「頑張りたまえ、戦友」
「はい。日向二尉も、頑張って下さい」


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「フタマルゴウキュウ、監視対象、日向二尉と別れる」
 閉め切った箱バンの中に設置されたモニターを見ながら、男はそう呟く。呟いたことに、実は大した意味はない。報告書をまとめるのは彼の相棒で、その相棒は彼が唇を動かす前にキーをたたき始めていた。復唱しながらも指を動かし、それが終わる前に打ち終わっていた。滑稽だな、と思った。誰のことでもなく、ここでこうしてモニターを眺めている自分たち、監視対象のチルドレン、その周りにいる諸々の人間たちの全て……。
「戦友、か」
「――はい?」
「いや……」
 集音マイクから、二人の会話を拾えていたのだ。雑音の入り混じったその中の日向の言葉に、彼はらしくなく動揺している自分を見つけ出していた。
 戦友。
 せんゆう。
 センユウ。
 チルドレンたちも作戦部の人間も、技術部も広報部でさえも、確かに同じ組織に所属して一つの目的のために動いているのだ。彼らと自分らは戦友といってもいいはずだ。少なくとも表面的にはそう呼んで差し支える理由はない。
 しかし。
 決してそう呼ばれるべきではないということも彼には解っていた。お互いに、戦う理由も目的も違っている。作戦部は世界と人類の平和のために戦力を整えて運用するのが仕事だ。そこに所属するチルドレンたちも、基本的には変わらないだろう。だが、保安部は違う。保安部は世界のためにも人類のためにも戦ってない。
 保安部は、NERVという組織を守るためにある機構なのだ。
 だから、平気で作戦部の人間を邪魔できるし、技術部の門外不出の技術をリークすることによって戦略自衛隊のとの関係を緩和させたりというようなこともできる。自分らがいるからこそこの組織は維持されているのだと、自分らがいるからこそ作戦部は戦えているのだと、手段は目的があれば正当化できるのだと――そう、自分らに言い聞かせることすら、しない。彼らはNERVを守るためだけの存在であり、それ以上のものでもそれ以外のものでもないからだ。
 それなのに。
(戦友……)
 それは、何かと一緒に何処かに忘れてきた言葉の一つだった。
 そのように感じて、考えてしまう自分が未だにいるというのが驚きだった。それが「あくまでファーストチルドレンの行動には干渉すべからず」という司令よりの絶対ともいえる命令を、チンピラと思しき連中に囲まれていく彼女の姿を確認しながらも遵守すべきか――それについて走らせた思考の延長であるということは自覚している。命令をただ守るだけの機械でありたくないという心が若草の芽のように覗かせた一瞬の続き。いつもどおりに彼女が行動していれば、決して現れなかったであろう心。同時に展開されていくのは警備体制の不備についての反省だった。普段とは違う行動をとられただけで対応が遅れるような硬直した警備体制は、所属している自分らからしても目を覆いたくなるものだ。そして恐らく作戦部から今夜にでも保安部に対しての意見書なり抗議書なりが提出されるに違いない……その時に自分らの評点はどのようにされるのか……ああ、まったくもって滑稽だと、彼は改めて思った。
 若芽は踏み潰される。
 作戦部のように、チルドレンのように、世界のために戦いたいと、人のためにありたいと願う心は、職務と給金という現実の前ではあまりに弱弱しすぎた。
 彼は規定された行動をとりながら、別の班に連絡をとりながら、踏み落とした足に力を入れた。
 保安部への勤務は自分が希望したことであり、自分が決めた進路は自分で責任をとらなければならない。そんな当たり前のことのために、彼は彼の心を自ら踏み潰す。二度と出ないように踏みにじる。
 と。
「―――班長」
 声がした。
「ファーストチルドレンの向かう進路に」
 中継されるファーストチルドレンの映像とは別のモニターには、先行している別の班からのそれが映っている。そしてその中には確かに彼らの見覚えのある人物の姿があった。
「なんでだ?」
 言ってから、眉をひそめた。
 サングラスの下に隠された表情は滅多なことで動かない。そのように訓練されている。それが、今日になってからは何度となく崩された。初めてのことだった。しかし、無理もないことだった。
『――各班に連絡』
 こちらがすべきなのに、先にイヤホン越しに告げられた言葉に、彼は嫌な予感がした。
 そして、その予感は当たっていた。
「……どうにかしているぞ、今日は」
「応援、頼みますか?」
「それについては、すでに三課から――四課まで話が行っているようだ」
「四課!」
 相棒は絶句して、運転席からも息を呑む気配が伝わった。
 同じ保安部でありながらも、彼らとはまた違う職務を持つ部署の連中。
 保安三課はまだしも、四課の登場などというのはここ数ヶ月ではないことだった。
 少なくとも、彼の行動する範囲内では四課の人間がチルドレン警護専門の二課の彼らとつるむような事態はなかったはずだ。
「……あの連中が動くとなると……こいつは大事だ」
 呟きながら、運転手に車を止めるように指示した。
「B班とC班の班長と合流する」
 連絡された待ち合わせ場所は、すぐそこだった。当然、運転手はそれを聞いていた。相棒も。彼がそれを口にした理由は、自分の行動を明確にするためだけである。
 なのに。
「――連絡は、しないんですか」
 箱バンから足を出し、頭を出した彼に、背中から問いかける。
「――――」
「司令部と作戦部には、何も言わないで――」
 振り向いた。
 彼は相棒の顔を見た。
 彼と同じ形のサングラス越しのその表情は、彼が踏みにじったそれをまだ持っているモノのそれだった。
 彼の言葉に何かを期待しているモノの顔だった。
「必要ない」
 それも、踏みにじる。
 きっと、芽がもう顔を出すことはない。
 自分のも。
 そして。
「――了解しました」
 返答が終わるまでに外に出た。
 相棒がどんな顔をしているのかなど、知りたくもなかった。
 背後で閉まったドアの音と発進した車のエンジン音を聞きながら、歩き出す。俯き加減なのは前を直視したくなかったからか。それとも。そしてだからこそ、彼は足元の影の濃さに気づいた。
 なぜか、空を見上げた。
 そこにあったのは、


 月は、蒼く――それは、満たされていて。


「そうか、気がつかなかった」
 と彼は呟き、どうして今夜に限ってファーストチルドレンが、他の誰もが外を出歩いているのかが解った気がした。




 コンヤハコンナニモ ツキガキレイ ダ――





 つづく
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