REALIZE AGAIN 第十話

asuka

 もうこの部屋にいたくない。
 そう思った。本当に、一秒でも早く出ていきたかった。
 だからアタシは鞄一つ持たずに、ここを、色んなことのあったこの部屋を出た。

 埃まみれの廊下を歩いて、ひび割れた階段を降りて、ここを出た。
 振りかえらずに歩いた。昼間の熱を残したアスファルトの上を、うつむいて歩いた。
 随分と人の減った街並みを通りすぎた。買い物帰りの人の顔を見ないようにして歩いた。

 夕暮れの道を歩く。何も考えないようにしながら。
 他に何処も思い付かなかったから、ヒカリの家に向かって歩いた。
 夕日に引き伸ばされたアタシの影を引きずりながら、坂道を登って歩いた。

 坂を登り終えた。ヒカリの家が見えた。
 ヒカリがいた。ジャージと二人で歩いていた。二人並んで歩いていた。
 アイツが何か言った。少し恥ずかしそうに、ヒカリが笑った。嬉しそうだった。

「よかったじゃない、ヒカリ」

 遠くから、絶対に気付かれないような声で、つぶやいた。
 それがアタシの、ちっぽけな、最後の、やせ我慢だった。

ritsuko

「ええ、多分ね。……猫にだって寿命はあるわよ」
 どうして、こういう知らせは夜来るのかしら。
 昼の光の中でなら、もっと楽なのにね。
「もう泣かないで、おばあちゃん。……時間が出来たら一度帰るわ。お母さんの墓前にも、もう3年も立ってないし。……うん、今度は私から電話するから」
 やけに湿っぽい祖母の声に、そっけなく返してしまう。
「ん……じゃ切るわよ」
 最後に会ったとき、記憶よりはるかに薄いその肩を見て、人はこうして消えて行くのだと思った。
 きっとまた小さくなっているのだろう。私を育ててくれた、祖母は。
 もう一度、あえるのだろうか。

「そう、いなくなったの。あの子が」

 口に出して初めて解った。
 昔、私が背中を撫でたあの子は、もう居ないのだと言うことが。


asuka

 もう、どこにもアタシの居場所は無かった。
 もう、だれもアタシと居てくれる人はいなかった。

 夜の街。街灯の光。誰もアタシを必要としない街。
 暗い高台の公園から、暗い街並みを見おろす。
 たったひとりで、冷たいベンチに座って。唇を噛んで。

 足音が聞こえる。それとビニール袋の擦れる不愉快な音。
 きっとアタシと関係無い誰かの、帰る場所の有る誰かの立てる音が聞こえる。
 アタシのすぐ斜め後ろで、その音が消えた。
 なによ、今、アタシに声なんて掛けない方がいいわよ。溢れそうなんだから。なにかをメチャクチャにしたい気分なんだから。ナンパだったり、それとも夜の公園にいる普通の女の子相手に変な事しようなんて馬鹿だったりしたら、殴りつけてやる。
 それぐらいは出来るんだから。アタシにも、今のアタシにも、それぐらいは出来るんだから。

 声を掛けられた。
「ア……えっと、惣流さん?」
 サードだった。

 何で、よりによって、アンタがいるのよ。
 ゆっくりと振り向いた視線の先、買い物帰りなんだろう、コンビニの袋を下げている。
 一番会いたくない相手だった。使徒と戦った後も、本部でテストが有った時も、ずっと避けつづけてきた相手だった。
「その、どうしたの?」
 目をそらして、うつむいた。
 他になにも出来なかったから。一寸でも何かをしようとすれば、溢れそうだった。
 早くどっか行きなさいよ。アタシの事なんか、ほっといてよ。
「……あのさ、これ、飲まない?」
 そう言ってアタシの顔の横に差し出された缶を、思いっきり払いのけた。
 許せなかった。
 アタシの機嫌を伺うような声が、安っぽい同情が、それがあたしの好きな銘柄だった事が。
 でも、一番許せなかったのは、驚いたサードの声、
「アスカ?」
 アタシの名前を呼んだ声。
 それだけは、許せないと思った。だから、

 立ち上がるのと体を捻るのと握った拳をコイツの鼻先に叩きつけるのを同時にやった。固まった関節の上げるきしみは気にならなかった。訳のわからない大声で喚いた。バランスを崩した足元を払いながら反対の手で肩を打った。倒れたままアタシを見る眼が気に入らなかった。馬乗りになって首を締めた。あたしの前からいなくなればいいと思った。こらえていた涙があふれた。

 上に乗ったアタシの髪がコイツの顔に触れるほどの距離で。アタシの流した涙を頬に受けて、肌の色が赤から白に変わっていく。
 苦しそうにしかめられた顔。歪んだ眉。怖いほどにくびれた喉。閉じられた瞳。頬に落ちるアタシの涙。
 目が開かれた。アタシを見ていた。そして唇が、苦しさに歪んだ唇が、微笑んだ。

 何時の間にかアタシの腕からは力が抜けていた。もう何も燃やす物の無くなったアタシは、空っぽだった。
 アタシは大っ嫌いなコイツの上にしゃがみ込んで泣いていた。
 腕をコイツの胸について、あたしに向けられた小さな笑顔を見て、大嫌いなはずのコイツに頬を撫でられながら泣いていた。


 なんでよ?どうしてそんな目でアタシを見るのよ?どうしてこんな事されて笑えるのよ?

 ―どうして、アタシをゆるしてくれるの?―

 もう少しで、あとほんの少しで、あたしの中から出ていきそうだったその問いは、突然向けられたハンドライトの光と保安部員の駈け寄る足音に、止められた。

 そして、それから二度と口にされる事は無かった。

sinji

 保安部の人に乗せられた車の中で、そっと呟く。いつかどこかで聞いた言葉を。
「人と人とが理解し会うことは出来ない……」
 結局、そうなのかもしれない。
 僕はまた、アスカを傷つけたみたいだ。前と同じに。

 あのまま、死んでしまえればよかった。きっと。

 少しだけそう思う。でもそれは、逃げてしまう事だと思う。楽になりたいだけなんだ。
 そして、自分のやったのと同じ事をしているアスカを、笑おうとしていただけなんだ。
 アスカも僕と同じ様になればいいと、汚れてしまえばいいと、最低なのは僕だけじゃないんだと、そんな言い訳がしたかったんだ。

 だから僕は、あの時のように、アスカの頬を撫でた。

 僕は、こんな最低な僕は、ここにいてはいけない。

 でも、あと少しだけ、やりたい事があるんだ。
 だから、ごめん、アスカ。ごめん、綾波。
 あと、少しだけだから……。

misato

「どうして、あんなことをしたのよ?」
 何も言ってはくれないアスカに苛立つ。
 冷たい四角い部屋の中、椅子に座ってあたしを見るアスカ。
「べつに、そうしたかったから」
 この子は、いつの間にこんなに痩せてしまったんだろう。いつの間にこんな、濁った目をするようになったんだろう。
 それに答えられない事が、なにも子のこの事を見ていなかった事そのものが、あたしを責めたてる。
「……まあいいわ。彼も大した事ないって言ってることだし」
 大きく息を吐いて言った。
 そのままアスカを見つめ、何も言えない自分に苛立って、この部屋を出ようと歩き出す。
 ドアに手を掛けた所で、小さな声が聞こえた。
「なんて、言ってた?」
 振り向き、聞き返す。
「シンジ君のこと?」
 うつむいたアスカの表情は見えない。
 見えても、もしもあたしに顔を見せてくれても、何も判らないかもしれないけどね。
 何も言わないアスカに答える。
「彼、……悪いのは自分だから。それだけ言ったそうよ」
 保安部から聞き出した言葉を伝える。
 本当に、何があったんだろう。……解らないことだらけね。
「そう」
 もうこれ以上、アスカを見ていたくなくて、外に出た。

「もう、駄目なのかしら」

 何がなのかはわからないけれど、そんな気がした。

rei

 暗いゲージの中。
 青い大きな一つ目の体を見上げる。
 昔私の使った体。今は彼の使う体。
 ……私の欠片の眠る体。

 この体も、その中に眠っている物も、私によく似たもの。
 嫌な事実。
 でも、今はそれが嬉しい。
 頼む事が出来るから。
 碇君を守ってもらえるから。

 だから、願う。

makoto

「初号機、零号機を迎撃位置へ。初号機が前衛。零号機はバックアップ!」
 葛城さんから電話で受けた指示を叫ぶ。
 山影に打ち出されるニ体のエヴァ。
「弐号機は現状にて待機を、」
 そう続けようとした時に、降って来た声があった。
「いや、発進だ」
 司令!?
「しかし!」
「かまわん。おとりぐらいには役に立つ」

 なにも出来ずに、射出される弐号機をモニタ越しに見送った。
 早く、葛城さんに来て欲しいと思った。……この罪悪感から逃げ出すために。

asuka

「どうでもいいわよ、もう」
 唇の中、喉の奥で消える言葉。
「のこのことまたこれに乗ってる……未練たらしいったらありゃしない……」
 リフトに固定されたまま、ぼんやりとモニタを眺める。
『目標接近。強羅絶対防衛線を突破』
 うるさいわね。
 アタシなんて、ここにいる理由もないのに。
 なにも出来やしないってのに。

misato

「目標のATフィールドは依然健在」
 発令所に走りこんだとたんに聞こえた日向君の声。
「なにやってたの?」
「言い訳はしないわ!状況は!?」
 振り向いた肩の上からこちらを見るリツコに構わず聞いた。
「膠着状態が続いています」
 そう、なんとか出遅れずには済んだみたいね。
 正面のモニタに映っている使徒。光る二重螺旋の輪。何をしてくるのか想像もつかない形。
「パターン青からオレンジへ。周期的に変化しています!」
「……どういう事?」
「MAGIは回答不能を提示しています」
「答えを導き出すにはデーター不足ですね」
 それどどうしたってのよ。
「ただ、あの形が固定形態ではないのは確かだわ」
 なんの役にも立たないこと言わないで。
 苛立ちがつのる。
 役に立たないのは、あたしも同じなのに。
「先に手は出せないか」
 初号機のだいぶ後ろに零号機と……弐号機?リフトに固定されたままの弐号機がいた。
 司令ね、こんな事するのは……。 
「初号機、弐号機はそのまま待機。零号機は初号機に並んで!」
 とにかく、アスカが近接戦闘にまきこまれるのは避けたいわ。

sinji

 捕まらないようにしないといけない。
 A.T.フィールドもあまり効かないみたいだったし……。
 そして、もし綾波が捕まったら、なんとか引き離すしかないと思う。今度こそ。

 さっきから、同じことばかり考えている。不安だから。またあんな光景は見たくないから。今度は、逃げ出したくないから。

 後ろの方にいるアスカの弐号機。アスカは、大丈夫なのかな。
 なにもこんな時に出さなくったって……。
 父さん、か。
 もう、あの人と話すこともないのかもしれない。それはきっと仕方のないことだけど、でも、
『初号機、弐号機はそのまま待機。零号機は初号機に並んで!』
 ミサトさんの声に気を取り直して、前に歩き出そうとした。出来なかった。
 突き放される感じ。
『零号機シンクログラフに異常!』
 そんな!
「なんで……」
 ほどけていく、僕とエヴァとの間が遠くなっていく。
『零号機、パイロットを拒絶!!神経接続切断されます!』
『どういう事!』
 何か言葉にならないものを捉まえようとして、でもすり抜けていく感じ。
 零号機の体から、力が抜ける。
『こちらからの全信号を認識しません……プラグからのデータも受信不可能です!』
 綾波の匂いがした。微かに、今、するはずのない綾波の匂いが。
『プラグ排出されます!』

 綾波がこれを望んだの?
 なんで、そんな。これじゃ何もできないじゃないか。
 僕に何もするなって言うの?

asuka

 初号機が、レイが使徒に襲われているのが見えた。
『弐号機は?』
 A.T.フィールドを突き破った使徒が、初号機に潜りこんでいた。
『ダメです。シンクロ率が二桁を切ってます』
 少し前までしていたレイの苦しそうな声も、今は聞こえない。
『アスカ!』
 初号機に葉脈のような何かが広がっていた。
「動かない……動かないのよ」
 でも、弐号機は、アタシは、一歩も動けない。



rei + 16th angel

 綾波レイと言う私と使徒と呼ばれる私がひとつになりかけている。
 体が溶け合っているから。
『私とひとつにならない?』
「ええ、そうね」
 お互いがひとつになろうとする。
 使徒でもある私が言う。
『これがあなたのココロ?悲しみに満ち満ちている、あなた自身のココロ?』
 綾波レイと呼ばれる私が答える。
「そう、これが私の心。寂しさを覚えた、けれどニセモノの心」
 痛みが広がる。私達の心に痛みが広がる。
 私達は声をそろえてワラウ。
『ひとりがイヤなのね』
「そう」
『イタイの?ココロがイタイの?』
「そう」
 だから私は、死んでしまいたい。
「でも、死ぬのはあなただけ。私達が使徒と呼ぶあなただけ」
 私はワラウ。
 私は死なない。代わりはあるから。ニセモノだから。
『それであなたはどうするの?』
「どうもしないわ」
『嘘。忘れた振りをするのでしょう?何も知らない振りをして、あの人たちを騙そうとするのよ』
「そうかもしれない」
『そうよ』
 何もかも忘れた振りをしよう、あの時のように。
 そうすれば、イタクなくなるかもしれない。
 碇君を見る事が出来るかもしれない。
 本当に忘れられるかもしれない。
 もしかしたら、死ねるのかもしれない。
 綾波レイも、使徒と呼ばれるものも、本当にいなくなってしまえるのかもしれない。
 どうせ、同じなのだから、価値などないから。だから、
 さびしく、なくなるかもしれない。

 私達はワラウ。
 三日月の口をして。声をそろえて。狂ったように。

ritsuko

「零号機、完全に沈黙!モニタ不能です」
 何も映さなくなった、零号機関連のモニタから目をそらす。
「弐号機シンクロ率変化なし……」
 絶望の広がる発令所で、侵食され異様な形になっていく初号機を、私は見つめる。
「レイ!」
 ミサトが叫ぶ。
 突然、使徒がその紐のような体の動きを止めた。
「A.T.フィールド反転!一気に侵食されます!」
 表示されていたグラフの一つが急激にその形を変える。
 これは、
「使徒を押さえ込むつもり!?」
 でも、それでは……。
「フィールド限界!これ以上、コアが持ちません!」
 マヤの悲鳴のような報告。
 使徒が、初号機にその体のすべてを埋めた。
「レイ!機体を捨てて逃げて!」
 ミサトの叫びにも返事はない。

 振り返り、司令塔の上を見上げる。
 立ちあがり、片方の手を机について、残った手を中途半端にモニタに向けて伸ばして、叫ぶように開いた口から言葉も出せずに、あの人がいる。

asuka

 もう何も見たくなくて、エントリープラグの中、下を向いていた。
 もう何も聞きたくなくて、両手で耳を塞いでいた。

 だから、気付くのが遅れた。

 プラグが外に出ていた。メンテナンスパネルからの操作で。
 開いたハッチから、サードが飛び込んできた。
 苦しそうに、肺の中の空気をL.C.Lと入れ替えてる。
 走って、来たの?零号機から?リフトを登って、弐号機に?

「……何しに来たのよ」
 違う、そんな事より、
「アンタ弐号機を動かせるの?だったら、レイを……」
 そう言いかけた。悔しかった。アタシには何もできないのが。でも、それでも、
「アスカ、綾波を助けて」
 シートの端に捕まって、アタシに言ってくる。
「バカ!出来るもんならそうしてるわよ!」
 動かないの!何もできないの!アタシには、レイを助けられないのよ!
「僕じゃ、弐号機は動かない」
 息を切らしながら首を振る。
「だったら何しに来たのよ!」
 なんの役にも立たないじゃないの……アタシと同じで。
「でも、アスカは動かせるんだ。必ず」
 そう言って、あたしの手をとってレバーを握らせ、自分の手をそのまま重ねた。
 首を捻り、アタシを見ながら、続ける。
「だから、行こう」

「無理よ」
「大丈夫だよ」

―弐号機には、心があるから。アスカの事、ずっと見ている心があるから―

 アタシのじゃない言葉が聞こえた。遠くから。とても近くから。
 ほんの微かに、声が聞こえた。
 サード?シンクロ、しているっていうの?アタシと?弐号機と?
 じゃあ、アタシも弐号機と繋がってるの?

 何だか懐かしいような、守られている感じがした。そして、

 初号機が見えた。
 モニタ越しにじゃなく。アタシの、弐号機の、目で。
 使徒と融合している初号機が見えた。
 レイが、苦しんでいるのが見えた。
 それしか目に入らなかった。

 だからアタシ達は、走り出した。

rei

 動かしにくい体を捻り立ちあがって、赤いレバーを引こうとした時、それが見えた。
 私に向かって走ってくる弐号機が見えた。

 何故?何故動いているの?
 きっと動かないと思ったのに。
 誰も、来ないはずだったのに。

 私には、何も無いはずなのに。

『A.T.フィールド全開!』
 弐号機から聞こえてくる、碇君の声。
 私達の、私と使徒の間に割り込んでくる心。
『このぉぉぉぉぉぉ!』
 弐号機から聞こえてくる、アスカの声。
 引き剥がされる。

 痛みと、快感と、絶望と、歓喜と、孤独と、一つになりたい欲望と、生と、死。
 それが、私達を引き離す。

fuyutsuki

 ついに、16番目まで倒したわけか。
「初号機はサードをメインに、ファーストは零号機の起動実験をスケジュールに組みこめ。……ああ、セカンドは現状を維持だ」
 薄暗い部屋の中で、碇が電話に向かう姿を見ながら思いをめぐらす。
 しかし、ロンギヌスの槍の無断使用、エヴァパイロットへの使徒の接触……特にレイは第12、13使徒の件もあるとなると……。
「碇、今回の初号機の件、キール議長達がうるさいぞ」
 受話器を置いたこの男に向かって言う。
「ゼーレの老人たちには、別のものを差し出している。心配ない」
 だがな、その代わりが問題なのでは、そう言いかけて、碇の顔に気が付き、口を閉じた。
 久しぶりだな、お前が表情を押さえられないのは。
「……席を外してくれ」
 しばらくの沈黙のあとの言葉に頷く。 
「ああ。解った」
「すまない」

 いつもの姿勢で動かない碇を背に、ドアを開き外に出た。
 そこで、レイと無言のままにすれ違う。 

gendou

「何故、初号機を危険に晒した?」
 距離をとって立ち止まった細い影に話しかける。
「使徒を倒すためです」
 迷いのない口調が帰ってくる。
「初号機は他のエヴァとは違う。解っているはずだ」
「あの時は、他に方法が有りませんでした」
「……」
 ただ、その姿を見つめる。
「それだけですか?」
 抑揚のない声。だが、その奥に何かを秘めた声。
「……失礼します」
 昔聞いた事の有る、声質。
「待て」
 呼びとめた。聞かずにいる事などできなかった。
「何故、シンジの名を呼んだ?」
「なんの、事でしょうか?」
 わずかに細まった目を見ながら聞く。
「参号機の時だ。なぜ呼んだ……いや、なぜ知っていた?」
 無言。
「お前は誰だ」
 あの時から、あの時のプラグ内の映像を見た時からの疑問。
「私は、綾波レイ、」
「ユイ」
 口にした、その名前を。
「違います」
 震える肩。
「あの時シンジを呼んだのは、おまえがユイだからではないのか」
「違います」
 か細い声。
「レイはあれのことは知らないはずだ」
「……」
 きつく結ばれた唇。
「レイには、あれを気にする理由がない。お前がシンジのことを気にするのは、お前が、」
「ちがう!私は、わたし……綾波レイ」
 叫び、喉を詰まらせながら言う姿。
 暗く、広いこの部屋に満ちる沈黙。
 そして、
「もういい、戻れ」
「……はい」
 振りかえり外に出でいく後ろ姿。
 あまりにも似ているその姿。

misato

 ゴミの溢れる部屋を眺める。
 あたしと、ペンペンだけには広すぎる部屋。
 だから、好きになれなかった。
 ここを奇麗にする気になれなかった。
 でも、少しは何とかしておくべきだったかもしれないと思う。

 今更だけど。
 もうここに、長居するつもりはないけれど。
 あたしがこの街に居なくちゃいけない理由がなくなって来ているから。

「でも、本当に?」

 それでいいのかしら?あたしは。


ritsuko

 私は、受話器を見つめている。
 空っぽになった私は、暗い妄想を抱きながら、受話器を見つめている。
 あの子は、どんな顔をするかしらね。
 そんな事を考える。
 咥えていた、火のついていない煙草を捨てた。
 そして、手を伸ばす。

 その手が、受話器に触れそうになった時、端末の表示に気付いた。
 私が、これからあの子を連れていこうとしたその場所が、無人ではない事に気付いた。
 そして、そこに居るのが誰かを確認した私は、その区画の情報を封鎖して、そこに、ダミープラントに、降りていく事にした。
 なぜか。

 扉の前で立ち止まる。
 私は、何をこの向こうで見るのかしら?
 そんな疑問がわいた。そして扉を開くだけで答えの出るはずのそれを、しばらく考えていた。
 もしかしたら、この中に入るのが怖いのかしらね、私。


 扉を開けた。


 レイが立っていた。
 私に背を向けて、オレンジ色の光に照らされて。
 両手を力なく体のわきに下げて、身動き一つせずに、レイが立っていた。
 崩れ落ちるダミーの視線を受けながら立っていた。

 振り向いて、何も移していない瞳をこちらに向けた。
 泣いていた。レイが。

「何をしているの。あなた」
 そんな、この状況に相応しくない当たり前の問いが、私の口からこぼれる。
 答えはない。
「なぜ、こんな事をしたの?」
 ゆっくりと、本当にゆっくりと、赤い瞳が焦点を結ぶ。
「ホンモノになれるかも、と思いました」
 流れる涙をそのままに言う。
「人に、なれるかもしれないと思いました」
 崩れていく自分と同じ形のものに囲まれながら言う。
「でも、駄目でした」
 ……寂しそうに、言う。
「レイ?」
「私が、碇君のことを考えるのは、私がニセモノだからですか?私が、あの人の、碇君のお母さんのニセモノだから、私は……碇君のことを、思うのですか?」
 碇君?あなた、シンジ君の事を?
「もし、そうなら、私は、いなくなりたいです」
 うつむいて言うレイ。
「だからかも知れません。代わりを壊したのは」
 ボロボロになって、壊れていくダミー。
「これで私は、いなくなれますか?」
 細い声。
「これが、この最後の体がなくなれば、私は、」
「なぜ、私にそんな事を言うのかしら?」
 遮り、言う。
「……きっと、誰かに言いたかったから。碇君にも、アスカにも、言えないから。赤木博士が、今ここに来たから」
 もう、考えることを止めたかのように、レイの口からは言葉が只こぼれる。
「いつから、シンジ君のことを気にしはじめたの?」
 私は、そう聞いていた。
「解りません。いつのまにか、私の隙間に碇君がいました。……私は、私の心は、本当にニセモノなのですか?」
 私に向かって、レイが、あの人が私をその代わりにしたレイが、聞く。
 そして私は答える。
「肉体以外のものも、同時にコピーされた可能性は有るわね」
 大きく震えるレイを見ながら続ける。
「彼女の魂は初号機の中に、貴方の生まれた場所に有り、彼女が其処に行ってしまった時にシンジ君もそれを見ていた。彼女が、自分の息子のことを気にするのは自然な事。その気持ちも複製されたのかも知れない……つまり、貴方が彼のことを意識したきっかけが、彼女の影響であることを否定はできないわ」
 私は、レイを見る。
 真っ青な顔。虚ろな瞳。流れつづける涙。
 綾波レイを、見つめる。
「でも、それがどうしたと言うの?」
 私は、一歩前に歩いた。
 レイに向かって。
「仕方ないのよ」
 もう一歩。
「貴方、彼の事が好きなんでしょう?」
「好き?私が……」
 レイに近寄る。
「ええ」
「でも、私は、ニセモノの私は、」
 立ち止まる、息のかかりそうな距離で。
「良いの、それでもいいの」
 笑う。
「だって、仕方ないのよ。何がきっかけでも、どんなことが初めにあっても、好きになってしまったら、仕方ないもの」
 これは、同情?そうかもしれない。
 この暗いオレンジ色に染まった部屋が私を狂わせた?そうかもしれない。
 それでも、私は、
 目を見開いて私を見つめるレイを、抱きしめた。

「いいのよ。それで。貴方は彼の事が好き。それは本当の事なの」

 震える体。流れつづける涙。冷え切った肌。
 ゆっくりと、私に触れてくる、手。
「……温かい」
「そう?でも、きっと彼の体はもっと温かいわ」
 そっと、言う。
「ほんとうに?」
「そう。だって貴方は彼の事が好きだから」

 それは、どうしようもない事。私達の感じる事実。
 寂しさを消す事のできない私達人間が、ずっと昔から信じてきた、本当のこと。


asuka

 明け方、日が昇る前に目が覚めた。

 嫌な夢を見ていた。
 アタシが他人にすがり付く夢。
 レイに、加持さんに、サードに……ママに頼り切って生きるアタシが居た。
 そんなのは、嫌だと思った。
 でも、それが今のアタシだ。

 ベッドから起き上がる。
 埃まみれの薄暗い部屋。
 窓を開けた。
 暗い空。静かな街。
 鏡の前に立つ。
 昨日のままの、しわくちゃの服。
 かさかさの肌。
 乱れた髪。
 不機嫌そうな顔。
 これが今のアタシ。

 アタシは、アタシを見つめながら考える。
 独りで生きて行けないの?
 アタシ独りじゃ何もできないの?
 考える。
 何が間違っているのかを。

 寂しいのよ、独りは。
 アタシにできない事も有るの。
 それが分かってなかった。
 だから今、アタシは独りで、何もできなくて、惨めだ。

「でも、他人がいなきゃ生きていけないなんてのは、嫌」

 一人で立ちたい。
 誰の手も借りずに。
 ただ慰められたりはしたくない。
 自分一人で立ちあがりたい。
 助けを拒否するんじゃなくて、出来る事を確かめたい。
 でもすがり付くだけにはなりたくない。
 レイに、ママに、サードに、エヴァに寄りかかるだけのアタシでいたくない。
 きっとそれは苦しいけど。
 きっとそれはとても難しい事だけど。
 でも、
 アタシは、あたし一人で立って、それから他人に逢いたい。
 寂しさを言い訳にして生きるのはイヤ。
 だって、アタシは、

「アタシが、惣流・アスカ・ラングレーだから」

 ここから始めよう。
 鏡に映ったアタシを見ながら思う。
 何が出来るかは、また別の話しだけど。
 またエヴァが動かなくても。
 もしもアタシを見てくれなくても。
 それでも、アタシはアタシでいよう。
 辛いけれど。
 きっとまだ、これは思っただけで、何度も悩むだろうけど。
 そう、思う。

 窓から射し込んで来た光の筋が、アタシを、しわくちゃの服を着て立つアタシを照らした。

「……とりあえず、掃除しなきゃね」
 埃まみれの部屋の中で、少し笑って、言った。

sinji

 眠れなくて、ネルフの中の自分の部屋に居たくなくて、ずっと歩いていた。
 いつのまにか、朝になっていた。
 この街に日が昇る。
 今は、廃墟じゃないこの街に。
 ああ、そうか……。
 僕の居る場所に気がついた。
 ここは、カヲル君に最初に会ったところだ。

「もうすぐ、会えるんだ」

 僕の友達に。僕の殺した友達によく似た人に。





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