壊れたスケッチブック
七瀬由秋
半月前、父が死んだ。
絵に描いたような無愛想な性格だったのをよく覚えている。
いつもいつも、何が面白くないのかぶすっとしていた。
地顔からしていかつい顔だったので、そういう表情をしていると事実よりもさらに陰険な人間に見えたものだ。
だが、いい父親だった。
それだけは間違いない。
十八年間育てられたこの僕が断言しよう。
父はいつも無愛想な顔だったが、いつも僕を見守ってくれていた。
若い頃は国連関係の研究所で働き、退職後はそこの顧問に納まったという父は、僕が物心ついたときには既にして悠々自適の楽隠居の生活をしていた。
楽隠居、といっても日向でのんびり茶をすする類のものではない。
僕には題名からして理解不能な学術書、専門書。データに数式。
そういったものに埋もれながら、時にパソコンに向かって何かの論文を書き、時に何日もかけてたった一つの数式を睨む。
といって、書き上げた論文をどこかに発表するということはなく、曲がりなりにも顧問として名を連ねているはずの研究所に出かけるわけでもなく。
ただただ、研究し、思索することに余生を費やしていた。
あれを老後の趣味というのははばかられる。
あえていうなら――生き甲斐か、生きる意味そのものだったのだろう。
友人らしい人間は数えるほどで、その数えるほどしかいない人たちに対してさえ無愛想で冷淡で、数式の羅列のみを伴侶として生きているような、そんな父だった。
――そんな父だったが、僕の保護者としての責任をおろそかにしたことは、一度たりとてなかった。
食料や衣類、日用品の買い物すらわずらわしがり、必要なものはほとんど近くの店の宅配に任せていたような父が、僕の運動会や授業参観には欠かさず顔を出した。
流行のゲーム機が欲しいとわがままをいったら、翌日にはぴかぴかのゲーム機本体と最新のソフト二十本が玩具屋から届けられた。
いかつい顔に似合わず料理が上手で、三食暖かい手料理を作って僕と同じ食卓につき、洗濯や掃除は気づかないうちに片付けていた。
小学校の頃、僕が高熱を発して寝込んだときなど、五日近くの間つきっきりで看病してくれたものだ。
額の濡れタオルを取り替えてくれるそのいつもと変わらぬ無表情が、あのときはやけに暖かく感じた。
その父が、半月前に死んだ。
死因は癌。
二年前にはすでに告知を受けていたらしい――僕にはそんな気配は微塵も感じさせなかったけど。
三ヶ月前、にわかに倒れて病院に担ぎ込まれ、そのまま病床を離れることなくあっさりと息を引き取った。
遺言も何もない、あの父らしい、素っ気無い最後だった。
僕は涙の一つも流す間もなかった。
入院した時点で、担当のお医者さんからは回復の見込みが薄い旨、それとなく婉曲に告げられていたし――、当の父からはもっと端的に、「もってあと二、三ヶ月」と明言されていたからだ。
そのことを聞かされた後、まる二日間、心にぽっかりと穴が穿たれたように呆然としていたのを記憶している。
そして、自失の二日間が過ぎた後には、僕の中にはある種の覚悟みたいなものができていたのだろう。
容態が激変したとの知らせを受けて病院に駆けつけ、既に物言わぬ骸となった父と対面したとき、僕はついにこの日がきたのか、とやけに落ち着いていた。
その後の数日間のことはあまり記憶にない。
はっきりと覚えているのは、父は意外に知己が多く、人望もあったのだということ――
父の死んだその日のうちに、以前父の元で働いていたという人たち――うち何人かは、数少ない父の友人として僕も見知っていた――が現れ、葬儀や遺産相続の段取りを手際よく整えてくれた。
通夜にも葬儀にも、数え切れないほど多くの人たちが参列し、沈痛な顔で焼香していった。
父のもっとも親しい知己としてよく家に顔を出してくれていた人――加持さんというのだが――は、もしよければ養子にならないか、いや正式に籍は入れなくてもいいから一緒に住まないか、ともいってくれた。
遺産目当てとかいう気配はまったくなく、純粋に好意でいってくれているのはわかっていたが、結局は丁寧に謝絶した。
僕も四ヶ月後には高校を卒業する。
付属の大学の教育学部に進むことはすでに決まっていたし、一人暮しを始めてもいい頃合のはずだった。
さいわい、父は十分な額の遺産を残してくれていたので、学費や生活費に関しても問題はない。
加持さんはいい人だけど、すでに妻も子もある人で、しかもその子供――娘らしい――は中学生だという。
微妙な年頃の娘さんを抱えた幸せな家庭に割り込んで、普通に暮せる自信は、僕にはない。
加持さんもその辺は察してくれていたのだろう。
父の元部下として訪問してくれたときに何度か喋っただけだが、あの人はとても聡明で、好意の押し付けとは無縁のタイプだ。
すまなさそうに、しかしはっきりと養子及び同居の件を断った僕に、むしろ優しい表情でうなずいてから、これだけは必要なことだから――として、成人までの法的な後見人になってくれることを申し出てくれたのである。
困ったことがあれば遠慮なく連絡するように――君に何かあればお父上に申し訳が立たないから、とあえて軽く笑いながらいってくれた言葉にも、誠意を感じさせた。
……本当に、いい人だった。こんないい人を部下にしていたという現役時代の父の姿を、一度でいいから見てみたかった。
本気でそう思った。
加持さんの他にも、葬儀に多くの人たちが参列してくれたことは先にも述べたが、そのうちの何人かが、僕に頼んできたことがある。
こんな時期に頼むのは申し訳ないと思う、落ち着いてからでいいのですが――
と前置きした上で、彼らは口々に、生前の父の研究データや論文があれば是非とも提供して欲しい、むろん相応の報酬は支払います、と頭を下げてきた。
碇氏の頭脳は死してなお世界に必要とされているのです、とも。
……国連の研究所で働いていたというくらいだから、それなりに名のある研究者だったのだろうとは思っていたが、正直父がそこまでの大物だとは知らなかったので、僕はかなり驚いた。
今更ながらに、父は偉大だったのだと再確認する想いだった。
彼らの依頼を、コピーでよければ、との条件付で僕は承諾した。
父が生前何を考え、何を探求していたのか、いずれ自分でも確かめて見たいとは思うが、今の僕では理解できるわけがないし、将来も理解できるとは限らない。
ならば、然るべき知識と設備を備えた人間に渡して、役立ててもらうのが一番だ――世間というものにまるで興味のなかった父が、あの世とやらでそれを聞けば、やっぱり興味なさげに鼻を鳴らすであろうことは間違いなかったが。
ともあれ、初七日もすみ、身辺が落ち着いてきた僕は、依頼を果たすためにも父の遺品の整理を始めていた。
予想はしていたことだが、作業は難航した。
何せ、とにかくも本が多い。
しかも大半は横文字で、さらにその半数以上は英語ですらなかった。
コンピューターのハードディスクも調べて見たが、膨大な量のプログラムやデータが僕の気を遠くさせた。
かてて加えて、ラベルも何もついていないフロッピー、CD、DVDの山。
これらには、表面にマジックで通し番号が書かれているだけで、中に何が入っているかなど見当もつかない。
発表する気もない研究の成果を、順序だてて記録するほどまめな人だとは思っていなかったが、まさかこれほど不精だったとは……。
せめて、何番から何番のフロッピーにはこのデータ、何番のCD−ROMにはこの論文、といったようなリストでもないかと探して見たが、それすらもない。
依頼者にはコピーを渡すとはいってあったが、いっそこのまま一切合財押し付けてやろうか、と考えたのも一度や二度ではなかった。
しかし、父の生涯そのものともいえるそれらの品々を無下に扱う気にはなれない。
とにかく片端からコピーして渡すしかない――僕は覚悟を決めた。
――そうして作業を始めて、三日目の夜だったろうか。
妙なものを、僕は見つけた。
父が研究に使っていた、書斎のデスク。
そのデスクの、唯一鍵がかけられる引き出しの奥に、それはあった。
鍵がどうしても見つからず、バールでこじ開けたそこにあったのは――、
十冊ほどの古ぼけたスケッチブック、だった。
わざわざ鍵のかけられた引出しにしまってあったのだ、よほど大切なものが入っているのだろうと思っていた僕は、あてが外れる以上に意外に思った。
父が日頃何を研究しているか、僕は何も知らなかったが、それは単に僕が聞かなかったからに過ぎない。
聞きさえすれば、父は大概のことは何でも答えてくれた。
自分の研究についても例外ではなく、以前一度だけ、今どんなことを調べているのか、と尋ねて見たら、世間一般の中学生(当時)には異次元語と同レベルの学術的なお話を延々と、まる三時間もかけて講釈してくれたものだ。――以来、僕は父の研究について尋ねることをしなくなったわけだが。
プライベートにせよビジネスにせよ、ただ一つの事柄を除いては秘密などない父だったのである。
自分には知られて困ることなど何もない、と無言で主張するかのような性格だった。
その父が、わざわざ自分のデスクに鍵をかけて、仕舞い込んでいたもの――
それがスケッチブックとは、生涯をかけた研究の集大成たる論文が入っている以上に意外だった。
何気なく一冊手にとって、裏返して見る。
きれいな筆致体で、ネームが書かれていた。
『Shinji Ikari』
……紛れもなく僕の名前である。
まさか、僕が昔使っていたスケッチブックを、息子の思い出として保存しておいたと?
それはそれで、とてつもなく奇妙な話である。
そういう、ほのぼのするような感傷とはまるで無縁な父だったのだから。
それに何より重要なことに――僕はスケッチブックなど買い与えられた記憶はない。
さすがに幼稚園以前の記憶はあやふやなものでしかないが、それ以後の、物心ついてからこれまでの人生では、スケッチブックなどというものとは縁がなく生きてきた。
加えて、もう一つ妙なこと。
かなり古いのだ。
十数年、もしかしたら二十年以上、とにかくそれくらい前に使われていたものだろう。
それほどに古ぼけている。
もし僕のものだったとしたら、それこそ幼稚園以前の乳幼児くらいの頃に買い与えられたものということになる。
あの父が、よちよち歩きの乳幼児の玩具に、スケッチブック?
――絶対ありえない。
相対性理論の専門書を与えられていたといわれた方が、まだ納得できる。
しかし……だったら、誰が使っていたというんだろう?
僕はスケッチブックのネームを眺めて、しばし考え込んでいたが、やがて一つの仮説を思い出した。
そう――僕のものではない、だとしたら、これは……
僕と同じ名前を持っていたという、兄のものだったのではないか、と。
僕には歳の離れた兄がいたらしい。
らしい、というのは、僕が生まれる前にすでに死んでいたからだ。
当然ながら、思い出などあろうはずもない。
兄の名はシンジ。碇シンジ。
僕と同じ名前だ。
ここで一つ告白しておくと、僕は父の実子ではない。
つまりは養子だ。
詳しくは知らないが、実の両親は父の知人だったらしい。
実母は僕を生むと同時に死亡し、実父の方はそれよりさらに前に事故死していたので、一人残された僕が父に引き取られた、というわけである。
だから、父のことは「義父」と呼ぶべきだし、兄ではなく「義兄」というべきなのだろうが――まあ、その辺りは細かいことでしかない。
僕がこのことに気づいたのは、物心ついて間もない頃だった。
誰に教えられたわけでもなく、自然に気づいた。――といって、僕が特別頭がよかったとか、勘が鋭どい子供だったとかいうことではない。
どんな鈍感なガキでも、自分自身と親とが髪・瞳の色、顔立ち諸々がまるで違えば、疑いの一つも抱こうというものである。
そして決定的なことに、父の妻――「母」は、僕が生まれる十年以上前に亡くなっていて、以後父は再婚していない。
……ここまで材料が揃えば、迷う理由なんてありやしない。
真偽のほどを恐る恐る尋ねて見たら、父は薄情なほどあっさりと――当時小学二、三年の子供に対する気遣いなどまるでなく――肯定してのけた。
そしてこういった。
それがどうした、血のつながりがそれほど重要か、と。
……ショックからか安堵からか、とにかく泣き出したのを覚えている。
その後、兄と僕の名前が一緒なことから、僕を引きとって養子にしたのは死んだ実子の替わりにするためだったのか、父が見ているのは僕自身ではなく死んだ兄なのか――等など、まあ思春期の子供らしい悩みにもとらわれたりしたのだが、時がたつうちに悩むこと自体が馬鹿馬鹿しくなった。
あの父の、研究以外に関して無頓着に過ぎる生活を見ていれば、そんな悩みの入る余地などない。
何より――気恥ずかしいのを承知で言えば――父の僕に対する愛情は、偽りのものなどではないことがはっきりと感じられた。
かくして僕自身の素性に関する謎や悩みはすっきり取り除かれたわけだが、どういうわけか父は、その死んだ兄についてだけは、妙によそよそしく、話題にしようとはしなかった。
兄がどんな人間だったのか、どうして死んだのか、何度かはっきりと尋ねて見たこともあるのだが、他のことは何でも話してくれる父が、この件に関する限り口を噤んだ。
――いずれお前にも話すべきときが来る。それまで待て。
いつもそういって、僕の問いかけに答えようとはしなかったのだ。
――結局、父の言うところの「話すべきとき」とやらが来る前に、当の父が冥土に旅立つ結果になったわけだが。
父は写真というものが嫌いな人で、兄についても写真一枚残っておらず、息子の昔の通信簿や作文の類を取っておく人でもなかったので、兄について自力で調べることは不可能に近かった。
加持さんをはじめ、父の昔からの知り合いに尋ねたことも何度かあったが、彼らもやはり「お父さんに訊きなさい」と口を揃えるばかり。
まあ、僕としてもまだ見ぬ兄に憧れるほど感傷的な性格ではなく、好奇心がさほど旺盛というわけでもなく、別に知らなくてもどうということはない、とあきらめかけていたわけだが――
今ここに、目の前に、兄の遺品(多分だが)がある。
日記の類ではないのが残念ではあるが、絵というものもその人の感性を知る手がかりになるだろう。
美術についての知識など、学校で習った以上のものではないのだが、それでも興味深いことには違いない。
僕は心持ち胸を高鳴らせて、スケッチブックを開いた――
それは、奇妙な絵だった。
下手、ということではない。
むろん、本職の画家と比べれば論ずるに足りないレベルではあるが、美術など中学校で習ったきりの僕などよりは――高校では音楽を選択したからだ――かなり上手ではある。
けれど、同じていどに絵を描ける人間など、美術部どころかクラス内を探しても何人か見つかるはずだ。
構図や陰影の付け方に際立った特徴があるわけでもなく、全体としては「趣味としては上出来」といったところ。
奇妙、というのは、絵のモチーフだった。
描かれているのは一人の少女――それはまだいい。
しかし、少女はベッドに寝かされていて、にも関わらずこちらを見ているわけでも眠っているわけでもなかった。
ただただ、何もない宙をぼんやりと眺めている。
背景は白一色。
ベッドと少女以外に何も描かれていないということではなく、窓やカーテン、あと何かごちゃごちゃと描かれているのだが、そのすべてが白かった。
鉛筆で描かれただけの簡単なスケッチだったから、全体的に白くなるのは当然なのだが――、それにしてもやたらと「白」が強調されているように見える。
何より、ベッドのシーツから覗く少女の腕、そこに伸びる何かの「線」、その「線」につながれた細い「棒」か「柱」のようなもの……
少し考えて、僕は気づいた。
これは病室なのだ。
線というのは点滴の管で、棒か柱のように見えたものには点滴のパックが下げられているのだろう。
となると、少女はむろん病人ということになる――どうりで、モデルのわりには生気のない目で描かれているわけだ。
大まかなところを理解すると、戸惑いはむしろ増した。
題名をつけるなら「病室の少女」というところだろうが、どう考えても絵のモチーフには珍しい代物だ。
兄がどういう芸術家気質の持ち主だったかは知らないが、病室ないしは病人に対してインスピレーションをかき立てられる人間だったとでもいうのだろうか。
あるいは――――
モデルとなった少女が余命幾許もない恋人か何かで、生前の姿を絵に遺しておこうと考えたのか。
多少ロマンチストな考え方だが、それなら納得できる。
愛にもいろんな形があるということだろう(自分でいってて気恥ずかしいが)。
兄の人となりの一端に触れることができたような気がして、僕は何となくホっとしながら画用紙のページをめくった。
二枚目の画用紙にも、やはり少女が描かれていた。
ただし、一枚目よりは近くで写生したもので、横たわる少女の上半身だけが大きく描かれている。
だから、一枚目ではよくわからなかった細部も見て取ることが出来る。
着ているパジャマ(寝巻きといった方がしっくり来る)は病院で支給されたものらしい、飾り気のないシンプルなもの。
少女の顔立ちはかなり整ったもので、「趣味としては上出来」のこの絵でも、かなりの美少女であったことがわかる。
ただ――やはり病人らしく、生気がない。
頬は痩せこけ、目は虚ろで焦点が合っていない。
元の顔立ちがいいだけに、かえって生気のなさが際立ってしまっている。
兄は、元気だった頃の彼女の姿を思い起こし、心を痛めながらスケッチを続けていたのかも知れない。
三枚目――
やはり、白い病室のベッドに横たわる少女。
一枚目と似通った絵だが、今度はベッドを斜め横から描いた構図だ。
ベッドの傍にあるごちゃごちゃした四角いものは、医療機器らしい。
四枚目――
これは、少女の横顔のアップ。
横から見た顔だけが大きく描かれた絵だ。
……それだけ、憔悴した虚ろな顔がはっきりと描写されているわけだが。
画力がそれほどではないだけに、かえってダイレクトに――えげつないほどに――、悲惨な有様が伝わってくる。
五枚目――
少女の全身を上から俯瞰した構図。
六枚目――
おそらくは少女の枕元に立って、その顔を見下ろして描いたであろう絵。
七枚目、八枚目……
何枚、何十枚にもわたる絵を眺めつづけるうち、僕は違和感を覚え始めていた。
すべての絵は、一人の少女を描いている。
少女の憔悴と衰弱を克明にスケッチしている。
中には画用紙一枚をまるまる使って、虚ろな「目」だけを大きく描いたものもあった。
画用紙の中の少女はどれ一つとして、描いている当人を正面から見ていない。
その目はどれも虚ろで、何もない誰もいない空間に向けられている。
一冊目も二冊目も。三冊目も四冊目も。五冊目も六冊目も。七冊目も八冊目も。
――すべてにわたって!
画用紙のページを追うごとに、描いた人間の画力は少しずつ上達している。
それに連れて、無残なほど弱り果てた少女の姿も鮮明になっていく。
少しずつ、確実に死の淵に近づいていく姿が見えてしまう。
九冊目のスケッチブックを見終わった時点で、僕は自分が震えていることに気づいた。
画用紙をめくる手はじっとりと汗に濡れている。
目に見えるような気がした。
何も語らず、何も見ず、精神的にはすでに死に、肉体的にも一歩一歩死に近づいていく少女と。
その横に腰掛けて、スケッチブックにペンを走らせる少年の姿が。
彼はきっと、穴が開くほど熱心に少女の顔を見つめて、憑かれたようにペンを走らせつづける。
その顔に浮かぶのは優しいほどの微笑。
出来あがった絵を一枚一枚眺めては、満足げにくすりと笑う。
毎日毎日、肉体的にも精神的にも「壊れた」少女の姿をスケッチすることに、己の生きる意味を見出して。
その感情を何と呼べばいいのか。
憎悪か。愛か。嘲笑か。悲しみか。侮蔑か。愉悦か。自虐か。
――いや、おそらくはそのどれでもない。
そのすべてを含みながら、そのすべてを超越した、狂気ともいうべき――妄執。
人間に備わるあらゆる感情、そのベクトルのすべてを、「彼」は少女へ傾けていたのだ。
視界が回る。
体が揺れる。
世界が揺れる。
世界が狂う。
空は暗いのか。明けているのか。
耳鳴りがする。
誰かが喋っている。
誰かと喋っている。
何かを喋っている。
うるさいなうるさいんだ静かにしてくれ今僕は忙しいんだ静かにしてくれったら!
――ああでも――どうして――世界はこんなに歪んでいて――こんなにも騒がしいのに――
どうして――
この絵は、この絵だけは、この瞼にはっきりと焼きついて来るんだろう――――――――?
――僕は十冊目、最後のスケッチブックを開いた。
このスケッチブックの中の少女は、それまでとは少し違っていた。
いよいよ死が近いのがわかる。
でも、それはまだいい。
僕なんかには関係ない。
問題は――ページを追うごとに、少女のお腹がどんどん膨らんでいっていることだ。
中に何が、詰まっているというのか。
僕は憑かれたように画用紙をめくる。
けれど、絵は唐突に、スケッチブックの半ばほどで途切れ、以後は白紙が続いていた。
構わず、僕はページをめくりつづける。
そして、気づいた。
スケッチブックの最後のページと裏表紙の間に、写真が一枚はさまっていた。
僕はそれをひったくるようにして取り上げる。
色あせたフォトグラフの中で、一人の少年と一人の少女が笑っていた。
少年の顔立ちはどこか僕に似通っている。
少女は――やはり、絵の少女だった。
入院する前なのだろう、溌剌とした勝気な表情がその美貌を彩っている。
けれどそんなことよりも。
少女の髪と瞳の色が。鉛筆書きのスケッチではわからなかったその色が。
僕の目を奪った。
鮮やかな真紅の髪。蒼い瞳。
僕と――「兄」と同じ名を持つこの僕と、同じ色の髪と瞳!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
僕は絶叫した。
喉が枯れても叫び続けた。
この心を捉える得体の知れない何かを吐き出すように叫び続けた。
それは僕の体を生暖かい手で絡め取り、放さない。
真綿で絞め殺すように、僕を包んで離れない。
それでも僕は叫び続けた。
そうすることが、僕が僕であるために必要なことだったから。
絶叫で頭の中を塗りつぶしている間だけは、他の何も考えないでいられたから。
夜はいつの間にか明けていたようだった。
僕は呆然と、窓から差し込む朝の光を眺める。
一晩中絶叫していて喉が痛い。
恐る恐る部屋を見渡すと、そこらに散乱した本の中に、あの古ぼけたスケッチブックはなかった。
ただ、開けっ放しにしていたはずのデスクの引出し、あのスケッチブックがおさめられていた引出しがきっちり閉じられ、壊れた鍵の替わりにガムテープで厳重に封がなされていた。
いつそんなことをしたのかまるで記憶がないが、どうやら僕は無我夢中のまま、あの忌まわしい絵を元いた場所に押し込めたらしい。
……おそらくは、死んだ「父」――碇ゲンドウと同じように。
「父」もきっと、僕と同じようにして、あのスケッチブックを封印した。
そこに込められた妄執に耐え切れず、といって捨てることも出来ず、眼の届くところに封印した。
受け入れることも忘却することも出来ず、ただ怯えて耳を塞いだ。
今の僕と、まるで同じに。
学校に行く気にはとてもなれなかった。
といって、あのスケッチブックがある家に、一日中篭もるのも御免だ。
他に帰るところなどないにせよ、せめて今日一日だけは、あのスケッチブックから、あの「兄」の影から遠ざかりたかった。
あてもなく、ただ街を歩く。
商店街を突っ切り、川を渡る。
気がつくと、公園についていた。
今の第弐新東京では珍しい、多数の森林や池が配された自然公園だ。
しょせんは人の都合で造られたものとはいえ、自然の持つ独特の匂いと、文字通り森閑とした静寂とが、僕の心を少しだけ落ち着かせてくれた。
見上げると、空はどこまでも青く、夏の太陽が輝いている。
――自然は心を潤す、などという主張にはいまだかつて共感したことのない僕だったが、今日ばかりはたしかに癒された。
この自然公園は周囲の住人にも評判がよく、休日にはピクニックに訪れる家族連れも多いという記事を、以前新聞で目にしたことがあったが、なるほど、それも納得できる。
一息ついて、ベンチに腰を下ろす。
周囲を見まわすと、さすがにこの時間帯だけあって、人の姿はまばらだった。
二歳か三歳くらいの子供を連れた母親、散歩中の老人、仕事をさぼって一服中の会社員……
「……っ!!」
そのまばらな人影の中に、スケッチブックを広げて写生しているらしい人間まで見つけてしまって、僕は思わず呻き声を上げた。
……失敗した。
自然はたしかに心を癒してくれたけど、街の喫茶店にでも駆け込んでいれば、あんな――スケッチブックなどというものとは縁のない一日を過ごせていたものを。
そういえば、例の新聞記事には「スケッチブックを片手に訪れる美大生も少なくない」という一文もあったように思う……
「……っ…………くぅ……」
呼吸が苦しい。
胸がしめつけられる。
痺れた頭を両手で抱える。
脳裏に、あの壊れた少女の肖像がオーバーラップする。
乾いた唇。痩せこけた頬。枯れ枝のような腕。虚ろな目。目。目。目。目。
「……大丈夫ですか?」
どれくらい時間がたったのか、ふと声をかけられて顔を上げると、見知らぬ男の人が心配そうに僕を見下ろしていた。
見れば、子供を連れた女の人や、散歩中の爺さん婆さんまでもが、僕を心配そうな目で遠巻きに見ていた。
ベンチに腰掛けたまま、頭を抱えて唸っている高校生の少年に、放っておけないものを感じているらしい。
「救急車、呼びましょうか?」
男の人は親切な声でそういってくれる。
「い、いえ……ちょっと気分が悪くなっただけですから……大丈夫です」
僕は慌てて手を振って答える。
病院に連れていかれたところで意味はない。
身体に、そう、身体の方に問題はないんだから。
それに、学校をさぼってぶらついてるところを救急車で運ばれました、なんて格好が悪すぎる。
「大丈夫ですから」
心配そうにこちらを見ている男の人にもう一度言って、僕はベンチから立ちあがる。
途端、眩暈がした。
足がふらついた。
立っていられない。自分が何をしているのかすら知覚できない。
「っ……」
落ちるように再びベンチに腰を下ろす。
「駄目ですよ、無理しちゃ」
男の人はたしなめるようにいって、
「じっとしてて下さいね。119番して来ますから」
小走りで僕の前から去っていった。多分、公衆電話を探しに行ったんだろう。
僕にはもう、それを止める気力も残っていなかった。
――情けない。自分が情けない。
僕は自嘲混じりに呟いて、これは本当に入院でもした方がいいかな、と考えた。
―――――――――と。
澱んだ視界に、一つのものが飛び込んできた。
僕の足元に置かれた――というより放置された、スケッチブック。
わずかに見覚えがある。
ついさっき、この公園で写生していた人が手にしていたものだ。
そういえば――、あの親切な男性こそが、写生をしていたその人だったように思う。
……皮肉な話ではある。
忌まわしいあの絵を思い出させた当人が、僕の身体を気遣って救急車を呼ぶことになるとは。
むろん、勝手に気分を悪くしたのは僕の方で、あの男の人には何の責任もないことだけど……
「……………」
僕は何とはなしに、スケッチブックに手を伸ばす。
あるいは予感があったのかも知れない。
どんな予感かといわれれば首を傾げるしかないが、とにかく心に予期するところがあった。
表紙を開く。
「………………っっっっ!!!」
僕はかろうじて悲鳴を堪えた。
そこには――
両手で頭を抱えて苦悶する、ついさっきの僕の顔が描かれていた。
くすっ
どこかで誰かが満足げに笑った。
fin
後書き
TTGの小説投稿掲示板に投稿した小説(←掲示板投稿が趣味だった男)。
ラストをどうするかかなり迷いましたが、ある意味オーソドックスな形に落ち着きました。
にしても、私の書くシンジ君はどうしてこうダークに狂ってしまうのか。
作品の幅を広げるためにも、まともで純朴なシンジ君も書きたいんですけどね(笑)。