その一〇人にも満たない数の男達は、ゆっくりと銃身で胸まである下生えや雑木をかきわけながら、何かが通っていった跡を一歩々々着実にたどっていく。緑や茶や黒のまだら模様で染められている布製のカバーの先から、黒鉄色の銃身が延び、その銃口には、陽光が反射しないように黒く塗られた銃剣が装着されている。
樫やクヌギ似た大木が比較的密生しているその林の中は、ほとんど木漏れ日も届かず、薄暗いじっとりと空気が肌にまとわりつくような空間を形成していた。男らの周囲を、色々な虫が、羽根音を立てながらまとわりつく。だが、皆同じ様に死んだ魚の眼をしたまま、気にとめるふうもなく前へと進んでいく。
と、男達の先頭を進んでいた兵士が、そっと立ち止まり片手をあげた。
ほぼ一列にならんで進んでいた彼らは、身体をかがめたままゆっくりと左右に広がり、銃口を周囲に向ける。小銃をおおっている布と同じ模様の戦闘服のためか、彼らの姿は少々距離を取ると下生えに紛れてなかなか見分けがつかない。そして、何人かがゆっくりと先頭の兵士を追い越して、前へ出た。腰を低くして、できる限り下生えを揺らさないように前進していく。
前へ出た兵士の一人が、軽く銃口を上へ向け左右に揺らした。そして、いったん周囲を見回してから腰を伸ばし、今度は全員に見えるように手で合図する。
男らの中から、ひときわふてぶてしい容貌の男が、先頭の兵士のところまで進み出る。
「ブービートラップか?」
「そうであります、分隊長殿。この木とそこの木の根元の切れ込みに、手榴弾が仕込んであります。で、このワイヤーに足を引っ掛けると」
「両方同時にドカン、そしてそのまま木の下敷きか。よし、良く見つけた。解除できるか? よし、前へ進むぞ」
最初に先頭を歩いていた兵士と言葉を交わすと、分隊長と呼ばれた男は、全員に声をかけた。男達は、その声と同時にゆっくりとあたりを警戒しながら立ちあがると、もう一度前と同じ様に縦隊を組み直そうとする。
その瞬間であった。
兵士がそのブービートラップを解除しようと作業し始めたとたん、手榴弾が破裂した。そして、その衝撃でもう一方の木の根もとの手榴弾も炸裂し、一抱えもある大木が、先頭の兵士らの上に倒れかかってくる。
慌てて飛び退いた分隊長は、しかし、どこからか飛んできた銃弾に、腹の真ん中を撃ち抜かれ、絶叫をあげて転がった。そのまま、倒れてきた木の下敷きとなる。
「狙撃手だ!!」
列の最後にいた兵士が、全員に警戒をうながす。同時に、ボルトアクション式の狙撃銃を持った兵士が、相棒とともに地面をはいずりながら前へ出ようとした。だが、すぐさま銃声が二度響き、二人とものけ反るように跳ね上がり、声を上げて地面を転げまわる。
「衛生兵!」
「二時方向、応戦!」
怒号とともに反射的に左右に広がって伏せた男らは、銃声と銃弾の飛翔音から狙撃手の大体の位置を割り出し、即座に一連射を叩き込んだ。炭酸飲料のビンの栓を抜くような音ともに、何発かの口径四〇ミリのグレネードも撃ち込まれる。
しばらくあたりに銃声が響き渡り、そしてもう一度静寂が戻ってきた。
「死傷者は!?」
最後尾の兵士が、あたりを警戒している兵士たちに確認を取る
「ジョーンシーが殺られました。分隊長殿と、マーシーとケリーが重傷です」
「くそったれ! デビット、中隊本部に通信だ。ヘリを寄越してもらえ」
「それが、無線機に何発か喰らってしまいまして、連絡がとれません」
「お○こ野郎が! 野郎、最初っから手榴弾を撃つつもりだったな。くそ、後退だ。いったんハマーに戻るぞ!」
「了解です、伍長殿」
ぺっとつばを地面に吐きつけた伍長と呼ばれた男は、憎々しげにつぶやいた。
「まあ、いい。奴等がこの近くにいることはわかったんだ。上と下から包囲して、ぶち殺してやる」
男達が負傷者を担いでそれでも油断なく後退していくのを、加持らは、少なくとも二〇〇メートルは離れた木の上から眺めていた。
「逃がすのか?」
男達が持っているのと同じM16A2自動小銃を一応は構えつつ、ひと抱えはある大木の枝葉の間からダンテが小声で尋ねる。
「逃がしたくはないが、逃がすしかないんだ。というよりも、こっちからうって出ればまず返り討ちにあうな。それに、上手くいったとしても、連中を全滅させようとしている間に増援が着く。そうなったらおしまいだ。この場は少しでも距離を稼いだ方がいいだろう」
「わかった。とりあえず動こう」
「ああ、先に車に行っていてくれ。アスカ、いいぞ」
ダンテが自分の身体を木の枝に結びつけていたロープをほどいて地面に降り立ったのを確認してから、加持も自分の身体を結んでいたロープをほどいた。そして、さらに木の高いところに隠れていたアスカに合図をする。
折り重なった枝と葉の間に隠れていたアスカは、ようやく身体を動かせる事ができるようになって、身体のあちこちを伸ばしたりさすったりしている。
「あいつら、枯れ谷の山道まで戻ろうとしているわよ。無線機でヘリを呼ぶつもりみたいだけれど、いいの、放っておいて?」
ようやく身体の自由を取り戻したのか、アスカは、ゆっくりと木の幹にそうようにして、加持のいる枝まで空中を浮かびながら「降りて」きた。言外に、自分がとどめをさしに行くべきではないかと提案している。
「あれ以上は、無理さ。とりあえず通信機は使えなくしたから、いくらか時間は稼げた。さあ、動こう。ダンテのブルーバードなら、今晩中にはこの山は越えられる」
だが加持は、M21を背負うと、そのままラペリングで地面まで一気に降りていく。アスカもその後を追うように、「力」を使って彼と一緒に地面まで空中を「降りて」いった。
「あたしなら、そんなことをしなくても加持さんを「下ろして」あげられるのに」
ちょっとだけ不満そうに、アスカは加持の横顔に視線を向ける。
「女の子は、抱えるもんで、抱えられるもんじゃないのさ。足元には気をつけろよ。さ、行こうか」
地面に降り立った加持は、ロープを回収しながら苦笑いを浮かべて軽く彼女をいなした。そしてアスカの前に立つと、ゆっくりと一歩一歩足もとを確かめるように、ダンテが移動した跡を歩き始めた。
そろそろ、遅い夕闇がルソンの山中に訪れようとしていた。
さて、時間は少々さかのぼる。
ルソン島の真ん中をまっすぐ北にむかって延びる国道四四号線を、三人の乗るブルーバードSSS−Rは、ただひたすらに北へ北へと走り続けていた。
アスカは、生あくびをかみ殺しながら、ぼんやりと後部座席の窓から周囲の風景を眺めていた。まだ太陽は中天に登ったばかりなのに、どうにもまぶたが重くて仕方がないのだ。かといって、目をつぶっても眠ることはできないでいる。空は見事なまでに晴れ渡り、南国の太陽がまぶしいこと、サーチライトを直接ながめているようなものである。
彼女の目に入ってくる光景は、ただひたすらに延々と続く畑と、所々にぽつんぽつんと点在する雑木林と、そして、くたびれた二車線の道路だけであった。ダンテがそうと教えてくれなければ、この道路がフィリピンの主要幹線道路の国道とは、欧州の人間である彼女には絶対にわからなかったであろう。なにしろ、すれちがうのは荷車を引いた水牛ばかりなのだ。あまつさえ、取り入れた作物を堂々と道路に並べて天日干しにしている事もしばしばで、時速一二〇kmをくだらない早さで疾走しているブルーバードにとって邪魔なことこのうえない。
「ねえ、加持さん」
「ん? なんだい、アスカ」
とにかく暇を持て余して仕方がない、という調子をありありとにじませた口調で、アスカは加持に声をかけた。無線機から伸びるイヤホンを耳にさし、ルソン島の地図を広げてこれからたどる道のりを検討していた彼も、やはり気のない返事を返してくる。半分まぶたを閉じて、額を窓ガラスに押しつけたまま、アスカはさらに気の抜けた声で言葉を続けた。
「これからあたしたちが行くアパリって、一番北にある港なんでしょ?」
「だな」
「あとどれくらい?」
「距離なら五〇〇キロは切っているかな」
「時間は……、そうか、アメリカ人次第なのね」
「そうとも言うな」
「うん」
そこでいったん互いの言葉がとぎれる。そんな二人のやりとりを黙って聞いていたダンテは、右手でハンドルをさばきながら、左手で服のあちこちをあさり何かを探している。だが、結局目当ての物が見つからず、加持に向かって手のひらを差し出した。
「なんだい?」
「一本でいい」
「……煙草か」
無造作に封を切っていないラッキーストライクのパッケージを握らせると、加持自身は、よれよれの一本をジャケットの内側から引っ張り出してくわえた。そのまま火を点けることも無く地図を眺めている。ダンテは、器用にも左手一本でパッケージの封を切ると、さっさと一本くわえて火を点ける。
がたがたと走っている廃車寸前のピックバントラックに追いつき追い越すのを気のない様子で眺めつつ、アスカは、半ばなげやりと言ってもよい口調で言葉を続けた。
「アパリで船に乗るんでしょ。どんな船なの?」
そこでまた、車内を沈黙が支配する。
しばらく考えてから、加持は、地図を畳んで煙草に火を点けた。
「船の名前は「孤北丸」といったはずだ。一五〇トンくらいの小さな貨物船だな。だが、その船の船長は信用できる男らしい。あいつの言葉だ、信じてもいいだろう」
「コホクマル?」
「そう。「孤北」は、日本の言葉で、確か北極星を意味する単語だったかな。そこら辺は記憶があやふやだがね」
「ふーん。最後の「マル」は?」
加持は、しばらく煙草を吹かしながら眉根を寄せて考え込んで、そして、あきらめた。
「すまん、わからん」
隣でダンテが爆笑しているのを、苦虫を噛み潰したような表情であえて無視すると、加持は、少々乱暴に煙草をもみ消した。
「「丸」というのは、昔からある名前の後に付く単語で、日本の船のほとんどの名前には付いていたと思う。まあ、そういうもんだと思ってくれ」
「そうなんだ」
また会話が途切れてしまう。アスカは、これ以上加持に絡んでも仕方がないと気がついたのか、そのまま口を閉じた。そして今度は、退屈な子供が窓から顔を出してあたりを見回すように意識を周囲に広げてみた。といっても、「見る」のがそれほど得意なわけではない彼女の視界は、せいぜい数キロ四方に及ぶか及ばないかでしかなかったのだが。
アスカが、そうやって何か一人遊びを始めたのを、加持もダンテも黙って放っておいた。二人ともそれなりに自分の仕事で忙しく、いちいち彼女のすることに構っていられなかったのだ。
しばらくそうして周囲の田園風景の中をたゆとうっていたアスカは、ふと南の空から何かが近づいてくるのに気がついた。最初は意識のはじっこにちょっとだけ触れただけであったが、すぐにそれは細部まで認識できるほどに大きくなり、そして、それが何だかはっきりと確認できるようになる。
だが、アスカがそれがフィリピン警察のものらしいヘリコプターだと気がついたのは、そのヘリの側面の扉が開き、そこから鈍く鋼色に光る銃身が延びるのを確認した時であった。
ふとそのヘリがこちらに向かって飛んでくるような気がして、彼女は、ぼんやりと拡散させていた意識を集中させたのだ。そしてそのヘリが、ゆっくりと道路上の何かを探すように飛んでいるに気がつき、全身の神経を目覚めさせる。そして、へりの中からどう見たって白人にしか見えない迷彩服の兵士が機関銃を引っ張り出したのを「見て」、叫んだ。
そしてそれは、加持がアスカに声をかけるのとほとんど同時であった。
「加持さん! 後ろから機関銃を乗せたヘリが近づいてくる!」
「アスカ、六時上方にフィリピン警察のヘリがいるか!?」
一瞬二人の間に沈黙が訪れ、半瞬後にアスカは、あわてて自分が「見た」ものについて説明を始める。
「POLICEって書いたヘリに、戦闘服の男が四人、大きな機関銃を構えてる。一人が機関銃をこっちに向けていて、もう一人が双眼鏡でこっちを見てる。あ、今機関銃の横のレバーを引いたわ」
アスカの言葉と同時に、ダンテは一度シフトを四速から三速に落とすと、目いっぱいアクセルを踏んだ。そして、回転計が一気にレッドゾーンに入り、速度が一五〇キロを超したところでまた四速に戻す。だが、アクセルは目いっぱい踏んだままで、ブルーバードの速度はとどまるところ知らずに上がっていく。
突然の加速に後ろを見ていたアスカは、そのまま座席の下に転がり落ちそうになる。だが、持ち前の反射神経でなんとか踏みとどまり、さらにヘリの様子を実況し続けた。
「あ、こっちに合わせて速度を上げたわ! こっちに狙いをつけて、今、引き金を引いた!!」
それと同時に、ダンテは一気に四速から二速にギアを落とし、エンジンブレーキをかけてわずかにハンドルを切った。ブルバードのタイアが路面との接触を弱め、わずかに尻を振って車体が流れる。そこにすかさず逆にハンドルを切ってカウンターを当て、アクセルとブレーキペダルを交互に使って体勢を戻し、もう一度タイアに路面を噛ませる。
ほんの一瞬の間をおいて、三人の乗るブルーバードが通るはずだった路上に十数個の穴がうがたれる。そして、ほじくり返されたアスファルトの破片が、車のドア越しにドラムのような連続した鈍い打音を響かせた。
ダンテは、少しずつタイミングをずらして車体を横滑りさせつつ、上空からの機銃掃射をよけていく。だが、いくら彼が優れたドライバーであっても、直線道路をまっすぐ進んでいく以上、もういくらも持たないことは明らかであった。
アスカは、そのままヘリに意識を集中させ、思いっ切り「力」を叩きつけようと身構える。
後ろの窓ガラスからヘリを視認しようとするが、互いの位置関係が一瞬ごとに変わるのに、専門的な訓練を受けたわけではないアスカが見つけることなぞ到底できるはずもない。すぐに自分の目で見つけるのはあきらめ、意識を上空にむけてヘリを探す。
「力」を使って見つけ出すならば、それほど時間はかからなかった。
指向性をもって放射されたアスカの意識は、まるで高性能のレーダーが目標を捉えて放さない様にヘリとの位置関係を把握している。
アスカは、「力」を放つのに窓ガラスが邪魔で、サイドウインドウを下ろして顔を外に突き出した。殴りつけるような風圧に、一瞬身体を外に持っていかれそうになるが、せいいっぱい踏ん張ってそれをこらえる。時速一五〇キロを軽く超えている風が、彼女の紅の長髪をたてがみのように後ろへなびかせた。顔全体を被い視界をさえぎる髪の毛を、意識を振り向けて「はらいのける」と、一呼吸して「力」をたわめる。
そしてアスカは、ためらうことなく「力」をへりにむかって放射した。
だが、放射された「力」は、わずかにヘリの下を通りすぎて後方へ消えていった。
「なんで!?」
悲鳴のような声がアスカの口からもれる。
むきになって「力」をヘリへと叩きつけようと何度も放つが、どうしてか機体の表面を焦がすばかりで、一向にダメージを与えることができないでいる。
だんだんと正確になってくる機関銃の射撃に、アスカはさらに大きく窓から身を乗り出そうとした。車全体に「盾」をかかげて銃弾を防ぎ、それからまわりの空間そのものごとへりを焼き払ってしまうのだ。
と、その一瞬早く、加持が厳しい声を彼女に叩きつける。そのまま座席越しに彼女の服の端を掴んで車内に引きずり戻す。
「止せ!」
「なんで!? このままじゃ殺されちゃう!!」
ほとんど転がるように車内に戻ったアスカは、悲鳴のような抗議の声をあげた。
「これ以上殺すな」
「だって!」
「何のために俺がいる。アスカ、もういいんだ」
「でも……」
「カジ、のこと、信じて、やれよ、アスカ」
シートベルトを腰のベルトに結びつけ、M21狙撃銃のスリングベルトを肩から斜めにかけている加持を横目に、頻繁にシフトチェンジし、ハンドルを右に左に捌き、アクセルとブレーキを踏み分けているはずのダンテが横から言葉をかける。と、さすがにヘリからの一連射を避けきれずに何発かがブルに命中する。そのひっぱたくような弾着音に、アスカは、小さな悲鳴を漏らして身体を丸めてしまう。
「あれだけ、落ち、こん、で、おいて、いまさら、だろ」
さすがに額に脂汗を浮かべつつ、それでもダンテは言葉を続けた。さすがにその手足は、片時も休むことなく動き続けてはいる。だがさすがに、運転と会話を同時にこなしてうまくさばけるわけではない。
アスカは、助手席の窓から身を乗り出そうとしている加持と目があった瞬間、わかったと言う代わりに小さくうなずいてみせた。この男達は、彼女が人を殺した事実にどれほど傷ついているか、しっかりと理解しているのだ。その気遣いを無視することは、いくらなんでもできはしない。
思いのほか素直に言うことを聞いたアスカに、加持は、わずかに父親が娘に感じるような感情をかき立てられ、そしてすぐにいっさいのことを思考のらち外に追い出した。
そして、前後左右に振り回す車の動きと、叩きつける風圧に負けないように両足をしっかりと助手席のシートにひっかけると、左目で上空のヘリを探し、右目でスコープをのぞく。ヘリは、すぐに彼の視界に入ってきた。と同時に、ヘリから身を乗り出している兵士と目があう。
加持はためらうことなく、M21の引き金を三度落とした。
オレンジ色の軌跡が三本へりに向かって伸び、機体の右斜め下を抜けていく。その光の棒は、一本ごとににへりに向かって近づいていく。
だがヘリも、わずかに高度を上げ、横滑りして照準を外そうとした。加持は続けざまに引き金を引いて、互いの位置関係をつかもうとする。だが、ヘリの兵士も機関銃を撃ちまくり、加持の射撃を牽制しつつ車の行き足を止めようとする。
だが、射撃手としての技術もセンスも、ヘリの兵士よりも加持の方が何枚も上手であった。複雑に変わる互いの位置関係にもかかわらず、加持の方が先に命中弾を出す。
一瞬で視線も向けずに狙撃銃の下に突き出す弾倉を引き抜いて車内に放り込み、流れるような手つきで腰のベルトから新しい弾倉を抜いて装着する。同時に彼は、短く、しかし、風切り音に負けないような大声で叫ぶ。
「ダンテ!」
「カウント、3、2、1、今!」
ダンテが叫ぶと同時にほんのわずかの間だけ、ブルーバードは一定の速度で直進した。
瞬間、加持のM21とヘリの機関銃の銃弾が交差し、そして互いの距離がひらく。
何発かの曳光弾がヘリのフロントガラスに命中し、くもの巣状のひび割れが発する。ヘリは、風圧でガラスが割れてしまわないように速度を落とさざるを得なかった。ブルーバードは、そのまま一目散にその場から離れようと速度を上げる。
ヘリは、そのまま加持の銃口から逃れるように、南へと飛び去っていった。
「あ」
「どうした、アスカ」
それでも後方のヘリを「見続け」ていたアスカが、ため息にも似た声をもらす。さらに何発か牽制の銃弾を撃ってから車内に戻った加持が、それを聞きつけた。
「ヘリで、戦闘服の男とパイロットが口論してるみたい。パイロットはすぐに帰りたいみたいで、戦闘服の男はここに残れって。でも、操縦しているのはパイロットだから、無視して帰ろうとしている」
「ありがたい。ダンテ、どうだ?」
とりあえずの安全が確保されたことに安堵の声をもらすと、加持は、冷や汗でびっしょりと全身が濡れてしまっているダンテに視線を向けた。彼は、ハンドルを握ったまま、眉根を寄せて難しい顔で前を見ている。その様子にただならないものを感じた加持は、あらためてダンテに向き直った。
「どうした? 弾が当たったか?」
「ああ」
「どこだ、腹か? 抜けてるのか? それとも……」
「俺じゃあ、ない。この車さ」
「なに?」
ダンテは、荒々しくラッキーストライクをくわえると、火も点けずにフィルターを噛み潰す。
「ガソリンタンクに一発喰らった。もういくらももたん」
機体上面の前後に回転翼をつけた中型ヘリが、一機また一機と青い空へと飛び立っていく。
そのヘリの中から吐き出された兵士達が、怒声を張り上げる下士官らとともに小走りで整列し、手際よく装備の確認をしてゆく。ヘリが飛び立つのと入れ換わる様に、モスグリーンに塗装された軍用トラックが何台も彼らの前に止まった。そのまま、子供ならばすっぽり入ってしまいそうな巨大な背嚢を背負った兵士らは、その重さをまるで感じていないかのような軽々とした足どりで次々とトラックに乗り込んでいく。
もうもうと土煙が舞い上がり視界も定かではないその喧噪の中で、マイク・ベルナルド中尉は、三人の曹長と地図を手にこれからの打ち合わせをしていた。
「で、フィリピン警察のヒューイの修理が終わるのは、早くても明後日になると言っているんだな」
ひしゃげた鼻の上を右手の親指でかきながら、ベルナルド中尉は、低い声でつぶやくように確認した。その眠そうに細められた目は、しかしかなり剣呑な光がちらついている。
「はい中尉殿。ピリ公は、それ以上はどうしても無理だと。連中、今度は確実に墜とされるとぶるっちまっているようです。どうします、ちょいとしめてみますか?」
ほとんど二メートル近い身長のベルナルド中尉とほとんど変わらない高さの、だが筋肉の量では一回りは厚い黒人の曹長が、その分厚い唇をわずかにゆがめた。
「放っておけマット。機体の表面を散々焦がされて脅かされたんだ。例の装甲車の二の舞にはなりたくないんだろ。それはこっちも同じだ」
「はい、中尉殿」
「それよりも、目標は四四号線からはずれたんだな」
「はい中尉殿。その後の足どりはつかめていません。ですが、目標を発見した周辺の橋でフィリピン警察が監視の網を張っております。もう数時間で、おおよその位置がつかまると思われます」
「よし。リック、貴様の小隊はバートルで先回りしろ。現地の警察からトラックを何台か借りられるようにしておく。いざとなったらそれも使え。マット、手配を頼む」
ベルナルド中尉は、今度は比較的年配の曹長のほうに顔を向けた。不精ひげのように口のまわりをおおっているひげと、笑っているようにも見える垂れ目が、他の三人の海兵隊員らとは雰囲気を異ならせている。だがベルナルド中尉は、それだけの言葉で後は全てを彼に任せてしまって大丈夫、とでもいうようにもう一人の曹長のに顔を向ける。
「ジャン、一個分隊を俺が直接指揮する。回してくれ。それから四四号線を北上して、目標に尻からプレッシャーをかけてくれ。もし大尉殿と合流するようなことがあったら、向こうの指揮下に入って目標の後を追え」
「了解です、中尉殿」
この四人の中では一番背が低く若い、だが最も肉の量が厚い曹長が、言葉少なげに肯いた。
「よし。後は目標を捕捉して死んでもらうだけだ。とにかくこっちは数と戦力で圧倒している。そのつもりで先制して火力でけりを着けろ。よし、出撃!」
「サー・イエス・サー!!」
戦闘靴のかかとを鳴らして敬礼した曹長らは、ベルナルド中尉の答礼が終わるか終わらないかのうちに各々の持ち場にむけて走ってゆく。
「通信兵! 大尉殿に回線をつなげろ」
「それで、目標はどうなったんだ?」
マスタングの重たいハンドルを右手一本で軽々とさばきつつ、オライリー大尉は、キャメルを一本抜くとダッシュボードの上で軽く尻を叩いてから口にくわえた。そのまま火も点けずに視線だけ助手席のホースト曹長に向ける。
「は、どうやら山道に入ったらしく、いまだ掴んではいないとのことです」
「ま、そんなもんだろうな。そのまま平地を北上するようなあほうだったら、マニラから脱出もできなかったろうよ。で、フィリピン警察の方はどうなんだ」
「山岳地帯はNPAの勢力下であるため、陸軍でないと入れないと」
ホースト曹長は、ラッキーストライクをくわえ火を点けた。そのまま一息で半分程も吸ってしまう。煙草の白い灰が、ぱらぱらと彼の膝にこぼれた。
「気にするな。所詮警察は警察だ。いくら警察軍であってもな」
余裕たっぷりな態度で紫煙をくゆらせると、オライリー大尉は、しばらく指先で火の点いたままの煙草をもてあそんだ。
「アーニー、何故ヘリは墜とされなかったんだ?」
視線は前にむけられたまま、だが意識はその一点に集中しているようである。彼の表情は、すとんと何かが抜け落ちてしまったかのように何も浮かんではいなかった。
ホースト曹長は、その決して短くはない付き合いから、彼がたった今ものすごく重要なポイントを押さえたと感づいていることに気がついていた。彼は、上官がこうして他人に質問する形で自分の中の雑多な思考を形にし、組み上げていく思考法をすることを、その長い付き合いで学んでいた。そうであるならば、彼にできるのは、適当にうなずくことと、思考が暴走しないようにポイントを突いた質問をすることぐらいである。
「装甲車は、あの娘を轢き殺すつもりで突っ込んでいって、押さえつけられたあげくに燃やされた。だがヘリは、連中の乗った車の上空を行ったり来たりしながら銃撃を加えて、カジの射撃でフロントガラスを割られた程度で済んでいる」
「移動目標を狙って燃やすのが不得意だと?」
「ああ。かもしれん。だが、装甲車の二〇ミリの射撃は平然と防いだそうじゃないか。何故ヘリの機銃は防がなかった?」
言葉をとめるのと同時に、オライリー大尉は、もてあそんでいたキャメルを指先で押しつぶす。
「装甲車とヘリの状況の違いは、距離、相対位置、あとはなんだ? ヘリの表面が焦がされているということは、彼女の超能力が目標に対して外側から働きかけるものだ、ということだ。そうすると、その超能力はどこかを発起点にしてそこから移動し、効果を発揮するってことになる」
「認識し、発火させる、という過程は経ていない。むしろ、照準し、誘導し、命中させるのですか」
「途中の誘導はないようだな」
二人はしばらく黙ったまま前方を見ていた。マスタングは、時速一〇〇マイル近い速度で国道を北上していく。途中、何台もの水牛が引いた荷車が、その勢いに恐れをなしたかのように道端に逃げていった。
「勝てるぞ」
ぼそりとつぶやいたオライリー大尉の言葉は、普段の彼からは想像もできないほど陰惨な響きを持っていた。
「上手く山中に追い込んで」
ホースト曹長は、だが上官の内心をあえて見ないふりをするように、平坦な声で続ける。
大尉は、その陰惨な口調で話を続け、もう一本キャメルを引っ張り出した。
「もう山中に逃げ込んでくれている。後は時間をかけて追回し、彼女が疲れきったところでけりをつける。疲労が蓄積して精密な照準ができなければ、いくら強力な火力を持っていてもたいして役にはたたん。カジって男がいくらデルタが誉めるほどのプロでも、一切のバックアップ無しで、まったくミスをしないで逃げ切れるはずがない。こっちは、多少のミスならば十分フォローできるサポートがある」
「つまり」
「冒険小説のようにはいかん、てことだ」
大尉は、もう一度キャメルを指先で押しつぶした。
「よしこれでいい」
ジャッキをブルーバードの下から引っ張り出したダンテは、油で真っ黒になった手をぼろ切れでぬぐうと、わずかに目を細めて自分の愛車をながめた。
グレーの車体は、たった二日間の間に見るも無残に汚れ傷ついてしまっていた。そろそろ沈もうとしている夕日の赤い色が、かえってそのくたびれ具合をひきだたせている。周囲の緑が黒い影を落とす中で、ブルーバードSSS−Rは、もう廃車にしてもかまわないようなひどい様をさらしていた。
だがアスカの目には、この車がまだまだ元気一杯で、多少傷をむしろ戦塵をくぐり抜けてきた迫力に変えてしまっている様にすら見えていた。
「とりあえずふさげる穴は全部ふさいだし、ガソリンタンクのシーリングもばっちりだ。とりあえず、予備のジェリ缶の分とあわせれば、最悪でも今夜いっぱい走り続けることはできる」
「ガムテープって、本当になんにでも使えるのね」
あきれたのか感心しているのかわからないような口調で、アスカはダンテのそばに立った。油汚れで真っ黒になったぼろ切れを彼から取ると、湿らせたタオルを差し出す。ダンテは、一言礼を言ってそれを受け取った。そのまま真っ黒に汚れている顔をごしごしとぬぐう。
ダンテが銃弾が抜けた後のばりを金槌でたたき直し、アルミテープを張り、ガムテープでガソリンタンクをぐるぐる巻にして応急処置を終わらせた時、アスカはあまりにあっさりと修理が終わってしまったことに拍子抜けしてしまったような気がしたのだ。こうした工業製品というのは、もっと難しい、専門的な職人がその技術を駆使して扱うもの、という先入観があったのだ。
「といっても、持つのはせいぜい二日三日、ってところだな。それまでにもう一回ガソリンを満タンにして、アパリに着かなきゃならん」
「できるんでしょ」
多少なりとも楽観的な雰囲気になったのを振り払うように、ダンテは見通しの暗さをはっきりと口にする。だがアスカは、平然とした表情のまま、あっさりとそれを受け流した。
「やるさ。それが俺のビジネスだからな」
しゃあないなあ、といわんばかりのまんざらでもない様子で、ダンテは口の端をゆがめる。
顔をの汚れを落とし、さっぱりした表情になったダンテは、振り向くと声をあげた。
「よし、カジ、行こうや」
周囲の警戒にあたっていた加持が戻ってくると、彼が戻ってくる間にエンジンの暖気を済ませておいたダンテは、すぐにブルーバードを発進させた。そのままほとんど獣道も同然の細い山道を、どんどん分け入っていく。
「おいおい、もしかして夜も走り続けるのか?」
さすがにあきれたかのように加持はつぶやいた。
「ああ、今のうちに距離を稼いでおきたい。むこうがもう一回ヘリを引っ張り出してきたら、今度はどうなるかわからん」
「こんな山道では、それこそにっちもさっちも行かないんじゃないか?」
「フィリピン警察に、夜間飛行可能なヘリがあるものか」
なかば嘲笑に近い表情を浮かべて、ダンテははっきりそう言いきった。
「とにかく、むこうが予想しているよりもこっちが早く遠くに動けば、それだけ三人が生きてアパリにたどり着ける可能性も高くなる。それに、前に言ったろ」
「ここじゃ、時速一〇〇マイルは無理だろ」
「なに、五〇マイルは出せるさ」
「無茶を言う」
「プロの言うことは信じるんじゃなかったのかい」
そう言うのと同時に、ダンテはアクセルを踏んで一気に速度を上げる。ヘッドライトに明かりを灯し、ブルーバードは、ほとんど車一台入るのが精一杯のように見える山道を、まるでそこがサーキットであるかのように軽々と駆け抜けていく。
アスカは、しっかり口を閉じるとシートベルトで座席に身体を固定し、両足の裏を前の座席の背に押しつけた。さらに、脇をしめて両手で頭を抱え込む。そんな彼女の様子を見たいた加持は、ダッシュボードの中の無線機の周波数をいじりながら、彼女に声をかけた。
「まだそんなにひどい事にはならないぞ、今からそれではこれから先身体が持たない。とにかく今晩は少しでも眠っておいた方がいい。食事になったら起こすから」
「うん」
広げられた地図から視線をあげると、加持は振り向いてアスカのに笑ってみせた。
「ま、今夜は何も起きないだろう」
だがアスカは、その姿勢を崩そうとはしなかった。そして、疲れきってしまわない程度に意識を周囲にむけて広げた。
リック・ルーファス曹長は、海兵隊の中型輸送ヘリV一〇七・バートルの副操縦士席で、ヘッドセットから聞こえてくる部下らの報告に耳を傾けていた。
すでに太陽は西のかなたに沈み、あたりは文字通りの暗闇にとざれてしまっていた。だが、光量増幅式の夜間暗視装置を装着している彼ら海兵隊員達にとって、それはさほどの問題とはならなかった。問題が出るとすれば、この山岳地帯の地面すれすれをNOE飛行するような、アクロバティックな事をするときであろう。そして、そうした事態はそうそう起きはしない。
彼が指揮下に入れているバートルは、あわせて四機であった。ただし、二機はマニラ近郊の基地に戻っており、一機は整備中であるために、今夜使えるのは今彼が搭乗している一機だけであった。
ルーファス曹長は軽く手の甲であごの下をなでると、地上でブルーバードの足どりを追っている部下達に指示を下していく。
地上の部下達は、フィリピン警察から調達した中型トラックで、目標の乗った車の足どりを追ってはいる。しかし、いったん国道四四号から外れた目標は、今度はルソンの山中に入ったきり、ほぼその足どりを消してしまっていた。
彼は、目標がこの夜闇を利用してひたすら北へむかって進んでいることを、まったく疑っていなかった。それ以外に、この大々的な大捕物の網から逃れる可能性を高める方法はないからである。相手の捜索能力がこちらよりも高いのならば、そして、自分達が一切の支援を受けられない状況にあるならば、彼もそうするであろう、というのが最大の理由であった。
「曹長、そろそろ変針する。次は?」
「もう一度同じコースを、機長」
ヘリのパイロットが士官であるだけに、さすがに丁寧な口調でマイクを通じて答えると、窓からもう一度外の様子を見直す。
後部の貨物室で一緒に搭乗している小隊本部班の兵士らが、彼と同じ様に夜間暗視装置を装着して外の監視にあたっているはずである。
本来ならば輸送が専門のバートルをわざわざ目標の捜索に使っているのは、その必要性が彼らに与えられている機材が完璧ではないためであった。本来ならば、こうした偵察活動専門の小型ヘリが存在し、まさしくあっというまに目標の位置を特定してしまっているはずであった。しかし、さすがに警備と示威が目的で置かれている部隊に、そうした高価で有力な兵器が配備されるはずもなかった。
今だ世界は混沌の中にあり、アメリカ軍によって秩序が回復される事が必要とされる地域は、それこそ世界中いくらでもあるのだ。
しばらく外に何か予兆はないか監視しているルーファス曹長の耳に、ヘッドセットから怒声のような、だがはっきりとした口調の声が飛び込んでくる。
「三−〇−二に光源! 速度不明ながらも北に向かって移動しております!」
あとがき
またまた掲載に日があいてしまいました。皆様如何お過ごしでしょうか、金物屋忘八です。
さて、第三話「アスカ、来日」、どうやら中盤の山場に差しかかることができました。あとは一気に書き上げるだけのことなんですが、さて、どうなることやら(笑)。とにかく、なんとかして執筆量を増やさないとなあ(苦笑)。
というわけで最後になりましたが、今回ほんのちょびっとすらも登場しませんでしたが、そしてここしばらくさらにちょびっとしか登場しないでしょうが、このストーリーのテーマはあくまで「ラブラブシンちゃん」だと強弁するのです(BHB爆)。
それではまた、機会がありましたら、次の作品でお会いしましょう。
金物屋亡八 拝
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