Comfort... rain sound...


夕方の、第三新東京市。
市街区から少し離れた所にある、小さな店。
紅茶専門店、「Autu-Moon」。
こぢんまりとした店だが、品揃えには、実はかなりの量があり、市でも有名な店だ。
シンジは、その店から出て来た所だった。
手には、紅茶の缶が入った袋を持っている。
アスカに買いに来させられたのだ。
   「シンジくん、何だか雲行きがあやしくなってきたから、早く帰った方がいいよ。」
   「そうですね。秋月さん、ありがとうございます。」
   「アスカちゃんによろしくね。」
   「はい。」
アスカはこの店にちょくちょく顔を出していて、シンジがそれにつきあわされる事が
 多いため、すっかりオーナーと顔なじみのシンジ。
挨拶を交わし、頭を下げる。
確かに、かなり雲が出てきていた。

雨が、降り出しそうだ。


   「あ・・・!綾波じゃないか・・・。」
トコトコと家路につくシンジ。
その前に、蒼銀の髪の少女がいた。
呟きが聞こえたのか、彼女はこちらを振り返る。
   「・・・あ、綾波、今、帰り?」
   「・・・ええ。」
少しどもったような言い方と、素っ気無い返事。
シンジは、この雰囲気は苦手だった。
   「・・・夕食。買いに来たの。」
何を言い出そうか、どう言い出そうか慌てて考え始めるシンジに、レイが言った。
   「え?・・・ああ、夕食、ね。・・・。」
どうにも、会話が成り立たない。
・・・何も言えずにただ立っているシンジを尻目に、レイはすぐ側のコンビニへ入ってしまった。
そこで買い物をしようとしていたのだろうが・・・。
   「あ・・・待ってよ、綾波!」
シンジも、店内に入っていった。

シンジは、驚いた。
レイの、あまりにも質素な食生活に。
   「綾波・・・いつも、これだけしか食べてないの?」
パン数個と、缶ジュース。
それだけ。
   「ええ。」
帰ってくるのは、やはり素っ気無い返事。
   「だめだよ、これだけじゃ・・・!」
思わずそう叫んだシンジに、レイは赤い瞳を向ける。
睨んでいるわけではないのだが。
   「・・・どうすれば、いいの・・・?」
気が、引ける。
   「え・・・や、野菜とか・・・それにジュースだけじゃ・・・牛乳でも飲まないと・・・。」
そう言ったシンジを、レイは少し見つめる。
それから、少し考えるような仕種を見せて、惣菜のコーナーに向かう。
野菜サラダを取り、紙パックの牛乳をカゴに放り込んで、レジに並ぶ。
   『・・・そりゃ、そうだけど・・・。』
シンジは、少し顔を曇らせた。


キキィィィィィィッッ!!!


・・・ちなみに、自動車の急ブレーキの音だ。


   「やっほぉ〜〜、シンちゃーん♪ あら、レイも一緒なの?」
   「ミサトさん・・・タイヤの跡、残っちゃってる・・・。」
コンビニから一歩出た途端に、ミサトが声を掛けてきた。
呆れた様子で答えるシンジ。
   「ふぅぅぅぅん・・・シンちゃぁ〜ん?レイと二人っきりでなぁぁにやってんのぉ?
     あ、デートにでも誘ったのね!?やったじゃな〜い♪」
   「あ、あ いやそんな 違いますよ!」
   「ん〜〜、若いっていぃわねぇ〜♪」
例によって、わかりやすいシンジをからかうミサト。
・・・どうでもいいが、シンジは全く成長しない・・・。
レイは、これまた例によって無表情。
   「シンちゃん、帰りなんでしょ?乗せたげるわよ。レイも・・・」
と、ここでニヤリ と笑い、
   「あぁ、二人っきりのとこ、邪魔しちゃ悪いわね♪」
   「ミサトさぁぁん・・・。」
シンジが、死にそうなため息をつく。
さっきから、シンジはレイの方をちらちらと盗み見ているのだが、レイは気にも留めない。
・・・なんとなく、少し残念な気がするシンジ。
   「シンジくん?あたしはこれから街 くるっと回ってから帰るから。少し遅くなるかもしんないわ。」
   「あ・・・。はい。じゃあ、夕飯は冷蔵庫に入れておきます。」
   「ありがと。それから、レイ?」
   「・・・はい。」
笑いながらミサトはレイに話し掛けた。
普段と変わらず無表情なレイ。
そんなレイに、ミサトはにこにこと笑って言った。
   「シンちゃん、よろしくね♪」
   「・・・・・・・・・・・・。」
もはや何も言わないシンジ。
   「・・・何を ですか?」
いまいち理解できなかったらしい。レイが聞き返した。
ミサトは、満面の笑顔を浮かべる。
   「つ・ま・り。仲良くね って事よ♪」
それでも、レイは良くわからなかったらしい。わずかに眉をひそめている。
   「んじゃ、シンちゃん、うまくやるのよっ!!」
   「だから・・・。いや、もう、いいです・・・。」
   「それじゃね〜♪」
片手を上げたまま、アクセルを踏み込むミサト。青い車体は、すぐに見えなくなる。
二人は半ば ぼーぜんとそれを見送っていた。


   「・・・どうして、こっちに来るの?」
しばらくした後、二人は帰路についていた。
ただし、シンジの住むコンフォート17マンションと、レイの住んでいるマンションは別方向である。
隣を歩いているシンジに、レイが尋ねた。
シンジは、気後れしたような答えを返す。
   「どうして って、もう暗くなってくるし・・・。一人じゃ、ね・・・。」
普段のレイならば、シンジの曖昧な表現にもしっかりと指摘を入れてくるだろうが・・・。
   「そう・・・。」
レイは、小さく呟いただけだった。
レイは、先ほどのミサトの言葉をずっと考えていた。

   『仲良くする・・・。わたしが、碇くんと・・・。』
   『わたしは、碇くんと仲が良いの?』
   『・・・そう、なのかもしれない・・・。』
   『仲が、良い・・・。よく わからないけど・・・。』
   『・・・なんだか・・・』

   「ねぇ・・・綾波?」
完全に思考モードに入っていたレイが、シンジの声を受けて顔を上げる。
普段よりも、一瞬、反応が遅れたが───シンジは、気づかなかったようだ。
   「綾波・・・の食事の事だけど・・・。」
   「・・・食事?」
シンジが、自分から話し始めた。
ぎこちない雰囲気は、ほぐれたようだ。
   「その、あんな食事してたんじゃ、体に悪いからさ、その・・・。」
レイが手に持ったコンビニの袋を見ながら、シンジが言った。
   「今度、何か作ってあげるよ。・・・毎日綾波の家に作りに行くってのは、無理だろうから・・・。」
言いながら、シンジの顔が真っ赤に染まる。
レイは、不思議そうに聞き返した。
   「わたしの為に?・・・碇くんが?」
シンジの顔色が、目に見えて不安げな色を帯びる。
   「あ・・・。お節介だった、かな・・・。」
   「いいえ。別に・・・。」
ふと、レイは思った。
   この少年は、意識してこういう反応をしているのだろうか?
   自分が断れないだろう事を、予想して・・・。
   『いえ、違うわ・・・。碇くんは、いつも他の人の事を考えているだけ・・・。』
   それが自分であっても、関係ない・・・。
   『わたしを、他の人と同じに見ている・・・見てくれている・・・。』
そんなレイの心の内も知らず。
   「良かった・・・。じゃあ、早速、明日にでも。」
笑顔を見せて、レイに言う。
その笑顔を、レイはじっと見ていた。


それから、約15分後。

   「はぁ、はぁ、はぁ・・・。な、なんでいきなり雨が降ってくるんだよぉ・・・。」
二人は、突然降り始めた雨に濡れていた。
ぽつ、ぽつ とアスファルトを濡らしていた水滴は、今は二人の全身を包んでいる。
少し頭を振ると、髪の先から水が落ちる。
服もだいぶ濡れてしまった。
   「あ、綾波、この辺でいいかな?」
もう、レイのマンションが見えている辺りだ。
たまたまあった大きめの街路樹の側で、二人は雨宿りをしている。
   「・・・ええ。」
腕についた水滴を落としながら、レイが言った。
シンジは一度息を整えてから、また走る準備をする。
   「じゃあ、綾波、また、明日ね。」
   「ええ。」
そう答えて、レイがシンジの目を見詰める。
顔を紅潮させたシンジが、照れ隠しで、雨の中へ思いっきり走り出す。
レイはその後ろ姿を、見えなくなるまで目で追っていた。

一言だけ、呟いた。

   「・・・また・・・あした・・・。」



───コンフォート17マンション

   「ただいま・・・ねぇ、アスカぁ!ちょっと!」
ぐしょぬれのシンジが、玄関から声を張り上げた。
少しの間があってからアスカの声が聞こえてくる。
   「・・・なによぉ、呼んだりして。まぁ、結構早かったみたいだけど。」
軽い足音と共に、アスカが廊下の先から姿を現す。
いつもと同じよーにラフな格好で、いつもと同じよーに不満げな顔で。
ただし、不満げな顔は彼女の本心でない事は、シンジも知っている。
その表情も、シンジの様子を見て、変わる。
   「シンジ アンタ!なんでそんなに濡れてるのよ!」
   「何でって・・・。」
うかつにその先は言わないシンジ。
代わりに。
   「ずぶぬれになっちゃったけど、とりあえず紅茶は平気だよ。ほら。」
Autu-Moonの袋をアスカの前に見せる。
アスカは、戸惑いながら、悪態を返す。
   「そりゃ、缶なんだから平気に決まってるじゃない・・・。」
その言葉と言い方に苦笑を浮かべるシンジ。
苦笑を浮かべながら、濡れたビニールから紅茶を取り出す。
   「はい、ちゃんと買ってきたからね。」
   「ん・・・。・・・手、冷たい・・・。」
手渡した時に、少し指が触れてしまったらしい。
何故か呆然と、濡れた手の冷たさを意識するアスカ。
いつものように、シンジが慌てて取り繕う。
   「あ・・・あの、雨に当たってたから。いや・・・。ごめん。」
触れた手のやり場がなく、シンジはふらふらと宙に漂わせる。
・・・そんな空気も、長く続くはずはなく。
   「まぁいいわ。それより、早く体を拭いてきて!」
   「はぁ?」
   アスカの言葉は、いつも突拍子ない・・・。
今更ながら実感したシンジ。
   「あの、お風呂、入れるから!そのまんまじゃ部屋にも入れないでしょ!だから!」
   「え?・・・。ん、わかったよ。」
アスカの心の動きを察知して、シンジが了解する。
同時に、ちょっと微笑む。
   「、っと、え〜と、だから早くね!」
ばたばたと戻っていくアスカ。
シンジはそれが照れ隠しである事を知っていた。
だから、もう一度微笑み、それから一言付け足す。
   「うん・・・。でもその前に、タオル持ってきてくれると嬉しいんだけど・・・。」


ぽたっ・・・ ぽたっ・・・ 

───水の落ちる音。

レイが、自分の部屋に立っていた。・・・顔を落として。
雨に打たれたままの身体から、濡れた服から、水滴が次々と落ちていく。
レイはそれを気にもせず、自分の手の先を見ていた。
・・・シンジと別れた後、急ぎもせず、呆然とレイは歩いていた。
マンションまではわずかな距離だった。
完全に、気が抜けていたらしい。・・・もしくは、考え事をしていたからか。
右手に持ったコンビニの袋をガードレールに引っかけてしまった。
指の先にだけつかまっていた袋は、あっけなく歩道に落ちてしまった。
それだけなら、レイは何事もなく袋を拾い上げて、歩き出しただろうが・・・。
袋の側に・・・咄嗟に下を見たレイの視線の先に、シンジの言った、『野菜』があった。
それはそのまま、雨に濡れていく。
既に、食べられる状態ではなかった。
雨に打たれたままでいるわけにもいかず、律義にもそれを拾い集めて、レイは自分の部屋へ戻った。
しかし、レイは途方に暮れていた。
彼女に表情があったなら、右手の袋を見て、泣き出しそうな顔をしたかもしれない。
それも出来ないから・・・レイは、ただ立ち尽くしていた。

───しばらくして。
レイは携帯電話を取り出した。
記録された番号を呼び出す。・・・シンジの、携帯電話の番号を。
どうすればいいのか、わからなかったから。

   彼は、教えてくれるかもしれない。


   「ふぅ。」
濡れた服から、ハーフパンツに青のシャツ、という軽い服装になって、シンジは安堵の息をついた。
一応、体は拭いたが、このままではあまり良くない。
でもまあ、風呂に入れば大丈夫だろう。
濡れた服をつまむように持って、部屋を出ようと・・・すると、アスカが目の前に現れた。
   「きゃ!・・・っと、お風呂、やっといたから!早く出てよ、食事遅れるんだから!!」
顔が紅潮しているのと早口なのは、照れ隠し、だろうか?
笑ってシンジが答えようとした時、シンジの携帯電話のコール音が鳴った。
   「・・・誰からだろ?」
   「珍しいわね・・・。バカシンジの携帯に、わざわざ電話するヤツ、いるのかしら?」
   「・・・。まあ、いいよ。アスカ、わかったから。」
ぽそりと漏れた独り言にわざわざ突っ込んでくるアスカに返事をして、
 シンジは机の上に置いた携帯(防水仕様)を取る。
   「はい、碇ですが。」
右手に持った服が冷たいが・・・電話を取ってしまった以上、仕方ないだろう。
   『・・・・・・』
   「あれ?もしもし?」
   無言電話かな?・・・だとしたら・・・何か、悲しいもんがあるなぁ・・・
滅多に携帯など使わないシンジは、そんな事を考えた。
幸いにも、そんな事はない。
   『わたし・・・綾波、レイ・・・』
   「綾波!?な、なに?わざわざ、電話してくるなんて・・・。何かあったの?」
シンジの声に、あふれんばかりの感情・・・心配そうな口調が入る。
   『・・・袋・・・落として・・・。野菜が、こぼれちゃって・・・』
   「・・・え?」
予想もしないレイの返事に、シンジは間抜けな声で応えた。
レイが何を思ってシンジに電話をかけたか、シンジは知る由もない。
   『それで・・・どうしたらいいか・・・わからないの・・・』
   「どうしたら・・・いいか?それで、僕に・・・?」
   『・・・ええ』
   「どうするって、言っても・・・。」
   どうするもこうするも・・・なぁ・・・
そんな事を思いながらも、シンジはレイに応えてあげる。
   「う〜ん。サラダは仕方ないから捨てるとして。これからどこかに買いに行くっていうのも・・・
     パンと・・・、牛乳はあるんだよね?」
   『・・・ええ』
受話器の向こうから、袋を探っているような音が聞こえてくる。
   「う〜ん・・・後は、ホットミルクにするくらいしか・・・。」
   『ホット・・・ミルク?』
不思議そうな口調。
少し予想していた口調だ。
苦笑して、シンジは続ける。
   「だから、牛乳をあっためて・・・確か鍋か何かがあったよね?」
以前、レイの部屋に入った時に見たのだ。
まあ、流しは洗い物が溜まっていて、料理どころではない状態だったが。
   「それであっためて・・・。ごめん、それ以上は思い付かないや。」
   『・・・わかった。・・・碇くん・・・』
   「なに?」
躊躇うような、間。
   『あの・・・ありが、とう・・・』
その言葉を、シンジはじっくり二秒ほどかけて反芻する。
   「あ・・・う、うん。」
声が慌てたようになってしまう。
ついそれを隠そうとして、シンジはそれにも失敗する。・・・いつもの、ように。
   「あの、じゃ、じゃあ・・・これで・・・。あ!」
   『なに?』
シンジは、ふと思い付いた。
   「綾波、もしかして身体、濡れたままなの?」
気遣うように尋ねるシンジ。
レイは素っ気無く・・・だが何故か、戸惑うように答えた。
   『・・・ええ。』
   「じゃあ、すぐにシャワーでも浴びて、体をあったかくして・・・。風邪、ひかないようにね・・・。」
   『・・・わかったわ。』
素直に、レイは答える。
いつもと変わらぬ言葉に、シンジは少し安心する。
   「じゃあ、また明日、ね。」
   『・・・ええ・・・』
───電話は、切れる。
   「ふぅ・・・。これで、いいのかな?」
いまいち自分の言った事が良かったのか、わからないシンジ。
不器用に肩をすくめ、右手の洗濯物をつかみ直して部屋を・・・出ようと・・・・・・
   「シィィィィン〜〜〜ジィィィィィィ?」
   「う、うわぁぁぁっ!!」
部屋の前で、アスカが仁王立ちになっている。
その体からは・・・殺気が・・・。
   「ふぅぅぅぅん?アタシのお使いに行ってたと思ったら、ファーストとデートぉぉ?いーい身分ねぇぇ!?」
   「あ、ああぁぁぁぁ・・・。」
シンジは恐怖のあまり、一歩、後退。
同時にアスカが二歩、間を詰める。
   「しかも夕食遅らせてる上、アタシにお風呂入れさせてると・・・。
     バカシンジは何時の間にそんなに偉くなったのかしら〜〜?」
   「あ、あ、あ、うあ、あ、ああああ・・・。」
   お風呂入れるって言い出したのはアスカじゃないか・・・
死んでもそんな台詞は言えない。
・・・いや、今となってはもう遅いか・・・?
   「・・・・・・バカシンジの分際でっ!百年早いのよッ!!!」
   「そんなぁぁぁっ!」
怒気と共に、アスカの右手が力いっぱい振り上げられる!




ばたっ!がたがたがたっ、ドガッ ガンッ、がたたっ、たんたんたんたんたんたん、ばたっ!!

───ヴィンッ

げしっ!
   「ちょ、ちょっと待ってぇぇっ!!」
   「問答無用ぉ!!バカシンジは一晩外でアタマ冷やした方がちょうどいーのよっ!!」
   「そ、そんな・・・!・・・だ、だって夕食はどうするんだよぉっ・・・!?」
   「アンタがいなくてもじゅーぶんアタシはできるのよっ!余計なお世話っ!!」
   「あ、う、嘘ぉぉっ!」
   「嘘なワケないでしょっ!アンタはそこでずーっと腹空かしてなさい!!」

───ヴィンッ

   「あ、アスカぁぁぁっ!あけてぇぇぇっ・・・。
     うぅ・・・。・・・ミ、ミサトさんが帰ってくるまで、待たなきゃならないのか・・・。」


───その後、雨でシケインだらけになったサーキット・・・もとい 市内からミサトが帰ってくるまでの三時間、
 シンジは玄関の前で待つハメになった。



ふわり、と空気が揺れる。
揺らしたのは、わずかに赤みを帯びた、火照った肌。・・・それに、熱い溜息。
   「・・・ふ・・・。」
普段よりも随分と長く、シャワーを浴びていた。・・・せいか、わずかに息が苦しい。
濡れた髪を拭きながら、スリッパを引っ掛けて風呂場を出る。
寝間着をまとった体から、わずかに湯気と石鹸の香りが立ち昇る。
部屋にその香りを蒔いて、レイはベッドの端に腰を下ろした。
それから、ゆっくりと丁寧に、髪を拭いていく。
丹念に、蒼銀の髪を乾かす。
彼女の他に、この部屋で動くものはない。
ただ、髪が触れ合う音と、外の雨音だけが部屋に満ちている。
しばらくして、レイはそのタオルを洗面所の方へと放り出した。髪は、乾いたのだろう。
宙を舞うタオルの軌跡をぼんやりと見詰めているレイ。
さらにしばらくしてから、レイは足元に置いたビニール袋を取った。
中から、コンビニで買ったパンを取り出す。
無言のまま、レイはそれを食べ始めた。
───味がない。
本部で、『完璧』に体調をコントロールされている。この食事には、あまり意味はないのだ。
彼女は、顔をしかめる事もなく、美味しくないパンを黙々と食べる。
当然、質素な食事はすぐ終わる。
彼女は別に、何も感じはしない。

普段なら、パンと一緒に缶ジュースでも飲んでいるのだが・・・。
今、袋の中には牛乳が入っている。
取り出し、袋は部屋の隅に追いやって、レイは腰を上げた。
雨音の満ちる部屋を横切り、鏡の前の床に溜まった雨水を避ける。
─── 一応、この部屋にもキッチンはある。
   最後に使ったのは、いつ・・・?
もの憂げに洗い物だらけの流しを見て、そんな事をレイは思った。
とりあえずカップを出して洗い、同じく小さい鍋を流しから引っ張り出して汚れを落とす。
コンロに載せた鍋に、牛乳パックをあける。
パックから、白い牛乳が流れ出してくる。綺麗な曲線を描きながら。
   もう少し、見ていたい・・・。
そんなレイの思いとは裏腹に、すぐにパックは空になってしまった。
声には出さずに溜息をついて、コンロに火を入れる。

レイの瞳に、青い炎が揺れる。


レイは両手で、熱いカップを持っていた。
   「ふーっ・・・」
ベッドに腰かけて、口元のカップに息を吹きかける。
ゆっくり、カップを傾ける・・・。
   「・・・熱っ!」
小さな悲鳴を上げて、レイは顔をしかめた。・・・少々、暖めすぎたようだ。
しばらく待っている事にして、レイはカップを持った両手を下ろした。
・・・注意を他に向けても、いつもと大して違わない。
聞きなれた雨音、打ちっぱなしのコンクリの壁、何も敷いていない床。
でも、今日は、少し違う。
両手の間に、慣れない温かさがある。
   「・・・・・・!! 誰っ!?」
目を伏せて、考え事をしていたレイは、首筋に何かが触れた・・・気がした。
素早く後ろを振り向く。
が、何もいない。
不思議そうに辺りを見回してから、体の緊張を解く。
再びカップに目を戻して、レイはなにが触れたのか気付いた。
カップから立ち昇る湯気が、ちょうど首の辺りに来ている。
それだけの事だったのだ。
つい レイは呆れたような表情になる。 それから、レイはもう一つ、気付いた。
   『わたし・・・誰かがいると、思ったの?』
   『どうして・・・誰かがいると、思ったの・・・?』
答えは出せそうにない・・・。
だけど、何となく、わかった気がした。
   「誰かがいると、思ったの・・・?」
レイは自分に向かって問い掛ける。
   答えは返ってはこないけど・・・
その、わかった何かが何故か気持ち良く、レイは何度も同じ問いかけを繰り返した。

───カップを、口に運ぶ。
暖かいそれが、身体に染み渡っていった。


数時間後、レイは既に眠っていた。
枕を胸に抱いて、身体を丸めて。
部屋にはわずかに、甘い牛乳の匂いが残っていた。
穏やかな寝息と、雨音の子守り歌と共に。


──────もしかしたら、彼女は今、夢を見ているのかもしれない。






翌日、シンジは風邪で学校を休んだ。
その日 一日中、レイはシンジを気にかけていたのだが・・・。
それはまた、別の話。







Special thanks to Mr.Akiduki 

 After Words
 Return.  Anthology-Project.  TopPage.
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