とある森の中。

森ではあるが木々は疎らでいて、それでいて適度に夏の陽光を遮っている。

そんな場所に、一見不釣り合いとも言える白地の―正確には元白地の―建物が建っている。

教会であった。森の中にぽつんと佇むそれは、ムードがあると言えばあるのだが、普段はどうしても「寂しい」と言う印象が最初に浮かぶのは致し方ない。

だから、もし教会に自己主張の意志があったとすれば、この待遇にははなはだ不満であったに違いない。

だが、どうやらそれが満たされる日が来たらしい。森の中で忘れ去られ行く運命をただ享受する日は終わり、本来の使命の一部を遂行する日を迎えたのだ。

もとろん、そうなる事を本当に教会自身が望んでいたかは誰にも知る由も無い。むしろそう思おうとしていたのは、使おうとしていた人間達の思い上がりであるかもしれない。

今日は結婚式であった。10年ぶりの。


それから 前編
この種の建物は構造上採光がお世辞にも良いとは言えないが、この教会もその麗しい伝統を忠実に守っているようで、室内はその装飾品ほどには派手ではなく、全体として暗かった。もっとも、ライトを入れるなり何なりして明るくする事は不可能ではなかったはずであるから、この件に関して教会とその設計者には文句は言えないだろう。

『「これも演出のうちだよって言ってたしなあ』

と今日の主役の一人である新郎は思い出す。

新郎の名は「碇シンジ」。25歳の会社員である。

シンジは先ほどから緊張の中立ち尽くしていた。つい三ヶ月前も緊張したはしたが、あの時の相手は一人で良かった。

が今回は、80以上の好奇の目で見られている。これに彼の神経は耐えられるかどうか。それを一番心配しているのが本人であった。

『明かりの事はいいにしても、この暑さ何とかならないのかな。そりゃ費用は多くは出せなかったけど、何もこんな所でけちらなくても良いだろうに。』

思わず式の依頼先の悪友の顔が浮かぶ。

シンジは先ほどから暑さと呼吸困難で、首のネクタイを引き千切ってやりたい思いでいっぱいだった。

が、実はここまでの息苦しさを感じているのは彼だけであった。いくら古いとは言え、21世紀に建てられた建物に空調が無いわけないし、実際それは順調に稼動していた。閉鎖空間における息苦しさを考慮に入れたとしても、まず快適な温度設定であった。

心の中で悪友に文句を言うのに飽きたのか、気を落ち着けるために誰にも気づかれない様に深く呼吸を行う。

その時彼の目に入ったのは十字架に架けられたキリストの像。だがそれは彼にとって、もう一つのものを思い出されるには十分であった。

辛くなる。

ようやく自分を認めてくれた相手を、「使徒」として倒さなければならなかった。

十字架に架けられた、七つ目の白い巨人がその目撃者。

『十字架の前で罪を犯し、今は祝福を受けようとしている。こんな都合のいい事、本当に神様がいたら、多分怒られるだろうな。・・・それとも許されるんだろうか?』

傍目には新郎が新婦との楽しい思い出を反芻しているように見えるのだろうか、所々で「素敵ね」とか「あいつ意外と正装が似合うな」と言う声が聞こえてくる。

確かに180センチには僅かに足りないものの、バランスの良い細身の体は十分に映えるし、整った顔立ちに男にしては妙に奇麗な黒髪がアクセントを加えていた。それが新婦を想って軽く瞑想しているように見えれば、そう思うのも無理はない

『ホントに僕で良かったんだろうか』

彼はそう思う。

沸き上がる嬉しさと共に広がる将来への不安。相変わらず自信家とは言えないシンジは、当然のように感じていた。そのくせシンジ以外の男が、この場所にいる事など想像する事すら許せなかった。

『僕よりもふさわしい男がいたとしても、僕は彼女を渡したくない。』

シンジは自分でも傲慢かなと思わないではなかったが、その考えを取り消そうとは思わなかった。

悪い意味で、昔はそんな事は考えなかった。

自分と彼女との関係。

自分と綾波レイとの関係。それが不安だった。

誰に聞いた訳ではない。誰かに教えてもらった訳ではない。漠然と感じた不安だったが、それを気の迷いと片づける事は出来なかった。

「彼女は碇の知人の子だよ。その過程はともかくな」冬月元副司令は言ってくれた。

「安心なさいシンジ君。彼女は『綾波』レイ。大人の歪んだ科学に流されはしたけれど。彼女を信じてあげなさい。」ミサトさんは言ってくれた。

「シンジ君。不安でしょうから遺伝子検査の結果を渡しとくわ。結果はシロ。多少の類似性は認められるけど、それ以上ではないわ。」リツコさんは遺伝子検査をしてくれた。

『母さんを綾波に感じたのは、綾波の物腰に、母さんの幻想を投影していただけなのかもしれない。もしかしたらなにか関係あるのかもしれない。でも僕が綾波を愛してしまったのは事実。「かもしれない」で、目の前の大切な事実を失いたくない。』

高二の時、そう考えられるようになったシンジは一歩前に進めたような気がした。

それは、最悪の可能性から逃げていただけかもしれないと、今では思う。

今では何があっても、そこから目をそらさないくらいの覚悟はある。最初にレイを抱いた時に、その覚悟はしたつもりでいる。いや、むしろそう誓ったからこそ、抱けたのかもしれない。

『僕たちは幸せになる。それでいいんだよね、カヲル君。』

かつて彼が手にかけた親友は、今でも微笑んでいた。

 

更に彼が思考を繰り返そうとした時、その重さが存在意義であるかのような音を立てて正面の扉がゆっくりと開き出した。

扉の外に人がいる。二人。

それに伴って薄暗かった部屋が少し明るくなるが、シンジの位置からは丁度逆光の形になって輪郭がはっきりしない。それでも左の背の高い人が燕尾服を来ているのは見えたし、その人と腕を軽く組んでいる右の人がウェディングドレスを着ている事くらいは分かった。

ゆっくりと開いていた扉だが終にその歩みはとまり、再び静けさを取り戻した教会の中を花嫁と付添人が一歩一歩踏みしめるように新郎の方へ歩み寄ってくる。

純白のドレスに身を包み、軽く俯き加減に歩く花嫁を見た参加者から、その美しさに驚嘆する声が上がる。

衣装は確かに美しい。たがレイはその美しさに着られる事無く、互いの長所をより引き出す事に成功していた。

『やっぱり・・・きれいだ・・・』

ゆっくりと近づいてくる花嫁を見て、その姿を何度も見ているはずの彼でさえそう思わずにはいられない。

 

こんな話がある。

シンジは基本的にはしまり屋だが、けちではないので、ウェディングドレスはしっかりしたものを作ろうと考えていた。

が、どこの店が良いのかがさっぱり分からない。自分の知り合いにもそれらしい店をやっている人はいないので、仕方なく知り合いのつてを利用して店を探す事にした。幸いにもある友人の従姉妹が最近店を出したというのを初め数件がリストアップされる。

その友人は「腕はまずまずだし、顔が利くから安くなるよ」と言っていた。シンジにとっては、値段の方には余り興味はなかったが、それでも良いものが安く手に入ると言う事で最初に行ってみる事にした。

店に行って用件を伝えると、その従姉妹らしき人が出てきて、レイに軽く化粧を施すと、まず既製品を引っ張り出してきて着させてみた。が、どれもイメージに合わないと言うか、服の方が位負けするので、レイを奥の部屋に連れ込んで、入念にサイズを測り、写真を何枚も取って、一週間以内にデザインを送ると言う事でその場の決着を見た。

『なんか大変そうだな』と他人事のように感心していたシンジだったが、とりあえず次の店に向かう。が、いずれの店も最初の店ほどにはインパクトが無かったのでとりあえず最初の店のデザインを見てからにしようと言う事になった。

5日経った。来ない。

6日経った。来ない。

7日目の午後5時。念のために確認の連絡を入れようとしたレイの所にその従姉妹が菓子折りを持ってきて開口一番謝り出した。つまり自分では役不足だから師匠の所に行ってくれというのである。慰留はしたが、どうしても辞退するので、そこへ行く事になってしまった。

そして、そこで作ったのが今のドレスである。それなりのものは取られはしたが、シンジにとってはまったく不満の無いものであった。むしろ「呆ける」と言う言葉を始めて体感できた訳で十二分に元は取ったと思っている。

もっとも、「他人の不幸は密の味」と言うからその逆もまた真なのであろう。

この絵画の中でしか見られないような美女を手に入れたのがあのシンジなのだ。称賛の声に混じって舌打ちの声なども混じる。その中で最も目だったのが「かあー!シンジにはもったいないわ!」というけして小さくはない声であった。この一人者の心を代弁したような声に、教会の所々で小さな笑い声が混じる。厳粛な空気でなかったら大笑いしていただろう。

 

遂に新婦の行進は止まる。多少ざわついていた空気もそれと同時に再び引き締まったようで。皆が正面に注目する。

レイはそれまで組んでいた冬月の腕をゆっくりと解くと一度冬月の方を見る。そして軽い微笑みを浮かべながら言う。

「本当に・・・ありがとうございました。冬月さん・・・いえ、おじいちゃん。」

冬月もその言葉に深く肯く。「おじいちゃん」発言は意外ではあったが驚くほどでもなかった。考えるのも馬鹿らしいと思いつつもセカンドインパクトのなかった世界を、彼はしばしば想像していた。自分と同じように歳を取った妻がいて、大きくなった息子夫婦がいて、彼らには子供が二人いて自分は「おじいちゃん」と呼ばれる・・・。

むしろレイの軽い微笑みに既視感を覚える自分に驚きを感じた。

『未だ縛られているのは私もか』

その感慨を胸の底に沈め、レイに向かって諭すでもなく、もちろん押し付けるでもない様にやさしく、ゆっくりと話し掛ける。

「感謝しなくてはならないのはこちらの方だよ。あの事ではない、そうではなくて、レイが一人の人間として生きて、恋愛をして、結婚をする。そして私の事をおじいちゃんと言ってくれた事に対してだよ。さあ、今は年寄りと過去を語る時ではない。未来を共に語る人の所に行きなさい」

そう言うとレイから視線を外し、シンジに向かって目で合図を送る。

シンジもそれを理解したのか「レイ」と声を掛け、右手を出す。

レイもその声にはっとした。シンジが初めてレイの事を名前で呼んだ事に気が付いたから。シンジの目をしっかりと見詰め「ハイ」と小さな声で返事をしてから自分の右手をそっと重ねる。

そのままシンジはまさしく壊れ物を扱うかのような細心さで自分の隣にレイを導く。

『さて、自分の役目かここまでかな。これ以上は年寄りの出る幕でもなかろう。・・・・・・これで良いのだろう?ユイ君・・・』

冬月は目の前で二人が並ぶのを確認するときびすを返して自分の席に向かう。その背中が少し寂しそうだったのはやはり送り出すものの辛さだろう。大半のものはそう理解した。送り出したのがレイだけではない事を、元ネルフの参加者だけが理解していた。

 

冬月がさほど遠くない席に腰を落ち着けたのを見計らって、小太りの神父が儀式を始める。

「では、新郎碇シンジ」「はい」

「新婦綾波レイ」「はい」

「両名ともこちらへ」

 

「おー、シンちゃんあんな段差でもちゃんと手とっちゃって、しっかり旦那さんやってんのねえ。」

40の大台に突入した葛城ミサトであったが相変わらず普段の態度は軽い。ネルフにいた頃は多少無理してはしゃいだ時もあったが、最近では年がら年中騒いでいる。

「静かになさい。式の最中でしょ。」

こちらは一年早く40台に突入した赤木リツコ。取りつく島の無い物言いは相変わらずで、年齢に物を言わせた形式的な礼儀さえ守らせにくくなっているとの評判である。

「いいじゃないの。少しは明るい方が神様も機嫌良くなるわよ。」

「あら、神様はこういう雰囲気を壊されるのが嫌いだと思うけど?」

何だかんだいって結局話しに乗ってしまうリツコ。こういう所が職場が変わっても未だに友情が続いている所以でもある。

「あら?偉大なる科学者様は、いつのまに神学者も兼ね始めたの?」

「神様なんて分からないわよ。」

『分かる訳、ないじゃない。』

 

9年前、冬月邸

ネルフが事実上解体されてから、冬月はすっかりと歳を取ってしまった。少なくとも外見上はそう見えた。時折鋭い眼光が覗く事はあるが、そんな事は珍しく、ほとんどは隠居した好々爺という様子であった。

そんな冬月にリツコが会いに来たのは、一つの確認を取るためであった。

夏の夕日を受けて、オレンジ色に染まった縁側にリツコは腰掛けていた。冬月はお茶と,菓子受けを挟んで並んで座っている。

「レイの健康診断、全く問題ありませんでした。」

「そうか。それはよかった。」

その言葉に安堵を受けたかのように、冬月は一口お茶をすする。

「副司令」

「もう副司令は止めてくれんかね。今は只の隠居爺だよ。」

その言葉をリツコはあえて無視する。

「副司令。私が今日自らここまで来たのは、その事についてです。」

一瞬冬月の目が険しくなる。リツコが自分に副司令と呼びかける。つまりはネルフ及びその周辺事項についてである事は疑いない。

「どういう事かね。」

リツコはそれには直接答えず、持ってきたバインダーを冬月に渡す。

「何かね?ああ、検査報告書か・・・ん?赤木君、これは確かなのかね?」

初めて冬月が驚いた表情で、リツコの方に顔を向ける。

「間違いありません。レイの遺伝情報が、私たちが最後に確認した時と大きく異なっています。」

「つまり、別人だと?」

「即答しかねます。ただ、記憶操作及び整形の痕跡は認められません。」

「・・・そうか。では考えられ得る可能性は?」

「・・・その前にまずお聞きしておきたい事があります。レイの事、あれが全てですか。」

リツコは一瞬言葉を切ると思い切ったように切り込む。もし冬月に言う気が無ければ、答えはない事くらい分かっているが、それでも確認せずにはいられない。ゲンドウが自分に秘密にしていた事を、この老人が知っているのではないかという疑念を。

「私の知っている事は全て君に話した。碇の奴が君にどう言ったかは知らんが、おそらく変わりはあるまいよ。」

それが答えだった。

その言葉が真実であるかは不明であったが、予想していたものであったので、リツコは落胆はしなかった。

「そうですか。では、肉体という意味ではあれは間違いなく別人です。類似した部分も多く見受けられますが、遺伝子的に見て、少なくとも私が関与した肉体ではありません。おそらく、私たちの知る肉体はサードインパクト時に消滅したものと推測されます。予備、及びその製作技術は失われておりますので、四人目以降という事は考えられません。」

リツコは自分の言葉に痛みを覚える。自分の手でそれを行ったのだから。そんなリツコを見る冬月の目が、いったい何を思っているかは分からなかった。

「ですが、記憶という点では、多少の混乱があるものの、ほぼ正常を保っています。タブリスについても覚えていますので、バックアップした記憶のコピーでない事も確かです。」

「つまり外見は限りなく近い別人、内面は3人目ということかね。魂については?」

「それについては、現在のわれわれに判断の手段は存在しません。」

いつのまにか乾燥した唇を湿らせるため、リツコは二口だけお茶を口にし、更に続ける。

「これから話す事は、あくまで状況証拠とレイの記憶に頼った推測になるのですが、レイはサルベージされました。誰の意志かは不明です。レイ自身か、シンジ君か、他の誰かか、単なる偶然か。ですが当時、人の溶けたLCLとリリスの構成物質が大量にあった事は事実です。それを基に身体を再構成したのではないでしょうか。証拠はありませんが、話を統合しますと最も高い可能性です。」

「機械の力なしにか・・・まさに神の業だな・・・で、君はそれを知ってどうしようというのだね。」

「別に何も・・・知りたかっただけですから」

口にはそう言う。

『神様ね、あの時の神様はおそらくレイ。その栄光の座を捨ててあなたは何を求めたの?』

思ったのはそれだった。

冬月はリツコの瞳に浮かんだそれ以外の感情にも気がついていたが、自分にはそこまで立ち入る事は出来ないと感じ、踏み込みはしなかった。変わりに一言。

「結果をシンジ君にも教えてやってくれんかね。」

「気になりますか?」

「ああ、彼もうすうす感じていたようだったしな。過去に大人が犯した過ちに、子供までが縛られる必要はない。積み重ねられた真実より、後から生まれた現実が未来への絆になるならそちらを選択すべきだ。・・・偽善の極みかも知れんが、償いは地獄かどこかで受ければいい。」

そう呟くとそれきり冬月は黙ってしまう。リツコはその彼に一礼すると、縁側を後にする。

玄関を出たリツコが、何気なく振り向いてみた冬月邸は、来た時よりも小さく見えた。

 

「やっぱ人間歳を取ると謙虚になるのかしら。それとも諦め?」

いたずらっぽく笑うミサト。言合いでは7対3の割合でリツコが勝利を収めているため、ミサトにとっては優勢に立つと嬉しくてたまらない。が、そんなものでリツコの壁を破る事は出来なかった。

「戦略的撤退と言うやつよ。どこかの指揮官みたいに無茶な事はしない事にしてるの。」

使徒との戦いにおいては、作戦とは勝つための戦略と、その実行としての戦術という意味ではなく、勝つ可能性が最も高い戦術と定義変更されたため、時には信じられないほど可能性の低い作戦―人はこれを奇跡と呼ぶ―に頼らざるを得なかった。数年前日本政府に取り調べを受けた時に、あまりの成功率の低さに逆に同情される事すらあった。

それでもあの時はやらざるを得なかった。少なくとも限られたネルフの人員の中では最高のものだった。その立案、実行面の苦労を知り、なおかつその一翼をになった人間だから言える言葉である。

しかし許せるのと納得できるのは違う。現作戦を不利と見た元作戦部長は、その作戦を中止、側面攻撃に移る。

「じゃあ何で神様は明るいのが嫌いなんて知ってんのよ。」

「あら、明るいのが嫌いなんて言ってないわよ。だいたい私が言ってるのはあの二人の事よ。」

その言葉の影に不審なものを感じるミサト。

「だってそうでしょ、神様とその御子の結・・」

「リツコ!」

押し殺していて決して大きくはないが殺意すら含んだ言葉と共に、ミサトはリツコの胸座を掴んでいた。

先ほどまでの表情はすでに無く、怒りの表情がミサトの表面を支配している。

「リツコ。あんたが誰にどういう感情を抱いていていたかは知らないし聞こうとも思わないわ。でもねえ、いい年した大人が言って良い事と悪い事の区別もつかないなんて・・」

その言葉をリツコは冷静に遮る。

「ミサト。周り、目立ってるわよ。」

その言葉で我に返ったミサトがあたりを見回すと、小声とはいえドスの効いた声と、教会にはふさわしくない殺気とがブレンドされて危険な空間を形成している。運悪く彼女らの周りに座ってしまった人達に、明らかに作り笑いで謝りながらミサトは席に座り直し前を向いた。

そんなミサトを見て、彼女がこれ以上自分に声を掛けないと判断すると、リツコも席に座り直し視線をシンジ達に向ける。

「私が悪かったわ。」

リツコは一言だけ呟く。

その言葉に視線だけリツコに戻すミサトであったが、その言葉が誰に、どういう意味で発せられたのか、今の彼女ではそれを理解することは出来なかった。そして、それ以上触れようとはせず、視線を戻し、いつものミサトに戻っていた。

「あー。いつのまにか指輪の交換終わってるじゃない!次は誓いのキスかしら?お、お、お、おお?おおおっ!・・・シンちゃんもやるようになったわね・・・おめでとー!!」

 

誓いのキスは長めのキスだった。

いや、かなり長いキスだった。

例外も多いが一般的に誓いのキスはそう長いモノではない。

ましてや新郎は「あの」シンジである。普段のシンジを知る者が一様に驚いていたのも無理はない。

本人達は、互いに「いつもより長い」とは理解できているのだが、自分からは離れる事を拒否するかのように続けていた。

 

初めに我に帰ったのはレイの方だった。

自分の唇を執拗に求めるシンジをおかしく思いながらも、ゆっくりとシンジとの間に挟まった自分の両腕をずらしシンジの両肩に添える。その手に少し力を入れた所でシンジも気が付いたらしく、レイの腰と後頭部に回した手の力を緩める。

次の瞬間二人はなごり惜しそうにゆっくりと離れた。

レイの目に映るのは熱っぽい目で名ごり惜しそうな表情をしている、夫となった愛しい人の顔。

『夫』

その単語を反芻する。昔から意味は知っていた。だが自分には縁が無いし興味も無かった。会話における意思疎通手段以外の意味を持たない単語だった。

その自分が今、夫を持つ身となったのだ。命令ではない。強制でもない。自分が彼を望み、彼が自分を望んだから。

今のレイには笑顔以外の表情は必要無かった。

 

「シンジー!おまえには過ぎた嫁さんやー!泣かしたら承知せーへんでー!」

新郎新婦の長いキスの後に起こった拍手・歓声・罵声、すべてが二人を祝っているのは分かるのだが、彼女の感性からすれば、罵声なるものにはご退場願いたいと言うのが本音であった。

もちろん他人の祝い方にケチをつける権限など無いのは知っているので、とりあえず自分の権限の及ぶ範囲で、かつ罵声の10%を生産しているであろう元凶から退治する事にした。

「トウジ!やめなさい!もっと素直に祝ってあげられないの!」

「なんや、ヒカリ。そないなこと言わんかてええやないか。素直に祝うのも友情や。けど砕けた雰囲気で場を和ませるちゅうのも友情や。」

「何言ってるの!綾波さんが旦那さん馬鹿にされて嬉しいと思う?!」

「それは大丈夫や。昔の堅物の綾波ならともかく、今の綾波ならこの程度は問題ない。なんせ実験済みや。」

「実験って・・・トウジまさか・・・」

「ケンスケもおったんやが、イヤーあの時はスリリングやった。一段階上げていくたびに綾波の目がまじになって・・」

トウジには最後まで報告をする事が出来なかった。ミサト達のそばに居たものならば、先ほど感じられた危険な空間の縮小再生版だと言い当てられたであろう。

「わかった!もー言わん。だからな、機嫌直してーな」

さすがに言い過ぎたと感じたのか、単純に身の危険を感じたのか、先手を取って謝り、トウジも真面目な表情に戻る。

「・・・わかったわよ。」

こちらも熱くなりすぎた自分を恥じたのか、謝罪を受け入れたのかあっさり矛を収める。

そんなヒカリにトウジがさっきとは打って変わって、落ち着いた声で話し掛けた。

「だけど見てみい。あの二人の顔。これ以上ないちゅうくらい幸せそうやろ。ホンマ昔の二人とは思えんわ。・・・わしも全てを知っとるわけやない。いや、ほとんど何も知らん。けど、あいつらが一番幸せにならんかったら納得できへんわ。」

トウジの余りの急変ぶりに戸惑いながらも、ヒカリは歓声にかき消されない程度に静かに喋り出す。

シンジ達はもはや式の進行を無視した参列者が駆け寄り、胴上げしようとしていたりする。中心に黒のロングヘアーの、見慣れた顔が見えたのは気のせいか。

「そうね・・・あの頃の二人本当に辛そうだったもの。綾波さんの方はよく分からなかったけどずっと一人だったのは覚えてる。笑った所なんて見た事無いわ。」

「そうやな。シンジに綾波やろ?最初わいはエヴァのパイロットは訳ありの奴が選ばれるんと思うてたわ。ま、惣流やわしが選ばれてからはそうでもないとおもうたけどな。」

ヒカリはアスカの名前が出てきて少々びくりとしたが、トウジはヒカリの様子に気が付かずに話しつづける。

「だってそやろ?惣流は美人やったし、人当たりも・・・少々攻撃的やったがまあ目をつむれる範囲や、加えて成績優秀・スポーツ万能、聞けばエリート訓練を受けたゆうし言ってみればスーパーウーマンや。わしもまあちょっとは運動がでけたかもしれへんが、その分勉強がからきしで平均すれば普通の生徒や。親の事かて、セカンドインパクトのすぐ後や。珍しくも何ともあらへん。スーパーウーマンと普通。タイプは別やけどあいつらとは対局の存在やな。」

トウジにしては珍しく一気に喋りきるとまるでヒカリの言葉を促すように黙りこくる。少なくともヒカリはそう理解した。

「そっか。トウジはそんな風にアスカを見てたんだ。そうなんだ・・・」

逆にヒカリにしては珍しく、冷静なのに言いよどんでしまう。

「でも・・・」

『どうしてそうだったかは知ってるの?』

その言葉が続かなかった。ある程度の事は知っているのだが、事が事だけにトウジにといえどもぺらぺらと言うべきではないと思ったのだ。言ってしまえば聞かれてしまう。聞かれれば、そこまで言ったら言わなければならない。出来る事なら恋人に嘘は付きたくないという気持ちと親友のプライバシーヒカリの心はゆれていた。

「いや、ええ。ヒカリが言いたくないんなら言わんでええ。」

トウジもさすがに気が付いたのか気を利かせる。

「しかしここに惣流がおったらどうなるんやろな。」

いきなり変わる話に付いていけないヒカリ。

「もし惣流がずっとわいらの近くにおったら、どうなっとったかちゅうことや。」

「あ・・・ああ。そういうことね。」

「あそこでドレス着とる人物が変わとったか、あそこでシンジいじめとるか、涙に暮れてここには来ないか・・・これはないか、それか「優等生!シンジはあたしのものよ!あんたなんかには渡さないわ!」なんてシンジ奪いに来るか。」

ヒカリもその光景を想像して思わず笑ってしまった。瞬間、さっきの自らの言葉が蘇る。

『これは違うのよっ!』

反射的に言いそうになった言葉をトウジは左手で口ごと遮る。「笑えるやろ?」そう言うと、自分も笑いながら席を立ち、まだ騒いでいる前へ走って行く。

「シンジ!己ちゅう奴はなんとうらやましいことを!」

「ト、トウジまで!」

「抜け駆けしくさりおって許さへんで!」

「そ、そんな!トウジだって洞木が居るじゃないか!」

「今日の己に発言権はないんじゃぁ」

繰り返される阿鼻叫喚の世界だったが、ヒカリは結構幸せだった。

『まいったな、全部ばればれじゃない。』

が、アスカの事を思うとやはり気にはかかる。

「アスカ・・・あなた今何してるの・・・?」

その小さな呟きは誰にも聞かれる事無く喧騒の中に溶けていった。

 

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