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新世紀エヴァンゲリオン++
第弐拾四話:長い夜
- 2016/09/15(木)深夜・レイの部屋
- ガチャ!プシュー
ばたばたばた
玄関のドアロックをパスワードで開けてレイ達の部屋のリビングにやって来たシンジは、レイの部屋の襖を見て立ち止まる。
襖が開いている。
(!?おかしい…)
不安感が極大に達してシンジは躊躇するが、ひとつ深呼吸をすると部屋の中をのぞいてみる。
「レイ?」
カーテンの隙間から射し込む月明りに照らされたベッドの上には、乱れたタオルケットが残されているだけで、そこに眠っているはずの愛しい少女の姿は無かった。
ガラッ!
一気に襖を開け放つシンジ。
「レイっ!!」
慌てて部屋の中を見回すが、どこにも姿が見えない。
「レイ!どこ?どこにいるの?レイ…」
トイレかお風呂にでも行っているのかとダイニングの方へ戻るが、明かりも付いておらず、水音も聞こえない。
(レイ…どこ行っちゃったんだよ…)
全身に冷や汗が噴き出し、心臓を何かに鷲掴みされたように胸が痛み、膝から力が抜ける。
(レイ…ぼくを置いて行かないで…)
どうしたらいいのか分からない。ただ、焦りと不安だけがシンジの心の中を駆け巡る。
(レイ…どうして…どこへ…)
呆然とダイニングに佇むシンジだったが、どこかから聞こえる微かな物音に気付く。
「レイ?」
音のする方向を見極めようと頭を巡らすシンジは、その物音がアスカの部屋の方から聞こえて来る事に気付いた。
(アスカの部屋?レイ…そこにいるの?)
慌ててアスカの部屋へ向かうと、ピタリと閉じられていたはずの襖が半開きになっている。
そして、シンジはその奥にレイの姿を見つけ、ホッとして全身の力が抜ける。
「レイ…」
(どうして、ここに…)
だが、ホッとしたのもつかの間、シンジはレイの様子が尋常でない事に気付き、ギクリとする。
パジャマ姿のレイは、アスカのベッドの上で膝の上にアスカの枕を抱きかかえて座っていた。
だが、背中を丸め両手で枕ごと膝を抱え込んだ姿勢のレイは浅く早い呼吸を繰り返しており、俯き加減の顔は青ざめて生気が無く、見開いた目は虚ろでその瞳は何も写していない様に見える。
(レイ?一体何が…)
慌ててベッドサイドまで駆け寄ったシンジは屈み込み、レイの細い肩に手を掛ける。
「レイ?レイ?大丈夫?」
ビクッと身体を震わせたレイは、そこで初めてシンジがそばに居る事に気づいたようだ。
シンジを見上げると、その紅い瞳に涙が溢れて来た。
「いかり…くん……碇くん…碇くん!!碇くん!!」
アスカの枕を手放し、キュッとシンジに抱き付くレイ。
「レイ…どうしたの?」
シンジはその華奢な背中に両手を廻し、優しく包み込むようにレイを抱き寄せるが、その身体は小刻みに震えていた。
(震えてる…恐い夢でも見たのかな?)
「…夢…」
微かに聞き取れるかどうかというレイの言葉に、シンジは聞き返す。
「夢?…恐い夢を見たの?」
「…そう、夢を…見たのだと…思う…」
レイは今まで夢を見たことがなかった。いや、もし見ていたとしてもそれを記憶に留めていることはなかった。それ故、今の体験が何であるのか理解出来ずパニック状態に陥っていたのだ。
「私…あの時の、ターミナルドグマにいて…
碇くんに…初号機に…捕われていた…」
(!同じ夢だ)
「碇くんは『逃げて!!』って、叫んでいたのに…
私は……私は…笑っていて…
そのまま……そのまま…」
(!?全く同じじゃないか!どうして…)
「私…碇くんに…辛い思いをさせてしまった…」
(!!!)
その言葉は、ふたりが同じ夢を見ていたという奇妙な事実以上にシンジに衝撃を与えた。
自分自身の無残な死よりも、それによりシンジに辛い思いをさせる事の方がレイにはショックな事なのかと…。
「レイ…」
(きみは…なんて…)
シンジはレイを抱きしめずにいられなかった。
そのか細い身体が壊れてしまわないように優しく、だが、しっかりと…。
その腕の中で、レイはシンジの胸にすがり、声も無くすすり泣くのだった。
(ゴメン、レイ。ぼくは…君の事、まだ解ってなかった…)
シンジはレイの事を、普段は可愛らしい物静かな少女だが、いざとなれば冷静で芯の強い女性だと思っていた。過去の使徒との戦いの中での振舞いや、彼女が持つヒトならぬ力の事も頭の隅に有ったからかもしれない。だが、シンジの腕の中で震えるか細い身体は、レイもまた繊細で傷付き易い心を持った普通の少女であるということを示していた。
それはシンジにとって衝撃であると同時に、『この少女を護らねば!』という強烈な保護欲を掻き立てるのだった。
左手はレイの背中に廻したまま、右手でレイの髪からうなじにかけてゆっくりと撫でながら、一言一言含んで聞かせるようにレイの耳元で囁く。
「それは…夢だ。
ただの、夢なんだよ…。
ほら、ぼくはここにいるし、ぼくはきみを傷付けたりしないよ」
その優しい愛撫と穏やかな声の響きは、悪夢に脅え凍えていたレイの心をじんわりと温めていく。
「だから、大丈夫だよ。
ね、レイ。
大丈夫だから、落ち着いて」
やがて、身体の震えが止まり、こわばっていたレイの身体から力が抜けていく。
はふぅ…
レイの力の抜けたような吐息が、顔を埋めているシンジの首筋をくすぐる。
「ん…ありがとう…もう、大丈夫…」
その声は、泣いた後だからだろうか?ちょっと鼻に掛かったような甘えたような響きを持っていた。
「そう…もう、いいの?」
「ええ…ごめんなさい…」
「いいよ、これくらい」
レイが落ち着いた事でシンジにも少し余裕が出来て、抱きしめているレイのパジャマが寝汗で湿っている事に気づく。自分のシャツも同様にジットリとしてしまっているのにも気付いたが、それは取り合えず後回しだ。
「とにかく、汗びっしょりだし、シャワーでも浴びて来たら?
そうすれば気分も落ち着くよ」
「………そうね…そうする…」
レイを風呂場へと連れて行った後、シンジはレイの部屋に入り、明かりを点ける。
ベッドのシーツも汗で湿ってしまっているのではないかと思ったのだが、案の定背中に当たる部分が冷たく湿ってしまっていたので、シーツを取り替えてあげることにした。
新しいシーツを敷き、ついでに枕カバーも取り替え、ベッドメイキングを終えたシンジはそのベッドに腰を下ろし、落ち着いて先程の夢の事を考えてみる。
(どうして、ふたりとも同じ夢を見てたんだろう?
あの映画のせいかな?
だけど、全く同じ内容みたいだし、そんな事ってあるんだろうか?
そう言えば、以前、ぼくが夢にうなされていた時も、
レイが何かを感じてぼくの部屋に来たことがある。
何かよく解らないけど、心が通じ合ってるって事なのかな?
だとすれば嬉しいけど…)
「…碇くん…」
シンジの思考を途切らせたのは、レイの声とふわりと漂う石鹸の香りだった。
ハッとして顔を上げたシンジは、そこで固まってしまう。
そこには湯上がりのレイが、身体にバスタオルを巻いただけの姿で立っていた。
「シーツ、換えてくれたのね…」
そう言いながら近付いて来るレイに、シンジはドギマギしてしまう。
「う、うん、ゴメン、勝手に…」
そう言いながらベッドから立ち上がったシンジは、そこでようやく自分の格好に気付く。Tシャツにトランクス1枚。それが今のシンジの格好だった。
(ま、マズイよ!この状況は!!)
焦るシンジ。
「ううん…ありがとう…」
そう言って微笑むレイの、熱いシャワーに上気した肌と濡れた髪がなんとも色っぽく、シンジの心臓がドキンと鳴る。
(マズイよ、マズイよ…)
思えば自分は下はトランクス一枚なのだ。テントなんて張ってしまったら格好悪いなんて物ではない。ますます焦るシンジ。
「あ、じゃ、ぼく、帰るから。おやすみ」
シンジは胸の高鳴りを悟られぬようにと、慌ててレイの横を通り抜けて部屋を出て行く。
「あ…」
パタン!
レイはシンジが横を通り過ぎようとした時、とっさに振り向いて右手を伸ばしたのだが、その手はシンジには届かず、目の前で襖が閉じられてしまったのだった。
残されたレイは、伸ばし掛けた手をそのままにしばらく固まっていたが、やがてその手を胸の前に持って来て左手で包み込むと、俯いてつぶやくのだった…。
「………碇くん…」
レースのカーテンが、少しだけ開いた窓からの風に揺れていた…。
- シンジの部屋の風呂場
- シャァァァァァ…
シンジはシャワーを浴びていた。
キュ…
「ふぅ…」
シャワーを止め、顔を手で拭う。
髪からポタポタと水が落ちるのをそのままに、シンジはしばらくそこに佇んでいた。
(レイは無防備で困っちゃうな…。
ぼくだって男なんだから…マズイよ…)
妄想を振り払うように頭を振ると、ハンガーに掛けてあったタオルを取り、ガシガシと頭を拭く。
(まだ、朝まで時間が有るし、冷たい麦茶でも飲んで寝よう)
バスユニットのドアを開け、脱衣所に出ると、バスタオルで身体を拭き、用意しておいた換えのパンツとTシャツを身に着けるシンジであった。
- シンジの寝室
- 風呂から出て、キッチンで麦茶を1杯飲んだシンジは寝室に戻る。
カラ…
襖を開け、部屋に入り、後ろ手に閉じる。
パタン…
「!!」
窓からの月明りに浮かぶ、そこにいるはずの無い人影を見て、シンジはビクッとして固まってしまった。
「レ…レイ?」
布団の上には、ダブダブのTシャツ1枚という格好のレイが自室から持って来た枕を抱えてちょこんと座っていた。
「ごめんなさい…勝手に…入って来てしまって…」
「い、いや、だけど、どうしたの?」
「寂しいの…」
「え?」
「独りは寂しいの…」
レイはそう言って項垂れると、枕をキュッと抱き締める。
(そうか、あんな夢見た後だもんなぁ…)
シンジにもレイの気持ちはわかる気がする。
あの廃墟のような団地の一室に一人で住んでいて平然としていた、あの頃のレイとは違うのだから。
「そっか…だけど…」
「…いっしょに…寝たいの…」
「えっ!?」
まずい。それはまずい。ユニゾンの時のアスカとの事を思い出せば、無防備なレイと一緒に寝るなんてことになったら、自分の理性に自信が持てない。
「で、でも…」
躊躇するシンジに、レイは顔を上げて懇願する。
「……お願い……」
少し潤んだ切なげな紅い視線が、次第にシンジの心理防壁を侵食して行く。
(ううっ…そんな目でみつめられたら、断るなんて、出来ないよぉ…。
一緒に寝るだけなら…そうだよ、レイは寂しいんだ。
変な事考えちゃだめだ。
ただ、一緒に寝るだけなんだから。
それ以上の事はないんだから…)
無理やり自分を納得させたシンジは、観念したように一つ溜め息を吐く。
「ふぅ……わかったよ…今夜は一緒に寝よう」
その言葉にレイの寂しげな表情がゆっくりとほころび、嬉しげな笑顔に変わるのを見ると、シンジもつい優しい笑顔を浮かべてしまうのだった。
窓に掛かる半開きのカーテンの間から射し込む月の淡い光が照らすシンジの寝室には、一枚の敷布団に二つの枕が並び、そこに今、レイが横になろうとしている。
大きめのTシャツからのぞくたおやかな白い脚が艶めかしく思え、シンジは思わず生つばを飲んでいた。
ごくり…
シンジは自分の喉が鳴る音の思わぬ大きさにそれをレイに聞かれなかったかと様子をうかがうと、既に枕に頭を落ち着けてタオルケットを胸から膝辺りまでに掛けたレイはじっとシンジを見上げていた。
「…寝ないの?」
「う、うん、寝るよ」
Tシャツ一枚の恋人が布団の中から自分を誘っている。
レイの口調からはそんな響きは感じられないが、状況はまさにそうである。
これが冷静でいられようか?
(落ち着け、落ち着くんだ…)
シンジは心の中でそうつぶやくと、一つ深呼吸をして、緊張に固まっていた身体を無理やり動かすとレイの隣に横になる。レイの身体に触れないように注意しながら。
「ゴメン、タオルケット、半分入れさせてもらうよ?」
「元々、碇くんの物よ?」
「はは、そ、そうだけど…」
ようやく枕に頭を落ち着けて隣のレイを見ると、レイもシンジを見ていた。
「なんか、緊張するね」
「そう?…わからないわ。
でも、少し、ドキドキする…」
「うん…ぼくも…」
しばらく無言で見つめ合っていたが、やがてシンジが口を開く。
「じゃ、寝ようか」
「ええ…」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
そして、天井を向き、目をつむるふたりであった。
(眠れない…)
なるべく隣りのレイを意識せずに眠ろうとするシンジだったが、レイの息遣いとほのかな甘い香りを間近に感じてなかなか寝つけずに、やがて目を開けると窓の外を見上げる。
満月に近い丸い月と、その月明かりに照らされた雲がぽかりぽかりと浮いているのが見える。
(明日は満月、か…)
今でも満月を見るとヤシマ作戦の時の事を思い出す。今夜は特に一層強く…。
あの夢のせいだろうか?
(『強いんだな、綾波は』…あの時の、ぼくの言葉…。
ぼくは、解ってなかったんだ。
生への執着が無い故の死を恐れない強さ、か…。
レイは…あの頃から、少しずつ変わってきたんだ…。
父さんの計画の為に作られた存在から、
自らの意思で生きる一人の女の子へと…)
月を飛び越えるようにして宇宙へと飛び立って行った初号機の姿を思い出す。
(ぼくは、変われたのかな?
あの頃のぼくよりは、マシになってるのかな?父さん…母さん…。
自分じゃ、あんまりそんな気がしないけど…)
雨上がりの濡れた町並みを照らす月明かりを思い出す。
(そう言えば、レイと初めてキスしたのも、満月の夜だったな…。
あの頃は毎晩お休みのキスをするようになるなんて、
思ってもみなかったけど…。
今じゃディープキスをレイから求めて来ることさえあるもんなぁ…)
レイの柔らかな唇と舌の感触を思い出し、その持ち主である彼女が隣りに寝ている事を強く意識してしまい身体が熱くなる。
(あ、まずいなぁ、意識しちゃったよ…。
レイは、平気なのかな?)
レイの寝顔をうかがおうと、顔をレイの方に向けるシンジであった。
一方、レイもなかなか寝付けずにいた。
いつもならシンジと一緒にいる時は心が安らぎ落ち着いた気持ちになるのに、今は違う。同じ布団の中で隣りにシンジが寝ている。それを考えるだけで胸が高鳴る。
とくんとくんとくん…
息苦しいような締めつけられるような切ない胸の痛み。奇妙な感覚。
(眠れない…)
そっと目を開き隣りのシンジを見やると、眠っていると思っていた彼は目を開いており、頭上の窓の方を見ているようであった。
月の光に照らされたシンジの横顔に見入るレイ。
その優しい顔立ちは中性的で繊細な雰囲気はそのままに、初めて会った時よりも精悍さを増して来ている。
(いつからだろう?私が碇くんの事を気にしだしたのは…。
最初はただ「司令の子供」としてしか認識していなかった彼を好ましく思い、
気付くと視線を向けているようになったのは…)
記憶の中の自分の心の変化を辿りながらシンジを見つめると、彼の瞳に反射する光に気付く。
そして、レイも窓の外へ目を向けるのだった。
(月…)
そう、思い出した。それはヤシマ作戦の夜。
『自分には…自分には他に何も無いなんて、そんなこと言うなよ…
別れ際にさよならなんて、悲しいこと言うなよ…』
『何泣いてるの?』
(あの時、私には何故碇くんが泣いているのか理解出来なかった。
でも今は解る。今は彼から貰った『心』があるから。
いえ、『心』は元々自分の中に有った。『感情』すらも。
感情を表に出す事を知らなかったあの頃の自分。
それを教えてくれたのが彼だった)
『ごめんなさい、こういう時、どんな顔をすればいいのか分からないの…』
『笑えばいいと思うよ…』
(碇司令はそれを教えてはくれなかった。
あの人は、いつも無口で無表情だった。
私を見る目は優しかったけど、それは『私』を見ているのではない事に、
いつしか気付いてしまった。
私はあの人の、碇司令の目的の為だけに作られた人形だということに…)
(あの頃は、それでいいと思っていた。
思い込もうとしていた。
私はヒトとは違うのだから。
造られた存在なのだから…)
(でも、それは間違いである事を、碇くんやアスカは教えてくれた。
造られた存在であっても、
ヒトでなくっても…
私も幸せを求めていいということを)
(幸せ?…『幸せ』って、何?)
(よく解らない。
でも、一つだけ言えることは『碇くんと一緒に居る』時の心地良さ。
これが幸せということなんだと感じる。
きっと、それは間違いではない)
(でも、碇くんも、そう感じてくれる?
私と一緒に居たい?私が一緒に居てもいい?)
『ぼく達は、ずっと一緒だよ!』
(今日、碇くんはそう言ってくれた。
嬉しかった…とても…。
でも…この不安は、何?
私は碇くんを信じている。
でも、なぜこんなに不安なの?
絆が…
もっと確かな…絆が欲しい…)
やがてレイは月から視線を戻し、右半身を下にして身体ごとシンジの方へ向く。
すると、ちょうどシンジもレイに顔を向けた所だった。
ふたりの視線が交差する。
「あ…」
「……」
思い詰めたような紅い瞳でじっとシンジを見つめるレイにシンジは少し不安を感じて、身体ごとレイに向き合うように左半身を下に横向きになる。先ほどよりもお互いの距離は近くなり、月明かりで表情がよく見える。
「あの…レイも、眠れないの?」
シンジの言葉に目を伏せてしばらく逡巡していたレイだが、やがてシンジの胸元辺りに視線を置いたまま口を開く。
(もし…もし…拒絶されたら…)
そんな不安を振り切って、勇気を振り絞って…。
「抱いて…欲しいの…」
掠れるような微かな声。だがそれはシンジの耳に確かに届いた。
ドクン!!
「っ!!!」
心臓が一際大きく鼓動を打ち、息を呑むシンジ。
レイは単に先ほどのように優しく抱き締めて欲しいだけだったのだが、その発言はシンジの辛うじて保っていた理性の堤防を決壊の一歩手前まで亀裂を入れるに充分な破壊力を持っていた。
「レイ…」
(落ち着け…落ち着け…)
必死に唾を飲み込み、気を落ち着けようとする。
(そ、それって、どういう…。
まさか、でも…
そりゃ、ぼくだって、そういう事してみたいし、
こんなこと、めったにないチャンスだし…。
だ、ダメだ!ダメだ!何考えてるんだよ、ぼくは!
まだ早すぎるよ!ぼく達中学生なんだし!
焦らなくたって、いつか、きっと…。
でも、今断ったら、レイの心を傷付けることになるかもしれない。
今日は特に不安定そうだし…。
ううっ…どうしよう、カヲル君、ぼくは、どうしたら…)
レイを拒絶したくない、でも、この状況は、非常にまずい。
シンジの崩壊寸前の理性は辛うじて機能していたが、それ故に、葛藤に身動き取れなくなっていた。
一方、『うん、いいよ』…期待していたそんな返事をもらえなかったレイは、失望と悲しみに囚われていた。
(…ダメ…なの?)
キュウ!っと胸が締めつけられ、視界が滲む。
レイの紅い瞳に溢れる月の光の雫を見たシンジは思わず葛藤も忘れて右手を伸ばし、その白い頬に触れていた。
「レイ…」
(ぼくは、サイテーだ!
レイの気持ちも考えないで…)
彼女がどれほどまでに温もりを求めていたのか、零れる涙を指で拭いながら、シンジは自分の考えの至らなさを後悔していた。
「ゴメン、泣かないで、レイ。
ゴメン…」
レイは頬に触れるシンジの手の優しい愛撫を心地良く感じながらシンジをじっと見詰めていたが、涙に潤んだその瞳にはその心の揺らぎを映すかのように月の光がゆらゆらと揺らめいていた。
それがシンジの心を奪う。
シンジは左手で肩の辺りに見えるレイの右手を取ると手の平を合わせ、指を絡める。そして、頬を撫でていた右手をそっとレイの肩から背へと回し、優しく抱き寄せる。
レイの心が絶望の奈落へ落ちてしまわないように。
そして、腕の中の細く柔らかな身体の感触に鼓動を激しくさせ、顔を真っ赤にしながらも、その紅い瞳を覗き込むように見詰めて、優しく諭すように言う。
「泣かないで…。
大丈夫だから…。
ぼくが一緒だから…」
その一句一句は、シンジの胸の動悸を表すかのように震えていた。
その言葉を聞くと、レイは一旦目を伏せ、またシンジを見つめ返す。
「私の事…好き?」
そしてまた、レイの声も微かに震えを帯びていた。
「もちろん、好きだよ。
他の誰よりも…」
「私も…碇くんが、好き…」
そう答えながらレイはシンジの背に手を回し、身を寄せると、自らの唇でシンジの唇を塞いだ。
そして、そのしなやかな細い腕が、その白魚のような細い指が、シンジの背中をかき抱く。
シンジはいきなりのキスに一瞬たじろいだが、すぐにその心地良さに身を任せ、目をつむる。
その唇の柔らかさが、腕の動きが、細い指の感触が、その全てがシンジに深い感慨を与えていた。
(ぼくをこんなにも求めてくれる存在が、この世界に居るなんて…)
そして、また、こうも思う。
(ぼくがこんなにも誰かを好きになれるなんて…)
そして、レイを抱きしめる腕に力を込める。
(もう、離したくない。
誰にも渡したくない。
この人を。
この大切な女(ひと)を…)
そんな想いを込めて。
それにより、身体がより密着し、胸や足までもが触れ合う。
シンジはシャツ越しに感じる胸の弾力にドキドキし、太ももやふくらはぎの柔らかさに驚き、擦れ合う素肌のあまりの心地良さに頭がボーっとしてくる。
そして、それはレイも同じであった。
(ああ、私は、これを求めていたのね…この心地良さを…
でも、もっと…もっと…碇くんを感じたい…。
…それには…)
レイは必然の帰着としてある答えに辿り着いた。
「んっ…はぁ…」
唇を離し、ひとつ息を吐くと、潤んだ瞳でシンジを見つめる。
「シャツ…」
「えっ?」
「シャツ…脱いでいい?
もっと…碇くんを…感じたいの…」
「!!!」
ギョッとするシンジ。今は辛うじて踏み止まってるけど、そんな事になったらもう自分を止められない。シンジにはそんな自信(?)が有った。
「だ、だめだよ、ぼくは…ぼくは…」
擦り寄せられる柔らかな身体と甘い香りに、シンジの心理防壁は風前の灯。
「碇くんと…ひとつに…なりたいの」
その甘えたような声は、ついにシンジの心理防壁を溶解させ、なけなしの理性を吹き飛ばしてしまった。バクンバクンと頭の中にまで心音が響き、喉がカラカラになって声が掠れる。
「後悔、しないよね」
最後通牒とも言うべきシンジの言葉に、レイは即答した。
「どうして?それが私の願いなのに…」
それがどういう意味なのか、今のレイには解っていた。
それでも、いや、だからこそ、レイはそう答えたのだった。
シンジが自分を求めてくれることが喜びであったし、シンジが求める全てを与えることが今の自分の願いなのだから。
「レイ…」
「だから、お願い…」
仄かな月明かりに浮かぶ、瞳を潤ませ頬を染めたレイの乞うような表情に、抗えるシンジではなかった。
月の青白い、だが柔らかな光が照らす中、睦び合う若いふたり。
月明かりに浮かぶ艶めかしくうねる白く細いレイの肢体。
華奢ではあるがしなやかな筋肉が付きつつある、汗のにじむシンジの背中。
若いと言うより、まだ幼いとすら言えるふたりは、互いの肌の心地良さと温もりを求めて、もう、他の事は何も考えられなくなっていた。
ただ、ひたすら、快感を貪るようにお互いを求める。
いつしか月光以外にもふたりを包む物が有った。それは、淡いオレンジ色の柔らかな微光。
だが、互いに求め合う事に夢中なふたりは、そのことには気付いていない。
レイの切なげな吐息、甘い声。
シンジの荒い息。
悦びにわななく、互いの名を呼ぶ声。
苦痛をこらえるレイの喘ぎ。
やがて、シンジの熱い想いの塊が、レイの中に迸る。
ふうーっと息を吐き、全身の強ばりが緩んだその瞬間、シンジは自分のしでかした事に気付き、我に返る。
「あっ!ご、ゴメン!」
慌てて身を離そうとするシンジだが、トロンと潤んだ瞳に頬を紅潮させたレイは、シンジの背に廻した手でしっかりとその背を抱き締め、気だるげな声で引き止める。
「お願い…もう少し、このまま…」
「で、でも、ぼく、中で…」
今更そんな事に気づいたシンジは青くなって口ごもる。
その言葉でシンジが何を気にしているのかに気付いたレイ。
「……子供が出来る事が心配?」
「あ、う、うん」
だが、その返事にレイの表情に悲しみが滲むのを見て、シンジは慌てて取り繕う。
「あの、決してきみの子供が欲しくないとかって言うんじゃなくって…。
なんて言うか、ほら、ぼくら、まだ、中学生だし、早過ぎるから…」
「………そう。
でも、問題無いわ。
だって、私には…」
言い淀み目を伏せるレイ。
「??」
怪訝な表情のシンジ。
レイは目を伏せたまま、つぶやくように続ける。
「私には…その機能は…無いから…」
「えっ?!」
シンジは一瞬レイが何を言っているのが理解できなかったが、次の瞬間にはそれが何を意味するのかを悟って絶句する。
「私には、ATフィールドを操る力が有る。
でも、それは望まぬ力。
私が本当に欲しい力は…。
私はまだ…その力を手に入れていない」
「レイ…」
重過ぎる事実に、掛けるべき言葉がみつからない。
レイは視線を上げ、シンジを見つめる。
「でも、赤木博士は、可能性は有ると言ってくれた…。
だから、私は、信じてその日を待っている。
これだけは、待つことしかできないから…。
だから、待つの…」
その顔には微笑みが浮かんでいたが、その声には切ない願いが込められ、微かな震えが含まれていた。
こんな時何と言っていいのかシンジには解らない。だけど、何か言ってあげたくて口を開く。
「あの、レイ…」
『ゴメン』と言いかけて、なんとなく、そう言ってはいけない気がして…。
レイをそっと抱き締めると、その耳元に囁く。
「…ありがとう、ぼくを受け入れてくれて…」
(ぼくはまだ、レイの全てを知らない。
知れば辛い事も、まだまだ有るのかもしれない。
でも、それでもいい。
それでも、ぼくは、レイの心の支えとなって、一緒に生きていきたいんだ)
シンジはそんな決意を新たにしていた。
「いいの…私の方こそ、ありがとう。私は…」
『ヒトではないのに』と言いかけて、なんとなく、そう言ってはいけない気がして…。
「私は…この日を夢見ていたのだから…」
(私は、この日を忘れない…。
この、幸せな時を…。
全てが無に還る、その日まで。
決して…忘れない…)
「レイ…」
そして、今一度キスを交わす。
結んだ絆を、より確かな物にするために。
やがて、抱き合っていたふたりは身体をほどき、安らぎの中に寄り添うように、互いの温もりを感じながら深い眠りに落ちていった。
そんなふたりを、淡い月光が優しく包んでいた。
今宵、二人は一つとなり、新たなる絆を結んだ。
強く…
深く…
月が、その立会人。
それは、ふたりの、初めての、長い夜の出来事…。
- 翌朝(9/16)
- チチチチ…チュンチュン
鳥の声と窓から射し込む朝の光に、心地良いまどろみからゆっくりと浮上するシンジの意識。
ゆっくりと目を開くといつもの天井。
肌に感じるいつもと違う温もり。
頬に触れるサラッとした髪の感触。
鼻腔をくすぐるレイの甘い香り。
穏やかな呼吸音。
(ああ、夢じゃなかったんだ。
ぼくは、ついに、レイと寝ちゃったんだ…)
そんな感慨がジワジワと現実感を帯びてくる。
シンジはレイを起こしてしまわないよう、ゆっくりと顔を傾けるとレイの寝顔を伺う。
朝日を受けて煌くプラチナブルーの髪の下にのぞくのは、満ち足りたような、安心しきったような、あどけないレイの寝顔。
彼女がこんな表情で朝を迎えた事が、過去にあるのだろうか?
それは自惚れにすぎないのかもしれない。だが、レイの生い立ちからそれを考えると、喩えようの無い愛しさが込み上げてくる。
彼女のこの安らぎを、自分が護らなければ…そんな決意と共に。
シンジはそのまま愛しさと安らぎに満ちた時間を楽しんでいた。
ピク…ピクッ…
銀糸の睫毛が動き、その双眸がうっすらと開かれる。
(あ、起きるかな?)
そう思ったシンジだが、レイはまたトロンと目を閉じてしまう。
「ん…」
そして、喉の奥でくぐもった声を洩らすと、シンジの首筋に頬を擦り付けてきた。
(れ、レイ?起きてるの?寝ぼけてるの?(汗)
「んふ…ん…うん…」
首筋をくすぐる悩ましげな吐息がシンジの頭に血を上らせる。
腰に掛けたタオルケットの中には、男の朝の生理現象に輪を掛けて元気になっていく物が在る。
(あああ!レイ、マズイってば!)
シンジが内心焦りまくっていると、パチッ!っと音がするような勢いでレイの目が見開かれる。
紅い瞳がキョロキョロと左右に動き、次に上を向く。
上目遣いの視線がシンジの困ったような顔を捉えると、パチパチッと瞬きをする。
そして、とろけるような微笑みを浮かべる。
サラサラとしたプラチナブルーの髪、白く透けるような滑らかな肌、吸い込まれそうな紅い瞳。しっとりと柔らかそうな桜色の唇。
その全てが朝日に輝き、極上の微笑みがそれらを完璧にまとめている。
しばし見とれてしまったシンジは、眩しげな目でレイをみつめて微笑む。
「おはよう、レイ」
「おはよう…碇くん」
「あ…」
シンジは唐突に気付いた。昨夜からレイが自分を『碇くん』と呼んでいる事に。
「あの…もしかして、ぼくのこと『シンジ』って呼びにくいかな?」
「…どうして?」
(ああ…やっぱりそうなのかな?)
シンジは思った、自分はまだそう呼ばれるに相応しくないのではないかと。
「あのさ、呼び難ければ、前のように『碇くん』でいいよ。
『シンジさん』もいいけど、ぼくにはまだ早かったんだ、きっと。
ぼくは「さん」付けで呼ばれる事で、自分がきみより上に位置付けられるような
錯覚に甘んじていたのかもしれない。
だから、ぼくが、そう呼ばれるのに相応しい男に成長するまでは、
レイが自然にぼくをそう呼べるようになるまでは、前のままでいいよ」
だが、シンジの思惑とは別にレイにはレイの思う所があるようで、静かに首を横に振る。
「碇くん…ううん、シンジさん。
違うの、私もそう呼びたいから。
でも『碇くん』って呼び方は、特別なの。
心が痛い時、寂しい時、不安な気分の時は『碇くん』って呼びたい時が有るの。
だから、そう呼ぶことがあるけど、許して欲しい。
あなたを好きだと思う心に、違いは無いから…」
少し上目遣いに、乞うような紅い瞳。
「…うん。いいよ、どう呼んでも、ぼくは、ぼくだもんね。
それに、ぼくもきみの事、好きだから。
この気持ちは、誰にも負けないつもりだよ。
だからレイ…ぼくは、幸せだ…」
「シンジさん…私も、幸せ…」
そして、ふたりは優しくついばむようなバードキスを交わす。
「その…まだ、痛む?」
「ん…痛みはそれほどでもない。
少し…違和感が残ってるけど、でも、大丈夫」
「そう、でも無理しないで。
今日はぼくが朝食作るから、レイは、まだ寝ていて」
「そう?…わかったわ…」
シンジは上半身を起こすと布団の横に放り出してあったパンツを拾い、レイに背を向けてそれをはく。昨夜は月明かりの下でお互い全てを見せているとはいえ、朝の光の中ではやはり見られるのは恥ずかしいし、見るのも気恥ずかしい。
短パンとTシャツを身につけて気を落ち着けると、横になっているレイの裸体を直視しないようにしながらタオルケットを掛けてあげる。
その際、シンジはシーツの上に赤黒い染みを見つけてしまった。
それは、レイの純潔の証。
つい昨夜の事を思い出してしまい、頬が燃えるのを感じるシンジであった。
「あのさ、レイ、このことは人に言っちゃだめだよ」
「どうして?」
「どうしてって、一般的にはまだ早いと思うんだ。こんな事…。
だから、人に知られたらきっと色々面倒な事になると思うんだ」
「そう…解ったわ。ふたりだけの、秘密ね」
「そう、ふたりだけの秘密だよ」
そして、その日はふたりの部屋のベランダに、それぞれのシーツが風になびく事になった。
- その夜
- 今夜も一緒に寝る事にしたが、シンジはレイの身体を労り、ただ、キスを交わし、満月を眺めながら寄り添って眠るだけにしたふたりであった。
- 9/17(土)
- 留守中のふたりを気にしたアスカは、予定を繰り上げ、一日早く帰ってきた。
「ただいま、レイ」
「アスカ、お帰りなさい。
早かったのね」
「ん〜、ちょっとね、あんた達が気になってね。
はい、これ、お土産。
シンジは?」
「今、リビングに…」
「そ。あ、それ、冷蔵庫に入れておいた方がいいわ。
シンジー、ただいま」
「あれ?アスカ、明日の予定じゃなかったっけ?早かったね」
「何よアンタ達、ふたりして『早かったね』って、早くてまずい事でも有ったの?」
「な、そ、そんな事ないよ、はは、やだなぁ」
「そりゃふたりっきりの甘い時間を少しでも長く過ごしたいってのは分かるけどねぇ」
「アスカ、お茶入れたから…」
「ありがと。
で、アンタ達、アタシがいない間に、ホントに何もなかったの?」
「(ぽっ)……秘密」
「は?ちょ、ちょっと、何よそれ?!やっぱり何か有ったのね?!」
平然と『何も無かったわ』と言えばいい所を、頬を染めて『秘密』などと言ってしまえば、アスカでなくとも何か有ったと気づくだろう。
「それは、ふたりだけの秘密なの」
「レ、レイぃ…」(それじゃ、秘密の意味がないよぉ)
頭を抱えるシンジであった。
「シンジぃ〜!!どういうことか説明してもらいましょうか?
まさか、アンタ、レイとヤっちゃったんじゃ…」
「あ、アスカ、表現が露骨」
「露骨もお骨も無いでしょっ?!」
「アスカ、いいの…私が望んだ事だから…」
「でも…」
「確かに早過ぎるかもしれないけど、ぼくが責任を取るよ。
レイは、ぼくが幸せにする。
まだ、自信は無いけど、最大限努力するから」
「シンジさん…」
お目めウルウルでシンジを見つめるレイと、レイを見てうなずくシンジ。
「そう…いいわ、もう、反対はしない。
でも、無茶はしないでよ。
ちゃんとレイの身体を労り、思いやること!」
「わかってるよ、アスカ」
「ま、ヤっちゃったものはしょうがないしね。
で、レイ、どうだった?シンジは優しくしてくれた?」
「(ぽっ)ええ…とても…」
「や、やめてよ、アスカ、悪趣味だよ」
「ちょっとくらいいいでしょ。
他人のSEXを根掘り葉掘り聞くような事はしないって!
感想を聞くだけよ、感想を!」
最後には好奇心が勝つアスカであった(^_^;)。
- あとがき
- は〜っ!今回は難産でした。何がどう難しかったかは、まぁ、読めば分かるでしょう(^_^;)。
さて、ふたりはついに一線を超えてしまいました(*^_^*)。
いささか早過ぎる感も無きにしも非ずですが、当初の予定通りですし、ま、いいでしょう、このふたりなら(^_^;)。
しかし、シンちゃん、いかんね〜、せっかくもらったゴム、ちゃんと使わないとぉ(困)。
一応無指定ですが、Rかな〜?やばいな〜、Rかもな〜(汗)。
期待された方には申し訳ありませんが『++』をX指定にする気は無いので、ショーユ味でサラッと…(^_^;)。
でも、直接表現せずに想像させるってのは、直接描くよりよっぽど刺激的だと思うのは私だけでしょうか?
所々「泊れ!」とかぶっちゃう台詞や展開があったりするのはお見逃しを…。っつーか、元々アレって「++」の予行練習でもあったんで(爆)。
レイのシンジの名の呼び方については『魔法の言葉』も参照ください。
さて、次回は…。これがまた難しいんだ。またちょっち間が開くかも。