彼女に出会った瞬間
私は身動き一つ取れなかった。
それは、
あまりに唐突で
そして、
あまりに運命的で...
「アンタ、名前はなんていうのよ」
自宅と隣家を区切る白い柵の向こう側で薄赤い髪の少女が意味も無く仁王立ちになってレイを睨み付けていた。
レイはしばらく何も言えなかった。
あまりに突然だった事と、既に人見知りが激しくなっていことと、目の前の少女がまるで天使に見えた事と、色々な要因が一気に襲ってきたからである。
もちろんそんな事をその赤髪の少女は知るわけも無い。程無く我慢の限界に達したのか癇癪をあげ始めた。
「アンタ聞いてるの!?このアタシがわざわざ聞いてやってるのよ!何か答えたらどうなの!?」
「...ごめんなさい、どう言っていいか、解からなかったから」
今度は少女の方が戸惑う番だった。
それは今までに無い反応だった。大抵は威圧されてしまうものなのだが、レイは少し俯き加減にそれでいて生真面目な口調で答えたのである。
それは彼女にとって衝撃以外の何物でもなかったようだ。
しばらくは唖然として何も話せない状態が続く。
少女は出端を挫かれる形となった。
「そ、そうじゃなくて、アタシは名前を聞いてるの。理由を聞いてるんじゃないんだからね」
むきになって大きめの声で言い聞かせるように少女は語りかける。
しばらく沈黙があたりを包んだものの、ようやく総てを察したレイはゆっくりと目の前の少女を見つめた。
輝くばかりに美しい紅い髪がとても印象的だった。
「レイ...レイ・アヤナミ」
少し声が小さかったためか聞き辛そうにしていたためにレイはもう一度自分の名前を名乗った。
すると今度はなぜか溜め息を吐かれる。それがレイには解からなかった。
少女は改めて手を腰に当てた格好をする。
「へぇ、レイ・アヤナミね。なんか俗っぽい名前ね」
どうして今日はこう驚かされるのだろうとレイは正直思ってしまった。もちろん悪い意味ではない。
今までこんなに驚かされた事なんて一度も無かった。
今までこんなに興味を持った事も一度も無い。
そんな風に言われたのは初めての事だった。そしてそれがレイにとって刺激になった。
自分の名前はそんなに俗っぽいのだろうかと真剣に悩み始めかけたその時、もう一人の声が庭に響いた。
「アスカ!ねぇアスカってば!!何処に行ったのさ!?」
「アスカ?」
レイの呟きに赤髪の少女が胸を張りながら答える。
「私の名前よ。アスカ、アスカ・ソリュート。それが私の名前」
そして声のする方へ向かってアスカが叫ぶ。
「シンジ!なにやってるのよ!私はココにいるわよっっ。どうしてそんなに鈍くさいのかしら」
「しょうがないだろ、アスカがウロウロするから」
声はすれども未だに姿は見えない。それでも二人の喧嘩のような会話は続く。
それはあまりに滑稽な姿ではあったが当の本人たちにとっては至って真面目なようだ。
アスカはまだ見ぬ少年に反撃を試みた。
「私を猫かなにかみたく言わないでよねっ!いいじゃないのよ、私が何処に行っても」
「それじゃ困るんだよ。第一御飯の時間に呼ばないと癇癪起こすのはアスカじゃないか」
「なによ!それ!!いまは関係ないじゃない!!!」
「でも...クッキーが焼きあがったから...」
その瞬間レイは今日何度目かの驚きに出会う。
シンジのその一言を聞いた途端にアスカの形相が変わったのだ。
口調も態度も、世界が一回転したかのように。
それでも言葉だけは変わらずアスカ・ソリュートのままだ。
「それならそうと早く言いなさいよねっっ!!さっさとこっちに来なさいよ、もちろん焼き立てのクッキーをもってね」
その会話を聞いてレイはなんとなくアスカの人為を掴む事が出来た。
「ああ、ここに居たんだ」
若々しい声と共に隣家の蔭から銀盆を両手で掴んだ同い年ぐらいの少年が姿を現した。
やや細身で優男らしく穏やかの顔を漆黒の髪が飾っている。伝説に語られるような絶世の美少年というわけではないが、彼の持つ黒い瞳は神秘的な光を放ち、レイはそんな少年の瞳の奥に吸込まれていくようなそんな感覚に陥っていた。
ゆっくりと二人の方に歩を進めてくる少年に、あるいはレイは心を奪われていたのかもしれない。
この出逢いを運命的な、かけがえの無い物である事を直感的に悟ったかのように。
「早く来なさいよ!いっつもグズグスしてるんだから、だからあの時だって危く死にそうになったんじゃないのよ」
そんなアスカの言葉に少年は愚痴をこぼすでもなく、かといって言い訳めいた事を言うでもなく、ただ微笑みながら歩いてくる。ヘラヘラとした笑いではなく穏やかなそれでいて安心できる本当の微笑みを浮かべながら。
レイはそんな少年に見とれていた。
これほどに他人を見つめた事はなかった。
少年のどこかに潜んでいる何物かに惹き付けられるかのように、彼女は見とれていた。白すぎる頬が僅かに上気して赤みを帯びている。
だからかも知れない。レイは隣にいる少女もまた見とれていた事に少しも気が付かなかった。
そしてそんな二人の様子にまるで気が付かない少年。
年相応の、年老いた者たちからみればそれは麻疹のような情景と言えるのかもしれない。
ようやくアスカとレイの前までやってきた少年は銀盆を手近にあったガーデンテーブルに置き...不意にレイの方を見つめて不思議そうにアスカに尋ねた。
「あれ?この娘...お隣の?」
「そうよ。今ごろ気付いたの?相変わらずどんくさいわね。どうにかしなさいよ」
「レイです。レイ・アヤナミ...」
アスカの愚痴を抑えるようにして、少々上ずった口調でレイは少年に語りかけた。すると少年は少しきょとんとしていたが、頭の中を整理した上である程度理解したらしく、にこりと微笑みながら軽く会釈した。
「こんにちわ。僕はシンジ。シンジ・ソリュートです」
「こ、こんにちわ...」
レイは自分自身を抑えようとして失敗してしまった。あまりの緊張にどもってしまい、それがさらに彼女の体温を上昇させる。
一方でシンジは、滑らかな動きで右手をレイの方に差し出した。その握手を求めた少女の状態を察することなく。
数秒後、機械人形のような動きをした真っ白な右手が少年のそれと一つになった。
「これからもよろしくね」
少年はいつまで経っても少年であった。
「アスカは見た目以上に寂しがりやだからさ、相手をしてくれると嬉しいな」
「...へぇ、アンタもそんな口を利けるようになったのねぇ...知らなかったわ」
そして始まったのはまるで幼児の追い掛けっこのような風景だった。
二人とも笑いながら庭を駆け回っている。
そんな光景をレイは心から羨ましく思った。
太陽の柔らかな光が降り注ぐアヤナミ家の庭のある一つの白いテーブルを一人の少年と二人の少女が囲む。
真ん中にある銀盆にはできたてのプレーンクッキーが香ばしい香りを漂わせ、少年の注いだレモンティーが湯気を立てている。
そこで三人は色々な事を語り合った。それはレイにとって忘れられない瞬間だった。
これほどに人と話した事など無かった。そして自分から話し始める事も。
どれくらい話をした時だろうか?
レイは不意に自分の育てている白い薔薇の事を思い出した。あまり出来は良くないが自分が一生懸命に育てだ薔薇をこの二人に見せたくなった。
それがレイにとってその時出来たせいいっぱいの背伸びだった。
すこし躊躇するように、レイは正面に座っているシンジの方に顔を向けた。
「うちの庭に薔薇が咲いたの」
「へぇ、どこにあるの?その薔薇って」
「あれなんだけど...」
そうしてレイが指差した方には、小さな華が花開いていた。
しかしそれは決して玄人が育てたものとは言い難い。
その華にシンジは近づくとそれをじっと見つめて、レイの方に顔を向けた。
「これ、君が育てたの?」
「...ええ」
もう一度薔薇の方に眼を向けるシンジの横からアスカが顔を覗かせた。
「へぇ、なかなかやるもんじゃないの。薔薇って結構世話するの大変なのよね」
アスカの言葉にレイはぎこちない微笑みを浮かべた。しかし彼女の全神経は未だに彼女の薔薇を見つめている少年に向けられていた。
途端に心配になる。
もしかしたらくだらないなんて思われているかもしれない。
そう、こんな小さな華の事なんて、どうでもいい事だもの。
そう、どうでもいい事だもの...
だんだん気落ちしていくレイに気付くことなくずっと薔薇に目をやっている。
それは突然だった。
「素敵だね」
それがその日の最大の驚きであり、そして喜びだった。
薔薇を見つめたままだったし、飾りも何も無い言葉だったけれど。
レイが育てたとは一言も言っていないのに、この少年は判ってくれた。そして彼は素敵だといってくれた。
「...ありがとう」
その時のレイに言えたのはその一言だった。
そして満面の微笑みをシンジに投げかけた。
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mal委員長のコメント:
m(__)mm(__)mm(__)mm(__)m malの大サボリの被害をいちばんくらったこの作品
なにせ頂いたのが2ヶ月半も前(爆)謝って済むことではありませんが申し訳ないっm(__)m
レイの小さな花が精一杯咲く様な想い、アスカの気を張りつつの優しさ、シンジの素直な
言葉が嬉しいです。是非螺旋迷宮さんのページ「SPAIRAL LABYRINTH」と中の
『女神征くは星の大海』もお読み下さいm(__)m
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