Man & Woman(捏造未来:ちょっと大人なレイ&シンジの話)

 

すずめがにぎやかな声で鳴きたてる穏やかな朝。

 

——明るい。

 

そう思ってレイは目を開けた。

大きな窓から惜しげもなく入ってくる柔らかな光に少しだけ眩しそうに目を顰めて、ゆっくりベットの上で半身を起こす。

身体を覆っていたシーツが滑り落ち、皓い裸身が露になる。それを気にとめる風もなくレイは視線を窓に向けた。

そこには、蒼く高い、けれど見なれない朝の空が広がっていた。

 

——どこ…?

 

目を瞬かせて、小首を傾げる。

寝起きのぼんやりとした思考は、けれど霧が晴れてゆくように徐々にはっきりとして、ここがどこで自分がどうしたのか思い出すのにそう時間はかからなかった。

 

レイははっとすると、慌てた仕草で振り返り視線をベットに戻した。

彼女の顔に安堵の色が広がってゆく。

そこ——自分の右隣——には、シーツにくるまり背中を向けて静かな寝息をたてている青年の姿があった。

 

「——碇くん」

 

小さく声をかけてみる。

呼ばれた主は未だ深いまどろみの中に沈んだまま身じろぎもしない。

 

レイはしばらくシンジの細いうなじや剥き出しの肩を見つめていたが、やがておもむろに覆い被さるように身を寄せて、その寝顔を覗き込んだ。

無防備に寝入っている顔はほんの少し目の下に疲れを滲ませていたが、表情は穏やかだ。

おずおずと手を伸ばし、そっと癖のない黒髪に触れてみる。

そのまま薄っすらと湿り気の残る髪に指を滑り込ませ、優しくすきあげる。

二度、三度。繰り返しても、一向に目覚める気配がない。

レイの指が髪を離れて、シンジの額をなぞる。頬を滑り——そして薄い唇に触れて止まった。

柔らかい感触に、とくん、と心臓が跳ね上がった。

その指を自分の唇にそっと押し当ててみると、まるでシンジの唇を感じたような気がする。

それは、夕べ、何度も自身の身体で受け止め、確かめた感触。

未だ、甘やかで痺れるような悦楽が肌のかしこに刻みつけられている。

 

彼が帰宅したのは日付を大きくこえた深夜だった。

ほんの少しお喋りをした後、彼に『送るよ』と言われて、私はそれを拒んだ。

ずいぶんと彼は戸惑っていた。

 

——そうかもしれない。

 

自分でも自分の行動がよく解らない……。

彼が言ったことは、ごく普通の——たぶん常識だと思われる——ことだし、彼が帰ってきたのを確認できたのだから、それ以上そこにいる必要性もなかったはずだ。

でも、私は、私の中に湧いた何かを抑えることができなかった。

 

溢れかえるそれに私自身が戸惑っていた。

 

——だから、私は望んだの?

 

——こうなることを?

 

もちろん彼は『だめだ』と拒んだ。

けれど、自分でも不思議に思うくらい強引に彼の拒みを遮った。

意志というよりは強い衝動だけが自分を突き動かしていたような気がする。

 

それからはあまりよく覚えていない。

憶えているのは——。

この唇からひっきりなしに零れた熱をおびた喘ぎと、切ない吐息と、聞いたことのないくらいの甘い睦言。

そして。

ただ、ひたすらに繰り返したたった一つの名前。

 

未だ体の奥の奥でゆるゆるとくすぶっている熱い、痺れるような感覚。

きゅっと胸が疼いた。

レイは小さく首を振る。腰のあたりでたぐまったシーツを引き上げて、もう一度深く潜り込んだ。

 

(碇くん……)

 

シンジの背中に身をすり寄せ、顔を埋める。

 

(まだ……)

 

深く息を吐いて、目を閉じた。

 

(……ここに、いて……)

 

 

*   *   *

 

 

唐突にシンジは目が覚めた。

背中に軽い重みを感じると同時に、それは柔らかい感触と僅かなぬくもりをも伝えてきた。

 

——あ……。

 

それが何なのか思い当たり、一瞬、身体が硬直した。

そろそろと身をよじって、無理矢理首を後ろに傾ける。思った通りのものが視界の隅に飛び込んできた。

 

——そうだった……、とぼんやり思う。

 

思いながら、この事態を妙に冷静に、何だがあたりまえのように落着いて受け止めている自分を知って、軽い驚きをおぼえてた。

 

背中に寄り添うように寝ているレイを起こさないように、シンジはそっとベットから降りた。

全身がずいぶんとけだるくて重い。このまま一日中寝ていたい気分だったが、そういうわけにもいかない。床に落ちていたバスタオルを拾って腰に巻きつけると、物音をたてないように部屋を後にした。

襖を閉める間際、ちらりと後ろを振り返る。

無残にくしゃくしゃになったシーツと、その中に蹲るように寝ている空色の髪の女性を見ながら、

 

(綾波が起きたら、洗濯しないと……)

 

などと呑気に考えている自分に気づいて、思わず苦笑した。

 

少しぬるめのシャワーが気持ちいい。

汗と倦怠感を洗い流してくれるそれに、ほっと息を吐きながら、ふと足の指に何かが絡む感触に気づいて顔を俯けた。

親指に絡んだのは、数本の長い青い髪の毛。

 

(……綾波の……)

 

そう思ったとたん、レイの皓い身体が脳裏に浮かんで一瞬にして頭に血が昇った。

 

湿り気をおびた彼女の体は、吸いつくように滑らかで、柔らかで——。

この上もなく、心地よかった。

熱に潤んだ薄赤い瞳。

せつなげに喘ぎ声を上げるたび、桜色の唇からうわ言のように零れ落ちた自分の名前。

自らの上で彼女が仰け反る度に、波のように揺らめいた青い髪。

甘く絡みつく、彼女の全てが——。

 

全身に生なましく蘇った感触に慌ててシンジは乱暴に首を振ると、シャワーを水に切り替えた。

冷水が勢いよく頭から降り注がれる。

 

——ったく、何を考えてるんだ、ぼくは……!

 

シャワーを止めて、荒い息をつく。濡れた髪や身体から零れた水滴がタイルの上でリズムを刻んだ。

思わず零した溜め息は深かった。

 

思い起こせば、昨夜。

裸身にぼくのワイシャツを羽織っただけの姿で、彼女は何の躊躇いもなく浴室に入ってきた。そのあまりの突然の成り行きに何の心構えもなかったので正直焦った。

こんななしくずし的な状況は良くないという気持ちもあって、彼女の求めを拒んだけれど、結局はなるようにしかならなかった。

濡れてへばりついたワイシャツ越しに見た彼女の肌は、とても皓くて綺麗だった。

所詮、ぼくも男でしかないし、彼女も女だ。そこに求められたものを拒む理由はなかった。

 

——綾波は一人にしないで……、と泣いた。

 

シンジは考え込むように目を閉じた。

彼女が何を想いそういった行動に走ったのか、薄々気づいている。

けれど、それを受け止めていいのか——それでいいのか、ずっと彼は迷い続けていた。そうすることは、ただ、いたずらに彼女の不安や悲しみを増やすだけなのかもしれないから。

自分に出来ることは数少ないし、なにより——。

 

——いや……。

 

小さく首を振り、零した吐息とともに脳裏に浮かぶ全ての思いを払拭する。

ゆっくりと開かれた目はやるせない色に揺れていた。

 

——それでも、一人にできなかった。

 

——せめて、今だけは……。

 

 

*   *   *

 

 

「シンジくん」

 

ふいにカヲルの口元が笑の形に歪んだ。

 

「ど、どうしたの、カヲルくん?」

 

差し出されたコーヒーを受け取りながら、胸中に走ったイヤな予感にシンジは引き攣った笑いを返す。

そんなシンジの耳元に、人の悪そうな笑顔を浮かべたままカヲルは顔を寄せた。そして。

 

「……綾波レイ、の匂いがするね」

 

静かに囁いた。

 

「ぶ——っ!」

 

飲み損ねたコーヒーを吹き出すと、シンジは大仰なリアクションで仰け反った。

思わず持っていた紙コップを取り落とし、膝の上でコーヒーが飛び散って湯気をたてる。

 

「うわっ熱っ 」

 

ズボンやワイシャツを茶色く染め上げうろたえるシンジのその顔は、耳まで真っ赤だ。

レストコーナーにいた数人の職員が何事かと振り返り、そんなシンジを見て忍び笑いを漏らした。

 

「おやおや、大丈夫かい?」

「あ、や、その—カ、カ、カヲルくんっっ 」

「何を気にしてるんだい? キミも男で彼女も女なのだからね、何も問題はないさ。そうじゃないか?」

「そ、そうだけど…いや、そうじゃなくて!」

「ああ、それに、ぼくもキミのことをどうこう言える立場じゃないからね」

「へ?」

 

涼しい顔をしてコーヒーを啜るカヲルを見やり、シンジの目が点になった。

 

「カヲルくん…今、なんて?」

 

あまりにもさらりと流された言葉に、意味を計りかねて首を傾げる。

その仕草を見て、更にカヲルはくすくすと可笑しそうに肩を震わせた。

 

その時。

いつもの如く、恒例になった感がする館内を揺るがすような罵声が辺りに響いた。

 

「なぁ〜ぎぃ〜さっ! あんたこんなところでなにやってんのよっ!実験、手伝ってくれるって約束はどーなってんのっ」

 

案の定、レストコーナーの入り口に仁王立ちで踏ん反り返る惣流・アスカ・ラングレーの姿があった。

カヲルは「やれやれ」と呟いて腰を浮かした。柳眉をぎりぎりと吊り上げ、腰に手を当てずかずかと歩み寄ってくるアスカにやんわりと微笑む。

 

「もちろん忘れちゃいないさ」

「だったらさっさと来なさいよ! いつまで待たせんのよっ!

それとバカシンジ! こんなとこで油なんか売ってないで、とっととリツコんところ行きなさいよっ! なーんでこの私があんたごときの伝言を頼まれなくちゃいけないのよ!」

「あ、ごめ……じゃなくて、……ありがとう」

「じゃあ、シンジくん。また後で」

「う、うん」

「ほら、早く!」

 

アスカに背中をどつかれながら立ち去るカヲルを、シンジは呆然と見送った。

アスカの腕は易々とカヲルの腕をとり、訳のわからない文句を並べ立てる彼女の顔は、口調とは裏腹にずいぶん穏やかに、嬉しそうに見える。

その情景を見て、シンジは一瞬脳裏思い浮かんだ考えに目を瞬かせ、茫然と呟いた。

 

「ま、まさか……ね。アスカと?……そ、そうなの? カヲルくん……?」

 

Ende

 

--Januar 3, 2015


■By 日下智

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