洋上を、UNのアルファベットをつけた艦隊が進んでいた。現代戦における海上の最強兵器・空母を五隻含む、誰憚ることもない大艦隊である。
 国連軍太平洋艦隊。彼女たちはそう呼ばれている。
 昨今、装備の旧式化が問題とされている国連軍では珍しくないことに、艦の大半は前世紀から就役している老嬢ではあったが、その戦力の強大さを否定することは誰にもできない。例えその実状が、セカンド・インパクトで荒廃した国土の復興と、史上最大規模の軍隊の維持という二つの命題の両立に匙を投げた合衆国が、他の先進国から応分の「世界全土の治安維持費」を取り立てるべく、自国の艦隊に国連軍のラベルを張りつけているだけであったとしても。
 軍事マニアであれば垂涎の的という他はない豪壮な陣列は、しかしこのとき、悪の帝国を打倒するために進軍しているわけでもなければ、数年に一度あるかなしかの大規模演習に駆り出されているわけでもなかった。
 それは極論すれば、たった一つの兵器と、たった一つの生物を運搬するために運用されていた。ただし後者について知る者は、この艦隊を指揮統率する司令部にすら存在しなかったのだが。
 名実ともに最強の軍隊であり艦隊である自分たちがただの宅配便として扱われている現実について、艦隊司令部には穏やかならざる感想を抱いている者も少なくなかったが、それを表に出すことは全員が慎んでいた。彼らは、極東における自分たちの同輩を事も無げに壊滅させた敵性体がこの世に実在すること、そして自分たちが運んでいる兵器だけがそれと真っ向から太刀打ちできる事実を知らされていた。理性が感情を駆逐したわけでは決してなかったが、慎み深く礼儀を守るに値する理由があることには全員の了解を得ていた。
 ――そして今、その艦隊に向けて、一つの影が接近している。
 海中を、有史上現れたいかなる兵器をも凌駕する速度で疾駆する巨大な質量。
 その存在を捉えられたとき、それはすでに艦隊の間近に迫っていた。
 人の生み出した兵器体系を嘲笑うかのように海水を切り裂く異形の影――それは、誰にもわからぬ理由から、使徒とだけ呼称されている。

 

 

 

 

 

 

少年期
9th age

七瀬由秋

 

 

 

 

 

 

 

 

「海中より出現した使徒を、空母を足場にして迎撃、最終的には軍艦二隻の零距離射撃により殲滅。所用時間三十六秒。判断力、行動力、戦闘技術、どれを取ってもパーフェクト」

 モニタに映された映像を眺めながら、リツコが率直に評価した。それはつい先日、太平洋艦隊を襲撃した第六使徒を、セカンド・チルドレンの駆るエヴァ弐号機が返り討ちにした際の記録映像だ。
 三分にも満たない短い記録映像だったが、その中で真紅の機体は華麗としか評しようのない動作で空母から空母へ飛び移り、巨大な魚のような形状の使徒を受け止め、駆逐していた。
 レイと並んでそれを目の当たりにしたシンジは、正直感嘆した。
 彼がエヴァと使徒の戦いを実見したのは第四使徒戦くらいのものだが、弐号機の戦いぶりははっきりいってあのときの零号機のそれとは比べ物にならない。技術もそうだが、動きの質が根本的に異なる。零号機が機械仕掛けの大型人形ならば、弐号機は装甲で鎧われた世界トップのアスリート、それくらいの差がある。あのときのレイが負傷で本調子でなかったことを差し引いても、目の前の記録映像の機体とそのパイロットが格の違う実力者であることが理解できた。

「セカンド・チルドレン、でしたっけ。すごい人みたいですね?」
「ええ、実際優秀な女の子よ。十四歳で、大学も卒業してる。惣流・アスカ・ラングレー、『ジーニアス』『サヴァン』『ジェネラリスト』、『天才』。ドイツ支部の生み出した最高傑作――そう評されているわ」

 賞賛の言葉を並べながら、リツコの表情はどこまでも冷めている。天才ということなら、彼女とて学生時代から飽きるほどそう呼ばれていたし、それに相応しい実績も挙げているからだ。セカンド・チルドレンの才能を評価しているのは当然だが、必要以上にありがたがる理由もリツコにはなかった。

「なるほど。それは心強い」

 シンジはリツコの表情に気付かなかったようにうなずいて見せた。実際、これは上辺だけでなく感心している。どれほどの怪物じみた天才でも、十四歳で大学を卒業し、かつエヴァのパイロットとしてここまでのレベルに達するには、文字通り寝る間を惜しんだ努力が必要とされるはずだからだ。知性云々よりも、むしろその熱意の継続こそが尋常ではない。生まれてこの方、無難に安穏に生きることを念頭に置き、必要以上に何事かへ打ち込んだ経験のない彼にとり、まだ見ぬセカンド・チルドレンのそうした人柄は本心からの賞賛に値した。
 他方で、それなりの計算もある。セカンド・チルドレンがそこまでの傑物であるのなら、彼としても諸手を挙げて歓迎すべき事態であった。あからさまな世辞を並べ立てる趣味はないが、快く戦ってもらうために協力するに吝かではない。

「彼女はいつ、こちらへ着任を?」
「深夜に艦が着くから、顔合わせはまた明日ね。ま、楽しみにしといてちょうだい」

 ミサトが答えた。

「これからは仲間として一緒に戦っていくことになるんだし――」

 と、彼女は続けかけて、決まり悪げに口を噤んだ。シンジへの皮肉になると考えたのだろう。
 役立たずのパイロットをもれっきとした部下として扱う公正さは紛れもない彼女の美点だが、同時に掛け値なしの不器用でもある。シンジはそう思い、せめて彼女の公正さに報いるべく口を開いた。

「心強い味方が増えるのは大歓迎ですよ。僕としても、微力ながらお力添えさせていただきます。本当に微力なのが困ったものですがね」

 冗談めかしていった彼の言葉に、ミサトは苦笑し、リツコは「ふふ」と鼻を鳴らして見せる。

「どんな人なんですか? 天才と呼ばれるくらいですから、きっと聡明で大人びた人なんでしょうね」

 いかにも楽しみですといわんばかりの微笑を浮かべながら、彼は重ねて訊ねた。

「そ、そうねぇ」

 何故か吹き出す寸前の表情でミサトは口篭もる。
 彼女はしばし考えてから、

「ま、そのあたりも明日のお楽しみってことで。期待して待ってていいわよー?」

 悪戯を思いついた子供のような顔で、そういった。
 わかりました、と残念そうな顔を作りながら、彼は内心で見当をつけていた。
 あえて自分でも呆れるほどステレオタイプな天才像を提示して見せたのは、ミサトの反応から実状を類推するための布石でしかない。その点、私人としては不器用――つまり素直極まるミサトは、非常に反応がわかりやすい。
 いわゆる早熟の天才が、しばしば人格的に偏った人間となることを、碇シンジは聞き知っていた(別に自分と照らし合わせてのことではないが)。
 天才と馬鹿は紙一重、という言葉もある。
 ミサトの反応からすると、まだ見ぬセカンド・チルドレンは紙一重の方――とまではいわないまでも、とりあえず完成された人格者という表現からは程遠いらしい。
 何が出てくることやら、と思いつつ、彼はちらりと横目でレイを眺めた。
 これまで三体の使徒を倒している零号機専属パイロット、綾波レイ。能力的にはともかくとして、実績からすれば彼女こそがエースと呼ぶに相応しい。カタログデータがどうあれ、世の中実績に勝る説得力は存在しない。
 厳密にいえば、彼女がどういう人間かを、シンジはいまだに掴んでいなかった。異様なほど無口で無関心、かつ感情の揺らぎが少ない人間と認識しているだけで、内心で一体何をどう考え、どう感じているのかは、見当もつかないというのが正直なところだ。これはこれで偏ったタイプといえる。
 ただ、少なくとも彼に対しては無害であるし、接し方そのものは難しくない。それさえわかっていれば十分だろうと判断している。
 セカンド・チルドレンもまたレイのようなタイプならば―― 一番手間が省けるんだけどな、とシンジは考えた。何せ、こちらが気を使うまでもなく任務に熱心でいてくれる。

「…………」

 視線に気付いたか、レイが彼の方を見やった。物問いたげなようでもあり、単に見られたから見返しているだけという風でもある。
 彼は小首を傾げて微笑んで見せた。つまりは笑って誤魔化した。
 その表情をどう解釈したのかは不明だが、レイは無言で彼の顔を見つめ続けていた。

  

 

 ほぼ同時刻、総本部の片隅にあつらえられた一室でも、似たような会話が交わされている。
 ネルフ・国連軍共同作戦研究会議――部屋に集っているのは、その中枢を占めるスタッフたちだった。つまり、国連軍派遣将校団と、作戦部の幹部級(士官)職員たちである。
 部屋自体も単なる会議室の範疇に納まるものではなく、相応の設備を備えている。部屋の中央に据えられた楕円形のテーブルには、嵌め込み式の端末が人数分備えられており、列席者がお互いの顔を見て協議しながら各種のデータを処理・入力できるようになっているのだ。
 ちなみに、厳密には派遣将校たちにネルフ麾下の部局・部隊に対する指揮権はない。彼らはあくまで、ネルフ・国連軍が共同作戦を実施する際の草案を「研究」するためにネルフに派遣されている。いわば軍事戦略の研究者という扱いであって、本来は参謀ですらないのだ。
 しかし、ミサトは会議の発足に当たり定められた条項の一つ――「共同作戦研究会議は、作戦行動の実施に際して適切な助言を行う」を徹底的に拡大解釈し、派遣将校団に事実上作戦部職員と同等の権限を与えていた。
 監査部などにはそれを問題視する者もいたが、今のところは顕在化していない。
 実のところ、作戦部が慢性的な人手不足に悩まされているというのは周知の事実であったし、もともとネルフ自体がシステム(組織)として未成熟な部分が多かった。つまり、碇ゲンドウや赤木リツコ、葛城ミサトといった、際立った能力を持つ個人に頼るところが多く、トップの一存ですべてが決まるような体制であるからこそ、トップが許可さえすればそれなりの融通も利くのだ。これは、ネルフがゲヒルンなる研究機関を母体としていて、軍事機関としての歴史がそもそも浅かったこと――そして、実力主義の権化のような碇ゲンドウが、有能な幹部にはかなり広範な裁量を認める型の司令官であったことも影響している。要は、能力のある人間が好きなように力を振るえる組織的冗長性があったということである。

「即戦力が加わってくれるのは、非常にありがたいですね」

 派遣将校団の纏め役を勤める大神大尉が笑みを浮かべていった。

「正直、今の状況でエヴァがもう一機増えるというのは、戦力倍増どころではない――実質的には三倍以上の戦力向上が見込める」
「同感です」

 ネルフ作戦部職員の一人、葵二尉がうなずく。軍人らしからぬ中性的で端整な顔立ちながら、指揮官としても参謀としても優れた能力を有しており、作戦部では日向に次ぐ信頼をミサトより受けている。ただし、階級では大神の方が上官に当たるので、その物腰は至って丁寧だった。

「しかし、通常戦力に関しては相変わらず心許ない面があります。失礼ですが、国連軍の方も余力があるとはいえないのでは?」
「恥ずかしながらその通りです」

 大神は認めた。
 第五使徒戦は理想的な完勝に近かったが、さりとて一個大隊分の戦車が消滅している。人員の損耗がなかったため、代替の戦車が充当されれば回復は容易だが、正直なところ予備兵力はいくらあっても足りない。本音をいうなら師団単位で戦力を寄越せといいたい所ですらある。むろん、大尉風情がそのようなことをいえるはずもないのだが。

「一時期噂にあった、JA計画はどうなりました?」
「あれはせいぜい土木作業にしか使えませんよ。現行のロボット工学技術の水準からすれば大した代物ではありますけどね」

 加山中尉――先日、派遣将校団に加わったばかりのスタッフが苦笑混じりに口を挟んだ。
 JA、すなわちジェット・アローンとは、日本重化学工業共同体が日本政府の肝いりで制作した大型ロボットだ。ネルフのエヴァンゲリオンに対抗することを目的としており、その性能には大いに期待がかけられていた――過去形である。
 試作品は完成し、披露会が行われる寸前までいったのだが、土壇場でその計画は凍結、各技術データは戦略自衛隊が買い取る形で接収している。
 加山は戦自経由でそのデータを参照したことがあるのだが、はっきりいって凍結されるのも当然と思われる代物ではあった。
 技術的にはたしかに大したものなのだ。現行の技術で、体長数十メートルの質量を二足歩行で歩かせるということ自体、大変な技術の産物といえる。前世紀よりロボット大国として知られていた日本の工業技術が遺憾なく発揮されていると称しても過言ではないだろう。
 しかし、エヴァと比べると明らかにその性能はお粗末過ぎた。JAは歩くことはできたし、二本の腕でいくらかの作業もできた。しかし、それだけだった。時速百キロ以上というスピードで「走る」ことはできなかったし、跳ねる・飛ぶなど論外だった。そのような激しい運動をすれば、内部機構が震動で破損するし、そもそも足腰が持たない。
 さらに付け加えていうなら、原子炉を動力源として採用しているため、格闘戦に使用するなど最初から論外というべきだった。どんな軍人も、放射能被爆の危険を無視できるような図太い神経の持ち合わせはない。
 無理やりに運用するならば、大口径の砲でも装備させて遠距離砲撃戦に徹するしかないのだが、それなら最初から戦車や自走砲を作った方が技術もコストもはるかに安くつく。つまるところJAは、技術の結晶ではあってもとうてい実用に耐えるものではない巨大な展示品以外の何物でもなかった。
 そう考えると、エヴァがいかに常識外れの産物であるかが歴然とする。その構造は機密とされているが、実のところエヴァが使徒のコピーであるらしいという話は、既にして主立った士官には公然の秘密と化していた。特に機密に近い立場でなくとも、あるていど工学技術に知識のある者ならば、そう考える他に納得のしようがないのである。

「それならば――」

 と、葵二尉は心持ち声をひそめさせ、

「――噂に聞く、戦自のトライデント級はどうでしょう?」
「何のことです? それは、自分には初耳ですが」

 白々しい表情で加山は頭を振った。国連軍では情報部に所属していた彼は、この種の仕草が実に堂に入っていた。
 大神も肩をすくめつつ沈黙を守っている。
 戦略自衛隊の軍機に当たる事柄を葵が口にしたことについては、二人ともに特に気にしてはいない。噂話ということでなら、あるていどの地位にある士官なら大抵の者が知っていることだ。
 トライデント級とは、「陸上軽巡洋艦」という種別で建造された戦略自衛隊の試作兵器だった。
 戦艦一隻の艦砲射撃は、砲兵一個師団の火力を凌駕する――という戦術原則から、「陸上でも運用できる軍艦」というコンセプトが提唱され、セカンド・インパクト間もない頃の戦略自衛隊技術本部で承認を受けたのである。一寸先も見えぬ動乱期ならではの無茶な決断といってしまえばそれまでだが、海上を自由に渡航し、内陸部にも侵攻できて、その火力を縦横に活用できる軍艦というその発想自体は、たしかに面白いものではあった。
 さすがに加山も実物は見たことはないが、試作品はすでに建造され、運用試験も幾度か行われているという。
 とはいえ、あるていど実戦を知る将校たちの間では、これを運用する未来など軍事的悪夢そのものであるという認識が共有されていた。
 そもそも、浮力というもので全体が支えられている水上艦を、陸で運用しようという発想自体が無茶というべきなのだ。全長数十メートルの細長いプラスチックの棒をイメージして見るとわかりやすい。水に浮かせたならば折れることはありえないが、陸上で持ち上げたりしようものなら確実に半ばからぽっきりといく。
 第一、陸戦の主力たる戦車ですら、ただ走らせているだけで故障が頻発するものなのである。巨大な鉄の塊を稼動させるというのはそれだけでエンジンにも機構にも大きな負荷がかかる。
 そして、戦車というものは、どれほど大型でもまず百トンは越えない。これに対し水上艦では、比較的小型の艦ですら排水量(重量)は千トンを軽く超える。巡洋艦以上となると、さらにゼロがもう一つ増える。
 これを陸上で運用するというのだから、果たしてどんな無茶苦茶な構造をしているのか、整備と維持にどれだけの手間がかかるものなのか、考えるだに恐ろしいというのが、陸戦の現実を知る将校たちの一致した見解であった。最初から陸上での運用をのみ想定しているJAの方が、まだしも信頼性が高くて安心できる。
 ――加山たちのこうした見解は、実のところまったく正鵠を得ていた。
 戦略自衛隊技術本部がどうにか完成させたトライデント級の試作型は三隻。何故試作なのに三隻も建造されたかといえば、足回りの機構や兵装の面で開発チームに意見対立があり、それぞれ仕様の異なるものを試作して実地に比較することが定められたためだが(一時、技術本部は本気でトライデント級を次世代の主力兵器と信じていたため、そのような贅沢が許可された)、実のところその種の配慮はまったくの無益だったといえよう。試作された三隻が三隻とも、技術者・整備兵を軒並み過労で寝込ませるほどの技術的問題をさらけ出した点に変わりはなかったからだ。
 陸上ではずんぐりむっくりした二本の脚で歩行するという設計であったのだが、この脚部はあまりにデリケートな技術的工芸品であり、ただ歩かせるだけでも整備には悪夢のような手間がかかった。故障は頻発するどころの騒ぎではなく、正常に稼働すればそれは奇跡の範疇に類する事象と見なされ、数百人の整備兵が連日徹夜で整備をしてもまだ問題が残るという有様であった。
 さらに加えていうなら、動力はJAと同様の原子炉で、格闘戦になど使えるはずもない。これは真偽の程は定かではないが、運用試験の最中に一度機体が盛大に転倒し、放射能が漏れるのではという恐怖から兵士たちがパニックになって逃げ惑うという事件まであったらしい。ちなみにこの冗談のような噂話には、そのとき視察に訪れていた戦略自衛隊のお偉方が、真っ先に泡を食って逃げ出したというオチがつく。
 とはいえ、十年二十年先の実用化を目指して開発はいまだに継続されており(官僚組織特有の「一度決定されたことはよほどのことがない限り撤回できない」という事情はあるにせよ)、その存在は軍機とされている。
 よって、半ば以上ネルフの軍人と化しつつといっても、正式には国連軍所属である加山たちには、トライデント級に関して何事か口にすることはできなかった。
 代りに加山は、冗談と解釈したように笑って見せて、冗談を口にするかのようにこう答えた。

「まあ、仮に戦自が何らかの秘密兵器を開発しているにしても、現時点では使い物にならないでしょう。第一、実戦で性能が証明されたものでない限り、戦力に数える訳には行きません」
「道理ですね」

 葵も苦笑混じりに答え、その後はエヴァ二機の連携を前提とした作戦草案について討議が交わされた。

 

 

 碇シンジの期待は半ば報われ、半ば外れた。
 翌日、ミサト、リツコの立ち会いのもとで顔を合わせたセカンド・チルドレンは、彼があれこれ気を使うまでもなく熱心に戦うであろう人間であったが、それ以外の面ではいささか問題を残すタイプであることもまた歴然としていたからだ。

「紹介するわ。彼女がセカンド・チルドレン――」
「惣流・アスカ・ラングレーよ。よろしく」

 ミサトの台詞を遮るように、赤毛の少女は昂然と胸を張って名乗りを上げたものだった。彼女の態度は、職務さえこなしている限りにおいては礼法に関して寛容な部分のあるネルフにおいてすら、上官に対する非礼として謗られるだろう行為であったが、ミサトは苦笑して何も言わない。彼女はこの点、実に寛容な上官だった。

「で、彼女がファースト・チルドレン、綾波レイ。男の子の方がサード・チルドレン、碇シンジ君」
「…………」
「はじめまして、碇シンジです」

 レイはいつもの如く無表情を貫き、シンジは当たり障りのない挨拶をする。
 アスカは「ふふん」と鼻を鳴らし、つかつかとレイに歩み寄り、

「ま、仲良くしましょ。総本部のエースさん?」

 どう善意に解釈しても友好を求める態度ではなかった。総本部の、とわざわざ限定している表現からして、本心があからさまだった。これまでレイが主力扱いされていたのは自分がいなかったからだと主張している。
 これまたわかりやすい子ね、と傍から見物していたリツコは呆れた。実際に会ったのは初めてだが、セカンド・チルドレンに関しては前々から書類でその能力・人格を確認しているし、いろいろ噂を聞いてもいる。何せ親友にして同僚のミサトが、第三使徒襲来の直前までドイツ支部に配属されており、アスカとは顔馴染の間柄だったのだから。
〈天才〉惣流・アスカ・ラングレー。
 誰もがその異名の正当たることを認め、賞賛したセカンド・チルドレン。
 ドイツ支部時代の評判は決して悪くはない。ただし、現場の職員は、いささか彼女に手を焼いてもいたという。
 理由はいうまでもなく、勝気で自信家に過ぎる性格だ。何を言われずとも熱心に訓練に勤しむ反面、少しでも「自分に相応しくない」扱いをされると、声高に不平不満を鳴らしたと聞いている。
 とはいえ、それも表立った問題にはなっていなかった。正直なところ、分別を心得た大人にとって、アスカの過大な自信は微笑ましいほどのものであったし――ドイツ支部の職員は、アスカが小学生の頃から接しており、「精一杯肩肘を張る童女」という印象を今に至るも抱き続けていたという事情もあるが――、現実に彼女の示した成績と、文句をいいつつ何事にも決して手を抜かない態度そのものはむしろ模範的とすらいえたからだ。

「…………」

 レイは相変わらず、静物でも眺めるような視線をアスカに送っている。
 反応に困っているというより、答える必要を認めていないからのようであった。彼女の価値観からすれば、実戦で作戦通りに働いてくれるなら、仲良くする理由などあるはずはないし、そもそもこうした顔合わせの必要すら覚えていないのだろう。
 見事なまでに無の反応を返す彼女に、アスカは眉をひそめ、

「ちょっと、聞いてるの?」
「……ええ」

 レイはようやくのことでうなずいた。
 アスカは本格的に顔をしかめ、

「なら答えなさいよ。こっちが仲良くしようっていってやってるのに」

 いってやってる、とはまさによくいったものだが、レイは気にも留めなかったようだ。

「……命令なら、そうするわ」
「はあ?」

 さすがに、アスカは純粋に当惑に満ちた声を上げた。こればかりは彼女の方に理があるといえよう。パイロット同士仲良くしようという内容そのものはむしろ当然の提案だからだ。態度が大上段なので気に食わないからというならともかく、命令がなければその必要を感じないというレイの思考の方が、はっきり非常識といえる。この場にいる他の面子にとっては馴れたものだが、初見のアスカには十分に当惑に値するものだろう。
 リツコはちらりとシンジの表情を確認した。さすがの彼も笑いを噛み殺しているかのようでもある。ミサトはというと、頭を抱えかねない表情だった。誰の目から見ても明らかなことに、ファースト・チルドレンとセカンド・チルドレンの相性は最悪に近かった。

「……か、変わった子ね」

 アスカはそう呟きながら気を取り直した様子で、

「で、あんたがサード?」

 さしあたりレイの方は気にしないことに決めたらしく、今度はシンジに向き直った。

「一応、書類上はそうなってるよ。惣流さん」

 いつもの通り、シンジは如才ない表情でうなずいて見せる。
 レイとは対照的なその物腰に、アスカは表情を和らげ、

「噂は聞いてるわ。災難だったらしいわね」

 意外なほど柔らかな声音で、そういった。

「過ぎたことだよ。ネルフにもいろいろ考えがあったんだろう」
「ふーん? ま、今後はあんたが駆り出されることなんてありえないから、その点は安心していいわよ」
「安心してるよ。僕も、先日の海上での戦いは記録映像で拝見した」

 打って変わって、和やかですらある対話であった。
 リツコは正直意外に思った。パイロットたることに過大な自負を抱いているアスカのこと、シンクロできないパイロットであるシンジに対しては、もっと侮蔑をあらわにするかと思っていたのだ。
 いや、逆か、とリツコは考え直した。シンクロできないからこそなのだ。レイと違って、シンジはどうあがいてもアスカのライバルたりえない。であれば、同情も素直にできる(敵愾心を抱く理由がないといってもいい)。それに、シンクロ率1%未満のパイロット――それも息子――を死地に放り出した碇ゲンドウの暴挙は、支部の方でこそ声高に噂されているはずだった。それを侮蔑だけで見るような了見は、アスカも持ち合わせていないということだろう。

「まあ、僕は形ばかりの同僚ということになるわけだけど、形ばかりなりに微力を尽くすつもりもある。よろしくお願いするよ」
「こちらこそ。あんたはなかなか話がわかるタイプのようだし」
「恐縮だね」

 明朗そのものの態度でアスカに接している彼を眺めながら、リツコは胸の奥で失笑を噛み殺した。
 ――役者が違うわね。
 内心で、そう断定する。
 彼女はミサトに目線で「もういいかしら?」と訊ね、うなずきが返ってくるのを確認してから、

「では、この場はここまでにして置きましょう。レイとアスカはシンクロテストの予定が入っているわ」
「えー? あたし、昨夜に到着したばかりで疲れてるんだけど」

 さっそくアスカが不平を鳴らす。初対面の技術部長相手にも臆したところはない。もちろんリツコの方では取り合うつもりなどなかった。

「悪いわね。到着したばかりだからこそ、こちらとしても実地で貴方のデータを確認しておきたいの」

 必要以上に冷然とした声音だったかも知れない。だが、その内容はアスカのプライドを刺激した。

「……OK。そういうことなら構わないわよ」

 評判に相応しい能力を実地で示して見せろ。そういわれたのだと受け取ったアスカは、リツコの予測通りにうなずいた。

 

 

 一時間後に行われたシンクロテストで、惣流・アスカ・ラングレーはたしかにその異名に相応しい才能を示した。
 テストプラグの示した数値は最高シンクロ率にして70%。レイの最高シンクロ率が先日ようやく50に届いたばかりなのを考えれば、まさに恐るべき実力といえる。
 立ち会っていたミサトはもちろん満足した。先だって、共同作戦会議の席上で大神大尉が言明した如く、弐号機の加入は単純に使える戦力が倍になったというだけではない。対応できる戦局、戦術の幅、その効果が数倍に膨れ上がるのだ。
 唯一の難点は、命令にどこまでも従順なレイとは違い、アスカは間違っても唯々諾々と服従する型のパイロットではないということだが――その点についても、ミサトはそれほど心配していない。
 ドイツでの付き合いから、アスカが口ではどういっても、命令に明確に反抗した事例がないことを彼女は知っていた。自信過剰な物言いとは裏腹に、ある意味でアスカほど自分の立場をよく知っている人間もいない。もともと知性には恵まれている少女なのだ。
 暫定的な方針としては、アスカを決戦用の主力として扱い、レイには砲撃支援・陽動といったサポート的な役回りに徹してもらうことをミサトは考えている。二人の能力からすればまさに順当な配置であって、これならば尚更アスカとしても異論を唱えるはずがないし、功名などに微塵の関心もないレイは黙々と地道な脇役をこなすだろう(それに実のところ、そうしたサポート的な役回りの方が、堅実な技術や経験を必要とする)。その意味では、この二人は実に理想的なコンビではあった。

「テスト終了。パイロットは控え室に戻って下さい」

 この場にリツコがいない故、テストの責任者となっているマヤが、幾分緊張した声音で告げた。若いながらその実力を買われて、赤木リツコの右腕といってもよいポジションにいる彼女だが、数十人のスタッフを取りし切るにはまだまだ経験が不足している。より端的にいうならば威厳が足りないというわけで、態度も口調も必要以上に堅くなっていた。
 ミサトは思わず苦笑する。
 このところ、リツコはシンクロ・テストに立ち会わないことが多い。何やら司令から命じられて新たな計画に取りかかっているという話もあるが、実際の彼女が今何をしているか、ミサトはしっかりと把握していた。
 取り立てて反感は感じていない。むしろ好意的な驚きすら覚えていた。
 あのリツコが、こうも誰かに入れ込むとは――理系の異才同士で通じ合うものがあったのかしらね、と彼女は考えていた。

 

 

 ミサトの観察はいくらか通俗的で、気楽なものではあったが、それは大部分において真実をついていた。
 シンクロテストの本来の主役たるべき技術部長は、己の執務室にいつもの客人を迎え、テーブルを挟んでコーヒーをすすっていたからである。卓上にはいつものチェス盤と駒が鎮座していた。

「セカンド・チルドレンの感想はどうかしら?」

 カップをチェス盤の脇に置きながら、彼女は訊ねた。

「予想していたよりも、いささか個性の強い人ですね。才気が表に出るというタイプのようですが」

 シンジもまた、コーヒーをすすりながら答えた。
 恒例のチェス勝負は、既に終了している。この日はリツコの勝利――トータルでの戦績はどうにか五分五分といってよいが、最近はリツコが勝ち越しつつある。度重なる勝負の末、シンジの戦術のパターンをあるていど読めるようになった、その結果だ。我流の限界というべきだろう、チェスに限らず何事も個人の才覚のみで到達できる領域には歴然とした限界がある。所詮は単一の思考に縛られているため、多極性、多様性に欠けるのだ。シンジはたしかにある種の異才だが、それだけで経験の欠如を埋めるのは容易でない。リツコとてプロのチェス・プレイヤーというわけではないが、教養の一環として教本を読んだことはあるし、何より彼の倍以上の人生経験がある。
 もちろん、だからといって楽勝というわけではなかった。碇シンジの戦術パターンを、これまでもリツコは何度となく解析し、戦績を優位にして来た。そしてその都度、彼はいくらかの敗北と引き換えに新たな戦術パターンを身につけ、戦績を五分に戻している。リツコを教本として、戦術の幅を広げているのだ。彼女が彼を高く評価する理由の一つも、そこにある。

「仲良くやれそう?」

 まるでミサトのようなことを訊ねたリツコに、シンジは柔らかく微笑した。

「もちろん。根はいい人みたいですからね」
「よくいうわね、本当に」

 心底呆れ返ったように彼女は答えた。
 アスカは、シンジに対して意外なほど温厚で同情的な態度を見せた。
 彼女本来の気質として、そうした面倒見のよさ、親切さがあるのはたしかだろうが、この場合は奥底に歴然たる優越感が存在していることも疑いない。シンクロできないパイロット、形ばかりのチルドレンを見下しているからこそ、慈悲深くあろうとしているのだ。
 そしてもちろん、シンジの方でもそのことを見透かしている。
 アスカのような人間は、彼にとってはもっとも手玉に取りやすいタイプだ。感情的で、かつ己を見下してくれる。それは、ある種の狡猾さを備えた人間にとって、カモと同義語になる。
 いささか興味深いのは、だからといって碇シンジがアスカを軽んじているわけでもないということだった。それどころか、彼女の才能を誰よりも高く評価している一人だろう。いささか問題のあるあの性格も、言葉通り才気の現れとして好意的に受け取っているようですらある。
 つまり彼は、人との付き合い方を一種のビジネスのように見立てており、事実に基づく同情・温情を商売道具として活用はしても、それをもって自分が相手より優位にあるなどと考えはしないのだ。健全な商売人の感覚とでもいおうか、双方にとって満足の行く利益を得られることを第一義においている。彼はアスカとの友誼で得られるメリット――主にネルフ内での立場の補完、職場環境の改善――を満喫しつつ、彼女には天才パイロットの令名に相応しい優越感を提供し、良好な関係を築いて行くだろう。実に彼らしく、あざとい、しかも賢明なやり口で。
 しかし、とリツコは考えた。彼の方はそれでいいのだろうが、こちらとしてはあまり愉快ではない。
 ――付けっぱなしにしていた端末が、目覚し時計に似た電子音を立てた。
 ちょっとごめんなさい、と一言断わって、リツコはデスクに移動し、キーボードをいくつか操作する。マヤからシンクロテストの結果を示すレポートが送信されてきていた。
 ざっとその内容を確認してから、パスワードを設定して保存しておく。
 内容そのものは、特に彼女の気を引くものはなかった。作戦運営に責任を持つミサトとは違い、この種のデータにおけるリツコの関心はあくまで技術的な観点に拠る。ドイツ支部から提出された各データとまったく矛盾しない今回のテスト結果は、例えそれがいかに優れたものであったとしても、予想通りという以上の意味合いはなかった。

「シンジ君、今日は少し、時間はあるかしら?」

 リツコは白衣を羽織りながら訊ねた。シンクロ・テストが終わった後は、パイロット、作戦部長を交えたちょっとしたミーティングが行われる。テスト結果を元にした分析、それに基づくパイロットへの注意や勧告なども行われるので、こればかりはそうそう欠席する訳にはいかない。

「明日は休日ですからね。多少、遅くなったところで問題はありませんが」
「それじゃ、待っていてもらえる? ミーティングが終わってからも、少し用事があるから」

 いいながら、彼女はデスクの脇に用意していた数冊の本をシンジに手渡した。数日前に彼から頼まれていた専門書だ。リツコがかつて提示した「課題図書」、それを理解するために必要な資料として彼が要求したものである。

「これを読んで時間を潰すといいわ。それと――」

 リツコは懐を探り、一枚のカードを取り出した。

「技術部の図書資料室のパスカードよ。C級以下の――、市販されている類の専門書については無制限の閲覧と貸し出しが許可されているから、今後は自由に本を借りてもらって構わない」
「……どうもありがとうございます」

 悲喜こもごもといった複雑な表情でシンジは礼をいう。リツコの配慮に心から感謝しつつも、彼女がさらなる「課題」を追加する可能性について想像しているのだろう。
 ――そしてその危惧はまったくのところ正しい。
 リツコはにっこり微笑んで、踵を返した。
 彼女の脳裏には、セカンド・チルドレンが示した碇シンジへの軽侮と、十四歳にして大卒というその経歴が思い起こされていた。

 

続劇


戻る

 

inserted by FC2 system