綾波の名は綾波 1

Written by Kie


 

 I あなたはだぁれ?

 

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<1>湖畔にて

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 空はどこまでも澄み渡り、青いキャンバスに飛行機雲の白い直線がたなびく。台風が
過ぎ去った後の透き通った大気、赤々と燃える太陽。吹き抜ける風が荒涼とした湖面に
小波を起こし、破壊されたビルの残骸が犬の遠吠えのような低い音を響かせる。水面に
突き出たビルが祭りの後の寂しさを醸し出し、やせ細った鳥がその隙間を飛び回る。

 湖畔には二つの影。その光景を眺めている。

 VTRカメラを左手に抱え、少年は立ったまま、ぽつりと呟く。

「なあ、シンジ。元気出せよ。」


 その左横には膝を抱えた少年が、霞んだ瞳で、佇んでいる。

「なあ、シンジ・・・

  ・・・シンジ・・・

   ・・・シンジ?

 おい、聞いているのか」

 ファインダーから目を放した少年は、振り向きざま問い掛ける。

 ・・・綾波・・・
      どこに行ったんだ・・・
                綾波・・・

 少年は身動き一つせず、同じ言葉をブツブツ繰り返している。

 その呟きに耳を澄ます影が、水面にゆらゆら揺れている。

 

ジィーーーーーーーーーッ

  ジィーーーーーーーーーッ

          ジィーーーーーーーーーッ

                ジィーーーーーーーーーッ

ジィーーーーーーーーーッ

 蝉の騒音が鼓膜に反響し、照りつける陽の光が肌を焦がす。額の汗は頬を伝い、鼻
からずれ落ちた眼鏡は不快感を一層募らせる。居たたまれなくなった少年は、相手の
傍らに腰掛ける。両足を投げ出すと、ため息とも安堵ともつかぬ声を空に向かって吐
き出す。

「でも、よかったよな。爆発が大したこと無くて。あんなのが市街の中心で起こって
たら、今ごろ、家も学校も湖の中、俺たちは全員疎開ってことになったかもな。シン
ジのお陰だよ」

 ・・・僕じゃない・・・綾波のおかげだ・・・

 少年は俯いたまま、唇だけをもぞもぞ動かす。
 その反応に眼鏡を光らせた少年は、会話を続ける。

「綾波は生きているんだろ。いつでも探すことができるじゃないか。それに、もしか
したら、学校で会えるかもしれない」

 ・・・綾波は恐らく来ない・・・生きているのだって・・・

 頭を抱えてしまった少年の呻き声。
 その姿を少年は顔を引きつらせながら見つめている。

「そうか・・・おまえは綾波が死んだと思っているんだな。じゃあ、それでいいじゃない
か。探す必要もない。墓でも立てるか、一緒に」

 膝小僧に額を当て丸まった少年の背中が僅かに震える。

「・・・やめてよ。綾波には生きていて欲しい。でも、分からないんだ・・・何も。ミサトさ
んは生きてるって。でも、一度も会ってない。退院したことは聞いたけど、何も教えて
くれない。怪我の状態すら分からない」

 ・・・本当は・・・もう・・・

 眼鏡を左手でずり上げて少年は、相手を包むように話し掛ける。

「死んだという連絡はないんだろ。じゃ、おまえが信じていればいい。自分で探せばい
いんだから」

 少年はVTRを手にとって再び立ち上がる。相手をファインダー越しに覗きながら、
どんより曇った雰囲気を打ち消そうとする。

「とりあえず、明日は学校に来いよな。当面はエヴァに乗らないんだろ。だからさ!」

 固く閉ざされた両膝の隙間からうつろな瞳が現れ、レンズと焦点を結ぶ。頷いた少年
の言葉は蝉の声にかき消されている。

 ・・・これからも暑い日が続くな・・・

 少年は漠と思った。

 

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<2>教室にて

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「よお、シンジ。来たな!」

 第3新東京市立第一中学校2−A朝の教室。ホームルーム前の少年少女のけたたまし
い笑い声、喧噪が一瞬止まり、皆の視線は教壇側の出入口へと向けられる。そこには細
面痩身で気の弱そうな暗い奴といった表現がぴったりの少年がいる。
 突然、周りから歓声とも悲鳴とも付かない声が沸き起こった。

 碇君!久しぶり!

 よう、碇!

 碇、元気だったか!

 クラスメートの反応に驚きながら少年は、自分の机へと近づいて行く。肩から吊るした
鞄を机の角にぶつけ、至る所でよろけながらも、着実に距離をつめて行く。その机の左後
ろでは、昨日湖畔で言葉を交わした少年が、にやにやしながら手を振っている。
 少年は自分の定位置の前に来ると、その少年に向かって、精一杯の笑顔を作る。

「おはよう、ケンスケ」

「おはよう、シンジ。ほんと、学校で会うのは久しぶりだな。学校に来るのは何日振り
だ?」

 問い掛けられた少年は、鞄を机におくと、立ったままちょっと首を捻っていたが、ふ
と思い当たることがあったのか、顔を青ざめてぽつりと答える。

「・・・トウジの怪我と同じ時期だから…」

「おい、そんなに暗くなるなよ」

「そうよ、元気出しなさいよ!」

 少年の後ろから元気な女の子の声がする。振り向いた少年の目の前では、両手を後ろ
に組んだ少女が、にこやかな笑顔を振り撒いている。

  洞木さん・・・

「碇君、おはよ!」

「うっ、うん。おはよう」

 少年はこの少女がトウジと呼ばれる自分の友人に好意をもっていることを漠然と感じ
ていた。彼女の笑顔が友を傷つけた自分の罪の重さを一層深いものにする。

「おいおい、また暗くなるなよ、シンジ!

うぅ〜〜ん、

それはそうと、今日は愛しのアスカ様と一緒じゃないのか?」

 ケンスケと呼ばれた少年は強引に話題を変えようする。

 呼びかけられた少年は、反射的に声の方へ向き直った。しかし、”アスカ”という一
言を聞くと、俯いて、そのまま立ち尽くしてしまった。

「おい、どうしたんだ?」

「アスカ・・・いなくなっちゃった」

 そう告げると、教壇の方に顔を向け、自分の椅子にがくんと腰掛ける。

 その背中を見つめながらケンスケは驚きの声を上げる。

「いなくなったって、それはどういうことだよ! おい!」

「アスカはいなくなった・・・綾波もいなくなった・・・トウジもいない・・皆僕のせいだ・・・
僕の・・・」

 机の下からすすり泣きが聞こえ、足元に幾つもの雫が滴り落ちる。

「何いってんの、碇君! アスカは今、私の家にいるわ」

 少年の傍で二人の会話を聞いていた少女は、お下げ髪をふるふる振るわせながら元気
な声を発する。

「えっ、アスカは洞木さんの家にいるって・・・」

「ええ、葛城さんには昨日のうちに連絡しておいたわ。今日は気分が悪いから家で寝る
って。碇君、知らなかったの?」

「ミサトさん、昨日帰って来なかったし、僕もアスカがいないこと、今朝気づいたから・・・」

「ほんとに、シンジらしいよ。トウジだって嘆くよな、これじゃ」

「ほんとよねえ、ほら碇君、これ!」

 少女は後ろにまわしていた両手を少年の目の前に差し出した。そこには、一枚のミニ
ディスクが載っている。

「これって・・・」

「とりあえず、見てみろよ!」

 ケンスケはいつも携えているVTRカメラを差し出すと、にやりと笑う。

 ディスクをセットして再生ボタンを押す。

 ディスプレイには、黒いジャージを着た男の、芝生に両足を投げ出した姿が映し出さ
れる。やや照れた表情で、にこやかに話しを始める。

「こんにちは、碇シンジ君。元気にしてますか。私も元気ですぅ・・・

  かぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜こそばゆい!!!

 ちゅうか、センセ。ワシのことなら心配いらん。ワシは大丈夫や。

 大体、乗ったのはワシの判断やし、命が助かっただけ儲けもんや。誰のせいでもない!!

 センセは自分のせいやと思うとるかもしれんが、そりゃ、違う。むしろ感謝してるん
やで、ほんま!

 実は、あの時、ワシの体も乗っ取られそうやったんや。夢かもしれんが、それでもい
いかなどど弱気になっとったんや。

 けど、センセに目を覚まさせてもらった。

 今、リハビリちゅうもんをやっとるが、飯はうまいし、委員長の弁当も食えるし、い
うことなしやで。

 やっぱ、自分は自分なのが一番や。ありがとうな。

 ワシはこの通り元気にやっとる。半年位は学校には戻れんちゅう話やけど、絶対戻っ
てくる。安心してや。

 わしゃ、センセが好きなんや。あっ、これは変な意味やないで・・・。^^;;

 とっ、とにかく、これまで通りのお付き合い願いまっさ。

 いつまでもクヨクヨしてると、ワシがパチキかまし(プツ・・・)」

 

 ・・・トウジ・・・

 

「ほらほら、めそめそしないの。見ての通り鈴原は元気だし、いつも碇君のこと心配し
てるのよ」

「へえ〜、いつもねぇ。委員長はいつもトウジといるんだ。」

 ケンスケは、にやにやしながら、茶々を入れる。

「えっ、ちっ、違うわよ。あくまで委員長としてお見舞いに行っているだけなんだから。
職務よ、職務。勘違いしないで!」

 少女はそういうと、そばかすの頬をほんのりと赤く染めながら、もじもじ俯いてしま
う。

 もう少し突っ込もうとしていたケンスケは、ジャージ男の激怒する様を想像して身震
いすると、もう一つの俯いた背中に声を掛ける。

「まあ、とにかくだ。おまえの学校生活は、このレンズを通してトウジの元へ届けられ
ることになっている。つまり、おまえがパチキをかまされる回数は俺の腕とシンジの心
がけ次第ってわけだな。トウジの前で、情けない顔するなよ、シンジ」

 

 ・・・うん・・・

 

「碇くぅ〜ん!!! わかったぁ〜〜〜」

「あっ、うん。ごめん!」

「よし、よし、それでこそ、シンジだ。
 あっ、それと綾波なんだけど、良かったな見つかって」

「えっ」

「えっ、て、おまえ・・・本当にシンジだな。あれだけ、俺に気を使わせておいて、気付
かないんだから」

「綾波がどこにいるの?」

「どこにいるって、綾波さんなら、ほら、もう来てるじゃない」

 少女は教室の後方を指差す。

「えっ、どこ?」

「ほら!」

 

「え、ええっーーーーっ!」

 

キィーーンーーコーーン

  カァーーンーーコーーン

 

 

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<3>病院にて

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 綾波! 綾波! 綾波!

 少年は息を切らしながら白い廊下を駆けていた。脳神経外科のプレートを目指して、
その側に佇む、黒い影に向かって、大声で手を振っていた。

 その影は白い包帯で頭を覆い、俯いていた。その声を無視するように、ただ視線を床
に向け、窓ガラスから差し込む陽光に反射する鈍い光を眺めていた。

 「綾波!」

 少年は叫ぶ

 少女はその首をおもむろに傾けると、ただ自分の方に駆けて来る少年の姿を奇異な眼
で眺めた。

 少年はずっと走っていた。自分を助けてくれた少女の面影を追って、その柔らかな蒼
い髪、透き通った紅い瞳、儚げな姿の中に宿る意志の光。自分を守るといって自らの命
を投げ出そうとしたその気持ちに、自分を見てくれていたその嬉しさに胸を弾ませなが
ら。失われた深い悲しみが、地上に舞い降りた知らせによって至上の喜びに転じた瞬間、
少年は思わず少女の元へと駆け出していた。

 

  綾波!

  ・・・綾波

   ・・・あやなみ

    ・・・アヤナミ

 

・・・あ・・・

 

 少年は少女が自分の知らない少女であったことに気付く。

 目の前の長いすにちょこんと座っている少女。

 少年は足を止める。そしてゆっくりと少女の方へ歩き出す。

「・・・・・・ごっ、ごめん。人違いでした!」

 自分を見つめる少女の前でふかぶかと首を垂れる。

 少女は少年の背中をじっと見つめ、少年へ言葉を掛ける。

「・・・気にしないで

   ・・・私も

     ・・・綾波・・・・・・レイ・・・・・・だから・・・」

 聞き取り難い抑揚のない声。でも、"レイ"という言葉を耳にすると、少年ははっとそ
の声の主の方へ顔をあげ、まじまじとその姿を見つめた。

 少年にとって見慣れた鶯色の制服。柔らかな長い黒髪には白い包帯が巻かれ、片目が
痛々しくも覆われている。求めていた少女と似通った顔だち。自分を見据える紅い瞳が
少年に既視感を与える。でも、全体の雰囲気は儚げで華奢というより、自分より2、3
歳年上の清楚なお嬢さんという感じがする。制服の上から、小振りながら恥らうように
突き出たバストと縊れたウエスト。二の腕から伸びている透き通るような白い肌。年上
の女性の甘い匂いが漂ってくる。

 少年は能面のような呆けた表情で、その様を眺めている。

「・・・何?・・・」

 少女は少年にか細い声で尋ねる。

 少年はびくっと肩を振るわせると、顔を背ける。

「ごめん・・・自分の知り合いと似てたから・・・」

と、消え入るように答える。

 少女はまるで自分に言い聞かせるかのように、

「そう、私と似ていたの・・・」

と、呟く。

 少年は横を向いたまま、

「うん・・・僕を助けてくれたんだ・・・命をかけて・・・でも、生きてるって今、連絡があっ
て・・・」

 少女はその話を聞きながら、ずっと少年を見つめている。

「・・・そう、よかったわね・・・」

と、少年に向けて言葉を掛ける。

「うん!」

 少年は元気よく、再び少女の顔を見つめる。

 少女の瞳は濡れた漆のように光り、少年の笑顔を映している。

 少女はすっくと立ち上がる。長い黒髪をそよがせながら少年の横を通りすぎようとす
る。消毒液の匂いと甘い香りが少年の鼻腔を擽る。

「あっ、あの・・・」

 少年は少女の背丈が自分より一回り大きいことに驚く。

「・・・何?」

 少女は振り向きもしない。

「えっ、えっと・・・どこかでお会いしたことありません? あと、レイって?」

 少年は少女の横顔を見上げながら、恐る恐る尋ねる。

「・・・知らないの・・・多分、私・・・3人目だと思うから・・・」

 少女は一言そういうと、少年を残して出口の方へすたすた歩いていく。

「でも・・・綾波レイっていったよな・・・それに3人目って何のこと???・・・」

 少年は少女の後姿を目で追っていたが、思い起こしたようにナースセンターへと足を
向ける。

 少年は自分の求める少女が既に退院したことを知った。

 

 

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<4>また教室にて

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 少年は授業も上の空で少女のことを考えていた。綾波レイ、蒼い髪、紅い瞳、儚げな
姿、感情を表に出さない、いや、出すことを知らない。でも本当は笑顔が素敵な女の子。
少年はそんなことを頭に浮かべながら、自分の左後ろをちらちら盗み見る。自分が探し
ていた綾波レイが後ろに座っているとケンスケたちは言う。しかし、その姿は自分の知
っている綾波とは似ても似つかぬ女性だった。腰までかかる長い黒髪、先日あった時は
紅いと思っていた瞳も黒く光っている。深窓の令嬢のような佇まいは先日の印象通りだ
が、その表情はわずかに微笑んでいるように見える。

 ・・・自分の知っている綾波とは違う、別人だ・・・

 少年はそう感じていた。では、ケンスケ達が嘘を言っているのか? そんな、簡単に
ばれるような嘘をケンスケが言うはずはない。例えそうだとしても、委員長の洞木さん
までが協力するはずはない。じゃあ、どうして? ・・・
 少年は一通り思索に耽ると、最終的な結論に達した。

 ・・・直接、話してみる以外ない・・・

 

キィーーンーーコーーン

  カァーーンーーコーーン

          きりぃーーーーーーーーーっ

 

「綾波・・・さん・・・」

 少年は授業終了の鐘が鳴ると、礼もそこそこに少女の元へと駆け寄った。

「何? ・・・」

 綾波と呼ばれた少女は驚きながらも、少年ににっこりと微笑みを浮かべた。

「え、えっと・・・」

 少年はその柔らかな表情に一瞬どぎまぎしながら、上目遣いで相手を覗うように言葉
を続ける。

「前に病院で会ったよね。あの時、僕のこと知らないっていったんじゃ…」

「ごめんなさい…あの時、私…怪我で記憶が混乱していたようなの…」

 少女は気まずそうな表情を浮かべた。

 少年は未だ頭に巻かれた白い包帯に眼をやると、

「大変な怪我だったんだ。大丈夫? あっ、それと眼帯は取れたんだね」

と、言葉を掛ける。

「ありがとう、碇君・・・」

 ・・・えっ!? ・・・

 少年はその声に一瞬、肩をピクリと震わせると、もう一度、目の前の少女を観察する。

 その少女は暖かい微笑みを自分に向けている。さらっとした黒髪は腰までかかり、天
使の輪が頭に巻かれた白い包帯の頭上に光っている。やはり、瞳はどこまでも深い漆黒
で、顔立ちは似ているようにも見えるが、肌の色は自分よりやや白い程度だ。両手を両
膝にのせている姿は、柔らかさを感じさせ、上品でもあり、自分が子供であることを強
く意識させる。

「碇君は大丈夫だった?」

 少女は細くしなやかの右手を持ち上げると、少年の頬を優しく撫でようとする。少年
が頬を赤らめながら思わずその手を払いのけると、少女は驚いたように手を引っ込める。

「ごめんなさい・・・」

 か細い声。両肩から黒髪がさらさら流れ落ちる。

 少年はその仕草に罪悪感を感じて、

「ごめん!」

と、勢いよく頭を下げる。
 その反動で再び少女に顔を向けた丁度その時、少女も顔を上げた瞬間と重なった。
期せず二人はお互いの顔を見詰め合う。

 二人の視線が絡み合った。

 ・・・ぽっ・・・・・・・・・ぽっぽっぽっぽっ・・・・・・・・・

 そんな擬音が似つかわしい雰囲気が二人の周りを包み込む。見ている方が恥ずかしく
なってくる。

 

「おっ、久々の対面でラブラブかぁ〜〜〜」

 その雰囲気に割り込むように、VTRを手にした少年が後ろから声をかける。

 少年は頬を染めながら振り返って、大声でそれを否定する。

「そんなんじゃないよ!」

「じゃあ、なんなんだよ、今の沈黙は!ふっ、ふっ、ふっ」

 下品な笑いに晒された少年は、顔を真っ赤にしながら、

「違うってば!それに、これは綾波じゃない!」

と、頭を前後左右に振って否定する。

「えっ!?」

 ファインダーから眼をそらした少年は、あっけにとられた表情をしている。

「何だよ。じゃあ、ここの綾波は綾波じゃないってことかよ」

「そうだよ! ここにいるのは僕の知っている綾波じゃない!ケンスケが担いでるんだ
ろ!」

「おいおい、ご挨拶だな。俺がいつおまえを担いだっていうんだよ。おまえ、自分がか
らかわれたもんだから、綾波まで巻き込むつもりなのか! 卑怯もの!」

「ああ、何度でも言ってやる。ここにいるのは綾波じゃない。
少なくとも僕の知っている綾波なんかじゃない!」

 少女はその言葉を聞くと、黙って下を向いてしまった。両肩から黒髪がさらさら流れ
落ちる。

「ちょっと、碇君。いくらなんでもそれは酷いんじゃない! 綾波さんに謝んなさいよ!」

 見るに見かねて、お下げ髪の少女が二人の少年の間に割って入る。

 

 …そうよね…

 …そうだぜ、碇のやつ、調子に乗りやがって…

 …綾波さん、可愛そう…

 この諍いを聞いていたクラスメートからも口々に不満の声が上がる。

 

「シンジ、もう少し素直になれよ。綾波は綾波じゃないか。クラスには綾波なんて名前
は一人しかいないのはおまえも知ってるだろ」

 

 …そうじゃない…そうじゃ…

 

 少年は俯いている少女の肩が僅かに震えているのを見ると、握り締めていた拳をゆっ
くりと開く。両肩から力を抜いて、少女の方に向き直り、ふかぶかと頭を下げる。

「ごめん。変なこと言っちゃって…気にしてたらごめん」

 

 …ヒソヒソ…

       …ヒソヒソ…

 …ヒソヒソ…

       …ヒソヒソ…

 …ヒソヒソ…

       …ヒソヒソ…

 

「いいの…大丈夫…」

 

「おい、シンジ。これからあまり変なことを言うなよな!」

「そうね、碇君。女の子を泣かすようなまねしちゃ駄目よ!」

 

 …そうだ、そうだ…

 …そうよね…

 …うん、うん…

 

「綾波さん、本当にごめん!」

 

「本当にごめん!」

 

「ごめん!」

 

 俯いた少女の、見開かれた瞳の奥で、何かが震えているのを誰も知らない。

 

 

 to be continued

 


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