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    雨

Written by Tomoaki


 

 

 

SDATからはバッハが流れている。

シンジは腕時計を見る。

19時47分。

ヘッドフォンをはずし,起き上がる。

 

明かりのついたキッチン。

部屋には誰もいない。

ミサトもアスカもいない,シンジひとりきりの夜が続いていた。

「今日もひとり,か・・・。」

声に出してつぶやく。

さびしかった。

ひとりには慣れていたはずなのに,誰かの声が聞きたかった。

トウジはまだ入院していた。ケンスケは疎開した。

(綾波は――。)

シンジは無意識のうちに右手をにぎりしめた。

 

 

 

 

思い出したくない。

 

 

 

シンジは靴をはいた。

コンビニが少し歩いたところにある。

欲しいものがあるわけではない。外に出たかった。行くところは他に思いつかなかった。

空は曇っていた。月は見えない。

湿気を含んだ風が頬に当たる。雨が降り出しそうだった。

濡れてもいい。そう思って傘は持たなかった。

 

 

コンビニの明かりが見える。

シンジは足を止めた。

自動ドアが開き,人が出てくる。

小さなビニール袋を持った,制服姿の少女。

蒼い髪。赤い瞳。

「・・・・・綾波。」

 

返事はない。レイは黙ってシンジを見る。

「買い物?」

頷くレイ。

手にした袋の中には,ミネラルウォーターのペットボトルとインスタントの食品。

ひとりぶんの食事。

(僕の食事みたいだ。)

ミサトとアスカが帰ってこなくなってから,シンジは食事の支度をやめていた。ひとりで作り,ひとりで食べる食事はおいしくなかった。

勝手に口が動いていた。

「遅いから,送るよ。」

断られる。そう思った。

しかし,わずかな沈黙の後,レイは頷いた。歩き出す。

シンジはレイの後を追うように,2,3歩離れてついてゆく。

先を行く少女の横顔は,硬く,冷たい。

 

(僕を,憶えているの?)

(綾波は,綾波だよね?)

聞きたいことはたくさんあった。

でも,聞けなかった。

答えが怖いから。

 

シンジはレイの後ろ姿を見ながら歩く。

レイは傍らに誰もいないかように,前だけを見ている。

ふたりの間にコトバはない。

いつのまにかレイのマンションが見えていた。

 

402号室。

ドアの前でシンジは云う。

「じゃ,おやすみ。」

レイはわずかに振り向き,小さな声でひとこと答える。

そのひとことがシンジの胸をえぐった。

 

 

「さよなら。」

 

 

さよなら。

別れのコトバ。ヤシマ作戦以来,シンジの前ではレイがいちども使わなかったコトバ。

圧倒的な喪失感がシンジを襲う。

(もういない。)

(もういないんだ。)

心惹かれていたあの少女はもういない。

あの笑顔はもう見られない。

『3人目』。

深く,重く,そのコトバの意味が心の中に沈んでゆく。

 

 

シンジの前で,かすかに音を立てて,ドアが閉まった。

 

 

 

 

 

荷物を一脚だけのパイプ椅子の上に置く。

その中からペットボトルを取り出し,ミネラルウォーターをひとくち飲む。

ドアが閉まる前にちらりと見えたシンジの顔。

見開かれた目。こわばった表情。

胸のどこかが痛かった。

「・・・・・いかり・・くん・・・。」

碇シンジ。

エヴァンゲリオン初号機専属パイロット。

碇司令の子ども。

クラスメート。

『2人目』が助けたヒト。

いくつかの映像と音声。自分のものではない『碇シンジ』の記憶が頭の中に再生される。

 

 

 

 

強く,つよく,心が揺さぶられる。

 

 

 

 

何かがはじけた。

 

 

「・・・わたし,どうして泣くの・・・・・。」

 

 

 

外では雨が静かに降りだした。

 

 

 

 

 

                        fin.

 

 

 

 

 


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Received Date: 97.11.24


mal委員長のコメント:
Tomoakiさんに素晴らしい競作投稿作品頂きました!!
委員長は初読で感涙!!、琴線はじかれまくりでした。
とつとつとした短い言葉に込められた切ない想いと困惑...
「さよなら。」の悲しさと「笑顔」にはじける想い・・・たまりません
初めて書かれた作品とのことですが、素晴らしいです!
ぜひまたなにか書いてほしいですね・・・(^^;

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Upload date: 97.11.26
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