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新世紀エヴァンゲリオン++

第弐拾参話:鬼の居ぬ間に?


2016/09/12(月)
今日はケンスケの誕生日。お昼にケンスケの家に集まっての誕生パーティーが開かれた。

月曜日ではあるが、この9/13を含む一週間はセカンドインパクト以来「暗黒週間」として国際的な休日となっているのだ。世界各国ではこの日に合わせて慰霊祭や式典などの各種催しが開かれている。

シンジやレイ、ヒカリの手料理が振る舞われ、プレゼントの贈呈などが行われ、賑やかなパーティーは3時頃お開きとなった。少々早いのはアスカがドイツへ帰省する為である。アスカはこの機会に両親のいるドイツへ一時帰国する事にしていたのだ。

パーティーが終わると、アスカは後片づけをヒカリとシンジ・レイに頼み、迎えに来た護衛の加持の車で第三新東京国際空港からドイツへと発った。
着替えなどはドイツの家に有るのでボストンバッグ一つの身軽さだ。

帰国は9/18(日)の予定である。

つまり、この間、レイとシンジは、昼間はともかく夜は二人きりという事になる。

部屋は別々とは言え、さすがに何か有るんじゃないだろうかと心配するのが周囲の人間である。
アスカは帰省を決めた時に、ミサトに夜だけでも泊まりに来れないか相談したのだが…。

「だいじょーぶよ、シンちゃんだしぃ。
 それに、私もこの週は国連絡みの色々な式典に出席しなくちゃいけなくって、ずっと出張なのよね。
 リョウジはあなたの護衛でドイツ行きだし、リツコはアキラ君産まれたばかりでまだ実家にいるし…」
「マヤは?」
「あの娘もリツコの代理であちこち引っ張り出されて、忙しいのよ」
「う〜ん、じゃ、ヒカリとかケンスケ・鈴原に当たってみるか…」

と言う訳で、アスカは事前に根回しに奔走したが、今ではお盆に取って代わった連休中の事である。法事だのなんだので帰省する家族も多く、各人の都合が合わなくて2日しか埋まらなかった。

「いくらシンジが意気地なしだって、ついムラムラっと来て、ってことが有るかもしれないしね。
 そうなればレイは拒まないだろうし…そこで、アンタに頼みたいんだけど…」
「オレに出来る事なんて無いぜ。13日から撮影旅行だし。
 それに、二人がそれを望むなら、避妊さえしっかりしとけばいいんじゃないか?」
「バカ、まだ早いわよ」

結構お気楽なケンスケに対し、レイの事情を知っているアスカはそうはいかない。

(特にレイにはね。
 見た目はともかく、まだ初潮もきてないんだから。
 …それが来るのかすら解らないってのに…)
そう思うアスカだが、他人に言うべき事ではない。

(もし、レイが…ううん、絶対なんとかなるわ!
 とにかく、アタシだってまだなんだから!)
結局は、自分が基準となるアスカであった(^_^;)。

「とにかく、妙な雰囲気にならないように、無難な映画見繕って、貸しといて」
と、最後はケンスケのビデオライブラリに頼る事になった。

「そんなこと言ったって、ラブシーンの無い映画なんて、無いぜ?」
「あんまり濃厚なのじゃなけりゃいいわよ。そこは、任せるわ」

こうしてレイとシンジが一線を越えてしまわないよう、周囲の多大な努力と協力体制が敷かれたのであった。
本人達に取っては余計なお世話とも言うが(^_^;)。


ちなみに、この夜は初めての二人だけの夜だったのだが、昼間のパーティー疲れからか、ケンスケから借りたビデオを見ているうちに二人とも眠くなってしまい、早めに寝ることにして、何事もなく過ぎたのだった。


9/13(火)
この日はケンスケが撮影旅行に出るのをトウジやヒカリと見送った後、4人で駅前のゲーセンなどで遊び、夜は二人きりではあったが、ビデオを見るなどして、この夜も何事もなく過ぎた。


9/14(水)
今日は昼間からヒカリが遊びに来て、料理上手3人による料理談義などに花が咲いた。
今週はさすがにスイミングクラブもお休みなので、夕食は3人それぞれが新しいメニューに挑戦し、実験料理の場となったが、いずれも破綻する事なく美味しくでき上がり、豪華なディナーとなった。

そしてその夜はヒカリがレイの所へ泊まる事になった。
リビングに二人分の布団を並べて敷いて、寝るまでの間二人でおしゃべりをしていた。
ヒカリが色々ネタを振ってそれにレイが答えるという形ではあったが、普段差しで話す機会が少ない二人だけにその内容は多岐に渡り、年頃の女の子の事、自然と互いの想い人の話になって行く。

「そう言えば、綾波さんと碇君って、名前で呼び合わないのね」
「そんな事ないわ」
「えっ?」
「二人だけの時は、『レイ』って呼んでくれる」
「へぇ、そうなの?じゃ、綾波さんは?」
「『シンジさん』って…」
「し、シンジさん?!」(うっひゃ〜!凄い!それって、なんか、凄いわよぉ!)

何が凄いんだか分からないが、ヒカリは心の中で妙にエキサイトしていた。
(もし私だったら…『トウジさん』??きゃ〜っ!恥ずかしいっ!!)

ゴロゴロゴロ!

「??(汗)」
いきなり身をくねらせてゴロゴロしだすヒカリに、レイはどう対処していいのか判断に困っていた。

そこでようやくヒカリは我に返る。
「はっ!あ、ご、ごめんなさい、ちょっと、考え事していて…」

考え事?妄想の間違いであろう(^_^;)。

「それで、あの、綾波さんは、碇君とは、その、もう、キスとか、した?」
「ええ、してるわ」
「してるって…」
「毎晩、お休みのキスをしてくれるから」
「ええっ?!お休みのキス?!」(な、なんて、羨ましい…)
「鈴原君は、してくれないの?」
「えっ…ト、トウジは…意外と、おくてだから、たまにしか…」
「そう…」
「で、でも、綾波さんも、キスより先はまだなんでしょ?」(どきどきどき)
「…それは、まだ…」
「そ、そうよね、まだ早いわよね」(ほっ)

内心動転していたせいも有り、レイの言葉に含まれる寂しげな響きには気付かず、少しホッとするヒカリであった。

「まだ早い…アスカも、そう言ってた…」
「そりゃそうよ。私達はまだ中学生なんだから」
「そう?そういうものかしら…」
「そういうものなの!」

(どうも、綾波さんって、一般常識に欠ける所が有るのよねぇ。どんな育てられ方したのかしら?)
ついついレイの生い立ちに思いを馳せてしまうヒカリであったが、敢えて立ち入って訊こうとはしない。
これまでの経緯からレイの過去はかなり特殊な物である事に薄々気付いていたから、生半な好奇心で訊くべきではないと考えていたのだった。

しばらくそうして恋人や友人達の事を話しているうちに、段々と瞼が重くなり、言葉も少なくなって来る。

「ふぅ…ちょっと話し疲れちゃったかな?眠くなっちゃったわね」
「…ええ…」
既にうつらうつらし始めていたレイであったが、なんとか答える。
「ね…」
「…なに?」
「私も、レイって呼んでいいかしら?」
「…ええ」
「だから、私のこともヒカリって呼んで?」
「…わかったわ、ヒカリ」
「ありがとう、レイ。おやすみなさい…」
「おやすみ…なさ…い…」

そして、二人は深い眠りへと落ちて行くのだった。


9/15(木)朝
トントン
「綾波?・・・洞木さん?」

レイとヒカリは深夜遅くまで起きていたようで、朝食を作りにやって来たシンジがリビングのドア越しに声を掛けても反応がない。
どうやら二人ともまだぐっすりと眠っているようだ。

シンジはそっとドアから離れると、テーブルに

昨夜は遅かったのかな?

今日はブランチにしよう。

起きたらTEL下さい。

          シンジ

とメモを書き置きし、お腹を持たせる為にトーストを1枚かじると、自分の部屋へと戻るのだった。


お昼前ごろ、ようやく起きたレイから電話をもらったシンジは早速レイたちの部屋へ行き、彼女らがリビングを片付けたり身繕いしたりしている間にブランチを作る。
今日は冷製パスタ。極細パスタのカッペリーニを冷やして、生トマトの角切りにニンニクのみじん切り、そしてバジルとスモークサーモンを刻んだ物を混ぜただけの簡単な物だが、さっぱりとしていて口当たりがよく、このイタリア版冷やし素麺は暑い日にはぴったりだ。

「あ、コレ、美味しいわね。
 簡単にできそうだし、うちでも作ってみようかしら」
「うん、洞木さんなら、食べただけでレシピが判るんじゃないかな?」
「そうね、大体は」
「これ、実はうちでは綾波が最初に作ったんだけど、ぼくもアスカも大好物だよ」
「へぇ、そうだったの。レイ、お料理楽しい?」
(えっ?洞木さん、今、レイのこと…)
「ええ…碇くんやアスカが、美味しいって食べてくれるから…」
「ふふ、良かったわね」
「ヒカリにも…鈴原君がいるわ」
「うん、そうね。でも、トウジって、味よりも量って感じだし」
(レイも洞木さんの事を…そうか、昨日の夜、何かあったのかな?
 でも、いいな、こういうのって…)
レイとヒカリの会話を聞きながら、感慨にふけるシンジであった。


なごやかな雰囲気のうちにブランチを終え、食器を片付けると、ヒカリは『今日は午後から用事があるから』と帰って行った。帰り際にシンジに『二人っきりだからって、レイに変な事しちゃダメよ』と釘を刺すのは忘れなかったが。


午後のリビング
ヒカリが帰ってしまい、静かになったリビングのソファに腰を下ろしているふたり。

「さて、この後、どうしようか?二人っきりだし…」
「そうね…」

そう、今日はこの後は誰も来る予定もないし、遊びに行く予定もない。夜までシンジとレイの二人きりである。
そう思うと、シンジの脳裏に先程のヒカリとの会話が浮かぶ。

『碇君、二人っきりだからって、レイに変な事しちゃダメよ』
『えっ?!そ、そんなこと、しないよ!』

シンジはそんなつもりは毛頭なかったのだが、ヒカリの一言のせいで妙に意識してしまうのであった。
ヒカリも、釘を刺したはずが結果的に寝た子を起こす様な事になってしまうとは、思ってもいなかったろう。

「と…取り敢えずさ、宿題でも、しない?」
「…そうね」

気をまぎらわす為のシンジの提案を断る理由も無く、ふたりは一緒に宿題を片付ける事になった。



「じゃ、今日はここまでにして、お茶にしようか」
「ええ、私が淹れて来るから、シンジさんは座ってて」

15時過ぎ、一段落したシンジたちはお茶の時間にすることにする。

レイがキッチンへ向かい、シンジがリビングの机の上を片付けていると、コーヒーの香ばしい香りが漂って来る。
「今日はコーヒーか…」
彼らのおやつの時間は紅茶とコーヒーが2:1位の割合だった。

やがてレイがトレイを持ってリビングへやって来る。

「昨日の洞…ヒカリのクッキーが残ってたから…」
「うん、いいよ」

レイが用意した今日のおやつは、コーヒーとクッキー。
コーヒーはいつもシンジが近くの喫茶店で買って来る挽き売りのブレンドをドリップで出した物。
クッキーは昨日ヒカリが自分の家で焼いて持って来た物の残りだった。

「レイもクッキー焼くの上手くなったけど、洞木さんのはまた一味違うね」
「そうね…とても、美味しい…」
「あ、もちろん、レイのも美味しいよ」
「ありがとう。でも、ヒカリには、教わるべき事が多いわ」
「そうだね。年季が違うもんね」

そんなことを話ながらくつろいでいたふたりだが、ふと時計を見るといつのまにか16時近くなっていた。

「あ、もうこんな時間か。ちょっと買い物に行かない?」
「いいわ。私、着替えて来る」
「うん、ぼくも」
レイは部屋着のTシャツにスパッツという格好だったし、シンジも同じくTシャツに短パンだったので、部屋に戻って着替える事にする。


お買い物にお出かけ
シンジはTシャツ+ジーンズにスニーカー、レイは淡いブルーのノースリーブのワンピース+サンダルという格好で部屋の前で待ち合わせる。

「じゃ、行こうか」
「ええ…」

シンジが差し出した手に、自然に手を重ねるレイ。
そんなレイを優しい微笑みで見つめるシンジに、レイも柔らかな微笑みを返すと駅へ向かって歩きだす。

駅前の商店街まで手を繋いでゆっくりと歩く。
それは、レイのお気に入りの時間。
ちょっとした買い物が、レイには嬉しいデートなのである。

商店街に近づき、人通りが多くなって来ると、シンジはさすがに気恥ずかしさを感じてレイに訊ねる。
「あの…手、離していいかな?」
「………」
レイは答えず、やや上目遣いでシンジを見つめる。
そして、目を伏せると、シンジの手を握る力を少しだけ強めるのだった。
どうやら、離したくないらしい。

そんなレイの仕草に、シンジはフッと苦笑いを浮かべる。
(ま、いいか)
恥ずかしさを忘れ、そんな気になってしまうシンジだった。

そして、結局、手を繋いだまま買い物を始める事になる。

それは、もう、今ではこの商店街の名物になったふたりの姿。

『碇くん』と呼ばれている少年の方は、線が細く中性的な顔立ちをしているが、既に少年から青年へと成長しつつあり、発展途上ではあるが精悍さを身に着け始めていた。そして、通りすがりの女性をも魅了してやまないその笑顔は、傍らのただ一人の少女へと向けられているのだ。

『綾波』と呼ばれているその美しい少女は、透き通るような真っ白な肌にシャギーの入ったプラチナブルーのショートカット、そして紅い瞳という特異な容貌であるが、それ以上にその微笑みが道行く人の足を止めさせ、すれ違う人を振り返らせるのに充分な魅力を湛えていた。
そして、その声は鈴を転がすような…いや、ただの鈴ではない、サヌカイトで作られた鈴の音と称したら良いか、そんな不思議な透明さを持つその声の響きは、隣に立つ少年の名を呼ぶ時、ほのかな温かさを帯びるのだ。

そのふたりは決してベタベタせず、ただ並んで歩くか、時折手を繋いで歩いている。見る物が思わず頬を緩めてしまうような、そんな微笑ましい中学生カップル。それが、レイとシンジであった。


「よ!碇君!今夜のおかずは決まったのかい?
 活きのいいカツオが入ってるよ!」
「こんにちは、おじさん。
 まだ決まってないんだけど、カツオですか…綾波はどうかな?」
「私は構わないわ」
「じゃ、それ、いただきます」
「よっしゃ!可愛い奥さんに免じて大サービスだ!このカマも持ってきな!」
「お、奥さんって…」
シンジはうろたえながらチラッとレイを見ると、レイは頬を染めてうつむいている。
(うっ、かわいい…ま、いいか)
「あ、ありがとう、おじさん」
「…ありがとう…」
「くーっ!いいねぇ、その響き!ハイおつり。毎度っ!」

こんな風に、何かしらサービスしてもらうことも多く、お得な彼らであった。


夕食後
生姜醤油でいただくカツオのお刺し身と、ブリのカマを使った贅沢なお味噌汁。
それに青紫蘇ドレッシングでいただくエビの剥き身入り大根と海草のサラダ。
二人だけの夕食をゆっくりと楽しんだ後、キッチンを片付けると、今夜もビデオを見る事にする。

リビングのテーブルにデザートのかぼちゃプリンと紅茶を用意して、ソファに腰を下ろすレイ。

シンジはTVコンポにビデオディスクをセットしている。

テーブルに置かれたそのディスクのパッケージを手に取ってみるレイ。
一昨日見たディズニーの新作アニメと違い、今夜は実写映画のようだ。

「『BLADE RUNNER』?」
「うん、セカンドインパクト前の古典SF映画だって。
 ケンスケのお薦めだよ」
「そう…」
「さ、始めるよ」

シンジはレイの隣に腰を下ろすと、リモコンを操作し、ビデオの再生を始める。

冒頭で字幕が流れ、この物語の舞台と背景を語る。

舞台はスモッグに被われ酸性雨が降りしきる 2019年11月のロサンゼルス。
物語は地球外での奴隷労働に使われていたレプリカントと呼ばれる人造人間数名が反乱を起こして地球に帰り、そのレプリカント達を『処理』する特別捜査官『ブレードランナー』が招集される所から物語が始まる。

(これは…マズイんじゃ…)
シンジは冒頭の字幕を読んで、それがレイの身の上を連想する物のように思えて、一旦リモコンでビデオを止める。

「あの、レイ、これは、やめておこうか?」
「平気。これは…ただの物語だわ」
「そう?見たくなくなったら言ってね。すぐ、止めるから」
「ええ…」

シンジは再びビデオを再生させる。

シーンはレプリカントの一人が自分達の製造元のタイレル社へ雇用されようとする所から始まる。
外観上は人間と見分けが付かないレプリカントを見分ける為のVKテストを実施する一人のブレードランナー。
だが、彼は、レプリカントが隠し持っていた銃で撃たれ絶命し、レプリカントは逃走する。

そして、新たなブレードランナーが呼び寄せられる。それが主人公のデッカード(ハリソン・フォード)である。

これはデッカードと、レプリカント達の頭目であるロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)との戦い、そしてタイレル社にいた女性型レプリカントのレイチェル(ショーン・ヤング)とのラブストーリーを描いた物語であった。

物語が進むにつれ、レプリカントが何故反乱を起こしたかが明らかになる。
奴隷労働に従事させるには感情は不要、逆に有ると不都合な物である為、初期状態では感情は備えられていない。
だが、起動して長期間活動すると、次第に感情が芽生えて来るのだ。これは不都合である。
そこでタイレル社は安全装置を組み込んだ。それは製造後4年間という寿命である。
感情が芽生えた彼らは、自分達の寿命が極端に短い事を知って、それをなんとかしてもらう為にタイレル社に押し込もうとしていたのだった。

一方、レイチェルは偽の記憶を与える事によって感情を安定させられていた。彼女は自分がレプリカントである事を知らなかったのだ。デッカードにより自分がレプリカントである事を知らされ、自分の物と信じて疑わなかった過去の記憶はタイレル博士の姪の物である事を知ったレイチェルは涙する。そして、タイレル社から脱走するのだった。

アパートでうたた寝をしていたデッカードは夢を見る。白いユニコーンが森の中を走り抜ける夢だ。
目覚めた彼はレプリカント達の根城に残されていた写真を解析し、それを手がかりに彼らを追い詰めて行く。
彼らは写真を大切にしていた。自分達が持たない過去の記憶という物を、写真に求めていたのかもしれない。

やがて、アジア系の人々と妙な日本語のネオン、そして多国籍な喧騒の溢れるロスの街で、デッカードは一人の女性型レプリカントを発見し、追い詰め、射殺する。

生命工学により産み出された彼女は、死の際に涙を一筋流し、そして流れる血は、赤かった。

そのシーンで、シンジは顔をしかめ、隣のレイをうかがう。
レイは真剣な表情で画面を見つめていたが、その手はしっかりと握り締められている。

「あの、レイ、もう止めようか?」

そっと囁くシンジだが、レイは首を横に振るのだった。

「ううん…いい…最後まで見る…」
「そう…じゃ、手を…」

シンジが膝の上に掌を上に向けて指を開いて置くと、その上にレイは自分の掌を合わせて乗せ、指を絡める。
そして、シンジの肩に頭を預けるのだった。

その後、その場に居合わせたレイチェルを連れてアパートに戻ったデッカードは彼女に漏らす。『仕事だが、辛いよ』と。
だが、レイチェルの返事は『私は仕事ではないわ。殺される側よ』と返し、『もし、私が逃げたら、追って来て、殺す?』と問い掛けるのだった。
デッカードは『俺は行かんが、他の誰かが行く』と答え、ソファに横になる。
レイチェルは『VKテスト、受けたことがある?』と訊ねるが、デッカードは疲れから寝入ってしまっていたので、部屋に有ったピアノを弾いてみる。
『ピアノが聞こえた』と起きて来たデッカードに『私が弾いてたの。でも、習ったのはタイレルの姪かも』と答えるのだった。

(碇くんに笑う事を教わったのは…『私』?
 私は確かにそれを憶えている。
 だけど…
 私の記憶は…本当に、私の物?)

シンジの手を握るレイの手に力がこもる。

レイの心の震えに気付いたシンジは、レイの手を握り返し、自分の肩に乗るレイの頭に頬を寄せる。
そして、囁くようにレイに言い聞かせる。
「レイは、レイだよ。
 その…なんて言っていいか、分からないけど…」

「シンジさん…」
シンジを見上げるレイ。

二人の視線が絡む。

「ぼくにとってレイは、初めて会った時から今まで、きみ一人だけだよ。
 今ここにいるレイ、きみだけだから…」

その言葉に、レイの瞳に浮かんでいた不安気なゆらぎが消え、穏やかな光を帯びる。
それを看て取ったシンジが小さく微笑むと、レイは目を閉じ、心持ち顎を上げる。

そして、ふたりはそっとキスを交わす。

紅茶の香りの、優しいキス。

ちょうど画面ではデッカードとレイチェルのキスシーンが流れているのだった…。

場面は変わる。
ロイ・バッティはタイレルのチェス相手のJ.F.セバスチャンを篭絡し、タイレルとの対面に成功する。
彼はさまざまな延命策を提案するが、タイレルは『全て考慮済みだ。君らは完璧だよ』と答え、延命策が無い事を明言する。
そして『明るい火は早く燃え尽きる。君は輝かしく生きて来たんだ。命有るうちに楽しめ』とロイを慰めるような言葉を吐くが、ロイの返事はタイレルに死を与える事だった。

タイレルの死が明らかになり、その場にセバスチャンの遺体もあった事から、彼らの根城がデッカードに割れる。
デッカードはセバスチャンが住んでいた古いホテルに向かい、そこでロイを待っていた最後の女性型レプリカントを『処理』するのだった。

そして、ちょうどそこに戻って来たロイ・バッティは変わり果てた恋人の姿を見つけ、復讐の戦いをデッカードに挑む。
レプリカントとブレードランナーの最後の対決と相成る訳である。

戦いの中、ロイは耳を銃で飛ばされ、寿命が近付き機能不全に陥ろうとする自分の体に古釘を刺して鞭打ち、満身創痍になりながらも、徐々にデッカードを追い詰めて行く。
デッカードも無傷ではない。ロイに指を折られ、銃を落とし、片手で窓から壁を伝って屋上へと逃げようとする。

だが、ロイはついにデッカードを追い詰めた。

隣のビルの屋上へとジャンプするデッカードは足を滑らせ、鋼材に掴まって落下を防ぐが、片手の指が折れているのに加え、降りしきる雨で指が滑る。必死に耐えるデッカードを上から見下ろすロイ。

『恐怖の連続だろう。それが奴隷の一生だ』

デッカードが息を詰まらせ、咳き込んだ拍子に指が滑りまさに落下せんとしたその瞬間、ロイはデッカードの腕を掴んでいた。
そして、引き上げられへたり込むデッカードの前に、ロイはゆっくりと腰を下ろすと、物も言えぬデッカードに静かに語り始める。

『お前ら人間には信じられぬ物を俺は見て来た』

『オリオン座の近くで燃えた宇宙戦艦…』
『タンホイザー・ゲートのオーロラ…』

『そういう思い出も、やがて消える』

『時が来れば…』

『雨の中の…涙のように…』

『…その時が来た…』

そして、レプリカント・ロイ・バッティは静かに生命活動を停止した。


やがて、呆然とするデッカードの視界にポリス・スピナー(空飛ぶパトカー)が降り、もう一人のブレードランナー、ガフが現れる。

『お見事でした。これで終わりですね』

『ああ、終わった』

そう答えるデッカードにガフは先程デッカードが落とした銃を投げ渡して立ち去りかけるが、そこで振り向き言い残す。『彼女も惜しいですな。短い命とは』と…。
そう、彼らに対する指令は脱走したレプリカントの殲滅。レイチェルもその対象なのだ。


慌てて自分のアパートに戻ったデッカードは、レイチェルが無事であるのを見つけ安心するが、すぐに二人でそこを脱出する事を決意する。
そして、レイチェルと共に部屋を出た時、部屋の前の廊下に銀紙で作ったユニコーンの人形が床に置かれているのを発見するのだ。
ガフだ。彼の特技というか、手持ちぶさたの時はいつも手近な紙で何かを折っていた。
だが、何故、ガフがデッカードの夢に出て来たユニコーンを知っているのか?ただの偶然か?それとも…。

二人を見逃してくれたガフに感謝しつつ、デッカードはレイチェルと共にエレベータに乗り込む。
扉が閉まると同時に画面は暗転し、ヴァンゲリスのエンディングテーマと共にスタッフロールが流れ始める。

ビデオが終わりメニュー画面に戻っても、シンジとレイは、しばらく放心したようにその画面を見つめていた。

(デッカードは、レプリカントと知っていてもレイチェル連れて逃げた…。
 でも、ぼくは、カヲル君を…
 ぼくもカヲル君と何処かへ逃げていたらどうだったんだろうか?
 彼を殺してしまわなくてもよかったんじゃないのか?

 でも、そうなったら、レイは、どうなっただろう?

 そうだ…過去のことで後悔したって、何にもならないんだ。

 今は、レイがいる。
 ぼくは、レイが、たとえヒトでなくっても、愛すると決めたんだ。
 ぼくが、しっかりしなくちゃ…)

そんな事を考えていたシンジだったが、肩にかかるレイの頭の重みがフッと消えたのに気付き顔を向けると、レイは思い詰めたような表情でテーブルの上の空のカップを見つめていた。

(やっぱり、見ない方が良かったのかも…)
シンジはそう思いながら、問い掛ける。

「レイ?…あの、大丈夫?」

シンジの問い掛けに、少し間を置いてからポツリとつぶやく様に応えるレイ。

「…シンジさん…」
「うん?」
「あの人たち…幸せになれた?」
「なれたよ、きっと…」
「そう…そうね…きっと…」

「…………」

レイはまだなにか考え込んでいるようで、目を伏せたまま黙っている。

「……レイ?」

レイは一度意を決したように口を開き掛けるが、また口を閉ざしてしまう。

「…………」

やがて、目を伏せたまま再び口を開いたレイは、今度は言葉を発することに成功した。

「…シンジさん…もし、私の寿命が…」
「レイ!そんなこと言うなよ!」

掠れるような声で絞り出されるレイの言葉を気色ばんで遮るシンジだが、レイは伏せていた顔を上げ、真剣な表情でシンジを見つめて言う。

「聞いて…。
 生き物は皆…いつかは死ぬわ。
 もし…私がシンジさんより先に…死ぬ事になっても、
 最期まで…私と一緒に…いてくれる?」

シンジは両手でレイの手を包み込むようにし、必死の形相で答える。
「当たり前だろ!そんなこと!!
 ぼく達は、ずっと一緒だよ!ずっと…」

それはプロポーズにも等しい言葉であったが、今のシンジにはそれに気付くような余裕がなかった。
だが、レイは、その言葉が持つ重さを噛み締めていた。

(ずっと…私が死ぬまで?…一緒に?)

それはシンジを縛る事になってしまうのではないか?という思いが浮かぶ。

(だけど…『ずっと一緒に…』…それは…私の願い…)

わがままだとは思うが、シンジ自信がそれを願ってくれるなら、自分もそんな夢を見たいと思う。

(せめて、今だけでも…)

レイは目を瞬くと、自分の手を包み込むように握るシンジの手に視線を落とし、さらに続ける。
「…お願い…もし、その時が来たら…
 その時は…手を…握っていてくれる?」

「約束するよ、約束するから、そんな悲しいこと言わないで」
シンジはもう泣きそうですらある。

「ごめんなさい…ありがとう…」
レイは空いている方の手をシンジの手に重ね、シンジの肩に持たれ掛かるように頭を預けるのだった。

ふたりはそのまましばらく、指を絡めて肩を寄せ合っていた。

しばらくして気が落ち着いたシンジは、レイの思い詰めたような雰囲気が緩んでいるのに気付き、一つ深く息を吐く。

「ふぅ…今日はもう寝ようよ。
 ゆっくりとお風呂に入って、リラックスした方がいいよ」

「ええ…」


そして、いつもの様に玄関でお休みのキスを交わす二人であったが、いつもよりも深く長くキスを求めるレイにドギマギしてしまったシンジは、レイの微笑みにの影に潜む微かな不安に気付かずにレイの部屋を後にするのであった。


その夜
シンジはまたあの場所に居た。初号機のエントリープラグだ。

(…ターミナルドグマ…また…あの夢だ…)

ぼんやりとそんな事を考えながらも、右手の中の柔らかく温かい命の感触に、不安感が募るのを感じる。

(ちくしょう!このままじゃ、ぼくはまたカヲル君を…)

そう思いながら視線を右手に向けると、今、その手に握られてシンジを見上げているのは、カヲルではなくレイであった。

(!!レイ!)

シンジの背中に冷たい刃物を突きつけられたような悪寒が走る。

レイは、初号機の手の中で、シンジを見上げて微笑んでいた。
透明な笑顔…だけど、どこか悲しみに満ちた…。

(レイ!逃げて!!)

だが、レイは首を横に振る。そして口が動く

『さ・よ・な・ら・・・』

(ああっ!ダメだ!!止めろ!!止めろぉっ!!!)

右手が勝手に握り締められ、レイの顔が苦痛に歪む。

(止まれ!!止まれ!!止まれ!!止まれぇ!!)

シンジはもはや見ていられなくなり、目をギュッとつむったまま、レイを握り締めつつある右手の指を必死に左手でこじ開けようとする。

(うわぁあああああああああっ!!!!!!やめろーーーーーーーーっ!!!!!!!)

だが、右手に伝わる骨の軋みと肉の悲鳴。そして、生温かい血に濡れた感触…。

(うわあああっ!!!!!…ああ…あああっ…どうして…どうして…レイをっ!!)

恐ろしくて目を開く事ができない。だが、それゆえに、その手の感触が妙に強調されて感じられる。

(レイ…ぼくは…ゴメン…レイ…ううっ…うううっ…)

(シンジ君…)

頭を抱えて戦慄くシンジだったが、その涼しげな声にハッとして顔を上げる。

(カヲル君…)

シンジはいつのまにかエントリープラグも無い真っ暗な空間に座り込んでいて、その前に壱中の制服を着てズボンのポケットに両手を突っ込んだカヲルが立っていた。

(カヲル君…ぼくは…レイを…)

縋るような目でカヲルを見上げるシンジ。

だが、カヲルの寂しげな紅い瞳は、シンジではなく違う方向を見ていた。

(シンジ君…彼女の、そばに行ってやった方がいいね)


(!!!)


ガバッと跳ね起きるシンジ。慌てて辺りを見回すと、見慣れたシンジの部屋だ。

「はあっ!はあっ!…夢…か」
体中汗だくで、頭がガンガンするほど胸の動悸が激しい。

妙に不安な気持ち…。

「レイ…」

居ても立ってもいられない。

「レイっ!」

慌てて部屋を飛び出して行くシンジであった。


To Be Continued...

あとがき
長いので、前後編に分けます。

ここで登場した映画「BLADE RUNNER」は今さら言うまでもないですが、リドリー・スコット監督の名作SF映画の「ディレクターズ・カット(最終編集版)」というバージョンです。
この作品、全編に流れる暗くジットリとした雰囲気が凄く好きなんですよ。何度見ても飽きませんねぇ…。まだ見てない方はぜひ一度見てみてください。
なお、作中のセリフを一部引用させていただきました。


さて、次回「長い夜」にシンジとレイは…。


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