松代市は常と同じ平穏の中にある。
 例え、市内を完全装備の兵士が隊列を組んで行軍しようと、市が世界に誇るネルフ総本部ビルが厳戒態勢に入ろうと、その周囲の店舗・民家から人々が避難させられようと。
 市街地の九割以上は、常と同じ平穏を満喫していた。
 そうである理由は考えるまでもない。
 ネルフが今や、往時の国連をはるかに凌駕する権威と軍事力の象徴であることは、この街の住民であれば誰もが知る現実であったからだ。
 そして住民たちは、ネルフの本拠が至近に置かれているというメリットを、生活に関わる全ての面で享受していた。
 街の各所に軍事関連の施設・基地・駐屯地が置かれている現実は、軍隊嫌いの日本人的特性には思うところがないでもなかったろうが、それを除けば松代市ほど住みやすい都市はない。
 住民税はないも同然で、図書館や学校施設、美術館にコンサートホールなどなど、いずれも立派で金がかけられている。治安は望み得る最高の水準にあり、商店街のあらゆる店舗には十分な補助金が転がり込んでいる。ネルフ総司令・碇ゲンドウは冷徹な男ではあったが、だからこそ自分に従う者に対しては篤く報いる。
 もっとも、街の裏側を覗き込めば、ネルフの機密を付け狙う各国の諜報機関が多数の要員を送り込んでもいるのだが、それ自体は街の住民たちには関係がない。一般人を手にかけないというのは、あらゆる諜報機関に共通する鉄則だ。
 ……かくして街は、今日も平穏を満喫している。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

Who killed Cock Robin?

Chapter 9 : Goddesses of inferno ii

七瀬由秋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 複数の炸裂音がして、同時に猛烈な爆風が吹き荒れた。
 舌打ちをする暇もなく、体が壁面に叩きつけられる。飛び散る破片が顔面に衝突するのが鬱陶しかった。
 間を置かず、二撃目三撃目が叩き込まれる。
 屋内ではまず使用されないはずの大口径の機関銃、及び対戦車用各兵器。バズーカに大型ライフル、ロケット砲グレネード手榴弾エトセトラエトセトラ。
 それらがまさに遠慮も呵責もなく、通路の向こう数十メートル先に陣取る兵士たちから次々と放たれている。

「……ひゅっ」

 口笛を吹くように空気を吐き出し、人外の脚力で床を蹴る。
 空中で反転、天井を蹴りつけ、さらに左右の壁面をジグザグに飛ぶ。高速のピンボールのような機動。常人なら目で追うことすら困難だったろう。
 だが、狭い通路を業火で埋め尽くすかのような火力の壁は、圧倒的だった。
 細かな照準など定めず、ただ空間そのものへと叩きつけられる制圧射撃――
 無秩序な濁流の如く撃ち込まれた弾のいくつかが四肢を叩き、ついでに額にも叩きつけられた。常人なら間違いなくこれだけでミンチになっているだろう。
 もう幾度目のことか、彼の体は為す術もなく後方へ吹き飛ばされる。
 バネ仕掛けの人形のように無拍子で跳ね起き、やむを得ず通路の陰に飛び込んで身を隠す。
 ――何とまぁ。
 なおも尽きせぬ爆風をやり過ごしながら、碇シンジは口笛を吹きたい気分になった。
 かつての保護者兼上官の軍事的能力を見くびっていたつもりはなかったが、それをさらに修正する必要を彼は認めていた。
 先刻から出会う部隊、すべての戦術が決定的に変化し、徹底している。
 そのコンセプトは単純にして明快だ。すなわち、有無をいわさぬ大火力の徹底行使。
 まったく、予想以上期待以上に迅速かつ的確な対応という他はない。兵士たちが、味方に被害が出るのも構わず大火力の使用を躊躇わないということは、いかな無茶な命令でも許容させ得るほどに統率が行き届いているということでもある。いや、おそらくは下級指揮官のレベルにまで、彼の戦闘力を公開したということでもあるのだろうが、機密の何のとこだわらずに即座にそれを実行した果断さも賞賛に値する。並の指揮官であれば、戦力の逐次投入の愚に陥るのが関の山だろう。
 個人としてはあれほど未熟で欠点に満ちているというのに、実戦指揮官としてはまさに一級。いや、実に素晴らしい。
 ネルフ統合作戦本部長・加持ミサト――彼にとっての惣流・アスカ・ラングレーが理想的な敵であるならば、彼にとっての加持ミサトはまさに理想的な遊び相手だ。その点に関する限り、心からの賞賛を彼は抱いた。
 ならばこちらも、本腰を入れて遊ばねばならない。
 轟音は絶え間なく響く。新たな爆風をやり過ごしながら、彼は思考した。
 予想通りというべきか、あれほどの大火力に晒されても、能力を全開にした彼の肉体を傷つけるには至らない。
 だが、接近も不可能。
 こればかりは常識的な物理法則の適用を免れえないことに、尽きせぬ爆風に肉体が煽られ、前進を阻まれる。
 傷もつかない代わりに、攻撃もできない。
 ならば持久戦ということになるが――そうなれば、不利になるのは確実に自分だ。
 S2機関を持たない突然変異の異形である彼は、その戦闘力を保つために応分のエネルギー摂取を必要とする。それが尽きれば、為す術もなく殺戮される以外にない。
 加持ミサトが狙っているのもそれだろう。あちらにして見れば、無理をして碇シンジを殺す必要はない。ネルフの擁する膨大な火力に物を言わせて、果てのない消耗戦に持ち込めれば勝ったも同然なのだから。
 エヴァ初号機は弐号機で押さえ、碇シンジには火力制圧により対処。とにかく、生身の兵士たちを勝ち目のない近接戦闘に巻き込むことだけは避ける。まったく妥当で常識的であるが故に、付け入る隙が見当たらない。使徒戦争当時は思いもよらぬ奇策ばかりを得意とする奔放な指揮官という印象が強かったが、正統的な軍事作戦にも秀でているからこその奇策でもあったわけか。
 小細工なしの力攻め。
 ……いいね。楽しい。何とも心が躍る。
 彼の思考は高速で回転する。牢獄で思索にふけっていたときとは根本的に異なる思考活動。漠然とした知識の海を弄ぶのではなく、スライドのように次々と対処の方法を検索し、吟味し、却下する。
 その思考の回転の、恐ろしいほどの速さは、果たして人外の領域に達したカラダの為せる業であったか、それともとうの昔に縁の切れた両親のDNAが育んだものであったろうか。
 三秒と経たずして、彼の頭脳はこの場で実行可能と思われる対策を、八パターンほど叩き出していた。
 うち半数は「つまらない」ので却下。残る半数の内、「雅に欠ける」ものをさらに一つ却下。
 残るは三つ。その中で、さしあたりもっとも手っ取り早いものを選択する。

「さてさて」

 碇ゲンドウ総司令、冬月コウゾウ副司令、加持ミサト統合作戦本部長、赤木リツコ技術本部長、セカンド・チルドレン惣流・アスカ・ラングレー、並びにネルフ、否、全人類の皆様方。
 血で血を洗い智で智を競う戦争という訳でございます。どうか最期までよろしくお付き合いいただきますよう。
 ――プランT.
 名称は……せいぜい気取って、「strength」とでもして置きますか。
 それでは、Mission Start――

 

 このとき碇シンジと相対していたネルフ第7843小隊の弾薬は、既にしていささか心許ない状態に落ち込みかけていた。
 下士官からそのことを伝えられた小隊長は顎に手を当てて考え込む。正直、頭を抱え込みたい気分ですらあった。
 接触からわずか十数分。それだけで手持ちの弾薬がこうも減るとは、さすがに予想を超えていた。
 いや、厳密には、まだ弾薬はある。通常の突撃銃やハンドガンの弾薬はまだまだ豊富だ。
 しかし、それがまったく通用しない敵手に、彼らは相対していた。
 ハンディに映し出された敵性体の情報は、小隊長たる彼一人の心に留めておいたが、今や重火器のみをもって対処すべしという方針に疑問を覚えている者は、7843小隊に関する限り存在しない。対戦車ライフル弾の直撃を食らっても平気で動き回っている相手を目にしては、疑問を覚えるはずもなかった。
 故に、大火力の装備ばかりを並べて制圧射撃を続行しているのだが――大火力の兵器とはいうまでもなく大型でかさばるものばかりで、予備の弾薬についても大量に持ち運びできるものではない。
 ――くそったれ。これが平地、いや屋外でさえあれば。
 小隊長は内心で罵った。総本部地下ブロックという戦場の地形それ自体が、彼らの行動に制限をはめているのだ。
 ネルフの陸戦部隊、その中でも普通科(歩兵)に含まれる彼らは、あまりこのような場所での戦いに馴れていない。屋内というのは、正規軍よりも特殊部隊が担当するような場所だし、そもそも歩兵が陸戦の主力であった時代ははるか昔に過ぎ去っている。
 ましてや、潤沢な予算をもって最新の装備と大量の弾薬を揃えられるネルフである。歩兵の仕事とは、エヴァ弐号機やミサイル、爆撃機がさんざんに食い荒らした後にしか回ってこない。敵兵と撃ち合いになるにしても、溢れんばかりに貯め込まれた膨大な火力を弾切れの心配もなく撃ちまくるという、他国の軍人にとっては理想の極致としか思えないような戦い方ばかりをしている。
 とはいえ、このとき碇シンジと相対していた7843小隊を、敗残兵の掃討しか能のない弱兵と決め付けることは出来ない。
 彼ら――というより、ネルフ陸上戦力の大半は、戦略自衛隊や国連軍から(政治的事情により主に前者から)転属してきた猛者揃いだ。この点、加持ミサトの提言を素直に聞き入れた碇ゲンドウは、士官学校や防衛大学の席次よりも実戦経験の有無でヘッドハンティングの対象を定めており、精鋭と評することにどんな疑念を差し挟む余地もない。中には、かつて第三使徒戦に従事して、使徒の何たるかを実見していた者すらいる。
 小隊長は自身の作戦方針を確認する意味でも、もう一度ハンディに表示された情報を確かめた。
 統合作戦本部の指令は単純にして明快だった。
 曰く、弾薬の続く限り撃ち続け、それが不可能となれば速やかに退くこと。
 それがただの行き当たりばったりにならない理由は、(やはり各部隊に配備されているハンディの誘導により)自分たちが退却しても代わりにこの区画に陣取る予定の小隊がすぐ近くにまで接近している点だ。
 迷路のような構造の地下ブロックにおいて、無数の小隊が迷うことも渋滞することもなく、屋内における運動戦とでもいうべき作戦行動を取れる。まさに、作戦能力の高さでは往時の米軍をも凌駕する、ネルフ実戦部隊の真価というべきだった。

「少し予定を早める。――五分だ」

 小隊長は決断した。

「もう五分だけ、弾幕を維持しろ。その後は他の部隊にこの区画を任せ、我々は撤退して補給を受ける」

 それを聞いた小隊陸曹の顔に、安堵とも苦笑ともつかぬ表情が広がった。
 撤退といっても、あの恐るべき化け物を近寄らせぬままそれを成し遂げるというのは、掛け値なしに難問だった。退くときにこそもっとも被害が出やすくなる。こればかりは、兵がいくら精強で、装備が優れていても事情は変わらない。
 五分という時間も、手持ちの弾薬を勘案した場合、実はぎりぎり弾幕を維持できる数字だ。そのような状況で、被害を受けずに撤退するという芸当が果たして可能なのか――だが、一度明確に下された命令に対し、反抗する権利は部下にはない。

「了解し――」

 うなずいて、兵を叱咤激励すべく前衛に向かいかけた小隊陸曹の顔が、不意に凍りついた。不可思議な突発的事態に直面した人間の、反射的反応。
 ――そして、その表情を最後に、小隊陸曹の肩から上は吹き飛んでいた。

「なあ!?」

 自分の見たものがとっさに信じられず、小隊長は目を見開く。その刹那に、彼の右肩の上、顔面のすぐ脇を、何か大きなものが唸り音とともに通過し、壁面に激突して砕け散った。
 小隊長は恐る恐るその正体を確かめた。
 なおさら、わけがわからなくなった。
 てっきり、砲弾か何かが飛んできたようにも思ったのだが、破損した壁面には何も残っていない。瓦礫の山が残されているだけだ。第一、砲弾なら着弾した瞬間に破裂しているだろう。
 では、一体何だというのだ――まさか、以前記録映像で見た使徒の如く、不可視の衝撃波でも飛ばしているのか?
 漠然とした推測とともに向き直った小隊長が見たものは、今まさに瓦解しかけている彼の小隊であり、弾幕であった。そこかしこで体の一部を吹き飛ばされた兵士が蹲り、悲鳴を上げている。
 その周囲に、何か大きな、大の男が両手を伸ばしても抱え上げられるかどうかわからない瓦礫の塊が散乱していることに、小隊長はようやく気付いた。

「あの……化け物っ……」

 恐怖を多分に含んだ罵りが漏れる。
 ――距離を取っての火力制圧で対処、というのは、相手が近接戦闘以外に能のない化け物、という前提に立っていた。こちらの装備が奪われて使用される可能性もあるにはあったが、そのていどの危険は無視するに足りた。対戦車ライフルの直撃にも耐え得る化け物だろうとしょせんは独り、扱える銃器は一丁のみなのだから。適当な距離を維持してさえいれば圧倒的有利なのは変わらない。
 だが、碇シンジはその劣位を、呆れるほど直接的で原始的な手段によって覆していた。
 地下ブロックの床や壁面を構成する複合セラミック。それを素手で抉り抜いて、投げつけているのだ。大の大人が両手を広げても抱え切れるかどうかわからないほど大きなサイズのものを。
 並のコンクリートよりはるかに頑強で、サイズに相応の重量も備えたそれを、ヒトを紙屑のように引き裂く膂力で持って投げつけた場合――その破壊力は戦車砲にも匹敵する上、補充はいくらでも利く。何せ、いわばこの地下ブロックすべてが「予備弾薬」と成り果てるのだから。
 こちらの火器で撃ち落そうにも、砲弾の如き速度で投げつけられてくる瓦礫を狙いすまして撃つなどと、どんな兵士にも不可能な話だ。弾の一発二発が偶発的に当たったところで、瓦礫は軌道を変えつつも飛来する。いや、むしろ砕けた破片で被害が拡大すらしてしまう。
 まさに、呆れるほど直接的で、原始的。ある意味で幼稚ですらある。概念だけを見れば、最新装備で固めたプロの兵士に対し、路傍の石ころを拾って投げているに等しいのだから。――ただ、そのスケールがこれほど馬鹿げて大きな物になると、それはまさに脅威という他はなかった。

「身を伏せて撃ち続けろ、何としても穴を作るな! 接近されれば終わりだぞ!!」

 一瞬で混乱から立ち直り、要所を押さえた指令を発したあたりは、さすがに地上最強・最精鋭を誇るネルフの士官であった。
 碇シンジの〈投擲〉は、恐るべき物ではあったが欠点もある。投げつけているのが瓦礫の塊なので、直撃すればその箇所が文字通りもぎ取られたように吹き飛ぶ反面、火薬の炸裂による周辺への破壊はない。身を伏せて、前方投影面積を減らしさえすれば、被害を極限することはできる。問題は、それによって撤退がままならなくなるということだ。
 自身も通路の伏せて身を守りながら、小隊長はハンディを取り出して戦況を報告した。
 ――敵性体は重量数百キロ以上の瓦礫を投擲することで我が方の火力に対抗したり。被害甚大。撤退は困難。援軍を請う。
 統合作戦本部からの返答は、数瞬の間遅れた。
 まさか、このような手段を敵が選択するなどと、想像の枠外だったのだろう。
 やがて、驚くべきことに加持統合作戦本部長直々の肉声がハンディから流れ出た。

『付近の部隊を急行させるわ。後三分、いえ二分でいい、後先考えず撃ちまくりなさい!』

 二分――百二十秒!!
 小隊長は絶望的な気分でその数字を反芻した。その百二十秒を持ちこたえる力が、果たして自分たちにあるのだろうか?
 いや、とにかく今は命令通り撃ち続けることだ。それ以外に自分に為す術はない……
 素早く気分を切り替え、自身も戦列に加わるべく(小隊の頭数はたった一人でも多くの撃ち手を必要とするほどに悪化していた)、小隊長は這いずるように前衛に向かおうとした。
 その頭上を、一際大きな瓦礫の塊が飛び去ったのはそのときだ。これまでのよりよほど大きい。畳にして二畳分ほどのサイズがあり、厚みと来たら確認する気にもなれない。複合セラミックは、比重の面ではコンクリよりあるていど軽い材質ではあるが、これほどのサイズとなると重量は軽く数百キロ以上、ことによるとトンに達する。それをまるで野球のボールか何かのように投げつけるパワーがどれほどのものかは想像を絶する。
 瓦礫は壁面に激突し、破片を撒き散らしながら散乱する。
 小隊長は腹を据えた。とにかく自分たちにできることは、ただ撃ち続けることのみ。援軍が到着すれば、その支援の下で撤退できる。蟻のように這いずりながらでも、とにかく逃げ延びることはできる……
 一縷の希望とともに前方に視線を戻した彼は、ふと訝しさに顔をしかめた。
 前衛の兵士たちは相変わらず憑かれたように撃ち続けている。それが生き延びる唯一の方策だと知っているのだ。
 ただ、先ほどまでほとんど間を置かずに飛来してきていた瓦礫の次弾がまだ来ない。
 あちらも小休止ということか、単に適当なサイズの瓦礫が近くになくなったのか。
 どちらにせよ願ってもない。そう思いかけた小隊長の耳元で、しゃり、という音が鳴った。
 破損した床や壁面、天井。散乱した瓦礫の粒を踏みしめる音だ。
 皆が身を伏せて射撃を継続している中、悠然と立ち上がり歩いている者がすぐ傍にいる――

「…………」

 全身の産毛が総毛立つ感覚がした。
 小隊長は呆然と頭上を見上げる。

「How do you do,sir? いや、日本人か。失礼しました、はじめまして?」

 ――長く伸びた黒髪を少女のようにたなびかせた少年が、場違いなほど親しげな笑みを浮かべていた。

「お目にかかれて光栄です。景気はどうです? ご機嫌はいかがですか? 顔色が悪いですよ? 何かお手伝いしましょうか?」

 どこまで本気なのか、彼は首を傾げてそんな問いを重ねる。
 いつの間に、どうやってここへ、などという愚問を、優秀な軍人であるところの小隊長は考えなかった。
 他愛のないトリック。フェイントでしかない。
 大人よりも巨大なサイズの瓦礫を投げつけ、自身も床を蹴って跳躍――瓦礫で隠された死角に紛れて「飛び」ながら接近を果たす。たったそれだけの、トリック。

「何か答えてくれてもいいでしょうに。ああ、それとも、敵とは語る口を持たない? ならば仕方ありませんが」

 勝手に自己完結して、困ったように肩を竦めて。

「では、さようなら」

 そして、それがまるで西瓜か何かであるかのように、小隊長の頭を無造作に踏み潰した。

 

 

 生き残りの兵士たちを殲滅するのは簡単だった。床に這いながら必死になって「前」を向き、弾を撃ち続けている彼らを、背後から〈喰って〉回っただけだ。
 床に散乱する重火器の類を、彼は奪おうとは思わなかった。
 これも不幸な小隊長が見透かしていたことだが、独りで使える火力には限りがある。そもそも使い方もわからない。自分が兵士としてはまったくの素人であることを彼は自覚していた。
 ――さてさて。次の遊び相手が来るまで二分、いやもう一分強といったところらしいが。
 轟音の只中でどうにか聞き取れた情報を反芻しつつ、彼は思考する。
 壁面や床板を抉り取って投げつけるという手は、思った通りかなり有効だった。
 質量とパワー、単純極まる数式が、相手方の火力を凌駕した結果だ。
 プランT:strength.
 我ながら大層なネーミングだが、内実はまさにただの力技という他はない。
 これで万事切りぬけられるようなら、話も早いのだが。
 早いのではあるが、そう信じるほど彼は楽観的でも自惚れが強くもなかった。
 加持ミサトと、そして彼女の率いるネルフ実戦部隊の能力を――あるいは人類という種そのものを――過小評価してもいない。
 さて、次はどんな手で来ることやら。
 遠足を楽しみにする子供のような気分でそう考えつつ、彼は無造作に歩を進める。
 選ぶ道筋は至って直線的。発令所に向かう最短ルートだ。
 地下ブロックの構造は、端末を通じてクラッキングを行った際に把握している。
 むろん、最短ルートであるからには、ネルフも相応の布陣で待ち構えているだろうが、迂回したとしてもフェイントになるとは思えない。そもそも自分にそのような戦術知識はないし、何よりこのあたりは警備システムが生きている。下手に遠回りなどしても、よってたかって袋叩きに遭う機会を増やすだけのことだろう。
 それがまるでありふれた街角であるかのように、それこそ口笛の一つも吹きたくなるような気分で、彼は歩き続ける。
 そうして、いくつ目かの角を曲がったとき、
 彼はまたしても、敵手の能力を上方修正する必要を認めた。

「撃ぇっ!!」

 視界に映ったのは、この数分でどこをどうでっち上げたものか、見るからに頑強なバリケードの向こうから重火器を放たんとする兵士たちの姿であった。

 

 

 ネルフ総本部発令所では、加持ミサトが絶え間なく指令を発している。

「54はH−31にてバリケード構築。11はG−78へ。95は82と合流しなさい」
「7498小隊より通信。我、突入準備完了」
「すぐに突入させて。識別コードは96。J区画へ誘導」

 地下ブロックにいるだけでも三桁近くに上る諸部隊、及び地上に待機する部隊すべての動向を把握し、矢継ぎ早に命令を下す。
 どれだけ人として欠点が多かろうが、加持ミサトは間違いなく優れた指揮官であった。職務に没頭することで己の罪悪感を忘れようとしている面はたしかにあろうが、現実として軍を指揮統率する手管は見事という他はなく、そしてそれによって全身に精気と活気が満ち満ちているようですらある。〈極東の戦女神〉などというマスメディアの与えた俗称は、実戦に際しての彼女を表現する限りにおいて、決して的外れなものではなかった。
 メインモニタには地下ブロックの概況図が映し出されている。
 中心に輝く赤い光点は敵性体。つまりは碇シンジだ。
 その周囲を囲むように、いくつもの青い光点――味方を現す光点が陣取っている。
 そう、まさに文字通りの意味で陣取っているのだ。
 手近にあるもので頑丈そうな資材を根こそぎかき集め、可能な限りのバリケードを構築し、火器を揃えて布陣している。
 彼らに与えられた命令も、先ほどとほとんど変わりない。とにかくありったけの火力を用いて敵を足止めし、不可能となればすぐに撤退。
 ただ、地下ブロックの各所にバリケードを設け、いわばそれを臨時の要塞線に擬している点が、先ほどまでと異なっている。
 火力の尽きた部隊は即座に交代するか、自分たちの後方にある別のバリケードまで全速で撤退し、補給を受けることになる。
 つまりはバリケードの有無が移動の基本となるため、全体の機動性は大幅に落ちることになるが、それは仕方がない。
 敵性体が移動すれば、それに合わせて新たなバリケードを構築して行き、包囲態勢を維持する。
 要は接近戦を避けつつ〈彼〉をこの地下ブロックに封じ込めるという作戦目的が達成されればいいのだ。
 まさに泥沼の消耗戦、まっとうな軍人にとってはもっとも避けたい事態の一つだが、それは看過し得る事柄であるとミサトは認識している。この地上でもっとも巨大な経済力を備え、もっとも豊富な弾薬を揃えられるネルフには、そうした作戦が許容できる。
 唯一気がかりな点があるとすれば――
 ミサトは一瞬だけ、サブモニタに視線を転じた。
 メインモニタに映し出されているのとはまったく別の、特定の区画の映像が、そこには表示されている。
 その中では、満身創痍の紫色の巨人と、燃えるような紅の巨人とが、果てのない闘争を続けていた。

 

 

 通路の陰に身を隠しながら、彼は幾度目のことか、口笛を吹きたい気分になっていた。
 敵部隊の構築したバリケードは、間に合わせのものとしては十分以上に上出来だった。何度か瓦礫を投げつけて見たのだが、一部が破損しても全体としては小揺るぎもしない。どころか、できた穴もすぐに防がれてしまう。どうやら鉄骨か何かを上手く組み合わせ、対衝撃性を高めているらしい。ついでに、リアルタイムで厚みも増して行っているのだろう。
 何ともいやはや――優秀な敵とはそこらに転がっているものだ。
 踵を返して別の通路をたどろうとは思わなかった。そこにはまた別の部隊が別のバリケードを構築しているだろう――この時点で、碇シンジは加持ミサトの作戦をほぼ洞察している。特に軍事的に素養がなくとも、そのていどの推論はできる。
 プランTは早くも崩壊したわけだ。
 よろしい。では、プランUに移るとしよう。
 彼は一つうなずいて、脳裏に地下ブロックの構造図を思い浮かべた。
 プランU.
 便宜上の名称は、「hermit」。

 

 

 ハンディから警報が鳴り響いた。
 後方で部下を指揮していた小隊長は即座にその画面の表示を確かめる。

『Lost』

 その一言が、小型携帯端末に大きく表示されている。
 眼前の敵を、警備システムが突如として見失ったということだ。
 訝しさに眉をひそめる間もなく、新たな情報が明示される。
 ――敵性体はダクトに身を潜めた模様。適宜対処せよ。
 小隊長は込み上げかける笑みを懸命に堪えた。
 どこの建造物でもそうだが、空調用のダクトは必須のものだ。特にここのような地下建造物の場合は尚更といってよい。
 だが、だからこそ、それに対しての策は練られていた。何も今回のようなケースに限ったことではなく、どこぞの諜報員や工作員がダクトを用いて侵入して来ようとするケースは少なくないのだ。

「おい」

 小隊長は手近にいた部下にいくつかの指示を下した。
 心得た兵士が即座に手近な通風孔に歩み寄り、火炎放射器や手榴弾を構える。
 まさに袋のネズミだな、と小隊長は内心で考えた。
 ダクトのような狭苦しい密閉空間では、火力・爆圧はこのような通路のさらに数倍に膨れ上がる。
 付け加えていうならば、這って進むしかないような姿勢では、いくら人外の身体能力を持ってしても、その移動力は大幅に削がれるだろう。
 どこへ逃げようが身を潜めようが、先に挙げた理由でダクト内にもあるていどの警備システムは働いており、生命反応からその隠れている位置を割り出すこともできる。

「とりあえず二、三発ぶち込め。それで出てこないようなら十発でも二十発でも続けろ」

 兵士の携えている手榴弾を顎で示しながら、小隊長は指示した。
 勝利をほぼ確信したその表情が、次の瞬間、永遠に凍りついた。
 がこん、と。
 彼の佇んでいたすぐ傍の壁面を貫通して、一本の腕が無造作に飛び出る。
 異様なまでに白いその腕、その掌が、たまたまそこにいた不幸な兵士の頭を鷲掴みにし、
 ――そして、無造作に握り潰した。

「んなぁ!?」

 舞い上がる血飛沫と、目前の光景を認識できない呆然たる悲鳴。
 その中で、さすがというべきか、小隊長を含む数人の軍人たちは直感的に事実を悟っていた。
 逃げる・身を潜めるなどと、冗談ではない。
 あの怪物がダクトに飛び込んだのはあくまで攻撃のため。
 しかし、警備システムが彼をLostしたのはつい数秒前。
 そのとき、碇シンジと小隊は七、八十メートルの距離を挟んで対峙していた。
 つまりあの怪物は、スプリンターがトラックを駆け抜けるのと同等以上の速度で、細長いダクトを移動し――あまつさえダクトを含めたこの周辺の通路構造を的確に把握した上で奇襲をかけて来たことになる。

「撃ちまくれ!!」

 命じつつ、小隊長は自身も携えていた突撃銃をフルオートで連射していた。同士討ちの危険を顧慮する余裕はとうに失われている。
 指揮官の射撃を合図にしたかのように、周囲の兵士たちも弾かれたようにそれに続いた。バズーカや対戦車ライフルの引鉄に手をかけた者すら一人や二人ではなかった。
 集束する火力に恐れをなしたかのように、壁から生えていた腕が引っ込む。
 弾薬の雨はしかしやむことなく、頭部を握り潰された不幸な兵士の遺体を細切れのミンチに変えつつ――ついでに、同僚をも幾人か打ち倒しつつ――、亀裂の入った壁面を叩き続けた。
 二秒と置かず、新たな轟音が湧き起こり、今度は射撃を続ける兵士たちの中央、その床面が内側から弾け飛んだ。かの怪物は一秒と間を置くことなく動き続け、壁面・天井・床を破壊して、縦横にこの区画を移動しているのだ。
 飛び散る瓦礫の破片。
 血飛沫。
 そして、骨と肉。
 もはや誰も彼もが事実を認識することを放棄し、ただ轟音のした場所へと持ち得るすべての火力を吐き出し続けた。

 

Who'll dig his grave?
誰が墓穴掘るのだろう?
I, said the Owl,
それは私 梟がいった
With my pick and shovel,
私のツルハシ シャベルを用い
I'll dig his grave.
私が墓穴掘りましょう

 

 ……後にかろうじて生き残った兵士たちは、そのとき、銃砲の吐き出す戦場音楽を調べとするかのように、楽しげな歌声が響いていたと証言している。

 

 

「一体どういうことなの、リツコ!」

 幾度目のことか、発令所に統合作戦本部長の怒声が轟いた。

「警備システムは復旧したはずなんでしょう!?」

 彼女の怒り、あるいは焦燥は、理由のあるものだった。
 先刻から、地下ブロックに布陣、あるいは移動中の部隊が、立て続けに襲撃を受け、甚大な被害を受け続けている。
 理由ははっきりしている――あの怪物、他ならぬ彼女たち自身が墓穴から呼び戻してしまった怪物が、地下ブロックに張り巡らされているエア・ダクトに潜み、ネルフ側の部隊を片端から狩り続けているためだ。
 統合作戦本部長はもちろん、そうなる可能性は考え、対処の術も用意していた。
 警備システムでダクト内に蠢くあの怪物の位置を掴み、付近の部隊にありったけの爆薬を放り込ませて大ダメージを与える、あるいは燻し出す。それで片がつくと考えていた。
 しかし、肝心要のその警備システムが、碇シンジの姿を見失っているのだ。

「……ダクトの内部それ自体には、それほど多くのシステムが配置されているわけではないわ。監視カメラの類は、ダクトに出入り可能な通風孔のあるような場所にこそ向けられているものだもの」

 弁解のつもりもなく、リツコは淡々と事実を述べる。

「ダクト内部の侵入者を感知するためのシステムは、呼気――つまり二酸化炭素の放出か、あるいは体温などの熱源を、生命反応として感知するセンサーが主体よ。つまり」
「……呼吸をせず、体温を気温以下に押さえられる相手だと、感知できないと?」

 さすがは若年にして統合作戦本部長の座を得た者というべきであろう。ミサトは瞬時にしてリツコのいわんとするところを把握した。感情の激しやすい面はあるにせよ、戦況を把握する知性に不足はない。
 リツコは、その通り、とうなずいて見せた。
 同時に、つくづく今のネルフは〈人間〉を相手に戦うための組織なのだと思い知っている。あるいはあの少年が化け物であるという事実を、というべきか。まったく、どこが「たかが知れて」いるというのだろう。
 碇シンジはヒトの血肉と魂を食らい、エネルギーへと変換している。それがどれほど膨大なエネルギーになるのかは想像を絶する。すでに数十人数百人を食らっている彼には、人間のように酸素を常時摂取する必要などないのだろう。
 ついでに、表皮細胞を変質させて人を食らえるような怪物にとっては、全身の細胞を統御して体温の調節を行うことも造作ないに違いない。
 それにしてもやはり驚嘆すべきは、ダクト内部を縦横無尽に移動するその身体能力であった。モニタに表示されている情報を信じる限り、かの怪物は、大の大人であれば這って進む他はない――歩くよりもなお鈍足な移動しか不可能なほどの――狭いダクト内部を、概算で時速八十キロ近いスピードで移動している。ちなみに、百メートルを十秒で駆け抜けるオリンピッククラスの陸上選手でも、その速度はたかだか時速三十六キロていどにしかならない。
 不幸中の幸いは、各部隊に「襲撃を受けた際には全力で撤退」という方針を徹底させているため、死者の数が最低限に収まっていることだろうか。それでも、一回毎の襲撃で十人以上が死亡しているのだが(碇シンジに殺戮されている以外に、同士討ちで戦死した者もかなりいる)。
 ――さてさて。
 この劣悪な戦局で、我らが狼の皮を被った羊さんはどんな手を打つのかしら?
 メインモニタと親友の間で視線を往復させる技術本部長の目には、事態の当事者の一人としての切迫感よりも、通りすがりの野次馬の好奇心に近い何かが宿っていた。
 ミサトはその表情に気付かず、新たな命令を発していた。

「全部隊に通達。手持ちのあらゆる爆薬を用いてエア・ダクトを破壊しなさい。――完全に、徹底的に! あらゆる損害は統合作戦本部が責任を負うと付け加えて」

 切りつけるように命じてから、彼女は頭上の総司令に視線を転じた。

「構いませんね、司令?」

 確認というより、それはただの事後通告であった。
 碇ゲンドウは静かにこう応えた。

「あらゆる行為を許可するといった。存分にやりたまえ、統合作戦本部長」

 

 

 ミサトの指令から間を置かずして、地下ブロックに存在するエア・ダクトの六割以上が、他ならぬネルフの兵士たちによって爆砕された。
 探知できないのならいっそすべて吹き飛ばす。
 まことに加持ミサトらしい豪快で派手な対処法といっていいだろう。
 そしてそれは、おそらくは現状で最善の対処法でもあった。
 ダクトと一緒に、通常の警備システムも被害を受けてしまうが、何といってもネルフ側には数が揃っている。
 人海戦術、つまりは肉眼による探索で碇シンジを探し出し、攻勢を再開することは、決して難しい相談ではない。
 まったく、この親友はやることなすこと大雑把に見えて、実に合理的だ。軍人としてはたしかに優秀といえる。だからこそ碇ゲンドウも、実戦に関わる全権を彼女に委ねている。
 さしあたり出番のなくなったリツコは、完全に傍観者の気分でメインモニタを眺めていた。
 ――彼もきっと、満足していることでしょうね。
 内心で、ぼんやりとそんなことを考える。
 命をチップにした血まみれの遊戯。
 血飛沫の向こうで朗らかに笑っていた彼には、まさに望むところだろう。
 今のところ、戦局は一進一退というところだ。
 互いが互いの一手毎に対し、最善に近い手筋で返す。
 リツコの見るところ、現在優勢なのは――ネルフ、加持ミサト側。
 物量という、戦争でもっとも重要な部分での優位を維持し続けている。
 瓦礫の投擲やエア・ダクトを用いての奇襲などは、いってしまえば小細工に類するやり口だ。バリケードの構築やダクトの爆破といったミサトの対処は、ある意味で後手に回った結果ではあるにせよ、序盤で獲得している優位(物量の差)を維持し続けているという点から見る限り、適切という他はない。
 初号機が弐号機に押さえられている今、よほどの手筋で攻め込まない限り、碇シンジはずるずるとした消耗戦に巻き込まれたままあえなく殲滅されるだろう。ネルフの幹部としてはまことに喜ばしく頼もしい話には違いない。
 違いない、のではあるが。
 ――それはそれで、興醒めのする話ではあるわね。
 リツコは腕を組んでモニタを睨みつける。傍目にはそれは、技術本部長の立場から戦局について何事か思案している風に見えた。
 ねえ、シンジ君? 貴方はそのていどの結末を見せるために、私を生かして還したのかしら?
 事態を傍観しながら、赤木リツコの中ではいくつもの思考が目まぐるしく回転している。
 科学者・技術者としての彼女はあの少年の生態を興味深く分析していた。
 技術本部長としての彼女は親友兼上官に与えるべき助言を思考していた。
 個人としての彼女はただ冷笑していた。
 そして女としての彼女は、かつての情人と己自身の破滅を待ち望んでいた。
 碇シンジとはまた別種の、極彩色の破滅に傾斜した価値観を内包しつつ、現実主義の極みともいうべき知性がぎりぎりのところでこの世界に繋がっている。赤木リツコとはそういう人間だった。
 ――ハンディに繋がっている通信機器が、悲鳴のような報告を複数同時に受信したのはそのときだった。

『31より本部! 本部! 助けてくれ!』
『畜生、何だよこれ!? 畜生!!』

 脈絡のない絶叫の羅列に、オペレーターたちが一瞬呆然とし、統合作戦本部長が叱咤の声を飛ばす。

「本部より各隊へ! 意味不明、報告は明確になさい!」

 その声がどこまで通信機の向こう側に届いたかどうかは定かではない。
 ただ、モニタに映し出された映像――監視カメラ及び各部隊のハンディから送られてきた映像――と、ようやく紡がれた一つの絶叫が、事態を明らかにした。

『血が……〈血〉が! 〈血〉がヒトを食らっている……!!』

 

 

 それは悪夢としかいう他はない光景だった。
 二十以上の小画面に分割されたモニタの中で、まさに〈血〉がヒトを食らっていた。
 碇シンジの奇襲により、地下ブロックのそこかしこで殺戮された遺体。
 その遺体から流れ出る〈血〉が、まるでアメーバか何かのように蠢き、通路を伝って広がり、生き残りの兵士たちを食らっているのだ。
 否、正確には死体の血液だけではない。
 碇シンジの手によって傷を負わされた兵士たち――それまで戦友の肩を借りてどうにか撤退を続けていた兵士たちの傷口からも、このとき一斉に噴水のように〈血〉が吹き出し、それに濡らされた戦友たちが食らわれ始めていた。

「ひぃっ……っ!!」

 モニタ内の惨劇を直視したオペレーターの幾人かが口を押さえ、さらに幾人かが嘔吐した。
 淡い燐光を発する紅の液体を浴びた兵士たちは、まるで水をかけられた塩柱のように全身が削られ、ついには融けて消えてしまう。
 通路一面を河のように流れる〈血〉に足元を浸しているうち、足首から先がずるりと融け行き、絶叫を上げて倒れ込んで、そのまま全身の前半分を削られる兵士もいる。
 半身を〈血〉に侵され助けを求める同僚に対し、パニックに襲われて射撃を始める兵士たちもいた。

「……これが……!」

 あの子の切り札というわけ。
 リツコは直感的に事実を洞察し、そして納得した。
 あれこそは、先刻彼女の目の前で男二人を食らい尽くした碇シンジの〈侵食〉能力。あるいはその応用、というべきか。
 MAGIをクラッキングしたのがイロウル寄りの〈侵食〉ならば、今回のそれはバルディエル寄りの〈侵食〉だ。
 変質させた己の表皮細胞を、攻撃の際に兵士たちの体に植えつけ、時期を見て一気に〈侵食〉を開始させる。
 のみならず、兵士たちの〈血〉に寄生し、周囲に広がり、接触した生体を片端から食らっていく。
 時限式の生物兵器というべきか。
 ダクトに身を潜めての奇襲攻撃などという小手先のやり口は、ただの布石――複数の区画で同時多発的にこの惨劇を演出するための撒き餌でしかなかったのだ。
 感嘆の表情をかろうじて堪えたリツコに、ミサトが鋭く問いかけた。

「技術本部長! 何か意見は!?」
「あの〈血〉をどうにかできないか、ということなら簡単よ、多分。アレにはATフィールドを張るほどの力はないもの」

 映し出される惨劇に恍惚となりかけた感性とはまた別の部分で、リツコは即答していた。

「油を撒いて火をかけるだけでも、大半はあっさりと燃え尽きるでしょうね。あれはまさにタチの悪い生物兵器そのもの。ならば、生物兵器への対処がほぼ通用するわ」

 かつてMAGIを侵食した第十一使徒イロウルは、ポリソームのレーザー攻撃をATフィールドによって凌いだ。しかし碇シンジにはそのような芸当はできない。
 また、これは純粋に推測だが、碇シンジという「本体」から切り離されている分、侵食細胞それ自体の生命力も極端に弱まっている可能性が高い。ヒトの〈血〉を触媒に侵食能力を発揮しているのがその証左といえる。〈血〉を触媒に使わないことには侵食細胞が長持ちせず、かつ侵食能力も無効といえるほど弱まってしまうのだ。大体、侵食細胞だけを文字通りウィルスの如く散布させ、ヒトを食らうことができるのなら、今頃は地下ブロックどころか松代全域がゴースト・タウンに変わっているだろう。

「つまり、隔壁を閉めて一日二日放置しておくだけでも、エネルギーを使い果たして死滅するんじゃないかしら。いささか楽観的に過ぎる見方かもしれないけど」
「……いえ、それで十分よ」

 ミサトは素早く頭を切り替えていた。
 しばらくは防御に回らねばならないことを、彼女は正しく判断していた。

「生き残った部隊を〈血〉から逃れ得る区画に誘導、その後に隔壁を閉鎖! こうなりゃ一日でも一ヵ月でも持久戦に付き合ってやるわ……!」

 どこまでも挫けず、闘志を絶やさない親友の勇姿を視界の端に留めつつ、赤木リツコは誰にも気付かれないように、そっと胸を手で押さえた。
 昂揚しかけた心の鼓動を確かめる、そのために。

 

 ――まだ足りない。まだまだ足りないわよ、シンジ君。戦争というのは、もっと思い切って凄惨でなくてはね?

 

 

 

……to be continued

 

 

かくて役者は揃い、舞台は飾られた。
いざ笑い、いざ猛り、いざ眺め、いざ憎み、いざ狂え。
すべてはさらなる混沌と闘争に向けて。
――Next Chapter : Goddesses of inferno iii

 

 


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後書き

 忘れた頃に更新する、それが七瀬くおりてぃー(洒落になんねぇ)。
 にしても今回は、戦闘シーン書くことの難しさを痛感いたしました。
 Goddesses of infernoが三章仕立てともいうべき構成になってしまうとは考えもせなんだ。
 年内には何とか完結に向けてメドつけたいですね。……できるかどうかはともかくとして(苦笑)。

 

 

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