壁の中の街で霧と踊る 二章

11

 呆然としていたシンジを腰掛けていた車に放りこんで、アスカはハンドルを握っていた。
 何も無い荒地に伸びる道。
 崩れかけたビル。切れた電線のからみついた電柱。道の脇に片付けられた廃車。
 こんなにも、寂しい所だったのだろうか?自分が出ていった場所は。
 アスカはそう思う。

 フロントガラスの向こうに視線を向けたまま、シンジに話しかけた。
「ほんと、何にも無い街よね」
―なに言ってんのかしら、アタシ。
 ガソリンエンジンの振動だけが届いていた耳に、陽気さをまとった自分の声が上滑り気味に響いた。
「そりゃね、新しく出来た物なんて無いし」
 助手席のシンジが僅かに自分のほうを向いて答えた。それを見て奇妙な気分になるアスカ。
―思ったより、平気そうね。コイツ。
 うずくまっていた背中を思い出す。

 床にしゃがんで、膝を抱え、うつむいていた背中。
 あの日、ここが閉鎖された日、アスカがこの街を出た日。
 その背中を、シンジを見るのを止めて振り向き、一歩進んでからかけた言葉―じゃあ、アタシ行くから―答えは無かった。
 そしてアスカは、振り向きもせず部屋を出た。

 空母の上で、ミサトの家で、ネルフで、隣り合って立つエヴァの中で、わずかに覚えているあの砂浜で、目覚めた病院で、あの日々の全てで、一緒にいた相手を置いてこの街を出ていった時の事を思い出す。

 結局、自意識過剰だったのかも知れないとアスカは思った。
 きっと、シンジはもっと驚くと思っていたし、普通に話せるようになるのにはもっと時間が掛かると思っていた。
 けれどシンジはアスカの隣の席に座り、ぼんやりと外を見ているように見える。
―ま、こんなもんよね。
 あれから随分経った。自分も、シンジも、変わったのだろう。そう思った。
―ま、取りあえずそのほうが話が早いんだけどね。
 色色とアスカにはアスカなりの都合があり、予定もあった。
―のんびり暮らしてたトコ悪いけど、一寸付き合ってもらうわよ……馬鹿シンジ。
 適当に車を走らせながら、そんな事をアスカは考えていた。

 しかし、アスカのシンジに対する分析はかなり的外れな物だった。
 シンジは、十分驚いていたし、何を言えばいいのかも解らず、疑問だけがその内側に溢れ、けれど口に出せるのはありきたりの返事。

 実際の所、平静さを装っていただけだった。

 ただ、人の言葉を受け流せるようになっただけで。
 ただ、自分を隠すのが少し上手くなっただけで。
 ただ、あの頃の事を忘れようとしているだけで。
 シンジは、シンジだった。


12

「どう思う?」
 会議の後、自分たちに割り当てられた本部施設内の部屋で、副官に問い掛ける。偶然にも少し前にシゲルがマヤに掛けたのと同じ言葉を。
「何がです?」
「この街の限界が後二年って奴だ」
 コウヘイは机に寄りかかり、戸惑った顔に向けて言葉を続けた。
「そうですね、今のままでここがずっとやっていけると思っていた訳ではありませんが、数字で聞かされるとやはり……」
「そうじゃない」
 遮り、言った。
「は?」
「いかにもって感じじゃないか?後二年ってのは」
 ゆっくりと、自分の考えを確かめながらコウヘイは言った。
「限界が有るのはわかる、だが本気で慌てて自棄を起こすってほど切羽詰ってない……どうにも都合が善さ過ぎる」
 暫くの沈黙。蛍光灯で白く色づけられた部屋に流れる時間。
「……では」
「おそらく、もっと時間は無い。そう考えたほうがいいだろうな」
 その言葉に、暗い顔の副官が苦々しげに答える。
「信頼されてませんからね、我々は」
「そもそも、今この街の生命線になってる合成食の工場すら俺達に見せようとしないぐらいだしな」
 しかし、それは当然の事だとコウヘイは思う。
―戦争ですらなかったあれに、軍人でもない彼らが納得できるはずが無い。
 その上、ここに自分たちと閉じ込められている現状。
「国連の判断は間違ってたのかもしれん」
 口から滑りです言葉。
「ええ、封鎖するなら全ての人間を外に出してしまうべきでした」
「そうだな……旧ネルフ職員の監禁、霧の見せる幻覚を捨てられなかった民間人の処置、軍法上の問題だった俺達。そしてサードインパクトが起きた場所を恐れ、ここで起こる異常を恐れ、全ての厄介ごとと共に壁で覆って見ない事にした……全て一度に片付けようとしたのが間違いだ」
 そこまで言って、それがこの街に居る自分たちの見方でしかない事に気付く。
「いや、これも外の人間にすればどうでもいい事か」
 大きく息を吐き口を閉じる。
「勝手にいがみ合い、死んでしまえばいいと思われている、と?」
「下らん自己憐憫だ、忘れてくれ」
 再び広がった沈黙は、電子音に破られた。
「どうした?」
 受話器を足り上げ、問いかける。
 今でも止めていない定時連絡が来るべき時間ではない、にもかかわらず入った通信に違和感を覚えた副官が見つめる中、コウヘイは厳しい表情を作る。
「……そうか、解った……いや、その必要はない、監視を続けるだけで善い……変化があればすぐに連絡を。以上だ」
 受話器を置いたコウヘイの姿に、何かを感じ取って聞く。
「何が?」
「お客さんだ。何時の間にかやって来て、そこらをガソリン車で走り回ってるらしい」
「しかし!」
 一つしか存在しない門は常時、彼らの監視下に有った。
「所詮連中の作った壁だ、どこに何があっても驚かん」
「……正規の入り口以外から、しかも我々に連絡無しに入った相手が堂々と姿を見せているとなると……」
「囮、だろうな、当然」
「問題は、何から注意をそむけたいかですが」
「解らん……しかし、監視は集中せざるを得ない。それに、誰に向けた囮か、と言う事も有る」
 自分達への物ならば、まだ善い。所詮できる事も知っている事も少ない以上、それほど振りまわされることは無いはずだった。しかし……。
「彼らに向けての物だと?」
 副官の問いかけには答えず、コウヘイは言った。
「……その客ってのがな、」
「?」
「あの、赤い奴のパイロットだ」


13

 アスカに言われるままに道案内をし、二人が辿り着いたのは黒いピラミッド。
 シンジはもう随分とこの場所に来た事はなかった。
「何でこんな所に……」
 そもそもここに来たいのなら、最初にいた集配所の駐車場から見えていたのに。
 そう、シンジは疑問に感じていた。
―わざわざ遠回りして、何で?
 アスカが監視を確認してからこの場所に向かったなど、シンジには思いつきもしなかった。
「あら、挨拶ぐらいはしとかないといけないじゃない?」
 はぐらかす様に言うアスカ。
 そしてシンジは聞く。
「……ねえ、アスカ」
「なによ?」
 わずかに眉を上げ、聞き返してくるアスカ。
 それを見てシンジは何故か痛みを感じる。何処とも知れない場所に。焦りにも似た痛みを。
 そしてそれを振りきるように口を開く。
「国連で何やってるのさ」
「いきなり何言い出すのよ、アンタ」
 その言葉の割にアスカは落ち着いた表情をしている。
「ナンバープレート」
 指差した先にはUNの文字。
「ま、そりゃ気付くわよね」
 平然とした声で答え、シンジに向かい笑う。
 昔と変わらない長さの―いや、少しだけ伸ばしているのかもしれない―髪が揺れる。
 そしてシンジは理解した。
 感じていた痛みが何なのかを。
 それは、アスカが、痩せて弱っていたアスカが、ここから居なくなった時には笑顔など作りはしなかったアスカが、自分の知らない間に、この三年の間に変わったことへの痛みだと。
―僕は、自分勝手だ。あの頃と同じに。
 そう感じ、苛立ちながらも、口は普通に言葉を続ける。
「何しに来たんだよ。こんな街に」
―そして、ネルフに。

「まだ、教えてあげない」

―僕には、解らないのかもしれない、アスカの事は。
 背を向け、ついて行くのが当然とばかりに、片手で持ったバックを揺らしながらゲートへ向かい歩いて行くアスカの後ろ姿を見て、シンジはそう思う。


14

「そんな!?どうやってここに?」
 アスカがシンジを連れてここにやって来ている。
 そうシゲルから聞いたマヤは驚きを隠せなかった。
「……乗ってきた車には国連のナンバープレートがついていた」
 暗い声でシゲルが言う。
「じゃあ、」
「ああ、そういう事なんだろうな」
 早過ぎる。そう思いつつも何処か納得している自分が居る事にマヤは気付く。
―待っていたのかな。あたし。
 事態が動くのを。このままゆっくりと自分が、この街が、世界が死んでいくのを認めたくなかったのかもれない。
 軽く唇を噛み、聞いた。
「どうするの?」
「取りあえず、会って見てくれないか」
「あたしが?」
「……俺はあいつらを押さえる」
「そう、ね。何か知っているかもしれないし」
―それに、彼らに下手に動いて欲しくは無いものね。
 彼ら元戦自の人間が騒ぎ大きくするのはこの先どう言う展開になるにしろ歓迎すべき事では無かった。

 シゲルが出ていくのにも気付かず、自分の中に篭り考える。
「アスカが……それも、シンジ君と一緒に……」
 思考が空回りしかけ、その一部が口をついて出る。

―知っているの?……いいえ、それはないわね、きっと。

 自分の中で、何かがバラバラになっている気がした。
 あのころの甘えの見える口調を使っていた自分と、今あの人を意識してその影絵のようになろうとしている自分と。

 暫く考え、そして部屋を出る。
 二人に会いに行くために。


15

「はぁ……」
 昔にも入った事の無い応接室のソファーに居心地悪く腰掛け、シンジはため息をついた。
 隣ではアスカがそれを見て笑っている。
―何だって言うんだよ、まったく。
 不思議ににアスカの機嫌がいい。それは、何かが始まる前の高揚感なのかも知れない。
 ドアが開き、入ってきたのはマヤだった。
「……久しぶりね。二人とも」
 戸惑ったような目線をさ迷わせ、二人の向かいに座りながら言った。
「そうね、ホント久しぶり」
「あ、どうも」
 平然と答えたアスカに比べ、シンジにはぎこちなさが目立つ。
「それで、一体なんの用なの?」
「いきなりね、再開を喜ぶ時間も無いってわけ」
 膝の上で軽く手を組んだマヤと小さく首を傾げて聞き返すアスカ。
「時間が無いのはお互い様じゃないのかしら……わざわざこんな所に遊びに来たわけじゃないんでしょう」
 二人の視線が絡み合い、そのわきでシンジは疎外感を覚える。

 そして、唐突にアスカが口を開く。

「……2016、サードインパクトの発動と終結、その終息の時刻は不明。全ての観測機械と人の記憶は一時的な空白を残すのみ。おそらくはその直後から人々の帰還が始まる。最終的な帰還者は当時の人口の7割程度」
 硬い声が張り詰めた空気を作り、その空間を支配する。
 その言葉を、マヤは真っ直ぐに見つめて聞いている。
「三日後、国連軍によるサードインパクト発生地点―第三新東京市の占拠。ネルフ関係者、特に帰還した中での高位責任者、青葉シゲル及び伊吹マヤへの聞き取り調査が行われる。同日、セカンド、サードの両チルドレンを昏睡常態で発見、保護。更にその翌日、『霧』の発生が確認される。当初、ごく狭い範囲でしか見られなかったそれは日々拡大を続けた」

 自分たちの事に触れられた時、マヤはわずかに眉をひそめ、シンジはその言葉を紡ぐ口から目を逸らした。

「サードインパクトから6日、チルドレン二名は意識を回復、その後多少の問題を含みつつも回復。三週間後、国連軍と調査団はこの街の閉鎖を決定。一般市民への退去勧告を出すものの、市外からの流入を放置。二ヶ月後、完全閉鎖の日、セカンドチルドレン市外へ退去、以後国連監視下へ置かれる」
 アスカはただ淡々と、他人の事のように続けている。
「2017、各国は第三新東京市の封鎖期間を150年に決定。最低限の物資援助以外の干渉を禁止。2018、食料不足と難民問題を原因とする小規模な戦闘が各地で発生。継戦能力の不足により短期間で終結した」

 マヤがため息をつく。
 今だ外では人が争う事に、この街を完全に忘れようとしている事に、疲れを感じて。

「2019、生き残った複数の研究機間が現状の分析結果を極秘裏に纏める。その内容は、」
「日照異常の原因と予想される結果について、かしら」
 言葉切れ、マヤが口を挟む。もしかしたらアスカの期待通りに。
「ええ、そうよ。サードインパクト時に発生したと思われるガス状物体による太陽光の不足とそれがもたらす気象の異変。人類の滅亡の危機って奴ね……ま、ありきたりだけど」
 唇の端で笑って言った。

 人類滅亡の危機。それは昔よく聞いた言葉だったから。
 そのためと信じてあの頃を過ごした言葉。少なくともこの場にいる三人は。

 そして、シンジが耐えきれなくなって言う。
「それが、どうしたって言うのさ」
「シンジ君?」
 それまで黙っていたシンジの言葉に、マヤが驚いたような声を上げた。
「だからって何でアスカがここに来るんだよ?」
―おかしいよそんなの。
 アスカは自分を睨むように見るシンジを気にした様子も無く続ける。
「同年、第三新東京市の封鎖に関する特令を発動、それは、旧ネルフに対する現在の異常についてのデータ提供を求めるために限り封鎖地への立ち入りを認める物」
「そして、あなたが選ばれたって事ね」
「ええ、そうよ。全てのデータ及び施設への検査を行えるよう取り計らうことを要請します」
 立ち上がり、座ったままのマヤを見下ろして言う。
「どんな権限で?」
「国連の総意と人類の生存のために、って所じゃないかしらね。期待されてるのは」
 軽い口調のまま、信じていないことを明らかにして響く。
「皮肉な話ね……けれど、そのどちらも今のあたし達に意味はないわ」
 静かに、しかしはっきりとマヤは答えた。
「そうかもしれない、でも、アタシに向かってそれが言える?」
 言葉のと中で急に表情を変え、むしろ優しくさえ聞こえる声でアスカ。
「外からの使者じゃなくて、惣流・アスカ・ラングレー個人に向かって、関係無いって言えるの?アンタ達が」
 沈黙。
 そして、答える。
「……それであなたが選ばれたの?」
「さあ?上の人間の考えてる事なんか知らない。でもね、アタシはアタシにできることを自分が善いと思う方法でやるだけよ」
―ああ、本当に変わったな、アスカ。
 そう、この場から取り残されたような気分でいたシンジは思う。
 この時点ではシンジはただの傍観者でしかなかった。
 二人に口を挟む資格も無い、何も出来ない。そう考えていた。
 確かに、今この場に限ればその通りで、しかし最終的にそれは間違いなのだが。
「……今すぐには決められないわ。少し待ってもらえる?私でけで決められる事じゃないから」
「ええ、構わないわよ」
 シンジを取り残したまま二人はそんな会話を交わし、マヤが部屋を出ていった。

 長い沈黙が落ちる。
 そして、
「さて、と」
 アスカが呟き、ドアに向かう。

―どうしたんだろ?
 なにか騙されたような気持ちのまま、ぼんやりとシンジはそれを見ていた。
 部屋の外でアスカが誰かと話していた。
 開け放したドアの向こう、言葉が途切れ、何かが倒れる音。

 駈け寄った先でシンジが見たのは、床に倒れたネルフの制服と、アスカが手にしたスタンガン。

―!?なんで?
 言葉も出ないシンジの手を掴み、駆け出すアスカ。
「ほら、ボケっとしてんじゃないわよ!監視の人間をやっちゃった以上急がなくちゃいけないんだから!」

 柔らかい手の感触、ひそめたアスカの声、目まぐるしく曲がり振り回される視界。
「何でさ、アスカ!何で、こうなるんだよ!」
 訳もわからず、叫ぶシンジ。


16

―なんか、昔もこういうこと有ったわよね。
 シンジを連れて潜りこんだダクトの中を這いながら少し可笑しくなった。
「ねえ、アスカ」
 聞こえてくるその声から、ここに来る前の物と違い知らない人に向けるような硬さが消えている。
 変わりに戸惑いと情けなさとが大きく出ている事が余計アスカの可笑しさを煽る。
「ねえってば!なんでこんな事するんだよ?」
―も、もう駄目……
 我慢できなくなって笑い出す。
「な、なに笑ってるのさ!」
 シンジにして見れば冗談ごとではないのだろうし、実際そんな場合ではないのだが何故か笑いは収まらなかった。

 緊張が途切れた所為かもしれない。あのころの事を悪いほうに思い出すのを避けたかったのかも知れない。単純にシンジの様子が可笑しかったのかも知れない。
 とにかく、たっぷり三分ほど笑いつづけた。
 同行者の機嫌が最悪になったのをおまけにして。

 少し広くなった空間で止まり、バックから取り出した端末を壁に走るケーブルに繋いだ。
 以前より体が大きくなった二人は背中を丸めている。
「さて、暫く時間もかかることだし……どうしてこういう事をしたのかっていうと」
 キーを叩いていた手を止め話しはじめる。
「もういいよ」
「あー生意気!人が説明してやるって言ってんだから素直に聞きなさいよね!」
 小声で器用に怒鳴りつける声は微かに笑みを含んだままだ。
「わ、わかったよ……」
 勝手なんだから。とかなんとか聞こえたような気もしたが、比較的気分がよく少しハイになっていたので気にせず説明を始めた。
「アタシがここで色色と調べ物をしなきゃいけないのは解ってるわよね?」
「うん、何となく、だけど」
「……で、マヤ達が素直にそうさせてくれないだろうってのは?」
 疑わしげにシンジを見てから言う。
「なんでそう思うんだよ?」
 予想通りの言葉を返したシンジにため息をついて見せた。
「あんたってホントにバカね」
 むっとしているシンジに向かって続ける。
「そう言うもんなのよ、普通」
「でも、」
「あのね、時間が無いの、この状況でのんびりマヤ達と駆け引きとかしてる訳にはいかなかったのよ」
 置いたままだった端末の画面を見て、繋いだコードを纏めて引き抜いた。
―さすがMAGIの最上位パス……ここを国連が管理していた時のをもらってきて正解よね。
「じゃ、行くわよ」
「何処に?」
「今現在、一番活発に動いてる施設によ」
 それを調べていたのだろう、手にした端末を軽く叩いて言った。
―アンタには、悪いけど、ね。
 そう思いながら。
 しかしこの後の事は知らずに。
 ただどうしてもシンジを巻き込まずにはいられなかった自分の事を苦々しく感じながら。


 動き出したアスカの後を追うシンジには、その乱暴な説明では今こうしていることはともかく、何故アスカが一人でこの街に来たのか、そしてなにより、何故自分が連れてこられたのかの理由が解らないことに気付けずにいた。


 有る意味、それは幸いな事かもしれなかったけれど。


17

 薄暗い広い空間。機械音だけで満たされていたそこに、何かを叩く音が響いた。
 天象の格子が落ち、人影が現れる。
 一つ、二つ。
 奇麗に床に降り立った最初のそれに比べ、二人めはおっかなびっくりに飛び降りた。

「もう、しっかりしなさいよ」
「そんな事言ったって……」
―仕方ないじゃないか、向いてないんだよ。こう言うの。
 心の中でぼやきながらあたりを見渡す。
 ダクトの中から人が居ない事だけは確認していたが、部屋全体の様子までは解らなかった。
 動き続けている幾つもの機械。
 何処か見覚えの有る場所。そしてそれとはまた違う最近かいだ記憶の有る匂い。
「あれ、ここって?」
「プリブノーボックスの隣。シンクロテストの予備室と洗浄施設の有った所よ」
 幾つかの部屋が壁を取り払われ繋がっていたが、そう言われてみればそのような気がした。
 そして機械の間を結んでいるベルトコンベア。乗っているのは見なれた合成食のパック。
 微かにシンジは吐き気を覚える。
「ねえ、アスカ」
 何故かここに居たくないと思い、そうアスカに告げようとする。
「で、目的地はあそこ」
 指差した先に階段とその上の壁面にドア。
「プリブノーボックス」
 それだけ言って先に歩いて行く。
「ねえ、止めようよ、アスカ……」
 そう言いながらも、シンジはその後を追う。

 行かなければ良いのに。

 そしてドアを開ける。


18

―手。

―白い手が。

―沢山の白い手が。

 扉の向こう。教室ほどの広さの空間。プリブノーボックス。そこに入る二人。そして二人はそれを見た。かって模擬体が有った所。一面のガラスの向こうに液体―おそらくはL.C.L.―そこに浮かんでいた。最初は大きな白い球に見えた。しかし違った。みっしりと生えていた。白い手が。大きさも長さも不ぞろいな手が。赤い丸いモノから生えていた。白い沢山の手が。ゆらゆらと揺れている。誰かを探すように。何かにすがるように。その塊全体も回転していた。ゆっくりと回る大きな白い手の集合。白い沢山の不揃いな大きさと長さのみっしりと生えた白い手。一条の光が走った。その光に切り落とされる何本もの手。ゆっくりと沈んでいく。切り口はオレンジ色に溶けていた。それをただ目が追いかける。沈んだ先にはベルトコンベア。運ばれていく。隣の部屋に。さっき通ってきた所に。あの赤い合成食を作る工場に。おそらくはその原料として。


 シンジは気付いた。
 そして壊れそうになった。

 それらは、全て右手だった。





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