EVA -- Frame by Frame --

 

<プロローグ>

 

よせては返し  よせては返し

 

廃墟

    都市の遺骸

           オレンジ色に染まった終着の浜辺

                            生命反応の消失

絶望と虚無

 

よせては返し  よせては返し

 

悔恨

    果たせぬ思い

            仄かな残存意識が浮かび上がり

                            宙に溶け拡がる

絶望と虚無

 

そして、回帰−−

 


 

「15年ぶりだねえ」

「ああ、間違いない。使徒だ」

 

<第1話 使徒・再来>

 

「ヤツめ、ここに気づいたか」

 そう色眼鏡をかけた長身の男がつぶやくのと同時に、ブリッジ、壁、天井の全てが激しく揺れ、男をじっと見つめていた少年の上を、落下する鋼材が襲った。移動式ベッドの上に横たわる、傷だらけの少女はなすすべもなく床に叩きつけられ、小さくうめき声をあげた。反射的に膝をつき、肩を支えようとした少年は、掌についた生暖かい血液に全身をこわばらせた。少し離れたところで、彼をここまで連れてきた女の人が大声をあげているが、彼の意識からは急速に周囲の映像が遠ざかっていった。

 何が起きているのか。分からない。そんなこと、どうでもいい。でも−−

 視界がしだいに狭まり、どこかに暗く閉ざされていく感じ。周りに誰もいなくなる感じ。目に映るのは苦痛に歯を噛みしめ、額に脂汗をびっしり浮かべた少女の顔だけ。まだ幼さが残る、おそらくは自分と同じ年頃だろう。血圧が下がっているのか、顔色は透けるように青白い。片方しか開いていない瞳はしかし、信じがたいほどの強烈な意志の光を放ち、動かすことのできる左腕は少年の服の袖をつかんで起きあがろうとしていた。その瞳は少年を見ていない。衝撃で点滴の針が乱暴に引き抜かれたのか、青黒く変色した静脈が痛々しい。

 足元で、破れた点滴パックから液体が拡がり、膝を濡らす。

(何なんだ、これ)

 肉薄するあの化け物−−使徒−−と闘い、倒さねば人類に未来はない。司令であり、父である男は言い放った。そんなこと、できるわけない。そう叫んだばかりなのに。

(これは、現実?)

「そうだ」

という声は今度はない。少年の意識の中では、威圧的だった父の姿すらゆらいでいく。再会の意味を問う間もなく。

(この子、いったい)

 全身で息をついている。不規則な息づかい。細過ぎる肩が激しく上下する。このロボットみたいな巨人に乗って、あの化け物と闘うなんて。

 できるわけ、ない。

 崩れる少女を抱きかかえる。少年には異性はもちろん、他人と肌のぬくもりを分け合った記憶はない。いま、薄いボディースーツを通じて、そして剥き出しの上腕部を通じて伝わる少女の感触に、少年はとまどい、指先が小刻みに震える。非力な彼には、二人して倒れないようにこらえるのが精一杯だった。「死」がまだ漠とした抽象概念でしかない少年にとって、生身の人間の苦悶を間近に見るのは、初めての経験だった。

 そして少年は不意に気づく。目の前にいるのが、ここ、第三新東京市に着いてすぐ、陽炎を透かして一瞬まみえた制服姿の幻影の少女であることに。

(僕は知っている?)

その姿はあまりに儚かったが、忘れ得ぬものだった。

(死ぬのか、この子が?)

 

 だめだ。

 

 少年の中で、何かが目覚めた。

 

 無意味だった日々が、変わるのかもしれない。けだるく過ぎるだけの、遂げたい思いが自分にあるのか否かすら、不透明な膜に覆われて見えなくなっていた時が。

 変わって、すぐに終わるにしても。

 いま、少年は少女との間に決定的な「絆」が生まれようとしていることを感じていた。どれほど脆く危うかろうと、それは幾度となく求め、決して得ることのできぬものだったから。

 耳元で女の人たちが話している。懇願?命令?声の調子はどちらにもとれるが、何を言っているのかわからない。虚しい世界の、虚しいコトバ。

(逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ...逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ)

 思いはただ、運命の少女のために。

「やります!僕が乗ります!」

 

***

 

 無人の高層ビル。その一角に月光が射し込んでいる。

 夜半を過ぎ、本来ならここで残業をしたり、あるいは最上階のレストラン街に訪れたりするはずの人はない。

 目の前の黒い存在は圧倒的な量感をもっていた。そしてそれを迎撃せんと地の中から放たれた紫の悪鬼もまた。

「使徒は巨大な人型で二足歩行、ただし異様に広い肩幅と長い腕をもち、首にあたる部分をもたない−−」

 手元の携帯端末に女は注意点を記録する。避難警報が全市内に発令されてからずっと、薄暗いオフィスの片隅に体を潜めて窓の外の出来事を観察していたのだった。だが、ディスクの残量を確かめながら、たった今起きた出来事を前に彼女は不審げな表情になる。

(とどめを、刺さない?)

 エヴァンゲリオンと呼ばれる人型兵器が、およそ人間の制御の困難な代物で、予測不能な要素があまりに多いことは、情報として既に得ている。だが−−

 使徒の本能は、天より来たりて破滅をもたらすこと。それ以外にはないはず。相手が通常兵器であろうと、エヴァンゲリオンであろうと。

 目の前の光景は予測の範疇を越えたものだった。

 地上に射出された人型兵器は、最後の光芒を浴びながらおぼつかない足取りで一歩を踏み出した。だが使徒と向かい合っても攻撃らしいことは何もせぬまま、バランスを失ってあっけなく地に倒れ伏した。迫り来る使徒を前に、やっと起き上がろうとしたものの、エヴァンゲリオンはその一角獣のような頭部の突起を使徒につかまれ、なすすべもなく、ビルを背に叩きつけられた。

 それだけだった。

 使徒は、なぜかさらなる攻撃を加えるでなく、エヴァンゲリオンを逆さ吊りにしたあげく、高層ビルの上からだらりとぶら下げた。紫の悪鬼は、電源ケーブルが絡まり、身動きのとれない状態になったまま、活動を停止した。それは古風な処刑の光景を思わせた。

 

hanged man

 

 何が「シナリオ」によって企図されたことなのか、何がイレギュラーなのか、知るすべはない。

「外部感覚器官の存在は認められない。胴の中央にある光球から高エネルギー反応、サーモグラフのファイルを添付する。エヴァンゲリオン・パイロットの練度は低く、子供を乗せているという情報は確実性があると判断される」

 世界が滅びていなければ、明け方には「契約」した産業廃棄物処理業者の手を通して、やがて彼女を使わした機関の中枢へと情報が上がるだろう。

 地上に動かなくなった悪鬼を置いて、使徒は月光を満身に浴びつつ、ジオフロントへの侵入を開始した。

「重力制御、解析不能。既知の物理法則では理解できない手段により浮揚の後、地下空間へ地表を破壊し、侵入−−」


 

Episode 01: A Boy Meets a Girl.

 


「シンジ君!」

 発令所に悲痛な声が響く。

「パイロットの状態は?」

「神経接続は断線、心理グラフが乱れ、シンクロ率は10%台を切っています。この状態では、シンクログラフのアトラクタを再計算するのは無理です。現状で再起動の可能性はありません」

「回収班を向かわせて。大至急」

「こんなはずではないのに...」

 白衣をまとった女性のつぶやきを、指揮をとっていた同年輩の女性がさえぎる。

「あんた何言ってんの!いきなり動いただけでも奇跡だっての」

 震える肩を彼女は抑えきれない。怒りか、恐怖か、憤懣か。

 

 一段高い位置で、男達が言葉をかわす。

「さて、どうするつもりだ?」

「零号機を起動させる」

 

***

 

 使徒は感じていた。初号機−−という呼び名は別としても−−に己の存在が飲み込まれるような感覚を。あれは同じ感じがした。還るべきところ。この身をゆだね、星の彼方に旅立つ母胎となる存在。

 だが、どこかが違う。遠い記憶が制動をかける。殺戮と融合の衝動がしずまると、使徒は悪鬼をケーブルで吊し、動きを封じた。地下の深奥には、より確かな波動を感じる。一つになること。虚しさを埋めること。

 

***

 

「レイ」

「はい」

 モニタ越しに、少女は消え入るような声を返した。

「零号機で出撃する。ジオフロント内で迎撃しろ。武装はN2弾頭の無反動砲を用意する」

「はい」

 少女の脳裏には、さきほどの少年の姿が浮かんでいた。

(...そう、だめだったの)

顔かたちは確かでない。だが崩れようとする自分を必死に支えていた腕の感触は鮮やかに覚えている。周囲がただ声をあげ、何かをまちまちに訴えるだけであった一方で。その記憶は、少女の胸の中に小さな波紋を落としていった。

(わたしは死んでも、代わりがいるのに)

 

<つづく>

2001.7.14(2007.10.5オーバーホール)

Hoffnung

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