ひゅん、と音を立てて、よく研がれた包丁が額をかすめて落下した。
 ごめん、手が滑った、と詫びの言葉。
 応じて、怪我はないから、と笑いを含んだ声。
 二人顔を見合わせて、軽やかに笑い合う。
 まったくドジよね、と惣流・アスカ・ラングレーがいって。
 碇シンジは肩をすくめる。
 そこで肯定する? と彼女がいって。
 彼はさらに肩をすくめて見せる。

 

 それはただそれだけの、食事前の光景。
 けれども、少なくとも彼だけは、己の白々しさを自覚していた。

 

 

 

 

 

 

 

Labyrince

“飛ぶ鳥の夢を、もう見ない”

七瀬由秋

 

 

 

 

 

 

 鼓膜を貫くような絶叫で目が覚めた。
 碇シンジは起き上がり、耳に残る残響を確かめる。
 夢や錯覚ではなさそうだった。
 ――間違いない。間違えるはずがない。彼女の声だ。
 時計を確かめると、午前四時を回ったところだった。深夜というべきか早朝というべきか微妙な時間帯だ。
 ――珍しいな。
 とりあえず、そう思った。
 こんな時刻に起こされるのは、久方ぶりのことだ。
 二年前ならともかく、最近はようやく夜は眠るものだということを思い出してくれたのに。
 くそったれ。
 呪いの文句を口の中で呟く。
 放置しておいてもいいはずだった。いや、その方がむしろお互いのためでもある。
 そう、行かない方がいい。頭の中で誰かがそう囁いている。絶対に、ろくなことにはならない……
 しかし、彼にはそれに従うことができない。
 彼女が起きたのならば、傍に行ってやらなくてはならない。ずっと前から、そう決まっている。
 ――くそったれ。
 早く行かなくてはと焦る彼がいて、さっさと行けと吐き捨てる彼がいて、すべてを呪い罵る彼がいる。
 タチの悪い呪詛のようにして、彼は彼女のところへ行かなくてはならない。
 そのことだけは、忌々しいほどはっきりと理解できていた。
 寝巻き代わりのシャツ姿のまま部屋を出る。
 彼女の部屋は、すぐ隣だ。壁一枚を隔てた場所に、彼と彼女は暮らしている。
 三年前、彼女がこの家にやって来た頃から変わらぬ位置関係だが、今となっては何故自分があのとき一人暮しをしなかったか悔まれる。
 そうしていれば――いや、あるいは何も変わらなかったか。
 諦めにも似た想いを抱えながら、彼女の部屋のドアを開けた。
 扉の向こうには暗闇があった。
 窓のカーテンが閉められているようだ。
 月明かりさえ届かないその部屋は、ただ暗かった。
 耳に染み込むような静寂の中で、がちがち、がちがちと、歯の鳴る音がかすかに響いている。

「アスカ」

 感情を殺した声で、そう呼びかける。
 漆黒の中、ベッドのあるはずの空間で、何かが蠢く気配があった。
 廊下の明かりはつけていなかったが、先に起きていた分、眼が闇に慣れていたのだろう。
 ととと、と駆け寄る足音がして、次の瞬間には飛びつくように彼女は抱きついてきた。
 シンジ、シンジ。
 すがりつくように連呼する。
 常夏の季節、エアコンはタイマー設定に従って切れているのだろう、部屋は奇妙に生暖かかった。
 抱き疲れては、かなり暑苦しい。
 込み上げる何かを懸命に押し殺して、彼は戸口の脇にあるはずの電灯のスイッチに手を伸ばした。
 かちりという小気味よい音と共に、蛍光灯の光が網膜に焼き付く。白い清潔な光が、ぎらぎらと痛い。
 しばらく彼は、顔をしかめて眼が慣れるに任せた。
 くそ、くそ、くそ。
 吐き捨てたくなるのを堪えて、視線を落とす。
 紅い髪。彼女の頭。
 彼の胸にしがみついて震えている。
 かつてはほぼ同じ高さにあったこの頭を、見下ろせるようになったのはいつからだったか。
 ゆっくりと、その頭を撫でてやる。
 過去の経験から、そうすると彼女が落ち着くことを、彼は学んでいた。
 紅の髪はさらさらと梳けて、感触としては悪くない。

「どうしたの?」

 平坦な声音。
 もちろん、答えが返って来ない事はよく知っている。
 シンジ、シンジ、シンジ。
 案の定というべきか、彼女はすがりついてその名を呼ぶばかりで、何ら論理的な会話をしようとはしない。その余裕もないのだろう。
 久しくなかったとはいえ、かつては毎夜のように繰り返していたことだ。いい加減慣れて欲しいものだと思う。
 思うのだが、本人にとってはいつまで経っても慣れないものなのかも知れない。
 そういうものだろうとは了解しているが、しかし。
 ――わかっているのか。僕が、どんなつもりで毎回ここに来ているのか。
 彼は天井を見上げ、自制心が限界近くに達しているのを確認してから、最後にぎりぎり残された義務感の仕上げとしてぎゅっと彼女を抱きしめた。
 必要以上に力が篭もったかも知れない。かなうことなら、彼女をこのまま絞め殺してやりたいと、そう思うくらいには。

「…………」

 力強い抱擁――と、称してよいものならば――が、心臓の鼓動を伝える。
 赤子と一緒だ。
 赤子は母の鼓動を感じることで、胎にいた頃の安らぎを思い出す。
 あいにくと、彼には彼女の母親にもそれに似たものにもなる気はなかったが、心臓はとりあえず脈打っている。
 とくん、とくん。
 細い彼女の体。強張っていた彼女の体が、徐々に本来の柔らかさを取り戻す。
 がちがちとした震えが治まっていく。耳障りなノイズが消えていく。
 とくん、とくん。
 彼女は顔を上げた。泣いていたのかも知れない。目許がわずかに赤かった。
 冷ややかな目線を細めることで誤魔化して、彼は口を開いた。

「落ち着いた?」
「うん……ごめん」

 謝るくらいなら最初から騒ぐな。殺したくなる。
 とっさに浮かんだ言葉を、彼はどうにか飲み込んだ。

「じゃ、早く寝なよ。明日がつらくなる」

 素っ気無さは隠しようもなかったけれど、どうにか穏やかな声音は維持できた。
 こくん、と彼女はうなずく。
 とりあえず素直なのはいいことだ。彼はもう一度、彼女の頭髪をくしゃりと撫でた。
 くすぐったそうに彼女は微笑む。先刻、自分を絶叫させた何かについてはあっさりと忘却したらしい。
 まったく赤子のようだ。率直にそう思う。実際、惣流・アスカ・ラングレーにはそういう無邪気なところがあって、今ではそれを前面に出す。
 そして彼は、赤子というものが好きではない。
 騒がしいのは嫌いだし、理屈が通じないのはもっと嫌いだ。
 いずれ自分が親になるかもなどとは考えたくもなかった。

「…………」

 彼女は無言で彼を見上げている。すがるようにしがみついたその手は、相変わらず彼のシャツを握り締めたまま。
 昔の彼女からは想像もつかない、無垢な表情。
 物言いたげなそれが何を表しているか、非常に忌々しいことながら彼は知っていた。

「うん、わかってるよ、アスカ。君が眠るまで傍にいてあげる」

 にぱ、と、それこそ乳幼児のようにあどけなく彼女は笑う。
 彼のシャツの裾を引っ張りながらベッドに駆け寄り、猫のように小さく丸まって寝転がる。
 彼はベッドの傍らに膝をつき、無造作な手つきでシーツをかけてやった。ついでにリモコンで冷房をつけておく。
 早くお休み。そう囁いて手を握る。
 うん、と。彼女は素直にうなずいて、きゅっと彼の手を握り返した。
 息を吹き返したエアコンから清涼な空気が吐き出されていた。
 暑苦しい気分がようやくのことで失せていく。
 やれやれ、と彼はため息をついた。
 数分間のやり取りで、すでにして十分疲れていた。
 徒労感が肩にのしかかる。
 まあ、と、彼は自分を慰めた。
 三年前に比べれば、今はまだマシにはなっている。
 あの頃は、夜毎絶叫する彼女のおかげで満足に眠れた試しはなかった。
 いや、夜だけでなく、朝も昼も、突発的に泣き出したり喚いたりする彼女に悩まされたものだ。
 それに比べれば、とりあえず人並みの生活が遅れる今は見違えるほどだといってよい。
 ――そこまで考えて、彼は心底忌々しくなった。
 馬鹿らしい。昔はもっとひどかったからといって、現状を肯定する理由にはならない。
 手を煩わされる都度、また一つ彼女を憎む理由を積み上げる。
 解決の術はわかっていた。ずっと前から知っていた。
 捨てる。別れる。放り投げる。手を切る。
 それ以外にない。破滅を厭うならばそれしかない。
 にも関わらず、自分にそうするつもりがまったくないことを彼は知っていた。
 どうあがいても終りは決まっていることを知りながら、彼は彼女を手放すことができない。
 まったくもって、くそったれ、だ。
 自分を含めたすべてを嘲りながら、彼はアスカの寝顔を見つめた。
 腹立たしいほどの寝つきのよさというべきか、人を叩き起こしておいていい根性というべきか、すでに彼女は安らかな寝息を立てている。
 すーすーと、涼やかな呼吸が耳に染みた。
 眠っている彼女はたしかに可愛らしい。そのことは、彼も素直に認めていた。
 今年十七歳、出会った三年前よりもさらに彼女は美しくなった。高校の同級生たちが騒ぐ理由も理解できる。
 彼は表情を消して彼女の寝顔を見守る。
 シーツからはみ出した彼女の掌は、眠りながらも彼の手を変わらず握り続けている。どんな状況でも放すものかといいたげに。
 彼女の眠りが本格的に深くなるまで、それを解くことは許されない。
 そのことを彼は承知していた。
 以前、眠ったばかりの彼女の手を振り解こうとしたところ、即座に目覚められて派手に泣き喚かれたことがあった。
 あの騒音ともいうべき泣き声を至近で聞かされると、彼女への殺意がうっかり世界そのものに向けたものへと拡大しかける。
 健やかだが静かな寝息に、しばらくはおとなしく聞き入る。
 もちろん退屈もしていた。
 今の自分がひどく滑稽なことをしているという自覚があった。
 そんな彼の葛藤も知らぬ顔で、彼女は眠りの中で安らかな笑みさえ浮かべている。
 ……思わずため息が出た。
 彼は何気なく部屋を見まわす。
 闇に慣れた視界に、一際大きなクッションが目に留まった。
 アスカのお気に入りの、猫の絵柄の入ったクッションだ。
 リビングにまで持ち込んで、これを抱きしめるようにして寝転がりながらテレビを見る彼女の姿を、何度か見たことがあった。
 空いた左手を伸ばし、掴み上げる。
 大き目のクッションは、その外見を裏切ることなく柔らかい弾性に満ちていた。
 ぽんぽんと叩いてみて、その手応えを確認してから――
 彼は無言で、それを彼女の顔に押しつけた。

 

 

 反応は顕著だった。
 押えつけたその瞬間――呼吸器が塞がれた瞬間に、肉体の緊急警報が作動したのか、全身がびくりと痙攣した。
 何が起こったのか把握しかねたように四肢が凝固し、その次に恐慌を起こして暴れ回る。

「………!! ……………!? ……!!」

 彼は左腕でしかクッションを押えられない。
 抵抗の激烈さに眉をしかめつつ、やむを得ず肘を曲げて腕ごとクッションに張りつけ、上半身そのものを使って自重をかける。

「………………!!!!!」

 悲鳴を上げているのかも知れない。罵っているのかも知れない。あるいはただ空気を欲しているだけなのかも。
 いずれにせよ、好きにするといい。
 彼女を――というより、押えつけたクッションを――見下ろしながら、ぼんやりと思う。
 そのまま、何もわからぬままに。
 死んでいけ。
 十秒。十五秒。二十秒。
 心の中で冷淡にカウントする。
 抵抗は激烈だったが頭は奇妙に冷えていた。
 四十秒。四十五秒。
 醒めた理性で考える。
 人間は儚く脆く、時は短く貴い。
 大嘘もいいところだ。
 だってこんなにも。
 人間はしぶとく、時間は長い。
 六十秒。六十五秒。七十秒。七十五秒。
 ぎりりと鈍い鈍痛が右手に走る。
 姿勢も変えない。力を緩めもしない。
 百秒を越えた辺りで、面倒くさくなって数えるのをやめた。
 アスカの抵抗はぜんまいが切れたように弱々しくなっている。
 それが本当に、機械仕掛けの人形を思わせて、彼はちょっと笑った。
 びくり。びくり。
 痙攣。彼女の肢体はとうとうそれだけしか起こさぬ物体になった。
 ――やれやれ、ようやくか。
 彼は半身を起こした。
 膝をついた無理な姿勢なのにも関わらず、全身の力を込めて押え込んでいたためだろう、筋肉が少し固まっていた。
 伸びをしようとして、右手にある痛みを今更のように思い出した。
 ――流血していた。
 それは、アスカが眠りに落ちる前、握り締めた手。
 眠りに落ちた後もずっと――先の行為の間中ずっと放さずに、あまりに力を込めて握りすぎて、爪を立てた手だった。
 立て付けの悪いドアを無理やりこじ開けるように、彼女の指を手から剥がす。
 爪は思ったより深く皮膚に食い込んでいたようだ。剥がし終えた途端、驚くほどの勢いで血が溢れた。
 彼は傷に口をつけて、そっと血を飲み込んだ。
 錆びた鉄の匂いが口に広がる。痛みよりもその匂いが気に入らなくて、顔をしかめた。
 出血は止まらない。
 彼女の残した爪痕は手の甲にくっきりと残って。
 灼け付くような痛みが張りついていた。
 無言で傷痕を眺める。
 痛みという感覚、流れ行く赤い液体。そんなものが自分に残っていた事実に、彼は奇妙な違和感を感じていた。
 気を取り直し、無傷な左手を彼女の胸に当てる。
 柔らかな感触を意に介さず、心臓の感触を探す。
 ――まだ、わずかながら脈動している。
 まったくしぶとい。
 彼は舌打ちを堪え、そして握り締めた拳を横隔膜に叩き込んだ。

「!?」

 クッションを押しつけた以上の反応があった。
 ビクン! と、いつかホラー映画で見た悪霊憑きの少女を思わせる仕草で肢体が跳ねる。
 続いて、激しく咳き込む呼吸音。
 苛立ちの延長のつもりで行った蘇生処置だが、思ったより効果はあったらしい。
 まったくしぶとく、運がいい。
 一体、何度殺されれば気が済むのだろう?
 心の中で毒づいて、そのまま彼女を一顧だにすることもなく、彼は部屋を後にした。

 

 

 廊下には薄く白い光が射し込んでいた。
 常夏のこの街、夜明けはひどく早い。
 アスカの部屋で過ごしているうちに、空は白み始めていたらしい。
 後ろ手に締め切った扉の前で、一つ深呼吸する。
 静謐な空気が肺に流れ込んで、蒸せそうになった。
 呼吸を整えたとき、彼はいつものように呪詛めいた文句を叫びたくなっている自分を確認する。
 右手の傷からは相変わらず血が流れ続けている。思ったより深い傷のようだ。
 皮膚の下で割れ鐘のように痛覚が鳴り響き、脳髄に不快な疼きをもたらす。
 ――だから、いっただろう?
 頭の中で、誰かが囁く。
 放って置けといったのに。絶対に、そう、絶対に、ろくなことにはならないからと。
 碇シンジという人間には、惣流・アスカ・ラングレーの存在が、堪え切れない。
 ……彼はため息を一つつき、呟いた。

「……馬鹿が」

 

 

 部屋に戻る途中、ふと思いついて、壁に自分の頭を打ち付けてみた。
 鈍い衝突音を耳が捉えるより先に、衝撃が脳髄を貫いて、無様に転倒する。
 けれど、ずきずきと痛む頭を抱えてなお彼は生きていて、忌々しいことに立ち上がることすら出来た。
 ――ほら。やっぱり馬鹿だ。
 そのまま部屋に戻って、今度は夢も見ずにぐっすりと寝た。

 

 

 翌日――
 学校が終わり、家で夕食の仕込みをしている最中、久々に葛城ミサトが帰宅した。アスカは洞木ヒカリと約束があるとかで、まだ帰っていない。
 ミサトは二年前に副司令の肩書きを帯びるようになって以来、自宅どころか日本を空けることが当然の日々を過ごしている。
 そのことを、彼は特に寂しいとは思っていなかった。孤独には慣れているし、それに浸れる余裕すらもない。
 しかし、ミサトの方ではそうではなかったらしい。
 自分が不在の間の家の様子をしきりに聞きたがり、何か困ったことはなかったか、とくり返し訊ねてきた。
 困ったことなど何もない。彼はそう答えたが、それは満更嘘ではなかった。
 生活費は怠らず振り込まれていたし、高校のクラスメイトたちとの関係も良好といっていい。
 彼を構成する自我と不可分の要素となりつつある、かの少女への殺意については――
 これはまあ、「困ったこと」に類すべき事柄ではない。
 誰かが誰かを憎む。世間では当たり前にある人間関係だ。ただそれが、具体的な殺意の領域に昇華しているだけのこと。そしてもちろん、そんなことをミサトに告げるつもりは、彼には毛頭ない。
 彼の返答に、よかった、でも困ったときは遠慮しないで頼ってちょうだい、と、ミサトはそう満足げにうなずいた。
 それからあれこれと、出張先で見聞きした話を面白おかしく披露した。
 葛城ミサトは必要以上に多弁なところもあるにせよ、話術が下手な人ではない。
 そうした何気ない話も、彼は嫌いではなかった。
 小一時間ほどささやかな団欒の時を過ごしてから、ミサトはすまなさそうに、明後日からまた半月ほど家を空けると告げた。

「ごめんね、頼りない保護者で。シンジ君には負担かけてばっかりなのに」
「構いませんよ」

 彼は微笑んだ。

「今日と明日は家にいられるんですよね。だったら、夕食は奮発しますよ」
「ありがとー。持つべきものは料理の得意な弟だわ」
「出張先でもアピールして来て下さい。こんな孝行者の弟がいるんですけど婿にどうですかって」
「それはダメね。アスカに恨まれるもの」

 親しみを込めた揶揄の台詞を、彼は笑って誤魔化した。
 彼は、ミサトの前でだけは、心の中の醜いものを忘れていられる。
 一時間ほどして帰宅してきたアスカも、ミサトの顔を見るや満面の笑みを浮かべた。

「うわ、どうして突然帰って来るのよぅ」

 素直でないのは言葉だけ――表情も声音も、内心の歓喜を誤解しようもなく伝えている。
 その日の夕食は、いつにも増して賑やかだった。
 アスカは始終騒ぎ、ミサトは嬉しそうにビールを傾け、彼は柔らかく微笑んでいた。
 このときばかりは、彼の笑顔は作り物ではない。
 まるで四年前に帰ったような、懐かしい、優しい日々の再現。
 それはたしかに、そこにあった。
 殺意や憎悪など、冗談のようにも思われる。
 泣きたくなるほど幸せな家。
 けれどもそれは、終わりが見えているからこそこれほど懐かしく、優しいのだと、彼は教わるまでもなく理解できていた。
 二日間だけの休養日。葛城ミサトがいてくれる二日間。
 それが過ぎればまたアスカと二人で取り残される。
 彼女を憎み、殺そうとする日々がやって来る。
 彼は、忌まわしさと待ち遠しさとを同時に覚えた。
 それはまるで、過去に別れた恋人を迎えるような。
 
 

 

to be continued


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後書き

 自由の秋と書いて由秋ー(挨拶)。
 本作は、知っている人は知っているであろう、某所の投稿掲示板に投稿した作品です。ただし、別名義ででしたが。
 投稿先のサイトが閉鎖(更新停止・コンテンツ一部閉鎖)してしまったこともあり、当HPでアップすることにしました。
 これを書いた当時は、短編を書くのが久々だったこともあり、忌憚のない批判批評をお願いしますと後書きにしたためたところ、まさに遠慮呵責のない批判批評が寄せられて己の未熟を思い知った記憶が。
 いや、あれは実際貴重な経験でした。的を得た批判批評って、覚悟していてもヘヴィですね(笑)。

 

 

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