薄闇を焦がす紅の炎。
 物言わぬ石像と化した隣人たち。
 異形の影たちは奇声を上げて舞い踊り。
 立ちはだかる一際巨大な異形は、おぞましく口を開けて自分を睨みつけた。
 口の悪い飲んだくれの老人は、逃げろという言葉を最後に冷たい石と化す。
 ……それこそが彼の根幹に染みついた原風景。
 あの日、彼は絶望を知り――誓約した。

 

 

 

 

 

 

 

Leviathan

七瀬由秋

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園中等部3−Aの教室は、今日も閑散としていた。
 生徒たちは各々自分の席でつまらなそうに宙を見上げたり、ページをめくることもない本を眺めたりしている。
 もちろん中には、そうした空気を厭って明るく振る舞おうとする者もいるし、それに応じようとする者もいるのだが、それらの努力は実を結ぶ前に萎んで消えてしまう。努力する者たちもまた、沈黙を守る者たちと同様の、根本的な活力の喪失を覚えているからだ。
 ――まったく。世の中、何が起こるか知れたものではない。
 朝倉和美は机に頬杖をついて周囲を眺めながら、いつものようにため息をついた。我ながら陰気だと思うが、止める気になれない。
 これが――この、何かが腐り落ちて爛れたような退廃が、かつての問題児集団の馴れの果てであるなどとは、かの新田ですら想像もしなかったろう。
 絶望は死に至る病であり、忌むべきは退行ではなく停滞であり、友愛の対極は無関心にある。
 今のこのクラスは、そうした言葉の全てを実践しつつある。
 もう一度、先ほどよりも深いため息をついたとき、それに合わせるようにしてチャイムが鳴った。
 教室の戸が開き、高畑が入室してくる。かつてデス眼鏡などとあだ名され、温厚そうな風貌に似合わぬ武闘派教師として恐れられた男だが、昨今は妙にやつれた印象がある。3−Aの担任、英語担当としてこの学校に籍を置いているが、最近は頻繁に出張の名目で学外に出ているらしいことを、和美は独自の情報網で掴んでいた。
 起立、と、あやかの号令。
 皆が漫然と立ち上がり、いい加減に一礼してから、音を立てて着席する。一連の動作が妙に投げやりで不揃いなのは、今に始まったことではない。
 和美は伝達事項を伝える高畑の声を聞き流しながら、窓の外に視線をやった。数日前から曇り気味だった空が、この朝からついに雨を吐き出し始め、絶え間ない水音を立てている。
 ――あの日も、こんな雨が降っていた。
 すべてが狂ってしまったあの日も――このクラスの担任だった少年がいなくなってしまったあの日も、ちょうどこんな雨が降っていたのだ。
 和美はため息を一つつき、いつものように瞼を閉じて意識を手放した。

 

 

「君はまだ、全力を出し切っていないのではないかね……?」

 雨を供に従えたその男は、探るようにそういった。
 ネギ・スプリングフィールドは当惑と驚愕に眉をひそめる。
 ――全力を出し切っていない?
 冗談ではない。そう思った。
 目の前の男、ヘルマンと名乗る紳士の実力は桁外れだった。
 生命体としてのポテンシャルでは京都で対峙したスクナが上かも知れないが、戦闘者としての熟練度がまるで違う。スクナは化け物ではあったが、戦闘者ではなかった。ただの猛獣と、訓練を受けた兵士の違いといってもいい。

「いや、君自身は心から本気で戦っているつもりなのだろう。それは一面の真実だ」

 ネギの困惑を見て取ってか、ヘルマンは肩をすくめて見せる。

「だが、それでは足りないのだよ、ネギ・スプリングフィールド君。ただ全力で殴りつけるのと、明確な殺意をもって打ち抜くのとでは、意味合いも結果もまるで違う。前者によって相手が死ぬのは不幸な偶然だが、後者による殺害はただの必然だ。君は持てる全力を総動員しているのだろうが、それが私の殺傷に向けられているのかといえば、決してそうではない。そう――君はただ、全力を出しているだけだ」

 彼は帽子に手を当てた。状況を考えれば場違いなほど紳士的な笑みを浮かべる。

「下らぬしがらみは棄ててしまえ。その全力をもって私を殺しに来たまえ。血と肉と骨、あらゆる細胞を闘争に傾けろ。立ち上がるのではなく殺せ。奪い壊し蹂躙しろ。そうでなくば――君は再び、すべてを失うことになる」

 静かに、そう宣告して――
 雨の悪魔は帽子を取って、その素顔を晒した。

「…………!!」

 ネギ・スプリングフィールドは息を呑んだ。
 帽子の下から露わになった敵手の素顔。
 いかなる術の働きか、それは先刻までの穏やかな老紳士のそれとはまったくかけ離れていた。

「そう。君の故郷を焼き尽くし、隣人を石に変えた悪魔。あの日召還された中で、数少ない爵位を持つ上級悪魔の一人」

 楽しげな声音。
 のっぺりした球形の顔。歪に伸びた角。亀裂のような、その口。
 それらすべてに、ネギ・スプリングフィールドは生涯忘れ得ぬであろう明確な記憶があった。

「――君の、仇だ」

 その瞬間、ネギ・スプリングフィールドの中で何かが音を立てて壊れ、すべてが再生した。

 

 細かなことは何も考えなかった。
 彼は単に前進して、殴りつけただけだ。
 ただ、その身に荒れ狂う何かを全解放したのが、唯一の相違だった。

「…………っっ!!」

 常軌を逸した速度の踏み込みと、限度を超えた拳の一撃。
 ヘルマンの長身が宙に浮く。
 それまでいかなるときでも余裕ある態度を崩さなかった紳士の顔が、初めて純粋な苦痛と驚愕に歪んだ。
 間を置かず、貫き手を喉に叩き込む。魔法を使う相手に対する常套的な攻撃であり、必殺の技法だ。常人ならば喉を砕かれただけで死に瀕するし、命を繋いだとしても詠唱が出来なくなる。
「戦いの歌」で強化されているとはいえ、少年の指はそれほど鍛え込まれてはいない。
 人間をはるかに凌駕する強靭な体組織を持つ悪魔、喉とはいえそれは例外ではなく頑強な細胞繊維に激突した彼の指は、衝撃に耐え切れず亀裂が入った。
 だが、構わない。
 激痛を無視してそう思った。
 知ったことか。指が折れたなら、折れたその鋭い切っ先で貫くまでのこと。
 ヘルマンはしかし、苦痛の呻きを発しつつも致命傷を負ってはいなかった。衝撃を受け流すように宙に飛び、その翼でもって浮遊する。
 ――逃がすか!!
 全身から魔力が迸る。
 オーバードライブ。サウザンド・マスターとまで呼ばれた父から受け継いだ、無尽蔵の魔力の爆発的流出。その勢いを留めることなく、方向性だけを変えてやる。それは決壊したダムより噴き出る濁流に等しかった。
 全身の細胞が常時の数倍に値する熱をもって活動する。奇しくも今しがたヘルマンが口にした通り。つま先から頭髪に至る、ネギ・スプリングフィールドを構成するすべてが、ただ一つの目的に集約する。
 もはや詠唱を必要とすることもなく、ただ魔力の奔流をジェット気流のように操って背後に回り込んだ彼の動きに、悪魔は反応できなかった。
 無防備なその背中、背骨の結節点、人体であれば死に至る急所へと、中指の関節を立てた拳を叩き込む。教え子の一人――中国拳法においての師匠から学んだ、紛れもない殺法の一つだ。殴る・突くといった次元ではなく、急所を抉り、破壊する。
 彼にこれを教えた少女は、「何があっても使わないこと」を条件に挙げていた。武道の目的は殺法ではなく活法――すなわち護身にあるというのが彼女の言葉だった。技法体系の一つとしてこれを教えたのも、ネギ・スプリングフィールドならば暴力目的でそれを使用することはあるまいという、たしかな信頼の証としてだ。
 これはその信頼を裏切ることになるかも知れないが――構わない。
 今この瞬間、この悪魔を潰すこと以外に、使い道など何一つない……!

「がぁっ!」

 生物種は違えど、脊椎が体構造の根幹となるのは悪魔も変わらないらしい。
 ヘルマンが、今度こそ完全な苦痛に満ちた声を上げ、地面に叩きつけられる。

「ラス・テル・マ・スキル……」

 決めの一撃として「雷の暴風」を詠唱しかけ、ネギはすんでのところでそれを留めた。
 今のヘルマンは魔力転送の結界を張っている。それは神楽坂明日菜の首に下げられたペンダントへすべての魔法を転送し、魔法無効化という彼女自身の特異体質によって消去させられる。
 つまり、彼にとっての最強魔法が、今の時点では通じない。攻め手が極端に限定されている。
 だが――
 ……だから、どうしたというのだ。
 天才と謳われた魔法使いは、心地よく高速回転する頭脳のままに、この場における最適の手段を選択した。

「『戦いの歌』!!」

 すでにかけられている「戦いの歌」、それをさらに相乗させる。
 通常ならば、これは下策というにも当たらない。彼の肉体はすでにして強化を受け、限界近くまですべての能力を高められている。そこへさらに魔力を叩き込んでも、コップに許容量以上の水を注ぎ込むのと同じこと。さらなる強化どころか、毛細血管・筋繊維の断裂を引き起こし、悪くすれば内臓を損傷して死に至るかも知れない。
 だが、真祖に師事し、中国拳法で鍛え、いくつかの死線をくぐり抜けた少年の肉体――何より、故郷を失ったあの日から血の滲むような修練によって磨き続けた魔法使いとしてのキャパシティが、本来ならばありえないその無茶を実現した。

「っぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 喉から迸る雄叫びは、肉体に過負荷をかけた苦痛の呻きであったか、それとも際限なく昂揚し続ける殺意の発露であったか、彼自身にも判然としない。
 人型の凶器と化した腕を振り上げ、叩きつける。
 倒れ伏した悪魔の体を雷鳴の如く打ち据える。
 頭蓋を踏みにじり腹腔を打ち四肢を叩き潰す。
 何かが折れる鈍い音がして、ヘルマンの手足が歪な方向に曲がった。

「ヘルマンの旦那!!」
「させないです!」

 ヘルマンの忠実な下僕たるスライムたちが、それまで相手にしていた小太郎から離れて襲いかかってくる。
 ネギ・スプリングフィールドはちらりと彼女たちを眺め、

「……うるさい」

 冷たく、そう囁いた。
 呆然と立ち尽くしていた小太郎、そして囚われの明日菜たちには、何が起こったかわからなかったろう。
 彼はただ、力任せに薙ぎ払っただけだ。
 しかし、その腕に込められた力と速度、物理的破壊力だけが、あらゆる意味で常軌を逸していた。

『…………っ!?』

 圧倒的暴力で瞬時に人の形を失い、地に叩きつけられたスライムたちが、元の形に戻ることも出来ずに苦悶する。
 実体のないスライムたちに、打撃は無効――というのは、あくまで程度問題に過ぎない。
 その奇怪な外見に惑わされて見落としがちだが、スライムの実態は液状の体構造を持つ生命体――統一された自我を持つサンゴに似た生体とでもいおうか。つまり、一般の生命のように分化された細胞構造を持たず、液状の肉体を構成する細胞すべてが各々生命活動を行い、それが緩やかに結合しながら自我をも構成するという形を取る。表現を変えれば、あくまで生体細胞を持つ生物の一種という点に違いはない。打撃が無効というのは、常に不定形に姿を変える体構造が、衝撃や威力を分散・吸収するということでしかない。
 ならば、分散・吸収できないほどの圧倒的破壊力を叩き込めば、液状の体を構成する個々の体細胞それ自体を破壊せしめることは可能だ。
 ネギが行ったのもそれに過ぎない。
 惨めに蠢くスライムたちの馴れの果てを、己の足下で抵抗もままならぬほど打ち据えられた魔族を眺めつつ、ネギ・スプリングフィールドは口許を笑う形に吊り上げた。

「はは……あはははははは!!」

 楽しい。愉しい。愉快で痛快でたまらない!
 血が躍る。
 肉が震える。
 骨が笑う。
 肌が粟立つ!!
 そう。そうだった。何故忘れていた? 何故目を逸らしていた?
 あの日、故郷を失ったあの日に、自分は復讐を誓った。
 あの異形どもを許さないと心に誓った。
 奴らを引きずり出して踏み潰し、血肉の一片までも殺し尽くすと心に誓った!
 あの日以来、遊びも休みも忘れて学び鍛え続けたのは、ただそれだけのためにあった!!

「ははっ……はははは!!」
「く……くく……」

 まるで自分に唱和するかのような、押し殺された笑い声に、彼は視線を落とす。
 倒れ伏したヘルマンが、少年を見上げながら笑っていた。
 不可解なことに、そこに苦痛や恐怖の響きはない。
 伯爵号を持つ悪魔は、まさに称号そのままに、貴族的な笑みを浮かべていた。

「素晴らしい……素晴らしいよ、ネギ君。想像以上――否、私如きの想像など及ぶべくもない化け物だ」

 心からの賛嘆を込めて、伯爵は囁くようにいう。

「その力――それはある意味で、君の父をも凌駕する。君が我らの世界に生まれていれば、私は喜んでその前に跪き、久遠の忠誠を誓ったろうな……それだけが唯一、残念でならない」

 どこまで本気なのか、穏やかな微笑からは窺い知ることは出来ない。しかし、声音に込められた、何かを惜しむような響きは、たしかに感じ取れた。
 少年は笑みを押さえ、無機質な眼差しで悪魔を見下ろす。

「僕は残念ではありません、Mr.ヘルマン。あなたがたは、僕の敵だ」

 憎悪も怨瑳も感じさせぬ、穏やかですらある声音――そして、ただの事実を読み上げる声音だった。
 処刑宣告を読み上げる判事よりもなお平板な。当たり前の数式の定理を口にするような、乾いた響き。
 聞く者の心を理由のない恐怖で染め上げる、そんな声。
 しかし、悪魔の貴族は、そうだろうな、とばかりに微笑を深めた。

「君を……真の君を思い出させた者として、忠告しておこう」

 声音にだけ、悪魔本来の特性を超越した――おそらくは真摯とでも評すべき何かを滲ませて。

「君は今このときをもって、ヒトならざるモノへと変じた。憎み呪い殺し恨み壊し犯し蔑み破り嘲り潰す、君がこれより考え行うのはただそれだけだ。四六時中ずっと――ずっと――ずっと――ずっとだ。常夜の荒野を行進し、黒い炎に炙られて、底無き谷へと落ちながら、君は生ある限りそれを続けるだろう」

 不可解な、あるいは理不尽なことに、純粋な気遣いすらそこにはあったかも知れない。

「そういうモノを何と呼ぶか知っているかね?」

 問いかけておいて、返答を待つこともなく。

「――悪魔、あるいは怪物と呼ぶのだよ」

 己を殺すであろう少年へと、伯爵は引き金を引いた者としての義務を果たした。
 少年は返答の代わりに、薄く笑って見せた。
 十歳という年齢など冗談としか思われない、奈落よりも深い愉悦と歓喜。
 ――伯爵はそれを最期に瞼に焼き付けて、満足げにうなずいた。
 すぅ……と掲げられた少年の両腕が、淡い燐光を放つ。
 常軌を逸した魔力によって、限界点をはるかに超えるまでに強化されたそれは、もはや純粋な暴力の顕現――おそらく、単位面積あたりの破壊力は、彼の最強魔法「雷の暴風」をも凌駕する。

「Thank you , sir …… the Earl of Herman」

 

 

 ……その後、繰り広げられた惨劇の大半を、和美は幸運にして記憶していない。
 少年魔法使いはその素手でもって、伯爵悪魔を撲殺した。
 四肢を腹を胸を顔を叩き潰し、鮮血に身を染めて哄笑すら上げていた。
 ……その、狂ったような笑い声だけを、和美はどうにか記憶している。
 彼女がようやく正気づいたとき、雨はようやくにして上がりかけ――悪魔は、彼女たちを束縛していた結界ごと、この世から消滅していた。
 明日菜の胸元に下げられていた魔力転送のペンダントが、いつの間にか粉々に砕かれていたのに気付いたのは、後々になってからのことだ。
 これも後になった聞いたところでは、ヘルマンのような上級悪魔は例えその体を焼き尽くしても死ぬわけではなく、元いた世界――魔界とでも呼ぶべき世界に魂が戻って復活してしまうらしい。
 ネギ・スプリングフィールドは、和美の意識がないうちに、魔力転送のペンダントを破壊した上で、そうした復活すら不可能とする悪魔殺しの超高等呪文を使用していた。
 ――そうして、すべてが終わっても、誰も一言も発せなかった。
 明日菜や小太郎、カモですら例外でなく。
 彼女たちは恐怖すら含んだ眼で、昨夜まで教師とも兄貴分とも好敵手とも呼んだ少年を見つめていた。

「…………」

 ――彼はそんな彼女たちを睥睨するように見下ろしてから、無言で踵を返した。
 彼女たちに背中を向けて、明け方前の、もっとも暗い夜の淵へと歩いていく。

「ネギ……」

 ようやくのことで、明日菜が――震える声で、そう呼びかけていた。

「ネギ!!」

 彼は振り返らない。
 すべてを立ち切るように――否、最初からいるべき場所へと立ち返るかのように。
 小さな背中ははるかに遠く、絶望的な距離を感じさせた――

 

 

 

 

 

 

それが、すべての終わり。
 
そして、始まり。

 

 

 

 

 

 

 朝倉和美はぼんやりと瞼を開ける。
 教室内の光景は、目を閉じる前のそれと何ら変わりがない。
 今は休み時間か。昼休みか。それとも放課後なのか?
 まあ、いずれでも変わりはないのだ。
 誰も彼も、どの時間帯であろうが変わるところはない。
 彼女は再び瞼を閉じ、つい数ヶ月前までの過去、今やはるかに遠くなってしまった記憶へと思いを馳せた。

 

 ネギ・スプリングフィールドが失踪した二日後――
 神楽坂明日菜が姿を消した。
 ルームメイトである近衛このかへ、「あいつを追う」とだけ言い残して。
 カモ、小太郎もまた、それに同行したらしい。
 それを皆に伝えた近衛このかも、十日後に学園から去った。部屋には、学園長や京都の実家に宛てた詫びの手紙が残されていたという。桜咲刹那も当然のように彼女に随行したようだ。
 さらにその後、おおよそ一ヵ月の間に、宮崎のどか、綾瀬夕映、絡繰茶々丸、長瀬楓、古菲らが相次いで失踪した。
 彼女たちのその後は、杳として知れない。親元にどんな説明が行われたのか、和美は知る気もなかった。

「…………」

 夢か現か判別しかねる気分で、和美は人数も活気もはるかに失せた教室内を見渡した。
 今にして思えば、ネギ・スプリングフィールドが魔法使いの学院を卒業したとき、修行先として「教師」を指示されたのも、彼がその内に秘めていた憎悪を癒すため――という意味合いがあったのではないだろうか。
 故郷を失ったあの日に凍りついた時間。
 圧倒的な絶望と、そこに芽吹いた復讐の誓約。倒すべき数多の敵ども。
 それらに囚われることなく、この世界の美しさを――何気ない人の優しさ、穏やかな暮らし、困り楽しみ泣いて笑い合う時間を――思い出させるために、麻帆良の教師という道が用意されたのではないだろうか。この世には、復讐以外にも楽しいこと素晴らしいことは沢山あると知らせる、そのために。
 ……ヘルマンは、その意味では最悪の時期に現れた。
 ネギ・スプリングフィールドが、いくつかの事件を経て教え子たちと心を通わせ、エヴァや古菲らの下で本格的な修行を始め、小太郎という好敵手兼同世代の友人となりうる存在も現れて……教師として、人間として、心も体も健やかな成長を始めようとした、まさにその矢先、かの悪魔は過去の悪夢を引き連れて現れたのだ。

「…………ふぅ」

 和美はため息を一つつき、再び意識を遮蔽した。
 ネギが去り、彼と特に親しかった少女たちがそれに続いてからこれまで、彼女は彼女なりにその消息を追っていた。休日も返上して駆け回り、これはと思える情報を調べ尽くした。
 とはいえ、何らかの特異な技能もなく、アーティファクトも持たない彼女が関わるには、魔法使いの世界はあまりに遠過ぎた。
 結局のところ、朝倉和美に出来たのは、他の取り残されたクラスメイトたちと同様――日々を漫然と過ごしてため息をつくことのみ。
 ……彼女は疲れていた。
 悩むことにも悔やむことにも、どうしようもないほど疲弊していた。
 意識が闇に落ちていく。
 あの日少年が消えたのと似たような闇の奥へと落下する。
 意識が完全に混濁するその寸前、会いたいな……と、彼女は一言、口の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

〈怪物〉〈染血の魔法使い〉〈キリングフィールド〉〈悪魔殺し〉〈ウィザード・ザ・ケィオス〉〈エリニュスの主〉〈ムスペルヘイム〉〈千の殺戮者〉〈リヴァイアサン〉……
 後の世に数多の異名を伝え、恐怖とともに語られる一人の魔法使いの、これが始まりであった。

 

 is that all...?

 



後書き
 某投稿サイトに別名義で投稿したSSです。
 どーも私は、何か新しいジャンルでSSを書く際、ダークかギャグかの二極どちらかに走る傾向があるようで。中庸というのが(少なくとも初期においては)存在しないんですな。極端から極端へ走る男・七瀬由秋(笑)。
 まあ、いくらか自己分析をしてしまうと、初めて書くときはハッタリを利かせようとする習性がある、といったところですか。故に、キャラの性格乃至は設定をどぎつい方向にデフォルメしようとするんですな。
 つまりアレです。商談とか外交とかで、まずは初手に一発かまし(無理な要求をつきつける、脅しめいた文句を並べ立てる)、その後で徐々に現実的な方向へ(かつ、己に有利な方向へ)軌道修正して行くのと事情はあまり変わらない、と。
 以上、自己分析終了。言い訳ともいいますが(笑)。

 なお、この後書きを要約し、かつ意訳を試みるならば、「ネギまの世界観でダークとは何考えてんだ俺は」に行きつくのですが、あんまり気にしないで下さい(←微妙に気弱な男)。

 

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