Eva -- Frame by Frame --

 

<第13話 使徒、乱入> *PG12指定。

 

「かくて冬は去り、大地の胸はふくらんだ−−」

 レイは「英吉利文学傑作選」と表紙に書かれた本を閉じた。古代の叙事詩にうたわれた情景を正確に思い描くことはできなかったが、時の移ろいがヒトの生き方を形づくってきたことは、彼女なりに理解できた。

 死と再生をヒトの物語は繰り返す。

 だが、自分にはそれがない。月も沈み、遠くの木立をふるわせる風の音が夜気を渡ってくる。その音に耳をそば立てながら、思い人の吐息が聞こえてこないことをレイは惜しんだ。

 また、使徒が来る。自分にはそれがわかる。冴えきった頭の中で、生理の周期とはこういうものかもしれないと、レイは想像した。

 

***

 

 半透明のソフトスクリーンの上を高速で記号群が流れ去る。

 ネルフの頭脳たる生体コンピュータ・マギシステムの検診が行われている。それが終われば、エヴァの機体実験の予定だ。

「マギシステム、3機とも自己診断モードに入りました」

「第127次定期検診、異常なし」

 技術部長・赤木リツコはすっかり冷めたコーヒーの入ったマグカップを置くと、マイクに向かった。

「了解。お疲れさま。みんな、テスト開始まで休んでちょうだい」

 

***

 

(これって...?)

 本部施設へと向かう道、シンジは街の一角でふと立ち止まった。見慣れた街並みのはずだが、何かが違う。

「どうしたの?」

 アスカがたずねる。レイは検診と言って、先に本部に向かっていた。

「いや...何だろう。ここ、ずっとこうだったかな」

「何言ってんのよ。小さな公園だったでしょ」

 アスカに言われてシンジは気づいた。たび重なる戦闘で、多くのものが失われていた。この街の暮らしに、本当に溶け込んでいるわけではない。だから、公園がなくなっていても、気づかなかったのだ。

 そういえば、母親に手を引かれて幼な子が遊ぶのを、あてもなく見ていたことがあった。

 もう、そんな景色も見られない。戦火は確実にこの街の姿を変えていた。

 

***

 

 冷たい水が心地よい。

 リツコはタオルを取る。凝固した眼球の奥のほてりが、わずかに冷めていった。

 鏡を見れば、端正な顔立ちとはいえ、肌の色つやには、自分にしか分からぬ衰えの徴候がある。

(わたしは、ただ年をとるだけなのかしらね)

 

***

 

 烈風を受け、髪が吹き上がった。強力なエアクリーナーに三人のエヴァパイロットは思わず顔をしかめた。

 今回、模擬体を使ったオートパイロットの試験では、プラグスーツの助けなしで、直接エヴァとの交感を行う。あと、1パスだっけ?アスカは洗浄の回数を指折り数えていたが、もう何回目か分からなくなっていた。

 監視カメラの見えるところで全裸になるのは気持ち悪い。だがそれにもまして、過度の洗浄によって、身体が一皮まるごと剥がされたような感覚はアスカを不快にした。敏感になった乳首が硬く立っているのが、なぜか腹立たしかった。

 ゲートに出た。アスカは吼える。

「ほら、お望みの姿になったわよ!」

 

***

 

 第87タンパク壁に異常発生。

 それから、使徒の侵入が確認されるまでは、ほとんど一瞬だった。

「だめです、浸食は壁伝いに進行しています」

 悲鳴−−

「レイ!」

 怒号−−

「浸食部、さらに拡大!」

 戦慄−−

「ATフィールド?!」

 レーザーを弾き返す光の壁。パニックのさなか、全プラグの緊急射出を即断で行ったリツコの行動はさすがといえた。

 

***

 

 機関室の一角。

 硬質な重低音の中、大型の排気ファンがゆっくりと回転していた。薄く射し込む光に、舞い上がった埃が攪拌されるのが見える。

 わずかな違和感をおぼえつつ、逆光の中の男は声を発した。

「よっ、遅かったじゃないか」

 

***

 

 新たに出現した使徒は、やがてマイクロマシ化し、異質な知性となって本部施設を浸食していった。

「場所がまずいぞ」

「ああ。アダムに近過ぎる」

 その間にも、使徒は端末からデータバンクをむさぼるように浸食し、世界についての知識ベースを凄まじい勢いで収奪する。

 

 ドコダ

 

「初号機を最優先だ!」

 使徒はあらゆる情報を喰み尽くす−−イナゴのように。

「擬似エントリーを回避されました!」

 逆行した使徒の中で、ついに意識が発生する。その瞬間、わずかな初期条件の違いが、大幅に異なったゲシュタルト展開をもたらしていった。

「本部のメインバンクに侵入されました!」

 使徒はネットワークを噛みしだきながら、光速で織りなされる情報の壁を知覚した。東方の三賢者の、大いなる叡智。

 

 カベノムコウハ カガヤクコギト

 

 目標を定めると、使徒は新たな牙を剥いて一つのゲートウェイに斬り込み、干渉を開始した。

「カスパーに侵入!」

「なんて計算速度だっ」

 その時、本部施設の誰もがゆさっ、と意識が揺れるのを感じた。デジャヴュとも違う、異なる視点から同時にものを見ている感覚。あざなえる物語が重合し、異形の視差が生じる感覚。

 それは電脳世界が並行宇宙を開いてしまった瞬間だった。


 

Episode 13: Stop Making Sense.

 


あたしの中に。

入ってくるわ。

イッツ・ショー・タイム?!

うふ。

どうしましょう。

 

***

 

(何があったんだ?)

 シンジはエントリープラグの中で、状況を把握しようと懸命だった。

(みんなは?)

 その時、プラグの外部に備え付けられた緊急用マイクを通して伝わってくる声があった。大切な少女の、不安げな声。

(うん、今、開けるよ)

 プラグは二人を収めるには十分な広さだったが、身をすり寄せるレイに、シンジは呼吸が苦しくなった。

 しかも、一糸纏わぬ姿である。

(いざとなったら、二人で初号機を動かすんだ)

 アスカとだって、できたんだから。

 

***

 

 ロジックモードを変更−−それでも反撃の時間はごく僅かだ。

 一瞬感じためまいを振り切り、リツコが報告する。

「彼らはマイクロマシン。細菌タイプの使徒と考えられます。その個体が集まって群を作り、この短時間で知能回路の形成に至るまで、爆発的な進化をとげています」

 作戦会議の場には、マギの浸食状況が大型スクリーンで映し出されている。カスパーを侵され、今やメルキオールの陥落も迫っていた。

 だが−−

「これは...?」

 マヤがスクリーン上の異変に気づく。

 つんつん。

 あっふん。

 つんつん。

 あっふん。

 カスパーから伸びたハッキングの「触手」の動きが、微妙すぎる。

 賢者・メルキオールが、悶えている。

 

***

 

「どうしたの?」

 ミサトが不審がる。今しも、マギの物理的消去を訴えようとしていたところだった。

「使徒の侵攻速度...いえ、侵攻パタンが変わっているのよ」

 使徒に制圧されたカスパーとメルキオールのユニットは、スクリーン上では先ほどまでオレンジ一色だったが、今は刻々とパタンを変え続ける、極彩色の紋様となっていた。

 やがてその映像は、めくるめく渦巻きを描いたかと思うと、絡み合う二重らせんを形成していった。

「まさか...」

 青葉が小声でうめいた。その映像は、DNAモデル以外の何物でもなかった。

「使徒はわたしたちの<世界>を理解し始めている?」

 

***

 

ひさしぶりだと燃えるわね。

いいのよ。

うふ。

 

***

 

 つんつん。

 あっふん。

 スクリーンのカスパーが、ほんのりピンク色に染まる。

「「マギが...萌えている?!」」

 異口同音に、日向と青葉が言う。

「フ・ケ・ツ」

「違う」

 リツコの顔色が変わった。

「萌えているのは、使徒よ!」

 

***

 

ほうら。

ゆっくり、ゆっくり、こねてあげる。

どうかしら。

 

***

 

 自爆決議。だが、結論は留保された。

「これまでの記録から見ても、第三使徒以降の使徒は単性生物と思われます。カスパーは女としての人格。現状況は、男と女の関係を知らない使徒が、初めて知った秘め事に、身を焦がしているものと推論されます」

「それって...」

 マヤがほほを紅く染めて口ごもりながら言う。

「使徒が...せっくす...を覚えたってことですか?」

 進化の途上で、生命体が獲得した奇跡ともいえる属性がいくつか存在する。一つは性。それによって遺伝子の交配が可能となり、進化が急激に加速した。

 使徒に占拠された二体のマギユニットは、しっぽりと連結したまま、さしつさされつ、妖しいデータ交換を続けていた。

 

***

 

「どうして目をつむっているの?」

 レイが怪訝な表情で問いかける。

「いや、その、綾波が何も着てないから」

「わたしは、構わないわ」

 琥珀色のLCLの中、レイの瞳がシンジをじっと見つめていた−−あの瞬間がフラッシュバックする。

 シンジは目の前の、たった一人のレイを抱きしめた。

 

***

 

「マギ全体が発情しつつあります」

 青葉が報告する。

 不意に、メインスクリーンの映像が切り替わった。

 そこには、加持リョウジと葛城ミサトのラブシーンが、場所を変え、時を変え、角度を変えて、次々に映し出される。

(マギもやってくれるわね...)

 何の脈絡もなく、また画面が切り替わり、次に映ったのは仕事中の青葉だった。

 今はネルフを去った潮マドカのスリーサイズを3Dレンダリングソフトで割り出そうと計算中。

(あ、あははは...)

 今や、誰もが事態を理解していた。

 マギは当然、ネルフ内部の事象をすべてモニタしている。

 それが、ムチャクチャにメモリから読み出され、大型スクリーンにぶちまけられているのだった。

 続いてスクリーンには、仕事の合間に赤木リツコの写真をじっと見つめて頬を染める伊吹マヤが映し出される。

(うわっ。センパイに気持ち悪がられてしまふ)

 もはや使徒の煩悩はとどまるところを知らなかった。それは禁断のファイルも開いてしまう。

「赤木君、私には君が必要だ」

 げろげろ。

 

***

 

(何が起きてるのよ?)

 アスカは苛立っていた。指揮系統からは切り離され、マギからの制御信号もない。エヴァとのリンクも完全に切られている。<絆>を失くしたいま、アスカは異様な寒さを肌に感じていた。

(バカシンジはどこ行ったのよ、通信回線を開きなさいよ!)

 アスカは必死にプラグ内のバーチャルコンソールを操作するが、外部からは遮断されたままだった。

(あの...バカ...)

 

***

 

 映像は、ない。しかし、暗いオフィスの一角でそのセリフを吐いた男が誰かは、みなが知っていた。

(セ、センパイっ!!)

 マヤは怖れていたことが現実となり、パニックを起こしかけていた。しかし、荒い息づかいとともに再生された音声は、さらなるパニックを引き起こした。

「はうっ...ナオコと呼んで、あ・な・た」

 一同、氷結。

 

***

 

素敵よ、あ・な・た。

はうっ。

 

***

 

(なにも同じ文句で迫らなくたっていいでしょうが)

 ブチッ、と音をたててリツコがキレた。

(やばっ)

 リツコの周囲に深々とした冷気が舞い降りたように、誰もが感じた。マジギレしたリツコを見るのは、ミサトには生涯で二度目だった。

 だが、一度目の状況はどうしても思い出せない。

 不思議だ。

 何か、非常に恐ろしいことが起きたような気がする。

 人間、あまりに恐ろしいことは覚えていないものだというが。

 というか−−

 作戦会議の場には、えも言われぬ脱力感が広がっていった。この使徒は、どこへ行こうとしているのか?

 そんな場の空気を切り裂くように、キッとまなじりを決してリツコが告げる。この、マッタリ感ただよう使徒への断罪をこめて。

「使徒が煩悩し続けるのなら、勝算はあります」

「煩悩の促進かね?」

「はい」

「煩悩の終着地点は−−」

「「「「「「自滅!!」」」」」」

 ビンゴ。

 一同、これは体験学習ずみだ。

「でも、どうやって?」

「目標がコンピュータそのものなら、ヒトの煩悩を使徒に直結。逆ハックを仕掛けて、煩悩促進プログラムを送り込むことができます」

「パイロットの状況は?」

 冬月が言う。リツコは使徒のハッキングを受けていないサブコンピュータを使った迂回路を開いた。

「各エントリープラグの通信システムは生きています。回線、開きます...あれ?」

 マヤが間の抜けた声を出した。

「レイが、シンジ君と一緒に...しかも、裸のままです」

 リツコの眼がキラリと光った。

「これで、旧式の情動解析ライブラリも不要ね」

 

***

 

「使徒侵入で全隔壁はロック。これじゃ孤島にいるようなものさ」

 逆光で表情はわからなかったが、密偵活動を中断させられた男は悪戯っぽい笑みをうかべているに違いなかった。

「人はみな孤島にいるようなものよ−−リョウジは特に」

 そう言って、女は透き通るような笑みを返した。

  

***

 

 アスカは膝をかかえる。

 寒い...プラグ内の温度は適正に保たれているはずなのに。

 エヴァ弐号機との一体感をいつも感じているはずのプラグの中で感じる孤独。その感覚は、少女をひどく不安にした。

(こんなの、イヤ)

 

***

 

 メインスクリーンはなおも女の情念に身を焦がす使徒が映し出されている。

 使徒はカスパーにらればれて、うずうずして、もんもんしているのだった。

 それは、とてもとても言葉にできないほど、しく淫靡なのだった。

 同時に、何を間違ったか、マギの言語中枢をもした使徒によって、サブスクリーンに間抜けな文字列が次々に流れていく。

<ウルトラの乳>

 やっぱ、だんだんハラが立ってくるわね−−ミサトは使徒への闘争心を新たにした。

<獣欲、業を制す>

<感ずるより揉むが易し>

<死者にムチムチ>

 自爆ってこのことだったのかよ、と日向は拳を握りしめた。

<これっ、冬月コウゾウ!>

 むっ、なぜにこの私にネタを振る?冬月は身構えた。

<死刑じゃ、死刑!>

「おのれ、清廉潔白なこの私に何を言うか」

<冬月コウゾウ、回春の余地なし。よって死刑!>

 同時に、どこからサンプリングしたか、スタジオドラマにつきもののわざとらしい笑い声までもが、<藁>の文字とともに、虚しく発令所に響いていった。

(寒いネタだと思わんか)

 冬月は独語した。

 

***

 

 迷路のようなマギの内部を通って、脳幹部分にあたるユニットにリツコとマヤがたどりついた。

「うわ〜、凄い」

 内壁いっぱいに張られたメモに、マヤが歓声をもらす。書き殴られた、<碇のバカヤロー>は見えぬフリをして。

「これなら、意外と速くプログラムできますね、センパイ」

「ありがとう、母さん。確実に間に合うわ」

「あっ、マギの開発当時のカレンダーですよ、これ。作業工程がメモしてありますぅ」

 マヤが感慨深げに言った。その声を聞き流しながら、リツコは十年近い昔のカレンダーに色あせたピンクのマーカーで書き込まれた「ハート」の文字に目をやる。

(三日に空けず、してたのね)

 思わずリツコは、擬似生体組織からなるマギの脳ミソにドライバーをブチ込んでグリグリとかき混ぜたくなる衝動を感じたが、ふうっと深呼吸をすると、煩悩促進プログラム入力の最終段階にかかった。

「行くわよ」

 

***

 

「使徒に対して防壁を解放!」

 ミサトの号令一下、使徒撃滅の作戦が実行される。

「責めるのよ、レイ!」

「ちょっと、何なんですか?!ミサトさん?」

 インターフェイスは初号機のエントリープラグに直結している。リツコの叩き込んだ煩悩促進プログラムによって、使徒の悶えは一気に加速した。

「碇くん...」

「えっ...何?」

「もっと強く抱いて...」

 

***

 

あらあら。

あの女の分身が。くんずほぐれつ。

親子どんぶり。つゆだくね。

 

***

 

「おおおおおっ!」

 発令所で声があがった。使徒はさらに真っ赤に萌え上がる。

「立てよ少年!」

 日向が鼓舞する。

「いけるか?」

 冬月が身を乗り出す。

「レイ!シンジ君にもっと迫りなさい!」

 ミサトの檄がひょうと飛ぶ。

「そんなこと言っても...」

「これは作戦命令よ。ガマンなさい、男の子でしょ!」

 言った後で、ガマンはしない方が使徒には刺激的かしらん、と思案するミサトであった。

 すでにシンジの「僕って最低だ」機能はレッドゾーンに突入しつつあった。

「でも、綾波...」

 もじもじしながらシンジが言う。

「その姿勢で、きゅうくつじゃない?」

「いい。碇くんの温もりがじかに伝わるから」

 つんつん。

 あっふん。

 

***

 

(長い話よ。そのわりに面白くない話)

 リツコは以前、マギの由来についてミサトから尋ねられた時のことを思い出した。その時は、人格移植OSの講釈だけしてお茶を濁したように思う。

 別に、母親を守りたいと思ったわけではない。ただ、マギを相手におのれの能力限界まで突きつめてみたい。科学者としての野心でないといったら、嘘になる。

 とりわけ、カスパーとの勝負なら、望むところだった。

 

***

 

 むにゅ。

 いや、レイの細い身体は「むにゅ」ではないはずだ。しかし、他人との一次的接触をこれまで避けてきたシンジにとって、未成熟の少女であっても、そのしなやかな身体の感触は「むにゅ」であった。

 レイがなおも迫る。

「気持ちいいことが嫌いな人が、いるのかしら?」

 そんなめぐりあい宇宙なネタを出されても、シンジには反応できなかった。だが、気持ちいいことは、思いっきり間違いないのであった。

 その時、恋する二人の間にシャアッ!っと割って入る真紅の影−−

「シンジぃっっっ!!」

 まずっ、とミサトが額に手を当てる。

「レイとの秘め事はこれまでよ!」

 確か「戯れ事」だったと思うんだけど、と日向はどうでもいいことを思った。そんな一同にはおかいまいなしに、弐号機パイロットの声が響き渡る。

「離れなさい!」

「いや...(ぴとっ)」

 

***

 

「使徒の煩悩曲線が急速に上昇しました!」

「これで何秒かかせげるわ」

 アスカのプラグからの思考をもマギに直結した時は、一体どうなるかと思ったマヤだったが、上司の洞察の的確さに、またしても感動していた。

「そういえば」

 リツコが脈絡もなしにぽつりと言う。

「母さん、ワイドショーが好きだったわ。いつ研究してたのかしら」

 三角関係は、魔女には絶妙のお茶うけ。

 

***

 

あらま。悶え方まで親子でそっくり。

うふ。

どうしましょう。

 

***

 

 なおもレイは身体をすりよせる。シンジの下半身に足を絡め、離れようとしない。 

「気持ちいいけど、これ使徒戦なのよね!」

 ミサトが吼えた。

「知ってるんだから、あんたのオカズもデザートもスナックも、み〜んな同じ。いつもみたくやってみなさいよ。ここで観ててあげるから」

 アスカが突っ込む。

「何でこうなるんだぁ。みんな僕に優しくしてよ!」

 シンジの悲鳴。

「「「優しくしてるわよ」」」

 何かが違う。いや、そんなことより、もうガマンの限界だ。

 むにゅ。

「手を緩めちゃだめよ、レイ!」

 というのは比喩だが...LCLの中、レイの繊手はシンジの首筋に絡みつき、小さな胸はシンジの胸と重なり、密着した細い腰と太腿はソフトに揺れながら、シンジの勇気みなぎる「僕って最低だ」機能を優しく擦り上げていった。

 つんつん。

 あっふん。

「ううっ...はっ、はっ...」

「フッ。いい眺めね、バカシンジ」

 きゅっ。

「あ、もう世界がどうなってもいい」

 つんつん。

 あっふん。

「もうだめだっ!」

 くいっ。

「逃げちゃダメよ、シンちゃん!」

「...はっ、はっ...」

 レイを抱きよせるシンジの両腕に力がこもる。

 快楽に身をゆだね、人間としてとてもリアルに溺れていくシンジには、刹那のレイとの接触が永遠に思えた。

「あ、綾波ぃ...」

 レイが身を固くする。

「マギの自爆決議、可決まで3秒」

 シンジはついに脳ミソ爆裂状態に突入した。

「マギの自爆決議、可決まで2秒」

 体中を突き抜ける強烈な感覚。

「マギの自爆決議、可決まで1秒」

 レイと指を絡め合う。

「もうだめだっ!」

 シンジはクッ、と背中をのけぞらせた。

「ああ・いい・うう・ええ・おおっっっ...」

 びくん。きゅぽん。

 次の瞬間、LCLの中を白濁した液体が漂っていた。

「逝った...!!」

 発令所がわっ、と湧いた。

 同時に、使徒もまた二、三度びくん、と震えたのち、マギのスクリーン上から爆縮するように退行していった。人々が感じていた、視差が狂う奇妙な感覚は、霞の散るように、消えていった。

 ひくひく。

 世界が、使徒の消滅とともに、収斂していった。

 

「人工知能により、自律自爆が解除されました。なお、特例582も...」

 やがてマギ三体の機能は完全に回復し、ミサトが作戦の終了を宣言した。

(こんどは、リツコのおかげで命拾いか)

 そのすぐ後ろ、ゲンドウは疲労の色濃い冬月と密談を始めていた。

 いっぽう、初号機のエントリープラグの中では、少年が腕の中の少女への愛しさとけだるさとがより合わさった感覚をおぼえつつ、自己嫌悪におちいっていた。

「やっぱり、僕って最低だ」

 マギの中枢では、リツコがフッ、というため息とともに小さく呟いた。

「認めたくないものね、自分自身の若さゆえの暴発は」

 

***

 

 手渡されたマグカップからは、とにもかくにも、コーヒーの香りが立ちのぼっていた。集中力を極限まで発揮して、マギのシステムの深奥をリプログラムした直後では、口の中がからからに乾いていた。リツコは陶器の温もりを感じながら、コーヒーをゆっくりとすする。

「ミサトが入れてくれたコーヒーを、こんなにうまいと思ったのは初めてだわ」

 つかの間の、解放感。眼鏡がわずかに湯気で曇る。かすんだ過去が、よみがえる。

「...母さん、死ぬ前の晩に言ってたわ。マギは三人の自分なんだって...」

 リツコの豊かな胸の奥、ちくりと深く刺さった棘がうずく。

「今日はおしゃべりじゃない」

「たまにはね」

 人に頼ったことはない。人を心底信じたこともない。だが、この旧友の前に、今日ばかりは心の重みを少しだけ軽くしたい、そうリツコは思った。そう、少しだけなら。

「カスパーはね、女としてのパターンがインプットされているのよ。まったく...」

 いつもの口調が、やっと戻ってきた。

「使徒も、えらいところに迷い込んだものね」

 ミサトも、無言でいつものカラリとした笑顔を返す。そう、女は怖いのよ、と目で語りながら。

(ごめんなさい、母さん、わたしにはまだ帰るところがある。母さんとはいつでも会えるから)

 

***

 

 地下最深部。薄闇の中、異常に天井が高い空間が広がっていた。

 細く延びた回廊も暗く、遠近感が失われるほどだ。その終端にあたるゲートで、工作をしている男がいる。

 その男の後頭部に、闇の中から不意に現れたように、一人の女が拳銃を当てた。

「これがあなたの本当の仕事?それともアルバイトかしら?」

「どっちかな」

「特務機関ネルフ、特殊監察部所属、加持リョウジ。同時に日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」

「いや、後の方は不肖の弟がやってるんだが」

「ネルフを甘く見ないで」

 男が時間稼ぎのジョークをさらに飛ばそうとした時、よく響く声が後ろから聞こえた。

「そういうことよ、お二人さん...銃を捨てなさい、ハンナヴァルト二尉!」

「つけられたな、ユリア」

「ヘマをしたのは、リョウジでしょう」

 こいつら、どんな関係なのよ、ミサトは激高しそうになったが、先をうながした。

「で、こんな所に、いったい何のつもり?!」

 注意深く振り向きながら、ユリアが鋭くミサトに目で伝える−−自分も同じことを知るために加持をつけて来たのだと。一拍おいて、いつになく真剣な口調で、背中を向けたまま加持が言った。

「真実を、知りたくないか?葛城?」

「で?」

 ミサトらしからぬ無機的な声が響く。

「これが−−」

 加持は素速くスリットにカードを通した。ゴオン、と重苦しい音が虚ろな空間に吸い込まれていった。ゆっくりと、ロックが開かれる。

 暗く、それなのに黄昏を思わせる薄い光がぼんやりと広がっている。距離感の消失するほどの空間の奥底、それはあった。下半身が切断されたような、上半身だけの白い巨大な身体。神の子を名乗った予言者が磔になった時のように、両手には釘。そして胸には長大な槍が深々と突き刺さって、巨人を縫い止めていた。

「これは...?エヴァ?」

 ミサトの心の奥に、電撃が走る。いや、まさか、あの時の光の巨人...?

「そう、セカンドインパクトから、その全ての要であり、始まりでもある。アダムだ...」

「違う!」

 ユリアの顔色が変わった。ミサトが殺気だった目線を突き刺す。だが、ユリアは凍りついたように眼前の白い巨人を凝視する。

「これは...リリス」

 

<つづく>

2003.12.9(2004.6.12改訂;2007.10.14オーバーホール)

Hoffnung

<幕間 ごあいさつ>

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