眩しい陽射しが降り注いでいた。
鼻に香る潮風は湿気を含み、全身に冷たく吹き付ける。
水平線ははるかに遠く。
マリンブルーとスカイブルー、二つの青が絶妙のコントラストを描く。
耳に聞こえるはずの波音は、船が水を切り裂く音にかき消される。
大神は少し呆然としながら、周囲の光景を眺めていた。
彼がこのような光景を見るのは、何も初めてのことではない。
海軍士官学校での航海実習。
黒之巣会壊滅後の南洋航海演習。
そして先だっての巴里行きとその帰国。
学生、少尉、中尉と、それぞれの時期に応じて肩書きは違ったが、感じるものがいちいち異なるわけではない。
いや、海は彼にとって、もう一つの庭であったといってもいい。
肌に感じる風が、鼻に感じる匂いが、目に見える青が――すべてが、彼にとっては慣れ親しんだものだった。
しかし。
「奥様、お茶をご一緒しませんこと? シロンのいい葉がございますの」
「まあ、ありがとうございます。喜んでお招きに預かりますわ」
「しかし、船旅も長く続くと退屈ですな。ダンスパーティもこう毎夜では新鮮味がありません」
「さようですな。どうです、チェスでも」
「いいですな。しかし、伯爵はチェスの名手と伺っておりますからね。手加減して下さいよ」
「何をおっしゃる。子爵とて相当な腕前とか」
「いえいえ、ほんの手慰みですよ」
――船の甲板を埋めるのは、一目でわかるほどに金と地位とを有り余るほど備えたブルジョワジーの群れ。
単なる客船ではない、インドアプールにダンスホール、カジノにサロン、パブに郵便局まで備えた超大型客船なのだ。
船の名前には、何代か前の英国女王の名が冠せられているという、つまりはそういう船である。
いうまでもないが、これまで大神が乗った船とは、このようなむやみやたらに贅沢なものではない。
帝国海軍は別に貧乏というわけではないが、現役・予備役・見習を問わずいちいち豪華客船に乗せるほど裕福でも親切でもない。
そしてもう一つ。
彼には初めての、出来れば経験したくもなかったことが――
「――ねえ、奥様。さっきから気になっていたのですけれど……あの方は、何をなさっているのでしょう?」
「密航者、なのかしら? でもそれにしては……」
「……いささか変ですな、マダム。密航者でしたら船倉に放り込んでおくものです」
「罪人の護送にしても妙ですなぁ。だったらそもそもこの船を使うはずもありませんし」
「もしや、単なる趣味では?」
「……だとしたら極めつけの悪趣味ですな。いや、趣味は人それぞれですが」
ブルジョワジーご一同は、それぞれに顔を見合わせてうなずきあう。
「「「「何で、鎖でぐるぐる巻きにされて転がってるんでしょうねえ?」」」」
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「お……俺が何をしたっていうんだーーーーーーー!」
はるか太平洋の空に、大神一郎の声が虚しく響き渡った。
海軍中尉、海を行く
七瀬由秋
「騒がしいわよ、大神隊長。体力をもて余すのは悪いことではないけれど、時には優雅に船旅を楽しむのも有意義なことよ」
イモムシのよーに転がされている大神の傍らでデッキチェアに座り、紅茶のカップなんぞを片手にその女は諭すようにいった。
流れるようなブロンド、計算し尽くされたかのような完璧なプロポーション、そして美貌。
歳の頃は二十歳頃と見えるのに、年齢以上に落ち着いて思えるのは、その表情や雰囲気があまりに理知的なものだからだろう。
彼女の顔を見たブルジョワジーな方々の幾人かは、いくらかの驚愕と感激に似た表情を浮かべ、口々にその名を囁きあうのだった。
――ラチェット・アルタイル。
アメリカはニューヨーク、ブロードウェイのトップスター。
世間の人々が知らぬところでは、かつて賢人機関の設立した実験部隊・星組の長を務めた少女。
そして今度、新設される紐育華撃団の星組隊長となることを確約された身である。
少なくともその予定である。
大神は、そんな万能の天才の顔を横目で睨み、
「これが騒がずにいられるかーーーーーーーーーーーっっっ!!!」
悲鳴のような絶叫をあげた。周囲のギャラリーが戸惑いと物珍しげな色を露にするのももはや気にならない。
まあ、気がついたら海の上、しかも鎖でぐるぐる巻きで、かつその張本人と目される女が優雅に紅茶をすすっていれば無理はないが。
「騒がずにいられるかって……何故?」
「な、何故と聞くかい、この状況で!?」
「この抜けるような青い空、青い海。乗っているのは世界最大級の豪華客船。そして傍らにはこの私、ブロードウェイに咲いた大輪の花ことラチェット・アルタイル。これのどこが不満なのかしら?」
「……そーゆー問題じゃなくってだね……」
意外なほど可愛らしい仕草で首をかしげたラチェットに、大神は疲れたようにいう。
「……順を追って聞いていこう。何が目的だ?」
どうやらラチェットが本気であるらしいことを見て取って、大神は尋ねた。
「隊長さんと一足早いハネムーンを楽しみたくって。……あっ、もう、何をいわせるのよ」
頬を赤く染めて呟くラチェット・アルタイル。
何をいわせるもクソも自分で勝手にいってんだろーが、というツッコミも効きそうにはない。
というか、こんなキャラだったのか、彼女は?
大神は深刻に悩んだ。
「……俺は真面目に聞いてるんだけど……」
「私も真面目に答えているわよ」
はっきりきっぱり迷いなく、ラチェット・アルタイルは断言する。
大神は思わず眩暈を覚え、気が遠くなるのを感じたが、何とかギリギリで踏ん張った。
「まあ、少し具体的なお話をするとね……」
大神が再度問いを重ねる前に、ふとシリアスな顔になってラチェットが口を開いた。
「……私は東京で、己の未熟、傲慢を思い知ったわ。戦いは理論がすべてだと思っていた私は、戦うのは人間だというもっとも基礎的なことを忘れていた。仲間を駒のように扱う戦い方では、安定した戦果は出せても底が知れている。殊に霊力のような、各人のメンタリティに大きく左右されるデリケートな力を扱うには、仲間の心をまず理解しなければならない。私の信仰していた効率という哲学は、そこから人間性というものを無理やり排除しようとした、ひどく的外れなものだった。大神隊長、貴方はそのことを教えてくれた……」
「ラチェット君……」
沈んだ口調のラチェットに、大神は労わるような声をかける。
鎖で巻かれた状態ではいまいち様にはなっていなかったが。
「そのことがわかってしまうと、紐育華撃団星組隊長を自分が務められるか、不安になって……」
「……そんなことはない。君ならできるさ」
自らの置かれた状況も忘れて慰める大神一郎。天下一品のお人好しであった。
ラチェットはしかし、ふるふると首を振り、
「いいえ、わかっているのよ。私にはまだまだ隊長の名は重すぎる」
哀しげな、しかしはっきりとした口調に、大神は言葉を失った。
「だから……」
「……だから?」
「私は考えたわ!」
敢然と、舞台女優のように(というかそのものだが)立ち上がり、腕を広げるラチェット・アルタイル。
珍しくヒートアップしている。
「私に無理な以上、私以外の適切な人材を配置するのが当然! 水が高きから低きへ流れるが如き道理! そして!」
「そ、そして?」
「それには帝国・巴里両華撃団の花組で不敗の実績を持つ貴方しかいない!」
大神にというより太平洋の空に向かって、ラチェット・アルタイルは宣言した。
いっそ神々しいほどの姿だが、いっていることは果てしなく一方的だ。
周囲のブルジョワなギャラリーが何を勘違いしたのかぱちぱちと拍手する。
彼女はぴたりと動きを止め、訓練された素晴らしい声量に頭の中がシェイクされている大神へ、冷静さを取り戻した視線を向ける。
「というわけ。 Do you understand,my commander(わかってくれたかしら、私の隊長さん)?」
「んのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!(←No! といいたいらしい) なぜにどうして話がそこまで飛躍するんだ!?」
「だから説明したじゃない。要は貴方に紐育華撃団・星組の隊長になってもらうってことだけど」
もはや確定事項のようにして語るラチェットの姿に、大神は戦慄した。
「あ。ちなみにいうまでもなく副隊長は私ね。星組隊長としての心得を、すぐ側でゆっくり学ばせてもらうつもりだから」
微かに頬を赤らめて語るラチェットの姿に、大神は心から戦慄した。
「そ、そんなことが許されると思っているのかい……?」
「あら。巴里花組の隊長はできて、紐育星組の隊長はできないと?」
「だからそーゆー問題じゃない!」
「だったらどういう問題なの?」
あくまで真顔でラチェットは尋ねた。
「そ、そもそもだ、米田司令や帝国海軍、それに賢人機関の許可は受けたのか!?」
「いやねえ、日本人って。細かい手続きにどうしてそうこだわるのかしら」
「全っっっっ然っ、細かくない!!!」
「どう見ても完膚なきまでに正しい人事にいちいち許可を求めるなんて非効率的だわ。私は効率的にやりたいの」
「三十秒前の台詞はどこへ行ったんだ!?」
「それはそれ、これはこれ、という言葉をご存知?」
しれっとして答えるラチェット・アルタイル、かつて十歳で大学修士課程を修了した天才であった。
大神は加速度的に増大する頭痛を堪えつつ、
「あ、あのね……」
「ああもう、しつこいわね。正義のためなら多少、法を無視したって許されるのよ」
平和と市民を守る華撃団の隊員がいっていい台詞ではない。
繰り返すが、彼女の名はラチェット・アルタイル、かつて十歳で大学修士課程を修了した天才である。
ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……
微かに、風を切るような音が響いたのはそのときだった。
「あら? 何かしら、この音」
「どっかで聞いたような」
揃って首を傾げるラチェットと大神である。
ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
音はどんどん近づいてくる。
それにつれて、何かロケットのような(この時代にそんなものはないが)噴射音も聞こえてきた。
「な、なにか懐かしいような、しかし何故か少し嫌な予感が……」
なんとはなしに呻く大神。
「な、なんだあれは?」
「鳥か!?」
「飛行船か!?」
「いや、空飛ぶ円盤だ!(←この時代にUFOという言葉はない)」
ギャラリーの何人かが西の空を指差して口々にわめいている。
嫌な予感を堪えて空を見上げた大神は、その瞬間に驚愕した。
「あれは……リボルバーカノン!?」
正確にはその弾丸型の射出カプセルが、西の空から五つ、飛来してきていた。
その中身は、いまさら確認するまでもない――
「巴里華撃団! 助けに来てくれたのか!」
大神の声が歓喜に弾んだ。全身が鎖でがんじ絡めに縛られていなかったら、両手を組んで神に感謝したかもしれない。
「ちぃっ。巴里華撃団……紐育を救うという私の崇高なる使命を邪魔するつもりなのね」
自覚なき誘拐犯が忌々しげに舌打ちする。
ほとんど悪役のノリである。
ともあれ、ラチェットにとっては窮地であった。
紐育まで「自分の隊長」と優雅な船旅を楽しもうとしていた(←公私混同である)彼女は、アイゼンクライトを別便で送っていた。
たまたま東京湾に寄港していたアメリカ海軍の戦艦に輸送を依頼したため、今ごろはすでにニューヨークに届いているはずだ。
いくらラチェットでも、生身で光武F2を五機も相手にするのは無理な相談である。
「おーーーい、皆!」
大神は射出カプセルに向けて呼びかけた。
見えるはずもないが、カプセルの中の巴里花組隊員たちが手を振り返してくれたような気さえ、彼はしていた。
弾丸型の射出カプセルは、真っ直ぐに大神とラチェットの乗る客船を目指して飛来し――
どっぽーん
――そのまま近くの海へと落下した。
どうやら狙いを誤ったらしい(まあ、客船に命中していたらそれこそタイタニックな大惨事になっていただろうが)。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
「……悪は滅びたわ」
やはり正義はこの世にあった、といわんばかりのしみじみとした口調でラチェットが呟く。
「み、皆……」
「さあ、大神隊長。お昼にしましょう? ここのレストランには三つ星のシェフがいるのよ」
呆然とカプセルの沈んだ海面を見つめる大神に、何事もなかったかのように提案するラチェット・アルタイル。
ある意味すごい大物である。
「こ、この鎖に巻かれた格好で何を食えと……」
錯乱しているのか、どうでもいいことを尋ねる大神である。
返答はしかし、さらにぶっ飛んでいた。
「安心して。私が食べさせてあげるから。『あーん』ってしてね」
少女のように恥じらいながらいうラチェットであった。
大神の顔色が蒼白に染まる。
「そ、そんなことはさせません!」
唐突に響いたその声に、ラチェットと大神(あと、ブルジョワなギャラリーたち)は驚いて周囲を見渡した。
がん、と甲板の一角の手すりが妙な音を立てた。
複数の視線が集中する中、一本の腕が手すりを掴み、ずぶ濡れの女の上半身が持ち上げられる。
「ご、ゴースト……?」
「いや、ゾンビでは……」
怯え腰を抜かすブルジョワジーご一同。
たしかに、ずぶ濡れのざんばら髪で甲板に這い上がろうとする女という光景は、闇夜であれば悪夢にうなされるだろう迫力があった。
大神はかなうことならずりずりと後退りしたかったが、それより先に彼はその舟幽霊(仮名)の正体に気づいた。
「エ、エリカ君……」
そう。
海で死んだ亡霊かはたまた動く死体かと思われたそれは、巴里華撃団の誇る看板シスター(よく看板にぶつかるから)。
その名もエリカ・フォンティーヌ嬢であった。
「お、大神さんに『あーん』してあげるのは、私なんですぅ……」
ツッコミどころはそこではないような気もするが、とにかく手すりを乗り越え甲板に到着したエリカはそう宣言した。
「そ、そうだよ。イチローはボクたちの隊長なんだから……」
「ね、寝言はこの私を倒してからにするがよい」
「も、元星組隊長だか何だか知らないが、調子に乗るんじゃないよ」
「あ、『あーん』だなんてそんな……ぽっ」
他の四人も少し遅れて這い上がってくる。ちなみに、順にコクリコ、グリシーヌ、ロベリア、花火の台詞である。
どうあがいても水には浮かない射出カプセルと光武F2を海中で捨て、泳いでここまで這い上がってきたようだ。
さすがに全員が肩で息をしているものの、見上げた体力と根性である。
「「「「「ぱ、巴里華撃団、参上!」」」」」
参上というより惨状ではないかという気もするが、ともかくお約束のポーズを取る濡れ鼠な巴里華撃団五人娘であった。
曲がりなりにも秘密部隊であるにも関わらず、光武ナシの素顔・生身でも名乗りを挙げた挙句にポーズまで取るあたり、大神の薫陶が骨の髄まで染み込んでいると言えよう。
賢人機関の幹部がその場にいれば卒倒ではすむまい。
もっとも、
「じ、ジーザス……」
「助けてくれぇ! 魔女だ……海の魔女が出たぁ!」
さいわいといっていいものか、事実とは逆の方向に勘違いしている(無理もないが)ブルジョワジーご一同は誰も聞いてはいない。
「み、皆! 無事だったんだな!」
これで助かる!
秘密部隊とか機密とかいう単語はとりあえず忘却した大神の声が、再び歓喜の彩りを取り戻す。
「はい! 私たち巴里花組はこんなことでは負けません、大神さん!」
敬愛する隊長の言葉を受けて、巴里花組の五人が見る間に生色を取り戻した。
もっとも、濡れ鼠でざんばら髪な彼女たちが元気を取り戻す光景というのは、傍から見ていて多少不気味ではあったが。
エリカはびしっとラチェットを指差し、
「さあ! 白タイルさん!」
「エリカ、アルタイルさんだよぅ・・・」
「あ。そっか。青タイルさん!」
あくまで床に敷き詰める建築資材と勘違いしつつ、エリカは宣告した。
「大神さんは返してもらいますからね!」
「くっ……大義を理解しない蒙昧の徒はこれだから……」
ますます悪役めいてきたラチェット・青タイル……もとい、アルタイル。かつて十二歳にして星組隊長を務めた万能の天才であった。
彼女はきっ、と巴里花組を睨みつけ、
「大神隊長は渡さないわ! 彼は今後、ずっと私と一緒に紐育を守るのよ!」
「も、もしもし? ずっとって……」
青い顔をして口を挟む大神を、ラチェットは無視した。
「何を勝手なことを!」
グリシーヌが怒号した。
「隊長は我らの隊長だ! 大自然的な摂理としてそれは決まっておるのだ、この戯けめが!」
「そうです……大神さんはこれから巴里に戻って、ずっと私たちと巴里を守るんです……ぽっ」
「そーだそーだ! イチローはボクたちのなんだからね!」
「ま、早い者勝ちって奴さ(←それをいったら帝撃花組はどうなるのだろう?)。遅れてきた女が偉そうな口叩くんじゃないよ」
口々にいう巴里花組一同。
「あ、あのー……俺は帝国華撃団に復帰しろと辞令を受けてて……」
大神の弱々しい主張は、またしても無視された。
嫌な予感の正体はこれか――彼は罰当たりにも神を恨みたくなった。
救いの手ではなく、自覚なき誘拐犯が増えただけのことらしい。
ごぉぉぉぉぉぉ……
そして再び、空に轟く蒸気機関の音。
虚ろな目で大神が見上げると――そこにはいつの間に現れたのやら、日本が誇る超弩級空中戦艦ミカサの雄姿があった。
艦外スピーカーから聞きなれた声の数々が、怒声となって響いてくる。
『ラチェットさん! 大神さんは返してもらいますよ!』
『てめぇラチェット! よくもあたいたちの隊長を!』
『やっぱりラチェットは油断も隙もありませーん!』
『わたくしたちの信頼を裏切って、ただですむとはお思いにならないでいただきますわ!』
『目標補足……照準固定。主砲発射準備完了』
『……今回ばかりは止めないわ、皆! さあ、隊長を取り戻すわよ!』
『了解や! ラチェットはん、今ならウチの発明の実験台になるだけで勘弁したるで!』
『お兄ちゃん、今助けるからね!』
順にさくら、カンナ、織姫、すみれ、レニ、マリア、紅蘭、アイリスの台詞である。
本来なら、今度こそ助けが来たと喜ぶべきなのに、逆に底知れぬ不安が沸き起こるのは何故だろうか?
というか、理性派のマリアやレニですら火に油を注いでいる時点で、いろんな意味で終わっている気がする。
「か、勘弁してくれ……」
もはや神を恨む気にもなれず、いっそこのまま海の泡になってしまいたいとまで思う大神一郎、二十四歳であった。
「巴里花組だけならまだしも、帝撃花組、それにミカサまで来るとは……さすがにきついわね。何とか共倒れさせるしかないか……」
限りなくブルーな大神をよそに、一人冷静に物騒な計算を立てているラチェット・アルタイル。
有り余る才能をちょっぴり(いやかなり)無益な方向に浪費している万能の天才であった。
「相手が誰であろうと私たちは負けません! それが巴里花組だと大神さんが教えてくれたんです!」
ああっ、俺の馬鹿! どうしてそんな余計なことを教えたんだ?
ラチェットとミカサを等分に見やりつつ、敢然と言い放つエリカの姿に、大神は過去の自分を呪った。
ごぉぉぉぉぉぉぉぉ……
「ああっ、あれは!?」
今度は何だというのだろう? まあ、こうなれば武蔵なりオーク巨樹なりが現れても構わない気がするが。
三度、天空に轟いた音に、大神は自棄になった。
今度は飛行船だった。
翔鯨丸とよく似ているが、サイズが一回り大きく、武装もより豪華というか物騒なようだ。
「紐育華撃団の『エイハブ』! 来てくれたのね!」
ラチェットが歓声を上げた。
その歓声がろくでもない未来を意味していることを十分に理解しつつ、大神は問わずにはいられなった。
「『エイハブ』って……なんだい?」
「紐育華撃団星組の輸送用に作られた武装飛行船よ。帝撃の翔鯨丸をベースにしているけど、物量主義のアメリカらしく最大積載量と火力は1ランクどころか3ランクほど上ね」
「また物騒な代物を……」
「あら、今後はあれも貴方が指揮運用するのよ」
「だから、俺がいつ紐育に行くと……」
「往生際が悪いわね。もう決まっているのよ(断言)。ほら」
ラチェットはエイハブと呼ばれた武装飛行船を指差した。
『大神隊長! ラチェット副隊長! ご無事でしたかぁ!?』
まるでその動作に合わせたかのようなタイミングで、エウハブのスピーカーから聞き覚えのない少女の声が轟く。
「お、おおがみたいちょーって……今の声は一体?」
「紐育花組の隊員よ。サジータ・ワインバーグっていうの。正式な紹介は後でね」
「それはどうも。……じゃなくて! その紐育星組の隊員が、どうして俺を隊長と呼ぶんだ!?」
「だから『決まってる』っていったでしょ? 今回の一件は、紐育星組の子たちとも打ち合わせ済みなの。かの有名な大神一郎中尉を隊長に迎えるっていったら、皆大喜びで賛成してくれたわ」
「隊員よりもまずお偉方から許可を取ってくれっっっ!!!」
「現場の判断はいつだって尊重されるべきなのよ」
「これは独走あるいは暴走というんだぁぁぁぁ!!!!!」
大神の血を吐くような叫びに……応える者は誰もいなかった。
ミカサが主砲をエイハブに向ける。
エイハブから複数のSTARが降り立つ。
巴里花組の五人は、船のアンカーを使って光武F2を引き上げようとしている(やはり見上げた体力と根性だ)。
――今ここに、後の世に太平洋決戦と伝えられる激戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
後世の歴史家は口々にいう。
「これほど熾烈で凄絶で、かつ無駄に最先端な戦いは歴史上かつてなかった」と。
その戦いの影に、
「お……俺が悪かったというのか…………?」
と、遠いお空に向かって語りかける男の姿があったことは――
大いなる歴史の謎の一つである。
FIN