雲一つない青空だったことを覚えている。
 蝉の声はうるさく、夏の盛りを声高に謳歌する。
 西に傾いた太陽は肌を焼き、張りついた制服に汗が滲んでいた。
 ――町外れの丘の上。
 崖というには大袈裟で、坂というには急すぎる、そんな斜面の底に、彼女は横たわっていた。
 壊れた人形のようなフォルム。
 蒼銀の髪が鮮血に染まり、首は妙な方向に捻じ曲がる。
 彼はそれを斜面の上から見下ろしていた。
 生まれて初めて目の当たりにする、死の具現。
 恐怖もなく、戸惑いもなく、ただ空っぽになった眼で、彼は彼女を見下ろしていた。

 ――それが、碇シンジの記憶している、一番古い彼女の光景。







My lover has killed me

七瀬由秋








 転校生を紹介する、それが担任教師の第一声だった。
 クラスメイトたちが歓声を上げる。
 今度の転校生は可愛い女の子らしいと、HR前にケンスケが語っていた。そのことをシンジは思い出す。

「――――」

 がらりと、教室の戸の開く音。
 シンジは頬杖をついて横を向いた。
 暦は十月。窓際の彼の席からは、秋晴れの空の映えるのが見て取れた。
 ぼんやりと、雲一つない青空を眺めやる。
 周囲の喧騒はいつしか静まっていた。
 件の転校生が自己紹介でもしているらしい。
 努力して意識の軸をずらし、窓の外の景色に集中する。
 何も聞こえない。聞く必要はないと、自分に言い聞かせる。
 転校生がどうだろうと、関係のないことだと。
 騙すように言い包め、そしてそのことに成功しかけたとき、不意に鼓膜にその声は飛び込んできた。

「あの……よろしくね」

 耳に染み込むような声。
 透き通るような、綺麗な声。
 無視しようとして、シンジは抗えず、ついに視線をそちらへ向けてしまった。
 ――蒼銀の髪の少女が、そこにいた。
 空いていた彼の隣の席を指定されたのだろう。椅子を引いて腰掛けながら、おずおずとした視線を彼に向けている。
 小動物のようだな、と反射的に思った。
 なるほどね、今度はそう来たか。
 シンジは漏れかけたため息をあやふやな微笑で打ち消した。

「……どうも」

 どうでもいいような返答をしてから、最低限の儀礼としてぺこりと頭を下げる。
 彼女は安堵したように笑ったようだった。



 HRが終わると、シンジは待ちかねたように教室を出た。
 授業を受ける気にはとうていなれなかった。
 といっても、彼にサボタージュのノウハウはさしてない。
 保健室で腹が痛いなどと白を切りとおす自信はなかったし、図書室で他の生徒に見咎められるのも御免だ。
 行くところは一つしかない。これも定番というべきだろうが、屋上だ。
 十月の風は、多少の熱を残しているが、日陰に入ってしまえば心地いい。
 シンジは給水塔の陰にもたれると、持参していたS−DATのヘッドフォンを耳につけた。
 スイッチを入れると、バッヘンベルのカノンが大音量で流れ出す。
 エンドレスリピートに設定してから、シンジは目を閉じた。
 サボるときはいつもそうしている。
 流れる音楽もいつも同じだ。
 おかげでこの曲については音符の一つ一つまで認識できるくらいに覚えた。
 飽きていないわけではないが、どの道何を選曲しようがやることに変わりはない。
 ――どうでもいいのだ。要するに。
 機械のような素っ気無さで、シンジは繰り返される音楽を聞き続けた。


 

 昼休みになってから、シンジは一度教室に戻った。
 午後の授業も受けるつもりはなかったが、さすがに空腹を覚えている。
 財布も一緒に屋上へ持ち込んでいなかったことを、彼は後悔していた。
 転校生は、案の定人気を集めているようだった。
 今も彼女の周囲には何人かのクラスメイトたちが群がり、質問を浴びせかけているようだ。

「シンジ!」

 目立たないように鞄から財布を抜き出したとき、不意に声がかけられた。
 腰に手を当てて、赤毛の少女が仁王立ちしている。
 惣流アスカ。シンジの幼馴染だ。

「何やってんのよ、あんた! 今時反抗期のつもり!?」

 咎める口調の中に、真摯に思いやる響きがある。
 シンジは肩をすくめ、

「気分が悪かったんだ」

 毎度お決まりの言い訳をした。もちろんこれで幼馴染が納得するとは思っていない。

「またそんな下らないことを……ちょっとこっち来なさい」

 アスカは彼の手を引き、教室の外まで連れ出した。
 廊下では生徒たちが忙しげに行き交っていたが、聞き耳を立てるような人間もいない。
 彼女は若干小声になって、

「……何かあったわけ? あたしにもいえないこと?」

 眉をひそめて、そういった。
 アスカとシンジは幼稚園以来の腐れ縁だ。
 どちらかといえば引っ込み思案のシンジを、彼女はいつも外に連れ回し、何くれと面倒を見てきた。
 二人は年齢こそ同じ、むしろシンジの方が半年ほど早く生まれていたが、アスカは半ば彼の姉のようにして付き合っていたのだ。

「別に。何もないよ」
「嘘。あんた、本当に変よ。一年くらい前まではそれなりに明るくて、友達も多かったのに。今じゃよく授業はサボるし、時々えらく投げやりだし。そのくせ不良になったってわけでもなさそうだし……何だか自暴自棄になっちゃってるみたい」
「だから、何もないよ。アスカが心配するようなことはさ」

 必要以上に突き放す口調になってしまったかも知れない。
 アスカは強張った表情で口を噤んでしまった。握り締められた拳が、わずかに震えている。
 ――シンジは頭を振った。
 自分の馬鹿さ加減が嫌になっていた。
 最低だな、と他人事のように思う。
 お前は何様だ。心配してくれる幼馴染に当り散らして何になる?

「……ごめん、たしかにちょっとどうかしてるみたい」

 シンジは素直に頭を下げた。
 微笑の欠片を口の端に浮かべる。

「だけど、別に相談するほどのことじゃないっていうのも本当。少なくとも誰かに脅されてるとかいうことはないから。その辺は安心して」

 微妙に陰りのある口調は相変わらずだが、確かな感謝を込めた台詞に、アスカは息をついた。
 完全に納得したわけではなさそうだったが、とりあえず安堵したようだった。

「……ん、OK。あんたにもいろいろあるんだろうし、深くは訊かないわ」

 そういいながら、彼の額を指でつつく。

「その代わり、授業はちゃんと出なさい。ちょっと前まで優等生してたあんたがサボると、まずあたしのところに苦情が来るのよ」
「それは……」

 シンジは思わず口篭もる。
 アスカへの感謝に偽りはないが、それだけはどうにも気が進まなかった。
 強気な幼馴染は彼のそんな躊躇を切り捨てるように、

「わがままいうなっ! まずは昼食、それから午前中のノート貸したげるから写しときなさい。勝手にどっか行ったりしたら、許さないからね」

 そうまでいわれてしまっては、シンジとしても我を張りとおす気にはなれなかった。
 もともと、明確な目的意識があってエスケープしていたわけではないのだ。
 数秒逡巡してから、彼は諦めてうなずいた。
 アスカはすっかり機嫌を直した様子で微笑し、

「じゃ、早く来なさい」

 いいながら、教室の戸に手をかけた瞬間、がらりとその戸が勝手に開いた。

「うわ」

 と、驚いたアスカともう一人の誰かの声が重なる。
 いいタイミングで向こうから出てこようとしたらしい。
 何気なくアスカの脇から覗きこんだシンジは、次の瞬間、とっさに逃げ出したくなる衝動を堪えた。

「あ、惣流さん……だよね? ごめんなさい」

 すまなさそうに頭を下げたのは、今朝方顔を合わせたあの転校生だった。



「別に謝ることなんてないじゃない。びっくりしたのはお互い様」
「あ、ごめんなさい……じゃなくて、でも……」
「たまたまタイミングが合っただけでしょうが。それで頭下げてたらきりがないわよ」

 アスカは親しげに転校生に語りかける。
 午前中だけで、気安く話すていどには親しくなっているようだ。
 人見知りとは縁のない、面倒見のよい彼女らしいというべきか。
 ――いつもそうだったな、と、シンジはアスカの陰に立ちながらその様子を眺めた。
 この後の展開も想像できる。林檎が地面に落ちるのと同じくらいに想像できる。
 いや、確信できるのだ。だって彼女は――

「あ、そうだ。あんた、自己紹介もろくにしてないでしょ」

 アスカは振り返り、彼にとって予想通りの、そしておそらくは最悪の言葉を紡ぎ出した。

「こいつ、碇シンジってーの。朝っぱらから今まで授業をサボってたバカだけど、まあ悪人じゃないから大目に見て上げて」

 彼の腕を取って引きずり出しながら、一方的に紹介される。
 その声を遠く聞きながら、シンジはぼんやりとした眼で転校生の少女を眺めた。
 少女は蒼銀の頭を心持ち伏せて、上目遣いに彼の表情を見つめていた。
 紅の瞳。静謐な美貌。大人しそうな、怯えたようでもある瞳が、ひどく可憐だった。
 無言のままの彼の肘をアスカは小突き、何かいってやんなさい、と囁いた。あんたがさっさとエスケープしてったから、この娘、自分が何かしたんじゃないかって気にしてたのよ?

「…………」

 彼はしかし、答えなかった。
 無言で少女の顔を眺め、次いで、何かを諦めたように顔を伏せる。
 その様子に、むしろ少女の方が戸惑ったようだった。きょろきょろと彼とアスカの顔の間で視線をさ迷わせている。
 アスカはとりなすように、

「ああ、そーいえばあんた、この娘の名前、ろくに覚えてないんでしょ。朝はずっとぼけっとしてたし、その後速攻エスケープだったしね」

 大袈裟なほど嘆かわしい口調でいって、肩をすくめて見せる。

「これから隣の席になるんだからしっかり覚えときなさい。この娘は――」
「……綾波レイ」

 彼女が言い終える前に、シンジは思わずその名を口にしていた。
 アスカが驚いたように彼を見つめ、それから呆れたように口を開く。

「なんだ、しっかり聞いてたんじゃない。抜け目ないヤツ」

 彼は聞いていなかった。
 ただ、自分のその名を呼んだことを後悔し、それによって目の前の少女が嬉しそうに微笑んだ事実に恐怖すらしていた。
 少女――綾波レイは心底嬉しそうに彼の顔を見上げ、小さな声で、しかしはっきりといった。

「よ、よろしくお願いします……碇君」

 

 ぎこちない自己紹介の後、アスカはレイを食堂に誘った。
 レイが教室から出てきたのは昼食のためだとあたりをつけたらしい。
 自分から誘う形で食堂まで案内してやるつもりなのが、面倒見のよい彼女らしいところだ。
 レイは恐縮しつつもそれを受け入れた。
 アスカは満足したようにうなずき、当然のようにシンジに振り返って、

「あんたも来るんでしょ?」
「……いや。今日は食欲がなくてね」

 そう答えた途端、抗議するように腹が鳴った。

「…………」

 さすがにこれにはバツが悪くなり、シンジは心持ち顔を赤らめながらそっぽを向いた。

「……くす……あっはははは! もしかして人見知りしてんの、あんた?」

 遠慮なく笑い転げながら、アスカがいう。
 それまで恥ずかしげに俯いていたレイですら、吹き出すのを堪えようと必死になっているようだ。
 無言のままにシンジが視線を向けると、「あ……」と呟いて、すまなさそうにぺこぺこと頭を下げる。

「こぉら。自分のドジで転校生にやつあたりしないの」

 シンジの頭を小突いて、アスカがいった。

「変な意地張ってないで、さっさとついて来なさい。こんな美少女二人と昼食を一緒に出来るんだから、普通なら喜び勇んで応じるのが当然よ?」

 自分で美少女と言うかね、と小さく呟いてから、彼は観念した。



 どういうわけか綾波レイは、その一件以後、シンジに打ち解けたものを感じたようだった。
 アスカが事ある毎に「席が隣なんだし遠慮なくこき使ってやって」とアドバイスしたのも効いているらしい。
 転校したきたばかりの彼女は、こちらの学校の教科書をまだすべて揃えていない。
 その日の午後、そして翌日からも、シンジは彼女に教科書を見せる機会が多かった。
 といっても、ひどく内気な性格のレイが自発的に頼んできたわけではない。
 授業中、彼女が教科書の持ち合わせのないことに気付いたシンジが、自分のを無理やり押し付けるのがほとんどだった。
 その度に彼女は「あ、ありがとう」と言葉少なに礼をいい、授業が終わると大袈裟に頭を下げて来たりもした。
 シンジはその度に、無愛想一歩手前の素っ気なさで「別に」と答えるだけだったが、彼女が困っているのを見過ごすような真似だけはしなかった。
 気のいいアスカがレイに校舎の案内を申し出て、そしてほとんど強制的にそれに付き合わされたとしても、口数が少ないなりに相手をした。
 ……実をいえば、そのいずれもが彼の本意ではなかった。
 授業をサボろうとしたことは何度もあったし、学校そのものを休もうかと考えたこともある。
 しかし、その度に、アスカが肩を怒らせて彼に説教し、レイは何とも言えぬ心細げな目で彼を見つめた。
 特に後者がシンジには応えた。
 あの目で見つめられると、逃げ出したいという欲求と見捨てられないという想いとが頭の中でせめぎ合う。
 そして、ほとんどの場合、彼は逃げられなくなる。
 一度だけ、たまらなくなって、誰にも見咎められぬうちに屋上へ逃げ込んだことがある。
 しかし、そのすぐ後、授業開始のチャイムがなったにも関わらず、レイは彼の居場所へやって来た。
 どうやらアスカと手分けして探していたらしいが、どうしてよりにもよってレイの方が自分を見つけ出したのか、シンジは心底運命を呪った。
 屋上で、いつも通りバッヘンベルのカノンとともに時間を費やそうとしていた彼を見つけたとき、レイは一言も責めようとはしなかった。
 連れ戻そうとする言葉もなかった。
 ただ彼女は、シンジが何よりも苦手とするあの目で彼を見つめ、そこらを必死で走り回って探したために乱れた呼吸を何とか整えていた。
 ――それ以後、シンジは逃げるのを諦めた。


 半月が経つ頃には、シンジは彼女とよく行動を共にするようになった。
 彼女は、内気な人間にありがちな、心を許した相手にはとことんよりかかるタイプの性格らしく、この頃には何をするにもシンジの側にいたがるようになっていた。
 変なところで気の利くシンジの幼馴染も、その背中を押したようだ。
 授業中はもちろん、休み時間、昼休み、放課後、学校で過ごすほとんどの時間、彼の隣にレイがいることは、ごく自然な光景として周囲に認知されつつあった。
 親しくなってくると、彼女が存外、人懐っこい性格であることも判明した。
 口数が少ないのは変わらなかったが、レイはその少ない語彙で精一杯彼とコミュニケーションを取ろうとしていた。
 もともとシンジとて多弁な性格ではなく、騒がしいのを好むタチでもない。会話が途切れたところで気にする風でもなかった。
 話すときにも適度に距離を置き、無関心であるようで、話を聞き逃すこともない。
 それらの点も、レイには好ましかったらしい。
 ――皮肉な話もあるものだった。
 一日、アスカがにやにやとしながら、登校途中の彼にいった。

「あんたもとうとう彼女持ちになったってわけね。大事にしてやんなさいよ?」

 そんなんじゃないよ、とシンジは応えたが、幼馴染は取り合わなかった。
 実際のところ、シンジは確かにレイに対して好意を抱いていた。
 彼女が側にいることに心弾むものを覚えなかった、といえば嘘になる。
 ……いつもそうなのだ。
 無関心を装おうと、否応無しに引きつけられる。
 逃げようとしても、捕まえられる。
 そして彼は、離れられない。

 けれど、すべてが限界に達しつつあることだけは、はっきりと感じていた。


 

 その日、学校が終わってから、シンジは屋上に上がった。
 十月も半ばを過ぎて、肌寒さを感じる風が吹き始めていた。
 中間試験が近いこともあり、見下ろすグラウンドに人影はない。部活も休止されているようだ。
 膨らみ続ける予感があった。
 歩み寄る未来の足音が聞こえていた。
 逃げられない。抗えない。……堪え切れない。
 シンジはもう諦めかけていた。
 希望もない。絶望だけがある。
 けれど、ぎりぎり残された最後の一線で、彼は踏み止まろうとしていた。
 沈んで行く夕陽をぼんやりと眺める。
 流れる雲の数を何となく数える。
 自分はもう狂っているのだろうかと思う。
 いや、きっと狂っているのだ。最初に彼女に出会った、そのときから。

 どれだけそうしていたのかわからない。
 長い間ずっと立ち尽くしていたようにも思うし、ごく短い時間を漫然と浪費していたようにも思う。
 彼は疲れていた。
 泥のようにただ疲れていた。癒されることなど望み得ないほどに。
 ぼやけた頭が、そろそろ帰らなければ、と囁き始めたとき、その声は聞こえた。

「碇君」

 幻聴か、と思った。そうであって欲しいと心で絶叫した。もし許されるならば懇願すらしただろう。
 震える体で振り返り、シンジはそこで絶対に見たくはなかったものを見た。
 ――橙色に染まる景色の中で、蒼銀の髪がなびいていた。
 真紅の瞳が、夕焼けよりもなお濃い色を映して。
 彼をまっすぐに見つめていた。
 何かが噛み合ったような気分が合った。
 回り出した歯車は濁流のように留まらず、大きな禍々しいものを軋ませながら、走らせる。
 からからに乾いた声で、「どうして……」とだけ呟いた。
 綾波レイははにかむように微笑んで、

「一緒に帰ろうと思って……下履きが、靴箱に残ってたから……」

 ――彼は最後までその台詞を聞かなかった。
 自分でも驚くほどの力でレイを引き寄せ、その細い体を折らんばかりに抱き締めた。
 がちがちと体は震え続けている。
 彼女の体温、ふわりとした匂いが鼻をくすぐると、一際震えが大きくなる。

「―― 一年前だ。僕が二年の夏。七月だった。日陰にいてさえ汗が滲んだのを覚えてる」

 憑かれたように唇から声が流れ出た。

「無口すぎるほど無口だった。無愛想で。誰に話しかけられても表情も変えず、どうでもいいような返事を一言二言返すだけの。皆は気味悪がって次の日には近づかなくなった」

 レイは驚いたのか、抵抗しなかった。反問もしなかった。
 ただ彼女は、彼の震える腕に体を預け、奇妙によく通る彼の声に聞き入っていた。

「だけど、綺麗な娘だった。静かで、優しくて。僕は何とかして彼女と親しくなろうとした。素っ気無くされても、何度も話しかけて。何度も何度も。毎日毎日。いつしか彼女も僕に心を開いてくれた。僕は彼女を好きになっていた。きっと、はじめて見たときから」

 話す声に熱がこもり、腕に力が増した。
 抱き締めた彼女が苦しげに息を吐いたように思う。
 シンジは弾かれたように彼女の肩を掴み、体を離して、彼女の眼を正面から見つめた。

「――君は一体何なんだ?」

 彼女は答えない。苦しげに息を吐いていた。

「何なんだよ。何なんだよ。一体何なんだよ、オマエは!!!」

 肩を掴んでいた手は、いつの間にか彼女の首にかかっていた。
 細い首筋。染み一つない、白い、白い。

「畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!」

 喚きながら、叫びながら、彼は彼女の首を絞めた。
 食いしばった口から血が滲み、俯いた眼から涙がこぼれた。
 じたばたとあがく彼女の手が、手首を掴むのが感じられた。
 ぎりりと爪が立てられる。
 ぱくぱくと息を吐く音がやけに鼓膜に響いた。

「うぁぁァぁぁあぁぁぁあぁぁぁァァぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!」

 いつしか彼は、意味をなさない大声をただ吐き出しながら、彼女の首を絞めていた。
 熱に浮かされた頭、がたがたと震え続ける体で、ただ肘から先だけが渾身の力を込めて絞め続けていた。

 ――どこか遠くで、鴉の鳴く声が聞こえた。




















 翌朝、シンジはいつものように、窓際の席で肘を突いていた。
 秋晴れの空は今日も青く、透き通るほどに澄んでいる。
 ――昨日、動かなくなった彼女の体を置き捨てて、自分がどうやって家に帰ったのか、彼はよく覚えていない。
 ただ、屋上を去るとき、何とはなしに冷たくなった骸の瞼を閉じさせてやったことだけは覚えている。
 そして帰宅して、夕食を取って、風呂に入って、床について。
 何事もなかったように眠り、目覚め、そして今彼はここにいた。

 予鈴のチャイムが鳴り、担任の女教師が入室してくる。
 彼女は生徒たちを見渡し、おもむろに口を開いた。
 その瞬間、起こることを予想して、彼はいつものように窓の外へ視線を移した。

 教室の戸を開く音。
 床を踏む足音。
 クラスメイトたちの歓声。

 シンジはもう諦めかけていた。
 希望もない。絶望だけがある。
 けれど、ぎりぎり残された最後の一線で、彼は踏み止まろうとしていた。

 最後の勇気を振り絞って、彼は目線を前に向けた。

「綾波レイですーっ。よろしくお願いします!」

 昨日殺した彼女と同じ顔、同じ声。
 そして似ても似つかぬ明るい大きな声で、一年前から数えて何人目になるかわからぬ転校生はそういった。

 



後書き
 短編でまとめるつもりが、中途半端に長くなりそうなんでいったんここで切りますー。
 あああ、構成力の無さが恨めしい。
 表題はマザーグースの一つ「My mother has killed me」より。
「母さんが僕を殺した 父さんが僕を食べてる」って奴です。
 ストーリーとしては「世にも奇妙な物語」のようなサスペンス・ホラー物になる……のかな?
 この前編だけで切ってもそれなりに纏まりそうな気もするんですが。
 後編どうしようかなぁ……いや構想はあるんですが。

 

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