「終わったーっ! 終わった、終わった、終わったーっ!」

 教室中に生徒の歓声が響きわたる。

「はーい、それじゃあ一学期最後のホームルームよーん。これがおわんないと夏休みにはならないからねん」

 いちおうはクラス担任であるミサトが、生徒らを席に戻しホームルームを始めようとする。夏休みまであとわずかともなれば、ふだんはやかましい生徒らもおとなしく彼女の言葉に従う。

「それじゃあ、夏休み中の注意事項だけれど、くばったプリントに目を通しといてね。あとは、自分の責任の取れる範囲でなら自由にエンジョイしてきなさい。ま、悔いのないようにねん」

 そして、一呼吸おき、生徒の顔を一人一人見まわす。

「それじゃあ、楽しい夏休みを!」

 どっと歓声がわき、プリントや、ノートや、その他もろもろが宙を舞う。

 シンジは、その歓声に手をたたいて参加しながら、それでも目だけはレイのほうを見ていた。

 レイは、めずらしいことに、そっぽをむくことなく自分のほうを見ている。一瞬、二人の視線がかさなりあい、すぐに二人とも視線をずらしてしまう。そして、おずおずともう一度視線をもどし、相手も同じように視線をもどしたことに気がつき、また視線が外れる。

 他人のいる前でこんなことをやっていれば、当然目ざとい人間に気がつかれないわけがない。

「い、か、りぃぃぃい」

 シンジは、突然自分の首に腕がまわされ締めあげられて、おどろいてしまった。

「な、なんだよ、はなしてよ」

「やかましい。さっそく綾波とラブラブしやがって、このやろう」

 相手はやはりケンスケであった。

「ちくしょう、さっそく綾波と二人っきりだからなあ。うらやましいぜ、こんちくしょう」

 彼女いない暦十四年を数えてなお更新中のケンスケにとって、転校してきていくらもたたないうちにレイと仲よくなってしまったシンジは、それだけで彼のおもちゃになる義務をおっているようなものであった。シンジにとって迷惑なことに、それはクラス中で公認の義務となってしまっているらしい。もっとも、やりすぎていじめにまでなってしまうと、担任のミサトの天地を揺るがすような怒りを招くことが皆わかっているので、シンジにちょっかいをかけるのはいまのところケンスケだけであったが。

 だいたい、シンジのおかげで最近レイが日増しに可愛くなってきているのである。それに、皆の前でべたべたといちゃつくこともない。だいたい、あこがれの対象と恋愛の対象は違うものなのだ。それを考えるならば、彼女が可愛くなったことは、学校にくる楽しみがまたひとつ増えたということなののだ。そういうわけで、少年たちはシンジを褒めたたえこそすれ、疎ましく思うことはなかった。

 もっとも、当のシンジ本人は、そんなこと考えてもいなかったのであるが。

「そんな、二人っきりっていったって、いっしょに住んでるんだもの、しかたないじゃないか」

「いっしょに住んでる、だとぉう!」

 しかも、こうやって墓穴を掘りまくる。まったく、見ていてあきることがない。

「ち、違うよ、そういう意味じゃないってば!」

「そういう意味って、どういう意味だよ」

「だ、だから……」

 そろそろくるぞ。

 密かにミサトもふくめた全員が息をのんで、その瞬間を待ちうける。

「あ、い、だ、くんっ!!」

 ケンスケが背後の殺気に気がついてシンジの首から手を放そうとしたその瞬間、少女の怒声が頭上からふりそそいだ。あわててケンスケは自分の席に戻ろうとしたが、すでにクラス委員のヒカリが、こしに手をあてしっかりと足をふんばってケンスケのすぐ後ろに立っていた。

「や、やあ、委員長」

「あなた、なにバカなことやってるの! すぐそうやって他人を……」

 だが、ケンスケもなれたもので、ヒカリがなにか言おうとしたそのときには、すでにかばんを持って教室からの脱出をはたしてしまっていた。呆然としてそれを見送るシンジ。いつもの漫才がひと段落ついたところで、トウジが立ち上がる。

「ほな、みんな聞いとくれ。どうやらミサトせんせぇの風邪もおちついたようや。ここは一発、せんせの快気祝いもかねて、ぱーっと打ち上げのひとつもやろうやないか。どないや?」

 皆に異議のあるわけもない。トウジの提案は、文字通りの賛成多数によって可決された。

「それで、打ち上げの場所なんですけど、せんせさえよろしければこの鈴原トウジ、きちんとこの2−A全員分の席を取れて値段も安い場所を用意いたしますわ。どないです、お任せいただけませんか?」

「うん、めぼしはついているの?」

「そらもう、ばっちりなところを用意いたしますわ。実はうちの親父の知り合いで、話をしたらよう勉強させてもらうとのことですわ。どないです?」

「いいわ。任せたわ」

「は、ありがとうございます!」

 それこそ腰を九十度に曲げて、トウジはミサトに最敬礼をした。なんといっても、気合いの入ったその瞳は爛々と輝き、背景にやる気の炎が燃えさかっているのが目に見えるようである。

 と、その瞬間、教室の扉が開き、さっさと逃げ出してしまっていたはずのケンスケが顔を出した。

「このさいだからさ、一人必ず芸をなんかひとつ披露するっていうのは、どうだい?」

 瞬時に何人かの腰が引ける。が、天性のお祭り好きのミサトが、こんな面白そうな提案を逃すはずもない。

「いいじゃなぁい。それ、やりましょ」

 ミサトの声は、この2−Aでは神の声である。

「当然、全員参加だからね」

 一瞬、何人かが天を仰ぐ。ちなみにシンジもその一人であった。

「とくに、碇君と綾波さん。これはあなた達の歓迎会もかねているんだから、当然出席してもらうわよ」

 瞬時にクラス中が爆発した。この二人がどんな芸を見せてくれるか、まさしく想像もつかないからである。さっそくケンスケは、何人かに声をかけトトカルチョの準備を始める。

 シンジは、天を仰いでため息をつくと、もう一度レイのほうを見た。

 レイは、窓の外に目をむけていた。

 

「あのさ、綾波は、どうするの?」

「なにも考えていないわ」

 学校から帰る途中、バス停でシンジは、レイに今日の打ち上げについて質問してみた。

 が、答はまさしく彼の予想通りであった。一応シンジには、なんとかする手がないではなかったが、レイがそういった手駒がなにかあるとはまったく考えられなかったのだ。

 なにかレイにできそうな出し物を考えようとして、シンジは必死に頭をひねったが、もともと宴会芸とは縁がないのは彼も彼女とそうかわりはしない。

 こればっかりは、「力」で何とかできるものでもない。

 まさしくシンジは、進退きわまってしまった。

「ちわーっす、葛城印のプロモーターですけどぉ、今日の宴会の出し物とぉ、的確なアドバイス、いりやせんかぁ」

「ミサト先生!」

 捨てる神あれば、拾う神あり。

 二人の後ろに、いつのまにか青いルノーアルピーヌA310GTが止まっていた。その左側の運転席からミサトが半身をのりだし、二人においでおいでしている。

「なにかアイデアがあるんですか?」

 この際である、借りられるものは猫の手でも借りたいところであった。

「そりゃあ、もう。シンジ君とレイにぴったりのやつが」

 目じりをおもいっきり下げて、左手で笑みくずれそうになる口元をかくしながらミサトが答える。そんな彼女にいくばくかの不安を感じながらも、シンジはこのさいミサトの助言をあおぐことにした。これをしてマッチポンプというのだが、いまさら四の五の言っても始まらないのではあった。

「綾波は、どうする?」

「……………」

 だがレイは、いつもの通り無表情なまま、ミサトの目を見つめている。

 常人ならそれだけでうろたえてしまうほど、強く揺るぎない視線であった。

 もっとも、腹の座っていることでは人後に落ちない自信のあるミサトである。正面からその視線を受けとめ、平然として小揺るぎもしない。

 しばらくそうしたまま時が移る。

「わかりました」

 最後に降りたのは、レイの方であった。

「それじゃあ、後ろにのって」

 勝利を確信したミサトは、それこそとろけんばかりに笑みくずれながら、二人のためにドアを開けた。

 が、さすがに昨日のミサトの運転の恐怖の記憶も新しい二人が、素直に乗りこむはずもない。

「大丈夫だって。今日はちゃんと安全運転でいくから」

「本当ですか?」

 さすがに半信半疑のシンジ。助手席で恐怖のあまり失神するなど、そうそうできる経験ではない。が、ミサトはそれこそ自信満々といった感じで、二人を手招きした。

「大丈夫、大丈夫。このミサト先生にまっかせなさぁい」

 

「やっぱり、僕は、馬鹿だ」

 いったん研究所の寮に戻り、そこでリツコのお説教を三十分ほどうけてから、シンジとレイは打ち上げに必要なものをミサトのアルピーヌに乗せてミサトのマンションにやってきていた。

 車からころがり落ちるように降りたシンジは、ミサトの言う安全運転というものがいかなるものか助手席でとくと味わうはめになったことを、心の底から後悔していた。今回は気絶することはなかったものの、気絶したほうがましということがいくらでもあることを十分に勉強することができたのである。

 二度とミサトの運転する車には乗らない。

 それが今のシンジにできるせいいっぱいの決意であった。

「なに言ってるの。さっさとレイの荷物を降ろして、部屋に運びこむの手伝って」

 平然としてミサトは車から降りて、無情にもシンジをひきずりおこして荷物を降ろさせる。シンジは、昨日みんなと買ったレイの荷物をあわててバックシートからひっぱり出した。

「それじゃ、シンジ君の荷物は自分で持ってね。レイのぶんは私とレイで運ぶから」

「はい」

「それじゃいくわよ。いいわね、レイ」

「はい」

 三人は、両手いっぱいの荷物を抱えて、マンションの中に入っていった。

 

「う、うわ、わ」

 シンジがミサトの部屋に入ったときの最初の一声は、呆れたともなんともいいようのないため息であった。

 彼女の部屋は、そこら中に脱ぎ散らかした衣類や下着、ころがっているビールの空き缶や酒ビンで足のふみばもなく、きれい好きなシンジを心底おどろかせたのであった。なんとはなしに足をふみいれる気にもなれず、玄関の土間で立ちすくんでしまう。

 レイといえば、それこそ氷点下に達しているような冷たい視線でミサトのことを見つめている。

 だがミサトは、そんな二人をまったく気にかけることすらせず、さっさと部屋の中に入っていった。

「それじゃあ、二人ともこっちに来て」

「は、あ。それじゃあ、おじゃま、します」

 そっと、つま先でぬき足さし足部屋に入っていくシンジ。レイも、しかたなしにシンジの足跡をたどるように部屋に入っていく。

「ま、そこらへん、好きにくつろいでて」

「はあ」

 二人は、たぶんリビングなのであろう部屋で、ころがっているビールの缶や、空ビンや、衣類や、本や、雑誌や、その他もろもろのなにかを片づけて自分の座る場所を確保した。ミサトはさっさと自分の寝室に入ると、ごそごそ色々なものをかき集めている。

「冷蔵庫あけていいから。好きにお茶していいわよ。あ、私はコーヒーでいいわ」

 婉曲的な命令に、二人は目と目を見合わせた。しばらくそうして無言のやり取りが交わされる。

 結局、腰をあげたのはシンジのほうであった。

「……氷、つまみ、ビールばっかし。どんな生活してるんだろう?」

 そして、冷蔵庫の中身は、まさしくシンジの予想とそう変わらないものであった。いちおう何本かの缶コーヒーがあったので、それを三本とると一本をレイに渡そうとする。が、レイは、しばらくそれを見つめたまま手を伸ばそうとはしなかった。かなりのあいだ沈思黙考していたあと、やっとそのうちの一本を手にとる。

「ミサト先生、コーヒーここにおいておきますよ」

 シンジは残りのうちの一本を、寝室のそばのサイドテーブルなのであろう、色々な手紙やらちらしやらが山積みになっているそこにすきまをつくって置き、まだごそごそやっているミサトに声をかけた。

「ありがとう。それじゃ、レイ、こっちに来て」

 それこそすがるような目で、シンジを見あげるレイ。

 かといってシンジが、これからレイといっしょに寝室に入るわけにはいかない。シンジは、自分の意識をレイの意識に触れさせると、そっと安心させるようにうなずいた。

 触れ合っている意識からシンジは、レイが、それこそ小説のなかそのままのこの部屋の惨状におびえていることがよくわかった。

「大丈夫だよ」

 こんどは口にしてレイを安心させようとする。

 こんどもしばらく沈思黙考していたレイは、意を決したようにうなずくと、シンジをもう一度見つめ、寝室に入っていった。

「それじゃ、シンジ君はそっちで自分の準備をしててね」

「はい」

 ミサトは、そこで寝室の扉を閉めようとして、一瞬手を止めた。

「じゃあ、シンジ君は、やらないのね?」

「やりません」

 はっきりと、かつきっぱりと断るシンジ。そんな彼の決意をわかったのか、ミサトはそれこそ心底残念そうに寝室の扉を閉める。

 そして、シンジが自分の荷物に手を伸ばしたその瞬間、もう一度扉が開けられた。

「ね、ほんとにやらない?」

「シェーも、ガチョーンも、あじゃぱーも、さいざんすマンボも、スペイン宗教裁判も、村田だガムをくれも、絶対にやりませんから!!」

 さすがのシンジの剣幕に、あわてたように扉は閉められた。

 

 しばらくシンジは、自分の出し物の準備に余念がなかった。

 それこそしばらく手をつけていなかっただけに、他人に聞かせることができるほどうまくやれるかどうか自信がなかったのである。それだけに自分なりに納得がいくところまでこぎ着けたときには、もう出発しなければならない時間になっていた。

「ミサト先生、綾波、もう時間だよ」

 一応二人がこもったままでてこようとはしない寝室にむけて声をかける。

 そのとき寝室の扉が開き、よそおいも新たなミサトが、それこそ全身に気合いとなにかをみなぎらせて現れた。その面には、よほどの仕事をなし終えた達成感と満足感が現れており、シンジはおもわず息をのんで彼女の言葉を待った。

 そんなシンジの期待を、ミサトは、それこそ満足のいったいたずらのしかけをしかけ終えた子供のような表情で受けとめた。

「いいわよ、レイ。シンジ君に見せてあげなさい」

 扉のむこうで、レイが息をのんだのが手にとるようにわかった。つながっている意識を通じて、レイが恥じらっていて、ふんぎりがつかないでいるのがよくわかった。

「綾波」

 シンジは、そっと、でも優しくレイにむかって呼びかける。

「碇、君」

 そんなシンジの声に、意を決っしたのだろう、レイはシンジの名をそっと呼ぶとおそるおそる部屋の中から現れた。

「!?」

 レイが現れたその瞬間、シンジはなにもかも忘れて息をのんだ。

 

 

 トウジがセッティングした店は、第三新東京市の東京湾岸環状線をはじめとするJRの線路を、第三新東京港へとまたいだむこう側の歓楽街の一画にあった。その店は、妖しいネオンの看板とハングル文字で埋めつくされた表示がなかなかにいい感じの雰囲気を匂わせている焼き肉屋で、2−Aの生徒全員を座らせてまだ余裕があった。

「ミサトせんせ、遅いわな」

 集まった人間全員を、先に店に入れて待っているようにというミサトの電話に、トウジは彼女の到着を今か今かと待ちかねていたのである。すでに打ち上げ開始の予定時間を四分ほどもオーバーしており、生徒たちは皆、主賓の到着をずっと待っていたのであった。

 そんななかで、ケンスケだけがカメラやデジタルビデオのセッティングに余念がない。それこそ鼻歌を歌いながら、目をらんらんと輝かせてそのときがくるのを待っていた。

 皆の緊張と期待が頂点に達しようとしていたその瞬間、外でミサトらが来るのを待っていたヒカリが店の中に入ってきた。

「みんな、ミサト先生がいらっしゃったわよ」

 さーっと、店内から喧噪が消えうせる。が、そこここで、ひそひそと会話が交わされる。

「というわけで、例の賭な、うまくすれば親の総取りだぜ」

「そんなうまくいくものか」

「でも、ミサト先生が碇に知恵をつけたんだろ? なにが起こるか検討もつかないぞ」

「そっか、ミサト先生だもんな、本当の賭の対象は。しくじった」

 そんな少年たちのささやき声が聞こえたのか聞こえなかったのか、さっそうとミサトは店の扉を開けて中に入ってきた。

 おおっ!!

 そのミサトを見て、全員がどよめきをあげる。

 ミサトは、男ものの洗いざらした白いワイシャツのそでを切り落としたものに、一本斜めに金色の縞が走った真紅のネクタイを締め、黒革のタイトなミニスカートとはき、同じく黒革のジャケットを肩にひっかけている。その細くしなやかな足は、これも漆黒のストッキングとハイヒールで飾られ、その曲線美を存分にきわだたせていた。さらに、腕や耳に飾られた黄金色のアクセサリーが、彼女の黒を基調としたコーディネイトにはえ、そのアダルトでワイルドな雰囲気を引き立てていた。

「はい、おまたせ。来れなかった人は?」

「当然いません!」

 生徒の一人が絶叫するように答える。

 自分らの担任が気合いを入れておめかししてくることがわかっているのに、ここで休む莫迦がいるはずがない。何人もの男子生徒が、用意してきたカメラでミサトを必死になって写している。一部の女子生徒にいたっては、なにか危ない光をその瞳に浮かべて彼女のことをうっとりとながめていた。

 まずは自分が生徒たちに与えたインパクトに満足すると、かるくルージュで赤い唇をひとなめし、続いて外で待っている二人をなかにいれるべく、声をはりあげた。

「それじゃあ、今日の主賓の二人よ。みんな、拍手でもって迎えてあげてね」

 一瞬で店内は、しわぶきひとつ聞こえないほどに静かになる。

 それこそ、店員までもが息を殺して注目するなか、まずはシンジが扉を開けて中に入ってきた。そして、扉を開けたままもう一人の主賓を中に導きいれる。

 おおおっ!!?

 その瞬間、文字通り店内にいた全員が息をのんだ。

 なかに入ってきたレイは、困ったように一度その歩みを止めると、シンジの方を見た。

 そして、シンジが優しくうなずいたのを見て、意を決したようにしっかりとした足どりで店に入ってきた。

「……可愛い」

 女の子の一人が、うっとりとした声でつぶやく。

 レイは、その抜けるように白く、おれてしまいそうに細くきゃしゃな肢体を、白いツーピースのサマードレスで包んでいた。足には、ヒールのすこしだけ高い蒼いサンダルを履き、光の加減で蒼く輝いてみせるプラチナブロンドの頭髪と、同じように淡い蒼色に輝くサマードレスにあわせている。胸元を飾る白銀色に輝くネックレスは、全体的にシンプルにまとめてあるレイのよそおいのなかで、唯一複雑な幾何学模様で形作られたモダンアートな装飾具であり、全体に淡い色彩の彼女にアクセントをあたえていた。

「それじゃ、レイ、最初にあなたが皆に出し物を見せるのよ」

「はい」

 すこしだけうつむいて答えたレイを、その瞬間ケンスケはカメラに収めようと、愛用のキャノンEOS5をかまえシャッターを切ろうとした。

 が、一瞬だけ早くそれに気がついたレイは、右にシフトウエートをし、身体を半身にかまえてシンジの背中に隠れてしまう。

「なぜ!?」

 店内にケンスケの悲痛な絶叫が響きわたる。

 そんなケンスケにむかって、レイは一言つぶやくように答えた。

「写真を、売るのでしょう」

 一瞬間をおいて、店内に爆笑が轟きわたる。それこそ、ケンスケをのぞいた生徒全員が腹をかかえて笑っていた。ついでに、ミサトや店員までもが笑い転げている。憮然としてケンスケはつぶやいた。

「そんな、一枚だけでいいからさ」

「いや」

 あくまでレイの答はつれない。

 こころゆくまで笑い転げたミサトは、ここで仲裁に入ることにした。これ以上レイがごねると、このなごんだ雰囲気が壊れてしまいそうに感じたのだ。目尻の涙をぬぐい、レイにむかって語りかける。

「レイ、こうしない? あなたの写真を撮りたい人には、撮った写真を自分だけのものにするという約束でとらせてあげたら? それならば、あなたもかまわないでしょう。その人だけの思い出となるのだから。その約束は、私が守らせるわ。だめかしら?」

 わずかにうつむいて考えこむレイ。そして、視線だけシンジにむけると、彼がうなずいたことに意を決したように答えた。

「わかりました。葛城先生を信じます」

 莞爾と笑うと、ミサトは全員にむけて宣言した。

「では、そういうことだから、みんな約束は守ってね」

 答は、われんばかりの拍手と、まぶしいほどのストロボ光と、店内に響きわたるシャッター音であった。

 

 宴会は、佳境に入ろうとしていた。

 最初のレイのつかみが功をそうしたのか、そのあとの各自の出し物は、それこそかなりのハイテンションで進んでいった。

 真っ先に出し物を志願したトウジは、裏声でしなを作って六甲おろしを歌い、皆の腹をよじれさせた。ようやくレイの写真を撮ることができたケンスケは、まあ、うれしさも中くらいではあったのではあろうが、そんなことはおくびにもださずに得意のバタフライナイフ芸を披露してみせた。ヒカリは、友人らと三人で最近はやりの魔法使い隊もののアニメの主題歌を歌い、声質がそっくりであったこともあってやんややんやの大喝采をうけたりしている。

 途中ミサトは、皆のテンションが落ちかけたところでさっそうと現れ、見事にとおる声で黒田節を朗々と歌い、ついでに杯に見立てた皿いっぱいのビールを飲み干してみせたのであった。

 ちなみにシンジはそのとき、飲酒運転はいけないんではないかなどと考えもしたのであるが、今この場の雰囲気のなかでとてもそれを口に出す勇気はなかった。

 レイは、肉にはいっさいはしをつけず、ただ野菜だけを食べ続けている。

 そしてその間、ほとんどクラスのほかの女子のマスコット状態になっていて、とてもではないがシンジが近づけそうにはなかった。

 そして、そんなシンジに、トウジが近づいてきて話しかける。

「碇、そろそろおまえの番や。用意はええんか?」

「うん、じゃあ準備をするから、ミサト先生にそう伝えてもらえる?」

「おう。せやけど、なんでミサトせんせなんや?」

「ミサト先生の車に、取りに行かないといけないものがるんだ」

 それを聞いたトウジは、一瞬、ほうといった表情をしてみせると、次に男臭い笑みをにやりと浮かべてみせる。

「本格的やないかい、碇。よっしゃ、期待しとるからな」

「そんなたいしたもんじゃないよ」

 困ったようにはにかんで、シンジは立ちあがった。そのまま皆の邪魔にならないようにそっと店外に出る。そのあとを、同じようにそっと抜け出してきたミサトが追いかけてきた。

「それじゃあ、いきましょうか」

「はい」

 そして、車のおいてある駐車場に着いたところで、もう一度ミサトが質問する。

「でも、本当にやらないの?」

「……………」

 その問いにシンジは、沈黙をもって答えた。

 と、一瞬だけ、誰かに見られているような気がして、あたりを見回す。もうすっかり薄暗くなっている周囲は、ネオンの光で色とりどりに照らしだされている。駐車場のまわりには、とくに誰もこちらを見ている様子はなかった。

「?」

「どうしたの?」

 そんなシンジの様子を疑問に思ったのか、ミサトがいぶかしげに声をかける。シンジは、今自分の感じたものがなんだったのであろうと考えたが、それどころではないと思い返して、意識をミサトが開けたトランクにむけなおした。

「だれかに見られていると思ったんですけど、いえ、思い過ごしのようです」

「そう」

「みんなが待っています、急いで戻りましょう」

「そうね」

 そして二人は、車に背をむけて歩き出した。

 

「じゃあ、いきます」

 そういってシンジは、弓をかまえると、これから自分が演じようとしている題目を宣言した。

「ヨハン・セバスチャン・バッハの無伴奏チェロ組曲、第一番ト短調」

 そして、弓を腕のなかのチェロの弦に置いた。

 柔らかく奏でられるチェロの音の響き。

 すべてのクラスメイトが、黙ってはしを動かす手すら休めてその演奏に聞き入っている。

 この湿気と熱で充満したここは、このような弦楽器を演奏するには最悪の環境であったが、シンジにとっては今この瞬間のためには、ささいな問題であった。

 もしかしたならば、このチェロをこの演奏でだめにしてしまうかもしれなかったが、クラスのみんなに聞いてもらえる機会はたぶん今日だけであることもわかっていた。それに、いざとなれば「力」でチェロを保護するという方法があった。

 自分を受け入れてくれて、そして、かまってくれるみんなに自分の素直な気持ちを一番わかりやすく伝えることができる方法が、この方法であったのだ。

 そんなシンジの思いが、この最悪の環境のなかで、不思議と澄んだ優しい綺麗な音色を皆に伝えていった。

 そんなシンジを見ながら、レイは自分の心のなかにずっと語りかけていた。

 自分の意識が自分を離れてシンジによりそっている。そしてその感触は、心を安らげ温かくしていく。

 

 碇君は、私にとってのなに?

  

 微妙な音色が、流れるように繰り返されていく。

 

 私は、碇君にとってのなに?

 

 旋律と和音が織り交ぜられながら、柔らかく、優しく流れていく。

 

 碇君を、私は好き?

 

 短いフレーズが、歯切れ良く低音から高音へ、高音から低音へと遷移する。

 

 私を、碇君は好き?

 

 ゆっくりと流れていく、低く、でも温かな音色。

 

 碇君は、私をどう見ているの?

 

 幅広い旋律が、ゆったりと踊るように舞う。

 

 私は、碇君をどう見ているの?

 

 最後に、速いテンポで短くテンポに富んだフレーズが繰り返される。

 そして、シンジの演奏が終わる。皆は、それこそわれんばかりの勢いで拍手をしている。感きわまった女子の一人が、思わず泣きしてしまい、そばにいるヒカリに抱き抱えられるようにしてハンカチを目にあてている。

 その感動の渦のなかで、レイは、ずっとくり返し考えていた。

 

 私は、碇君とひとつになりたい?

 

 

「それじゃあ、みんなお疲れさま」

「せんせ、お疲れさんでした。ほなまた新学期に」

「それじゃね。また新学期」

「それじゃ」

 最後のシンジの演奏で、打ち上げはおひらきとなった。

 皆は、それぞれ三々五々、自分の家へと帰っていく。シンジはチェロをケースにもどすと、黙って自分を見ているレイのそばに近づいた。わずかに小首をかしげてはにかんでいる彼女は、とても綺麗で、可憐で、そして可愛らしかった。

「あのさ、綾波、その……」

「なに? 碇君」

 すこしだけ困ってしまったような感じで、シンジはわずかに顔を上気させてレイに問いかけた。

「演奏中、ずっと僕のそばにいてくれたよね」

 レイはまず、はっとした表情をみせ、それからほほをすこしだけ染めてうつむいた。

「気がついてくれたの」

「うん」

 すこしの間二人の間に沈黙がおりる。

「でも、おかげで、落ち着いて演奏ができたんだ。ありがとう。それだけ言いたくて」

 レイは答えなかった。ただシンジの服のそでを握って、立っているだけであった。だが、そうであるだけに、シンジにはレイがどれほど喜んでいてくれているのかよくわかって、うれしくてたまらなかった。

「まーた、また、こんなところで気分を出しちゃって、まあ」

 そんな二人をミサトがからかう。

 あわてて真っ赤になってはなれる二人。

「それじゃあ、車をまわしてくるから、二人ともここで待っててね」

「あ、僕も、いっしょにいきます!」

 ウインクひとつだけ残して立ち去ろうとするミサトを、あわててシンジは追いかけようとした。途中でレイのほうをふりかえる。が、レイは、かるく首を左右にふると、店のなかに入っていった。なぜレイがいっしょに来ないのかわからなくて、シンジはとまどったように立ちつくしてしまった。

「レイは女の子なのよ」

 そんなシンジにミサトが、笑いの色をふくませた声でたしなめる。

「それじゃ、さっさと車を持ってきちゃいましょう」

「はい」

 二人は、急いで車のおいてある駐車場へとむかった。レイを一人で待たせるわけにはいかなかったし、そろそろ日も完全に沈んで、あたりは子供が歩いていていい時間帯ではなくなろうとしていたのだ。

 駐車場に着いた二人は、まずチェロを車のトランクにしまい、続いてイグニッションキーを入れ、エンジンを温めようとした。

 その瞬間、二人に、正確にはミサトに声をかける人影があった。

「あんた、かつらぎ、みさと、だな。ちょっくら用があってよ、話があんだけどさ、来てくんねえかな」

 歓楽街のネオンをバックに、数人のいかにもまともではなさそうな少年たちが、駐車場の入り口に立っていた。ご丁寧にも、いかにもな国産車を駐車場の入り口に横づけし、ミサトが車で逃げることができないようにしている。

「あんたたち、誰?」

 緊張がこめられた声で、ミサトが少年たちを誰何する。

「なんだ、もう忘れちまったのかよ。あんたのおかげでこっちはさんざん迷惑してんだぜ。がきのけんかに先公がくちばしをつっこみやがってよ」

 シンジは、ひらめくように思い出した。

 前に他の中学との生徒同士のけんかで、相手が親の力をかさにきて事件をうやむやにしようとしたことがあったのを。そして、ミサトがそれを許さなかったことを。

 二人の足元に、少年たちの影がさした。

 


 あとがき

 

 というわけで、どうもこんばんわH金物です。

 実はこれ、最新作でもなんでもないんですよね(笑)。もともとこのDPartは、最初はCPartだったものを二分割しただけのものなんですから(笑)。というわけで、これは別名「宴会篇」だったりします(笑)。

 しっかしなあ、なんでこんな流して書いている話が、こんなに手間がかかって、かつ、長くなるんだろ?(笑)

 実は、すでに私の心は、第参話「アスカ来日」にいってしまっているのですが、いっこうに書き出すことが出来やしない。まったく、なんでだ?(笑) でも、今からこれでは先が思いやられるわ。

 ま、そういうわけなので、今しばらくおつきあいくださいませ。

 ちなみに、最後になりましたが、このストーリーのテーマは、あくまで「ラブラブシンちゃん」です(笑)。

 それではまた、機会がありましたら、次の作品でお会いしましょう。 

H金物拝  


 E Partへ続く

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