうに見ながら、グレーの詰め襟の制服をきっちりと着た老人が、ずいぶんと血圧の低い声でつぶやいた。

「ああ、間違いない。使徒だ」

 そんな老人に、こんどは黒い詰め襟の制服をだらしなく着た中年の男が答える。その声は低く抑えられてはいるが、老人には、彼が今にもコサックダンスでも踊り出しそうなほど浮かれていることが、よーくわかった。

 そのとき、指揮官の一人が立ち上がって絶叫する。

「なぜだ、なぜきかん! ええい、かまわん厚木と入間の航空隊も全部あげろ!! 総力戦だぁっ!!」

 後ろに立っている、左胸にダイアモンドとパラシュートをかたどったバッチと何段ものリボンを飾り、ついでに国連平和維持活動参加章までつけている、いかにも一般隊員あがりと思われる幹部自衛官が、絶望のため息を天にむかってついてみせた。

 ついでに、そばにいるオペレーターの女の子にウインクのひとつも送っておどけてみせる。そのなかなかに苦み走ったいい感じの自衛官に、オペレーターの女の子は、かるくしなを作ってかえしてみせた。さらに、上官が、頭から湯気を立てながらわめいている間に、二人は互いの電話番号を交換し、勤務が終わった後の食事の約束まですませてしまっていた。

あちこちで暇を持て余した連中がやらかしているそんな光景を見ながら、男は、両手を目の前で組み直す。

「無駄だ。使徒に通常兵器は、きかん♪」

 こんどこそ、だれの耳にも明らかなほどうきうきとした声で、黒服の男はつぶやいた。すわっているコンソールの下でタップをふんでいるのが、彼の後ろに立っている老人にはしっかり見える。

 そんな彼の声にあおられたように、指揮官の一人が叫んだ。

「N2地雷の使用を許可する!」

 そんな騒動を見ながら、老人は眠そうな目をさらに眠そうに細めてつぶやいた。

「……碇、煽ったろ」

 碇と呼ばれた男は、口の端の片方だけゆがめて笑った。

 

 黒い巨人に何機もの国連軍の支援戦闘機が攻撃を加える。ロケット弾や機銃弾が雨のようにあびせかけられるが、いっさい効果を発揮しない。意地になった戦闘機の一機が、危険なほどに接近し、攻撃をくわえようとした。

 と、その瞬間、巨人が戦闘機の一機を叩き落とす。

 その機体は、まるでおもちゃのように地面に落ちると、シンジの前にころがる。機体のあちこちから火の手があがり、一瞬で火球となり爆発する。灼熱の炎が少年を焼こうとしたその瞬間、すべりこんできた青いルノーアルピーヌA310GTが彼の盾となった。

「ごめん、おまたせ! 乗って!!」

 アルピーヌのサイドシート側の扉を開けて、サングラスをかけた女性がシンジを手招きする。正確には、サングラスだったものをかけた、であるが。上半身の左半分に、割れたガラスや戦闘機の破片を刺したまま血塗れの彼女の迫力に、シンジはおとなしくその命令に従った。

 女性は、そのまま車を二速で発進させると、第三新東京市方面にむかって走りだした。アルピーヌは、見事に左半分を真っ黒に焦がし、左サイドのガラスのすべてを粉砕させたまま、疾走する。

 車のなかでシンジは、その女性が自分に送られてきた写真の女性と同じ人物であることに、初めて気がついた。彼女は、重ステのアルピーヌを軽々と左腕一本で操りつつ、右手で刺さっている破片を抜いては窓から棄てている。

「ごめん、遅くなって。碇シンジ君ね。私は葛城ミサト、お父さんに言われてあなたを迎えに来たわ」

「父に、ですか」

 一瞬、その秀麗な眉目に浮かんだ憂悶と、わずかにうつむいたその仕草に、ミサトは、心のなかで快哉を絶叫した。

 とりあえず彼女は、急いで傷につばをつけて血を止め、血のりをぬぐい、ドーランを塗って何ごともなかったかのように身をつくろった。その間、わずか0コンマ7秒。三十路をむかえんとする女の意地とテクニックの限界の発揮である。久しぶりの獲物を見つけた飢えた雌豹のようにその瞳を爛々と輝かせ、表面上は優しくシンジに話しかける。

「お父さんのことが、苦手?」

「……………」

 襟からのぞくシンジの後れ毛が、わずかに震えて見えるのが、すべてを物語っていた。

「私と、同じね」

「?」

 はっとして顔をあげたシンジの目には、まじめな顔でハンドルを握っているミサトの半身しか見えなかった。すくなくとも、獲物が釣り針にかかったことに、右の口の端を震わせるようにして笑っていることを、知ることはなかった。

 

「遅いな」

「ああ」

 施設の地下深くで、黒服をだらしなく着こなした男と、眠たそうな目をした老人は、シンジの到着を待っていた。

「葛城一尉はなにをしている」

「ああ」

 老人に、碇と呼ばれた男は、自分ではなかなかにかっこいいと信じているそのだらしない服の着こなしを、手鏡で確認しつつ、うろうろと歩き回っている。

「三年ぶりなんだぞ、シンジとの再会は」

「ああ」

 自分の格好に十分満足したとみえて、彼は、一面の窓ガラスから下をのぞきこんだ。

「せっかく、シンジの為に作ったあれをどうするつもりだ」

「ああ」

 怒りでブレイクダンスを踊り出したいのを、部下の手前必死にこらえつつ、彼はつぶやいた。

「あれにシンジに乗ってもらうために、わざわざ重傷のレイをとなりに待機させているというのに」

「ああ」

 いったん足を止め、ガラスに映るうしろの老人に目をやる。

「……冬月」

 背筋を伸ばし、威厳をこめて、彼は、冬月と呼んだ老人に問いかけた。

「カラスが鳴くのは」

「かあ」

 冬月は、あいかわらず眠たそうな目をしたまま答えた。

「眠っているわけではないのだな。……このまま時間が経って、レイにもしものことがあったらどうする気だ。我々の計画は、その最初から頓挫することになる」

「いかんな、それは。いや、大丈夫か。赤木博士が二人を迎えに行っている。そろそろ到着するだろう」

「そうか。では、準備をするとしよう」

 彼は、ゲージの明かりを全て消し、ガラスの前でポーズを決めて、待った。

 

 待った。

 

 待った。

 

 そして、待った。

 

「……冬月(怒)」

「今、着いた」

 まさに、彼が冬月にむかってNERVロゴ入りのハリセンを振り上げたその瞬間、小型発動機のエンジン音がゲージいっぱいに響きわたる。

 彼、碇シンジの父親である碇ゲンドウは、ポケットのなかのゲージの照明のリモコンのスイッチに指を乗せ、その瞬間がくるのを待った。

 

 エヴァンゲリオン初号機と、碇シンジの初陣は、多少ゲンドウと冬月にとって予定外のアクシデントがあったものの、見事に使徒と呼ばれる巨人を殲滅して終わった。

 ゲンドウがレイと呼んだ少女、綾波レイは、シンジが初号機に乗ることを承諾した直後、隣室で待機していた医師団にさらわれるように集中治療室に連れてかれていった。

 そしてゲンドウは、上級職員用男子トイレの個室でこぶしを握って喜びをあらわにしていた。

「ふふふっふっふっふふふふっふふふうふふうっふ(はあと)」

 トイレの入り口にぶら下げられている「清掃中」の札が、その笑い声にあわせて揺れている。

 となりの個室で、便器のふたを閉じてその上に座り、将棋雑誌に目を通している冬月が、眠そうな声でつぶやいた。

「碇、うれしいのはわかった。もう少しましな笑い声で笑ってくれ」

「ふ、問題ない。シナリオ通りだ」

 ゲンドウは、ふたを閉じた便器の上に座り、両手の指をサングラスの前で組み合わせた格好のまま、口の端をゆがめて笑った。

 シンジの性格と行動パターンを自分が子供ころとほとんど同じであると、その行動を見切っているつもりであったゲンドウは、シンジが見事に彼の思い通りにエヴァ初号機に搭乗したことで非常に満足していた。これで彼の計画の第一歩は、見事に大地にその足跡をしるしたのである。これを喜ばずして、なにを喜ぶのか。

 実は、シンジがエヴァ初号機に搭乗した直後ゲンドウは、照明を落としたゲージを見下ろすコンソールの壁に手をつき、

「あぁ、シンジ、乗ってくれたよぅ。よかった、よかった、帰っちゃうかと思った」

 と、右手で心臓をおさえていたのであった。

「それに、シンジには、上級職員用アパートをまるまる一部屋用意してある。これからゆっくりと親子の語らいをする機会があるのだ。多少のことは問題ない」

「それだがな、碇。さきほど総務部から連絡があったが、シンジ君は、葛城一尉が保護者として引き取ったそうだ」

「!!! なんだと!! 聞いていないぞ、俺は!!!」

「だから私がこうしてここにいる」

「な、なんということだ、せっかくの俺の計画が……」

 ごん。

 愕然として、個室の扉に額をぶつけるゲンドウ。

 だが、一瞬のちには、彼は不死鳥のよみがえり、先ほどの笑い声より2オクターブは高い声で笑い始めた。トイレの洗面台の鏡が、その笑い声に共鳴してびりびりと震えている。

 ひとしきり笑ったあと、彼は、地獄の底から響いてくるような声でつぶやいた。

「ふっ、問題ない。そのために赤木博士に命じてレイをあの団地に住まわせておいているのだ。レイのあの様子を見てシンジが、あのふんどし年増の色気ブスに心を動かされるはずがない。まずはシンジとレイが仲よしになることで時間が稼げる。

 冬月、計画を早める。

 ドイツの彼に連絡して、セカンドチルドレンの来日スケジュールを繰り上げさせろ。あの可愛くて聡明な少女がそばにいれば、いかな心優しいシンジとて、ほかの女に気を取られるはずもない。

 不幸な妹と、辛い過去を持つ美少女。これだけお膳立てがそろえておけば、計画の多少の変更は、許容範囲内だ」

 サングラスの下で輝いているゲンドウの瞳は、もはや普段の冷酷で威厳の彫像のような彼とは同一人物には見えなかった。

 冬月は、将棋雑誌から視線をはずすと、心のなかでつぶやいた。

 

 本当に、我々の「人類補完計画」はうまくいくのか?

 

 だが、そんな冬月の疑問をよそに、トイレ中にゲンドウの声が響きわたった。

「シンジ、がんば!」

 To be Continued かな?  


 あとがき

 

 会員制EVAルームを訪れ、かつ私の小説を最後まで読んでくださった皆さん、こんばんわ。

 H金物と申します。

 今回は、自分のホームページが入場者が一〇〇〇人を超えたのと、私のホームページに一番最初にリンクを張ってくださったAshさんの会員制EVAルームの入場者が一九万名を超えたのと両方を記念いたしまして、かくのごときバカ小説を投稿させていただきました(笑)。もし楽しんでいただけたならば、作者としては、望外の喜びであります。

 さて、作品についてですが、じつに読んでの通りのひねりもなんにもない代物です(笑)。

 このネタを最初に思いついたのは、実は、なんでレイはあのマンションに一人で住まわされているのだろう、ということでした。

 すくなくとも、EVA零号機パイロットとして生活するのには、あれはあまりにも色々な意味で危険が多すぎます。あとほかにも色々疑問はあったりしたのですが、それはまあ、これからの話のネタとなりますので、今ここでは書きません。で、思いついたというか、一番確実そうな解答が、「ゲンドウ、シンジに親バカ説」でした(笑)。

 で、そうやって書いてみると、これがまたはまるはまる(笑)。

 本当はもっと短い話で終わらせるはずであったのですが、次から次へとネタが湧き出て、何回かに分けて投稿させていただくことになりそうです。

 あと、これはどさくさにまぎれてなのですが、私は、自分のホームページに連載しているEVAのパロディ小説で、シンジを美少年に書くことが出来ないでいます。これは純粋に話の展開上必要があってのことなんですが、EVAについて私の中に占める割合のほぼ九〇パーセントを占めるシンジをべたべたに書けないでいることは、ものすごいストレスなのです。で、この際ですから、ここの場を借りて、その鬱憤を張らさせていただくことにいたしました(笑)。すいません、莫迦なことをやって。

 まあ、そういうわけですので、もしAshさんの許可と、皆さんのご声援があるならば、このシリーズをしばらく続けていきたいと思っています。

 ちなみに当然のことですが、これは【補完物語】と名をうっている以上、Ashさんの【補完物語@シンジ】のパロディ小説です。

 それでは皆さん、もし機会がありましたならば、また次の作品でお会いいたしましょう。

H金物拝   


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