少年の憂鬱

 

「しっかし、シンジ。おまえほんまに羨ましいやっちゃなあ」

「どうして?」

「どうして、やて。こいつこんなこと言ってるで」

「ホント。やだねえ、幸せを自覚しない奴ってさ」

「だから、どうしてさ」

ここのところトウジもケンスケもこんなことを言ってばかりだ。

そんなことないって反論しても……、

「そら、お前ぜーたくちゅうもんや」

「ああ。ボクらなんか、望んだってそう簡単にはできないことなんだぜ」

「そうやでぇ」

 

なんて言って、ちっともぼくの話なんか聞いてやしない。

これが羨ましい? これが贅沢?

みんな、こんなこと望んでるの?

 

「望んどる! んなこときまっとるやないけ」

「男だったら一度はやってみたい! そうだろ」

「……そうかなあ」

「お前はそう思わないわけ?」

「わかんないよ」

「おまえ、ほんまにマ〇ンキついとんのか?」

「あたりまえじゃないか! 何の関係があるんだよ!」

「怪しいでえ、なあ、ケンスケ」

「ま、この際それは置いてだ。とにかく碇、お前が男子全員から羨ましがられている事は確かだね」

「だって、トウジだって妹がいるじゃないか」

「アホかお前! 小学生のしかも低学年なんやで、そんなもん何がうれしいんじゃ!」

「お、同じだと思うけど」

「ちがう!」

「ちゃうわい!」

 

……レベルはぜったいにトウジの妹と変わらないと思うんだけどな、ぼくは。

 

「ナイスバディなミサトさんと、根性悪だがとりあえず女のアスカ! 彼らとの同居はキミに与えられた天の恩恵だ」

「ありがた〜く頂戴せんと、バチがあたるでえ」

 

……どこがありがたいんだろう。

もし神様がいるとしたら、それはきっと、すごく不公平な神様だと思う。

絶対ぼくはそう思う。

 

 

 

家に帰りつくと——。

大抵アスカのほうが先に帰ってる。

暑さに弱いアスカはひどくクーラーを効かせるくせに、どうしてああいう格好をしてるんだろう。

何でショートパンツとタンクトップ1枚で仰向けに寝転がってTVを見るのが好きなんだろう。

しかも…………。

 

「あんたバカぁ、タンクトップ着てんのよ。ブラなんかつけたら見えちゃうじゃないの!」

「で、でも……ひものないのがあるって……」

「……何で、あんたがそんなこと知ってんのよ。い〜やらし〜わね〜。中学生のくせに」

 

そう言うんなら一度我が身を振り返ってみてよ。

 

洗濯物を取り込む場合———。

だけどアスカとミサトさんの下着は家の中に干してある。なんでも泥棒に取られるのがいやだとか。

このマンションは他に住人がいないんだし、こんな上まで来るわけないと思うけどって言うと、『女性心理がわかってない!』って、怒られる。

そのくせ、二人とも『青少年の心理』は考慮に入れてくれない。

仮に、百歩譲って部屋に干すのをよしとして、せめて自分でたためばいいのに。

 

「ちょっと、シンジ! あんたこれ洗濯機で洗ったでしょう」

「う、うん」

「よく見なさいよ、これシルクなのよ。シ、ル、ク! シルクは冷水の中で手洗いするのが常識でしょ! 洗濯するんなら、それぐらい知ってなさいよ」

「てっ、手で!? そそそそんなことできないよ! そんなの、アスカが自分ですればいいじゃないか」

「あんたって、ほんとバカね。それじゃあ当番決めた意味がないじゃない」

「そんなあ……」

「それと、あんた私の下着はちゃんと別にして洗ってるでしょうね」

「え?……」

「あんたばかあ? 何でわたしの高級品をあんたの安物といっしょに洗わなきゃなんないのよ。ちゃんと別にしてよ!」

「…………でも、水がもったいないし、だったら自分で……」

「わ、か、っ、た、わ、ね!!」

「う、……ぅん…………」

 

アスカもミサトさんも、この家の水道代が月にいくらかかってるのか知ってるんだろうか。

お風呂は1人ずつお湯を入れ替えるし、朝風呂だってかかさない。

アスカなんか、NERVでシャワーを浴びても帰ってまたシャワーを浴びるし。

おまけに、洗濯!

 

手で洗う?

 

誰が?

 

何でボクが?

 

「あー、シンちゃ〜ん」

 

ミサトさんがボクを呼ぶ。

“ちゃん”が間延びした言い方の時は、ろくな用じゃない。

 

「あれ、買って来てくれたあ?」

「……洗面台の下にあります。ねえ、ミサトさん。ぼくもう嫌ですよ。その……アレ、買いに行くの」

「ああ、ごっめえ〜ん。ほっら〜、ここんとこ夜勤ばっかだったから買いに行く暇なくってぇ。ゴメンねえ」

「NERVの売店にもあるじゃないですか」

「あら、シンちゃん、よく見てるわねえ? 何、興味あるの?」

「ありませんよ!! だいたい、そのぼくにわざわざ外に買いに行かせるのは誰なんです?!」

「だって外の方が安いのよん。消耗品なのよぉ、できるだけ安く買いたいじゃない」

「ぼく、もうあの薬局行けませんよ! だって、どうやって言い訳して買えばいいんですか。店の人は変な顔するし。ア、アスカだってそう思うだろ」

「ばっかねえ、へたに言い訳するから怪しく見えるんじゃない。堂々としてればいいのよ」

「堂々と買えるわけないだろ!!!!」

「だいたいミサトも、そんなのシンジに買いに行かせないでよ」

「じゃあ、アスカが買ってきてくれる?」

「私はイヤよ、面倒くさい。それに、わたし、それ使ってないんだもん」

「あ、そっかあ、むこうは主流が違ったわね」

「……だから……そういう話はやめてくださいよお……」

「話題がわかるキミは」

「いっやらし〜」

 

がまん、がまん。

聞かなかったフリ。見なかったフリ。

何も感じない、何も考えない!

目を閉じ耳を塞ぎ、イヤな事にはフタをして。

大丈夫! まだやっていけるさ。

 

 

 

………………………………たぶん。

 

 

 

「きゃ〜!!!!!! あっつーい!!!!! ちょっと! バカシンジ!!!」

「な、何?」

「何度言ったらわかるのよ! わたし熱いのダメだって言ってるでしょ! いいかげん覚えてよ」

「ご、ごめん」

「また謝る!! ん、もう! これ見なさいよ! 火傷するかと思ったじゃない。ああこんなに真っ赤になっちゃって。信じらんない。ほら!」

「うっ! ………アアアアアアスカっ!!! お願いだからバスタオル1枚で足を上げないでよ」

 

・・・・・・・・・・・・・!

 

「!!! きゃああああああ!エッチ!!スケベ!!ヘンタイ!!」

 

 

 

…………今日も一日が過ぎました。

 

 

 

何もありませんでした。(そう思うことにします)

何もおきませんでした。(そう考えることにします)

ボクは元気です。ほんの少しだけ顔にアザと引っ掻きキズができたけど。

でも、大丈夫です…………たぶん、大丈夫です。

ただ、毎日つくため息が長くなっていきます。

きっとそのうちギネスブックに乗るんじゃないかと思ったりします。

 

 

 

やっぱり、どうしてこれが羨ましいのかどうかボクにはわかりません。

 

 

 

…………………………今日もやっと一日が終わりました。

 


 

「やっぱ、ちょっと嫌やでえ」

「うーん、ちょっと考えちゃうかもね」

「あ〜それにしてもミサトさんの下着かあ、ええなあ……。一度でいいから触ってみたいわあ」

「惣流のバスタオル姿っていうのもいいぜ」

「あ〜? 何で惣流なんかのがええんじゃ」

「外見だけなら性格は関係ないだろ。それに、写真は売れると思うけど」

「それもそやなあ。ケンスケ、ほんま、お前は自分の欲望に素直なやっちゃなあ」

「でも、まあ、立場を後退してくれるって言われても、一日だけだね」

「そやな、我慢の限界っちゅーもんがあるさかいな。センセもよおやっとるわ」

「そうそう。感動するのは最初だけ。少なくとも現実に抵触しなけりゃ夢はいつまでも持続するもんだし」

「まったくや」

 

<< END >>

 

--Januar 7, 2016


■By 日下智

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