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新世紀エヴァンゲリオン++
第弐拾弐話:何も無い、普通の日
- 2016/08/11(木)
- コンフォート17・レイの部屋
ベランダに面した少し開けられた窓から、白いレースのカーテンをそよがせて朝のさわやかな風が入って来る。
ベッドの上にはタオルケットに包まれスヤスヤと寝息を立てるレイの姿が有る。
カーテンを通して降り注ぐ柔らかな朝日がそのプラチナブルーの髪にカーテンの模様の明暗を投げかけている。
レイの寝相は良い。寝返りも打たないのか、直立不動(寝ているのだから直立とは言わないか)の姿勢でタオルケットも乱れていない。今日は淡い草色のパジャマを着ているようだ。
ピピピピ…ピピピピ…ピピピピ…ピ
目覚ましが鳴り出すが3回とちょっとで止まり、目覚まし時計を両手で持ったレイがムクリと起き上がる。
だが寝起きはあまり良くない様だ。上半身だけ起こした姿勢で目覚まし時計を抱えてぼーっとしている。
そのまま2〜3分はそうしていたろうか、ようやく動き出し、モゾモゾとベッドから脚を下ろす。
「ふぁ………うん…」
可愛らしいあくびと共に両手を上げて伸びをすると、ようやく目が覚めたのか、立ち上がって目覚まし時計を枕元に戻すとふすまを開けて部屋を出て行く。
同刻、アスカ・シンジの両名は、各自の部屋で未だ夢の中である。
シャーーーーー…
浴室にレイがシャワーを浴びる音が響いている。常夏のこの時代、新陳代謝の激しい成長期の彼らには、朝のシャワーは男女問わず不可欠である。
レイの髪は傷み易く肌も敏感なので、シャンプーやボディソープにはそれなりに気を使っている。今使っている物は天然原料100%の新製品で、さっぱりした洗い上りとさり気ない香りが気に入っていた。
それともう一つ、最近のレイのお気に入りはヘチマのスポンジである。先日スーパーで見つけ、シンジの分とお揃いで買ってきたのだ。
朝のシャワーはあまり時間がないので、髪と身体を手早く、だが、くまなく洗い、熱いシャワーで落とす。
最後に冷水に切り替えて身体の火照りを抑えるのも日課だ。
脱衣所で丁寧に身体を拭くとバスタオルで髪を拭きながら自分の部屋へ戻る。
ちなみに、シンジもアスカもまだいない事が分かっているので裸にスリッパを突っかけただけの格好で、隠そうともしない。
レイはドライヤーは使わない。傷み易いから、ということもあるが、短いので自然乾燥に任せてしまっている。
髪を拭き終わると、用意しておいた替えの下着を手早く着ける。
下着はかつて使っていた NERV本部のPX(売店)で売ってるような3枚1000円の安物とは違い、アスカに薦められて買うようになった物で、内側から吸湿し外側へ発散する過程で匂いの成分を分解してしまう複合機能繊維製で、絹のような感触と光沢を持つ高級品である。
専用洗剤に漬け置きして手洗いという、手入れには手間のかかる物であるが、その優しい着け心地はレイも気に入っていた。
何着も替えのある制服を着てソックスを履き、リボンをキュッと絞めると、姿見の前に立って自分の格好を確認する。
右良し、左良し、前後良し。
納得したのか、鏡に向かってちょっと微笑んでみる。
にこり…
以前なら鏡に向かって微笑むなんて考えたこともなかった。だが、いつの頃からか、自然にそうすることができるようになっていた。
鏡に写る自分に向かって微笑んでいるのではない。その向こうのシンジに微笑んでいるのだ。
そして、これも最近はすっかり日課になっている。
チラリと時計を見ると部屋を出てキッチンに立つ。エプロンを着けると冷蔵庫を開け、昨夜のうちに下ごしらえしておいたお弁当用の食材を取り出すのだった。
- その頃、シンジの部屋では…
-
シンジが自分の布団から起き上がろうといていた。
今日はレイが朝食&お弁当担当の日なのでいつもより朝寝坊が出来るのだが、結局目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまったようだ。
シンジはいつもTシャツ&トランクスという格好で寝ている。
以前はブリーフを愛用していたが、保健の授業で『……と言う訳で、現在の日本では男子はブリーフでなく、通気性が良く放熱効果の高いトランクスタイプの下着の着用が望ましい』という内容の話を聞いてからトランクスに切り替えていたのだった。
「ふわぁ〜〜あ」
ひとつ大きくあくびをすると立ち上がって布団の上でTシャツを脱ぎ、トランクスひとつになる。
そして、布団をたたむと腕立て伏せを始める。腕立て伏せの後は腹筋運動。
これはしばらく前からのシンジの日課だった。毎朝こうして一汗かいてからシャワーを浴びるのだ。
「48、49、5〜0!ふぅ!」
2セット目が終わってから、替えのパンツを持って浴室へと向かうのだった。
- その頃、アスカの部屋では…
- 部屋の主はまだベッドの中だ。
アスカはどうも寝相は良くない方らしい。タオルケットはベッドの隅に追いやられ、寝間着代わりのダブダブのTシャツは、はだけて下着が見えてしまっている。とてもアスカファンには見せられない寝姿だ。(いや、それがいいのか?^_^;)
枕元のサイドボードに有ったはずの目覚まし時計はアラームを切られており、ベッドの下に放り出されている。
だが、このままでは寝坊するのではないか?という心配はご無用。
アスカは自前の目覚まし時計を持っている。
くうぅ〜…
なにやら妙な音がする…と思ったら、ガバッ!っとアスカが跳ね起きる。
「はぁ…お腹空いた…」
アスカは寝覚めは良い様だ。
あ、いや、まだ目がしっかり開いていない。ちゃんと見えてるんだかどうだか怪しい目つきのままフラリとベッドから立ち上がり、部屋を出て行く。浴室へと向かうのだろう。
- ダイニングキッチン
- 制服の上にエプロンを着けてまめまめしく朝食の準備を進めるレイの姿は、初々しさと健気さ、そして幼いながらも母性とも言える雰囲気を醸し出していた。
朝食のメニューは焼き魚(アジの一夜干)に大根葉の炒め物、赤出汁にナメコのお味噌汁、それと浅漬けである。
浅漬けは自家製である。と言っても糠床を使う本格的な物ではない。前日の料理の残りの野菜をぶつ切りにして塩揉みし、冷蔵庫で一晩寝かせただけの簡単な物である。
レイがグリルの魚の焼き加減を見ていると、後ろからアスカが姿を現す。
「おあよー」
何とも気怠げなアスカの朝の挨拶。
「おはよう…アスカ。
まだ少し掛かるわ」
手を止めず、背中で答えるレイ。
料理中はレイがアスカの方を見ずに返事をしてもアスカは気にしない。その辺はちゃんとわきまえている。
「りょーかい」
アスカはそう答えると、脱衣所へと消える。
レイは朝食の他にお弁当の準備も平行して進めていた。
炊飯器が炊き上がりのメロディーを鳴らし、レイはお弁当箱にご飯を詰める。
余分な蒸気を飛ばし、熱を冷ますため、そのまましばらく置いておく。
一方で味噌汁の鍋の火を止め、蓋を落とす。
朝食の準備はほぼ整った。
お弁当のおかずを準備していると、新聞を手にしたシンジが入って来た。既に制服を着ている。
「おはよう、レイ」
最近はもう、ふたりっきりの時ならそう呼ぶ事に何の照れも無い。
レイもそう呼ばれた時は必ずそれに応えるように呼び方を変えるようになっていた。
「おはよう…シンジさん。
もう出来るから」
レイが振り向いて微笑む。そろそろ盛付けを始めようとしていたところだったのだ。
「うん、手伝うよ」
シンジはそう言って食器を並べ始める。
「アスカもそろそろ出ると思うから」
「もう出たわ。おはよ、シンジ」
アスカがタオルで長い栗色の髪を拭きながら脱衣所から出て来た。
身体にはバスタオルを巻いている。レイほどではないが白く滑らかな肌が上気して色っぽい。
お風呂でさっぱりしてすっかり目も覚めたようだ。
「おはようアスカ。もう、そんな格好してないで、早く着替えて来てよ」
シンジもいくら慣れたとは言え、レイもいる事だし、そんな姿でうろつかれると目のやり場に困ってしまう。
「ふふ〜ん?ほんとは嬉しいくせに?」
アスカはニヤリと笑うと、ちょっと蠱惑的なポーズを取ってみたりする。
「やめてよ(汗)」
「アスカ、朝食にするから」
「はいはい。ちょっと待っててね」
うろたえるシンジと、少し温度の低いレイの声に、アスカは満足したように片眉を上げると、自分の部屋へと入って行くのだった。
アスカが制服に着替えて戻って来た頃には、既に朝食とお弁当の準備も終わっていた。
それぞれ、テーブルの定位置に着くと、3人揃って朝食の始まりである。
「「「いただきます」」」
「おショーユ取って」
「…はい」
「あ、これ、美味しいね」
「そう?…よかった」
「そう言えば、今日は英語のテストが有るわね。シンジ、ちゃんと勉強した?」
「うん、一応、綾波と一緒に。でも、アスカは出来るからいいよな〜」
「アンタバカぁ?アタシだって努力して今の自分が有るのよ。
アンタ達だって努力しなきゃ」
「う、うん、そうだね(うわ、ヤブヘビだ…)。
でも、そう言えばさ、この前の模試の結果さ…」
朝から嫌な話題になっているが、シンジたちも一応受験生である。
シンジは中堅の進学校である市立第弐高等学校への進学を希望していた。
もっとも、高校に入ってその後どうするか、まだ明確なヴィジョンを持っているわけではないが。
ちなみにレイは『碇くんと一緒がいい』と言って譲らない。
レイの成績ならもっとレベルの高い学校も狙えるのだが、今の所誰の説得も功を奏してはいない。
『ま、レイなら高校なんてどこ行っても同じでしょうね。好きにさせたら?』とはリツコの弁。
確かに、既にレイは特定の分野においては、学士論文どころか修士論文や博士論文を書ける程の知識を持っている。
レイに必要なのは『学校という特殊な集団生活における同世代コミュニケーションの実践と経験の積み上げ』、そして『新たな分野における可能性の模索』であろう。
その意味では、確かにどこの学校に行こうとも大した変わりはないのである。
一方、アスカは既にドイツで大学を出ている以上、義務教育が終われば学校生活に固執する事もなかろうが、実際どうするのかは『秘密よ』と言って公にしていない。
そんなこんなで朝食が終わる。
「「「ごちそうさま」」」
時計を見ると、そろそろ出かける時間だ。
各々、自分の食器を手早く洗うと、アスカとレイは交代で歯を磨き、身繕いする。
シンジも自分の分のお弁当を持って部屋に戻り、歯を磨くと、鞄を持ってドアの前で待つ。
「アスカ、早くしないと遅れるわ」
半身で部屋の中を向いてそう言いながら、レイが鞄を持って出て来る。
朝食の前にほとんど準備を済ませているからということもあるが、レイの身繕いは早い。
アスカはいつもちょっと遅れるのだ。
「レイは、いつも早いね」
「私は…髪、時間かからないし…」
「そっか、アスカは髪が長いから大変なのかな?」
「来たわ…」
「おまたせ」
「じゃ、行こうか」
ドアをロックすると、連れ立ってエレベータへと向かう3人であった。
- 通学路
- 3人並んで学校へと向かう。まだ時間は余裕が有るので、ゆっくりと歩いている。
シンジを挟んで右隣にアスカ、そして左隣に寄り添うようにレイ、といういつものポジションだ。
今日もいい天気だ。太陽は既に刺す様な強い陽射しを投げかけている。
「はぁ、今日も暑くなりそうね。
そう言えば、セカンドインパクト前は今頃は夏休みで1ヶ月以上も休めたって言うじゃない?」
1年中涼しい…と言うか寒い気候のドイツ育ちのアスカは、常夏の気候に未だ馴染めないらしい。
「その頃はまだ四季が有ったからね。
でも、その代わりにその分の休みを分散してるから、
年間のトータルではかえって休日数は増えてるって話だけど?」
「分かってるわよ。ただ、言ってみただけ。
ね、レイ、アンタもお休みは長い方がいいって思うでしょ?」
セカンドインパクト前のヨーロッパ流のロングバケーションに憧れるアスカであった。
「…私は…年に1回の長期休暇よりも、
今くらいの休暇の取り方の方が、合理的だと思う」
「あらそう」
レイは以前よりは喋るようになったとは言え、あいかわらず無口である。3人でいる時は黙って2人の会話を聞いていることが多い。
だが、昔はこのような日常的な会話でレイに意見を求めても「わからない…」という答えが返って来ることが多かったが、最近はちゃんと自分の意見を述べるようになっていた。
「おはよう」
「うーす」
少し先の交差点でヒカリとトウジが合流。
「おはよう」
「おはよう…」
「おはよ!ヒカリ、ねぇねぇ、ヒカリはどう思う?夏休みってさぁ…」
アスカはさっそく先程の話題をヒカリにぶつけている。
そうして学校の近くまで来ると、マナが合流して来た。
「おはよう、シンジ君!みんな!」
「おはよう、マナ」
「おはよう…」
「おはよ!って、なんでシンジだけ名前で呼んで、アタシたちはその他大勢なのよ?!」
「まぁまぁ、細かい事気にしない!ね、私とシンジ君の仲だもんね」
「なんだよそれ(汗)」
「あはは、おっさきー!」
パタパタと駈けて行ってしまうマナであった。
「なんなのよ?今日はまた妙にハイね、あの娘」
「週末…彼氏が来るって言ってた」
「へぇ?ムサシって言ったっけ?マナの彼氏。ちょっと興味あるわね」
「ぼくも名前しか知らないけど、カッコイイって言ってたよ」
「ふ〜ん?少なくともアンタよりはマシでしょうね」
「なんでそうなるんだよ」
「だって、アンタを振ってあっちを取ったって事はさ」
「碇くんが振られた訳じゃないわ」
「はいはい」
そんな会話を繰り広げながら学校へ到着。
- 教室
- 席に着くと電源兼LANケーブルの複合コネクタを机の横から引き出し、鞄から取り出したノートパソコンに繋げる。
それだけで自動的に宿題フォルダに入れてある宿題ファイルが学校側のサーバに吸い上げられ、メールの発信&受信が行われる。この時代、学校からのお知らせなどはほとんどメールで行われている。
ただ、昔ながらのプリント(と言っても再生紙にレーザープリンタで印刷した物であるが)を好む教師もいる為、完全なペーパーレスには至っていない。
また、オンラインになると同時に出席も記録されるが、本人が教室に居る事を確認する為に始業時の点呼を続けている教師もいる。
朝のSHRの後、授業が始まる。
1、2限目は何事も無く終わり、3限目は英語のテストである。
シンジは英語はあまり得意ではなかったが、レイと勉強するようになってから成績が上がって来ており、相乗効果でレイの成績も上がるという好循環になっていた。
アスカは元々ドイツ語の他に英語も話せるのだが、文法はそれほど得意ではなかった。
「会話ができればこんなテストの点数、意味無いわよ」
と言っていたのだが、最近は何故か文法の勉強にも腰を入れているらしく、学年トップレベルの成績を上げるようになっていた。
テストももちろんパソコン上で行なう。テストモードになると、カンニング防止の為にパソコンは他のアプリケーションに切り替えることができなくなる。早めに終わってしまい、一通り見直しをすると、何もする事が無く、手持ちぶさたになってしまう。
そんな時、シンジは前の席に座るレイの後ろ姿を眺めているのが好きだった。
その美しいプラチナブルーの髪。
ほっそりとした白いうなじ。
華奢な撫で肩。
愛しい彼女の姿をぼーっと眺めているだけで、すぐに時間が過ぎてしまう。
レイは以前から時折、授業中に首筋に何かくすぐったいような感覚を感じる時が有った。
言うなれば、レイはATフィールドに触れるシンジの心の触手を感じ取っているのだ。
最初はその感覚が何だか解らなかったが、しばらく前からそれがシンジの視線である事に気付いていた。
そして、今もまた、シンジの視線を感じていた。
(碇くん…また…私を見ている…。
くすぐったいような、不思議な感じ…。
でも…嫌じゃない。
もっと見て欲しい…)
レイも設問は全て解いてしまい手持ちぶさたであったので、そのまま心地好い時間に身を任せてしまうのだった。
そんな二人を横目で観察しているマナの視線には気付かずに…。
- お昼休み
- 木曜日は恒例の「みんなでお弁当会」の日である。
最近は屋上ではなく、木陰のあるプールサイドのベンチに場所を移していた。
シンジとアスカはレイお手製のお弁当。
トウジはいつものようにヒカリお手製のお弁当だ。
マナはいつものパン屋さんのパン。
ケンスケは週に2度はアスカお手製のお弁当を食べられるが、今日はパンだ。
購買の物ではなく、マナのお薦めにより彼女と同じパン屋さんで買っていた。
『いただきまーす』
「おお!こりゃ、今日も美味そうやな」
トウジはお弁当を開けるなり、早速かき込み始める。
「うん、こら、うまいわ」
普通の倍は有りそうなお弁当を見る見るうちに平らげて行く。
そして、そんなトウジを嬉しそうに見つめるヒカリ。
一方、シンジはニコニコしながら一品一品を味わうように箸を進めている。
そんなシンジを嬉しそうに目を細めて眺めつつ、ひと箸ひと箸、ゆっくりと自分のお弁当を口に運ぶレイ。
幸せを絵に描いたらこうなるかという見本のような光景だ。
微笑ましい二組のカップルの図は壱中のお昼休みの名物となっていた。
最初のうちは冷やかす者もいたのだが、最近はそれも馬鹿らしくなったのか、誰もあれこれ言わなくなってしまっていた。
それどころか、彼女お手製のお弁当をカップルで食べる事が密かなブームになりつつあり、また、それを目標に料理の腕を磨く女生徒が(一部男子生徒含む)増えて来ているのも事実であった。
「ところで、なんでアンタ達、同じパン屋さんのパンなのよ」
「え?霧島がさ、美味しいって言うから…」
「あら、アスカ、もしかして、妬いてるの?」
「な、バカ言ってんじゃないわよ!」
「でも、割とイケルぜ、これ。半分食べてみる?」
「…もらっとくわ…もぐもぐ………ま、そこそこね」
「まぁ、アスカはシンジとか綾波の料理に慣れちゃってるからな。
舌が肥えてるのも分かるよ」
「あ〜あ、私もお料理勉強しなくっちゃ。
ね、相田君、私のお料理、食べてくれる?」
「ちょっと、マナ、何ちょっかい出してんのよ!」
「いいじゃない、そのくらい、貸してくれたって」
「人体実験の被験者かよ、オレ(苦笑)」
「あ、ひど〜い!でも、当たってるかも」
「をいをい。自分で言うかよ、フツー(汗)」
「あはは!だってさ、私…」
何故か二人の美少女に挟まれて昼食を取っているケンスケは、今やお昼休みの学校中の嫉妬と羨望の的であった。
ケンスケは以前は隠し撮りなどしていた事もあって女生徒からは忌み嫌われていたものだが、使徒との戦いで疎開が始まった頃にはケンスケもそれを止めていたし、市の写真展で部門賞を取った事が知れ渡ってからは以前とは違った目で見るものも増えていた。
それに、マナは進級と同時に転校して来たのでケンスケに対する先入観は無かったからか、気軽にじゃれあえる仲間となっている。
もっとも、マナがちょっかいを出すのはシンジに対しての方が多いのだが。
「ご馳走様、レイ、美味しかったわよ」
「…ありがとう」
「あ、お茶ちょうだい」
「ええ…」
早くもお弁当を平らげたアスカは、水筒に入れて持って来ていた冷やしたハーブティーを楽しんでいる。
「うん、美味しかった、ご馳走様」
「良かった…」
シンジも食べ終わったようだ。
パンを平らげてお腹が膨れたマナは、お腹の虫が大人しくなった代わりにいたずらの虫が頭を持ち上げる。
「そうそう、綾波さん、昨日ね、私とシンジ君、スイミングクラブだったじゃない?
私、おニューの水着だったんだ〜。
今までのよりちょっとカットがきわどいやつ。
シンジ君の視線が熱くって、も〜恥ずかしくなっちゃうくらい」
「な、何言ってんだよ、マナ。そんなにジロジロ見てないだろ?」
「そう…よかったわね。はい、碇くん、お茶」
「あ、うん、ありがとう」
「あら?綾波さん、シンジ君が他の女の子の水着に見とれてても平気なの?」
「…信じているもの…」
「あ〜あ、ご馳走様。
もう、からかい甲斐が無いったら」
「マナ、アンタも無駄な事するわねぇ…」
「はは…」
苦笑いするシンジであったが、
(実はそうでもないんだよな。
お茶、いつもの半分しか入ってないよ…(汗)。
後で機嫌を取っておかないと…)。
そんな事を考えながらチラリとレイを見る。
隣に座るレイは涼しい顔でお茶を飲んでいた。
一方、レイが誘いに乗って来ないと見て、マナは矛先を変える。
「でも、シンジ君、授業中にあんまりジロジロ綾波さんの事見てちゃダメよ」
「えっ?!」
「シンジ君の熱い視線に、綾波さん困ってたわよ」
「そ、そうなの?」
(そう言えば七夕の時もエレベータで見てたら気付かれちゃったし、
もしかして、視線を感じるって、ホントに有るのかな?)
普通の人間でさえ、敏感な人は他人の視線を感じることがあるのである。ATFを自在に使いこなすレイがそれ以上に敏感に感じ取ることができるのは不思議ではないのだが、そこに思い至らないシンジであった。
シンジがどう反応していいかあたふたしていると、そこにレイの発言が…。
「…困ってはいないわ。
…気持ち、いいから…」
「えっ…」
ドキッとするシンジ。マナも思わず言葉を失ってしまう。
「でも…」
(碇くんを拒絶したくはない…でも…)
いくらそれが心地好いからと言って、普段の授業の時は困る。
自分も授業に集中出来ないし、シンジも集中していないだろう。それは好ましい事ではない。
(だから…ダメ)
「でも?」
「…授業中は、ダメ…」
「ご、ゴメン…」
「帰れば…いくらでも見せてあげるから…」
「ブッ!!ゲホ、ゲホ…ちょっと、何の話よ?」
お茶にむせるアスカ。
他のメンバーも顔を赤くしている。
「??」
キョトンとするレイ。首すじを見せる事に何か不都合が有るのだろうか?と考え込んでしまう。
「あの…嬉しいけど…その、なんて言うか…」
何を想像したのか、顔を赤くしてしどろもどろになってしまうシンジであった。
「さ、そろそろ教室に戻ろうか」
昼休みも終わりに近づき、みんな腰を上げて教室へと歩き始める。
その一番最後を歩くのはシンジとレイ。
シンジは少しゆっくり歩いて前と少し距離を開け、隣を歩くレイを見る。
「あの…」
「なに?」
「ぼくが見てるのは、その、レイだけだから…」
「そう…」
素っ気ない返事であったが、その声の優しい響きと、小さくこぼれる微笑みに安心するシンジであった。
- 午後の授業
- 午後の最後の授業は体育だ。
今日は女子は体育館でバスケ、男子はグラウンドで陸上競技である。
コートは2面、試合の無いチームは見学中であるが、開け放たれたドアのところにたむろっている一団が有る。
グラウンドの男子の競技を観ている連中だ。その中にレイもいた。
シンジには「授業中はダメ」と言いつつ、つい、目でシンジを追ってしまうレイだった。
「綾波さ〜ん?何見てんの?あ、碇君でしょ?」
視線をグラウンドに向けたまま、こくりとうなずくレイ。
「でも、碇君ってカッコいいわよねぇ」
「線は細いけど、意外と男らしい身体つきしてんのよね〜」
「碇君の背中ぁ!碇君のお尻ぃ!碇君のふくらはぎぃ〜!きゃーっ!!」
「………」
(嬉しい様な…他の人には見せたくないような…変な気持ち。
碇くんも…私の事、そう思うのだろうか?)
ついそんな事を考えてしまうレイだった。
「でもさ、綾波さんだったら、見たこと有るんじゃないの?碇君の、は・だ・か」
「ええ、何度か…」
考え事をしていた為、つい口を滑らせてしまうレイ。
「え〜っ?!ホントにぃ?!」
「きゃぁぁ〜っ!!!」
困惑するレイを中心に黄色い歓声が上がる。
「なんや、女どもが姦しいのう」
偽足では激しい運動は無理な為見学していたトウジは、訝しげに体育館の方を見やるのであった。
- 下校
- 今日も無事授業が終わり、放課となる。
「ほな、また明日〜」
「バイバーイ」
「じゃぁね〜」
「また明日」
帰宅路の途中で一人また一人と別れ、シンジ達3人はコンフォート17への道を歩いていた。
今日は買い物は無しだ。大型冷蔵庫のおかげで2〜3日に一度の買い物で用が済んでいる。
「そう言えば、明日は定期検診だっけ?」
シンジはレイの定期検診の日を憶えていた。普段忘れている『レイは普通のヒトとは違う』ことを思い出させる日だから。
「ええ…赤木博士も、忙しいみたいだけど…」
あれ以来、リツコはどんなに忙しくともレイの定期検診には立ち会っていた。それが償いであるかのように。
検査自体は機械がやってくれるし、そのデータの処理と診断は MAGIが行なう。
実際に彼女がする事は何も無いに等しいのだが。
「でも、リツコ、そろそろ子供産まれるんじゃないの?」
「予定日は…今月終わり頃だって…」
臨月を迎えたリツコは休む素振りも見せず忙しい毎日を送っているが、今までタイトな物を好んで着ていただけに、マタニティドレスの上に白衣を羽織ったその姿は、とても、変である(^_^;)。
「へぇ」
(ぼくの…腹違いの弟になるのか…なんか、変な気持ちだな…)
シンジは既にリツコの子供がゲンドウとの子である事を知らされていた。
と言うか、既にNERV関係者の一定のランク以上の者でそれを知らない者はいなかった。
一時はそれがシンジの子供であるなどと言う噂も流れたが、無事リツコの信用の回復(?)は成された様である。
その噂の大元である某女性オペレータは、
「先輩、シンジ君似の子供ならかわいかったでしょうけど、
碇司令とそっくりな子が生まれて来たら恐いですね」
などと言って、リツコの引きつり笑いと周りの失笑を買っていたのだった。
- 帰宅後
- コンフォート17に帰り着いた3人。
まずはそれぞれの部屋に帰るとシャワーを浴びる。
汗の匂いが気になるお年頃であるし、特に今日は体育の授業が有ったので尚更である。
シンジは部屋に鞄を置くとシャワーを浴びに浴室へ向かう。
制服の上下と靴下、パンツを洗濯機に放り込むと、浴室に入りシャワーを浴びる。
どうせ寝る前にちゃんとお風呂に入るので、今はザッと汗を流すだけだ。
腰にバスタオルをまいて部屋に戻ると、替えのパンツをはき、ランニングシャツ(胸に大きく『平常心』と書かれている)と短パンに着替える。
「さて…隣は、まだシャワーだろうな」
そう呟きながら冷蔵庫をのぞき、冷えた麦茶のPETボトルを取り出す。
シンジは自分の部屋では料理をすることはないので、こちらには冷凍庫も付いてない小さな冷蔵庫が有るだけだった。
その中には牛乳の紙パックと、麦茶のPETボトル、何本かの缶ジュースが入っているだけだ。
シンジが自室で麦茶を1杯飲み終えた頃、隣の部屋ではアスカと入れ代わりでシャワーを浴びていたレイが出て来る。レイはともかくアスカも意外とシャワーが早いのは髪を洗っていないからである。
アスカの長い髪は洗うのも乾かすのも手間と時間が掛かるし、第一今夜はアスカが食事当番の日である。これから料理で匂いがつく事を考えれば、髪を洗うのは寝る前のお風呂でいいという判断だ。
「う〜ん、どうしよっかな?」
クリーム色のキュロットパンツと赤とオレンジのボーダーカラーのキャミソールに着替えたアスカは冷蔵庫をのぞきながら今夜の献立を考えていた。
そこにレイが身体にバスタオルを巻いて脱衣所から出て来る。
「…夕食の材料?…何か、足りない物ある?」
「ううん、なんとかなると思う…あ、これ…」
アスカは何かを見つけたようだ。
「…それ、今日のおやつなの」
「へぇ、昨日の夜作ったの?」
「ええ…」
「美味しそうじゃない?ほら、早く服着て来なさいよ。
シンジもそろそろ来るし、おやつにしましょ?」
レイはアスカに急かされて部屋へと帰ると、手早く身体を拭き、新しい下着を着け、オフホワイトのタンクトップとカットジーンズに着替える。
このカットジーンズはアスカのお下がりであるが、レイのお気に入りになっていた。
レイはあまり汗をかく方ではないので暑さには強くなく、風通しの良い服を好んで着ていた。
つまり、それだけ短いカットなのである。かなり、キワドイ(^_^;)。
まぁ、裸や下着でウロウロされるよりは数段マシなのだが、見えるか見えないかという際どさの方が男にはかえって刺激的だという事に気づいていない。
着替えたレイが部屋から出て来るとシンジが来ていた。キッチンでアスカと話している。
「今夜はポークカレーなんてどう?」
「そうだね、たまにはカレーもいいね」
ミサトカレーの悲劇はシンジの中でも遠く思い出と化し、今ではカレーと聞いて逃げ出したくなるような事はなくなっていた。
「あ、綾波、お邪魔してるよ」
「いらっしゃい、碇くん」
「レイ、今夜はカレーでいいでしょ?」
「…かまわないわ」
「じゃ、決まりね。おやつにしましょ」
アスカが目配せするとレイはコクリとうなずき、冷蔵庫へと向かう。
「今日のおやつは、レイのお手製よ」
「へぇ、何かな?」
「ま、お楽しみに。向こうで待ってましょ」
「うん。綾波、リビングで待ってるから」
「ええ…」
リビングのテーブルで待つシンジとアスカの許にレイがトレイに乗せて持って来た物。
それは、紅みを帯びた琥珀色のゼリーであった。ガラスの小皿に載ってプルプル震える頂にはミルクポーションがかけてある。
「コーヒーゼリー?いや、この色は…」
「紅茶のゼリーなの。
お台所を整理していたら、紅茶の古い缶が出て来たから、
本に載っていたのを思い出して作ってみたの…」
「へぇ、奇麗にできたね」
「食べてみて…」
「うん、いただくよ」
「あ、おいっし〜!これ!」
アスカはさっそくスプーンでひとすくい、口に運んでいた。
「うん、ほんとだ、すごくおいしいよ」
シンジも一口味わうと、レイに微笑みを向ける。
「そう…良かった…」
初めて作った紅茶ゼリーが美味しくできているか少々不安だったのか、表情に少し緊張が見て取れたレイだったが、シンジの言葉に安心したように頬を緩め、自分の分を食べ始める。
「オレンジソースとか掛けても美味しいかもしれないね」
「そーねー、ラムとかブランデーを一滴たらしてみてもいいかも」
「それだと香りがキツすぎないかな?」
「そっかな?…あ〜美味しかった、ご馳走様、レイ」
「ご馳走様。ほんと、美味しかったよ」
「…また、作ってみる?」
「うん、お願いするよ」
「アタシも、何か作ってみようかな〜?」
和気あいあいとおやつを楽しむ3人であった。
- キッチンにて
- おやつの後片づけを済ますと、アスカは夕食の仕度に掛かる。
彼らは材料の準備や仕込み&下拵えの効率化の為、「夕食と翌日の朝食&お弁当」を1セットとして一人ずつローテーションしていた。
ちなみに彼ら3人の食事当番は以下のようになっている。
曜日 | 朝食&昼食 | 夕食 |
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月 | シンジ | アスカ |
火 | アスカ | シンジ |
水 | シンジ | レイ |
木 | レイ | アスカ |
金 | アスカ | シンジ |
土 | シンジ | レイ |
日 | レイ | シンジ |
もちろん、手が空いてる者は手伝う様にしていたが、今日はレイは手伝っていなかった。他の仕事が有ったからだ。代わりにシンジがアスカを手伝っている。
「じゃ、シンジ、まずはジャガイモの皮剥きね」
「はいはい、仰せのままに」
「ハイは一回でいいの!」
- リビングにて
- アスカとシンジが夕食の準備を進めている間、レイはハンガーにかけてあった洗濯物をアイロン掛けしていた。
シンジに教わって最初は機械的に行なっていたアイロン掛けだったが、近頃はそれを楽しいと感じるようになっていた。
(シワが奇麗に伸びてパリッとなるのが嬉しい。
プリーツをうまく付けるのが難しいけれど、
最近は結構奇麗に掛けられるようになったと思う)
一枚また一枚と丁寧に仕上げて行く。
(これで、私の分は終わり。
次はアスカの分)
一枚仕上げるごとに丁寧に畳む。
やがて、最後の一枚も終わってしまった。
と、そこへ、手伝いが一段落したシンジが入って来た。
「あ、綾波、アイロン掛けしてたんだ」
リビングに入って来たシンジを見上げて、レイはちょっと考え事する様に視線を泳がせ、またシンジを見つめる。
「…碇くん…碇くんのシャツも、アイロン掛けしてあげたい…」
今までそういうことはなかったのでシンジは少し驚くが、レイの申し出を断る理由はない。
「そっか…うん、頼むよ」
シンジはそう言うと自分の部屋に戻り、週末にまとめてアイロン掛けしようとハンガーに掛けてあったワイシャツを数枚持って帰って来る。
「じゃ、これ」
「ええ…任せて…」
シンジはレイにシャツを渡すと、またキッチンへと戻って行った。
シンジのシャツを受け取ったレイはそれを手に取り、ちょっと眺めていたが、おもむろにそれに顔を埋め、息を深く吸う。
(残念。碇くんの匂い、しない…)
当然、洗濯した物であるので、洗剤の微かな香りが残っているだけである。
次にそれを一枚取り、広げてみる。
(…私のより、大きい)
今ではレイより頭半分以上背が伸びたシンジのシャツは、肩幅もレイの物より大分広い。
少しの間それを眺めていたレイであったが、何を思ったかそれを着ると、ボタンを留め、立ち上がって自分の姿を見下ろしてみる。
(碇くんの匂いがすれば、碇くんに包まれているような気持ちになれたかも…)
そう思いながら、両手で自分の体を抱きしめてみるレイであった。
「あ、綾波…」
シンジの声に振り向くと、シンジが赤い顔でレイを見ていた。
シンジのシャツを着て立つレイは、大きめのシャツの裾から足だけが見える為、シャツだけしか着てないようにも見える。
「ごめんなさい…着てみたかったの…」
レイは慌ててシャツのボタンを外そうとする。
「い、いや、いいよ」
何だか、妙な気分になりそうなシチュエーションにドギマギしてしまうシンジ。
と、そこへ、絶妙なタイミングでアスカが入って来る。
「アンタ達…」
入り口で固まったまま、唖然とした顔で二人を見る。
「あ、アスカ…」
何も悪いことをしたわけではないのに、シンジはまずいところを見られたような気になってしまう。
「………」
レイもボタンにかけた手を止めてアスカを見つめていた。
アスカはそんな二人を交互に見やると、何か納得したような表情になり、口を開く。
「…コスプレ?濃い事してんのね」
「な、何言ってんだよ!!」
「??……」
真っ赤になってしまうシンジと、キョトンとするレイ。
「冗談よ」
それだけ言い捨てて、キッチンへと戻ってしまうアスカだった。
アスカ、意味分かってて言ってんだか…分かってるだろうな(^_^;)。
- ダイニング
- 煮込んでいたカレーがトロミを帯びて来て、ご飯が炊き上がり、トマトとモッツァレラチーズのサラダが出来上がると、楽しい夕食が始まる。
「「「いただきます」」」
「あ…このサラダ、美味しい…」
「ありがと。カレーも美味しくできてるでしょ?」
「うん、アスカもカレー作るのうまくなったね」
「はっ!あったりまえでしょ?ミサトとは違うんだから」
実はアスカも一度だけミサトカレーの被害に遭っている。
「あ〜あ、加持さん、今頃ミサトの料理食べてんのかしら?
よく身体壊さないわよね」
「二人共忙しいみたいだから、家でご飯食べることって、ほとんどないって聞いたけど…」
「…このピクルス…もしかして…」
ミサトの料理の話で盛り上がって(?)いた二人だったが、レイの呟きに会話の流れが変わる。
「ふふん、美味しいでしょ?それ、自家製なんだから」
カレーの付け合わせはアスカお手製のピクルスだった。
アスカはこの所ピクルス作りに凝っていて、キッチンの床下収納には3つほど種類の違うビンがしまってあった。
「ヨーロッパじゃ家庭ごとに秘伝のレシピが有って、それがママの味になるのよね」
「へぇ…日本での糠漬けとか、韓国のキムチとかと同じだね」
「でも、アタシ…ママの味って憶えてないのよね…」
「ぼくも憶えてないや…」
「…私は、知らないわ…」
「え…」
「!」
確かに、アスカもシンジも、その味は憶えていないにしても幼い頃は母親の手料理を食べていたはずである。
だが、レイには…。
それに気付いたアスカは、自分の迂闊さを自責する。
「あ…ゴメン…」
「いいの…これから自分の味を作れれば…」
「綾波…」
レイは朝食の浅漬けのような簡単な物ばかりでなく、本格的に糠床を作ってみようかと思っていた。お味噌作りにも挑戦してみたいとも。
それをいつの日か「母の味」として記憶に残してくれる者が現れる日を夢見て。
「私の味が…いつか、誰かの…母の味になるなら…」
少し頬を染めて熱い眼差しでシンジを見つめるレイ。それが何を意味するかは明白だ。
「レイ…」
顔を赤くして思わず名前で呼んでしまうシンジに、いつもならアスカの冷やかしが入る所だが、この時ばかりはアスカもそこは突っ込むことはせず、感慨深げに目を細めて手元のピクルスを眺めている。
「そうね。そうよね。アタシの味…か」
『アタシは子供なんて要らない!!』そう言っていた時期もあった。今ではそこまで頑に否定する気持ちは薄れて来ているが、そんなことはまだまだ先の事だと思っている。
だが、もしも、将来、自分に子供が出来たら。自分の子供には自分と同じ思いだけはさせたくない。そう考えるアスカだった。
そして、意を決したように顔を上げる。
「うん、レイ!がんばろ?アタシたちの味を作り上げる為に、ね!」
「ええ…」
レイも優しく微笑むのであった。
「シンジの場合は、パパの味ね!」
「えっ?ぼくも?」
「あったりまえでしょ!」
シンジの場合、出来合いの物を工夫して美味しく食べさせることはしても、わざわざ味噌を作ったり糠床を作ったりまでしようとは思っていなかったのだが、なしくずし的に付き合わされる事になってしまったのだった。
こうして、彼らのキッチンの床下収納にはアスカのピクルスのビンと共に、レイの味噌壷とシンジの糠床が並ぶ事になったのだった。
- 夕食後のリビング
- 3人はデザートのクッキーを摘まみながらコーヒーでくつろいでいた。
「だけどさ、あの先生、ちょっと抜けてんのよね」
「あはは、でも、そこがいいんだと思うけど」
「…教え方は上手いわ…」
学校の話題や、
「そうそう、来週『BH8』が出るわよね、シンジ、買うんでしょ?」
「え〜?アスカがやるんだろ、アスカが買えばいいじゃないか」
「今月、ちょっと苦しいのよね、新しい靴買っちゃったしぃ」
「…自業自得…」
新作ゲームの話とか、
「あ、そろそろ『愛に時間を』の時間よ。TV点けて。
先週はいいとこで終わっちゃったからね〜。
今日は見逃す訳に行かないわ」
「アスカも好きだねぇ、こういうの」
「…でも、おもしろいわ…」
流行のTVドラマを見たりして過ごす。
「う〜ん、予想通りの展開ね」
「まぁ、なんとなくそうなるんじゃないかなって思ったけど…」
「…お約束だもの…」
レイもアスカに付き合って色々なドラマを見るうちに、すっかりお約束のパターンなどを掴んでしまったようだ。
「さ、宿題やらないとね」
「うん、そうだね」
「パソコン、持って来る…」
ドラマが終わってアスカが席を立つと、レイは自室へノートパソコンを取りに帰り、シンジはこのために持って来てあった自分のパソコンを開く。
アスカは勉強する時は独りで集中したいタイプの様で、いつも部屋にこもってしまう。
どうも、宿題だけでなく他にも色々勉強しているようなのだが、それを明らかにしてはいない。
よって、シンジとレイは二人で宿題を片付けることになる。
「ここってさ、よく解らないんだけど、こうでいいのかな?」
「…ええ、ここを、こう、こうすれば…」
「あ、そうか、それで良かったのか」
「次の問題もこの応用だから…」
そうして二人で宿題を進めながらしばらく経つと、アスカが部屋から出て来る。
「アスカ、もう終わり?」
「うん、アタシお風呂入って来るわ」
「ぼくもこれが終わったらもう帰るよ」
「そ、じゃ、おやすみ」
「おやすみ、アスカ」
朝や昼間のシャワーはともかく、アスカのお風呂は長い。入ったら一時間は出て来ないだろう。
だが、ふたりっきりだからと言っていいムードになる訳でもなく、着々と宿題を終わらせて行く。
「これで終わりだね」
「ええ、明日はテストはないし…。
私、明日は直接本部へ行くから、宿題、お願い…」
「あ、そうだね」
ノートパソコンの赤外線リンクでレイの宿題をシンジのパソコンへ転送。
これで明日シンジの宿題と一緒に提出される事になる。
「じゃ、ぼく、帰るよ」
「ええ…」
シンジがノートパソコンを閉じて立ち上がると、レイも立ち上がる。
玄関までお見送りする為だ。
シンジは玄関でサンダルを履くと振り返る。そこにはいつものようにレイが両手を後ろに組んで立っている。
ふたりは少しの間見つめ合うと、優しく微笑みを交わす。
そして、レイが目を閉じてスッと顎を上げる。その頬が少し染まっている。
シンジは半歩近付いて、その軽く閉じられた薄い桜色の唇に自分の唇を触れさせる。
微かに触れるだけの優しいキス。それだけでシンジの心はレイへの愛しさで一杯になり、レイの心は安らぎに満たされる。
これがふたりのいつものお休みのキスだった。
一瞬のキスの後、もう一度見つめ合って微笑む。
「じゃ、おやすみ、レイ」
「おやすみなさい、シンジさん」
シンジが出て行き扉が閉まると、レイは軽い足取りでリビングへと戻るのだった。
だが、アスカはまだお風呂。シーンとしたリビングはなんとなく寂しい。
TVでも見たい番組をやっている訳でもなし…とリビングを見渡すと、テーブルの上にアスカが買って来た雑誌が有る。
レイはなんとなくそれを手に取ってめくってみる。
ペラ…
(この服、かわいい…。
こういうの、似合うかしら?どう思う?碇くん?)
そんな風に心の中でシンジに問い掛けながら、それを自分が着ている所を想像してみたりするレイであった。
ペラ…
ペラ…
ペラ…
しばしページを繰る音だけがリビングに響く。
そして、あるページで…。
(あ…今月の特集って…)
・・・・熟読中。
ペラ…
・・・・熟読中。
ペラ…
・・・・熟読中。
ペラ…
・・・・熟読中。
「ゴメン、ワイシャツもらってくの忘れちゃったよ…」
予期せぬシンジの声に、慌てて見ていた雑誌を閉じるレイ。
シンジはアイロン掛けしてもらったシャツを忘れて行った事に気づいて、取りに戻って来たのだった。
「あれ?レイ、どうしたの?顔が赤いけど…」
「…何でもない…シャツ、そこに畳んであるから…」
「??」
シンジは部屋の隅に置かれたシャツを取ろうとして、ふとテーブルの上に投げ出されていた女性雑誌の表紙に踊る文字に目が行った。
【気持ちイイSEXしよう!】
どうやらそれはハイティーン向けの女性総合情報誌で、たまたまそういう特集の号だったらしい。
(えっ?もしかして…)
シンジの視線の行方に気付いたレイは慌ててその表紙を両手で隠すが、既に遅い。
顔を伏せてはいるが、うなじまで赤くなっているのが見える。
(顔が熱い。碇くんに変に思われたかしら?
…ハズカシイ?これが恥ずかしいという気持ち?)
レイはこれほどまでに強く羞恥心を感じたことが無かったので戸惑っていた。
(アスカ!なんて雑誌買ってくるんだよ!!)
そう思いながらもシンジは顔が熱くなるのを感じていた。
(でも、レイも、やっぱり、そういうことに興味有るのかな?)
とは言え、シンジはそういう女性誌は読んだことがないので、どんな記事が書かれているのかは知らない。
気まずい沈黙が流れる…。
「あの…」
「あらシンジ、まだいたの?」
レイに声をかけようとした瞬間、背後から自分にかけられた声に驚いて飛び退くシンジ。
「うわっ!アスカ!びっくりしたぁ!」
「な、何よ、こっちが驚いたわよ!」
アスカも抗議の声を上げる。
「い、いやなんでもないんだ、はは、ゴメン、もう、帰るよ。
じゃ、綾波、ホントにゴメン!」
慌てて逃げるように出て行くシンジ。
「あら、今日はお休みのキスは無しなの?」
ふたりが毎晩お休みのキスを交わしている事にアスカは気付いていた。
わざわざそれをのぞく様な無粋な真似はしないが、たまたま見てしまうことはある。
「きょ…今日は…もう、いいの…。
お風呂、入るから…」
まだ赤い顔を伏せたまま脱衣所へと逃げ込むように入って行ってしまうレイだった。
「………なにか、有ったわね」
珍しくレイらしくない態度に、アスカでなくともそう思うだろう。リビングの中をグルッと見回すとテーブルの上の雑誌が目に留まる。
「ははぁ…なるほど…」
なんとなく状況が想像出来てしまったアスカであった。
- 浴室
- レイは脱衣所で手早く衣類を脱ぎ捨てると、浴室に飛び込み、まだ熱い頬を冷やす様に頭から冷水のシャワーを浴びる。
シャーーーーーーーーキュ…
水を止めると、髪や身体から水を滴らせたまま、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
(どうしたの?私…こんな事、今まで無かった…)
頭は冷えたが身体も冷えてしまったので、湯船で暖まる事にする。
ちゃぷ…
ゆっくりと湯船に漬かり、気持ちが落ち着くと、つい、先程の雑誌の記事を思い出してしまう。
(どうしよう…またドキドキしてきてしまった…)
お湯に漬かっているとのぼせそうなので、すぐに上がって身体を洗う事にする。
だが、やはり、雑誌の記事が頭から離れない。
(私も…いつか…碇くんと…)
ついそんな想像をしてしまう。
そして、普段洗う時にはなんともないのに、目を閉じて自分の手にシンジの手のイメージを重ねて、それがシンジの手であると想像しながら触れると背中がぞくぞくするような刺激を感じる場所が有ることに気付いてしまったりするのだった。
(碇くんが私を見てくれる時の感覚に似てるけど…
あの感覚は…心地好い…。
でも、こちらの感覚は…気持ち…いい…)
「…ぁ………いかりくん………」
いつも以上に丁寧に時間をかけて身体の隅々まで洗ってしまうレイであった(*^_^*)。
- お風呂上がりのレイ
- サッパリ&スッキリしたレイは、まだアスカが起きているかもしれないので、身体にバスタオルを巻いて脱衣所から出て来る。
だが、ダイニングにもリビングにもアスカの姿は見えない。
(アスカ…もう寝たのかしら?)
お弁当や明日の朝食の下拵えが有るはずなので、そんなに早く寝るはず無いけど…と、時計を見ると、いつもより遅い時間になってしまっている事に気づく。どうやらお風呂での時間の過ぎ方がいつもと大分違ったようだ。
(もう、こんな時間…寝なくては…)
そして、冷蔵庫を開けると中から牛乳のパックを取り出して、グラスに一杯、なみなみと注ぐ。
『こうして、両足は肩幅に広げて直立し、左手を腰に当てて…角度は、こう。
そして、グッと一気に飲み干すの。
これは古くから伝わる日本の文化の一つで【お風呂上がりの牛乳一気】って言って、
毎日欠かさず続けていると胸が大きくなるのよ。
…ってミサトが言ってたけど、それであんなに胸大きくなったのかしらね?』
というアスカの助言に従い、レイもこれを日課としていた。
(葛城さんとまでは行かなくても、せめてアスカくらいにはなりたい)
目に決意を湛えて、グラスを睨む。
(綾波レイ、行きます…)
グッ…くっ・くっ・くっ・ぐっ!!
「ブフッ!けほっ!けほっ!」
(ああ…今日も、ダメだった…難しいわ、牛乳一気…)
いつも途中で支えてしまい、最後まで一気に飲むことができない。
(でも、くじけてはいけない。碇くんの為だもの…)
別にシンジがそんな事を望んだわけではないが、何故かそういう事になっているらしい。
レイは決意も新たに、キッ!と1/3程牛乳が残ったグラスを睨む。
凛々しい表情だが、口の周りが牛乳で白くなっているので、かなり間抜けである(^_^;)。
残りの牛乳を飲み干すと、歯を磨いて自室に戻る。
そして、鏡台の前に座ると隅に置かれたビンの蓋を取り、掌に透明な液体を滴らすとその手で顔をマッサージするように擦り込む。今日は顔だけでなく首筋にも塗ってみたりしている。
【L−F−PR3】といかにもプリンタで印刷しただけという感じの事務的なラベルが貼ってある、理科実験室に置いてあるような実用主義丸出しのデザインのビンに入った怪しげな液体は、実はリツコ特製のトリートメント液で、LCLから精製して生臭さを取り除き、有効成分のみを抽出して作られた物だ。もちろん、アスカも同じ物を使っている。
ちなみにアルファベットはそれぞれ以下のような意味を持っている。
(L)=LCL
(F)=Facial
(PR3)=PreRunning Rev.3
最後の部分から解る通りまだ量産前の物であるが、リツコ自身もこれを試作品から愛用しており、歳の割に小じわも無く肌のハリが良いのはそのおかげらしい。
更に、これを元に40℃付近を最大効果範囲とした入浴剤用のBodyタイプの物も【L−B−T5】として開発中で、既にミサトを使って臨床実験中である。
レイやアスカは、生まれつき美の女神に寵愛されている上、幼い頃からLCL漬けの生活を送ってきた為、人並外れて肌や髪が奇麗であったが、それに加えて最新のトリートメント技術が与えられているのだから、同級生の少女達から羨望と嫉妬の眼差しで見られるのも当然と言えば当然だ。
閑話休題。
フェイスマッサージが終わると、下着を着け、パジャマ代わりのTシャツを着る。
寝間着も毎日洗濯するので、いつも違う格好で寝る事になるのだ。
ついでに明日の下着や制服を準備する。本部へ行く時はいつも制服だ。
明日の準備が整うと、ベッドに腰かけて読みかけの本を開く。
髪が乾くまでこうして読書をするのが以前の団地に住んでいた頃からの日課だった。
しばし読書の後、髪が乾いた事を確認すると、枕元の目覚まし時計をセットし、電灯を消す。
そして、シンジの部屋の方へ顔を向け、壁越しにお休みの挨拶をする。
(おやすみなさい…碇くん)
そして速やかに眠りに落ちる。
これがレイの一日である。
- その頃、シンジの部屋では…
- 部屋に帰ってからお風呂に入ってる時も、頭を乾かして布団に入ってからも、先程の出来事が尾を引いて悶々としてしまい、なかなか寝つけないシンジであった。
「ダメだ…眠れない。レイ、ゴメン!」
ゴソゴソ…モゾモゾ…
何か始めたようだ。
・・・・・・
?分経過。
「はぁはぁはぁはぁ…うっ!くっ!………ふぅ…」
カサカサカサ…
「…ぼくって、サイテーだ」
レイのことを想いつつ、今夜も最低な事になってしまうシンジであった(^_^;)。
- あとがき
- 『ずいぶんと刺激的な毎日だね。羨望に値するよ。羨ましいってことさ』(^_^;)
これが、彼らの「何も無い、普通の日」。
とは言え、いつもは書いていない彼らの日常を詰め込んだので、結構盛り沢山になってしまいましたね。
しかしこの状況でアスカがいなくなってふたりっきりになったら、いったいどうなってしまうのか…。
ってな訳で、次回、アスカがドイツに帰省します。ご期待ください(何を?^_^;)。