REALIZE AGAIN 第八話

shinji

「いまさら、なんの用なんだろう……」
 列車の中で、父さんからの手紙を見つめながら呟く。
 夕日に照らされて赤く染まった封筒の中には、一言だけ書かれた、ここに来るまでに何度も見返した便箋が入っている。
 ずっと叔父さんの所に預けられっぱなしで、もう3年以上会ってないって言うのに。

 ドアの脇に寄りかかり、外を眺める。
 オレンジ色の光に沈んだ街並、音を立てる踏み切り、通りすぎる駅のホーム。

 昔、どこかで見たことの有るような、景色。

 この列車に乗って、僕は父さんに会いに行く。
 リュックを背負って、鞄を一つ持って、父さんに会いに行く。
 最近何かが起きているって噂の街へ、第三新東京市に、この列車は向かう。

 そこで僕は、父さんに会う。
 会って何を話せばいいのか、解らないけど。
 僕は、僕が父さんに何を望んでいるのか、解らないけど。

 前は、恨んでたような気がする。
 僕を捨てた父さんを、何も話してくれない父さんを。
 でも、この手紙が来たとき、僕は何も感じなかった。
 もうそれは、どうでもいい事に思えて……。

 昔、石のようになりたいと思った。
 道端に落ちている石ころのように、何もしない、誰からも必要とされないものになりたいと思った事が有る。
 でもそれは、その時の気持ちは、寂しさの裏返しだったんだと思う。
 何かを出来る人間に、他人から認められる人間になりたかったんだ。多分。

 でも、今、僕の心は本当に石ころのようだと思う。
 いつのまにかそうなっていた。理由は判らない。
 ただ僕は、父さんからの手紙に、なにも思わない自分に気がついた。
 それだけのこと。
 驚きも、怒りも、戸惑いも、起こらなかった。
 呼ばれる理由がわからない、その疑問だけだった。
 別に構わないと思う。
 どうせ何も変わらない。
 僕はこのままだ。
 どこに行っても、父さん会っても、何を望まれても。

 けれど他にすることも無いから、この列車の行く先で起こることを思う。
 これから僕がやらされることを思う。

 あれ?
 僕がやらされる事?
 なんでそんな事思ったんだろう。
 ただ呼ばれただけで……違うんだ。
 僕はこれから、白衣を着た女の人と、それからこの前コンビニで見かけた女の人に会って、そして……。
 結局、父さんには今はまだ会えないって言われて。
 よく判らない実験とか検査とかの後、あれに、……黒い奴に乗せられて。
 その後はあいまいにしか分からない、そうじゃない、覚えていないんだ。
 爆発と、勝手に動く体と、赤と紫の二人と、痛みと、暗闇。


 なんでこれからの事が分かるんだろう?
 それとも、もう起きた事なのかな?
 だったらこれは、今、僕がいるここは……

 ああ、夢なんだ、これ。


 ふと、目をやった隣の車両に、向かい合って座った女の子を、この夕日の中でも解る青い髪をした女の子を、ふたり見つけて、そう思った。

rei

『どうして』
 また私はここにいる。
 向かいの座席に座ったもう一人の私に見つめられながら、うつむいて、唇を噛んで、両手を膝の上で握り締めて、この列車に座っている。
『どうしてあんな事したの』
 夕日の中、影になって見えない筈の目が、逆光の中からこちらを見る目が、怖い。
「知らなかったもの」
 だから仕方ない。
『そう?』
「ええ」
『でもあれは貴方のやった事』
 一度は上げた顔を、またうつむかせる。
「……私の所為じゃない」
 だって、知らなかった。
 碇君が、乗ってるなんて。
『そう、そうやってイヤな事から目をそらすのね』
 突き刺さる目線を感じる。
 これも私の心?
 傷つけてしまった事を許せない私の心?
「そんな事無い」
『いいえ、貴方は逃げているわ』
「どうして、そういう事言うの」
 何故?
『だって、貴方は、嘘吐きで、自分勝手で、最低だから』
 立ち上がり、私に近づいてくる、私。
『ニセモノだから、人間じゃないから……あの女の人のニセモノだから』
「私は、私」
 許せない言葉に、言い返す。
『いいえ、違うわ』
 顔を上げて言った私の目に映る、三日月のように歪んだ唇。
『だって、貴方はあの後何をしたの?』
「……」
 だんだんと沈んでいく夕日。
『あの後、何をしたの?何を言ったの?何を考えていたの?』
 暗い、歪んだ視界には、ただ赤い唇。
『答えられないの?』
「……やめ、……おねが…いだから……いやぁ」
 言葉は咽に絡み、外に出るのを拒む。
 目をそらそうとする私の髪を掴んで、顔を上げさせて、前屈みになって、私に食い付くようにして、言う。
『泣いても駄目。それはニセモノだから。その目から出ているのはニセモノの水だから。その泣いている振りをしているのは、ニセモノの心だから、あの女の人のニセモノだから』


 もう、いや。


asuka

 蝉の、声……
 それが意識を取り戻したアタシの最初に考えたことだった。
 ―まだ、生きてる―
 目をつぶったまま、自分の体に存在する痛みを確認する。
 額と右腕。そこに麻酔を掛けられた時特有の痺れに似た痛みと、包帯の感触がある。
 たいした事は無い。
 ギプスもはめられてないって事は、骨折はして無いんだろう。
 そこまで考えてはじめて、アタシは自分が動いている事に気付き、目を開ける。
 病院の廊下。窓からさし込む朝の光。
 ストレッチャーの上。
 大丈夫とか何か、どうでもいい事を話しかけて来る看護婦に、適当に答える。


 白い病院の廊下、モノトーンの光の中、ストレッチャーで運ばれながら。
 アタシはアイツと、サードチルドレンと、すれ違った。




「アスカ、具合はどう?」
 ゆっくりと、ベッドに寝転んでいた体を起こす。
「別に。どうって事無いわよこんなの」
 だいたいあんたの方がどう見たって重症じゃない。
「そう。良かったわ」
「なにがよ」
 ちょっとした沈黙。
「……アスカの怪我が軽いのが、よ。あたしなんてホラ」
 固められ、吊っている腕を指して笑う。
「ポッキリいっちゃって、全治3週間だってさ。この忙しいのに困ったもんよね」
「あっそ」

 蝉の声。
 生ぬるい風。
 汗ばんだ入院着が肌に張り付く。
 黙ったままのミサト。

「それじゃ、あたしはそろそろお暇させてもらうわ」
 そう言って椅子から立ち上がり、ドアへ向かう。
「ねえ、ミサト」
「なに?」
 体をひねり、顔だけこちらに向けてミサトが言う。
「レイは?」
「……」
 答えてくれないミサト。続けて聞くアタシ。
「レイは?」
「今の所、意識不明よ」
 その後、一言二言何かをいって、ミサトは出ていった。


 倒れこむように、横になる。
 傷が喚くにぶい痛みが、どこか現実感の無かったアタシを引き摺り落とす。
「なんで、こんなとこいるんだろ、アタシ」
 そう呟いて、アタシは、最後の記憶を、あの時の記憶を呼び起こす。
 レイの悲鳴、初号機の咆哮、アタシに向かって振り下ろされる紫色の腕。
 それを、思い出す。

gendou

 再生されていた映像が終った。
 組んでいた手を端末へ伸ばし、頭から繰り返す。
 何度目かは忘れた。

 ―咆哮を上げる初号機。
 ―打ち倒される弐号機。
 ―参号機の残骸と、地面に転がった弐号機に背を向け歩き出す。
 ―発令所の混乱。
 ―切り離される電源。
 ―全連動回線の不通を叫ぶ声。
 ―通じないプラグとの交信。
 ―第三新東京市へ、本部へ、俺の所へ走り出す初号機。
 ―活動限界を過ぎる時計。
 ―走り続けるエヴァ。
 ―確定した暴走。
 ―二度目の初号機の暴走。
 ―提案される初号機の強制停止。
 ―戦闘形態へ移行する都市。
 ―初号機の進路を塞ぐように立あがった装甲ビルが破壊される。
 ―何百もの特殊鋼ワイヤが打ち出され、次々に引き千切られる。
 ―初号機の咆哮。
 ―恐怖を畏怖を絶望を、そしてそれに反する希望を感じさせる叫び。
 ―緊急輸送された弐号機。
 ―掴みかかられ動きを止めた初号機に絡みつくワイヤ。
 ―咆哮。
 ―喚いている弐号機パイロット。
 ―発令所の喧騒。
 ―振りまわされる肘が当り、破損した弐号機。
 ―途切れる映像。
 ―ノイズ。

 そして、

 ―極秘の文字。
 ―機密指定S級認定
 プラグのレコーダから回収された映像。
 三人しか見ていない映像。
 ―虚ろな赤い瞳。
 ―レイ。
 ―微かに動く唇。
 ―紡がれる言葉
 ―『……なぜ……が乗って……』
 ―『どうして……私が……約…守れ…』
 拡大されても尚聞き取れない声。
 ―『……いや……これは私の……なたは』
 ―『なんで……あの子が……』
 ―『……傷つけた…あの子を、わたしが……シンジを……』
 ―『許さない』
 ―何も映さない瞳からこぼれる涙。
 この部屋を満たす断罪の声。
  
 端末で再生されていた映像が終った。
 何時の間にか込められていた力から、全身を開放する。

『赤木です、宜しいでしょうか?』
 インターフォンからの問い掛け。
「ああ」
 ドアのロックを外した。
 その向こうに立っていた赤木博士がこの机の前にたどり着くまでの時間で、彼女を観察する。
 観えるのは、疲労、諦念、恐怖、依存、そして憎悪。
 もう、数える気にもならないほど昔から続けて来た習慣は、こんな日にも人の顔色を判断させる。
 だが、それで善い。

「被害状況が出ました。初号機、弐号機ともに損害は軽微、修復は一両日中にも終ります。……参号機は、完全にコアが破壊されていましたし、使徒に侵食されていたことを考えると……」
 渡された資料に目を落としながら聞いた。
「委員会が破棄勧告を出すか」
「おそらく」
「構わん、零号機はどうだ?」
 参号機などどうなっても好い。
 所詮、予備を確保するための方便にすぎん。
「改装はほぼ終りました、機体自体は実戦可能な状態にありますが、起動実験もなしに使用するのは危険過ぎます」
「そうか」
 早めにあれが、予備が、使いものになるかどうか、確認すべきかもしれん。
「後、適格者の容体ですが、セカンドとサードの意識が戻りました。両名とも大きな異常はなく、特にサードには使徒による影響もありません」
「レイはどうした」
「……今だ意識不明です」
 こちらに答える目には、力がない。
「原因は」
「暴走により脳神経に負担がかかった為かと。……それに、エヴァからの干渉も」
 初号機からの、か。
「精神汚染だと?」
「それは不明です。暴走中もシンクロ率は危険域には達しませんでしたから、理論的にはあり得ない事ですが」
 言葉を探すかのような沈黙。
「……私達は無謀過ぎるのではないでしょうか?」
 怯えた、震える声で続ける。
「何も解っていないのにエヴァに手を出して、火遊びに夢中な子供の様な……危険過ぎます」
 今更それがどうしたと言うのか。
「やもえん。必要な事だ。……報告はそれだけか?」
「……はい」

 ゆっくりとドアへ向かう赤木博士。
 足を止め、振りかえり言う。
「そう言えば、お会いにならないのですか?」
「誰にだ」
「サード、息子さんにです」
「くだらん、そんな時間はない」

 今度こそ退出する彼女。

 夜中の司令室に一人。
 端末に手を伸ばし、初号機の映像を再生する。
 何度目かは忘れた。


「……お前なのだな、ユイ」


misato

 発令所に入ると、みんなの視線を感じた。
 無理もないか、こんなカッコじゃぁね。
「もう良いの?」
「仕事が出来れば問題ないわ」
 あんただって包帯巻いてるじゃない。
「……休んでられないわよ、この非常時に」
「そう」

 通常体勢の発令所を一通り見渡してから、メインモニタに目を止めた。
 痛み止めだけを打って、松代からここに飛んできたときのことを思い返す。
 格闘するニ体のエヴァと、初号機を止めるために使われた防衛機構。

 まさか対使徒用のシステムが暴走したエヴァを止めるために使われるなんてね。
 ……それともあれは、司令達の思惑の内なのだろうか。加持の言うように。

 そんな事を考えていたあたしの耳に、使徒発見の報告が響く。

ritsuko

『総員第一種戦闘配置!』
『地対空迎撃戦用意!!』
 参ったわね、こんなにも早く次の使徒が現れるなんて。
「目標は?」
「現在進行中です。駒ケ岳防衛線突破されました!」
 司令塔から問い掛けるいつも通りの低い声に、青葉君が答える。
 兵装ビルからの攻撃は使徒のA.T.フィールドに阻まれるだけ。
「いくら、この間の暴走で稼動率が下がっているとは言え……」
 肉眼で確認で来る強力なそれは、この都市が完全な状態であったとしても、すべてを防ぐだろう。
 閃光。十字に伸びる光柱。
「第1から18番装甲まで損壊!……18も有る特殊装甲を一瞬で……!?」
 とんでもないわね、これは。
「アスカは!?」
 ミサトが聞く。
「今、プラグにはいったところよ。右腕の靭帯以外に問題なし」
 手元の端末のデータを伝える。
「エヴァの地上迎撃は間に合わないわ!弐号機はジオフロント内に配置!本部施設の直援に回して!」
 リフトアップされる弐号機。
「初号機は?」
「パイロットがまだ……」
 言葉に詰まるマヤ。
「覚醒のための投薬はしたのだけれど、意識が戻らないそうよ」
 医務局からは原因不明につき、絶対安静の要請が来ている。
「初号機を出すのは無理か……」
 親指を噛んでミサトが言う。
 そこに降って来る声。

「サードを使え」

 やはりそうするのですか?
 あの、レイの映像を見たあなたが、そうするのですか?
 初号機に、サードを、シンジ君を、あなたとあの人の息子を乗せるのですか?

rei

 もう、いや。
 ずっとここにいればいい。

 私に価値はないから。
 約束をまもれなかった私に価値はないから。

 いいえ、ニセモノに価値はないから。
 私は、私の思いはニセモノだから。
 涙も、悲しみも、寂しさも、痛みも、望みも、罪悪感も、楽しかった事も、つらかった事も、アスカと暮らして覚えた事も、約束をまもろうと思った事も、碇君への思いも、みんなニセモノだから。

 あの女の人の、碇君のお母さんの、司令が見つめている人の、私の元になった人の、ニセモノだから。


 だから私は、ずっとここにいれば善い。
 真っ暗なここに、ずっと一人でいれば善い。



misato

「サードを使え」
「そんな!」
 司令?何を言って、だって。
「あの子には無理です、この前参号機で、」
 使徒に、エヴァに、あんな目に会わされたばかりなのに。
「弐号機だけで勝てる保証は」
「!……それは」
 言葉に詰まったあたしに向かい、さらに司令は続ける。
「それともレイを乗せるか?」
「勝ちます、私達とアスカで。勝って見せます!」
 見下ろしてくる視線を跳ね返して言った。
 発令所に一瞬の沈黙。
「……サードはゲージにて待機。初号機のシステムは書き換えておけ」
「司令!」
「命令だ。これ以上の反論は認めん」
 くっ!……。
「解りました」

asuka

『聞いてたわよね、アスカ』
 もちろん。
「ええ、要するにアタシがやっつけちゃえば良いんでしょ」
 ミサトに笑って見せた。
 そんな気分じゃなかったけど。
『ええ、でないと初号機を出す事になるわ……』
「はん!シロートなんか居たって邪魔なだけよ!」
 そう、あんな奴、邪魔なのよ。
 アタシが、アタシとレイがいれば好いんだから。
『気合入っててるじゃなーぃ』
「当然!」
 アタシが、使徒を倒すんだから。
 アタシが、皆を守るんだから。
 アタシが、レイの仲間なんだから。

『後一撃で全ての装甲は突破されます!』

 吹き飛んだ天井を、ライフルの照星越しに睨みつける。
「あんなの、アタシ一人でお茶の子さいさいよ!」
 使徒の仮面。真っ黒な目。墓穴みたいな口。
「こ
 飛んでいく曳光弾の光。弾着。
 姿勢を崩しもせずに、ゆっくりと降りて来る使途。
「A.T.フィールドは中和しているはずなのにぃ」
 こんなのじゃ駄目だ。
 ライフルを捨て、ランチャーを構える。
 爆発。煙の中から、無傷の使徒。
「なんでやられないのよっ!」
 畳まれていた腕。
 紙細工みたいなそれが、下に開いた。
「!」
 寒気がした。
 その瞬間、アタシは横に飛んでいた。
 ―武器を―
 そう思った。
 それが、失敗だった。
 左に飛びながら、ソニックグレイブを掴もうとした右腕は、アタシの腕の怪我のせいでいつもより動きの鈍かった弐号機の右腕は、切り飛ばされた。

「まだまだぁ!!」

 叫ぶ。
 そうしないと、この腕の、幻の痛みに負けてしまうから。
 使徒に勝てないから、アタシがここにいる意味がなくなるから。
 叫んで、使徒の横に回りこむ。
『アスカ!』
 うるさい。

misato

 アスカは、戦っていた。
 今はまだ。

 それは一方的だった。
 最初の一撃以来、弐号機は大きなダメージこそ受けていないけれど、使徒には傷一つ付けられなかった。
「葛城さん、このままじゃ」
 解ってるわよ。
「シンクロ率、ハーモニクス共に低下。長くは持ちません!」
 解ってるってば!
 でも、どうしろって言うのよ。

「初号機を発進させろ」

 止まった思考を無理矢理動かせる命令。
「司令!それは……」
「他に打つ手はあるまい」
「でも!」
 そのときだった。
 アスカの声が聞こえたのは。
『ちくしょう……なんで、なんでなのよ……アタシが、こんな』
 切れ切れの、痛みを、悔しさを、憎しみを押さえ込んだ声。
 あたしの良く知っている声。
 いつかどこかで、あたしが、叫んだ声。
「アスカ」
 やめてよ。
 弐号機に次々と付けられていく傷。
 それでも動きを止めず、戦いつづけるアスカ。
 やめってってば。
『アタシが、倒すんだ……アタシと……が……アタシだけが……じゃないと……使徒は敵……意味がない……エヴァ……だからアタシを……』
 これが、アスカなの?
 いつものアスカはどこに行ったの?
 もう意味をとる事も出来ない言葉。
 呼吸の合間に、食いしばった歯の隙間から押し出される言葉。
「……日向君、ごめん、あとよろしく」
 あたしは、そう、言った。
「そんな!?葛城さん!」
「なんとか時間を稼いで。何をしてもいいから」
 そして、動き出す。
「いったい何を、」
 決まってるじゃない。
 あたしに他に出来ることなんてないんだから。

「初号機を出すのよ」

ritsuko

 状況は良くないわね。
 一通りの作業を終えた初号機のゲージで、端末に映した戦況をみて思う。
 乗ってもらう事になるのかしら、あの子に。
 少し離れた所に立っている彼を見た。
 レイやアスカと対して変わらない身長。いいえ、アスカの方が少し高いぐらいかしら。
 プラグスーツの所為なのか、随分と細く、頼りなく見える。

「僕が、乗るんですか?」

 急にかけられた声に、少し驚く。
「まだ解らないわ。でも、そうなるかもしれないわね」
「そうですか」
 その声には、なにもない。
「ええ。怖い?」
「……はい……その、赤木さんは、」
「リツコでいいわ」
 あまりその名字は好きじゃないの。
「……リツコさんは怖くないんですか?僕がこれを動かせなかったら、大変なんでしょう?」
「そうね、怖くないわ」
 むしろ、あなたの乗った初号機の方かもしれないわね、私が恐れているのは。

 ドアの開く音。ヒールが床を叩く音。
 こちらに歩いてくるミサト。

 戦闘はまだ続いている。
 モニタを見る間でもない、外から伝わってくる振動がそれを教えてくれる。
 なら、何故?
 どうしてあなたがここに来るの?

「碇シンジ君。初号機に乗ってちょうだい」

 ああ、そう言うこと。
 ミサト、あなた馬鹿よ。

「……」
「聞こえなかった?あなたはパイロットとして初号機に搭乗。以降は発令所からの指示に従いなさい。……解ったわね」
 淡々としたミサトの声が、ゲージを埋める。
「……無理、ですよ」
「なによ」
「……僕が、これに乗って戦うなんて、そんなの出来るわけないよ!本物のパイロットだって勝てないんでしょ……それなのに、僕なんかが、無理だよ」
 うつむいて言う彼。
「ふざけた事言わないでくれる?」
「いやだ!こんなの乗れるわけないだろ!!……父さんに会わせてよ!僕は、こんな事をしに来たんじゃ、」
 ミサトが、彼の頬を叩いた。多分、本気で。
 呆然として、床に崩れ落ちたままの姿勢で、ミサトを見上げている。
 そしてミサトは、その襟首を掴み、
「甘えてんじゃないわよ!」
 そう叫んで、さらに続ける。
「同情なんてしないわよ、ええ、そんな事してやるもんですか!あんたが乗らなきゃ、アスカが、あの子が死ぬのよ!だから、乗ってよ、あんたエヴァを動かせるんでしょう?だったら、あんたはアスカを助けられるんだから!お願いだから、乗って頂戴。駄目なのよ、あたしじゃ、だから……エヴァに乗って、助けてあげて、お願いだから、アスカを、助けてよ」
 これは、ミサトの本音だと思った。
 そしてこの子に、一番言ってはいけない言葉ね、おそらく。
 自分の必要性を信じられない子に、言ってはいけない言葉。
 自分の価値は他人より劣るのだと、自分より必要とされているものがいるのだと、そう解る、他人の心からの言葉。

「解りました。僕が乗ります」

 ほら、もう彼の声は、死んでいるもの。

 プラグに向かい、歩いていく。
 作業員が、彼を棺桶に押し込む。

 それに背を向けて震えているミサト。
 そして私は口を開く。
「あなた、解っていて言ったわね」
 責めてもらいたいのでしょう。

 泣き喚き、拳を床に叩きつけるミサトを、私はただ見つめていた。

 私に彼女を抱きしめる資格はないから。
 きっと、彼女には抱きしめられる資格がないから

 そして、初号機が、射出された。

 私は、ミサトに言う。
「発令所に行きましょう。そこがあなたの、私達のいるべき所よ」

shinji

『主電源接続』
『全回路動力伝達』

 なんだかこの前と違う。

『第二次コンタクトに入ります。A10神経接続異常なし』
『思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス』

 まあ、あのときはなんだか大変な事になってたらしいから当たり前なのかもしれない。

『初期コンタクト問題なし』
『双方向回線開きます』

 でも、それだけじゃない。

『シンクロ率41.3%』

 これは違う。
 何となく、一昨日に夢で見た女の子の事を思い出した。

『ハーモニクス、全て正常位置。暴走、ありません』

『シンジ、聞こえるか?』
 父さん?
 モニタに映る父さんの顔を見つけて、うなずく。
『何も考える必要はない、射出後、目の前にいるのが使徒だ』
 それを僕にどうしろって言うんだろう?
 戦って、勝たなきゃいけないんだろうな。
 そう、人事みたいに感じながら、また首を縦に振る。
 何となく、声に出して返事をする気にならなかったから。

 そしてその後、僕が飛び出したのは、天井が有るくせに、とんでもなく広い所だった。

 そこで僕は、赤いエヴァを、右腕のない、使徒に吊り下げられた、体中から血を流した、今にも最後の一撃を受けそうな、傷だらけのエヴァを、見た。

「……ア……」

 今、僕はなんて言った?

「うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

rei

 泣いている。

 叫んでいる。

 嗤っている。

 悲しんでいる。

 戸惑っている。

 不安がっている。

 怒っている。



 呼んでいる。

shinji

 そして何も分からなくなった。

 今、自分が、何をしているのか、
 今、自分が、何を考えているのか
 今、自分が、何をしたいのか、
 今、自分が、どんな気持ちなのか、
 今、自分が、何処にいるのか、
 今、自分が、何をしなきゃいけないのか、
 今、自分が、何なのか、

 何も分からなくなった。

 ただ、目の前のコイツを殺そうと思った。
 コイツが何もかもいけないんだと、コイツさえいなければきっと上手くいったんだと、コイツのせいで悪い事が起きるんだと、

 そう、思った。

 そんな筈ないのに。

 何かをぶら下げているコイツの薄っぺらな腕をちぎった。
 何処を見ているのか分からないコイツの顔を殴りつけた。
 何だかぼんやりと浮いているコイツの体を蹴り飛ばした。

 何もかも気に入らなかった。

 だから殺そうと思った。

 地面に叩きつけたコイツの体の上に圧し掛かった。
 何度も何度も殴りつけた。
 両手の痛みは気にもしなかった。
 いや、むしろ嬉しかった。
 自分の感じる何倍もの痛みをコイツにぶつけている事が実感できた。
 だから何時までも殴りつづけた。

 体が動かなくなった。

 我慢が出来なかった。
 コイツが自由になるのが。
 こいつを殺せないのが。
 ……を殺そうとしたコイツが、生きているのが許せなかった。

 だから叫んだ。
 どうしてなんだよと、
 なんでうごかないんだと、
 今動かなくちゃこいつを殺せないじゃないかと、
 叫びつづけた。

 鼓動が聞こえた。
 ずっと昔に聞いた事の有る音。

 意味がなくなった。
 コイツの腕も。
 壁も。
 閃光も。
 僕にとって、なんの意味もない物になった。
 だからころした。

 ころして、ぐちゃぐちゃにしてやった。
 たべるのはやめた。
 コイツを、ほんのすこしだけでもぼくのいちぶにするのはたえられなかったから。

misato

 シンクロ率が400%を超えたという報告を最後に、
 発令所にいる誰もが、声を出すのを恐れるかのように無言でメインモニタを見つめている。

 使徒の死体を破壊し尽くした初号機が、立ち上がり、叫ぶ。
 スピーカ越しでなお、心を直接振れあがらせるような声。
 あたしが、あのとき、南極で、ほとんど意識を失いながらも聞いたのと同質の叫び。

gendou

「これが、始まりなのか」
 どこか迷っているように冬月が言う。
「ああ、全てはこれからだ」
 そうでなくてはならない。
 
 だが、
 ユイ、お前は、本当にまだ其処にいるのか?


asuka

 泥まみれになってプラグから抜け出し、森の向こうの初号機を見上げる。

 使徒を倒した、初号機を見上げる。
 アタシが歯の立たなかった使徒を倒した初号機を見上げる。

 かみ締めた唇からの血と、さっき口の中にまで入った泥の味。

「……ちくしょう」

 なんで、あんな奴に助けられなきゃいけないのよ……。

 多分アタシは泣いていただろう。
 もしもそこにずっと一人でいたなら。
 でもそうはならなかった。

「レイ?」

 入院着のまま、はだしで歩いているレイ。
 こっちを見ようともせず。
 歩いていく。
 初号機に向かって。
 アタシのことを見ようともしないで。

「ちょっと、あんまり近づいちゃ危ないわよ」
 精一杯、震えを押さえた声を出す。
 答えてくれない。
「ねえ、レイってば!」
 叫んだ。
 でも、レイは、アタシを見てくれない。
 初号機だけを見て、歩いていく。
「レイ!」
 掴みかかった。
 必死でしがみ付いた。
 離すもんかと思った。
 これでアタシに気付いてくれると思った。

 でも、駄目だった。

 答えてくれなかった。
 アタシを見てくれなかった。
 気付いてくれなかった。

 ただ初号機を見て、しがみ付かれた腕を気にもせずに、歩こうとしながら、呟いていた。

「駄目、それはダメ。……行ってしまっては駄目。戻ってきて……碇君……」


 なんでよ!なんでなのよぉ!!





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