十四

 

「来るっ!!」

 アスカが絶叫を上げた瞬間、ダンテは、ヘッドランプを全て消すと、ブレーキを踏んでハンドルを右に切って無理やり速度を落とし、クラッチとアクセルを操作してブルーバードを一八〇度ターンさせた。一気に一速までシフト・ダウンしてからクラッチをつなぎ、タイヤを地面にもう一度噛み直させる。そのまま今来た道をしばし逆走する。

 加持は、突然のことに一瞬座席から放り出され車内を振り回されそうになった。だがしかし、持ち前の機敏さでなんとか無様な醜態をさらすことだけは避ける。どうにか態勢を立て直して、アスカの方を振り返る。

 アスカは、先ほどと変わらぬ姿勢のまま、しかし視線だけははるか夜空の彼方を見つめているようであった。

「どこに敵だ!?」

 加持の反応は早い。

「左の方の空! 昼間のヘリよりもずっと大きくて、白い星が書いてある。アメリカ軍よ!!」

「地図を!」

 ダンテは、加持にむかって左手をつき出した。だが、両足はアクセルとブレーキをせわしなく踏み分けている。

「あと二キロも戻れば、プロブ山系へ通じる道がある」

 加持からダンテへ、今自分達がいるあたりを見やすい様に四つ折りにされた軍用地図が、素早く手渡される。

「山道じゃ、ヘリをまきようがない」

「無駄だ。アメちゃんならば、暗視装置のたぐいは完璧のはずだ。じゃなければ夜間山岳飛行なんて無茶はしない」

「森に隠れてやり過ごすか?」

 いくら暗視装置を完備していようとも、この夜の闇の中で森に紛れた三人を見つけ出すことは不可能といえる。だが、眉根を寄せたまま、加持は言下にそれを否定した。

「今度は、海兵隊員を満載したヘリが飛んでくる」

 闇に紛れて隠れようとも、こちらが動かなければ相手はその目的の半分を達成できる、と言いたいのだ。米軍の目的がアスカの抹殺である以上、アスカがいる位置を絞り込むことができるならば、その任務を達成することはかなり容易くなる。

 とにかく動き続けることが、彼らが生き延びる唯一の方法なのであるのだ。

「……何か考えがあるんだな?」

「ああ」

 わずかな間厳しい表情を浮かべていた加持は、アスカへ振り向いた。

「アスカ、ヘリの具体的な形状はわかるか? あと、機体の横に書いてある文字、なんでもいい、読めるか?」

「任せて!」

 後部座席で縮こまっていたアスカは、だが加持の質問に跳ね起きるように身体を伸ばすと、後部ドアの窓ガラスを下ろして外へ顔を突き出す。

 すぐ横を森の木々の枝や下生えがすさまじい早さで通りすぎていく。だが、平然とそれを「振り払う」と、意識を上空のある一点に向けて絞り込んでいく。最初にそれを見つけてからずっと意識を張りつけておいた事もあって、すぐにその姿がはっきりと「見え」てくる。

 しばらくそうしてヘリの様子と飛ぶ方向を観察すると、アスカは車内に戻った。

「大きさは、この車の三倍くらいあって、機体の前と後でプロペラが回ってる。あと、窓がたくさんついていて、……「MARINES」って」

「海兵隊か!?」

 加持の眉が跳ね上がり、厳しい表情とともに唇をかむのが、バックミラー越しにアスカの目に入る。

「厄介な連中が……」

「そう、なの?」

 アスカは、加除がそうした感情を面に表すのを初めて見た。これまで、どれほど逃げ道がないように思えても、彼は、決して余裕のない態度を見せようとはしなかった。それだけに、心の中にゆっくりと恐れと、そしてなにか怖いものがもたげてくる。

「他に飛んでいるヘリは?」

「ううん、上の一機だけ。でも、あたしたちの位置をわかっているみたい。五〇〇メートルくらい後をついてくる」

「畜生」

 ダンテの歯ぎしりが、ぎりぎりとアスカの耳に響く。

「やはりな。だが撃ってこないところをみると、……なんとかなるか」

 ようやくしかめられている加持の眉が普段に位置に戻る。

 その口調から、彼がなにかを思いついたらしいことを知ったダンテは、ハンドルを左に切った。

「さあ、お望み通りプロブへ入るぞ」

「すまん。しかし……」

「なんだ?」

「さすがは海兵隊だ。ほとんど通信内容が傍受できない」

 加持のゆがめられわずかにめくれあがった唇は、アスカに肉食獣のそれを思い浮かばせた。

 

 バートルの副操縦士席からひたすら逃げるブルーバードを監視しているルーファス曹長は、相手が進路を変えてプロプ山系へと向かうのに気がつき、わずかに眉をしかめた。手元の軍用地図を取り出し、このままの針路で進んだ場合、どういう事になるかを考える。

 プロブ山系。

 ルソン島のほぼ中央にあり、フィリピンでも二番目に高い山である標高二九二九メートルに達するプログ山のあるカルディレラ山脈の中央にある、プロブ山を中心とした山岳地帯である。モンスーン気候帯のフィリピンの山岳らしく、常緑樹が繁り、半ばジャングルといっても良い地域であった。

 季節によっては刻一刻と風向きが変わり、航空機にとってはあまり飛行しやすくはない地帯である。まして回転翼で空気を下に吹きつけることで揚力を得ているヘリコプターにとっては、空気が熱せられて密度が薄くそれだけ揚力が得にくいこの真夏の最中に、この様な空気の希薄な山岳地帯を飛ぶ事は、決して容易いことではないのである。まして初飛行から四〇年は経っているこの旧式のヘリでは、なにか気象異常が発生したならばそれこそすぐに墜落の可能性すらあったのだ。

 そんな地元の人間しか使わないような半ば下生えに覆われようとしている山道を、必死にブルーバードは進んでいくのが、ルーファス曹長の暗視スコープに映る。だが、必死であるのはヘリの方もそう変わりはなかった。気流が乱れるたびに、右に左に大時化の時の揚陸艦の様に機体が振り回される。

「ヘリの様子は?」

 ヘッドセット越しにも聞こえてくるエンジンの爆音に負けないように、ルーファス曹長はパイロットに向かって叫んだ。別にわめかなくても集音マイクは普通にしゃべっていてもその声を拾ってくれるが、やはりきちんと質問が伝達されない事の方が心配だった。コミニュケーションの不完全がいらぬミスを呼び、死ななくてもよい兵士が死ぬということは戦場ではままあるのだ。

「難しいところだな、気流の変化が激しくなっている。いったんブレイクして態勢を立て直したいんだが」

 同じ様に叫んで返してきたパイロットの声が、曹長の鼓膜を叩いた。

 ほんの一瞬だけ考えると、ルーファス曹長は決断を下した。

 いったん離脱しても目標を見失うことはまずない。道はほとんど一本道であり、よほどの幸運があっても車に乗り続けている限り逃げきれる可能性は少ない。それよりは、このまま目標を追い続けて事故を起こす可能性の方が問題であった。いかに常在戦場の海兵隊であっても、不必要な危険を冒すのは仕事のうちではない。それはあくまで愚か者の無謀でしかないのだ。

「了解した。下の道を見失わない程度なら、いったん高度をとってくれて構わない」

「了解。気流の状態を見極めたらもう一回鬼ごっこを再会するさ」

「ああ、では頼む」

 いったん上昇すると、これまでが嘘のように機体は安定した。

 ルーファス曹長は、密生した木々の中に見え隠れしているブルーバードを、それでも可能な限り追い続けた。だが、しばらく飛行しているうちに見失ってしまった。

「道路を先回りできるか?」

「それくらいはわけないさ。こっちはGPSやら方位評定機やら文明の利器が山盛りなんだからな。下の地図と磁石とお星様以外に自分のいる位置を知りようがない連中とは大違いだ」

 ようやく機体が安定して安心したのか、パイロットの舌がなめらかに回転する。

 だがルーファス曹長は、自分の判断がほんとうに正しかったのか、なぜか自信が持てないでいた。

 

「よし、行ってくれた。よくやったぞ、アスカ」

「まあね、これくらいなら大した事ないから。でも、加持さん、これからどうするの?」

「ああ、時間を稼げただけでもありがたい。今度はこっちが罠を張るぞ」

 密林の中でいったん車を止めてヘリをやり過ごした三人は、ヘリの爆音が遠ざかっていくのを聞きながらボンネットの上に広げた地図に見入っていた。

「やり過ごしたついでに、今来た道を戻りでもするのか?」

「ああ。だが、ただ戻るんじゃない。途中でいったん罠を張る」

「罠? もう一回アスカに上昇気流でもおこさせるのか?」

「いや、多分またブレイクされて終わりだ。とにかくこっちには時間がない。別に考えがある」

 アスカは、地図の一点を指し示して何か話を始めた加持とダンテをほうって、適当な空間を見つけて思いっ切り伸びをした。久しぶりに全力で「力」をふるった後だけに、頭の芯に鈍い疲れのようなものがうずいていた。

 ヘリが乱気流を恐れてブレイクしたのは、アスカがこの山あいの空気を思いっ切り「熱して」上昇気流をおこし、乱気流を発生させたせいであったのだ。加持がこんな進むにも退くにも不自由な山中にわざわざ車を進めさせたのは、こうした複雑な地形の中で急激な気流の変化が発生すればヘリのような不安定な飛行能力の航空機は追跡が難しくなると踏んでのことであった。

 だが、さすがに無理無茶をすることが前提の軍用機、それも合州国海兵隊のヘリコプターだけのことはあって、加持の期待した通りの事故を起こすことはなかった、だが、いったん追跡を打ち切って自らの安全を確保するために距離をとってはくれたのだ。こうして稼いだわずかな時間ではあったが、もはや進むも引くもいかんともしがたいところまで追い詰められていた彼らにとっては、状況を挽回する最期のチャンスでもあった。

 ゆっくりと身体のあちこちを伸ばし、大きく息を吸う。

 満天の星空が、まるで無数の蝋燭を飾った大聖堂をアスカに思い起こさせた。両親に連れられて一緒に行ったそこは、確かに人々に神の家が実在することを信じさせるに足るなにかがあった。

「綺麗よね」

 今自分が軍隊に追われてフィリピンの山中を逃げ回っている事が、まるで嘘のように思えても来る。だがそんな感覚が、結局は現実のやりきれなさからの逃避でしかないということも、聡明な彼女には判ってもいたのだ。

 大きくあくびをすると二度三度と頭を振り、アスカは車に足を向けた。

「あたしは、あたしにできる事をやるんだから」

 自分の命は自分で何とかする。

 けれども、結局自分がまだ子供でしかなくて、そうであるから加持に信じてもらえないでいる。ならば自分が何をできるのか、彼にはっきりと見せて信じてもらうしかない。

 アスカは、自分の胸の中のなにかをもう一度言葉にしてみると、ゆっくりと歩いていった。

 車では、加持とダンテがトランクから諸々の機材を引っ張り出しているところであった。

「今度はどうするの?」

 ナイトヴィジョンのバッテリーをチェックしている加持の手元をのぞきこみながら、アスカは尋ねた。

「あと三〇分もしないうちにヘリは戻ってくる。それを待ち伏せて墜とす」

「どうやって? 機関砲もミサイルもないのに」

 さすがに眉をひそめてアスカは視線をあげた。昼間の一件で、軍用兵器というもののしぶとさについて十分学ぶものがあった彼女にとって、旧式ライフル一丁しか手元にない現状で何ができるのか、という気持ちがあったのだ。

 だが加持は、そんなアスカの疑問を予想していたのであろう。わずかに口の端をあげて笑みを浮かべてライフルを叩いた。

「こいつの為に曳光弾を用意してある。要は弾の中に火薬が詰まっていて燃えながら飛ぶ代物なんだが、短い距離で目標に当たると弾頭が砕けて中の火薬がはじけたりもするんだ」

「でも、ヘリコプターみたいな大きなものにきくの?」

「当たり所による。だから、罠を張る」

 これまで通りの自信に溢れた表情で、加持ははっきりとそう言った。

 だがアスカには、それは余程に加持が強がっている様にしか聞こえなかった。実際、昼間ヘリと追いかけっこをしていてまったくかなわなかったのであるし、今度の相手はさらに大きなヘリの上に飛ばしているのは米軍のパイロットなのだ。

「加持さん」

「駄目だ」

 みなまで言わせず加持は一言で却下した。

「聞いて、あたしならば……」

「駄目だ。アスカ、お前にこれ以上人殺しをさせるつもりは無い」

「変わらないわ」

 それこそ噴火直前の活火山を思わせるような低い声で、アスカは言葉を続ける。厳しい表情になった加持は、そんな彼女の視線を正面からしっかりと受け止めた。

「いくら加持さんがあたしに代わって戦ってくれたとしても、それであたしの手がきれいになるって事は無いのよ。ちがう、汚いことをみんな人に押し付けて、自分だけなんでもない様な顔をしている方がよっぽど汚くてずるい。あたしは、自分がそんなやな奴になるのは嫌、絶対に嫌!」

「アスカ、違う、それは違う」

「違わなくなんて、ない!」

 アスカの声はいっそう高まっていき、ほとんど叫び声に近いものになっていく。

「ねえ、聞いて。あたしは、自分がなんで殺されようとしているのか、判っているのよ。なんで日本政府があたしを助けようとしているかも。そこには正義とか悪とか、そんなものは無い。だったら、あたしは自分で自分が納得できるように生きたい」

「俺が言いたいのはそう言うことじゃない、アスカ、お前はまだ子供なんだ」

「子供だからって、自分の命がかかっているのに、他の人に汚いこと全部を任せてなんていられない!」

「そういうことじゃない!」

 初めて加持に怒鳴り付けられ、アスカはびくっと身体を震わせて言葉をとぎらせた。

「いいかアスカ、俺は、プロだ。プロである自分にプライドを持っているし、そのために俺自身が守らなければならないルールがある。お前の手を汚させることは、その俺のルールを破ることになるんだ」

 自分を見つめる加持の目があまりにも真剣で厳しいのに、アスカは息を飲んで黙っているしかできない。

「お前はまだ、自分で自分の生き方を決められる程には大人じゃない。いいか、そんな子供を守るのが俺の仕事だ。もしお前にそんな汚れ仕事をさせるならば、それは俺が自分の仕事を果たしていないということになる。それは、絶対に俺のプライドが許さない。お前をなんとしてでも守りきる、それが俺が俺である事なんだ」

「そうじゃない、あたしはもう子供じゃない!!」

「いや、子供だ」

 そのまま二人は、互いに一歩も引くことなくにらみ合う。

「アスカは、大人だよ」

 はっとして二人は声の方に振り向いた。

 そこでは、ダンテが煙草に火を点けながらゆっくりと腰を上げたところだった。そんな彼を、加持はそれこそ絞め殺したそうな目で睨み付けている。

「カジ、あんたは間違っている。アスカは、もう大人だ」

「莫迦を言うな、こいつのどこが大人だ」

「誇りのために戦うことを知っている」

「!?」

 はっとして、加持はその場で凍りついた。

「確かに生きてきた時間はたいしたことはなかろうさ。けどな、自分にルールを課して生きることを知っている奴は、もう子供じゃない。そういう奴こそを、大人っていうのさ。違うかい? カジ」

「ダンテ……」

 アスカのこぼれた声が、震えている。

「俺から見れば、あんたらの言い合いは、単にプライドをぶつけ合っているようにしかみえん」

 ゆっくりと紫煙を吐き出すと、ダンテは言葉を探すようにいったん口を閉ざした。

「カジ、あんたの言っていることは、あんたのプライドをアスカに押しつけているだけだ。それじゃ彼女も納得できやしない。単に意地で戦わせろって言っているんじゃない、他人に戦わせるのも、それが自分の為ならば結局自分が手を汚すのと変わりは無い、そう言いたいんだアスカは。自分だけが安全なところにいて、他人が戦うのを見てはいられないんだろ。ならば、戦わさせてやれよ。アスカの命のために戦うのが、決して汚れ仕事じゃないないって思っているならばな」

「判っちゃいる」

 絞り出すように加持は言葉を吐き出した。

「ああ、判っちゃいるのさ。だがな、それを認めれば、俺が引き金を引く理由がなくなる」

「だから、俺たちはチームなんだろ」

 ダンテの声は、優しいと言ってもよいほどに穏やかであった。

「信じてやれよ、アスカを」

 

十五

 

 ルーファス曹長が三人の乗ったブルーバードが道を引き返した可能性に気がついたのは、乱気流の為にいったん高度を取ってブレイクして態勢を立て直してから三〇分も経ってからのことであった。

 先に進んだであろう車を探して山道をひたすら追いはしたものの、さっぱり車の影も形も見えてこないのに、彼らがヘリをまいて別のルートから北上する可能性を考えざるを得ない羽目になったのだ。地図を見てざっと計算したところ、いくら彼らが急いでいたとしても、これまでに無灯火で夜の山道を走ってヘリよりも先に進んではいられないのは明らかであった。それどころか、もしあの場で引き返したとしたならば、ヘリがもう一度ブルーバードを捕捉する前にこのプロブ山系から脱出していてもおかしくはない、という可能性すらあったのだ。

「どうだ、目標は確認できたか?」

 ヘッドセットに叫んだルーファス曹長の声に、だが戻ってきたのは決して芳しくはない答えばかりであった。

「目標、確認できず」

「見つかりません」

「駄目です、見当たりません」

 心の中だけで四文字熟語の悪態をついた曹長は、もう一度地図を見直して再計算を始めた。そして出た結果は、これまでと変わらずそろそろブルーバードが視界に入ってくるはず、というものであったのだ。

「そろそろ前方に何か見えてくるはずだ。全員、気合いを入れて目ん玉を開いておけよ」

 まだまだ元気な声が戻ってくるのを確認して、ルーファス曹長はヘッドセットのチャンネルをパイロットとの直通通話に切り替える。

「もう少し高度を下げてくれないか」

「無茶を言う、下手にさっきのような乱気流に巻き込まれたら、今度こそ危ないぞ」

 ここから先道路の両脇は、なだらかなではあるにせよ崖になっている。狭隘な谷底を飛行している時に乱気流に巻き込まれたならば、それこそ目もあてられないことになる。

「危険は承知の上だ。だがこのままだと目標をロストする可能性の方が高い」

「ならば仕方がないな、揺れるぞ!」

 言うが早いか、パイロットはそのままヘリの高度をさらに下げた。それこそ下がり気味の機首が地面にこすり付けられそうにも見える。キャノピー前面一杯を高速で後へと流れていく暗い緑色の濁流に、ルーファス曹長は思わずわずかに息を飲んだ。だがすぐに、内心に感じた恐怖をその精神力で押し殺し、目標のブルーバードの影を探す。

「曹長! 二−七−〇、距離四〇〇に目標発見! 停止しているものと思われます!」

「了解、そのまま追尾し続けろ」

「よし、旋回に入る!」

 六トンを超す重量のヘリが、軽々と上昇し左側に機体をかたむけて旋回する。あっと言う間に目標のブルーバードにまで近づいた。

 ルーファス曹長は、ブルーバードが道路から外れて森の中に車首を突っ込んでいるのを、かぶっている夜間暗視装置で確認した。車のドアは開けっぱなしになっており、付近に人影は見えない。

「もう一度高度を取って、周囲を旋回してくれ」

「了解した。だが気流の状態と燃料が不安だ、旋回できる時間はそうは長くはないぞ」

「構わない、付近に目標がいないことを確認したら、我々が降下する」

 ヘリはそのまま垂直に上昇し、乗っている海兵隊員達の視界を十分以上に広げていった。貨物室の兵士達は、目をさらのようにしてあたりを捜索するが、特に人影とおぼしき何者も発見することはできなかった。

「よし、では総員降下準備! それでは中隊本部への報告をお願いします」

「了解」

 副操縦士席を立ったルーファス曹長は、そのまま貨物室へとまっすぐに向かった。貨物室に入ると、すぐに小隊長付きの兵が装具一式を持って駆け寄ってくる。背嚢を背負い、M117カービンを簡単にチェックしてから銃口を下にしてスリングを肩にかける。

「貨物室後部扉解放、総員降下体制に入れ!」

 ヘリの貨物室付き搭乗員の声が、ガスタービンエンジンの高周波音とローターの回転音でうるさいキャビン一杯に響いた。

 その声に合わせて兵士達は二列に並ぶ。ルーファス曹長は、当然のように先頭に立って降下用のザイルを手にしていた。

「こう……」

 その瞬間であった。

 突然ヘリを衝撃が襲い、がくんと機首が沈んだかと思うと、機体を右向きに回転させ始める。突然の横Gに兵士らはなすすべもなくキャビンの壁に叩き付けられた。

 壁に叩き付けられる直前に受け身を取ったルーファス曹長が、ヘッドセットに向かって叫ぶ。

「コクピット、どうし……」

 だが、その声は最期まで続けられはしなかった。

 続けてさらに大きな衝撃が機体を打ちのめし、中の人間を無茶苦茶に振り回したのだ。

 リック・ルーファス曹長が最期に見たのは、暗い緑色の闇であった。

 

「よし、行こう」

 ヘリが完全に墜落したのを確認してから、加持はかぶっていた夜間暗視装置を外して傍らのアスカを見た。

「これで今晩中は大丈夫だろう。今のうちに山を降りよう」

「ああ。だが結構あっけなかったな」

「そんなもんさ。ヘリってのは、結構無理して飛んでいる飛行機だからな」

 ふんふんとのんきに感心しているダンテに、苦笑交じりに加持はそう答えた。

「本当に、前のエンジンを壊しただけでよかったの?」

「ああ、だからああも簡単に墜ちたんだ」

 アスカの納得がいかなさそうな声に、加持はあっさりとそう答えた。

 ヘリコプターは、普通の飛行機が翼に空気の流れをあてて揚力を得て飛ぶのに対して、機体の上で回転する翼が空気を下に吹きつけることで揚力を得て飛行する飛行機である。当然翼で揚力を得て飛ぶよりも、持ち上げることのできる重量は少ない。さらに、翼を回転させれば回転させたのと逆方向に反作用が発生し、機体を回転翼と逆の方向に押しやるのだ。

 今墜ちたヘリコプターは、機体の前後に回転翼を持ち、それが各々逆方向に回転することで機体にかかるモーメントを打消しあって安定させている。だが、そのうち一方が破壊されてしまったために、機体はもう一方の回転翼が発生させるモーメントできりもみ状態に陥り、さらに揚力の不足でそれ以上飛行し続けることができなくなってしまったのだ。

「だから…… 燃やしてしまわなくてよかったの?」

「ん? ああ、いいんだ。その方が時間が稼げる」

「よく、わかんないんだけど」

「わからん方が、いいだろうな」

 加持は、わずかに苦虫を噛み潰したかのような表情になった。が、すぐに腰を上げてかぶっていた草木を払い除けた。そのまま左右に向かって手を振り、手にしたM21を構えて歩き始める。

 それに合わせてアスカもダンテも、カモフラージュをはがして立ち上がる。

 三人は、ゆっくりと車に向けて歩き始めた。

「いいのか、本当に」

「まだ、納得したわけじゃない。それに、それこそ知るにはまだ早すぎる」

「ま、な」

 並んで歩き始めたダンテと言葉を交わした加持は、いっそうやりきれないように表情が苦いものに変わった。

 加持が最初考えていたのは、この狭隘な谷間にヘリを誘き寄せ、装甲のない上面からエンジンを破壊してヘリを墜とすことであった。だが、強固なアスカの主張によって、より確実な彼女の「力」を使う事になったのだ。

 加持には、最初からヘリを完全に破壊してしまうつもりは無かった。

 ヘリを撃墜して相手の追跡手段を奪い、かつできる限り多くの負傷者を出すことで米軍にヘリの救援に兵力を割かせる。それが彼の狙いであったのだ。それは確かにアスカの「力」によって成功した。前部エンジンに彼女が精一杯「加熱した」空気を送り込み、燃焼室を爆発させたのだ。

 ホバリング中で静止状態にあったヘリは、もくろみ通りなすすべもなく墜落し、しかも高度が低かったせいもあってそれほど派手に壊れてはいないようである。前部エンジンの爆発と同時にヘリそのものも爆発炎上するかと思われたが、やはり軍用機だけのことはって自動消火装置が働いたのか今に至るも火災は発生していない。

 たしかに全て加持の思惑通りであったが、しかし相手をわざと殺さないでおくことで相手の戦力を低下させる、というやり方を堂々とアスカに告げるのもはばかれたのだ。

 いくらなんでも加持としては、そうした汚いやり方をあまりあからさまに教えたくは無かったのである。

 車に戻った三人は、周囲に無事な海兵隊員がいないことを確認してから、車を発進させようとした。

「ああ、そうだ、持っておくといい」

 車のエンジンを始動し温め始めたダンテが、アスカに布包みを放ってよこした。

「? 何これ?」

「米軍のポンチョさ。もしかしたら役に立つかもしれん」

「いつのまにこんなもの手に入れていたの?」

「今拾ってきた」

 唖然として、アスカはダンテの顔を見ようとした。

 バックミラーに写るダンテの顔は、いつも通りひょうひょうとしていてのほほんとしたままである。

「そんな顔をしなさんな。連中にはもう必要ないが、俺達にはまだまだ役に立つんだ」

「役に立つって、そんな!?」

「それが、生き延びる、ってことさ」

 アスカは、がっくりと肩を落とすと、二度三度首を左右に振った。

「だからって、死体から……」

「ああ、俺が見つけたときはまだ生きていたな。もっとも、すぐに死んだが」

「それって!?」

「俺が殺した」

「そんなっ! どうして!?」

「それが、生き延びるために戦う、って事だ」

「あ、ああ……」

 アスカは思わず両手でその布包みを握りしめた。

 ダンテが何を言いたいのか、一瞬で理解してしまったのだ。

 彼が言いたいのは、生き延びるために戦うということはゲームなのではない、ということであったのだ。相手を殺して自分が生き延びる。それは直接的には攻撃してくる敵を退けるということでもあるが、だがもっと広い意味で考えるならば、敵を殺すことで自分が生き延びるために必要なものを手に入れる、というところまで話は広がっていく。

 人が、牛や羊や鶏を飼い殺して肉や皮を得るのと、今ダンテがアメリカ人を殺して必要な物資を調達してきた事に、実は根本的なところで違いは無いのだ。その二つの行為の間に線を引くことができるとするならば、それは、相手が自分と同じ人間であるというただその一点だけである。

 自分が生き延びたいという欲求と、物欲で犯す殺人にどれほどの違いがあるのか。生き延びるために人を殺した自分と、金のために見知らぬ誰かを殺す犯罪者との間に、どれほどの違いがあるというのか。

 そして、人が人を殺すというその一線を越えてしまうことを決意した以上、アスカには、ダンテを非難することはもはやできない。

「アスカ」

 黙ってしまったアスカに、加持の優しい声がかけられた。

「いいか、だから、戦場にすらルールがあるんだ。俺達は人間で、野獣ではない。自分を殺しに来る敵には抵抗してもいい。これは守るべきルールだ。だが、自分の欲望のために人を殺すのは犯罪だ。判るか、違いが?」

「……加持、さん?」

「俺が引き金を引くのも、アスカが「力」を使うのも、結局は一緒だ。だから、ルールを決めるんだ。それだけが、殺人者と戦士の唯一の違いだ」

「……うん……」

「よし、行くか」

 あくまで何ごともなかったかの様に声を出して、ダンテは、ブルーバードを発進させる。

 さすがに疲れたのか、そのままバックシートで横になって寝入ったアスカの姿をバックミラーで確認した加持は、ゆっくりと煙草を出して咥えた。

「すまん」

「気にするな。頭のいい子で良かったよ」

「ああ」

 何でもない様に、ダンテは軽く左手を振って車を前に進めていく。

「とにかく、稼いだ時間分、距離を稼がなけりゃな」

 

 だが、時間を稼いだのはアスカら三人ではなく、米軍の方であったのだ。

 プログ山系を脱出した彼らの前に、いつのまに先回りしていたのか海兵隊のハマーと小銃分隊が立ちはだかったのだ。それも幾輛も幾分隊も。

 夜間アスカらが山中でヘリと追いかけっこをしている間に、国道を北上していたベルナルド中尉の率いるもう一方の小隊が待ちかまえていたのだ。

 さすがにオフロードラリー用のブルーバードSSS−Rと汎用高機動輸送車輛のハマーとでは、カーチェイスになりはしない。だが、三人にとって黄金よりも貴重な時間が、北へと向かう間の追いかけっこの間にどんどん失われていったのだ。

「いかんな、もう日が暮れる」

 もう何度目にかなる海兵隊の追跡を追い払った加持が、時計と沈む夕日を見比べながらつぶやいた。

 もう真っ赤な夕陽は山の向こうに沈もうとしていて、山中はだいだい色から暗い紫へとその色合いを変えていこうとしている。

「期日は明日だろ?」

 あくまでマイペースを崩さないダンテが、車の下から現れる。何か整備でもしていたのか、顔も手も服も油汚れで真っ黒になっていた。

「このままだと、やばいかもしれない。タイムリミットは、明日の午前零時だ」

「この山を越えられれば、あとはなんとかなる。問題は今晩だな」

「ん、車に何かあったのか?」

「ああ、ガソリンタンクのシーリングをチェックしていた。まあ、今夜一杯は何とかなると思うが」

 さすがにちょっと難しい顔になって、ダンテはぼろ布で顔をぬぐった。

「そうか」

 だが加持はそれ以上は深くは突っ込まず、トランクから軍用レーションを引っ張り出して三つに分けているアスカの元に向かった。

 アスカは、ああでもないこうでもないと、いくつもの軍用レーションの包みをより分けて組み合わせを変えていた。なにしろ、横流しなぞをさせないためにわざと味を壊滅的にひどくしている、とすらいわれている米軍の軍用レーションである。どうすれば最低限我慢して食べられる組み合わせになるのか、これで結構頭を悩ませる命題ではあるのだ。

「あとせいぜい三食分しかないけど、どうする? 今食べておく?」

 眉を寄せてどういう組み合わせで食べるか考え込んでいるアスカに、加持は少しだけ目じりを下げるとレーションの包みの一つを取ってみせた。

「まあ、適当に車の中で喰っちまおう」

 

 相変わらずの夜の山道を、ダンテはそれでも時速六〇キロを下ることは無い早さで疾走していく。

 いくら二日間一緒にいて多少は慣れたとはいえ、アスカにとって、草木が密生しているそこを疾走していくのはかなり心臓に悪いことおびただしかった。意識を外に「広げる」事で多少は気が紛れるとは言え、さすがに精神的な疲労は隠せない。

「よし、あの山を越えれば、後は降る一方だ」

 ダンテのわずかに弾んだ声に、アスカは意識をそちらに「向けて」みた。

 そこには、どうということはないなだらかな山嶺がそびえているだけである。アスカには、これまでのダンテの走りっぷりからして夜明けにはそこを越えられるだろうと、おぼろげにそう思った。

 と、その瞬間であった。

 後部ガラスから強い光が車内を照らし出す。

「!?」

 振り返ったアスカは、暗闇に慣れた目をその真白い光線に焼かれ、一瞬何も見えなくなってしまっう。すぐに目を閉じ意識を光へと向ける事でパニックに陥るのだけは避ける。

 アスカがそこに見たのは、シルバーグレイに輝く今はもう映画かテレビの中でしか見ないような古いデザインの車であった。

 と、すぐにその車はヘッドランプを消し、ブルーバードの後をついてくる。

「見たか!?」

 加持の反応は早い。すぐにアスカに今の光についての情報を求めてくる。

「灰色の車、やっぱり海兵隊員が乗ってた!」

「おい! ありゃあ「マスタング」だ。一体どこからあんな骨董品を……」

 さすがに気がついたのか、ダンテが唖然とした様につぶやいた。が、即座にシフトチェンジして加速し、追いかけてくる車を引き離そうとする。

 

「ようやっと、追いついたな」

 頻繁にシフトチェンジをし、アクセルとブレーキを踏み分けることでこの山中の悪路を「マスタング」を走破させていくオライリー大尉は、唇をめくれあげるかの様な笑みを浮かべていた。

「では大尉殿、直線に入りましたら」

「ああ、頼む」

 ホースト曹長は、膝の間に抱えていたケースを開くと、中からずいぶんと使い込まれたオリーブドラブ色のボルトアクションライフルを取り出す。

 悪路に車はがたがたと揺れるが、それでもライフルのチェックを進めていく。さすがに振動で細かいところの調整は狂ってしまった様ではあるが、しかし、どこが狂っているのかを確かめ、そこを規定の位置に戻すことで対処しようとしている様であった。

 

「畜生、なんて良い腕していやがるんだ!?」

 吐き出すようにつぶやいたダンテは、迫ってくるカーブをアウト・イン・アウトにシフトチェンジとエンジンブレーキを使って駆け抜ける。こうした悪路を疾走するための4WDであり、後輪もしっかり路面に食いついて滑ることは無い。

「これでどうだ!?」

 

 オライリー大尉は、三速から一速にシフトチェンジしてエンジンブレーキを効かせ、ハンドルを切ってカーブに滑り込んだ。そのまま車の後半分が流れるのを、わずかにハンドルを切ってカウンターをあてて適度に流し、車首がうまく進行方向を捉えたところでアクセルを踏んでタイヤを地面に噛ませ直す。そして一気に四速までシフトをあげ、飛び出すようにカーブから直線に飛び込んだ。

「よし、アーニー、そろそろだ」

 

 やはりそれに一番最初に気がついたのは、アスカであった。

 直線に入ったところで、追いかけてくる車の助手席から男が身を乗り出し、ライフルをこちらに向けてくる。それを張りつけていた意識で「見た」アスカは、即座に車内に向かって叫んだ。

「スナイパー!!」

 

 ホースト曹長は、まず最初の一発を、互いの位置や速度、空気の状態や風の強さ方向をざっと暗算して、ブルーバードのまん中に命中するように放った。

 その銃弾は、オレンジ色の軌跡を残してあさっての方向に飛び去る。

「二つか」

 曹長は、何ごともなかったかのように二五セント硬貨でスコープのあちこちのねじをわずかに締め直すと、軽々と右手首の返しの一挙動で遊底を引いて308レミントンの曳光弾を装填し、もう一度同じ場所を狙って引き金を絞り落とす。

 銃弾は、今度はブルーバードの右後部ランプに命中し、それを粉砕した。

 今度はそのまま次弾を装填し、照準をし直すと、ホースト曹長は息を吸い終わるその瞬間に引き金をそっと引き絞った。

 オレンジ色の軌跡は、そのままブルーバードSSS−Rの後部ガラスを粉砕して中に飛び込む。同時にブルは、カーブを曲がりきれずに横転し、路辺から外れて森の中に転がり落ちていった。

「こんなものか」

 淡々とつぶやいた曹長は、ゆっくりと止まった「マスタング」から降り、弾倉に新たに銃弾を込め始めた。

 


 あとがき

 

 今度は三か月ぶりになります。皆様如何お過ごしでしょうか、金物屋忘八です。

 さて、第三話「アスカ、来日」、ようやくフィリピン編も終わりにさしかかって参りました。あと二回でアスカ達はこの島から脱出して太平洋に繰り出すことになるでしょう。もっとも、それで彼女の冒険が終わるということはありませんが(笑) ま、あとしばらくでけりはつくとは思いますが(笑)

 それにしても、最初はこの話は、もうちょっと早く終わっていても良かったんですけどね(笑) 結局ここまで引っ張ってまだ中盤(笑) 本当に何とかしたいですよ、まったく。

 というわけで最後になりましたが、もはや影も形も出てきませんが、覚えている人もいない恐れすらありますが、このストーリーのテーマはあくまで「ラブラブシンちゃん」だと強弁するのです(謎爆)。

 それではまた、機会がありましたら、次の作品でお会いしましょう。

金物屋亡八 拝 


 J Partへ続く

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