魂の自力救済

     〜レイ、心の逍遥

                    written by 桔梗野聡視


 第三日目(中編)

 22時30分 作戦部

 ミサトは付属病院から押収してきたアスカのカルテに目を通していた。昨日からの入院記録だけではない、それまでの定期健康診断や作戦中負傷療養記録などすべての記録が収められた分厚いものである。

 最後のページを読み終えたミサトは重いファイルを机の上に放り出す。挟み込まれていたカーデックス(*1)が抜け落ちて机の下へと落ちた。

 「ご苦労様です」

 目の前に控えていた日向が、ミサトの表情に微苦笑しながらカーデックスを拾い上げる。うんざりという表情のミサト。

 「……ったく、『カルテが世界で一番汚い字で書かれた公文書である』というのはけだし至言よねぇ……疲れたわ」

 実は、ほんのついさっきまで病棟の看護婦が作戦部に呼び出されていた。カルテの『翻訳』の為である。もっとも、その彼女をして何度も医局へ電話で確認を取らねばならなかったが……

 「で、どうでしたか?」

 「全然駄目ね。役に立ちそうなことは何も」

 「……でしょうね」

 「……」

 日向の言葉に、疲れた笑顔をちょっとだけひきつらせるミサト。彼女自身自覚していたことではあったが、面と向かって言われればやはり多少はむっとする。彼女は笑顔を作ると、分厚いカルテを彼の方に押しやる。

 「日向君、カルテ返してきてね」

 「……」

 「アスカの次の病室は……303病室だそうよ。発令所からの直轄回線のある病室だからね。おねがいね」

 満面の笑みで言うミサトに、日向は無言でひきつった笑顔を返すしかない。

 「……まあそれはそれとして。で、そっちはどうだった?」

 「三人とも足取りは完全に押さえてありました。まあ、諜報部にもこれくらいはちゃんと仕事してもらいませんとね」

 ファイルを開く日向。

 「鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリの疎開先は、三人共第二新東京です。一応、この三人には特別警護を手配しておきました」

 偽レイがアスカの所へ現れたのを受けて、ミサトはチルドレンも被害者の候補となる事を悟った。そこで、チルドレン及びチルドレン候補達の内、レイとも個人的に面識のある三人にも警護を広げたのである。

 「まあ、ここまでする必要も無いとは思うけどねぇ〜」

 ミサトの気持ちは重い。

 彼女は自分の所に偽レイが現れる事を想定し、アスカの警護に関して全く考慮していなかったのである。諜報3課の独断先行がその一因であるにしても彼女に判断ミスであることには違いない

 (アスカ……保護者失格の私の方がレイへの影響度が大きいと判断したとは……自惚れもいいところよね……)

 自嘲するミサト。目を閉じ、大きな溜息をついてバックレストに体重を預ける。その彼女の悲痛な表情から目を背けるようにして新たなファイルを取り出す日向。

 「調べていて気づいたんですが……」

 ファイルを主モニターに表示する。

 「これを見てください。401病室に侵入者の記録が現れるのが23時45分、MAGIのアラート……憶えてますか? MAGI自身の判断で取り消されたあれです、MAGI自体のログは消去されていましたが保安部のログは残ってました。で、MAGIがパターン青のアラートを発したのが23時49分42秒……バルタザールの審議提起が50分08秒……どう思います?」

 ミサトの表情に生気が戻る。皮肉な見方をすれば、新たな問題に没頭する事で本来の問題から目を背けただけかもしれないが……

 「……つまり、偽レイとパターン青、そしてその取り消しには関連があると?」

 「MAGIにかけたらそう判断しました」

 「MAGIの問題をMAGIに判断させたわけ?」

 ミサトの口元が皮肉気に吊り上る。

 「……こうも考えられるわ。アラートの発生から結審までのログをMAGIは消去した。取り消すだけではなく消去したのよ。そこまでする理由は?」

 「……! なるほど、侵入者か……偽レイは出現と同時にMAGIに侵入、操作の末アラートを解除させ、操作と侵入の痕跡を消すためにログを消去した……」

 「ま、偽レイとの関連はまだわからないけどね……じゃ、行くわよ」

 立ちあがるミサト。日向はあわててファイルをまとめながら聞いた。

 「行くって……どちらへ?」

 「MAGI本体のログは無いだろうけど、LANサーバーのログなら残ってるかもしれないわ。それを調べるのよ」

 颯爽と出て行くミサト。あわててカルテを手にした日向がその後を追って出て行く。

 

 

 22時45分 コンビニエンスストア

 弁当の並んでいる棚の前をうろうろと歩き回るシンジ。積まれている弁当を一つ一つ手に取って内容を確かめては元に戻すという事を続けている。

 (焼肉弁当……しつこいものは食べたくないな……幕の内……なんだろう、このごてごてしたの、色もすごいし……鮭弁当……悪くないけど、なんだってこんなに量が多いんだろう……キムチ弁当…………)

 そのあまりの色合いにちょっとばかり顔色を蒼くして無言で棚に戻す。それまでの惰性に従い、何気なく隣の弁当を取り上げ内容を確かめる。が……

 (……! ハンバーグ弁当……)

 彼の表情が暗くなった。ハンバーグが好きな赤毛の少女の事を思い出したのである。

 (……アスカ……)

 そのまま弁当を元あった場所に戻す。ふと見上げるとサンドイッチが並んでいる。彼はそのうちの一つを手に取った。

 (ポテトサラダとチーズのサンドイッチか……これにしようかな)

 視線が意識して避けていたハンバーグ弁当を横切る。シンジの心に垂れ込める暗雲。

 

 

 (……アスカ……どこに行ってしまったんだろう……)

 (……プライドが高くて、負けず嫌いで、いつも僕を馬鹿にしていたアスカ……)

 対アラエル戦の後、ビルの屋上、立ち入り禁止のテープの向こうでこちらに背を向け、膝を抱えて座るプラグスーツ姿のアスカがシンジの脳裏をよぎる。

 (……僕には何もできなかった……)

 

 留守番電話の録音を聞いて泣き伏すミサト。

 (……僕には何もできなかった……)

 

 崩れゆくダミー達の前で泣き崩れるリツコ。

 (……僕には何もできなかった……)

 

 片足を失った状態でエントリープラグから助け出されるトウジ。

 (……僕には何もできなかった!)

 

 そして、シンジを守る為、第三新東京市と共に光と熱となって消えていったレイ。

 (……僕には何もできなかったんだ!!)

 

 イメージの中でエヴァ初号機と対峙するシンジ。

 (エヴァンゲリオン初号機……『福音を伝導するモノ』……使徒に対抗する為の人類の切り札……比類なき力……これに乗って僕は何をすることができた?)

 

 (……結局、僕は父さんの言いなりになることしかできなかったじゃないか……)

 

 (……血の匂いのする、それでも安らぎを感じるエントリープラグ……やっぱりそうなのか……)

 近づいてくる女性のイメージ。

 

 (母さん……)

 

 (なぜ母さんは父さんに従うの……?)

 

 (父さんのしていることが正しいっていうの!?)

 

 女性のイメージ、レイに変わる。彼女の背後にはLCLで満たされた水槽。そしてその中には……

 (ダミープラグ……)

 シンジのつぶやきに反応して顔を上げるダミー達。その表情は薄く笑みを浮かべている。それに対して水槽の前のレイの表情は悲しげだった。

 

 (これを見て……これを見てなお正しいというの!?)

 

 (こんなのおかしいよ!……間違ってるよ!!

 

 レイとダミー達の更に後方で幽鬼のように立つゲンドウ。逆光でその表情は窺い知れないが、眼鏡だけが怪しく光っている。

 

 (母さんを……綾波を……一体何をやっているんだ、父さん……父さん!!

 

 

 「碇君」

 彼の名を呼ぶ声がシンジを現実に引き戻した。脂汗を額に浮かべ、目を大きく見開いたまま振り返ると、綾波が立っている。

 「あ、あやな……み」

 彼女の視線が一点を指している。その視線を追うとシンジの手に行き着いた。

 握り締められた手。彼はサンドイッチを持っていた。醜く姿を変えているサンドイッチの包み……

 「……あ」

 (まあいいや、これを買うことにしよう)

 ちょっとだけ情けない笑顔で手の中の包みを眺めた。

 「綾波はなぜここに?」

 「……食事」

 手にした固形栄養食品を微かに掲げて見せる。シンジは小さく溜息をついた。

 「綾波……そういうのは良くないって前に言ったじゃないか。もっとちゃんとしたものを食べなきゃ……」

 レイは微かに首を傾げてシンジを見つめる。

 (……しまった!!)

 今、目の前にいるレイは『三人目』。シンジが食事に関して意見をしたのは『二人目』。記憶の有無は置くとして、彼女は『知らない』のだ……シンジは口走った内容を真剣に後悔した。

 黙ってシンジを見つめていたレイはその視線を彼の手の包みに向けると、不意に背を向けて小走りに店の奥へと戻っていく。

 (ああ……気分を害しちゃった……かな?)

 暗い気分になってレジに向かおうとするシンジ。だが、すぐにレイは戻ってきた。じっとシンジの持つ包みを見て、それと同じものを棚から取る。

 「……あ、あの、綾波?」

 「……レジ……行かないの?」

 「えっ? あっ、行くよ、待って!」

 缶紅茶を二つ手に取ってから、さっさと歩いていこうとする綾波を追って歩き出すシンジ。

 

 

 23時10分 ミサトの執務室前

 「……」

 「……」

 プリントアウトの束を抱えて歩くミサトと日向。

 「結局……何も残っていませんでしたねぇ……」

 「そーねー」

 発令所に飛び込んだ二人は、偶然居合せたマヤにも手伝わせて全館のLANのログを調べた。結果は……見ての通りである。MAGIによるデータ操作は予想以上に徹底していた。一応持ってきたプリントアウトの束であったが、有用なデータは何一つあるまい。

 「あの……葛城さん、あとどうします?」

 「ん?、そうねぇ……ま、今できることといったらこのあたりが限界でしょう。今日はこのくらいにしましょ」

 「しかたありませんね……あの、ボード返しておきましょうか?」

 ミサトがプリントの束と一緒にボード(対イロウル戦においてリツコがカスパーをリプログラミングするのに使用したボード型コンピューター)を持ってきていることに気がついた日向が尋ねるが、ミサトは首を横に振った。

 「これってカスパーに直結なんでしょ? だったらもうちょっといろいろ調べてみたいしね」

 悪戯っぽく笑って見せる。『いろいろ』と言うからにはレイの事ではあるまい。

 (補完計画か……)

 「気をつけてください、シスオペ資格でログオンしていますがシステムにログが残ることは忘れないでくださいね」

 このボードを用意したのはマヤである。本当は彼女自身が偶然見つけた『ミサトの消し忘れ』データの裏付けを取る為MAGIを探っていたのであるが、ミサト達がMAGIを調べたいというので譲ったのだ。ただその際、補修用ポートからの有線結合を解除して、LAN経由でシスオペ資格でログオンし直したのだが、それは彼女がその方法で不正にデータを得たことを隠す為である。ミサトは偽レイの方が気になって特におかしいとは思わなかったが、日向は多少の疑惑を感じていた。

 一礼して帰っていく日向。ミサトはしばらくの間その後姿を眺めてから彼女の執務室の扉を開けた。

 (結局何もわからなかったか……予想していたとはいえ……)

 (……でも、一体何を求めてレイは……)

 (シンジ君を守る為に自爆したレイ……)

 (……ダミー……そして、三人目……)

 散らかった机の上にプリントとボードを置く。

 (『私はレイの体を持ち、レイの心を持つモノ……だから私、レイでしょ?』 レイの体……レイの心……まさか)

 椅子に腰掛ける。

 (あの偽レイは二人目? でも……)

 (……一体どうやって?)

 ミサトの脳裏を昨日のパターン青を示す発令所の様子がよぎる。

 (……一体何の為に?)

 ダミープラグが、そしてシンジの笑顔が脳裏をよぎった。

 大きく溜息をつきミサト。だが、口に出してはこう言った。

 「ま、本人に聞いてみないことにはわからない……か」

 「……そうですか? 私も葛城三佐に尋ねたいことがあるんです」

 何気ないミサトのつぶやきに答えが返ってくる。弾かれたように首を上げるミサト。

 扉のすぐ横の暗がりにレイが立っていた。

 

 

 

第三日目後編に続く                

 

注釈

*1 カーデックス:商品名 看護婦が医師の指示や看護婦の処置を記録する為の用紙。コンピューター化が進みなくなりつつある。普通はファイルに綴じられる用紙であるが、ここでの設定はプラスチック様の付箋紙のようなものを想定している。


Please Mail to 桔梗野聡視 <asj1117@mail.interq.or.jp>



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Received Date: 98.12.31
Upload Date: 98.12.31
Last Modified: 99.1.11
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