月光

                    written by 螺旋迷宮






「月が、奇麗だ」



 私の肩に碇君が寄り添っている。

 その温もりがとても暖かかった。今までに感じた事のない、ヒトの温もり。



「そうね」



 私は、自分でも無愛想だと判ってしまうほどに抑揚のない声で答えた。

 昔の私だったらこんな事はなかったと思う。

 何も意識せず、何も感じずにただ『そう』とだけしか言わなかった。...言えなかった。


 何が変わったのか、何が変えたのか。



 それは総て碇君の存在だった。



 遥か昔。と言っても太陽は幾万と昇り沈みはしてはいない。

 ヒトの定めた年月ですら、1年とは経っていないのだから。


 それでも、私の中では幾億もの変化が起っていた。


 あの日も満月だった。

 灼熱にも似たエントリープラグを開いて、心配そうに私の名を叫び続ける碇君。


 そして、あの時の碇君の一言。



「笑えば良いと思うよ」



 あの瞬間。碇君の姿が碇司令と重なった。


 でも、それは碇君に司令の姿を重ねあわせているだけだった。

 そんな事にすら、その時の私は気付かなかった。



 ただ、任務に忠実であろうとした。

 それが私の存在価値。

 それが私の『生きているという証明』


 だと、思っていた...



 それなのに


 碇君を『碇司令の息子』として見なくなったのはいつの事?


 覚えていない。

 でも、忘れた訳じゃない。


 気が付かなかっただけ。

 気が付かない振りをしていただけ。

 逃げていただけ...



 私は碇君とは違う。

 私は弐号機パイロットとも違う。

 私は葛城三佐とも違う。

 私は赤城博士とも違う。

 私は碇司令とも違う。


 私は...碇ユイとも違う。


 私は...『ヒト』とは...違うから。



 私に碇君を護る資格はあっても 

 私に碇君を『愛する資格』なんて、ないから。



 そうやって自分自身に思い聞かせていた。





 任務も総てが終わり、私の『存在価値』が消え失せてしまった時に、碇君は顔を真っ赤にしながら私に言った。



「スキナンダ」



 嬉しかった。

 でも、寂しかった。


 碇君は何もかもを知ってしまった。

 LCLに漂う意識の中で...


 総てを知ってしまった碇君は、きっと『母親』を私に求めているのだろうから。

 そう、思った。




 満月の青白い光が私と碇君を常闇から浮かび上がらせている。

 鬼火のように蛍が辺り一面を飛び回る。


 眼の前に広がる水面。

 天上には満天の星空。


 眼下には『ヒト』の造り出した楽園。

 人工の光によって闇を削り、孤独を拭い去る街並。



 それらの総てが私の瞳には映らなかった。

 ただ、碇君という存在だけは...儚げでいてはっきりと写し出されている。



「どうしたの?綾波」


「なんでもないの」


「...何を考えていたの?」


「何も」


「何が心配なの?」


「心配なんてしてない」


「...」


「...」


「...綾波は、綾波だよ。それ以外の何者でもない。僕は綾波レイが好きになったんだ。
 真実はこれだけ。これで良いと思う」


「...」


「だから...ね、綾波。泣かないで...」



 碇君の指が私の目元を拭う。

 そこで私は自分が『涙』を流している事に気が付いた。


「なみ...だ...」


「君さえいれば、僕は寂しくないんだ。だから...これからも一緒に居て欲しい」


「...いけない」


「どうしてさ」


「私は...碇君を愛する資格なんて、ない」


「資格ってなんだよ!そんなもの誰かが決めた訳じゃない。絶対なんかじゃない!」


「でも、いけないの」


「綾波が母さんの生まれ変わりだからかい?」


「!...」



「そんなの、関係ないよ。君は綾波だ。綾波レイだ。僕の好きな、綾波レイだ」



 碇君の腕が私を包み込む。力強くて、暖かい碇君。ずっとこのままで居たい。けれど...

 離れようとする私を碇君はしっかりと抱き留めた。


「綾波は、月が好きかい?」


「どうしてそんな事聞くの?」


「僕は月が好きだからさ」


「...嫌い。月は何も産みはしない、ただ奇麗なだけ。なにも出来ない...私みたい」


「奇麗だから、僕達は心和ませられるのさ。僕にとって『月』は綾波なんだ。
 穏やかな光で僕を包み込んでくれる。だから、好きなんだ...レイが」



 碇君の黒い瞳に私の赤い眼が映る。

 唇がゆっくりと小さな言葉を紡ぎ出す。



「いいの?」



 碇君の答えは柔らかいくちづけだった。



 月光は、変わらず私と碇君を穏やかに包みこんでいた。









fin.




Please Mail to 螺旋迷宮 <spiral@mb.infoweb.ne.jp>



mal委員長のコメント:
螺旋迷宮さんの作品は、以前から独特の作風に大ファンの
mal委員長でしたが、なんと投稿いただけるとは!!!!m(__)m
期待にたがわぬ切なく・・そして・・・とてもあたたかい作品ですね・・・
夢幻の雰囲気に酔ってしまいます・・・大好きです(^^)
これからもどうか綾波補完委員会をよろしくお願いしますね!!!

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