緑が途切れ、彼らの目の前に、緩やかな流れの広い河が横切っている。
そして、そこに架かる鉄橋に、オリーブドラブに塗られた見あげるような大きさの軍用装甲車が停車していた。あげく、その砲塔は、はっきりと三人の乗っているブルーバードに向けられていた。どう見ても指の一本や二本は軽く入りそうな大口径の機関砲が、三人の目にいやがおうにでも入ってくる。
ブルーバードが急停車すると同時に、周囲に何台ものパトカーが現れ、中からM16A2自動小銃を持った警官が飛び出してくる。先程中国人墓地で加持があしらった警官たちとは、着ている制服は一緒でも、中身はまったく別物と言ってもいいほどよく訓練されていた。警官たちは、各々乗ってきたパトカーを楯にしてM16A2を構え、いつでも三人が抵抗した場合に対処できるようにしている。
「カジ・リョウジ」
パトカーの一台から、一人の警官が降り立った。そのまま拡声器で話しかけてくる。
「先程の中国人墓地での手腕は見事だった。昨日空港から脱出した手口もだ。だが、もはや君に逃げ場はない。三人とも、両手を頭の上に乗せ、ゆっくりと出てきたまえ」
ダンテは、一応車のエンジンは切らず、アクセルに足を乗せたまま加持に一瞥を送った。すとんと表情がぬけ落ちてしまっているように見える彼は、ほとんど口を動かさずにしゃべった。
「どうにかできそうかい?」
「まず、無理だな」
ダンテは、ブルの後方にも展開しているパトカーの群れを見て、短くつぶやいた。
「それに、考えるのはお宅にまかせることにしたんだ」
「なにそれ?」
後部座席のアスカが、前部座席の間から顔を出して二人の会話に割り込む。
「いや、さっきの一件で思ったんだが、どうやら俺たちは、お姫様を護衛する騎士ではなくて、三人で一組のチーム何じゃないかってね。肉体労働は俺、もめごとをかぎつけるのはお嬢ちゃん、で、あんたが考える役ってわけだ」
さらりとダンテは言ってのけた。
「お嬢ちゃんはやめて。あたしはアスカよ」
「わかったよ、アスカ。あんたは、それだけの仕事をさっきした」
アスカは、黙ってダンテの肩を思いっきりひっぱたいて、答の代わりにした。
「よし、わかった。ダンテ、今からチームはアスカとお前さんで組んでくれ」
「なによ、それ!?」
突然の加持のセリフに、アスカは、悲鳴のような声をあげた。確かにダンテに認められたのは嬉しいが、加持と別れてまでのことではない。だが加持は、いっさいの感情がこもっていない声で言葉を続ける。
「俺は一旦逮捕されて時間を稼ぐ。連中に隙を作るから、なんとかこの場から逃げ出してくれ。とにかく、アスカを「孤北丸」まで連れていくのが、お前さんの仕事だ」
「了解した」
「ちょっと、待ってよ!?」
あまりにも淡々と話が進むのを聞いていて、アスカは、本当に悲鳴をあげた。彼女にとっては、加持と別れて日本に行っても、目的の半分しか満たしたことにしかならない。いくら自分のためとはいえ、そのようなことをさせるわけにはいかない。
「あたしなら……」
「駄目だ」
加持の答は、素早く、容赦がなかった。即座にジャケットを着たままショルダーホルスターを外し、助手席の下にほうり込む。
「だって……」
「アスカ。あんたの気持ちはわからなくはない。が、ここはカジに任せるべきだ」
すっと、ダンテが
「嫌よ!」
「アスカ。あんたに、何か大きな秘密があるのはわかった。だから、彼みたいな腕っこきがついているんだろうし、日本大使館がこれだけおおっぴらに動いているんだろう。だったら、その男たちの努力を無駄にしちゃあいけない」
「でも……」
「じゃあ、後は頼む」
アスカの必死の抗議をあっさりと無視して、加持は、さっさと車から降り立った。そのままいつも通りのにやにやした笑いを浮かべながら、頭に手を乗せ、警官らにむかって歩き始める。
ダンテは、車から飛び降りそうなアスカを必死になって押しとどめていた。
加持が車から降り立つと同時に、カルロス少佐は、何人かの警官を彼の拘束のために走らせた。少佐によく言い含められていた警官らは、まず何人かがM16A2を構えて彼の足を止め、彼を地面に乱暴に転がすと、服の上から何か武装していないかを確認した。そして、彼がなにも武器を持っていないのを確かめると、後ろ手に手錠をはめて立たせ、少佐のそばままで引きずってくる。
「カジ・リョウジだな」
なんの感情も込められていない冷たい声で、カルロス少佐が質問する。
「日本大使館に連絡してくれ。あと、弁護士にもだ」
少佐がわずかに眉を動かすと同時に、加持を引きずってきた警官の一人が、M16A2の銃床で彼の後頭部を張り飛ばした。加持は、そのまま地面に転がり、全身をばたつかせる。
「痛えよ。人権蹂躙だ。早く弁護士を呼んでくれ」
そのまま見苦しく泣きわめきながら、何とかカルロス少佐の足元まで転がっていこうとする。だが、そんな加持の心づもりは、うまくいくわけもなかった。即座に警官らが彼を引きずり起こし、少佐との距離を取らせる。そのまま、彼のどてっぱらに銃床が何発かめり込んだ。
「へたな芝居はうたないことだ。それに、へらず口をたたくのも、だ」
「いやあ、引っかかってくれるとは、最初から期待はしていなかったがね」
あっさりとへたな芝居をやめて、加持は、背筋を伸ばした。そのままカルロス少佐のことを、正面からしっかりと見据える。少佐は、彼が思っていたよりもはるかに底知れない男かもしれないことに、ふっと気がついた。
「さて、もう一度聞こう。君の名は?」
「加持リョウジ。日本人だ。身元は大使館で確認してくれ。実はあんたと同業だったりするんでね」
もう一度、彼の腹に銃床がめり込もうとする。だが加持は、わずかにシフト・ウェイトしただけでそれをあっさりよけてみせた。むきになった警官らが、小銃を振り上げいっせいに彼を叩きのめそうとする。だが、カルロス少佐は、わずかに左手をあげてそれを押しとどめた。
「そういう嘘は、聞く気はない。この国に入国したのが、例の爆弾騒ぎによるアクシデントのせいであった事はわかっている。詳しい話は、署で聞こう。連れていけ」
ホナサンは、中国人墓地での銃撃戦に参加しなかったわずかな部下とともに、そばの林の中に潜んでいた。三人の乗ったブルーバードのあとを追跡するのはあきらめ、警察内に作っておいた協力者の情報を元に動くことにしたのだ。これ以上部下を失う事になっては、たとえアスカと加持を始末することができても、組織内での地位を失う事になる。そうなるくらいであるならば、むしろ自ら確実に手を下した方がはるかにましであった。
彼は、大事そうに抱えてきたキャリングケースを開き、中から大口径のマグナムライフルを取り出した。ウィンチェスターのM700BDLの、口径八ミリのレミントン・マグナムライフル弾を使うタイプだ。これにボッシュ&ロームの一〇倍のサイト・スコープを載せている。長年彼は、この銃で目標をヒットし続けてきた。今では自分の腕の延長のように確実に使いこなすことができる。
ホナサンは、警官らに連れていかれようとしている加持の頭部を、サイトの十字線に収め、ゆっくりと絞り込むように引き金を落とした。
その轟音は、車内のアスカの耳にまで聞こえてきた。そして、彼女の目の前で加持が転がるようにして倒れ込んだのを見て、居ても立ってもいられずに車の外に飛び出した。車内にアポロキャップが落ち、彼女の長い赤毛がひるがえる。
車の中からダンテが何か叫んでいるのが聞こえるが、そんなことに構ってはいられない。とにかく加持の元へ急ごうと、アスカは必死になって走った。だが、彼との間には、多くの武装した警察官が行く手をふさいでいた。警官は、いっせいに地面に伏せ、パトカーの陰に隠れて自動小銃を周囲に向けている。さすがに二の足を踏んだアスカは、思いっきり意識を広げて、加持がどうなっているのか確かめようとした。
その瞬間であった。
その意識に、刺すような鋭い殺気のようなものが感じられたのは。
はっとして、その殺気にむかって意識を集中させる。そこまでの距離はかなりあった。だが彼女には、はっきりと狙撃銃を自分にむけて構えている男の姿が脳裏にに映った。男は、次の弾を装填し、引き金に指をかけ、今この瞬間にも自分を狙撃しようとしている。
その瞬間、アスカは、怒りで全身の細胞が燃えあがるような錯覚に襲われた。
ここの警察の連中は、加持を逮捕するつもりなど最初からなかったのだ。適当なタイミングで、彼らのメンツをまるつぶれにさせた彼を殺してしまうつもりであったのだ。それどころか、多分「店」の連中に金で雇われていて、自分もこの混乱にまぎれて殺してしまうつもりなのにちがいない。
一瞬でそういった思考が駆け抜けたアスカは、まず最初に、加持を狙撃した男にむかって、意識を思いっきり解放した。
ホナサンは、自分の放った必殺の銃弾が、なぜか加持がよけてしまった事にものすごいショックを受けていた。まさか、自分がここにいて狙撃をしようとしていることに、いくら彼が優秀なエージェントであろうとも気がついているわけがない。だが、いくらそう考えてみても、これまで彼が絶対に逃げられるはずのない状況からやすやすと逃れてきた事実が、その思考を混乱させていた。
その混乱している彼の前に、本来の標的であり、殺すべき対象の少女が飛び出してきたとき、彼は、一瞬このまま加持にとどめをさすか、この少女を撃つかを迷った。その迷いは、ほんのわずかな瞬間でしかなかった。だが、その一瞬の迷いが、致命的となった。
スコープの中に映った少女は、はっきりとこちらを見つめていた。
その青い瞳は怒りに燃え、周囲の空気が熱気で逆巻いているようにすら見えた。いや、実際に彼女の周囲の空気は、何かで熱せられているように陽炎が立ち、スコープの中の少女の映像はぼやけ始めていた。周囲の気流の乱れにあわせて、彼女の長い髪が踊り始める。
ものすごく危険な何かを感じ、ホナサンは、即座に引き金を絞った。
カルロス少佐は、連行されていく加持が、パトカーのそばを通りすぎようとしたその瞬間、突然何かにつまずいたように倒れ込みパトカーの陰に転がるのを見、そして、大口径のライフルの銃声があたりに響き渡ったのを聞いた。
一瞬なにが起きたのかわからずに、全ての警官が、地面に倒れ込むように伏せる。
パトカーの影に隠れながら少佐は、停まっている加持が乗ってきた車から、CIAが拘束するように依頼してきた少女が飛び出したのに気がついた。急いで周囲の状況を確認し、少女を拘束しようと車の影から飛び出す。
だがその瞬間、転がってきた加持が、自由な両足で少佐の足を払った。
「動くな、死にたいのか!」
低い声で加持が叱責する。
「なんだと?」
「一〇時の方向、林の繁みの中」
思わず的確な加持の指示に従ってしまい、少佐は、指示された方向に視線を向けた。そこには、何者かが大口径の狙撃銃を構えてこちらをうかがっていた。
と、その狙撃手は、銃口を少女の方に向け、一瞬おいてもう一度銃を発射した。一メートル以上もある発砲炎が銃口から伸び、もう一度あたりに銃声が響き渡った。
アスカは、男が自分にむけてライフルを発射したのを「見た」。指先ほどもある灼熱した弾丸が、音の速さの何倍もの速度で自分にむかって飛んでくる。
彼女の唇が、わずかにゆがんだ。
ホナサンは、自分の一撃が少女の顔面を破砕するその瞬間を、スコープを見つめつつ待った。だが、その瞬間は、いつまで経ってもこなかった。
彼が放った銃弾は、少女の手前で形をひしゃげさせて宙に浮かんでいる。
アスカは、自分の周囲に張った「壁」を弾丸が貫こうとしたときも、まったくあわてなかった。たかがその程度のライフル弾では、彼女の「壁」を突破することなどできはしない。そのことは、これまでの「店」の殺し屋との戦いで十分にわかっていた。
だから彼女は、これまでと同じように、その銃弾を撃ってきた奴にお返ししてやった。
ホナサンは、自分の放った八ミリ・レミントン・マグナムの一八五グレイン・ソフト・ポイント弾頭が、そのままこちらにむかって加速しながら飛んでくるのを、スコープをのぞいたまま呆然として見つめ続けていた。
弾丸は、ウィンチェスターM700DBLのスコープを貫き、ホナサンの頭部を粉砕させて、はるかかなたへ飛び去った。
カルロス少佐は、呆然として、一体なにが起こったのかを考えていた。周囲は凍りついたような静寂に満たされ、誰もがしわぶきひとつせずに次になにが起ころうとしているのかを待っている。沈黙が支配したこの場で動いているのは、ただアスカ一人きりであった。全員の視線を一身に集めたまま、すっくと立って周囲を睥睨している。
凍りついた時間は、すぐに動き出した。
アスカは、ゆっくりとその顔を警官らに向けた。彼女の周囲は、今ではそれとはっきりわかるほどの陽炎が立ち、上昇気流となって天へとたちのぼっていく。ゆらゆらと彼女の真っ赤な長い髪が揺らぎ、まるで燃え盛る炎のようにすら見える。そう、警官らのいる場所からでもわかるほど、彼女の表情は怒りに燃えていた。
反政府ゲリラとの戦闘経験も豊富な彼らであったが、今この瞬間は、まさしく恐怖に怯えて身動き一つ取れないでいたのだ。
と、とうとう恐怖に耐えきれなくなった警官の一人が、アスカにむかってM16の一連射を叩き込む。先程のマグナムライフルの銃声に比べれば、滑稽なほどに軽くて短い銃声が、全員の鼓膜を震わせた。
そして、誰もが自分の目を疑った。銃弾は、全て彼女の手前で宙に浮かび、その身にかすり傷一つ負わせることもできないでいたのだ。
アスカは、わずかに微笑むと、その銃弾を全て元の持ち主にむかって放って返した。
パトカーの車体に弾着する音と、窓ガラスが割れる音があたりにこだまし、弾丸を喰らった警官の泣き叫ぶ声がそれに続く。
警官らは、それらの音が合図になったかのように、いっせいにアスカにむかって射撃を開始した。前後から、彼女にむかって数十丁のM16が火を吹き、無数といってもいい弾丸がその小さな身体にむかって襲いかかる。だが、軍用の防弾チョッキすら貫く口径五.五六ミリの高速被甲弾であっても、少女の周囲に張り巡らされている「壁」を突破するのには力不足であった。そのままことごとく空中で押しとどめられ、一瞬後には、警官らにむかって襲いかかる。
周囲は阿鼻叫喚の修羅場となった。
何人もの警官が、絶叫をあげ血を流しながら地面の上を転がっている。わずかに無事であった者は、そうした同僚らを引きずって何とかこの場を離れようと、必死になって動き回っている。散発的な銃声と、負傷者のあげる悲鳴とが、あたりに響き、まるでこの場を戦場のようにしてしまっていた。
と、これまで沈黙を保っていた装甲車が、その砲塔をアスカに向けた。
アメリカ製のYPR765装甲兵員輸送車は、ゆっくりと動き始めると、あのキャタピラの独特な高周波音を響かせながら速度を上げて、アスカにむかって突っ込んでいく。そして、その主砲の二〇ミリ機関砲を、怯えたように彼女にむけてフルバーストで撃ち始めた。
アスカは、わずかに哀れむような表情を浮かべると、拡散させていた意識を集中させ、突っ込んでくる装甲車を押さえ込んだ。そして、飛んでくる二〇ミリ機関砲弾をことごとく受け止めると、容赦なく装甲車にむかって叩き込んだ。
発射されたばかりの運動エネルギーをそのまま与えられて、二〇ミリ機関砲弾は、装甲車の前面装甲をやすやすと貫き、車体前部に搭載されているエンジンをずたずたに引き裂いた。そのまま装甲車は擱座し、中から搭乗員がほうほうの体で飛び出し、こけつまろびつ逃げていく。
「邪魔なのよ!」
アスカは、集中された「力」を、彼女にとってもっとも親しんでいた形に変換させ、目の前に立ちふさがっている鋼鉄とアルミ合金の塊にむかって叩きつけた。
一瞬、装甲車の周囲の空気が歪み、車体の塗装が沸騰し始め、徐々に水蒸気がたちのぼっていく。
そして、わずかに車体が膨らんだかと思うと、装甲車は轟音と共に爆発し、高々と炎を吹き上げて燃え上がった。
周囲に装甲車から吹き飛ばされた部品や残骸が飛び散り、警官らが悲鳴をあげて降ってくるそれらの塊から逃げまどう。
加持は、わずかの間、思うがままに力を振るっているアスカに見とれていた。
少女は、自らの力で生み出した風にその炎のような長髪をたなびかせ、両足で大地を踏み締めてすっくと立っている。その青い瞳は、周囲の人間らがはいずり回りうごめいているのを、まるでそれが当然であるかのように見下ろしていた。
そう、まさしく彼女は、その圧倒的な力でこの場を支配しているのだ。
ああ、と、彼は思った。
美しい、と。
そして、その姿になぜかわけもなく悲しくなった。少女は、美しく、そして同時に、壊れてしまいそうなほどに痛々しかった。存分に力を振るい、この場の全てを支配していても、いや、だからこそ彼女は、弱々しく、脆く、壊れてしまいそうであった。
アスカの周囲に立つ陽炎が、まるで彼女のことを蜻蛉のように儚く見せていた。
加持は、一瞬で自分を取り戻すと、まず自分が何をしなければならないかを考えた。そして、左手のジャケットの袖の中に隠しておいたスイス・アーミーナイフを取り出し、はめられた手錠を何とか外そうと試みた。せっかく狙撃手の罠をかわしたのに、このまま混乱のどさくさに紛れて殺されるわけにはいかない。
常に自分の周囲の警戒を怠らない彼が、林の繁みにいた狙撃手を発見したのは、ごく当然の事であった。
彼は、このものものしい警察の動きが、この場で自分らを始末しようとする陰謀ではないかと一目見たときから疑っていたのだ。そして、事故に見せかけて殺すとして、もっとも確実なのは、第三者の手にかかって殺されたように見せかけることである。もっとも、自分を逮捕させた指揮官の言動からすると、それも気のまわしすぎであったようではあったが。
だが、手を抜くということが嫌いな加持は、そっとあたりを監視し続け、狙撃手がミスをしてサイトスコープのレンズを太陽光線に反射させてしまったのを目ざとく見つけたのであった。その繁みに隠れている男が、全身にきらきら光る装飾品をつけているのを確認して、どうやら先程中国人墓地であしらったギャングの一党ではないかと、あたりをつける。
そして、その場で転がってどうにか最初の一撃をやり過ごし、何とか反撃の機会をうかがおうとしたところでこの騒ぎである。
とにかく、これ以上アスカを暴走させるわけにはいかなかった。本来、自分が彼女を守るはずなのであって、彼女に助けられたのでは、本末転倒というやつである。
その瞬間であった。
「こういうわけか。こういうわけか!」
彼の頭部に拳銃の銃口が押しつけられた。はっとして身をかわそうとした加持は、左肩から血を流し顔が硝煙と血糊で汚れてしまっているカルロス少佐が、文字通り怒りで顔色を真っ青にして自分をにらみつけているのと、正面からはちあわせるはめになった。
「なにも、若干一四歳のの少女に、むきになることはなかったんだ」
わずかに口の端をゆがめた加持のへらず口に対し、少佐は、無言で手にしているコルト・ガバメントの引き金を引いた。
わずかに全身をひねって銃口から身体をそらす。轟音とともに火線が伸び、加持のジャケットを焼いた。発射された銃弾の生み出す衝撃波にひっぱたかれて、彼の意識はもうろうとなり、視界がぼやける。
「死ね」
カルロス少佐は、容赦なくもう一度引き金を引いた。
アスカは、意識のはしっこに、彼女が慣れ親しんだ何かが引っかかるのに気がついた。
はっとして意識を集中させ、それがなんだか確かめようとする。
それは、後ろ手に手錠をはめられて地面に転がっている加持の姿であった。彼は薄汚れていてぼろぼろになっていたが、だが傷一つ負うわけでもなくぴんしゃんしていた。
「加持さん!?」
死んだとばかりに思っていた彼が生きていることに、アスカは、全身の力が抜け落ちていくような安堵を感じた。そのまま座り込んでしまいそうになるのを、必死で気力をふりしぼってこらえ、二度三度頭を振って意識をはっきりさせる。そして彼に駆け寄ろうとして、加持にむかって警官が拳銃を突きつけたのが「見え」た。
呆然として一瞬動きが止まった彼女の意識に、加持が転がったまま身体を跳ね返らせて銃弾をよけ、そして銃弾の衝撃波にもうろうとなって転がっているのが映った。あわてて「力」を振り向け、彼の周囲に「壁」を作ろうと試みる。だが、あまりにも「力」は周囲に拡散してしまっていて、一呼吸遅れてしまった。そして、その一呼吸の間に、警官は引き金を引いた。
銃声が響いた。
加持は、まだ自分の意識がこの地上に残っていて、全身が痛みで悲鳴があげていることに気がついた。視界が戻ってくるのにあわせて、ゆっくりと頭を起こし、周囲の状況を確認する。
周囲は、なかなかに激しい状態であった。
そこら中に負傷者が転がり、泣き声やうめき声をあげている。なんとか無事な者も、呆然としてへたり込んでいるだけで、完全に部隊としてのまとまりを失ってしまっていた。燃えている戦闘兵員輸送車から流れてくる黒煙で、わずかに視界がぼやけてしまっている。加持は、自分が今のところ五体満足で怪我一つ負っていないことに、心の底から安堵した。
と、自分の上に何かが覆いかぶさってきて、もう一度地面に押し倒される。
「……加持さぁん……」
「アスカか」
そのままもう一度、抱きついてきているアスカごと腹筋を使って身体を起こし、自分の胸の中で泣きじゃくっている少女を見下ろした。
「よう、色男。無事か?」
右手にスミス&ウェッソンのM19リボルバーをたらしたダンテが、あきれたように二人を見下ろしている。
「まあ、とにかく、警官どもはびびって使い物にならん。今のうちに逃げるとしようや」
「そうだな。済まんが手錠の鎖だけでも切ってくれ」
ダンテは、無言で手錠の鎖にM19の銃口を当て、引き金を引いた。轟音と共に鎖が引きちぎられる。しびれた両手をさすりながら、加持は、それでもしっかりと抱きついて離さないアスカを抱いたまま立ちあがった。そのまま彼女の髪を優しくなで続けている。
と、立ちあがった彼の視界に、自分に拳銃を突きつけていた警官が、腹から血を流しながら転がっているのが入ってくる。
「お前さんか?」
「ああ。これで二度とマニラに近づくことはできなくなったわけだ」
軽く肩をすくめてダンテは、そうつぶやいた。
「ま、探せばいくらでも仕事はあるからな。じゃあ、行こうか」
三人は、奇跡的に車体が傷ついただけで済んだブルーバードに乗り込むと、周囲に転がっているパトカーや装甲車の残骸をよけつつ走り出した。徐々に速度を上げ、一気に橋を渡ってしまう。
まだ目的地のアパリまでは、三〇〇キロ近い道のりがあった。
ロドリゲス大尉は、呆然としたまま地面に座り込んで、三人が去っていくのを見送った。
一体なにが起きたのかも把握できないままに、周囲の状況を確認する。まわりは、負傷した警官らが転がり、破壊された装甲車の残骸が燃え続けていた。まだ無事な警官もいたが、誰も三人を追う者はいなかった。この場にいた全員が、もう二度とあの三人に関わりたくはなかったのだ。
軽く装甲戦闘兵員輸送車を吹き飛ばせるような化け物を相手に、たかが警察軍の治安部隊になにができるというのだ。
「ちくしょう、化け物が。もう、たくさんだ」
そうつぶやいた彼の視界に、まだ動くパトカーに乗せられ、病院へ連れていかれるカルロス少佐の姿が見える。
真夏の太陽が、打ちのめされた警官らを容赦なく焼いていた。
というわけで、今回の分はこれで終わりです。
しかしまあ、なんというか、本当に長かった(笑)。いくら書いても終わりが全然見えてこないという。まあ、当然ですな。本来ならばこうして三回に分割できるほどの分量なのですから(爆)。マニラ篇なんて、せいぜい2Partで終わると思っていたんですけどねえ(笑)。まあ、結局こういう結果になってしまいました。
さて、次はいつ上梓できるかまったく見当もついていません(笑)。とりあえず、知人のHPの50万HIT記念小説を書いて、それからですね(爆)。
そういうわけですので、この続きはいましばらくお待ち下さい。多分、今度こそ、そんなにはかからずに続きをアップできるのではないかとも思っておりますが。でも、誰も信じてはくれないでしょうねえ(爆)。
というわけで最後になりましたが、今回まったく登場しませんでしたが、そしてここしばらくまったく登場しないでしょうが、このストーリーのテーマはあくまで「ラブラブシンちゃん」です(核爆)。
それではまた、機会がありましたら、次の作品でお会いしましょう。
金物屋亡八 拝
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