一辺五メートルの強化コンクリートの壁。
清潔なだけが取柄のベッド。
天板に脚が生えただけのデスク。
備え付けの洋式トイレにシャワー。
窓はなく、唯一の光源は天井の蛍光灯。
それが、この三年間における、彼にとっての世界のすべて。
ガチャリというささやかな音で、彼は毎朝目を覚ます。
鉄のドアの下部につけられた搬入口から、トレイに乗ったパンとチーズ、それに水が置かれる音。
それが、朝を告げる目覚ましの代わり。
厳密には、本当に朝なのかはわからない。
太陽の光などとうに忘れた彼には、朝と夜の区別はない。
別に区別したいとも思わなかったが。
ただ、目が覚めたときが朝で、眠り落ちるときが夜だと勝手に決め付けている。
彼は大きく伸びをして、体内に残る睡魔を追い出し、朝食を取る。
生きるに必要最小限の栄養を取らせる、ただそれだけを目的とした食事だが、食の楽しみを忘却の彼方に放擲した彼にはどうでもいいことだ。
彼はただ、黙々とパンを水で流し込み、チーズを齧る。
Who killed Cock
Robin?
Chapter 0 : after the Third
七瀬由秋
――サード・インパクト。
世界を永遠の静寂に蹴落とそうとしたあの日のことを、彼は細部に至るまで覚えている。
だが、それよりもはっきりと記憶に刻印されているのは、その後に繰り広げられた一世一代の喜劇だ。
「ネルフ、公式発表。サード・インパクトの真相」
「ネルフ総司令、緊急記者会見。涙の断罪」
「実行犯、逮捕。その横顔はネルフ総司令の一人息子」
「十四歳の暗黒――『彼』が人類を憎んだ理由を徹底討論」
……当時、獄中で読んだ新聞や雑誌の見出しに、彼は思わず爆笑したものだ。
まったく、ジャーナリストというものはおめでたい馬鹿が揃っている。
聞きかじりの公式発表を、面白おかしい読み物として仕立て上げ、しかもそれを自他に事実と錯覚させるやり口は、ある意味で驚嘆に値した。
だが、馬鹿にも馬鹿なりの美点がある――傍から見ていて、これほど愉快なものもない。
喜劇の本番の舞台となったのは、極秘に行われた裁判だった。
この裁判において、サード・インパクトに至る過程の全ては、ひとえに初号機パイロットたる彼に責任がある、と検察は主張した。
実際に、初号機がサード・インパクトを引き起こす瞬間を、戦自の兵士が多数目撃しており、この事実に論議の余地はない、と。
彼は前々からゼーレなる秘密組織の接触を受け、その工作員として働いていたのだ――というのが、その主張の根幹を成していた。
検察はそれだけに留まらず、さらに延々と彼の「余罪」を並べ立てた。
それによれば、
零号機が自爆したのも、
セカンド・チルドレンが精神崩壊を起こしたのも、
参号機が使徒に乗っ取られたのも、
第参新東京市が廃墟と化したのも、
戦自がネルフ本部を襲撃したのも、
すべてはゼーレの指令を受けた彼の手引きなのだ――
と、いうことだった。
このまま行くと税金が高いのもポストが赤いのも僕の責任になるのかな、などと彼は思ったものだ。
裁判には証人が多く出廷し、彼の「罪」についての「証言」を行った。
オペレーター三人組は、いささかならず心に迷いがある表情で途切れ途切れに、前々から彼の行動に疑わしいところがあった旨を述べた。
対照的に、赤毛のセカンド・チルドレンは堂々と胸を張っていた。
彼女は元・同僚兼同居人兼クラスメイトとして、彼が日常でどれだけ冷酷で残忍で異常な少年であったかを、熱意を込めて解説した。
その際、被告人席の彼を憎々しげに睨んだ視線には、熱意を通り越して憎悪が滲んでいたが。
かつて彼の保護者であった作戦部長は、やや毛色が違った。
彼女は「弁護人の依頼」によって、彼が幼児期にどれだけ悲惨な環境で育ったかを説明し、減刑を求める役どころを割り当てられていた。
それなりに真摯に聞こえる弁護を行ったものの、彼が無実であるとは主張しなかった。
当の彼は、失笑を堪えるのに苦労する一幕だった。
ネルフと日本政府が非難を受けるべき事象の全てを、たかが十五歳の子供に背負わせる――
そんな無理を通すために脚本家たちが苦労した跡を、彼はそこかしこに認めることができた。
それは例えば、前々から疑わしかったのならどうしてさっさと取り調べなかったのか、というもっともな疑問や、そもそも当時十四歳の少年がどうやってネルフや日本政府を出し抜いたのか、という具体的な説明であったりした。
これらの解答として検察は、前者については彼が「ゼーレの威光をかさに着ていたため」うかつに手が出せず、後者に関しては「とにかく狡猾で巧妙であったため」皆が騙されてしまったのだ、と主張した。
誰のことをいっているんだろうな――と、彼はいささか皮肉に考え、そしてそれ以上に愉快な気分にさせられたものだ。
また、まっとうな裁判ならまずありえない幼稚な主張を大真面目に述べる検察や、平然とそれを聞き入れる裁判官の姿も、なかなかの見物だった。
まったく、かなうことなら、こんな面白いものを見せてくれてありがとう、と苦悩せる脚本家たちの肩を叩いてやりたかったものだ。
一連の喜劇を締めくくるクライマックスは、ネルフ総司令直々の「証言」だった。
重々しく出廷した総司令閣下は、自らの父親として不適切な態度の数々を認め、
「息子が道を誤った理由の大半は私にある。どうか寛大な判決をお願いする」
とまでいったのだ。
これにはさすがに堪えかねて、彼は吹き出した。
笑い声を継続するのはどうにか控えたが、「くすっ」という響きは証人にも届いたようで、その肩がびくりと震えるのが確認できた。
彼自身には、自らの主張を展開する機会は最後まで与えられなかった。
一般人を締め切り、裁判官や検察官、弁護人も「厳選」された場であったが、それでも彼に事実を暴露されるのは不都合だったのだろう。
どの道、彼にはそのつもりはなかった。
何をどういおうが結末が決まっていることを、彼は正しく認識していた。
だったら――
黙って楽しむのが、「聴衆」としてあるべき態度ではないか。
出来の悪い三文芝居であっても、楽しいものは楽しいし、楽しませて貰ったからにはおひねりを投げてやっていい。
――判決はあっさりと下った。
裁判に関わったすべての人間が予想したとおりの結果。
曰く、
「その罪は極刑に値すれど、被告人の年齢と幼児期の体験を考慮し、終身禁固の刑に処す」
裁判官の述べる温情溢れる判決を聞きながら、彼は振り返って、傍聴席に座るネルフの関係者――作戦部長や童顔のオペレーター、副司令など――に、何事か呟いた。
小さな声だったので、誰もその呟きを聞き取れなかった。
彼らにはただ、静かな、静か過ぎる彼の微笑が見れただけだった。
彼はこう呟いた――いや、謡ったのだ。
Who killed Cock
Robin?
誰が駒鳥 殺したの?
I,said the Sparrow,
それは私、雀がいった
With my bow and
arrow,
私の弓と私の矢で
I killed Cock Robin.
私が駒鳥 殺したの
……to be continued
静寂の檻。心地よき孤独。
狂騒の外界。溢れる栄光。
舞い戻る紫の鬼神。蘇る過去の亡霊。
そして、女。
――Next
chapter : Returners
後書き
キリハ様のページに投稿した本作。
エヴァSSにおける私のデビュー作でもあります。
SS掲示板で書き始めた作品ですが、書いているうちに結構な長編に。予想外に好評で感想くれた人もいたんで、かなり嬉しかった記憶があります。
ともあれ、こーして自分でページ開いたことですし、ぼちぼち更新していくつもりです。
内容について少し。
この作品は、いわゆるところの「断罪系」に分類されるお話です。
ご覧の通り、アスカ、ミサト、ゲンドウら、ネルフの面々は扱いひどいです。
まあ、こーゆー作品もあるということで、彼ら彼女らのファンの方々には「Whokill? あんなの知るか」とシカトしていただく他はありません。
ごめんなさい。