彼は自分に幻想を抱いていなかった。
己のことなら細胞の一片、血の一滴に至るまで知り尽くし、統御し尽くす。
完全個体として成り立つ生命とはそういうものだ。
そうした分析が行き着くところ、碇シンジという生命は使徒として最低ランクであるという認識が浮かび上がる。
たしかに、一個の生命としての個体能力――筋力、瞬発力、新陳代謝、反応速度、持久力、回復力、再生力といった点では、人類を大きく引き離している。
記憶や演算、解析、認知といった脳機能においても同様だろう。
しかし、種としての彼は人類に遠く及ばない。
同朋を増やし、世代を重ね、記録を蓄積し、知識を洗練し、職能を分担し、技術を練り、文明と呼ばれるものを構築するという、人類特有の能力。
これはまさに、十八の使徒の一角に相応しい優れた特性だ。だからこそ、人類は三年前の闘争にも勝利し、存続している。
本来、彼などとは比較にならないほどに巨大で圧倒的な――人類という種の持つ「力」は、それほどのものだ。
ちなみに、個体として生きることを選択し、人としての生から外れた瞬間から、彼は生殖能力を失っている。まあ、肉体構造としての性器は消失していないし、異性と交配して受精させることもまったく不可能ではないかも知れないが、その受精卵が新たな「魂」を宿すことはないだろう。形だけの肉体を持った抜け殻が一つ、虚しく出来上がるだけのことだ。
あるいは、人類が進化に費やしたのと同じだけの時間を生き長らえたなら、彼もまたそれ相応の生物種的特性を身につけることもできるだろう。
しかし現実として、今この場における彼は、あくまでこの星の生物史に突然変異種として現れた新参者に過ぎない。
人類の持つ生殖能力もなく、他の使徒が得ていた神の心臓もなく、ただ小手先の模倣のみを武器とした哀れな弱者。
種としての彼は、つまるところそういうものでしかなかった。
具体的に例えるならば、人類がその文明の果てに独力で生み出したN2兵器――その超高熱・衝撃は、直撃すれば彼など一瞬で蒸発せしめるほどのものだ。
いや、本来はそれすら必要ない。集められるだけの火砲をかき集め、二十四時間態勢で彼に砲撃を集中し続けたならば、それだけで確実に勝負は決まる。
本気を出した彼の肉体は生半可な砲では傷一つつけられないが、それを維持するには応分のエネルギー摂取が必要だ。事前にどれだけの人間を食っていたかにもよるだろうが、まず数ヶ月もすれば彼の体力は尽き、その肉体は小口径の銃弾ですら貫けるていどになる。
正面切っての戦いとなれば、碇シンジに勝算などあろうはずはない。
ネルフは随分とこちらを買い被っているようだが、実状は、エヴァ初号機が手元にあって初めて勝負になる、というていどのものでしかないのだ。
もしネルフが、彼をその懐へ呼び戻さなければ――、
もし初号機が、彼の手元に存在しなければ――、
碇シンジはその分に相応の、誰にかえりみられることもないちっぽけな死に様を迎えていたであろうに。
あまりといえばあまりな運命の差配に、彼は失笑を覚えた。
まったく、人の世とは面白い。
種としての優劣は圧倒的だというのに、ほんの一握りの連中の血迷った判断が、こうして彼を対等の土俵に立たせている。
結構!
そういう一元的でないところは大いに評価に値する。
1+1=2とは誰の目にも明らかな数式のはずだが、それをゼロにも億にもマイナスにもしてしまえるのが人類という種の特徴だ。
観察対象としてこれほど愉快なものもない。
「さて――行こうか、初号機?」
壁に開いた大穴、その向こうに控えていた戦友に、彼は呼びかける。
紫色の巨人が、従順にうなずく気配があった。
彼はにこりと笑って彼女の肩口に飛び移り、適当な進路を指し示す。
その先に何があるのかなど知ったことではない。
勝利か、敗北か、殺戮か、破滅か。
いずれであろうと構わない。
それらすべてを楽しむことに、彼は決めていた。
Who killed Cock Robin?
Chapter 8 : Goddesses of inferno
七瀬 由秋
……すべての感覚を開いて、彼の痕跡を辿る。
むせぶような血の匂いが邪魔だったが、その中にも確かに残る彼の匂いが、自分を導いてくれた。
最後に会ったときから、どれだけの時が経ったのか。自分がどれだけ眠っていたのか。
彼女には自覚がない。
永劫のように長かったようにも思えるし、ただ一時の間でしかなかったようにも感じられる。
いずれにせよ明らかなのは、彼が依然として自分には必要な人で、その傍にいることはきっと楽しいに違いないという事実だ。
だから彼女は、迷わなかった。
「B級以下の職員は全員退去させました」
「近隣住民への避難勧告、発令」
「第三、第四師団、展開完了」
「徳田二佐より通信。これより突入す」
矢継ぎ早にもたらされる報告は、ネルフが急速に反撃準備を整えつつあることを知らせていた。
統合作戦本部長・加持ミサトは無表情にうなずき、リツコへ視線を向ける。
「技術本部長、何か進言は?」
「あいにくと。こちらから提示できるのは、せいぜい弐号機のコンディションに気を付けて、という忠告くらいよ」
ピリピリとしてるわね、と思いつつリツコは肩をすくめて見せる。
ミサトは眉を跳ね上げ、
「何か調子悪いの、アスカ?」
「パイロットの方は好調よ。シンクロ率147.9%、S2機関の出力に問題なし」
ただし、とリツコは付け加える。
「ご存知の通り、S2機関にはまだまだ未完成な部分も多いのよ。戦車だの歩兵だのを蹴散らすのとは訳が違う――同じエヴァを相手取った戦闘で、S2機関搭載型の有人機がどこまで満足に稼動できるか、データが絶望的に不足しているわね」
無限の動力を保証するS2機関、それが暴走すればどうなるか。ネルフはかつてアメリカ第二支部と引き換えに教訓を得ている。ゼーレが建造したエヴァシリーズにしても、完成度という点ではお粗末もいいところだった。補完計画の発動まで保てばよい、という実にわかりやすい理由から、S2機関の耐久性その他はかなりいい加減な代物だったのだ。
まして弐号機の場合、最初からS2機関搭載型として設計されたわけではなく、二年前の改装でそれを移植された改造型なのである。長時間の運用試験はクリアしているが、対エヴァ戦などという過酷に過ぎる状況下で安定した動作が継続できるかどうかは、まさに出たとこ勝負というところだった。
「――それはそれで仕方ないわ」
ミサトはしかし、いっそ無情なほどにあっさりとうなずいて見せた。困惑や後悔、不安や未練といった段階を通り越し、人間的感情をどこかに放り投げたようだった。
「どの道、初号機を倒すには弐号機を使う他ないんだし。だったら、使いながら直していくしかないわね」
「下手をすればこの街ごと吹き飛ぶわよ?」
「それならそれでよしとしましょう。あの化け物どもだけは、確実に殲滅できる」
そう言い放った表情は、どこまでも模範的な――おそらくは碇ゲンドウがもっとも望む類の――ネルフ軍人のものだったろう。目的のためにはあらゆる手段が許容されると信じて疑わない。街一つどころか、国が一つ二つ消滅しても必要な犠牲と割り切るだろう。
さすがに言葉を失ったリツコから視線を外し、ミサトはマヤに訊ねた。
「ハンディへの通信は?」
「良好です。全機快調に作動中――」
『ハンディ』とは、ネルフの実戦部隊に配備されている情報通信用の携帯端末のことだ。構想自体は使徒戦争当時から存在し、サード・インパクト後の予算の著しい充実で一気に実用化された。正式名称はF型野戦携帯用情報通信端末などとという長ったらしいものなのだが、現場の士官たちからはごく単純に「ハンディ」と通称されている。
外観的には、全長二十センチ弱、厚さ四センチていど、かなり大き目の携帯電話といったところ。しかしその性能は、そこらのノートパソコンを軽く凌駕する。小型ディスプレイと内蔵カメラで表現できる範囲という制限はあるにせよ、映像も音声もリアルタイムで送受信できるし、処理速度も申し分ない。
設計に当たっては実戦経験者の意見が多く取り入れられており、徹底して耐久性を重視しているため、かなり手荒く扱われても――例え近くで砲弾が炸裂しても――まず故障はしない。敵兵に奪われた場合などの対策も怠りなく、使用に際しては事前に登録された士官の声紋・遺伝子照合が必須であり、状況次第では発令所からの指令一つで内部機構が自壊するようになっている。
最大の特徴は衛星回線等で総本部発令所のMAGIと常時接続されている点であり、これを通じて現地部隊は己の置かれた状況から全体的な戦局、敵戦力の状態、周辺の地理、気象情報などなど、ありとあらゆる情報を得ることができる一方、発令所でも現地部隊を完全に掌握できるのだ。
それまでの軍隊では、前線の部隊指揮官の認識と後方の総司令部のそれとは大きく食い違うのが当然であり、混戦下では極端なところ、当の前線の兵士たちですら自分たちの置かれた状況がまったくわからないということが珍しくなかったから、いうまでもなく大変に有効な装備だった。他の軍隊の兵士の間では、エヴァよりもこのハンディをこそ配備した方がよほどありがたい、そう公然と囁かれているほどのものである。
これを小隊単位に至るまで配備させている点が、ネルフの作戦行動能力の高さの秘密であり――先刻の通信システムの異常に際し、ミサトが過敏なまでに危機感を覚えた理由でもある。
「結構。手元にある限りのアレと初号機の情報を送ってやって。記録映像も、すべてね」
何気ない命令に、マヤが目を剥いた。それは取りも直さず、初号機の帰還と碇シンジの召還、そして使徒化という最重要機密事項を、下級士官にまで伝えることを意味している。
「構わないわ。――ただの人間とエヴァを相手にするつもりで来られても、物の役には立たないから」
ミサトの口許に浮かんだ表情は、いっそ凄絶ですらあった。
マヤはごくりと唾を飲み下し、無言でうなずく。
メインモニタに映し出されている戦況図では、エヴァ初号機とその主を表す二つの赤い光点が移動を始めていた。進行方向はデタラメのようだが、もちろん放置できるはずがない。
そして、それに一直線に近づいていく、青い光点。先刻から続いていたオペレーターの誘導により、地下ブロックの構造物を片端から破壊しながら、最短距離で赤い光点へ向かって行く。
発令所を含めた地下ブロックすべての現況を映し出すメインモニタだが、部分的にいくつか、暗い色彩で描かれている区画がある。これはあまりに損壊が酷いため、警備・保安システムが知覚できない個所だった。
もっとも、ミサトもリツコも、その点にはほとんど注意を払っていなかった。
暗色部分は全体の一割以上に及んでいるとはいえ、敵の居所は問題なく掴めているのだ。碇シンジはともかくとして、初号機を見失うことなどありえまい。前者についても、実戦部隊の兵士たちが到着した今、人海戦術で狩り出すことは難しくない。
それは彼女たちに限らず発令所の全スタッフに共通する認識だった。
――後に彼らは、その認識の甘さを痛切に後悔することになる。
巨大な通路をエヴァ初号機は進撃する。
碇シンジは気楽な気分でその肩に腰掛けていた。
さてさて、ネルフはどう出てくるか。
子供の頃に読んだ絵本の筋を思い出すように、そんな思案を巡らせる。
赤木リツコが順当に発令所へ辿りつき、葛城ミサト――いや、加持ミサトだったか?――がまともにその言葉を聞き入れているならば、これからの道中は酷く危険で熾烈なものになるだろう。少なくとも、健気な兵士たちに豆鉄砲だけを持たせて向かってくるような愚行は金輪際しまい。
かの女は人間としては成熟から程遠かったが、実際の戦場に臨んでは誰よりも果断で逡巡がない。正しい判断を下しているかどうかはともかくとして、躊躇と停滞こそが最大の過誤であると知っている。
少なくとも僕ならば、とシンジは考えた。
可能な限りの装備を揃え、可能な限りの兵力を叩きつける。あるいは、この地下施設を爆破して生き埋めにする。
彼一人ならともかく、エヴァ初号機に対しては、細かな戦術など物の役には立たないのだ。必要なのはただ圧倒的な力のみ。
そして、現時点における、ネルフの最強戦力といえば――考えるまでもない。
口許に笑みが浮かぶ。
あれから三年。当時の記憶は既におぼろげなものでしかないが、それでも断片的に覚えていることもある。
かつて肩を並べて戦った赤毛の少女。
脆弱な自我を鎧う過剰な攻撃性。
堕ちることへの恐怖と、その反動としての極端な上昇志向。
自分とはまた別の意味で、彼女もまたエヴァパイロットの天分を備えていた。
何より素晴らしいのは、どうやら彼女は自分を心底憎んでいるらしいことだ。憎んでいる理由までは見当もつかないが、まぁそれはどうでもいいことだろう。
――彼は視線を巡らし、十数メートル先の壁面を眺めた。
待ち望むものが近づいてくる実感があった。
一直線に突き進んでくる巨大な質量の圧迫感。連続する破壊音。……人外の感覚が補足する、同じ人外の波長。
残念なことが一つだけあった。
あの少女はあくまでただのパイロット。彼のようにエヴァをその意思で従わせているわけでもなければ、あの渚カヲルのように遠隔操作を行えるわけでもない。
殺し合う敵手の顔が見えないというのは何とも残念なことだ。
憎悪と恐怖。敵意と絶望。人間の持つ豊富な感情と、それの織り成す表情というものは、見ていてなかなかに楽しいものなのだが。
――視界の外の、しかし至近の場所で、一際甲高い破壊音が鳴り響く。
彼が闘争を望んだのと同様、あの少女もまた彼との闘争を望んでいる。
何と素晴らしい。
巨人の肩の上に立ち上がり、彼は満面の笑みを浮かべた。
「ようやく来たか」
見つめていた壁面が、内側から破裂するように瓦解する。
開かれた地獄の穴から、真紅のエヴァンゲリオンが顔を出していた。
「セカンド・チルドレン、そしてエヴァ弐号機――ようこそ戦場へ!」
恋焦がれた恋人を歓迎するように、彼は呼びかけた。
エヴァ初号機を――否、碇シンジの姿を視認してからの弐号機の行動は、迅速の一言に尽きた。
ほとんど瞬きの間に間合いを詰め、プログナイフの一撃を彼に向けて放ったのだ。
気楽ではあっても決して油断していたわけではない彼が、とっさに反応が遅れたほどの、それは驚異的な速度と正確さだった。
どうにか無傷ですんだのは、どんなときでも彼の守護を最優先とする初号機が、自身の腕を盾にして守ってくれたためだ。
間髪入れずに弐号機の脚が跳ね上がり、初号機の胴体を直撃する。乱暴なように見えて、ひどく隙のない動きだった。
直撃を受けた紫色の機体が宙に浮く。
肩に乗っていた彼は振り落とされないようにするのが精一杯だった。
かろうじて堪えた初号機に、再びナイフによる横薙ぎの一閃が襲いかかる。
「一度退け!」
弐号機の攻撃に反応して、というよりその声に応じてだろう、瓦礫の山を蹴飛ばしながら、初号機は後ろへ飛んで距離を取った。
――何とまぁ。
口笛を吹きたい気分とはこういうものか。
ほんの数撃で否応無しに実感できた弐号機の戦闘能力と、それを引き出したセカンド・チルドレンの力量とに、彼は正直感嘆した。
おそらくは悠に100%を超えているであろうシンクロ率、地道な訓練の積み重ねによる技術の洗練、もって生まれた反射神経、そして幾多の実戦によって培われた判断力。
すべてが恐ろしく高水準。三年前とは比較にもならない。
今の彼女ならば、おそらくはゼルエル級の使徒ですら単独で屠れるだろう。
それがどれほどの努力の結果であるか、想像もつかない。
惣流・アスカ・ラングレーは、用意された安楽椅子でただふんぞりかえっていたわけではなく、むしろそれまでに倍する執念をもって己を鍛え続けていたのだ。
――まったく、ご苦労な話だ。
彼はほとほと感心する。一体どこをどう思い詰めればそこまでできるのか、皆目見当もつかない。
弐号機は相変わらず攻めの姿勢を変えるつもりはないようだった。
おそらくはパイロットが呼吸を整えるためであろうが、ほんの数秒だけその場で静止した後、重心を低くして膝をかがめる。陸上競技でいうクラウチング・スタートに似た態勢だ。
床面がへしゃげ、亀裂の入る鈍い音がした。
まさに弾丸を思わせる勢いで突進してきた弐号機を、初号機は真っ向から受け止める。
単純な力勝負なら、初号機の方に分がある。いかにセカンド・チルドレンが優れたパイロットであり、100%超のシンクロ率を叩き出しているとはいっても、自我を持って潜在能力のすべてを引き出している初号機には及ぶべくもない。
しかし、正規の軍事教練を受けたセカンド・チルドレンは、引き出した力を効率的に叩きつける術を心得ていた。
肩口から突き刺さるようなタックルを初号機はかろうじて受け止めたが、強烈な衝撃がその全身を震わせ、もとから半壊していた装甲板に新たな亀裂を走らせる。
さらに突き入れられるナイフ、拳、肘打ち、蹴りの連打に、初号機は防戦一方に回っていた。
これは足手纏いにしかなってないな、と彼は冷静に自覚する。
弐号機の想像以上の戦闘能力もあるにせよ、初号機が完全に押されてしまっているのは、まず第一に彼を庇っているからだ。
セカンド・チルドレンがまた、初号機よりもまず彼をこそ優先的に仕留めようとしているため、尚更初号機は自身の防御が疎かになっている。もしも計算してそうしているのなら、セカンド・チルドレンは沈着さにおいても想像を上回る傑物だ。
まぁ、単に僕が憎いだけかも知れないが――彼は考えた。セカンド・チルドレンにとっては初号機などただの障害物でしかなく、本質的な意味では碇シンジしか目に入っていないだけなのかも。
数時間前に目撃したあの狂態から察するに、その可能性は甚だ高い。
つくづく彼女は、碇シンジにとって理想的な敵であるようだ。それとも、彼女にとって碇シンジは理想的な敵である、そういうべきなのかも知れない。
さらにこのとき、いずこからか飛来したロケット弾が、彼をめがけて接近してきていた。
それだけならば、実のところ大したことはない。ロケット弾の一発や二発、彼にしても初号機にしてもちょっと派手な花火というていどのものだ。問題は、そのていどの攻撃からも、初号機は愚直に彼を守ろうとすることであり、それによって弐号機に隙を見せてしまうことだった。
「フィールド展開!」
避けられぬと知って、とっさに命じる。
それに応じた初号機が瞬時にATフィールドを展開、ロケット弾は虚しく弾けて四散し、何度目かの突撃を仕掛けていた弐号機もまた動きを阻まれていた。
やはり初号機は、基本能力だけならば弐号機を凌駕している――フィールドを中和しようとして、思うようにいっていないらしい弐号機の様子を眺めながら、彼は分析する。
巨人同士の戦闘において、自分は完全に邪魔なだけだ。
それに、と彼は視線を移した。
弐号機の背後十数メートル、整備員用であろう非常口から、何人かの兵士が顔を出して様子を窺っている。
遠目にも、ロケット砲やら何やらで重装備をしているのが見て取れた。ネルフの統合作戦本部長は、どうやらこちらの期待通りの判断を下したらしい。
弐号機に加えて彼らの攻撃まで防ぐとなると、さしもの初号機の手にも余るだろう。
「二手に分かれるよ、初号機」
そこかしこに点在する非常口から手近なものを物色しつつ、彼はいった。
「君は弐号機を。僕は人間を片付ける。いいね?」
――Yes,master.
初号機は、弐号機の思わぬ強敵ぶりに忌々しさしか感じていないようで――あるいは、相手が執拗に自分の主を狙っていることに憤っているのだろう――、憤怒を押し殺したような様子で応えてくる。
「いうまでもないけど、強敵だよ。無理はしなくていい」
――No problem.I exist to ruin your enemies.
「そっか」
彼は苦笑混じりにうなずいて、
「ならば任せる。ネルフ総司令部ご一同の前で再会しよう」
最後に、とん、と巨人の頭部に拳を当てて。
彼は躊躇なく数十メートル下の地面へ身を躍らせた。
惣流・アスカ・ラングレーは彼の「逃亡」を見逃してはいなかった。
否、彼の姿を認めて以来、その挙動から目を放した瞬間はない。
「逃がすかぁぁぁ!!」
脳髄が灼熱し、視界が真っ赤に染まる。
殺す。絶対に殺す。
アンタだけは絶対に、何があってもこの手で殺してやる。
すべての脳細胞がその誓約だけを喚き続ける。
三年間、ただの一瞬も忘れたことはない。
四年前に出会い、一年近くをともに戦った。瞬く間に自分を追い越し、さらなる高みへと駆け上っていった。軟弱な面に曖昧な笑みを浮かべながら、当たり前のようにしてはるか遠い場所に立っていた。自分の勝てなかった敵を、打ち倒し続けた。「エヴァに乗るために生まれてきた子供」、サード・チルドレン碇シンジ。
どれだけ憎み、どれだけ呪ったことか。
大した努力もせず、エヴァパイロットの誇りも持ち合わせないあの少年が自分より勝っているなどと、どうしても受け入れられなかった。
だから三年前、彼があらぬ罪をなすり付けられ、正義の名の下に裁かれたとき、最初は愉快でたまらなかったものだ。
ざまを見るがいい、そう思った。少しばかり才能があるからとでしゃばるからそうなるのだ。しょせん、あいつには才能に足るだけの強さがなかった。自分のように、才能を最大限生かす強さも持った真の天才とは格が違うのだ。
現実として、自分は十体近いエヴァシリーズと最後まで戦い抜いたというのに、あの愚か者はその後になってのこのこと現れ、サード・インパクトの引き金を引いたというのだから、その見解はまったく正しいと確信できた。
すべての罪を背負って退場するのがまったく似合いの末路だと、そう思えたのだ。
処刑ではなく禁固刑になってしまったのが唯一引っかかるところではあったが、それも一生涯を汚名と恥辱に塗れて暮らすのだと思えば納得できた。
「逃げるなぁぁ!! 勝負しなさい、シンジィ――っ!」
――爽快な気分が霧散したのは、判決が出た翌日のことだ。
エース・パイロット、惣流・アスカ・ラングレー。そう記された週刊誌の表紙を何気なく見た瞬間、猛烈な違和感を感じた。
これまで自分が渇望してきたその称号。では、エースとはそもそも何だ。
才能? 強運? 技術? 体力? 人格?
考えるまでもない。エースの称号とは、もっとも多く敵を撃破した者にこそ与えられる。
ならば。使徒戦争当時、誰がもっとも多くの使徒を屠ったのか。
例え精神的に脆弱であったとしても、それがどうしたというのか。使徒戦争当時、あいつは泣き喚きながら戦い続け、勝ち続けていたではないか……。
それはある意味では必然の、当たり前といってよい論理の帰結であり、視点の転換だった。
碇シンジが近くにいたときは、惣流・アスカ・ラングレーは脳を煮え立たせるほどにただ彼を憎み、蔑んでいればよかった。彼の欠点を逐一過大にあげつらい、馬鹿だ愚かだと貶めていれば、自分を慰められた。
しかしいざ彼がいなくなり、その怨讐が一段落ついてしまうと、彼女は否応無しに剥き出しの現実と相対することになってしまったのだ。
碇シンジは明らかに自分より格上であったと、理性が結論する余裕を取り戻してしまった。いや、より端的に「我に返った」という言い方もできるだろう。
その瞬間から、あらゆる賞賛は責苦となり足枷となった。
エースと呼ばれる度に、本来そう呼ばれるはずだった少年の顔が思い出された。
英雄扱いされる都度、彼がどこかで笑っているような気がした。
開き直ってすべての賞賛をそのまま受け取ればよかったのだろう。横取りだろうが欺瞞だろうが、あらゆる功績を独占し飽食すればよかった。だが、それができるほど彼女は大人ではなかった。潔癖さを捨てられなかった、といってもよい。
しかし、回り出した歯車は止められない。ましてその回り始めには、彼女自身が手を貸していた。
与えられた黄金色の椅子に、それが金メッキであると知りながら、彼女は座り続けた。いや、メッキをメッキでないよう取り繕うため、さらなる努力を己に課した。
連日連夜の訓練を、死に物狂いでこなした。少しでもシンクロ率を伸ばし、少しでも技術を高めるため、他のすべてを犠牲にした。そうしないと不安でたまらなかった。五時間以上眠れた夜など、あった試しはない。休暇などというものは概念すら忘れ果てた。
実戦の空気を忘れないため、ネルフが介入した世界各地の紛争地帯へ積極的に参戦もした。時には弐号機をもって敵軍を蹂躙し、数え切れぬ人命をその手にかけた。マスメディアには華々しい戦果しか報道されてはいないが、一部政府・軍関係者の間では「戦争狂」「血に飢えた娘」などと囁かれていることも知っている。
挙句の果てには、仮想現実によるエヴァ初号機との戦闘シミュレーションも行った。リツコからは不必要だと指摘されながらも、記録に残る絶頂期の碇シンジを、ありとあらゆる劣悪な戦況を想定させて、何度も何度も繰り返し戦った。
半年後には勝率を七割に乗せ、一年後には連戦連勝するようになった。二年後には苦戦らしきものすらしなくなり、今では開始から十秒と要さず瞬殺できるようになっている。
そんな日々が三年間、ずっと続いていた。
……訓練に熱心で、紛争鎮圧にも実績を上げるセカンド・チルドレンの評価はたしかに高まった。
ミサトも加持も、常に評価の辛いリツコですら、惣流・アスカ・ラングレーは完全に碇シンジを超えたと断言した。
だがそれでも、一度たりとも納得したことはない。
何をどう鍛えようが、彼女の前には常に碇シンジの背中が見えていた。仮想現実のシミュレーションに勝っても意味はない。それは所詮、過去の彼のデータに過ぎないのだから。
もしもあいつが今なおパイロットとして健在だったならば、
――あたしが辿りついたよりもさらなる高みに、当たり前の顔をして立っていたかも知れない。過去、常にそうであったように。
そんな恐怖に、取りつかれ続けていた。
「殺してやる!!」
あくまでひたすらに彼を追う。
それを遮るように道を塞ぐ、紫色のエヴァンゲリオン。
「邪魔を……っ、するなぁぁぁ――!!」
怒号して、拳を叩きつける。
完全に頭に血が昇ったこのときですら、何万回となく反復練習した軍隊格闘技の動作が無意識にイメージされ、真紅のエヴァンゲリオンがそれを忠実になぞる。
鋭く強烈な打撃を、初号機は顔面で受け止めながら小揺るぎもせず、道を阻んでいた。ダメージがないわけではないだろうが、断固として壁になるつもりのようだ。
アスカは憤怒に顔を歪めながらも、なおも彼の姿を見つめていた。
――数時間前。彼の姿を三年ぶりに目の当たりにしたとき、ついにこの日が来たのかと思った。
抱き続けていた恐怖がついに実体を持って、自分を破滅させに来たのかと、正気を失いかけた。エースの称号と本来の栄光を、自分から奪い返しに来たのかと思えた。
だが、違った。
あいつは奪いに来たのではなかった。そんな生温い物ではない。戦争をしにやって来た。
誰と? もちろん、あたしを含めたすべてとだ。
想像をはるかに超える化け物となり仰せ、初号機をも再び従えて、かつて自分を切り捨てたすべてに戦争を挑んだ。
……いいだろう。望むところだ。殺し合いがしたければ喜んで応じてやる。
消えない背中に恐怖し続けるのももう沢山だ。
この三年間、気が狂いそうになりながら鍛え続けた日々は、生まれ持ったモノの差をも覆せると証明してやる。
過去の事実が碇シンジの才能を証明するのならば、今このときの現実をもって惣流・アスカ・ラングレーが彼を上回ったと証明させてやる。
そうであればこそ、正真正銘のエースとして自分を誇ることができる――今度こそは、一点の曇りもなく!
「どけっていってるでしょ!!」
渾身の力を込めた回し蹴りで、しつこく纏わりつく初号機を蹴り剥がそうとする。だが、どうやら自律意思によって碇シンジを守っているらしい初号機は、フィールドを展開してそれをしのいだ。
アスカは奥歯が砕けんばかりに歯噛みする。
スクラップ同然の人形風情が、自分を阻むなどと。それもあろうことか、己の意思によって、などと。
初号機の背後、整備員用の非常口の前で碇シンジが立ち止まり、一瞬だけ振りかえったのが確認できた。
――笑っていた。
本人が何を意図して笑ったのかはわからない。
だが、アスカはその表情を、自分に辿りつきたければまず初号機を倒して見ろ、と挑発しているのだと受け取った。
「……いいじゃない。わかったわよ」
アスカは低く呟いた。
碇シンジの姿は、既に扉の向こうに消えてしまっている。弐号機で追うことは、まったくの不可能ではないにせよ難しい。
赤毛のセカンド・チルドレンは、ここに至って初めて、紫色の巨人に焦点を合わせた。
人の形でありながら猛獣を思わせる姿勢で、かつての僚機はこちらに襲いかかるタイミングを窺っている。
「このガラクタが……!!」
惣流・アスカ・ラングレーは心から吐き捨てた。
幾度となく繰り返したシミュレーション、それを現実にしてやる。
このガラクタは、一体何を勘違いしているのか。
増長するにも程がある。自分と弐号機を相手にするなどと。
――そう、碇シンジが乗っているわけでもないくせに。
惣流・アスカ・ラングレーが碇シンジに接敵したのと、ほぼ同時刻――
周辺の基地から駆けつけてきた応援部隊は、続々と地下ブロックに突入を開始していた。
とはいっても、全軍こぞって一斉に、というわけではない。そのような真似をすれば、細長い通路で渋滞と混乱を引き起こすだけのことである。
通信が復旧したことにより部隊を完全な管制下に置いた統合作戦本部は、まったくもって順当な判断を下した。主力は総本部ビルを取り囲むように布陣し、職員や付近住民の避難誘導に当たる一方、小隊単位で分けた歩兵たちを順次地下ブロックに突入させたのだ。
松代第三基地所属の第7861歩兵小隊もまた、そうして送り込まれた小隊の一つだった。
突入直前に装備の変更・統一が行われたため、兵士たちの武装は概して物々しい。
大口径の機関銃、対戦車用ロケット砲、バズーカ等々、およそ屋内で使用するような代物ではなかった――下手をすれば、爆風で味方が壊滅してしまう――が、統合作戦本部の指令は「全面使用許可。施設・人員のあらゆる損害を許容する」という、まともな軍人なら正気を疑いたくなるものだった。
しかし、いざ作戦開始の号令が下された以上、異議を挟む者はいない。
小隊長に至っては尚更だった。つい先刻、7861小隊にも当然ながら配備されているハンディに、いくつかのデータが送信されて来たのだ。
史上最悪の虐殺者・碇シンジの使徒化。及び、史上最凶の失敗作・エヴァ初号機の乗っ取り。
四センチ四方の小型ディスプレイに映し出された映像は、その脅威を余すことなく伝えてくれた。
あまりにことが重大なため、小隊長はそれらのデータを自分一人で閲覧し、部下たちには秘していたが、ただならぬ雰囲気というものは伝染するものだ。
兵士たちは軽口一つ叩かず、薄暗い地下ブロックの通路を整然と、駆け足で行軍して行く。
装備が全体的に大きく重いため、その足取りは決して早くはなかったが、作戦行動として見た場合はむしろ迅速ですらあった。
ハンディには地下ブロックの地図も(概略ながら)映し出されており、敵の現在位置はもちろん指定された目標地点への最短ルートも表示されていたからだ。加えて、自分たちの小隊及び友軍が今現在どこをどう行軍しているかも逐一表示されるのだから、迷路のような地下ブロックにおいてさえ混乱は最小限に押さえられていた。MAGIと常時接続されているハンディには、そのていどのサポートは当たり前のようにこなす性能がある。
やがて彼らは、壁や床面が著しく損壊した通路に差し掛かった。碇シンジとエヴァ初号機の爪痕、それがまざまざと残る区画だった。黒ずんだ血痕がそこかしこに張りついているというのに、死体がまったく見当たらない事実を兵士たちは訝ったが、答えを見出せる者はもちろんいなかった。
ハンディに映し出される地図も、この区画については「現状不明」を表す黒ずんだ色で描かれている。保安・警備システムも全壊しているため、通行可能かどうかすら判明していないのだ。
束の間、小隊長は判断を迷った。
その区画を突っ切ることができれば、目的地までの到達時間を大幅に短縮できる。しかし、もし途中で通行不能なまでに崩落していれば、それこそ時間のロスだ。
発令所に問い合わせても無駄なのはわかりきっていた。発令所でも掴み切れていないからこそ、ハンディの地図も暗色で表示されているのである。このていどの判断は現場で行われるべきものだった。
「……進め!」
結局、小隊長は多少の危険性を無視しても、半壊した区画を突っ切ることを選んだ。この点、統合作戦本部長の人的影響力であったかも知れない。加持ミサトは、まさに巧遅より拙速を重んじる型の指揮官だった。
重装備の兵士たちが行軍を再開し始める。
小隊の後尾からざわめきが上がったのは、そのときだった。
先頭近くを進んでいた小隊長はとっさに足を止め、「何事か!?」と声を高める。
返答は、なかった。
誰もが振り返り、状況を確認しているはずなのだが、応えようとする者がいない。
顔をしかめて後方に駆け戻ろうとした小隊長の足が、その寸前で停止した。思考すら、止まっていたかも知れない。
――居並ぶ兵士たちの間を、一人の少女が歩いていた。
幼さの残る、しかし凛とした美貌。真っ直ぐに前を向く紅の眼差し。薄暗い照明の中にも目映く輝く純白の裸体に、腰まで伸びた蒼銀の髪だけがたなびいている。
彼女は立ち尽くす兵士たちをまるで静物のように無視して、瓦礫だらけの床を歩いていた。
呼吸すら忘れたかのように見える兵士たちが、彼女が近づいたときにだけ、それに触れることを畏れるように道を開けていく。
透き通るような裸体に、劣情を抱く余裕すらない。それをするには、少女の存在そのものがあまりに現実感を欠いていた。皆が皆、この異様な状況下で幻影でも見ているのかと己を疑っていた。
呆然と彼女の顔を見つめていた小隊長だけが、不意に何かに気付いて息を吹き返す。
震える指でハンディを操作し、一つの古いデータを呼び出す。
――E計画適格者名簿。
ファースト・チルドレン、綾波レイ。サード・インパクトに際して消息不明。登録抹消済み。
小型ディスプレイに表示された写真の面影は、目の前の少女の美貌にぴたりと重なった。
「……待っ……」
かすれた声で、一歩踏み出す。
少女は意に介した様子もなく、ただ無言で歩いていた。まったく変わらぬ歩調で、ゆっくりと。
その華奢な体が眼前を通り過ぎようとしたとき、小隊長は麻痺しかけていた喉に活を入れ、再び声を張り上げた。
「……待て!」
必死で平静を装おうとしたその声は、かえって甲高い、耳障りな雑音となって響き渡った。
「ふぁ、ファースト・チルドレン、綾波レイだな」
呼びかけながら、どうにか足を動かす。
何故ここにいる。今までどうしていた。とにかく、至急発令所の命令を仰ぐので、我々に同行せよ――
そう続けかけた小隊長の前で、彼女は依然歩みを止めていなかった。路傍の石のように完全武装の兵士たちを無視し、規則正しく歩を刻んで行く。
「ま、待てといっている!」
手を伸ばし、彼女の腕を掴む。
幻影かとも思われたその肢体はたしかな実体を持ち、奇妙に冷たい体温を感じさせた。
――その瞬間、
ようやく周囲の人間の存在に気付いたかのように、彼女が振り返った。
ただ腕を掴まれて制止された、それだけのことが、まるでまったく思いもよらない天変地異であったかのような反応だった。
それと同時。
空間に、波紋が走り抜けた。
崩れかけていた通路ごと、人体が瞬時に歪み、へしゃげ、分解し、消滅する。小隊全員が消し飛ぶまで、秒単位すら要さなかっただろう。
それが、結界の域にまで達した強大無比のATフィールドによるものであると――エヴァ初号機にすらなしえない、超高次元の力の奔流であるなどと、理解できた者はいなかった。知覚できた者すら、いたかどうか。
唯一、少女に触れた小隊長だけが、脳髄が消滅するまでのコンマ以下の時間にその表情を目撃していた。
――そこに殺意はなく、悪意はなく、憎悪もなかった。
ただ自然に、遥か遠くに自分たちを見下ろすような、透明な眼差し。
彼女は単にこの通路を通りたかった。
兵士たちなどに興味も関心もなかった。
それが思いもかけず邪魔をされたので、排除することにした。
そう、まるで服についた埃を払い落とすかのように――
意識がブラック・アウトする最後の刹那に、小隊長はそう了解していた。
7861小隊の壊滅は、当事者以外の誰にも知られることはなかった。その区画の警備・保安システムは全壊していたし、新生ネルフの総本部施設にはATフィールドの発生を厳密に感知する機構は備えられていなかった。今日のネルフの敵は、人間であって使徒ではないのだ。
ごくささやかに「ハンディへの通信途絶」という信号がMAGIにもたらされたのが、その惨劇を証明するすべてであった。
しかし、MAGIはそれを、作戦行動に付随する雑多な問題の一つとしてしか処理せず、確認したオペレーターも、一応の報告を受けたミサトも、すぐさま忘却してしまった。
いかにハンディが優れた代物であっても、幾千幾万の兵士を統制するにはあるていどの混乱は付き物だし、実戦においては思いも寄らぬアクシデントが山積する。要するに、発令所は多忙だった。大方、半壊した通路が崩落するか、指揮官が事故で負傷するか、あるいはハンディがたまたま不良品で故障を起こしたのだろうくらいにしか思わなかった。
それに、何といってもしょせんは小隊一つの問題だ。地下ブロックに投入されただけでも三桁近くにのぼる同様の部隊が、発令所の指示を待っていた。
こうして、7861小隊の悲劇は、あっさりと見逃されたのである。
……to be continued
加速する衝動。
ぶつかり合う狂気と妄執。
闘争の混沌に勝利はなく、敗北もない。
人の抗いを笑い飛ばし、悪魔は王手をかける。
――Next
Chapter : Goddesses of inferno ii
後書き
ふ……ふふ……
……毎度のようにこうも遅れますと、もはやゴメンナサイの言葉すら陳腐になりますね(コラ)。
ともあれ、予定より随分と展開が長引いております。
アスカの描写なんて、もう少し短くなる予定だったんですけどね(笑)。
おかげで次回は、あくまでこの回の続きということで、「Goddesses
of inferno
ii」と相成りました(「ii」ってのは「2」のことね。「U」の方が通りがよかったかな)。まあ、戦闘継続中ってことです。
まったくどうでもいいようなことですが、この章タイトルの元ネタは「ファントム オブ インフェルノ」だということに気付いた人は……結構いるんだろーなー(笑)。