新生ネルフの総司令執務室は、二十階建てのビルのちょうど真ん中、十階の中央にある。
 旧ネルフ本部を知る者なら誰もが驚いたことに、部屋は重厚ではあるが華美ではない実用品で整えられ、壁には一応の飾りとして無名の画家の絵がかけられているものの、全体の印象としては中規模の企業社長の部屋と大差ない。
 もはや使徒の来襲もなく、湯水のように予算を費消できるわけでもないため、施設の経費を節約した――というのは単なる表の理由。
 実際は、ゼーレや委員会に対して着飾る必要もなくなったため、部屋の主の本来の志向が反映されたというのが正解である。

 かくしてこの日も、ネルフ総司令・碇ゲンドウは職務に勤しんでいた。
 ネルフ職員で総司令を心から敬愛しているという人間は絶無であろうが、侮り蔑む者もまた存在しない。
 政略家としての碇ゲンドウの手腕は知らぬ者とてなかったし、厳格ではあるが現場にあれこれと口出しはせず、自分の選んだ幹部級士官に実務の全権を委ねる彼のやり方は、むしろ好感すら持たれてもいた。
 もっとも、手法に好感を持たれても人格に対しては必ずしもそうではないのが微妙なところなのであるが。
「近寄りたくはないが、仰ぎ見る上役としては満点に近い」というのが、中堅以下の職員の最大公約数的な評価であったが、そう評価される理由の一つに、彼が勤勉の美徳にかけては何人たりとも後ろ指をさせない人間であったという事実も数えられるだろう。
 一ヶ月ほど前から、ネルフは欧州の某大企業と手を組んで新規プロジェクトをスタートさせたのだが、ゲンドウは自らその先頭に立って指揮を執り、連日連夜の残業・徹夜仕事を半ば日課としていたのだ。

「まったく、お前の体力には頭が下がるよ、実際」

 報告書の束を提出に来た冬月は、常と変わらぬ様子で執務室のデスクに居座るゲンドウに、肩をすくめていった。
 十数年間、ゲンドウの補佐役として働いてきた冬月であるが、ここ一、二年は自らに寄る年波を実感しつつある。
 わずか数年前までは、ゼーレの老人たちと丁々発止の謀略戦も繰り広げたものだが、今となってはそれすらも遠い昔の出来事のように思える。
 そう遠くない将来、新生ネルフの基盤があるていど整った頃、自分は副司令の座を辞して楽隠居を決め込むことになるだろう。
 余生は新しく出来た孫娘とのんびり暮らし、彼女の未来を静かに見守るのも悪くない――そう思うようになったのは、つい最近のことである。

「……先方は契約内容を全面的に呑んだのか?」

 冬月の揶揄には反応せず、報告書を斜め読みしながらあくまで実直にゲンドウは問いかける。

「かなりゴネたがな。しかし、あちらの業界ではMAGIはいまだにビッグネームのようだ。
 一応、二、三日ほど返事を待つことになっているが、どうせ最終的な結論は決まっている。
 要は社内での意見調整にそれだけ時間がいるということだろうな」
「明日までに結論を出させろ。下らん時間を費やさせるな」
「……交渉して見よう」

 渋々冬月はうなずく。
 ネルフが始めた新規プロジェクトとは、欧州の某大企業とのMAGI・プロダクションモデル開発に関する業務提携である。
 これまでネルフが独占してきたMAGIシステムを、一般世間に向けて解放しようというのだ。
 むろん、開発されて二十年近くがたってもいまだ世界最高峰の称号を冠せられるMAGIシリーズである。
 プロダクションモデル、すなわち市販向けの量産型といっても、当面購入できるのは資金力のある大企業に限られることだろう。
 しかし、コンピューターの歴史を紐解けば、大手企業のスーパーコンピューター並の性能が、十年後の家庭用パソコンで実現できたことなどざらにある。
 MAGIシステムにしても然り。数年後、十数年後では一般に普及するはずだ。
 そのために、開発成功の暁には、他の企業に対しても技術の公開と提供を行うことが、契約の条項に明記されていた。
 それが、相手の企業がゴネた最大の理由なわけだが、とにもかくにも先駆者として世間に認知されるメリットは大きいはずだ。
 苦虫を噛み潰しながらも首を縦に振る担当者の顔を、冬月は容易に想像できた。

「ゼーレは、今回のプロジェクトについてどういってきている?」
「何も。好きにしろ、ということだろう。我々の技術を一般解放することに関しては、そもそも奴らの意向にも沿っている」

 気遣わしげな冬月の問いかけに、ゲンドウは何でもないことのように答える。
 かつてネルフの上に君臨し、世界の政財界を牛耳った秘密結社ゼーレ。
 しかし、「パーフェクト・ブランク」「クリムゾン・アウト」以後の、何事もなかったかのような世界のありよう――すなわち、人類補完計画の挫折が、その組織の体質と構造を大きく塗り替えた。
 拠り所にしていた死海文書の予言は外れ、アダム、リリスともに消滅。エヴァ初号機とロンギヌスの槍もいずこかへ失われ、計画の手駒はことごとくついえた。
 さらにはまったくの予想外であった紅の大気の出現。
 ことここに至っては、ゼーレも計画に固執する愚を犯せるはずもなく、政財界の巨頭としての理性と責任に目覚めたのである。
 一連の騒ぎを収拾するため、プライドを捨ててネルフとの協力関係を再構築することも、ゼーレ最高評議会は即座に決断した。
 その際の条件として、ネルフの有するオーヴァー・テクノロジーを段階的に民間に解放することも盛り込まれた。
 使徒との戦いで、世間にも周知の存在となったオーヴァー・テクノロジーである。
 みだりに漏洩するわけにはいかないが、いつまでも機密機密とこだわるわけにもいかない。
 何よりそれは、使い方次第では人類文明の発展のための起爆剤ともなりうるのだ。
 補完計画が挫折した今になっては、最大限賢明に活用する方法を模索すべきだ――ゼーレはそう主張した。
 目論見が挫折したのは同様であったゲンドウたちにも否やはなく、平和条約は大した波瀾もなく締結された。
 同時にゼーレは、死傷者が出なかったとはいえ戦略自衛隊のネルフ本部投入という暴挙を命じたこと、巨額を投じた補完計画が失敗したことについても、自らけじめをつけた。
 マスメディアの報道熱が冷め始めた頃、ドイツのローレンツ財団理事長、米国のコングロマリットの総裁、英国の与党政策顧問らが立て続けに辞任し、私財をなげうってセカンド・インパクト復興支援に取り組み始めたことが、経済誌の片隅にささやかに報じられた。

 ――世界は緩やかに、新時代へと移行し始めた。












crimson Ark

七瀬由秋












 デスクの内線電話が微かな電子音を立てた。

『総司令、技術本部長がお見えです』
「通せ」
『はい』

 短い応答をして、ゲンドウはデスクに両肘を突き、組んだ両手で口元を隠す。

「ほう、リツコ君が帰国していたのか」
「つい先刻な」

 今も昔もネルフの技術本部長といえば一人しかいない。彼女は例のプロジェクトの関連で、二週間前から欧州へ出張していた。

「そういえば、どうなんだ。シンジ君とはうまくいっているのか?」
「…………本人に聞け」
「お前を含めてどうなっているのかを聞いたんだが」
「……………………私の方が聞きたいくらいだ」
「……あのな」

 呆れて冬月がいったのと、執務室のドアが開いたのとは、ほぼ同時だった。
 開け放たれたドアの向こうから、ずんずんずんとリツコが入室してくる。何やら異様な迫力があった。

「おはよう、リツコ君」
「あら、副司令。お久しぶりです」

 この二年間で、リツコは髪を伸ばした。背中まで伸びた髪は、彼女の容貌に母性的な柔らかさ、穏やかさをプラスし、クール・ビューティ特有の棘を感じさせなくなっている。

「……リツコ君、ご苦労だった」

 冬月を優先して挨拶された形のゲンドウが、ぼそりといった。
 もしかしたら拗ねたのかも知れない――この二年ほどで、冬月はゲンドウに思いも寄らぬ一面があることを発見していた。

「ああ、総司令も。お久しぶりでございますわ。再びご尊顔を拝謁できて光栄に思います」

 妙に丁寧な物腰に、ゲンドウの組み合わせた両手が微かに震えた。

「報告書はすぐにまとめて提出いたします。目を通しておいてください」
「……うむ」
「それと、聞き及びましたわ。私が留守中の獅子奮迅のご活躍ぶり。さすがは総司令閣下、ネルフ職員として感服いたしました」
「……う、うむ」

 応える声が上擦っているのを聞き取って、冬月は失笑を堪えた。

「――話は変わりますが、ゲンドウさん?」

 誰もが畏れるネルフ総司令を、リツコはファースト・ネームで呼んだ。
 ゲンドウの両手がびくりと大きく震えるのを、冬月はたしかに見た。

「先ほど、シンジ君の学校から連絡があったことをご存知ですか?」
「………………うむ
「またもやエスケープしたとか。しかも、暴走族まがいの知り合いと連れ立って」
「……………………」

 両手の震えは傍から見ていて気の毒に思えるほど大きくなっていた。
 冬月は一歩下がって傍観を決め込む。

「ゲ・ン・ド・ウ・さん?」
「ななななななななにかね?」
「私は出張する前、たしかにいいましたね。仕事にかまけて家庭をおろそかにするような真似は慎んで欲しいと。
 せっかく和解した親子関係は、持続しなければ意味がない、とも」
「ううううううううううううむ! たしかに聞いた!」
「それが」

 リツコは一拍置いて一呼吸。ただそれだけの動作が妙に迫力に満ちている。

「私が出張に行ってからこれまで、ろくに家にも帰っていないとはどういうことですか!?
 まったく、マヤから聞いて卒倒しかけましたわ!
 仕事に励むのは大いに結構、しかしシンジ君を放ったらかしにしていた十年間を取り戻すより大切な仕事が他にありまして!?」
「わわわわわわ悪いとは思っているのだ、本当だ!」
「嘘おっしゃい! どうせ二人では間が持たないからって仕事に逃避していたのでしょう!?」
「おお、そういえばそんなことをいっていたな、碇。どんな顔をしてシンジ君に接すればいいのかわからんとか何とか」

 薄情に余計なことを言い添えた冬月に、ゲンドウは恨みがましい視線を向け、リツコは信じられないとばかりに目を見開いた。

「ああ、シンジ君、不出来な義母と人間失格の父のせいで、寂しい思いをして……!
 私を『母』と呼んでくれた彼に、一体どうやって詫びればいいというの……!?」

 ばしばしとデスクを叩きながら彼女は慟哭した。
 ――そう。
 旧姓・赤木、現在は碇リツコ。一年前にゲンドウと再婚した彼女は、現在は新生ネルフの中核として、新婚家庭の妻として、公私ともに多忙な日々を送っている。
 才媛の名を欲しいままにした彼女にとっても、いきなり高校生の息子を持つことになった事実に対しては戸惑いも大きかった。
 それまでの彼に対する仕打ちを考えれば尚更。
 結婚の事実をシンジに告げたその日、「では、これからは義母さんと呼ぶべきですね。ふつつかな父と息子ですが、末永くよろしくお願いします」と彼に頭を下げられたときには、柄にもなく大声で泣いたほどだった。
 以後、彼女は親馬鹿と評されるほど何くれと息子に気を使いながらも、亭主を完璧に尻に敷き、ネルフの真の支配者として認知されるほどになっている。
 ちなみに、同じく「爺馬鹿」と評されている冬月とは強固な同志的連帯感で結ばれるようになり、職務の暇を縫っては二人して義理の息子と孫娘の話題で盛りあがるようになったのはまったくの余談である。

「ゲンドウさん!」
「う、うむ!!」

 思わず起立して背筋を伸ばすゲンドウであった。

「シンジ君が学校をサボったのは、今学期に入って何回目だとお思いですか!?」
「じゅ、十七回目」
「結構、ご記憶いただいてさいわいです。では、そのことについてシンジ君と話し合いは持たれましたの!?」
「も、もちろん! しかし、出席日数には十分足りているし、テストでも十分な成績は維持しているから大した問題ではないと……」
「そうシンジ君に言い負かされたわけですわね」
「………………………………………うむ
「そこで何故、成績など問題ではないといってあげないのですか! 学校は勉強するためだけに通う場所ではないはずです!
 シンジ君があなたみたいに性根のねじくれ曲がった極悪人の人非人に育ってしまったら、どう責任を取るおつもり!?」

 息子に比較してボロクソに評されたゲンドウは微かに傷ついたような表情になったが、もちろんリツコは取り合わない。

「本日は定時で切り上げて、帰宅していただきます。碇家の行く末について、ゆっくり話し合うべきかと」
「し、しかし……」
「異論がありまして? 聞く用意はありますわよ」

 ぎろりと凄絶な眼光で夫を睨み返すリツコ。
 台詞は丁重だが、態度は素直だった。

「……問題ない……」

 がっくりとデスクに腰を下ろしながら、ゲンドウは力なく呟いた。



 ほぼ同時刻、第壱高校でも大声で慨嘆する少女がいた。

「ええーーーーーーーー!? シンジ、また来てないのーーーーー!?」

 こげ茶色のショートカット、活動的に整った容貌、アスカとは別の意味で明るさと快活さが同居した彼女の名は、霧島マナ。
 元戦略自衛隊所属という物騒な肩書きを持つ、アスカたちのクラスメイトである。
 一時期、加持の手引きを受けて素性を変え、別の学校に転入していた彼女は、「パーフェクト・ブランク」以後のどさくさに紛れて、ムサシやケイタとともに第参新東京に戻ってきていた。
 おそらくは再び加持のコネを使ったのだろうが、霧島マナとして大手を振って歩ける戸籍と身分を確保した上でである。
 さすがは鋼鉄のガールフレンドの異名を取っただけあって、ちゃっかりしている。
 実際、戦略自衛隊や日本政府にしても、失敗に終わった新兵器開発計画などにいつまでもかかずりあっている余裕はなかったのだろう、今に至るまで彼女たちに対して手を出してきたことはない。

「何で止めなかったのよ、アスカさん!?」
「う、うっさいわね! あいつがあたしのいうことを聞くようなら世話はないわよ!」

 何故か必要以上に焦りつつも、妙に説得力のある台詞を返すアスカ。
 実際、これは彼女の本音には違いない。
 しかし、

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、ようやくまたシンジと一緒の学校に通えるようになったのに!
 アスカさん、あなた私に何か恨みでもあるの!?」

 そんなアスカの事情など知ったこっちゃなく、マナは猛然と食って掛かった。

「だーかーら! あたしのせいじゃないわよーーーーー!!!」
「またそんな言い訳を!!!」
「どこがどう言い訳なのよ!!! だいたい、シンジを連れてったのはアンタの元同僚でしょ!?」
「見す見す連れていかせたのはアスカさんでしょ!?」
「どんな理屈よぉぉぉぉぉ!?」

 道理も怒声も通じない相手に、アスカは思わず悲鳴を上げる。
 公平に見て、理はアスカの方にあるはずなのだが、マナの方では理屈と常識に妥協する必要をハナから認めていないらしい。
 恋する乙女とはえてしてそういうものである(おそらく)。

「まあまあ、霧島さん」

 アスカが対応に困る中、お淑やかという形容詞を音声化したような制止が横合いから入った。

「碇君にもきっと理由があってのことだと思いますし……惣流さんも、困ってますよ?」
「そ、そうよ! いいこというじゃない、マユミ」

 珍しく、非常に素直な感謝の念をアスカはあらわにした。
 声の主――山岸マユミは、静かに微笑んでうなずく。
 使徒戦争中の一時期、アスカたちのクラスメイトであった彼女もまた、高校進学と同時にマナと同様この街に戻ってきていた。
 それも、渋る父親を説き伏せ、親元を離れて親戚の家に下宿するという大胆な真似をした上でである。
 中学時代にかけていた眼鏡はコンタクトにし、長く伸ばした黒髪はそのままで、薄く化粧もするようになた彼女は、かつての「地味」という印象から一変し、「清楚」という言葉を絵に描いたような容貌に成長していた。
 窓辺に座って詩集を読んでいるのが恐ろしいほどハマる容姿、とは、マナがマユミと対面したときに評した言葉であるが、アスカもそのときばかりは全面的に賛同したものだ。

「それで、惣流さん?」

 マユミはアスカに向き直り、小首を傾げる。何気ないそういう動作に、ひどく品がある。

「碇君は、いまどちらに?」
「……は?」

 真顔で問われて、今度はアスカが首を傾げた。

「ンなこといわれても、多分どっかのカラオケボックスだと思うけど。そんなこといってたし」
「どこかの、では困ります。具体的に今どちらにいるのかをお尋ねしたんですが」
「あたしが知るわけ……」
「いいえ、そんなはずはありません」

 上品な態度はそのままに、マユミは厳かに言い切った。

「惣流さんなら、碇君に盗聴器をつけるくらいのことはしているはずでしょう?」
「してたまるかっ!!!」
「いいんですよ、隠さなくても。惣流さんのことは、私もよく知っているつもりです」
「そーゆー誤解がどっから出てくるの!?」
「もちろん、惣流さんがそーゆー人だからです」
「そーねー。アスカさんって、そーゆー人よね」

 揺るぎない確信に満ちて断言するマユミに、えらくしみじみと同意するマナ。

「そんな真似するはずないでしょうが! あたしはストーカーか!?」
「まあ、そんな」

 マユミは心外そうに眉をひそめた。

「ストーカーさんが聞いたら気を悪くするようなことを」
「ひどいことをいうのね、アスカさんって」
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 いわれなき誹謗中傷を受けて、アスカは絶叫した。

「山岸さん、霧島さん……」

 いささかならず疲れた表情で、それまで傍観していたヒカリが口を挟んだ。

「……もしかして、碇君がいない腹いせに、アスカで遊んでない?」
「あら。わかりました?」
「だってー。シンジがいないんだもの」

 しれっとした顔で答えるマユミとマナ。
 その表情は、かの少年の浮かべるそれとまさに酷似している。
 自分の周囲に彼の悪影響が如実に現れていることを実感し、アスカはかなり深刻な危機感を覚えた。

「あ……あんたたちぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「まあ、惣流さん。そんなに顔を赤くして」
「ほんの冗談なのにー」
「悪質な冗談はシンジ一人で間に合ってんのよっっっっ!!!」

 まさに血を吐くような叫びであった。
 正真正銘心の叫びであった。
 これぞ魂の叫びであったろう。

 しかし、

「碇君の親愛の表現もわからないなんて……」
「アスカさんって、本当にワガママなのね」

 惚れた欲目とはこのことであろうか。
 二人の少女は無情だった。

「し、しんあいひょうげん……」
「そうです。惣流さんにはわからないんですね。私たちは、いつも羨ましく思ってるのに」
「ぶーぶー。贅沢者ー」
「あたしの!? どこが!? 羨ましい贅沢者!?」

 目眩すら感じつつ、アスカは天を仰いだ。

「顔にドロップキックめり込ませる親愛表現があるかぁ!!!!」

 かなりの実感を込めた台詞であった。

「行動で心を表現する、碇君らしいです」
「敵意か殺意の表現でしかないわよ! ファースト! アンタも見てたでしょう!? あれのどこに親愛なるものの要素があると……」

 第三者の証言を求めて振り返ったアスカは、次の瞬間凍りついた。

「…………………」

 世にも恨めしげな顔つきで、レイがこちらを睨んでいる。
 先ほどからやけに無口だと思っていたが(いつものことといえばその通りなので気にしてなかったのだが)、どうやらずっとその表情だったらしい。
 どうりで、教室内で自分たちの周囲の人口密度がやけに希薄だとは思っていたのだが。

「な、何よ?」
「……セカンドは、碇君と仲良しだわ」
「あ、アンタまでいうか……」
「さっき、碇君に優しくされてたもの」

 ちなみに薬をもらったことらしい。

「あ、あれは……」
「……私、碇君に薬なんてもらったことない」
「そ、それはアンタが殴られたり蹴られたり投げ飛ばされたりしたことないから」

 自分でいってて悲しくなる台詞であった。
 というか、わざわざ薬を持参しているあたりに、確信犯的な計画性を感じるのだが。
 妙に口篭もるアスカにそれを指摘することはできなかった。
 ちなみに、頑丈さには不本意ながら定評のあるアスカ、もらった薬には手をつけていなかったのだが、何故か今はポケットの奥に大事にしまわれている。
 今現在も、無意識にポケットに手を突っ込んでその存在を確かめたり。
 それを目ざとく見咎めたレイの視線がさらに鋭くなる。

「……ずるい」
「な、何がよ?」
「……一年前は、私の邪魔をしたくせに……」
「あ、あれは……悪かったっていってるでしょ」

 一年前の邪魔、というのは、アスカがレイとちょっと険悪になる度に話題にされる、はっきりいえばお決まりの恨み言であった。

 何を隠そう一年前。
 生涯最大の勇気を動員してシンジに告白したレイは、土壇場で乱入したアスカによって、それを台無しにされたのだ。
 その後のドタバタで告白の返答は結局うやむやになり、今に至るまで決着を見ていない。
 レイとしても、はっきりとした返答をもらうことに対する不安があるし、友達以上恋人未満の関係でワイワイやっている現状に居心地のよさも感じてもいる。
 よって、口でいうほどアスカに対して恨みを持っているわけではないのだが、やはり悩みに悩んだ上で振り絞ったなけなしの勇気を笑い話に近い形で無にされたやるせなさは、すんなり水に流せるものではない。
 かくしてこの一件は、対アスカ用のレイの切り札ともいえる話題として、今もなお有効なのである。

 むろんアスカとて、悪いことをしたとは思っているのだ。
 使徒戦争後、互いに親友と呼べる関係となったこの銀髪の少女が、実はひどく不器用で晩生な面があることもよく知っている。
 彼女にとって告白という行為がどれだけの重みを持つものかも。

 しかし、とはいえ。
 とはいえ、である。

 ――告白を台無しにしたのはたしかに悪かったが、だからといって二人がかりで半殺しにされた挙句、コンクリ詰めにされて芦ノ湖に沈めかけられた理由にはなるのであろうか、とアスカはつくづくと思い出すのである。

 気がついたとき、縄で全身を縛られた自分のすぐ傍で、無言無表情でコンクリをこね回す銀髪の少女を見たときは、きっかり三秒間ほど心臓が止まった。
 湖に飛び込んで逃げてどうにか事無きを得たのだが、両手両足を縛られたまま泳ぐという斬新な体験を強いられたあのときの恐怖は、今もなお心の奥底に焼き付いている。というか、今でも時々、あのときのレイの姿を夢に見てうなされている。

 ――我ながら、どうして自分がこの少女と親友やっていられるのか、心底不思議に思うアスカであった。

「というわけで、すべてはアスカさんが悪い、と」

 優しくされてた、とのレイの言葉にちょっと青筋を浮かべたマナが、検察官の表情で指摘した。

「異議ありません」

 即座に賛同する陪審員・山岸マユミ。

「……極刑モノ」

 そして厳かに、裁判官こと綾波レイが宣告する。

「み、皆……? い、いえ! 何でもないの!!」

 弁護人たる洞木ヒカリの主張は、三人の殺人的な視線の前に撤回された。

「「「「「「「「「…………………」」」」」」」」」

 周囲でそれとなく聞き耳を立てていた傍聴人――同級生一同――が、一斉に顔を伏せて目頭を抑える。

「あ……あたしが何したっていうのよーーーーーー!!!!!」

 かくして、HR前の第壱高校二年A組の教室に、一人の罪人――もとい少女の、無実を叫ぶ悲痛な声が響き渡った。



 パーフェクト・ブランク――クリムゾン・アウト以降の夕焼けは、一種幻想的な美しさに彩られる。
 紅の大気を構成する無数の粒子が、西に傾いた茜色の陽光に照らされて、鮮やかなグラデーションを描き出すのだ。
 この世でもっとも壮大なキャンバスに描かれた、この世でもっとも美しいアート。
 まがまがしいほどに荘厳で、身震いがするほどに壮麗。
 古代の人間がこの光景を見ていたならば、神の存在を確信したに違いない。
 それはまさしく、人の届かぬ神のタッチ。
 とある画家はいったという――我々が何千年と積み重ねた技法を、この空は一夜にして凌駕した、と。

 そして今。
 彼は窓ガラスの向こうに、ビル街の谷間に埋もれゆく夕陽の最後の欠片を見ながら思う。

「――で、どうして僕はここにいるんだろう」

 鼻腔に香る酒精の匂い。散乱した空き缶と空き瓶の山。
 鼓膜を貫く無意味なノイズ。泣き声やら笑い声やらもちらほらと。
 でもって、前後左右をがっちりと固める絢爛たる花々――

 やや頭痛を覚えた彼の眼前に、ビールの缶が突きつけられた。

「やーねぇ、シンちゃん(はぁと)。水臭いこといわないでよねン」

 何故に語尾に「ン」とつくのか、はなはだ謎だ。これを解明できれば、言語学界に一石を投じることができるかも知れない。
 いや、彼女の年齢とこの言語の相関関係をあらわにすることができれば、言語学どころか精神医学にも光明が見えるに違いない。
 ヒトの精神年齢と語彙の発達について、画期的なレポートが……

 いや、らしくもない学術的思考にふけるのはやめよう。ここは自分に素直になるべきときだ。

 そう思ったから、彼は率直にいった。

「ミサトさん。あなた一体何歳ですか」
「えへへ〜、ぢつは二十歳(はぁと)」

 これぞ神をも畏れぬ虚構ではあるまいか。閻魔大王の前に引き出されれば、舌の一枚二枚を引き抜かれるていどではすむまい。
 それでもこの目の前の女性の場合、さらにスペアの舌を十枚ほど抱えていそうだが。
 いやいや彼女なら、閻魔大王すら舌先で言い負かすことも可能かも知れない。
 でもってゆくゆくは地獄を支配し、地上へと侵攻して酒という酒をすべて我が物に……

 あほらし。

 シンジは頭を振って、脳裏に浮かんだ意味不明の想像を打ち消した。
 閻魔大王を顎で使いながら酒をかっ食らうネルフ作戦本部長の想像図は、何やら非常な説得力を持っているような気がしたが。
 いや、それはともかく。

「ミサトさん、僕はあなたが嫌いじゃありません。いえ、尊敬すらしているといってもいい。
 あなたのアル中一歩手前のオヤジくさいところも、お祭り騒ぎが大好きな傍迷惑なところも、一切合切含めてです。
 ですから、あなたが宴会しようが未成年にアルコール呑ませようが、今更驚くべきことではないし、口出ししようとも思いません。
 しかしですね」
「ん〜? 『しかし』?」
「この大所帯で、しかも僕までまき込むとはどういう了見ですか」

 加持家の広大なリビングを見渡しながら、シンジは深くため息をつく。
 家の主、加持リョウジが苦笑いしながらおつまみを運んだりビールを出したりと甲斐甲斐しく(!)働いているのはいい。
 部屋の中央に胡座をかいて、加持家の真の支配者たるミサトがビールを飲んでいる光景も見飽きたものである。
 しかし、その他の、部屋中至るところでわめいたり泣いたり笑ったりしているメンツは何だというのだろうか。
 いつからここはサバトになった。

 向こうでは、心なしかヒゲのすすけた観のある碇ゲンドウが、いい感じにアルコールの入ったらしい妻・リツコに説教を受けている。
 議題は「現代社会における家族の定義とその内包する心理的要素の概説」らしい。
 この手の議論がもともと好きな義母は、アルコールの助けもあってかなりヒートアップしている。
 何故か正座させられて謹聴している実父は、時折異論(反論?)めいたものを口にしようとしているらしいが、ことごとく論破されているようだ。
 背中がやけに小さく見えるのは気のせいだろうか。
 その隣には冬月が、口元を笑う形にひくつかせながらも、品を失わない所作で熱燗の猪口を手にしている。
 時折楽しげに論戦に参加しているようだが、その度に父の背中が震えているように思える。

 あちらでは、カラオケ帰りに一緒に拉致されたムサシとケイタが、肩を組んで「かえるのうた」を輪唱している。
 何故に「かえるのうた」なのかはこれまた深い謎というものだ。
 当初は無理やりムサシに付き合わされていたケイタだが、自暴自棄の表情で焼酎をあおってからはむしろムサシをリードする形で熱唱している。
 魂の歌声とはまさにこのことだろうが、あいにくと致命的に音程がずれていることには、両者ともに気にしていないようだ。

 すぐ傍には、中学時代からの彼の親友二名が、すでに撃沈している。
 これについては実のところどうでもいい。
 先刻、今の自分の置かれた状況を見て、「両手に華どころか、四方に花畑! 男として至福というべき状況だね、これは!」「かーっ、まったくセンセはジゴロの達人やわ!」などとほざいたため、秘技・山嵐の実演をしてやったらそうなったというだけのことだ。
 まったくいつも通りというもので、今更気にとめるべき何事もない。

「なによ〜。ムサシ君たちには付き合えて、私たちにはつきあえないわけぇ?」

 ミサトは口を尖らせる。三十路も過ぎ、結婚もして、それなりに落ち着きも出てきたかと思えば、まったく実態は変わっていない。
 というより、同居していた頃よりパワーアップしている。
 死んだとばかり思っていた今の亭主がひょっこり帰って来たとき、「どの面下げて帰った来たーーー!!!」と叫んで拳銃乱射しつつネルフ本部内を追い掛け回して以来、それまであった最低限の慎みすら放擲したのではないか、とは、シンジが確信をこめて友人一同に解説し、熱烈な賛同を受けるところである。

「だいたいね〜、今日の宴会はシンちゃんのためなのよ〜?」
「親切の押し売りは常時遠慮しているんです」
「ノンノン、正確にはシンちゃんの家庭のためよン。家族のわだかまりを解消するために、わざわざ計画してあげたんじゃないの」
「――何故でしょう。そういわれると、不条理な気分がさらにかき立てられるんですが」

 何かリツコの気に障ることをいったらしく、見事な鉄拳制裁を食らっている父を眺めながら、シンジはぼそっと呟く。
 まあ、義母の方に遠慮が無くなっているのはいい傾向だ、と思う。
 かつてはいろいろあったが、リツコのことをシンジは母として文句なく受け入れていた。
 結婚後、彼女があの父を尻に敷くようになってからは、義理の親子としてだけではなく年齢差のある同好の友人としても親愛の念を抱いている。
 もっともアスカあたりにいわせると、リツコの方に遠慮がなくなっているのはシンジの影響に違いないということなのだが。

「まあ、それはいいとしましょう。ミサトさんに付き合わされるのも今に始まったことでなし」

 缶ビールに口をつけながら、シンジはため息まじりにいう。

「そうそう、人生楽しく生きないとね」
「楽しんでるのはミサトさんだけという説もありますが、それについては後日の議論としましょう」

 シンジはもう一度、ため息をつく。我ながら陰気なことだと思うが止める気になれない。

「最大の問題は、です」
「なぁに?」
「今の僕の置かれた状況だと思うんですが、どうでしょう」
「なんで〜? 誰がどう見ても羨ましいと思うけどー?」
「当事者になれば別の感想がわきますよ、きっと」

 三度ため息をつくシンジ――の右腕は、がっちりとレイが抱きついていた。
 白い肌は赤く染まり、吐く息は荒く、アルコールくさい。
 じっと見上げてくる視線が微妙に怖い。

 でもって背中には、マナがべったりとよりかかっている。
 こちらはもはや完全に正体を失うほど酔っ払っており、「うにゃー」などと人類の誇りを放棄したような鳴き声を出しながら、ごろごろと背中に顔を押しつけている。
 喉をくすぐってやったら喜ぶだろうと思ったのだが、それをやると何か破滅的な事態が起こるという確信があったため、放置することにしている。

 左側には涼しい顔のマユミが正座してにこにこと笑っている。
 記憶がたしかなら、彼女はマナ以上のペースで一升瓶を消費していたように思うのだが、顔色一つ変えずにいるのはむしろ異様というべきかも知れない。
 つまみを取ってくれたりビールのお替わりをくれたりと、何くれと気を使ってくれるのがありがたい。

「あのー、綾波?」
「……なに?」
「出来れば腕を放してくれるとありがたいなと。そろそろ痺れてきたし」
「……ダメ」
「なぜゆえに」
「……碇君、逃げるもの」
「逃げ場があるなら教えて欲しい状況なんだけど」

 かなり情けない気分でいって見たのだが、レイはふるふると首を振る。
 こうなった彼女を説得しようとするのは時間の無駄にしかならない。
 シンジは諦めて、せめて背中に持たれかかるマナからだけでも体を離そうともがいた。

「んー! んー!」

 まったくの逆効果に終わった。
 マナは子供のようにむずがると、後ろからシンジの首に手を回してがっちりと抱きつく。

「マナぁ……」
「えへへ〜、シンジの匂いー……」

 幸せそうに呟いて、マナはシンジの首筋に頬を押しつける。
 声の調子からすると、夢と現実の境界をふらついている状態らしい。

「ダメですよ、碇君」

 穏やかな微笑のまま、マユミがいってくる。

「今日また碇君が学校をサボったために、綾波さんも霧島さんも、どれだけ嘆き悲しんだことか」
「僕一人いなくても地球は回るんだよ」
「地球は回ろうが回るまいが、流される涙は常に重いんです」

 マユミは厳かに断言し、シンジは頭を抱えたくなった。
 山岸さんは、変わった――そう痛切に思う。
 いつからこういう口の利き方を覚えたのだろうか。
 もっとも、以前周囲の人間にそれを言ったところ、声をそろえて「自覚しろ!」と叫ばれてしまった。
 つくづく世の中は不条理だ。
 シンジは苦い思い出を噛み締めながら、反論を試みる。

「……どこの誰が泣いたって?」
「あら、心の慟哭が碇君には聞こえないんですか?」
「プライバシーを尊重する主義でね。他者の精神世界には関知しないことにしてるんだ」
「私は少しでも、碇君と同じ精神世界を感じたいと思いますけど?」

 シンジは思わずまじまじとマユミを見つめた。
 彼女は相変わらずにこにこと微笑んでいる。周囲に転がった日本酒の瓶がやけにアンバランスで、そのくせ妙にはまっている。
 ――顔色は変わっていないが相当酔っているのだろう。
 シンジはそう解釈することにして、ふと視線を巡らせた。

「――ところで、山岸さん」
「何ですか?」
「アレはいったい、いかなる精神作用の元であーゆー行動に出ているのかな?」

 リビングの隅で視線を留めたシンジに、マユミは首を傾げ、

「さあ? 一般的な解釈を用いるのなら、アレはきっと」
「きっと?」
「嫌なことがあって忘れようとしているだけかと。自棄酒ともいいますけど」
「アレが自棄酒?」
「ええ。私も見るのは初めてですが」

 まじまじと見つめる二人の視線を感じてか、「アレ」はぎょろりと凄絶な眼光で睨み返してきた。

「うるさーい! 他人事みたいにいうな! 自棄酒いうな! アレっていうなー!」

 口から唾と焼酎の飛沫を飛ばしながら、「アレ」――もとい惣流・アスカ・ラングレーは食って掛かってきた。
 広大なリビングの隅っこを独占支配下の領土とし、ダース単位の日本酒やらワインやら焼酎やらの瓶に囲まれたその姿は、ありていにいうならば――

「アスカ。そうしていると、まさに人生を踏み外した人間のクズにしか見えないんだけど」
「的確な例示です、碇君」

 さしものミサトすら、壮絶ともいうべきその有様に近寄ろうとしないほどに。
 惣流・アスカ・ラングレーは腐った魚よりも荒んだ目をしてわめき散らした。

「呑まなきゃやってられないのよー!」
「碇君、きっと惣流さんは悲しいことがあったんですよ。そっとしておいてあげるのが人の道かと」
「マユミぃぃぃぃぃ! アンタどの口でそんなことをいうわけぇ!?」

 ずりずりと、数本の酒瓶を抱えながらアスカが這い寄って来る。
 どうやら立ちあがれないほどに酔っているためらしいが、はっきりいって不気味だ。

「意味不明の理屈で意味不明の責任を人に押し付けて!」
「他愛のない冗談じゃありませんか」
「害のある冗談は冗談といわないのよーーー!!」
「害のあるって……」

 マユミは眉をひそめた。

「何か実害、ありました?」
「…………。……そーいえばなかったかも

 小声で答える惣流・アスカ・ラングレー。
 しかし彼女はすぐさま気を取りなおし、

「い、いいや! あたしはだまされないわよ! 休み時間ごとにぐだぐだ絡んでくるファーストとマナを、止めようともしなかったくせにぃ!」
「親友同士のコミュニケーションに水をささなかったことを責められるなんて……碇君、私、悲しいです」
「……あ、あたしの記憶が確かなら、アンタ心底楽しそうに見物してなかった?」
「仲のいい友達が戯れているのを見るのは、心和むものですから」
「恨み言ばかり並べ立てられるコミュニケーションがあってたまるかーーーー!!!」
「人それぞれに友情の形はあるものですよ?」

 まさにどこかの誰かを彷彿とさせる物言いに、アスカは頭を抱えた。ぼたぼたと抱えた酒瓶が床に落ちる。

「ああああああ、どうしてあたしの周囲にはこんな奴しかいないのよぉぉぉぉぉぉ!?」

 かなり深刻に、彼女は運命を呪った。
 こういう場合、唯一味方として慰めてくれるソバカスの親友は、あいにくとこの宴会に不参加であった。さすがのミサトも、人を見て参加者を選んでいる。
 孤独な少女、惣流・アスカ・ラングレー。
 一しきり天を仰いで、神様のバカ、スカタン、などと低次元な呪いの文句を吐いてから、彼女は今度はシンジに掴みかかった。

「これというのも、すべてはアンタのせいよぉぉぉぉ!? あたしの輝かしい青春を返せーーーー!!!」
「濡れ衣だよ」
「どこが濡れ衣かぁぁぁぁぁぁ!?」

 ぱしっ

 よろよろと掴みかかってくる腕を捌き、

 ごりゅっ

 手首を極めた上で腕を折りたたませ、

 ぐりゅんっ

 肘を支点に回転させるように捻りあげる。

 ずざっ

 ついでに鋭く足払い。

「あああああ!?」

 怒声の延長のような悲鳴を上げて――

 どざっ

 惣流・アスカ・ラングレーの体は、きれいに一回転して床に投げ落とされた。
 最近、シンジが研究中の合気道の一手であった。

「――お見事です。さすが碇君」
「いやいや。ちょっとした護身術だよ」

 ――アンタの護身術は殺人術の域よ。

 強打した頭でそう思いつつ、惣流・アスカ・ラングレーの意識はフェードアウトしていった。

 

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