買い込んだ食材の重さ。
かさかさと音をたてるスーパーの袋。
夕暮れ時の街の活気。
こころもち、のんびりと歩いてみる。
少し遠回りだけど、大通りは避けて、住宅が並ぶ横道を行く。
台所から流れてくる焼き魚の匂い、包丁の音。
そして、最後の路地を曲がると、姿を現すコンフォート17。
 

シンジはこの一時を気に入っていた。
学校の帰り道。
寄り道する日も、しない日も、スーパーには必ず寄っていく。
こうして買い物袋を下げて歩いていると、それだけで、
なんとなく、少しだけ、この街に馴染めた気がしてきた。
 

今日は少し遅くなってしまったけど、晩ご飯には間に合うだろう。
 

ちらほらと街灯が灯り始めていた。
火灯し頃。
すっかりと深まった秋の外気を吸い込みながら、シンジは歩いていた。
 
 
 

「今日はホンマ助かったわ。おおきに」

病院を出るなり、トウジはそう言って穏やかに笑ってみせた。
心からの安堵がにじみ出た、そんな笑い方。
長らく待った妹の退院を明日に控えて、今日が最後のお見舞いだった。

退院を待ちきれない様子の少女。
元気な声でお礼を言われるのはあまりにもくすぐったかったけど、
仲良く騒ぐ兄妹の姿がシンジの目に心地よく映った。
 
 

兄妹って、みんなあんな感じなんだろうか?

、、、、、、そもそも、兄妹ってなんなんだろう、、、、、、、。
 
 

兄妹の定義も、家族の定義も、シンジにとっては判然としないものだった。
血、時間、知識、愛情、、、、、、。
何かを決めつける事、何かを信じる事、意見を持つ事。
それら全てはシンジが避けて通ってきた道だった。
周囲との摩擦を避ける為に。

それでも、今は何故か考えることを止めれないでいた。
どんどんと回り始める心。
レイの面影がいつもシンジの胸の内を漂っていた。
 

、、、、、最近、、、ほんの少しくらいは綾波の事を解ってきた、、、、かもしれない。
 

肉類があまり好きじゃない事。
秋の果物では梨が気に入ったらしい事。
たまに甘い物をだすと、微かに(本当に微かに)嬉しそうな顔をする事。
パスタはにんにくを少し多めに入れたのが好きらしい事。

あるいは、、、

体育の授業がある日はコンタクトをしていく事。
どちらかというと眼鏡を好んで使っているらしい事。
月曜と木曜は朝がとても早い事。
それは、クラスの飼育当番の仕事のせいらしい事。
 

いずれも表面的な細々とした事。
それでも、そこを取っ掛かりにしていく以外、シンジには方法が無かった。
少し、彼女の事を知る度に、少し、なにかに近づけたような気がした。
 
 

シンジは最後の角を曲がった。
なだらかな丘の上に建つマンション。
ゆっくりと坂を上りながら、マンションを見上げつつ、
1102号室を見つけだす事がシンジの新しい日課だった。
 
 
 

、、、、、明かりが、点いてる、、、、、
 
 
 

それだけで、なんだか、とても嬉しくなる。
 

それはまるで使い古されたコピーみたいだったけれども、
シンジにとっては真実だった。
それがどんなにありふれたモノであったとしても、
シンジにとって家の明かりはファンタジーの象徴だったから。
 
 

昔、見た夢。
閉じられた扉の向こう側。
それは幻想世界なのだと、ずっと、そう思ってきたから、、、、。
 
 
 
 
 
 


She`s so lovely

第五話



 
 
 
 
 
 

「あーあ、ついてないよ、、、、、、、、
まったく、、、モゲティに目ーつけられちゃー、お終いだよ、、、、、、」

「もとはと言えばオマエのせいやろが。
ついてないのはワシの方や。
なにが悲しゅーて朝も早よからライン引きせにゃならんのや。
結局、何も見れへんかったし、とんだ骨折り損やわ、、、、、、」

「よく言うよ、のりのりでシンジが止めるのも聞かなかったくせして、、、、、」

「まあまあ二人とも、いい加減機嫌直してよ。その日は僕も手伝うからさ。
それよりも、早く着替えないとパン売り切れちゃうよ」

昼休みの廊下を、シンジ、トウジ、ケンスケの三人は更衣室へ向かって歩いていた。
どこか落ち込んだ様子のトウジとケンスケ。
体育教師に罰当番を言いつけられた事を延々と愚痴る二人を、シンジはなだめていた。
 

「こりゃ、今日はあんぱんかクリームパン確定だな」

「せやなー。まあ、これだけ出遅れたらしゃーないな。
どや、かわりに放課後にでも、東陳軒の肉まん買いに行かへんか?
今週から、又、売り出したらしいで」

「おっ、そりゃいいね。
シンジも行くだろ。うまいんだ、そこの肉まん」

「う、うん。行くよ」

肉まんとはどんな食べ物か想像しながら、シンジは答えた。

「しかしセンセ、ホンマに手伝ーてくれるんか?
朝早いし、めっちゃ大変やで、ライン引き」

「ん〜、月曜でしょ?
月曜は妹が飼育委員会の当番で早いから、どのみち早起きなんだ」

「そりゃ助かるよ。二人と三人じゃえらい違いだからなー」

「ううぅ。センセはええ奴じゃのー」

そう言うと、トウジは左手で目をこすった。

「え?
そ、そんなんじゃないんだ、、、、、、、。
ただ、僕だけ怒られなかったから、なんだか悪くてさ、、、、」

二人が体育教師に怒鳴られているのを見た時、
何とも言い難い感情が胸の内をよぎった事を、シンジは思い返した。

「まあ、シンジは千五百のタイム計ってたんだし、
もともと反対してたんだしさ、別に気にすることないよ。
、、、、、、、、、、それよりも、女に興味ない事の方が問題だね」

ケンスケが笑い顔を浮かべながら、にやけて言った。

「そ、そんな、きょ、興味ないわけじゃないよ、、、、、、、」

「なんや、そしたらむっつりかー。むっつりはいかんでー」

ケンスケとまったく同じ笑い顔を浮かべたトウジが言った。

シンジにはむっつりの意味がはっきりとは解らなかったが、
それでも何となくニュアンスだけは伝わってきた。

「べ、別に、隠してるとか、そういうんじゃないけど、、、、、、。
でも、体育館でバスケットしてるところ覗いても、しょーがないんじゃないかな?」

「これだからなー。
やっぱりお子様なシンジには初歩から教えないと駄目かな」

「い、いや。ワシも体育館バスケにはちょっとついていけへんけどな、、、、、」

「な、なにー。よく言うよ、めちゃくちゃ嬉しそうについて来たくせしてさ」

「あ、あれはやなー、、、、、、、、、、、」
 

またもや言い合いを始める二人を見やりながら、シンジは苦笑を浮かべた。
さっきまであんなに落ち込んでいたのに、
もはやそんな空気はどこかに消し飛んでいってしまっていた。

ケンスケとトウジの掛け合いを見ていると、気が合うってこういう事なのかな、という思いがした。
一本気なトウジを気配りの上手いケンスケがフォローしているかと思えば、
逆に、どこかドライで他人と距離を保ちがちなケンスケを、トウジがさりげなく取りなしていたりもする。
 

同い年の男の子とのなにげない会話。
クラスこそ二人とは違ったけれども、
それでも休み時間には三人でふざけあいながらいろいろと話した。

シンジの知らない遊び。
シンジの知らない食べ物。
そして、女の子の話。

そのどれもが、シンジにはとても新鮮で、心ときめく光を放っていた。
 

僕たちもう友達なのかな?、、、、、、、
 

友達と他人との境界線はどんなに目を凝らしても見えなかった。
制服の襟章にも、生徒手帳にも、そんなものは引かれていなかったから。
 
 

でも、肩書きなんてどうでもいいのかもしれない。

トウジもケンスケも、わけの分からない悲しみや、目のくらむような絶望や、
震えるような孤独や、やるせない無力感を抱えているのかもしれない。
冗談の端々に、所作の所々に、瞳の影に、時折そんなイメージをのぞかせるから。

、、、、、そして、二人とも自分なりに葛藤しているのだろう。

ふと心が響き合うような、、、、、、、
お互いの心のおかしみや、哀切が自然と話し始めるような、、、、、
 

今まで、誰も僕に心を開こうとしなかったのは当たり前の事だったのかもしれない。
だって、ある意味、僕は死んでいたから。
だからみんなも死んでいた。

、、、、、、、世界が死んでいたから。
 
 

ふざけあう二人のやや前を、ゆっくりと歩くシンジ。
更衣室の手前の渡り廊下に差し掛かったシンジは、ふと中庭にある木造の小屋を見やった。
目を疑いたくなるような、そんな時代遅れの建物。
何に使われているかは分からないけれども、トウジとケンスケに引き合わせてくれた場所だった。
その小屋の前に、一人の女生徒が立っていた。
小屋の扉を開けようとしているらしく、なにやら手を動かしているのが見て取れた。

その後ろ姿。
特徴的な髪、眩しいような白い肌。
たとえどれだけ離れていようとも、直ぐに彼女だと分かった、、、、、、。
 

ふとした拍子に、こうして校舎の中ですれ違ったりする瞬間を、シンジは大切にしていた。
外で見る彼女はどこかいつもと違って見えて、
少しだけ張りつめたような表情から何故だか目が離せなくなった。
 

「なんや、何か見えるんか?」

「そうか、シンジは中庭バレー派だったか、、、意外と古風だなー、、、、、」

小突き合いながら歩いていた二人が、シンジに追いつくなり、
シンジにドンケツをくらわせながら話しかけてきた。

返事さえ発せずに、食い入るように何かを見つめるシンジ。
やがて二人にも、シンジが一人の少女に目を奪われているのが分かった。

「おっ、なんやセンセ。それならそう言うてくれたらよかったやんか。
どーりでクラスの女共には興味を示さんわけやなー」

頭を何度も肯かせながら、トウジが言った。

「んー、シンジもいきなり一年のマドンナに目をつけるとはあなどれん、、、、、
しかし、相手は手強いぞー、なんせ難攻不落の鉄面皮女だからなー」

大げさに渋い面構えをしながら、ケンスケが言った。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

「まあ、そう照れんでもいいがな。
ここはワシら二人に任せとき。壱中の縁結びコンビにな」

「そうそう。
それに、あの子の写真もストックに沢山あるぜ。なんせ一年じゃ一番の稼ぎ頭だからね」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

一向に反応を見せないシンジに、二人は続けて言った。

「確かにライバルは多そうやな。
なんや知らんけど、二、三年にもごっついもてとるようやしのー。
ま、ワシにはあんな可愛げのない女のどこがいいのか分からんけどな、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

二人に背を向けたまま、シンジは一度空咳をした。

「、、、、、、、、、、、んーーー、なかなか厳しいなシンジは。
解ったよ。俺も男だ、友達価格とは言わん、ただで分けてやるさ」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

黙って立っていたシンジの肩が微かに震え始めていた。

「そないに緊張せんでも大丈夫や。男なら見事撃沈されてこいや」

「そうそう、眼鏡バージョンは通常二割増しなんだけど、これも涙をのんで譲ってやるから」

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」

そこでようやく、ゆっくりと振り向いたシンジの顔はそれこそ鉄面皮だった。
更に、目がすわっていた。

「ど、どないしたんやセンセ。そないな目ーして。
ちょっとからかっただけやがな、そんなごっつー怒らんでも、、、、」

「そ、そうだよシンジ。ちょっとした冗談ってやつだよ。
ジャパニーズジョーク、ジャパニーズジョーク。
、、、、、、、、、、、よ、よし秘蔵の授業中居眠り写真もつけよう。
これはすごく大変だったんだぜ。写真部の後輩にバイト代払ってまで撮らせたヤツだからな、、、、」

いつもとあまりにも様子が違うシンジに、二人は慌てて釈明した。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、僕の妹の話したよね、、、、、、」

ひどく抑揚の欠けた声でシンジが言った。

「、、、、、、、、、、?、、、、、、おお、確か一年にいる、言うてたな、、、、、」

「、、、、、、、、、、え、、、って、、、、、、そ、そうなのか?、、、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、うん。、、、、僕の妹、、なんだけど、、、、」


「、、、、、、、、、、、、、、す、すまんかった。知らんかったんや」

「そ、そういえばシンジに似てるよ、うん。、、、、、兄妹揃って格好いいからなー、あははは」

慌てて頭を下げるトウジと、ぎこちない愛想を言うケンスケ。
二人を見つめながら、シンジは静かに一言だけ口にした。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、ネガ、、、、、、、、」

「シンジ!
そ、それだけは勘弁してくれ。もう、撮らないよ。撮らないから、、、、、」

「そ、そうや、そんな殺生な。
これからワシらはどうやって暮らしたらええんや、、、、、、」

「、、、、、、、、、、、、、、二度、言わせないで、、、、」

そう言い放って、ゆっくりと更衣室に入っていくシンジを見送りながら、
トウジとケンスケはがっくりと肩を落とした。

「、、、、、、、ワシはそないな冷たい子に育てた覚えはないで、、、、、」

「、、、、、、、ネガ、、、、、200枚全部、、、、だろうな、やっぱり、、、、、、」
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

「、、、、、、、、、、、、、、、やはり。
この地域に副反応を起こした患者がかたまっています、、、、」

「、、、、その他の国と地域に比べて、、、二十五倍近い数値になりますね、、、、、」

暗くした会議室の中。
モニターにプロジェクトされた地図とデータグラフを見ながら、沈痛な口調で交わされる言葉。
直後、ゆっくりと室内の光量が増やされ、次第に明るくなっていった。
照らし出された会議室の楕円形テーブル。
その席につく誰もが視線を落としているのを、ミサトは見て取った。

無理もないとミサトは思った。

「前回の第一次調査報告とほぼ同じ結果。これでほぼ間違いないですね」

プロジェクターを操作していた日向が機械を停止させ、テーブルの席につくなり言った。
やはりその表情は冴えなかった。

「、、、、このままでは民間に情報が漏れるのも時間の問題、、、、、
、、、もし漏れてしまったら、、、、、大変な事になりかねませんね、、、、、」

「ええ。もはや看過できない所まできているわ。
ネルフの威信に懸けて原因を調査、解明しなければ」

リツコが落ち着いた声で答えた。
さすがにあからさまには表さないが、
会議室にいるほとんど全員の意識がリツコに集まっているのをミサトは感じ取った。
その痛いような注目の席上で、ぴくりとも表情を動かさないリツコ。

初めて会った頃、リツコが時折見せるはにかみ顔が、ミサトは好きだった。
リツコがあの顔を見せなくなったのはいつからだろうかと、ミサトは思い出をめくった。
 

「でも、、、前回の改良以降、世界平均で三分の一にまで下がった数値がどうして、、、、、、」

しきりにメモを取っていたマヤがようやく顔を上げると、
途方に暮れた表情でリツコに問いかけた。

「現段階では何とも言えないわ。
サンプルの到着が二日後。全検査完了までに更に数週間。
そのデータを見てからでないと、、、、、、、、。
とりあえず六週間後を目処に、ミサトと私が現地調査に向かう予定よ。
既に、本部に出張中の所長から通達があったわ」

まるで顔色を変えずに、淡々と話すリツコ。
目を閉じて聞き入るミサトの顔色はどこか険しかった。

淡々と、いつものように、話すリツコ。
今更ながらにリツコが変わったように思えるのは、
それは、ここしばらくの自分の感情の変化のせいだと、そうミサトは思い至った。

たぎるように燃えていた熱の暑さが、今ではどこか遠くに感じられた。
それは、つまり、尽きることがないと信じていたモノが、それもやはり有限なのだという事を示していた。
自分の存在意義がゆらぐ恐怖。
その恐怖でさえ、どこか朧気で、はっきりとしない。
それが堕落なのか、軟化なのか、それともただの一時的なテンションの低下なのか。
はっきりとしない自分の胸の内を、ミサトは計りかねていた。
 

ふと、ダイニングテーブルに置かれた食器がミサトの頭に浮かんだ。
綺麗に食べられた料理。白いお皿。
、、、、、レイは出された食事を残した事がなかった。
正確に言うと、シンジの作る食事を残した事がなかった。
片面が焦げた目玉焼きも、茹ですぎたパスタも、煮込みの足りないシチューも。
それでいて、出来合のお総菜が並ぶときは、必ずお皿に少し残した。

本当に微笑ましいと、ミサトは思った。
レイはおいしいという感情を知らないと、
そうリツコは言っていたけれども、ミサトはそうは思わなかった。
少なくとも、自分はシンジの料理を残したことがある。
特にシンジが新しいメニューに挑戦する時には。
 

シンジとレイの事を考えると、たゆたうように感情が揺れ動いた。
二人が揺り起こすこの感情を何と呼べばいいか、ミサトには分からなかった。
何故、今、このような時に、二人の事が思い浮かぶのか、それも分からなかった。
、、、、分からない事が、多すぎた。
霞むように、濃い霧に包まれた胸の奥底に辿り着くには、何かが足りなかった。
あるいは全てが、、、、、、、、。
 

「、、、、、、、、が現地に到着するのが二日後。
すぐに現地キャンプ設営を開始する予定です。以上、質問は?」

リツコの声が部屋に響く。

そう、一つだけ確かな事がある、とミサトは思った。
十万人に一人か、百万人に一人か、とにかく自分には助けるべき人が世界のどこかにいる事。
何があろうとも、ここで降りることは出来ない所までミサトは来ていた。

今も残る体の傷が薄れないように、未だに何一つ変えられずにいたから、、、、、、。
、、、、、、、だから、ミサトは会議に戻っていった。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

「ねーーーーむーーーーいーーーー。さーーーーむーーーーいーーーー」

ぼやきつつも、ふらふらと歩くケンスケ。
一方のトウジは無口だったけれども、やはり眠たそうにして歩いていた。
唯一人すっかり意識を覚醒させていたシンジは、二人を先導しつつ通学路を進んでいた。

月曜の早朝。
朝靄をかき分けて行くのはとても気持ちよかった。
さっぱりとしたような清涼な心持ち。
今朝早くに家を出た自分の妹もこんな気持で登校したのだろうかと、シンジは想像を巡らせてみた。

「シンジー。
もう少しゆっくり歩いてくれー」

「ほらほら、もうすぐそこだから。後少し、後少し」

やや遅れ気味の二人を、シンジは振り返り、励ました。
ぼやきつつも足を動かす事で目が醒めてきたのか、
トウジもケンスケも苦笑を浮かべつつ、足取りをしだいに軽くしているようだった。
そんな二人を見て、シンジは普段のペースで歩きはじめた。

早起きがもたらした不思議な高揚感。
一日の始まりがこんなに期待感に満ちていた事は、シンジにとって本当に久しぶりだった。
浮き立つ心を諫めつつ、それでもやはり、
何か良い事が起こりそうな予感に酔いしれながら、シンジは歩いていた。
 
 

「なんや、あれ。誰か焚き火でもしとるんかのー?」

既に開かれていた学校の校門を通るなり、トウジが昇り立つ灰色の煙を指差して言った。
日増しに高くなる青い空に、幾筋もの煙が奇妙な模様をつけていた。
焚き火の意味は知っていても、まだ目にした事がないシンジは何と言ってよいか分からなかった。

「、、、、、、、、、、、、ああ、きっとあそこだろ。
ほら、中庭の飼育小屋の前にさ、山のように落ち葉が掃き集められてただろ。
きっとあれを燃やしてるんだよ、なんせ山が四つくらいになってたからな。
こりゃ丁度良かったよー、ちょっと温まってから始めようぜ」

「せやなー、そうしよか」

急にいつもの調子に戻った二人は、駆け出しそうな勢いで歩きだした。

「中庭の飼育小屋って?そんなのあったっけ?」

今度は逆に二人を追いかけながら、シンジは気になる言葉の意味を尋ねた。

「なんやセンセ、知らんかったんかい。
何度も見とるやろ、中庭にある木造のぼろい、不必要にでかい建物や」

「そうそう。確か、、、、鶏とウサギを飼ってるって話だよ。
毎朝、飼育委員会が中庭に放してやるらしいんだ。
、、、、、、、って、そういやシンジの妹も飼育委員とか言ってなかったっけ」

「、、、、うん。そうらしいんだ。今朝も当番らしくて、僕より早くに家を出たよ」

ここ数週間の間に、自分が知り得た僅かな情報。
こわばる口からようやく紡ぎだされる自分の質問に、ぽつりぽつりと答えを返すレイ。
その断片を繋ぎ合わせて、ようやく知ることができた事。
たとえそれが些細なモノなのだとしても、シンジにとっては、重要な意味を持っていた。
 

「そういや、この前の昼、飼育小屋の前で見かけた、、、、、」

と、そこで、トウジが語尾を不自然に途切らせた。
不思議に思ったシンジが、呆気にとられた顔で何かを見つめるトウジの視線を追った。
一瞬、シンジは何が起きているのか理解出来なかった。
掃き集められた落ち葉を巻き上げながら、逃げまどう動物たち。
甲高い声で鳴きながら迷走する鶏。
震えながらも、のそのそと飛び跳ねるウサギ。
そして、前時代的な木造小屋からは、もうもうと煙がわきたっていた。
あきらかに不自然な量の煙。
舞い落ちる灰と化した落ち葉、、、、、、、、、。

ほどなくして、シンジはようやく事態を悟った。
 

「こ、これって火事なんじゃ、、、、、、、」

ケンスケの呟きを合図に三人は小屋に向かって全速力で駆けだした。
舞い散る火の粉と、吹きつける風。
逃げ去る動物たちと入れ違いに、三人は小屋の前に立った。

何かがはぜる音、わき起こる風、明暗の明滅、異常な量の煙。
もはや、何が起きているのかは明らかだった。

「だ、誰か、中におるんやろか、、、、、、、、、、
おおーーーーーーーーーーーーーーーい、誰かおるんかーーーーーーーーーーーーー」

もの凄い声量で、トウジは呼びかけた。
その返事を待たずに、ケンスケは携帯電話を取り出すと、すばやくダイヤルを押した。

目眩がするほどに圧倒的に自分を支配する何か。
ひどく恐ろしい想像がシンジの脳裏を過ぎった。
 

、、、、、、飼育、、、、、、小屋?
 

次の一瞬、何故か、いつか聞いた、レイが「うん」といった時の声を、シンジは鮮明に思い出した。
その声は、いつだって、シンジの胸の迷路を一瞬で通り抜けて、夢のようにやさしく心に響いた。

もはや、トウジの叫び声も、ケンスケの電話の声も、シンジには届かなかった。
肌に感じる熱も、鼻を刺激する焦げ臭い匂いも、おそろしげな光の揺れも、シンジには届かなかった。
感覚は極限にまで絞り込まれ、言葉で考える事もできずに、シンジは吹き付ける熱風の中に足を踏み出した。

「な、なんや!シ、シンジ、やめんかい!」

シンジを引き寄せようと、トウジが猛然とシンジの肩を掴んだ。

「なに考えとるんや!」

すばやくシンジの真横に回り込んで、トウジは叩きつけるように言い放った。

「、、、、、、、、なさい、、、、、、ら、、、、、、ない、、で、、、、」

トウジの新しい友人はおこりにかかったかのように、
全身をがたがたと震わせながら、なにやらぶつぶつと呟いていた。
シンジの両目は潤みきって、今にも泣きだしそうに見えた。

「、、、、、、、、離して、、、、、離してよ、、、、、、」

その優しげな面立ちからは想像もつかないような力で、シンジは前に進もうとあがき始めた。
体格では遙かに勝るトウジだったが、
全身の力を込めて、どうにかようやくシンジの前進をくい止めた。

「シ、シンジ、中には誰もおらんかもしれんのや。
あいつら逃がしたったのも、きっとオマエの妹や!
だから、大丈夫や、きっとどこかに避難しとるはずや。
い、今、中に入ってったら、、、、、、、どうなるか分かるやろ、、、」

シンジの体を押し返そうと踏ん張りながら、トウジは大声でシンジに話しかけた。
なおもシンジが止まりそうにないのを感じ取って、
トウジはケンスケに助けを求めようと思い立った。
その次の瞬間、小屋の入り口からどっと熱風が吐き出された。
早朝の中庭に鮮やかに照らし出される二人の少年のシルエット。
入り口の正面にいたシンジとトウジはまともに風に吹き付けられた。
突然襲いかかってきた火の息に、トウジはたまらず、地面に叩きつけられた。

「シ、シンジ!」

悲鳴のようなケンスケの叫び声を聞いて、慌てて振り返ったトウジが見たのは、
舞降る火の粉の雨の中、小屋の入り口に足を踏み入れて行く、シンジの背中だった。
 
 
 
 
 

ぽろぽろ、ぽろぽろと、涙がこぼれる。
まるで霧のように真っ白に視界を覆い尽くす煙のせいだろうか。
何故、涙があふれくるのか分からない。
なんだかひどく前が見づらい。

ごめんなさい、、、、

綾波、綾波、と叫ぶ自分の声が、まるで他の人の声のように聞こえる。
やけに騒がしい、火の声のせいだろうか、
どれだけ耳をすませても、聞きたい声が聞こえてこない。
、、、、、、聞きたい声が、聞こえてこないんだ。

お願いだから、、、、
 

どうしても、涙がとまらない。
視界が波打つ。

ごめんなさい、、、、

ごめんなさい、、、、

もう声もでない。
空しく宙を掴む両手。
 

お願いだから、、、、
 
 
 
 
 
 
 
 


 

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