闇夜をさらに分厚く閉ざす雷雲――殴りつけるように降りそそぐ雨。
 時折走る稲光だけが、モニタに煌いていた。

「光学観測も音響探査も――レーダーすらも! すべてブラックアウトしてます!」
「偵察衛星の映像は!?」
「この天候では無理です!」
「厚木に応援を呼べ! 即座に動かせる航空機をすべて寄越せと――電子戦機能を持った偵察機を必ず含むようにと付け加えろ!」

 悲鳴のような報告と命令が、その場における混乱を表していた。

「参号機との回線は!?」
「いまだ復旧しません!」
「応答が来るまで呼びかけ続けろ! くそっ―― 一体何が起こってやがる!?」

 何かを呪うような表情の基地司令の、その後半の台詞は、この場における全員の内心を見事に要約していた。

「鈴原中尉、応答して下さい、鈴原中尉!」

 通信回線に呼びかけるオペレーターの声が、空しく響き渡る。

「司令、これはまさか……」

 幕僚を務める大佐が、青白い顔を引きつらせて司令に囁いた。

「……『まさか』、何だ」
「――使徒の、再来では」

 怯えたようなその推測に、司令は表情を若干落ち着かせ、やはり声をひそめて答えた。

「……十年も前に滅びた亡霊が、化けて出たというのかね」
「司令もご記憶のはずです。現行のいかなる観測機器をも遮断する存在など、使徒以外ではありえません」
「思考停止のようにも聞こえるな。不条理があればすべて使徒の仕業、か?」

 優しいほどの声でそう窘めながら、司令は過去の記憶を探っていた。
 彼がいまだ佐官の参謀将校であった頃、幾度となく味わった感覚。
 それは、ヒトの無力さというものを――種としての未熟さというものをまざまざと思い知らせてくれた、軍人にとっての絶望の記憶であった。

「……滅多なことをいうな。今になって使徒が現れたなどということになれば、大騒ぎになる」

 司令はかろうじてそういった。
 内心はしかし、その正反対だった。今更進言されるまでもなく、彼はずっとその可能性を考慮していたのである。
 そうであるからこそ、正体不明の敵性体に対して、虎の子のエヴァ参号機を出撃させたのだ。

「ともかく、状況を掴むのが先決だ。生き残った戦車で偵察部隊を編成して――」

 そう提案しかけた、まさにそのときであった。
 発令所全体が、急に明るくなったような感覚があった。
 錯覚ではない。
 それまで漆黒に覆われていた大型モニタが、息を吹き返したのだ。

「観測機器が回復しました! 解析画像、主モニタに回します!」

 ほっとしたようなオペレーターの報告。
 モニタの映像が一瞬、ノイズが走ったようになり、そしてそれまでまったく掴めていなかった基地周辺の映像が映し出された。
 ――そして、次の瞬間、魂を抜かれたような驚愕の呻き声が唱和した。

「なぁっ…………!?」

 各種のレーダーや観測機器のもたらす情報を元に、メインコンピューターによる修正が加えられ、闇夜の風雨の中であってもまず判別不可能なていどに明瞭化されたモニタの画像。
 その中に、一体の巨人が映し出されている。
 それは彼ら国連軍の、否、人類の生み出した最終決戦兵器。
 十年前の使徒戦争において、人類側を勝利に導いた生ける伝説。
 現代の英雄たる〈五人のチルドレン〉、その一人が駆る、人類社会最大最強の軍事力。
 ――人造人間エヴァンゲリオン、その参号機。
 今、モニタの中で、それはあまりに無惨な姿をさらしていた。
 右肩の付け根から削ぎ落とされた上半身。
 叩き潰された頭部。
 下半身はほぼ完全にぐしゃぐしゃで、その残骸めいた肉片が腰の下にくっついているようなものでしかない。
 その全身を鎧う一万二千枚の特殊装甲は、劣化したプラスチックか何かのように亀裂が走り、内部の素体を――ズタズタに引き裂かれたそれを――覗かせている。
 そして、その胸部に位置する紅色の球体――コアと呼ばれる機体の核は、完全に破壊され尽くしていた。

「パ……パイロットは!? 鈴原中尉はどうなっている!?」

 忘我の数瞬の後、逸早く立ち直った基地司令が怒鳴りつけるようにいった。
 弾かれたように応じたオペレーターの一人が、手元の計器を確かめ、完全な絶望の呻き声を立てる。

「プ、プラグ全壊……パ、パイロットの……」

 歳若いそのオペレーターは、何か信じられないものを口にする声で続けた。

「パイロットの生命反応……ありません……」

 誰も何も答えなかった。
 基地司令すらも例外でなく、静まり返っていた。

 

 ――2025年八月。
 亡霊は甦り、悪夢が始まった。

 

 

 

 

 

女神たちの晩夏
case 1: 4th Children 〈城壁〉 鈴原トウジ

七瀬由秋

 

 

 

 

 

 

 その日、惣流・アスカ・ラングレーはかなり上機嫌で宿泊しているホテルに戻ってきていた。
 彼女は国連軍の予備役中尉であると同時に、日本の第弐新東京にある国立大学に助手の身分で勤めている。専攻は生体工学で、この分野においては学界のホープと目される若手学者の一人だ。
 一週間前からニューヨークに滞在しているのは、そこで行われた学会に参加するためだったが、職務上交友のある研究機関を訪れ、いくつかの実務をこなしておく目的もあった。
 もっともアスカにして見れば、学界や職務云々よりも、訪問先の研究機関に就職した大学院時代の友人と会うのが主な目的ではあった。この日は、およそ三年ぶりに会ったその友人が職場の同僚と婚約したという事実を知らされ、ちょっとした同窓会改め祝賀会と洒落込んだのが、彼女の上機嫌の理由となっていた。
 翌日の午後に仕事が入っていたため早めに切り上げて戻ってきたのだが、そうでなければ一晩かけて飲み明かしていたかも知れない。アスカはかなり酒に強い方だったし、めでたく婚約したその友人――飛び級を重ねて大学院に進んだアスカに、分け隔てなく接してくれた数少ない理解者――もまた、酒豪といってよかった。
 口から微量のアルコール分を吐きつつフロントで鍵を受け取ったとき、受付のスタッフが思い出したようにいった。

「そういえば、ミス・惣流。本日、何件かお電話が入っておられましたよ」
「誰から?」
「碇様、渚様とおっしゃられました。お帰りになられたら連絡を下さるように、と」

 あらら、とアスカは小さく呟いた。声音に濁りのない喜びがあったのは当然のことだ。それは彼女にとって、かけがえのない時間を共に過ごした戦友の名――とりわけ一方に関しては、淡く切ない想い出に直結する名であった。

「それと先程、お知り合いの方がこちらへ訪ねて来られました」
「誰? 電話してきた奴?」
「いえ、加持リョウジ様と名乗っておられましたが」

 立て続けに現れた懐かしい名前に、アスカは驚いた。加持リョウジ――少女時代の彼女が憧れ、慕っていた相手だ。護衛にしてお目付け役が本来の職分であったが、そうした枠を越えてよき兄貴分として付き合ってくれた彼に、かつてのアスカは心ときめかせたものだ。

「さっきって、いつのこと?」
「つい十五分ほど前でございますが、ミス・惣流がお戻りになるまでロビーで待つと……」

 そこまでいってから、受付係はふと彼女から視線を外し、「ああ」と驚いたように呟いた。
 その目が自分の背後に向けられているのを見て取って、アスカは振り向く。
 ――懐かしい顔が、そこにあった。

「よう、アスカ。久しぶりだな」
「加持さん! どうしてここに?」
「いや、まあ、ちょっとな」

 曖昧に答えてから、加持は「すまん、ちょっと話がある。部屋までついていっていいか?」と訊ねた。
 もちろんアスカに否やはない。妙齢の女性として、肉親でもない男性をホテルの部屋に招くというのはそれなりに緊張すべき事態かも知れないが、彼女はその種の疑心とも期待とも無縁だった。加持リョウジはかつて女好きなどと評された時期もあったが、結婚して以後はかなりの恐妻家として知られるようになっている。それに、もともと女好きというのは彼一流の演技であって、本来はストイックなほどの紳士であるという事実を、アスカは少女時代から知悉していた。

「久しぶりねー。ミサト、元気にしてる?」
「元気過ぎて困るくらいだな。女房が上官というのも、神経使うよ」
「嘘ばっかり」

 互いに思い出話を弾ませながらエレベーターに乗り、部屋に着く。
 クローゼットに上着をかけ、荷物を置いてから、彼女は備え付けのソファに座って加持と向かい合った。

「――で、どうしたの? ネルフ絡み?」

 スイッチを切り替え、明晰な口調で問う。
 ネルフ――それはもう思い出の中にしか存在しない組織名だ。
 エヴァンゲリオン五機を開発・保有し、五人のパイロットを擁して使徒と称される敵を駆逐した迎撃組織。
 歴史に残る使徒戦争の当事者であり勝利者。
 エヴァ弐号機専属パイロットであった惣流・アスカ・ラングレーにとって、もっとも熱く激しかった日々の象徴。
 ――特務機関ネルフ。今やその役目は終わったと断じられ、とうの昔に解体された過去の栄光。

「…………」

 加持はしばし、沈黙した。
 数瞬の間目を閉じて、彼女の顔を正面から見据える。彼を彼たらしめている飄々としたスタイルを完全に脱ぎ去った表情だった。
 アスカは何とはなしに、嫌な予感を覚える。

「――アスカ」

 やがて、加持はいった。

「落ち着いて聞いて欲しい。――鈴原トウジ君が、亡くなった」

 

 

 ――西暦2000年九月、セカンド・インパクトと呼ばれる人類史上最悪の大災害が勃発する。
 当時の人類の半数以上が死滅したこの大災害は、南極に落下した隕石が原因であると発表されたが、その真実が南極で発見された一体の生命にあることは、各国政府の首脳にとっては公然の機密であった。
 アダム。そう名づけられたその生命は、生物史に現れたあらゆる生物の特性を含みながらそのいずれにも当てはまらない、奇怪な生態を有していた。
 セカンド・インパクトは、国連による調査団がアダムの生態にメスを入れた瞬間、生じたのである。
 さんざんな苦労の末にセカンド・インパクトの破滅を乗り切った各国政府は、アダムを共同管理下に置くことに合意――しかし、事件はこれで終わることはなかった。
 南極大陸の各所にアダムと類似した生命体が〈冬眠〉していた事実が、このとき明らかにされたのだ。
 恐怖の予想を裏付けるように、セカンド・インパクトより三年後、〈冬眠〉していた生命体の一体、後に第二使徒リリスと名づけられたモノが覚醒する。
 アダムによるセカンド・インパクトの衝撃をまざまざと記憶していた当時の各国首脳は、即座にリリスへの攻撃・殲滅を決定、国連軍の全力をもって戦闘を開始する。
 ――結果は、四個軍が文字通り全滅、戦死者百万以上という数字であった。使用されたN2兵器は総計十四基。これをもってすらリリスを完全に殺し切ることはできなかったという事実に、各国首脳は恐慌に陥った。リリスは全身の七十パーセントを吹き飛ばされ、活動停止に陥りつつも、なおも生存が確認されていたのだ。
 ただし、この対リリス戦にまったくの収穫がなかったかといえば、そうでもない。
 リリスという使徒には、一つの習性があった。
 明らかに、アダムを――セカンド・インパクトでエネルギーを使い果たしたらしく、一種の休眠状態にあるとされ、爆心地跡で管理(放置)されていた――を目指して行動していたのだ。
 同族による共鳴なのか何なのか、理由は判然としない。
 当時の首脳陣にとって重要だったのは、その結果もたらされるであろう現象であった。
 国連の調査団がアダムの生態を調べたとき、その成果の大半はセカンド・インパクトによって消滅していたが、それでもいくつか残された資料から、大災害を引き起こした理由はアダムのエネルギー器官――S2機関が暴走したためと推測された。
 もし、二つのS2機関が接触・共鳴した場合、それは互いの出力を天井知らずに跳ね上げ、今度こそ地球が吹き飛ぶほどのエネルギーの奔流が起きかねないとするシミュレーションが提出されたのだった。
 それを知らされた人々は蒼白になった。
 南極大陸において〈冬眠〉している使徒の数は、発見されているだけで十以上。しかも、発見されているだけしか使徒が存在していないと考えるのは余りに楽観的な判断だった。
 そして人類は、そのうちの一体の活動を封じるだけで、百万以上の人命と装備を費やしている。
 もしも今後、〈冬眠〉から覚醒した使徒を殲滅するのに同様の戦力が必要とされると仮定した場合、二戦もすれば完全に軍事力も経済も枯渇してしまう。否、現実は、対リリス戦で負った損害から立ち直るだけでも十年以上が必要と判定されていたのである。
 この時点で、列国の為政者が自暴自棄に陥らず、地道な国力・軍事力の再建に勤しみ続けた事実は、素直に賞賛されてよいだろう。もっとも実際は、目先の課題にしがみつくことで必死に破滅の未来から目を逸らしていただけなのかも知れないが。
 ―― 一つの打開策が示されたのは、西暦2005年のことである。
 国連傘下の研究機関、人工進化研究所が、後にいうE計画の草案を提出したのだ。
 これは、アダムないしリリスのクローンを作り上げ、これに機械化処置を施すことで一種の有機ロボット兵器に仕立ててはどうか、とするものであった。
 蛇を討つには蛇、使徒を討つには使徒、というわけである。
 他に打つ手を見出せなかった国連上層部はこれに飛びついた。数千万人(ことによると一億人以上)の兵士からなる大軍隊を編成し、それに応じた天文学的物量の武器弾薬を揃えるよりも、まだしも展望があるように思えたのだ。
 時の欧州政財界の重鎮、ローレンツ財団総帥キールがこれを後押ししたこともあり、計画は実働した(キール・ローレンツがそうした行動に出たのは、遺伝子工学分野において抜きん出ていたアメリカ諸企業を出しぬく目的があったともいわれている)。
 人工進化研究所はスタッフと予算を大幅に増員された上で「特務機関ネルフ」の呼称を与えられ、対使徒迎撃戦の全責務を負うこととなったのだ。
 かくして、おびただしい失敗と試行錯誤の末、その後十年の間にネルフは三機の有機ロボット兵器――人造人間エヴァンゲリオンを完成させる(後に、さらに二機が開発され、実戦投入された)。
 その他にも、使徒の習性を見越して、休眠状態にあるアダムとリリスを日本に運び込み、一種の要塞に仕立て上げた都市で覚醒した使徒を迎え撃つ、そういう体制も形作られた。
 ちなみに、日本が対使徒迎撃戦の決戦場に選ばれた理由は、実に皮肉なものであった。
 極論してしまうなら、対リリス戦で壊滅した国連軍諸部隊の中に、日本人兵士が皆無に近かったためだ。もとより戦争を嫌うお国柄、日本政府は自衛隊を前線に出すのではなく予算の数割を負担するということで了解を取り付けていたのだが、対リリス戦後、自国の兵士を大量に失った各国は見事に掌を返して日本を非難した。日本人は金を出すだけで、血も汗も流さない――そういう、お馴染みの非難の合唱に日本は取り囲まれていた。
 現実問題として、日本が戦略自衛隊という良好な兵力を保有していたのに対し、他の先進国の軍事力は実質半壊状態であったから、主決戦場として選定されたのもあながちただの嫌がらせとも言い切れない。何より、セカンド・インパクト以来、民族紛争や独立問題などで頭を悩ませていない先進国といえば、東洋の平和ボケした島国にして単一民族国家たる日本くらいのものであった(雑多な移民や人種を抱えたアメリカは頻発する暴動・人種間抗争を抑えるのに必死であったし、欧州ではEUが事実上形骸化して深刻な物資不足が始まっていた。ソヴィエト・ロシアや大陸中国に至っては、各地の民族が独立を求めて蜂起し、実質的に統一国家としての体を成していなかった)。
 むろん日本は日本なりに治安や経済面で問題を抱えていたのだが、国連の主要各国はそれは無視するに足る問題であると断定した。
 日本にとってはよい迷惑であったが――結果からいえば、これらの戦略は見事に成功した。
 後に使徒戦争と通称された2015年から2017年までの二年間、覚醒し来襲した使徒は二十五体。
 ネルフはそのことごとくを殲滅した。
 その主戦兵器たるエヴァンゲリオンのパイロットを担ったのは、開戦当時十四歳の少年少女たち――エヴァは極端にパイロットを選ぶ兵器で、彼らでなければ起動すらできなかったのだ。
 エヴァ零号機専属パイロット、ファースト・チルドレン〈狙撃手〉綾波レイ。
 エヴァ弐号機専属パイロット、セカンド・チルドレン〈天才〉惣流・アスカ・ラングレー。
 エヴァ初号機専属パイロット、サード・チルドレン〈怪物〉碇シンジ。
 エヴァ参号機専属パイロット、フォース・チルドレン〈城壁〉鈴原トウジ。
 エヴァ伍号機専属パイロット、フィフス・チルドレン〈魔術師〉渚カヲル。
 ――以上五名、〈五人のチルドレン〉。
 このうち、綾波レイは使徒戦争終盤に病で没したが、生き残った四名が人類救済の立役者として生ける伝説となったのだった。

 

 

 日本へ向かう飛行機、その窓から雲海を眺めつつ、アスカは十年前を思い出していた。
 過酷という表現すら通り越した使徒戦争。
 常軌を逸した敵に、常軌を逸した兵器をもって抗うことを担わされたのは、当時十四歳の子供たち。
 ネルフの見出した二人目のパイロットであり、それゆえに十分な訓練を積んだ後に実戦に出たアスカにとっても、それは苦闘に満ちた日々だった。
 エヴァは、機体の有機神経とパイロットのそれとを接続、それによって操縦を行うというシステムであったため、機体の損傷は痛覚への刺激となってパイロットにも伝わった。時には感覚情報の過剰なバックロードが生じ、最悪、パイロットの精神を破壊する危険すらあったほどだ(訓練よりも純粋に体質的な適合性が重要なこのシステムゆえ、エヴァは極端にパイロットを選ぶ兵器となった)。
 それが故に、精神が崩壊される一歩手前まで行ったこともあったし、瀕死の重傷を負ったことも幾度かある。
 人類など滅びてしまえとわめきたくなったことも、数え切れない。
 訓練で示した抜群の成績から、ジーニアス――〈天才〉などと称されたアスカでさえそうだったのだから、戦争が開始されて以後に徴集されたサード以降のパイロットたち、ろくな訓練もなしにただエヴァに乗れるというだけで実戦に放り込まれたパイロットたちが味わった苦痛がどれほどのものであったかは、想像を絶する。
 鈴原トウジはアスカにとって、そんな日々を共に過ごした仲間の一人だった。
 単純で不器用で無鉄砲。しかし、ある種の勇気と潔さを持ち、対使徒戦では進んで僚機の盾となった。
 グレート・ウォール――〈城壁〉という異名はそれゆえだ。
 戦闘技術やシンクロ率の面でははっきりいって五人中最下位ではあったが、だからこそ彼は弾除けの捨石として使い潰される自分を受け入れた。
 アスカ自身、何度トウジに助けられたか覚えていない。
 そのくせ本人は、「ワシにはこれくらいしかできんからな」といつも笑っていた。
 仲間を庇って死にかけるほどの重傷を負っても、「ワシはその何倍もお前らに助けられとる」と、本気でいっていた。

『――彼を殺したのが何物かは、今もって不明だ』

 昨夜、加持リョウジは咎を受けた罪人の表情でそういった。「嘘」「何故あいつが」「どうして」と取り乱したアスカの、やつあたりに近い混乱を、無言のままに一通り受け入れてからのことだ。

『わかっているのは、エヴァと正面から戦って、これを撃破できるほどの戦闘能力を持っているということ。レーダーなどの観測機器の一切を遮断する手段を持っていること……これだけしかない』

 まさか使徒が再び――とは、すでに国連軍でも検討された意見であったらしい。
 しかし使徒ならば、現在は第弐新東京の研究機関に封印されているアダム・リリスを目指して行動するはずだ。
 姿なき襲撃者は、明らかにエヴァ参号機を狙って、その配備されている基地へと攻撃をしかけていた。
 ……そして参号機を完全破壊し、鈴原トウジを戦死させた後、すみやかに去っている。
 この種の明確な目的意識は、使徒にはなかったものだ。

「…………っ」

 アスカは唇を噛んだ。
 鈴原トウジの妻のことを思い起こしたのだ。鈴原ヒカリ――旧姓洞木ヒカリは、五人のチルドレンにとっては中学時代の同級生であり、アスカにとっては無二の親友に当たる。
 たしか夫妻の間には、娘が一人いたはずだ。
 彼女たちは、どれほど嘆き悲しんだだろう。ようやく平和になり、幸せな人としての生涯を満喫し始めた、その矢先だったというのに。
 アスカは窓から目を逸らし、瞼を強く閉じて上を向いた。
 そう――そういえば自分は、トウジの葬儀にも出てやれなかった。
 その年齢もあり、当時のチルドレンについては完全な情報管制がなされ、彼らの名前と存在は世に秘されている。しかし、政府や軍の関係者にとって、使徒に――百万の軍をもってすら倒し切れなかった敵性体に――勝利したエヴァとそのパイロットの存在は、地上最強の軍事力の代名詞として明確に認識されている。使徒戦争が終わった後、彼女たちを巡って各国間で強烈な綱引きが行われたほどだ。
 故に、トウジの死は慎重に秘匿され、同僚であったアスカにも四日経ってからようやく伝えられたのだった。通夜と葬儀は近親者のみを集めてすでにすませられている、と加持は沈痛な顔でいっていた。
 アスカはしばしその姿勢のまま呼吸を止め、瞼の端に滲みかけた涙を拭った。
 大きく息を吐き、機体の天井を睨みつけるようにして目を開いてから、彼女は低く呟いた。

「……許さない」

 何物であろうと知ったことか。
 そいつは〈五人のチルドレン〉の一人を、惣流・アスカ・ラングレーの戦友を殺した。
 ならば彼女のやるべきことは決まっていた。
 草の根分けても探し出し、叩き潰す。
 生まれてきたことを後悔させてやる。鈴原トウジを殺したことが、とてつもない過ちであったと思い知らせてやる。
 そう、自分たちは神の遣いをも撃ち破ったチルドレン。
 それを殺めたモノを、許す道理はない。

 

to be continued.


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後書き

 懲りずに新作開始。いや、Moon Phaseの新章がいまだに書き上がらんので、せめてもの埋め合わせに蔵に入れていた半完成品を出してみたというのが楽屋裏の真実なんですが(おい)。
 一応、短期集中連載として考えてますので、早いうちに完結させます。
 目算としては五話か六話ていどにおさまるかと。
 あ、ちなみに、作中でも説明してますが、今作における使徒戦は原作とは設定がまったく別物です。
 人類補完計画もありませんでしたし、ゼーレも存在しません。
 一種のパラレル・ワールドにおけるアフター物とお考え下さい。

 

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