『新世紀エヴァンゲリオン』〜 longing for different future 〜

〜第2章〜『家族の輪郭』 第10話 『仮面と素顔』



「まいどありぃ」

校舎裏からいかにも『喜んでます』と言った風な少年の声が響いた。
次いで、数人の生徒が校舎裏から様々な表情で立ち去っていく。
喜びの表情を浮かべる者、頬を紅に染めている者、ニヘラ〜とした怪しい表情を浮かべる者、虚空に遠い視線を送っている者――実に様々な表情が窺える。
一様に言えるの、どの生徒の表情も明るく、何か良い事があったのだろうと思われる事だ。
そして生徒達の手には一様に、それぞれ何か紙の様な物が握られていた。
いや、紙ではない。それは写真――有体に言えばブロマイドと言われる物だった。
誰が写っているのかは、無論当人にしか分からない事だが――

その頃、校舎裏でそんな生徒達を送り出したと思われる少年の顔にも、満面ともいえる笑みが浮かんでいた。
少年――言わずと知れたケンスケである。隣にはトウジの姿も窺えた。
校舎裏で行われる事――ケンスケ風に言えば商談だが――は、当然のように写真を売ることであった。
トウジはと言えば、ある種の用心棒として隣にいるのだ。
第3新東京市で疎開が始まっても、家族の都合――大概は両親がネルフに関係する職業に携わっている場合が多いが――で未だに居残っている生徒達もまだまだいた。
そんな生徒達にケンスケは『幸せのおすそわけ』と写真を提供――ケンスケに言わせると、決して販売ではないらしい――しているのだが、そこに集うもの全てが善人とは限らない。
時には暴力に訴えてでも商品――しつこいが、ケンスケに言わせると提供品との事――を無償で手に入れようとする輩も存在した。
その時の対処の為、トウジがいるのだった。無論、報酬は売上の一部とプロマイドである。

「いやいや、今日も平和だねぇ」

ケンスケが幸せそうな声で呟く。
口から漏れるセリフとは裏腹に、その視線は己の手元――紙幣と小銭に向いていた。

「ホンマやのぉ」

トウジはトウジで手元の写真に視線を這わせ、ニタニタと薄笑いを浮かべている。
当時の持つ写真に写っているのは第3新東京市立第壱中学校の制服を纏ったアスカの写真だった。視線が写真の方を向いてい事からも分かるが、明らかに隠し撮り写真だ。

「うーん。やっぱ、惣流ってかわいいよな」

集計が終わったのか、ケンスケがトウジの持つ写真に視線を送りながら呟いた。

「ほんま、ごっつい美人やでぇ。写真が売れるのも無理ないで」

二人の言う惣流――惣流・アスカ・ラングレーがシンジのクラスに転入してきたのはつい3日前の事だ。
アスカは転入と同時に、その実年齢を超えたプロポーションと美貌で、男子生徒達の視線と話題を集めに集めまくった。
今回はアスカとの接点が無く、本性を知らない二人も他の生徒と違いは無かった。
アスカを語る二人の顔はニヤケにニヤケまくっていた。

「せやけど、なんで今頃転校してくんのや?」

不意にトウジの頭に?マークがいくつも浮かぶ。
そんなトウジにケンスケはチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を揺すると、何かを想像するかのような遠い瞳で語る。

「分ってないな、トウジは・・・。何か訳があるんだよ......他人にいえないような......深く、そして悲しい何かがさ」

「......せやな......ま、何にしても...」

トウジは芝居がかったケンスケの所作と瞳を見て、何を理解しているのか神妙な表情で頷く。が、不意に二人の顔が破顔する。次いで声を揃えて叫んだ。

「「同じクラスでよかったーーー」」

――知らないという事はある意味幸せなのだろう。



シンジは自席からアスカを見ていた。
その容姿、人当たりの良さ、アスカはすでに校内一の美女を拝命している。
当然クラスでも人気者で、アスカの周りは常に人で溢れていた。
そして、やはりと言うか、洞木ヒカリとは親友になっていた。
それとは対照的にシンジは相変わらず一人だった。
一人が寂しいわけではない。
好んで一人で居るわけでもない。
転校時当初ほどではないにしても、今でもシンジは他人との接点が少ない。
既に、以前の絶望を伴う虚無感は薄れている。
では何故か?
考える事がいっぱいで、人付き合いに気を回している余裕が無い事も否めない。が、一番の理由はシンジ自身の変化のせいだった。
話しかけられれば受け答えもするし、笑いもする。だが、その笑う時の表情――笑顔が他人との距離を置く。
シンジ独特の笑顔――アスカのように異性からの好意を独占するわけではない。ゼロではないがそれが全てでもない。
確かに中性的な容姿を持つシンジが浮かべる儚さを伴う笑顔は、女性の母性本能を擽る。 だが、同時に触れてはいけないモノであるイメージも相手に与えるのだ。
女生徒は以前と別の意味で気軽に接する事が出来ず、男子生徒は以前とは正反対に強い敵愾心を燃やす。結果、他人との接点は薄いまま――現在の環境が出来てしまったのだ。
他人と付き合う事が人並み以上に下手で、なおかつ、考える事が多いシンジにとって、一人で居ることは別に苦痛ではない。
シンジは視線をアスカに置いたまま自らの思考へとダイブする。

もう、この先どうなるか見当がつかない。
これまでとは明らかに違うんだ.....。
それに、あの人の言葉......。
僕に...何が足りないんだろう......。

最近は一人で思考に費やす時間が頓に多くなった。
考える事ならいくらでもあるのだ。
とは言っても常に考え続ける事など人間に出来るはずがない。
そんな時、シンジはレイかアスカを眺めるのだった。
アスカは誰とでも楽しそうに話をする。今もヒカリと他の女生徒二人を交え、お喋りをしている。そして楽しそうに笑う。
アスカの笑顔――たとえ、それが表面だけの事と分かっていても、アスカが楽しそうに笑うのは、見ていてうれしいものだった。
反面、もっと自分を見せればいい――とも思っていた。
シンジはレイに視線を移した。
レイは自席で一人読書を勤しんでいた。
レイは読書を好む。だが、稀にクラスの女生徒と話をしている事もある。
それはシンジに驚きを与えると同時に、他人との接点を持つレイを見て、優しい気持ちにさせた。
レイにもアスカにも幸せになって欲しい。
過去の二人を見続けてきたシンジは切にそう思うのだった。



薄暗い研究室にキーボードを弾く音が響いていた。
一台のPCの前に白衣を着た女性が座っている。
リツコのメガネがモニターの光を反射して煌く。
特に目が悪いわけではないが、リツコはPCの操作を行うときにだけ眼鏡をかけていた。
眼鏡に光を送っているモニターには、ガギエルが弐号機と戦っているシーンが映しだされていた。隣のモニターには何かグラフのようなものが映し出されている。
先の戦闘データをリツコが処理しているのだ。
不意に、何者かに後ろから抱きしめられる。

「少しやせたかな...」

加持は言うなり、憂いを帯びた笑顔を見せる。

「そう...」

急に抱きしめられ、瞬間驚きの表情を浮かべるも、直ぐに声を聞いて誰だか気付いたように落ち着きを取り戻す。

「悲しい恋をしているからだ......」

「...どうして...そんなことが分かるの......」

「それはね...涙の通り道にホクロがある女性は、一生泣き続ける運命にあるからだよ。 それを運命付けられた女性はいつも真実の愛には気付かない...」

甘く、そして優しい声音で言葉を紡ぐ。

「...これから口説くつもり?」

リツコが妖しくも色っぽい笑みと声音で言葉を返す。

「...どうかな」

加持が熱い眼差しで見つめる。
それを受け、リツコが艶かしい視線を返す。
視線と視線が合わさる――
そして、リツコはクスリと笑うと言葉を続ける。

「でも...ダメよ」

「...何故だい」

「そこの窓からこわーいお姉さんが覗いているもの」

「そうかい...」

気にした様子も無く加持がリツコを見つめる

「そうよ...」

リツコも言葉とは裏腹に加持を見つめ続けた。
そして二人は、窓に額を貼り付けて覗き込んで――睨んでいる女性に視線を集める。
鼻息も荒くミサトが扉に移動していく。

「お久しぶりね、加持君」

「や、しばらく」

肩を抱いていた腕を放すと、すでにいつもの二人に戻っていた。
冷静なリツコと軽い感じを与える加持に――たとえ、それが表面的なもので過去を表すものであっても、3人の関係は変わりなく、また滞りなく続いていた。

「でも、加持君もうかつね」

それとも...計画的かしら......

「コイツのバカは相変わらずなのよ!!」

言葉と共に扉が開かれ、ミサトが室内に入ってくる。
途端に空気が澱んだ気がしたのはリツコの思い違いだろうか――

「アンタ弐号機の引き渡し済んだのなら、さっさと帰りなさいよ」

「そいつは残念だ。俺は葛城ともっと長く一緒に居たいんだがね」

加持がワザとらしく肩を竦めて見せる。

「な、何言ってんのよ! さっさと帰れ!!」

「おいおい、そう邪険にするなよ。実は今朝辞令が届いてね、こっちに当分居続けさ...これでまた3人で連めるな...昔みたいに」

そう言うと、軽くミサトにウインクを投げかける。
ミサトの肩がワナワナと震える。

「だ、誰がアンタなんかと!!」

なおも言葉を続けようとするミサトを封じるかのように、突如、敵襲を告げる警報が鳴り響いた。

「なっ、敵襲!? まさか...使徒!?」

ミサトの驚きの叫びが室内に響いた。そして、走って駆け出していく。
対して、それを落ち着いた様子で眺めていた二人が互いに顔を見合わせた。
しかし、二人の瞳は笑っていない――

「......もう...司令とは会ったの」

「いや......これからさ」

「何故...私の所へ?」

「......何故かな」

加持が薄く微笑んだ。



「先の戦闘において第3新東京市は大きなダメージを受け、現在までの復旧率は26%。稼働率は0と言っていいわ。したがって今回は、上陸直前の目標を水際で一気に叩く。初号機ならびに弐号機は、交互に目標に対し波状攻撃、近接戦闘で行くわよ」

『『了解』』

特殊輸送ヘリからのミサトの指示に二人から返事が返ってくる。
現在、二体のエヴァはウィングキャリアーで戦闘区域に輸送されていた。
レイの零号機は修復後の最終調整の為、本部での待機となり、初号機、弐号機での迎撃となったのだ。 
モニターには本部発令所が映し出されている。
レイの姿も見える。いつもの無表情ではあったが、どこか焦りも窺える。

「レイ...。二人ともだいじょうぶだから、安心しなさい」

ミサトは心配そうなレイに優しく声をかけた。
レイがコクンと頷くのを確認すると視線を発令所内の一段高い場所――司令塔に向ける。
現在発令所にゲンドウの姿はない。今の本部の最高責任者は冬月である。
ミサトはモニターに映る冬月に視線を送る。
冬月が頷くのが見て取れた。
戦闘区域上空にヘリは近づいている。

「投下、準備!!」

ミサトの凛とした声がヘリに響いた。



「なんで私一人に任せてくれないのかしら...二人がかりなんて趣味じゃない」

『私たちに手段を選んでいる余裕なんてないのよ』

アスカはモニターから聞こえてくるミサトの声に一瞬顔を曇らせるが、直ぐに強気の表情に戻るとシンジに断言する。

「サードチルドレン。くれぐれも私の足だけは引っ張らないでよね」

『......わかった』

「へー聞き分け良いじゃない。今後もそうあって欲しいわね」

シンジの返事に上機嫌のアスカは来る戦闘に意欲を燃やしていた。

「日本のデビュー戦よ......行くわよ、アスカ!」

アスカの呟きと同時にウィングキャリアーからエヴァが切り離され投下される。
第7使徒イスラフェルとの戦闘が始まる。



初号機のシンクロ率は以前より安定していた。
数値も安定域でキープできている。これは一重に戦闘への意思があるためだ。
過去を経験しているシンジにとって、アスカをも凌ぐ高いシンクロ率を叩き出すのは難しいことではない――難しくないはずだった。
が今生は違う。今迄と同じようにエヴァと心を通わせようとしているのだが、エヴァは思うように動いてくれない。

全ては僕自身の意思によるところ――心の問題なのだろうか?
だが、戦闘は始まっている。 今は出来る事をやるしかない。

シンジにとってはミサトの使徒迎撃方法に依存は無い。今回重要なのは『アスカを何とか無事に退却させなければいけない』と言う事、それに尽きた。
過去を知っているシンジはアスカだけでは使徒が殲滅できないことを知っている。
どうやって無事にアスカを退かせるかが問題だった。
今の――来日した当初のアスカにシンジの言葉は届かない。それは過去の経験で分かっている事――過去では死ぬようなことは無かったが、今生はどうだろうか。
使徒の攻撃パターンも結果も変わってきている――安心は出来ない。
時間は止まってくれない。考える時間はあまり残されていない。
アスカの行動もどう変化するかわからない。

考えろ...考えるんだ。
必ず答えはあるはずだ。

シンジは無力な自分に激をとばした。



「じゃ、アタシから行くから。しっかり援護しなさいよ!」

叫ぶなり、アスカがイスラフェルに向かって赤い巨人を走らせる。
シンジはアスカを追うように初号機を走らせつつ援護射撃を行う。
弾幕が使徒の動きを封じる――

「行ける!」

アスカが三足飛びにイスラフェルの上方に飛び上がる。 

「くらえぇぇぇぇぇ!!」

落下の勢いを加えた相乗効果のソニックグレイヴがイスラフェルを真っ二つにする。
縦に二つに裂かれたイスラフェルの身体が左右それぞれ海に沈んだ。
アスカの顔に笑みが浮かぶ。

『ナイス!アスカ!』

ミサトの顔にも笑みが浮かんでいた。

「どう、サードチルドレン。戦いは常に無駄なく美しくよ」

余裕を見せるアスカだったが、シンジの動きは終わっていなかった。
アスカの弐号機に向け全力で走りよっている。

『アスカ......まだだ! まだ終わっていない!』

シンジが叫ぶ。

「えっ!?」

アスカが使徒を振り向くのと、水中から2体に分離したイスラフェルが起き上がるのは同じタイミングだった。
二つのイスラフェルの表面に光が収束していく。
アスカの思考に『死』の一文字が浮かぶ。 
訪れる災厄を避けるべく身体を動かそうと脳が命令を発するが、突然の恐怖で強張った身体は思うように動いてくれない。
弐号機に向け、2対の使徒から光線が発射される。

――避けられない!

ギュッと両瞼を閉じ、襲い来る死に恐怖する。

「!!」

弐号機の機体が強烈な振動で真横に吹き飛ばされた。

『ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ......』

次いで轟く悲鳴。
瞬間、瞳を開いたアスカの目に胸部装甲板に2つの穴が穿かれた初号機の姿が映った。
崩れ落ちる初号機。
アスカは何が起こったのか理解できず混乱した。



本部発令所で状況を観ていたレイの顔に驚愕の表情が浮かぶ。
初号機が弐号機を突き飛ばし、同時に使徒の光線が初号機を貫いたのだ。
足がガクガクしてくるのをレイは感じていた。
隣でそんなレイを冷静な目でリツコが見つめていた。

「いかん!!」

冬月の口調から焦りが窺える。が、発令所からではどうする事も出来ない。
大人たちも現状に対処できず固まっていた。



いち早く自分を取り戻したのは、やはりヘリ上のミサトだった。

「アスカ、初号機を連れて撤退! 急いで!」

ミサトの叫びに金縛りから解けたようにアスカは動き始めた。
初号機を腰に抱えるとそのまま退却を始める。

「迎撃ミサイル、発射」

ミサトの指示で援護射撃が始まり、辛くも撤退する2体の巨人。
この後、戦自に指揮権を譲渡、N2爆弾によりイスラフェルの動きを止める事に辛うじて成功したのだった。



使徒迎撃が行われていた同刻――司令室に二人の人影が有った。

「すでにここまで復元されています......硬化ベークライトで固めてありますが...生きています...間違いなく」

加持の声が暗い室内に響いた。
表情はいつもの軽いものではない――凛々しい仕事をする時の表情だった。

「人類補完計画の要ですね...」

「そうだ。最初の人間......アダムだよ」

ゲンドウがニヤリと笑う。

「だが、なぜ君だけ先に向かわなかったのだ。私はそう指示したはずだが。それに今まで何をしていた」

「いえ、ご存知とは思いますが、ロック解除に時間がかかりまして、施設の方へ一度持ち込んでいました」

「......そうではない。君は何をしていたのか...と聞いている」

「お疑いですか? ご冗談を...全てご存知と思いますが? 保安部員が3人ほど常に監視していたようですが?」

「......ふん、まあいい。だが、くれぐれも余計な詮索はせん事だ」

「......分かっています」

「フッ。これでまた一つ駒が揃った......」

「......」

「ご苦労だった。次の君の任務は......」

「...サードチルドレン...ご子息、碇シンジの調査と......監視ですね」

「そうだ。 例の計画の妨げとなるのであれば......」

室内にゲンドウの重く澱んだ声が響いた。


Please Mail to 葵 薫
( aokao_sec@yahoo.co.jp )

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