魂の自力救済

     〜レイ、心の逍遥

                    written by 桔梗野聡視


 第二日目(前編)

 10時05分 ミサトの執務室

 その面積のほとんどが湖と化した第三新東京市では、社会基盤のほとんどが壊滅していた。教育機関もその例外ではなく、シンジ達の通う第壱中学も休校を余儀なくされている。この日、シンジとレイが前日からこの時間から本部へ呼び出を受けていたが、その時点においては任務があったからというよりは、二人が暇であったからという方が近い。だが、一晩の間に状況は変わっていた。

 「レイ、昨日の夜……そうねぇ、10時45分くらいから11時頃かしら……どこにいたか憶えてる?」

 尋ねるミサトの口調はひどく歯切れが悪い。

 「……昨日……」

 「そのくらいの時間だったら僕と一緒にいましたよ。ね、綾波?」

 考え込むレイを見てシンジが先に答えた。シンジの問いかけにコクリと小さく頷くレイ。その表情が無表情なままであったのを見てミサトは少しだけ残念に思う。

 (以前のレイならばシンジ君と一緒にいたことを指摘されれば少しははにかむ表情を見せてくれたものなんだけど……)

 ミサトの脳裏にLCLに浮かぶ無数のレイの姿がよぎった。慌てて首を振って頭の中から嫌な光景を追い出す。

 「シンジ君、間違いないわね?」

 「はい……でも、どうかしたんですか?」

 「……ちょっちねー」

 シンジ達の背後からミサトの執務室へ入ってきた青葉がミサトに軽く合図する。それに微かに無理やり笑顔を作って答えるミサト。

 「ごめんねぇ、二人とも突然呼び出しちゃって。もういいから、ありがと。」

 「べ、別にいいですけど……ところで僕達、今日はどうすればいいんですか? なんか、リツコさんもいないらしいんですけど」

 (やばい!!)

 つくづくポーカーフェイスのできないミサト。シンジの不審の視線と、レイの無感情な視線を浴びながら、表情に上がったうろたえをすぐに消してどうにか答えた。

 「リ、リツコはちょっち出張に出てんのよぉ。えーっと、そうねぇ……今日の予定はマヤに聞いて頂戴」

 「わかりました……行こうか、綾波?」

 何も答えずに出て行くレイ。その後をシンジが追っていく。扉が閉まるのを確認してからミサトは大きな溜息をついた。

 「いくらなんでもリツコのこと言えないしなぁ……」

 だが、ミサトは多分二人も気づいてはいるだろうとは思っていた。自嘲してから青葉に振り向く。

 「で、どうだった、青葉君?」

 「シンジ君の言った通りですよ。3課で確認してきました。」

 「やれやれ、手掛り無しかぁ。ウチの諜報部もあてになんないわねぇ」

 

 その日の朝、執務室で仮眠を摂っていたミサトのもとに、諜報部から背反する内容の二つの報告が届けられた。

 一つはチルドレン達の護衛・監視を行う諜報3課からの定期連絡で、綾波レイ、碇シンジの前日の行動報告である。ちなみに、行方不明になっていたアスカはこの日の朝、新湖畔近くの廃墟の中で衰弱しきっていたところを保護された。精神的にも混乱が見られたため、そのまま病院へ収容されている。

 そしてもう一つの報告というのが、検束中のリツコの監視をしていた諜報1課からのもので、今朝リツコが精神的に衰弱しきった状態で発見されたこと、そしてそれに綾波レイが関わっているらしいことを報告してきたものであった。それまでリツコの事に関してはミサトの頭越しに進行していた事だったので、今更になって押し付けられるというのは不愉快の極みである。だが、少なくともリツコの件に関してはミサトも当事者であったし、諜報部には緊急時を除いてチルドレンに接触することを制限させているとあっては知らぬ存ぜぬというわけにはいかないのがミサトの立場であった。

 いやいやながら収集した状況を分析した結果、ミサトは次のような結論に達した。第一に昨夜シンジとコンビニにいたレイと、リツコの前に現れたレイは別人であるという事。第二にシンジと共にいたレイの方がオリジナルであるという事。第三に偽レイは詳細は不明であるが何らかの情報を求めてリツコに接触を図ったという事。第四にこれ以後も偽レイは同様に他人に接触を図りつづけるであろうという事、以上の四点である。そして、第四の結論を導き出してしまった以上、ミサトはそれに対する対策を取らねばならなかった。

 

 「でぇ、施設部のログは調べてきてくれた?」

 「拘置室への人の出入りは記録されていません。ですが、赤木博士がファーストチルドレンが現れたと主張している22時45分から15分ほどの間、この部屋に赤木博士以外の人間がいたことが記録されていました」

 「それがレイだと?」

 「パーソナルは一致しました」

 「つまり、綾波レイは二人いる……か」

 「電子記録上は。でも、そんなことはありえませんよ」

 「……だといいけど」

 小さくつぶやくミサトの脳裏を再びダミーシステムの生産装置がよぎる。

 (……まさかね。ダミーはリツコが破棄してしまったんだし、仮にダミーを手に入れた人間がいたとしてそれに魂……ベースパーソナリティを組み込むことなどできないわ。リツコも言っていた「魂はレイにしか生まれなかった」って)

 「何かおっしゃいましたか?」

 「何でもないわ」

 部屋から退出するように手をひらひらと振りながら答えるミサト。青葉は一礼して背を向けたが、部屋から出ようとしてふと何かに気づいて立ち止まる。

 「この件に関して対策はどうします?」

 ボールペンをくわえて少し考えるミサト。

 「……そうね、とりあえず現状維持」

 「現状維持……ですか?」

 「今ついてる監視だけでも十分過ぎるわ。これ以上どうこうする必要はないわよ」

 「リツコさんの方はどうします?」

 「もう一度現れるとは考えにくいわ。放っておいてもかまわないでしょ」

 「……わかりました」

 多少不満気な表情で退出する青葉の背中を見つめながらミサトは考えていた。

 (レイはリツコに自分の存在意義を投げかけていった……話の感じからすればあれ一回で終わるとも思えない……だとすればあのレイが本物でないのは確かとしても多分、同じ質問を他の人間達にも投げかけるはず……次は、誰?)

 だが、口に出しては別のことをつぶやいた。

 「自我に目覚めたというの……あのレイが?」

 

 

 10時15分 発令所

 「じゃあ、今日することは何も決まってないんですか?」

 「ええ、そうなの。ごめんなさい。先輩、何の引継ぎも無しに突然いなくなってしまわれたものだから……」

 シンジとレイに頭を下げるマヤ。シンジ達に出てきてもらったのはいいが、何も予定が立っていなかったのである。

 「でも、リツコさん出張だって言ってましたけど……」

 シンジのつぶやきにマヤは過剰に反応した。勢い込んでシンジに顔を寄せる。

 「えっ、誰が? 誰がそう言ったの?」

 「ミ、ミサトさんですけど……」

 小首を傾げて考え込むマヤ。

 (おかしいわ……葛城さん、きのう私の所に先輩の居場所を訪ねに来たのに……)

 「あの……それで僕達、今日はどうすれば……」

 「あっ、そうね、ごめんなさい。どうしようかな……一応、シンクロテストのスケジュールはあるんだけど先輩も副指令も留守だし……」

 シンクロテストなどのエヴァそのものに関する試験に関しては責任者の立会いを必要とすることになっている。ちなみに、責任者たる資格を持っているのはリツコと冬月副指令、そして碇司令であり、その司令と副指令は松代へと出張中であった。いずれにせよマヤは碇指令に頼むという選択肢は完全に無視している。

 「……そうね、レイちゃんはこの前の事から間もないし、健康診断しておく?」

 この前の事とは零号機の自爆を指している。レイは小さく頷いた。

 「……それでかまいません」

 「シンジ君も最近調子悪かったようだけど、どう?」

 レイが別人となりアスカは行方不明、ミサトは不在がちで友人達は疎開中。それらが、シンジの精神に負担をかけて心を閉ざしかけていたのであったが、前日のことでようやく他人と口を利くようになったのであった。それを、深い事情を知らなかったマヤはシンジの体調が悪いのではないかと思っていたのである

 「……はい、それでかまいません」

 「じゃあ、医務室へ行きましょうか」

 立ちあがるマヤ。ふとレイに笑みを向けた。

 「今日は笑ってくれないのね?」

 「……?」

 「綾波が……?」

 不思議そうにマヤを見るレイ。シンジもきょとんとしている。

 二人の様子にちょっと引くマヤ。

 「え、ええ。昨日の11時くらいかしら? レイちゃん発令所に来たでしょう?」

 「……いいえ」

 「その時間にだったら綾波は僕と一緒でしたよ。でも……」

 考え込むシンジ。

 「さっき、ミサトさんからも同じ事聞かれたんですよね……」

 マヤとシンジの目が合う。二人とも、疑惑の表情。レイだけは鋭い視線をあらぬ方向に向けていた。

 

 

 10時30分 ミサトの執務室

 「どう、何かわかった?」

 ファイルをひらひら振り回しながら首を振る日向。

 「ダメです。新しいことは何も」

 「うーん……」

 ため息をつくミサト。日向はファイルを広げる。

 「1課と3課の報告の裏を洗ってみましが、どちらにも不審な点は見当たりませんでした」

 「そう」

 「碇指令の関与も見当たりませんでした。無論、リツコさんも」

 「そう」

 「MAGIへの小細工もありません」

 「そう」

 「意図的な情報操作も無いようです」

 「そう」

 ファイルを閉じる日向を見てミサトはくわえていたボールペンを放り出した。

 「だめかぁ……厄介なことを押し付けられたものねぇ」

 「まったくですよ」

 「得たことといえばリツコとコンタクトを取れるようになったことくらいね」

 「リツコさんとお会いになったんでしょう? どうでした?」

 「ダメね。あんなに取り乱したリツコを見るのも初めてだわ」

 (多分レイの質問ではっきりと自らの負けを自覚させられたのね。自業自得とは言え、つらいわね、リツコ……)

 「これ以後はどうしますか?」

 碇指令のように顔の前で手を組むミサト。

 「リツコの証言に拠れば、この偽レイはレイの存在意義を問うていったそうよ。彼女が自らのアイデンティティの確立を図っているのだとしたら、他の人にも同じ質問を聞いて回るはずだわ。……次は誰のところに来ると思う?」

 「そうですね……まずマヤちゃんに会ったにもかかわらず何もしなかったということは、我々オペレーターは除外されているんでしょうね。で、リツコさんのところに現れたということは、おそらく彼女に対して命令を出す地位の人間を狙っているのではないでしょうか? 具体的にはリツコさんに指令と副指令、そして……」

 「……ワタシね」

 ニヤリと笑うミサト。

 「指令と副指令は明後日までは松代から帰ってこない。となると今日現れるとしたら私の所である確率が一番高いわ」

 「どうされます?」

 「今日もここに泊まることにするわ」

 「危険じゃないですか?」

 「大丈夫よ。リツコだって無事だったんだし」

 「しかし……」

 不満そうな日向に対してミサトは笑って見せた。

 「それから特別な警護も不要よ。警戒されちゃうから」

 大きなため息をつく日向。

 (この人はこういう人だったな)

 「それにしても、マヤの証言が無ければ『リツコの錯乱妄想』で片付けちゃったんだけどねぇ」

 「……マヤちゃんで思い出しましたが、よかったんですか? シンジ君達をマヤちゃんのところにやってしまって……」

 ミサトは時計を見る。

 「予定ならそろそろシンジ君達も偽レイの存在を知る頃じゃないかしら。大丈夫よ、心配しなくたって。マヤは何も知らないし、それにこういう形で事態を知ればシンちゃんもきっちりとレイのエスコートに付いてくれるだろうし」

 「……葛城さん、なんだかやってることがリツコさんじみてきましたね」

 「……やめてよ」

 げんなりとするミサト。だが、ここで不意にまじめな表情になった。

 「アスカの様子、どうだった?」

 悲しげに首を横に振る日向。

 「外傷後ストレス障害 (posttraumatic Stress Disorder)と重度の拒食症だそうです。シンクロできなくなったこと、かなりこたえてるみたいですね」

 「エヴァこそがアスカのアイデンティティだったからねぇ。それにシンちゃんに負けてしまって、レイに助けられたとあっては……」

 (その彼女に何もしてあげられなかった私は見舞いに行こうともしない。保護者失格だわ……)

 沈鬱な表情でヘッドレストに頭を預けたミサトを見ると、日向は一礼して退室していった。

 

 

第二日目後編に続く                


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Received Date: 98.12.09
Upload Date: 98.12.10
Last Modified:99.2.26
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