……そして収束していく
その絵画じみた光景に敢えてタイトルをつけるのならば“人間失格”だろうか。
ビルとビルの隙間から漏れて差し込む来迎の光を浴びながら横たわる彼女の姿は、確かに人ならぬ天使めいていて……そこがゴミ捨て場で、彼女が埋もれるように横たわっていたのは積み重ねられたゴミ袋の上でなければ、だが。
「……………………何やってんのよ、アンタ?」
両手にゴミ袋をぶら下げた惣流アスカ・ラングレーに問われ、彼女――綾波レイは、目を開いた。
天使の目覚め……と表現していいのかも知れない。重ねて言うが、彼女がゴミ袋をベッドにしていなければの話だけれど。
アスカがここにいるのは、朝になってゴミを捨てにきたからである。
我侭なイメージが優先してている彼女ではあるが、割り振られた役目を嫌がるような娘ではない。元々、欧米に云うエリートというのは人の嫌がる仕事をも率先してやって範を見せる者のことである。選ばれたる人類を守る戦士ー―チルドレンとしての教育はエリートのそれと同義だった。ゆえに葛城家でゴミ捨ての当番がくれば捨てるし、掃除の順番がくればきちんとこなす。最近ではまあ、同居人のシンジにつきあわせてたりしているが、それは彼女にいわせれば今ひとつチルドレンとしての自覚の足りないサードチルドレンを鍛える個人的なレッスンというか訓練の一環であって、決して一人でいてもつまんないからつき合わせているのではないのである。ないったらない。
それでまあ、今日も彼女は土曜日の朝だというのにゴミを持ってマンションを降りてきたのだった。
後からシンジが残りの袋を持ってくるのだが、手際のいい彼女と違ってまとめるのにちょっと手間を食っていて、それでもあと五分もしないうちに降りてくるだろう。
休みの朝にはこうして二人で降りてゴミ捨てのついでに公衆浴場にいったりコンビニに寄ってジュースを買ったりアイスを奢らせたり発売した雑誌を読んだりする、というのがここ何ヶ月かの二人の習慣だ。
今日はその習慣も崩れそうだった。
「――――生きてる?」
茫然と、綾波レイはそう言った。
まるで、ここでこうしているのが何かの間違いであるかのような口ぶりだった。それを聞いてアスカは額に皺を寄せて考え込む。
昨晩に会った時も少し様子がおかしかったような気が、今から思い返したらしないでもない。しかしそれにしたってまさかこのような再会を果たすなどとはまったく思ってもみなかった。月の光の下で会ったファーストチルドレンはなるほど馬鹿シンジのいっていたように月の化身であるかのようで、二人して月を見上げながらこの子の無愛想な顔を思い浮かべていたりしたのだが……そういえばミサトが夜遅くに帰ってきた時に夜道を歩くレイを見かけたという話もしていた。
(――ずっとうろついていたのかしら?)
もしかして一晩中。
何処でなにをしていたのかは類推するしかないのだが……月を見ながらの一晩の彷徨と云うと優雅ではあるが、その挙句にこんなところに捨てられて(?)いるなんて……あと「生きている?」ということは、死ぬような目にあったということだろうか。そこまで考えると、自然と眉間の皺が深くなる。
「ねえ」
――誰かにひどいことされたの?
口にするのは、はばかられた。
いけすかない女だと思っていたし、今でもやっぱりいけすかないと思っているけど、だからと言ってひどい目にあっていいだなんて思っているわけではない。むしろ幸せになれるのだとしたらそうなれればいい。困っているのだとしたらやはり助けたいと思っている。よき隣人たるサマリア人を気取っているわけでもないけれど、少なくとも戦友たるファーストチルドレンをこのまま放置する気にはなれなかった。……当人に拒否されたのなら、腹を立ててしまうのかも知れないけど。
「ねえ」
もう一度、言った。
見た感じは衣服が乱れているという様子はない。制服に皺が寄っているのは恐らくそのままで寝転んだからだろう。気にするほどのものではなかった。暴力を振るわれたようにも見えないが、あるいは服の下に殴られた跡などが残っているのではないか――とそこまで考えて、チルドレンが暴力を振るわれて、保安諜報部の人間が黙っているなどということがありえないということに思い至る。
連中が大抵のことを放置しているのは承知しているが、それでもシンクロ率にもかかわりのありそうなことにはさすがに黙ってはいないだろう。
(とすると――ここで寝てただけ?)
――なんだ。
心配して損した。
アスカは盛大な溜息を吐き、ゴミ袋をレイの周りに置き、手を差し伸べた。
そして。
「いい加減に、立ちなさい」
と言い添えた。
それに対して、まさか
「いいの?」
そんな言葉が返るとは思ってもなかった。
む、とまた眉間に皺を寄せたのは、さっきとは違う理由による。好意を拒否されたのなら怒って当然だ――と彼女は考えるくちだ。拒否ではなくて疑問視されても、やはり怒る。彼女は優しい人間ではあるが同時に傲慢でもあった。
(なによ。このわたしが手を貸してあげようってのに)
だからと言って、それですぐに手を引くなんて真似はしないけれど。
綾波レイは、彼女の手と顔を交互に見て。
「わたしが生きていて、いいの?」
「はあ?」
なんで、ここでこんな言葉がでるのか。
アスカは混乱こそしなかった。
混乱こそしなかったが、顔全体に疑問符を貼り付けてレイの顔を――目を覗き込む。
哀しそうだった。
そう思った。
哀しそうと彼女が感じたことと綾波レイが哀しいと思っているということとは、違う。
綾波レイが、ファーストチルドレンがどういうことを考えているのかなどと、そんなことはアスカには解らない。
ただ、哀しそうだと、思った。
「なんで――そんなこというのよ?」
「わからない」
「はあ?」
今度こそ、惣流アスカ・ラングレーは混乱した。
もとよりまともな人間であるのかと言えば少し怪しかったところのあるファーストチルドレンではあるけれど、喋ることは概ね論理的だった。少なくとも今朝会うまではこんなおかしなことを言うような人間ではなかったはずだ。
ただ。
やっぱり、哀しそうだという感触は変わらないままだった。
「わからないのに――」
「わからない、けど」
その後に、綾波レイがなんと言おうとしたのか、それは永遠の謎になった。
遮るように、堪りかねたように――アスカは言ったのだ。
「――アンタ、死にたいの?」
「―――――――――――」
何故、黙ったのか。
そも何故、アスカはそんなことを言ったのか。
互いに、己の行為の意味を測りかねていた。
だがやがて。
「死にたく、ない」
ぽつり、と。
搾り出したような、声が……零れた。
「死にたくない」
もう一度、言った。
「じゃあ、生きたらいいじゃない?」
腰に手を当てて、アスカは言った。
惣流アスカ・ラングレーが、言ったのだ。
その時――
太陽が、昇った。
来迎の光を遮るものはなく。
二人の少女を照らす。
その光を背に受けたアスカが、再び手を伸ばした。
無言のままでレイはその手をとって、立ち上がった。
「アスカ、――綾波?」
丁度その時に、シンジがゴミ袋をぶら下げて現れる。
振り返ったアスカに、何処か不思議なものを見るような目を向けている。それがレイと自分を繋いでいる手の存在にあるのだと気づいた彼女は、慌てて手を離して後ろに隠す。顔が真っ赤だった。それが光をもろに受けているから目立たなかったけれど――まあ、モロバレだった。
モロバレだったが、そのことにはつっこまずにシンジは言った。
「なんでこんなところに綾波が――」
「おはよう、碇くん」
「おはよう――じゃなくて、なんでここにいるの?」
「……それは」
どう説明したものか、微かに逡巡したレイが口を開ける前にアスカが再び遮るように。
「アンタばかぁ?」
蔑むように、言う。
そして。
「そんなの、理由なんかいらないわよ」
「え、そんなの」
そこで、アスカはレイに一瞥をくれてから。
「生きて、ここにいるのに理由なんか必要ないわよ」
そして。
そして、アスカはレイの手を再び握った。
レイが何かを言う暇などない。
「いくわよ」
歩き出した。
シンジの「アスカ?」という声にも笑って返して、彼女はレイの顔を見た。
ついさっきまで見えていた哀しさとか、そんなのは消えていた。
ただ驚いているだけのようにも見えたし、少し笑っているようにも思えた。
やがて。
「何処へいくの?」
「まずお風呂。――あんた、いつからあそこにいたのか知らないけど、ちゃんと洗わないと」
「……その後は?」
「後で決めましょう」
そうだ。
時間はある。
人生は短いけど、生きていくのに理由はないけど、週末をゆっくりと過ごす程度のことはしていいはずだ。とりあえずお風呂。いつものように公衆浴場にいってもいいし、その後でコンビニに寄ってアイスを買うなりジュースを飲むなり。風呂上りのフルーツ牛乳を飲みながらにでもあの後に何があったのかを聞き出してみてもいい。何もきかずにそっとしてあげるのが優しさだろうか? まあそんなことはその時に考えればいいことだ。
「待ってよ」
背中の方からシンジの声が聞こえる。
二人の少女はそれに応えず、手を繋いで朝の光に包まれた町を歩き続けた。
Neon Genesis Evangelion relay style Side Story
“THE NIGHT WALKING”
Closed
↓
one more final